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翠玉の首輪

ここでこれから書くことに説得力を加えるために

たとえいいカメラを手に入れても役には立たない

写したいのは過去に見た、脳裏に鮮やかに映る光景だからだ。

カコカメラ

そんなものはない。少なくともあと十年は実用化されないだろう。

僕には、それを絵にすることもできぬ。

幸いネットには すでに共有されている幾多の写真や映像があるので

そこは追わないことにする。賑やかしぐらいは加えるかもしれないが。


オームステッドの伝記 を読んで、あれこれ考えている。
言葉にするのが難しいのだが、停滞しつづける考えを動かすために一部無理やり言語化する。

ここ数年のウラシマ期間を超え、自分にとって
今住む街からも、まして日本からも、気軽に出ていける時代は終わってしまった。

というか、それまでがラッキーすぎた。

これからも車や、ときに列車を使って、近くて遠い場所や
遠くて近い場所に旅をするかもしれないし
それは傍からは、軽いフットワークに見えることもあるかもしれない。

だがそれでも、今後の数年から数十年において
基本、拙者はローカルなおじさん、そしておじいさんとして過ごしていくだろう。

ワールドツアーをすることも、バレアレス諸島で詩にふけることも、NYC やパリのシーンで活動することも、

神戸や京都やボストンのような好きな都会で、創作しながら暮らすことも、まずないだろう。

つまり、今いる環境を素敵にしていくか、楽しんでいくしかない、ということだ。

田舎街での暮らしはいいものだが、触発してくれるものに限度がある。大いに。

自然は確かにある。足元をコンクリートで固められ、それでも静かに四肢を伸ばす動植物や土や水が。
励まされ、というより励ましたくなりながら、人気のまばらな、濃淡の少ない景色と共に生きている。

これでいいのだろうか。

ならば好きな自然って、たとえば街中の自然って、どういうものだろう。

街路樹も植え込みも、畢竟、街に飼われている装飾のひとつだ。
見ようによってはありがたいが、アリバイ、みたいに思えるときもある…そっちの方が多いな。

あ、いいな、と思う木々って少ない。何か抑えられている。

あ、いいな、と思う街中の自然って、ぽっとある、放置された丘や、竹藪だったりする。
結構本気で、癒される。

電車の窓から見える自然もそうだ。
朝、疲れて移動しているときも、数十秒だけ見える雑木林にエネルギーもらう。こういうのって大事だなぁ、ってずっと思ってる。

ところがそれらは、確実に買い取られ、消されてゆく。

丘ごと削られ、コンクリで固められ、砂利を撒かれ、洗いざらい植物が伐採され、宅地や工場に変わっていく。

日本にいったいどれだけ、そのような個性のかけらもない、退屈で心を押し込めるような街があるだろう。
同じチェーン店、同じ看板。同じ街路放送。

これでいいと、みんな本気で思っているのだろうか…?

工事の説明会とか行っても、噛み合わない。「基準」をクリアしてるか、経済的か(儲かるか)、金銭補償をするか、そんなのばっかし。

誰が掃除をする。散らかる土や木々に責任を持つ。不思議なことに、ある閾値を超えると、自然は「手入れが面倒」なものになるようだ。
部屋が散らかってる方が落ち着くと言ってた人が、片付け始めると気になってしょうがない、みたいなものか…?
判断のピボットが、コロっと変わってしまうんだろうか。

もう少し真面目に書くと、丘は災害時の土砂警戒区域にあたるから、削ることで警戒を解くことができる。云々。いいことのように聞こえる。
んー、なんかおかしくないか?

自然の丘が警戒区域にあたるのではなく、そもそも周りを削り木を切ったからから崩れやすくなって、石垣やコンクリで止めているのでは。
今度はそれを取り繕うように、全体を削る。やがて丘をなくす。樹木を適切に維持する金もないから、無くしてしまえ。
…?

