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ときほぐすのは II

原子力発電の虚構と限りない闇について

忘れている人はそんなに多くないと思うのだが

2011年の3月12日以降、それに気づかなかった人はどれぐらいいるのだろうか?

まさか本当に、岸田政権のように
これから日本の原発が再稼働、60年(点検休止期間の除外により実質70年にもなる)以上運転、さらに新設してよいと思っているのだろうか?

呆れ過ぎて何も言えないのだろうか?

何を意見しても通らない、これが、民主主義国とされている日本の実態だったと普段は私たちは気づかない。
ガラス張りの水槽の中にいるグッピーが、普段はその壁に気づかないようなものだ。

3.11は、3.12そしてそれ以降は大きな災禍だったが、多くを気づかせてくれる機会でもあった。

多くの人の目が覚めた。坂本龍一氏のツイートの一つが心に残っている。

…とはいえ、そのものを今は探せないので、一字一句は違うかもしれない。

「日本人の意識が、原発事故以前には戻ることはもうないと思います」

という内容だったと思う。それは大きな希望でもあった。

僕が一番ショックを受けたのは、原発普及啓蒙のためのポスターを2週間後に見たときのこと。
日記「ときほぐすのは」

全国の小学生、中学生がこぞって描いた図画(そういうプログラムだったから)、そこでの原子力は優しい顔で「安全で