これは一例。おそらく全国的に、ちょっといい片田舎の風景も、数年から数十年のスパンで平坦化され、蝕まれていく。

僕の田舎だった忍者の里でも、子供の頃はカブトムシがいっぱいいた雑木林や、謎めいた山林が、かなり削られている。
たまに通ると寂しい。現地の人々は「開けた、ニンニン」と思っているだろうか。


オームステッドの伝記では「セントラルパーク」にとどまらず、さまざまな事業への関わりとその前後の人間模様、いざこざ、根回し、などなどが描かれている。計画通りに施工されることはあまりなく、承認されても途中で中断したり破棄されたり、権力者が変わったり、追い出されたり、まぁうまくいかない。

あぁ、実際はアメリカもそんなんだったのか、とか、我が強いアメリカ人同士だからよけいにいざこざばっかりだったのだろうな、とか、理想と現実の違いを見せつけられるようだ。

あるいは、うまくいかなくても気を長く持つとか、諦めないとか執着するとか、倍返しとか、汲むべきはいろいろあるのだろう。

この方、ワーカホリックで何度も鬱病になっているし、最期は自らが敷地をデザインした精神病棟に5年も入っている。成し遂げるって簡単にはいかない。外からは大きな実績に見えたこと、傍から見ても捻じ曲げられたことを含めて、本人が抱え込んだ挫折感ってどれほど大きかったのだろう。


僕はかつて、彼の作品のひとつである公園で、なにも知らずに癒されていた。

セントラルパークではなく、ボストンの「エメラルド・ネックレス」公園群のひとつ、「バックベイ・フェンズ」である。

レッドソックスの本拠、フェンウェイパークの近くからボストン美術館に至る一帯。音大時代このあたりにアパートを借りていた。居候したりシェアしたり…転々と。
この先にもフランクリンパーク、ジャマイカプレイン、彼の名を冠したオームステッドパークなどたくさんの公園が連なり、ネックレス状のパークシステムを形成しているのだが、ベースを背負うか転がして歩くぐらいの行動範囲の僕は、南にはなかなか足を向けなかった。
…ジャマイカプレインあたりには、地名に寄せられたか夏の間レゲエシンガーが住んでいて、呼ばれてリハに通ったっけ…余談

いつも歩いていたこの公園は、単体でも広大であり、とにかく美しかった。
わざとらしさがなく、こんな表現はすごく IQ が低そうだが「自然」な「自然」なのだ。同語反復というやつか。

ボストンのバックベイというところは一応都会なのに、そこから一歩先に、こんな「自然」がすっと広がっていることに驚いたし、慣れてからはずっと幸運を感じていた。すてきだった。どれだけインスピレーションをもらったか、わからない。

だがこれは、人工の自然だった。Artificial Nature とでもいうのだろうか。
オームステッドはチャールズリバーを埋め立てた干潟の水捌けの悪さ、汚泥や悪臭などの問題に着目し、配管敷設で対処。さらに塩生湿地生態系をエミュレーションして設計し、ボストン市当局と折衝しながら、長い間をかけて施工させたのだ。

ボストン市はかつて、港湾にうかぶアイランドのようなものだった。埋め立てを繰り返して広がる都市計画の中で見出した、ロングスパンの賢い答え、だったともいえる。

そしてオームステッドは、エメラルドネックレスの外側の街ブルックラインに、緑に覆われた自宅兼事務所「フェアステッド」を構える。ここでシカゴ万博やベルアイル、ビルトモアなど全米の数多くの案件を手がけ、次世代に引き継いだ。


自然と人工物。そこには常に対立がある。

果たして人間に自然を「つくる」ことなどできるのか、そんな権利などあるのか?
というところまで、割とずっと考えている。3.11以降。

津波と原発事故以降、なにをやるにしても、自然に対する畏れを忘れてはいかん、と肝に命じるようになったし、諸行無常、この世は借り物、とも思っている。

だから、モノに対する所有欲がそれ以降かなり少なくなった。
コロナ後は機材もだいぶ断捨離した。シンセベースもサイレントベースも。使わないし。基本生音なので、ペダルなどももう少し手放すことになるだろう。by the way…

でも、ならば「欲しがりません」の人や街がいいのか?

ボストンの成り立ちで見ても、そもそも埋め立てで街を作ることの是非。この時点でかなりの自然破壊が起こっている。
一方、そこからうまくパークシステムと街をつくったことで、長い時の流れに耐える、魅力的な都市環境ができている - 塩水から真水に湿地帯の生態系が変わっていったことまでは読めなかったようだが。
そして、年月を経て懐かしく思う異国人がここにいる。

もう一つ、トリッキーなのは

欲しがらない人は、人のいうことをよく聞く。人に譲歩するから、結局、利を得たい人の餌食になってしまう。
或いは、頑固に踏みとどまったとしても、周囲に理解されず、よくて世代限りで更地にされてしまう。
あるいは、自然そのものに飲み込まれる。そこには人の立場や力の区別はない。

さて、自然と人間って、なんだろう。
僕らは共存するのだろうか。対立あるいは騙し合うのだろうか。

風呂敷広げて畳めなくなったので、続きは次回。

それはそうと、これらのページなかなかよかったです。響きました。

十九世紀 北米への旅

フレデリック・ロー・オームステッドの伝記を読了。

五百頁、二段組はさすがに時間がかかった。

膨大な登場人物を把握するだけでも、
あと二周は必要かもしれない。

都市と田舎と自然をつなぐ空間構築(いわゆるランドスケープデザイン)
そしてその代表として、マンハッタンのセントラルパークが主題。

とはいえ、この人の背景や仕事の変遷もあって、
米国史、奴隷制と南北戦争、労働環境、議会や富豪、パワーゲーム、農林業、出版、教育機関、本人や家族の成長記、さらに肉体と精神面にかかる介護や医療も含む、壮大な記録。

示唆が多すぎるほど。
二十一世紀においても。おそらく多くの人にとっても。

オームステッド セントラルパークをつくった男
Witold Rybczynski 著/平松宏城 訳

山の入り口のクローバー

日曜。昨夜ふと思いついて少し長旅。

コロナで世界が閉じる直前、京都で会ったお二人に、会いにいく。

2020.2.16. 紫明会館で タイナカ彩智さんの live を手伝った日の夜。これ以来、僕は第三の故郷、京都に行けていない。

とはいえその二人は京都人ではない。イスラエル生まれで東京で活動するギタリスト、山口亮志さんと、浜松育ちで京都在住のアーティスト、内田涼子さんだ。

内田さん(うっちー)は、2000年前後からの知り合いで、ライヴやイベント、ジャケットアートワークなどで本当にお世話になった。再生できるかわからないが、このサイトにこっそり残しているこの作品も彼女と僕のコラボである。

いんちきピストル

山口さんと会うのはまだ2度目。とはいえこういうのはタイミング。
はちみつやさんで演奏をしているしベースもあるので、よかったら…との誘いに、ドライブで出掛けていった。


大きな橋を越えると別世界。

天竜二俣というところは初めてだが、不思議な活気のある界隈だ。デジャブ? どこと?

養蜂屋 というお店もとても開放的な空間で、お二人とのコラボによるミードも素敵だった。

向かいにある包商店というジェラート屋さんはなんだか Johnbull みたいな佇まいだ。

きころという、道の駅みたいな場所もある。和むし、訪問者には心強い。

ベースをお借りし、途中から二人でいくつか即興をする。

1月に、ちょうど2年ぶりに人前で演奏(ほぼ「流し」)をやったが、

それとは真逆だ。なんでもあり。間。軋みとひびき、箱と太鼓。

2005年ごろになるか、gt / a.sax / dr / e.bass の4人でフリーばかりをやっていたときがある。

形には残らなかったがバンド名すらあった。gt は京都で、sax は東京で大活躍のはず。dr は永遠の夏休み。

主に The Room 界隈。ピットインや O-East でもやったっけ。

その他にも、そもそも このアルバム も最小限のモチーフ、中身はほぼ即興だった。

「かずみとまや」を手伝ったツアーで、金沢のもっきりやでやった即興も、記憶に残ってる。

即興が記憶に残るべきなのかどうかは、あまりわからない。ともかくここ数年は、コロナ前でもあまりインプロをしなかったし、一連の DIY はソングフォーマットというお題でやっている。何か不思議だ。

扉はどこでも開くんだなぁ、捉え方次第かなと思いつつ、お二人や店長と色々、街の人々と少し話して帰路につく。
もっと話したかったのだけど。皆さんもてなしの達人で、こちらは言葉があまり出てこない。

いろんなことがある。教えてもらった道具や街の人の活動、森の入り口、森の奥にある養蜂場、歌舞伎、演劇、かつてコーヒーケトルを注文した場所(もうその店はなく、別の素敵な店になっている)。

何かできないかな、と思いつつ、筆記体的に遠回りをし、ぐる〜っと水辺を回って、夜の地球へ。

樹木的時間

三月も 半ばを過ぎる

日々 忙しく 充実していないわけではないが

やるべきことの半分も できていない

壁に貼った 自転車に またがる自分の

空想に 託してみたいが


子供の頃 年上の人たちに

長いスパンで物事を考えろ 6年後 12年後 20年後を考えろと言われ

どうしてもそうなれなかったのを ふと思い出す

そんな先のことなどどうしてイメージできる 今以上に重要なことがあるか

など考えていたのだと思う

“Don’t trust over Thirty” や「人間五十年」を 半ばマジに信じていたこともある

その頃のことの良し悪しはともかく 今ようやくにして

図らずも 長いスパンでしか時を捉えられなくなってきたようである

つまり こちらが1ヶ月ぐらいに感じていることが実際は3ヶ月

1年が3年…

まぁ それもまた よしかもしれない


ページの非常に多い本を先日から読んでいる これまでなら放り出したぐらいの文量なのだが

これはと 時間をみつけては読み進む

漸く 残り50頁ほどになった

後半になるにつれて 実際に自分が歩いていた 湿地公園の景色が思い出され

中断しなくてよかったと思っているところである


先ほど書いた「敦盛」は

「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」

ということで 昔思い込んでいたものとは 意味が違うようだ

さすれば

平敦盛や 織田信長 今川義元の時代の寿命を大きく超えた 現代では

いや この尺を引き延ばす というよりも

じんかん ごじゅうねん をこえれば

かてんに ちかづく のかもしれない

たとえば じゅもくのじかんが すこしは わかるのかも しれないな

るいをよもう 23

ふと、宿場町で入ったカフェで興味深い書籍を見つけ

購入する。

壁際の小さな机を陣取った、とても分厚い、辞書のような本だが
その佇まいが読ませようとしてくる。なぜだろう。
しかも、その一角をよく見ると…

僕は昨年一年、ほとんど本を読まなかった。
ベースにほぼ触らなかった、人にほぼ会わなかった、だけではない。

radio sakamoto のアーカイブを聴きながら「秋には読もう」と嘯いていたのも束の間のこと。気がつけば冬も終わる。

かわりに、いくらか頑張って楽譜を読んだ、が。

そろそろ読み出したくなっている。

まだ読めていなかったタルマーリー渡邉格さん、麻里子さんの二冊目の著書
『菌の声を聴け』
を漸く買うことができた。こちらは昨夜一気読みしてしまった。

格(イタル)さんは文才もあり、何より生き方が型破りなので、すいすい読めてしまう。
(あとから聞くと、だいぶ麻里子さんの推敲も入っているらしい。たしかに女将は人に伝える達人でした)

那岐の古い保育園を改装したすてきなパン屋さん、タルマーリーは
今や地域と自然循環の旗手でもある。もちろん彼らだけがやっているわけではない。
スタッフ、地域の人々、そして全国の人々が、農薬や肥料に頼らない食料の生産と供給のため、尽力している。

時はたち、その保育園で食べることももうできなさそうだが、彼らは彼らの宿場町で、先をいく。

一方で、一回の空中農薬散布や、一瓶のラウンドアップは、どれだけ本来の自然を破壊してしまうだろう。
田舎や地方都市にあっても、この一瞬も山は削られ工場となり、海岸は埋め立てられていく。

個人や零細、中小企業のやっていくことを、行政や大企業は助けることもできるし
一気にぶち壊すこともできてしまう。
太古からずっとそうであったし、今はよりそれをはっきりと感じ取れてしまう。
「どちらもできる」ということが「力」なのだろうか。人は「力」をどうして持ちたがるのだろう。なにが「突破力」だよ。

ともかく、力が好きじゃない僕は、力を持つことも、持つために立ち回ることも苦手だ。

「戦わないための力」というのは、政府の詭弁だけじゃなく、個人にも当てはまるのだろうけど、

どうしていいか、未だにわからない。

だがそれとは別に、力を発揮している個人や面白いことをやる企業には、やはり惹かれるものがあるし、応援したくもなる。それは自分がそうならない = けしてなれない、からでもあるのかな。

ともあれ。

分厚い本、少しずつ読んでいる。あるアメリカ人の生い立ち、地域や人々の歴史的背景、事細かに記されているのでとても時間がかかりそうだが、これはしっかり読破したい。

MBP の電池が切れるので、これまで。

2月が終わる。

the weekend and then

気球を撃ち落とすとか…

中国のスパイだと大ニュースにしておきながら、証拠を掴んでないのになんで撃ち落とすのかな。
仮にスパイならば捕獲した方が確実だし証拠も掴めるのに。疑問。

かくいう日本も「風船爆弾」をかつて飛ばし、実際に何個か米国で爆発したとか…
そのときは、米は報道規制して、効果がなかったと日本に思わせたらしいが
今回は逆のことをしているわけで。

平和を願う。切に。

大地震も各地で起こっているというのに。戦争などしている場合か。
もちろん、ロシアもそうです。


週末は音楽に集中する。

デジタルを離れて楽器や身体や紙に。こちらの方が楽しい。改めて思う。

何も残らないし、不確実だけどね。

アルバ紀

Alba / Ray Kondo

この曲は前述の通り
元旦に思いついたベースの
ピチカートとアルコのラインに基づいています。

ある方からの年賀状にあった詩に
触発され

自分の本分から目を逸らしたらあかんな、と
今年は再びベースに向かうことに。

そこから、自分の詩をつくるのに
一ヶ月寝かせておきました。

何かパーカッシブな音が欲しかったので
写真の棒を使いました。

師走、古くからのやり方で綿生地を作っている工房を訪ねたとき
気になって買った「つむぎ棒」です。
織機の部品に見えます。
正しい名称や使い方はわかりません。

ギロにもウッドブロックにもなるな、と思ったのですが
音量はとても小さく、でもときどき、いい響きがします。

何テイクか録って、重ねました。

ジャケットは
楽器の表面と
ノートの落書きを
透かせてます。

Alba / Ray Kondo

うみのうえ
ほしひとり
そらをまつ
ほとりのひ

はこのなかの
ひかりを
たびにだそう

うみのうえ
ほしふたり
そらおりる
はまべのよる

はなのなかへ
ひかりを
てらそう

あ、ぜんぶひらがなにしてますが
漢字だといみがかわるかもです

さしあたり「うみ」が「湖」だったりね

konoyuki

2023年1月を振り返る。二度と帰ってこないこの月。

悲しいことも、楽しいこともたくさんあった。

中旬。目に焼きついているのは三重の山間の光景。鋭角的な峰と川縁。

Spectator の揃った本棚。好きで僕も数冊買い溜めたけど、知らない号の方が大半。

ハートにささる、悲しくなったね。

だけど、何をすべきか、いや、全くもってやり足りないし、追いつかないけど、

やっていかねばならんかは、感じさせてもらってる。

コーヒーとカンパーニュ、最高の時空間と、ルーツへの旅。


年始に遡って。今年はまた楽器に向かってる。

昨年、正直ほとんど触らなかったベース…たまに録音に望んだぐらいで…に

今年は元旦から、真面目に向き合ってる。ことにダブルベースはゼロからやり直しているところ。

そしてアイリッシュフィドル。やばいぐらい楽しく、勉強になる。

人前では Taylor のアコースティックベースをメインにしている。ポーズだけじゃなくちゃんと。
どうせ誰とも違う形でやるのだから、これまで会得したベース奏法を、束縛なしで進めていこう。

…今月は一度もドラムに触れなかった。ハイハットも、直ってきたキックも。


そして下旬。二度と人前で演奏しない、と半ば決めていたのだが、

誘ってくれた人の人柄か、ベースでの合奏と、自分の演し物と、両方させてもらった。

演し物というより、「流し」ですね。

ここへ来て、自分に必要なのは、どんな大きなステージよりも、見知らぬ人の中での「流し」ができることだと思っている。

まだできない、ということもわかっているが、それでもそろそろ、やってこう。
ストリートにいれない誰かの、どこかの部屋の、流し。リクエストを受けない、変な流し。

アンサンブルってなんだろう、バンドってなんだろう。
昔あのとき、バンドの彼はどうしてああ言ったのだろう、なんかそんなことが色々、
ここへ来て、腑に落ちてくる。

一人と、人と。

二日前は半月だったんだな、と思う。

列車で遠くにいくことなんか、これからあるのかな。わからないな。

パンジュ・アーブ

元旦に作った音をどうしようかシアン。

こんな感じかなとチカヨル。

いつでも、地下は昼。

昨日の夕暮れはリアルにライムでバトルしてる娘さんを見た。

その場に入ってよかったんだろうか。

たぶん、よかったん。


カタログって、幻で、

並んだケーキも、幻で、

そう、絵に描いた、もちっこで、

うさぎの雲が、きりとられてく。


今日は空はただ青く

誰もいないかのように

みんなそこに、空のそこに、身を潜めて、さわいでる。

ミュンヘンの、ビヤホールのように。

パンジャーブ地方のように。

5つの、水を、わけあって。

田畑とバスティーユと茶会

昨日出回ったコラム

日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返る
by ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ

英語版を見たので、日本語では読めないかもと思って頑張って翻訳して読んだけど
その後日本語版も出てて、とても正確だった。

色々示唆ある記事ですね。

通底するテーマとしては、「変化と現状維持」だろうか。いくつか引用します。

房総半島の村で会議場に座っていたことがある。消滅の危険があるとされる約900の日本の集落のひとつだったからだ。議場に集まった高齢の男性たちは、現状を心配していた。

「自分たちがいなくなったら、だれが墓の世話をするんだ」。高齢男性の1人はこう嘆いた。日本では、死者の霊を慰めるのは大事な仕事なのだ。

〜略〜

「ここはこんなに美しいのだから」と、私はお年寄りたちに言った。「ここに住みたいという人は大勢いるはずです。たとえば、私が家族を連れてここに住んだら、どう思いますか」。

会議場はしんと静まり返った。お年寄りたちは黙ったまま、ばつが悪そうに、お互いに目をやった。やがて1人が咳ばらいをしてから、不安そうな表情で口を開いた。

「それには、私たちの暮らし方を学んでもらわないと。簡単なことじゃない」

この村は消滅へと向かっていた。それでも、「よそもの」に侵入されるかと思うと、なぜかその方がこの人たちには受け入れがたいのだった。

変化を恐れているものは、現状維持すらできない、衰退し消え去るのみ、と読める。

だが

過疎の街の住民の気持ち
見事な矛盾だけど
田舎に住む人なら、わかるでしょ。

わかる人に受け継いで欲しい。他所モノに壊されるぐらいなら●◉の方がマシだ。

また

これは欧米も同じだと思う
保守的な田舎は他所者を受け付けない
単純に移民受け入れがいいとも言えない

会社もいやあるいは
リベラルやクリエイティブなチームも
結構そうだったりする 何十年経っても 同じ面々

それを「信頼関係」って言ったりするんだよな

だがこのままじゃ って話だよね。

お年寄りたちが言った言葉は、そのまま、若者が出ていった理由、とも言える。

だが同時に、それが別の若者を惹きつけ、外国人をも魅了する理由の一つ、にもなる(なっている)かもしれない。

たとえばそんな田舎が、すべて外資のチェーンホテルに売られたらどうだろう。
全国どこでもあるような、同じフランチャイズが並ぶコンクリートの街になったらどうだろう。
太陽光パネルだけになったらどうだろう?
原発になったらどうだろう?

おっちゃん、おばちゃんたちが守って受け継いできたものは、確かに価値があるのであって、
それがどうして届かないのか、その次を考えることは不可能じゃないと、思うんですよね。

不完全でも、断層があっても、本音と建前がややこしくても。

「武士は1868年に刀を手放し、髷(まげ)を落とし、西洋の服を着て、霞ケ関の役所にぞろぞろと入っていった。そして、今でもそこに居座っている」

1868年の日本では、欧米列強によって中国と同じ目に遭うのを恐れた改革派が、徳川幕府を倒した。それ以降、日本は急速な工業化へと邁進(まいしん)することになった。

しかし、この明治維新は、フランス革命におけるバスティーユ陥落とは全く異なる。明治維新は、エリート層によるクーデターだった。1945年に2度目の大転換が訪れても、日本の「名家」はそのまま残った。

これ以降は必読です。

「現状維持」のためにうわべを「変化」させた「名家」が生き残った。
だが本質的には変われなかったつけが来ている、というところか。

未来じゃなくてツケが来た。すなわち、ローンを支払うために過去にとらわれている。
そんな感じもする。

バスティーユ、がひっかかったが、たまたま昨夜読んだアイリッシュフィドルの教則本で(今年は少しずつこれをやっている)、トマス・ペインの1791~2年の著書を元にした曲が載っていた。”The Rights of Man”

人間の権利 – を民衆音楽に浸透させたアイルランド。独立宣言に取り入れたアメリカ。それぞれイングランドへの対抗もあるのだろうが。
そして、人権宣言に反映させたフランス。

日本とかなり違う。

とはいえ、ペインも賞賛されたり投獄されたり、晩年は仲間を失い、祖国に戻った遺骨の場所も知れずと
それこそ「墓の世話」もできないような。凄まじい浮き沈みだ。

そう、アメリカ独立宣言のこの部分(American Center Japan より引用)

われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有するということ、である。もちろん、長年にわたり樹立されている政府を軽々しい一時的な理由で改造すべきではないことは思慮分別が示す通りである。従って、あらゆる経験が示すように、人類は、慣れ親しんでいる形態を廃止することによって自らの状況を正すよりも、弊害が耐えられるものである限りは、耐えようとする傾向がある。しかし、権力の乱用と権利の侵害が、常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らかであるときには、そのような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが、人民の権利であり義務である。これらの植民地が耐え忍んできた苦難は、まさにそうした事態であり、そして今、まさにそのような必要性によって、彼らはこれまでの政府を変えることを迫られているのである。現在の英国王の治世の歴史は、度重なる不正と権利侵害の歴史であり、そのすべてがこれらの諸邦に対する絶対専制の確立を直接の目的としている。このことを例証するために、以下の事実をあえて公正に判断する世界の人々に向けて提示することとする。

に大きく影響を与えたのもペインの著書とされる。根を辿ればジョン・ロックの「統治二論」でもある。

ペインの「政府のただ一つの目的は、全ての人に固有の反駁できない権利を擁護すること」という思想

今頃になって読む気になって、衝撃を受けている自分にも呆れているが、今の日本の政府の人たちは、当然、学生時代にこれを学んでいるのだろうか。そのときどう思い、今、どう思っているのだろうか。
自分たちが手本としている国の理想を。そして、その理想を米国が「同盟国」あるいは「属国」の日本に対して、どう具体化しているか、どう考えるのだろう。


* 独立宣言引用途中の「もちろん、長年にわたり〜」の部分、欧米人でも変化は容易に受け入れられないということを表している。また、先日のドラマ「エルピス」で斉藤サンが言ってたセリフと、どこか似ています。

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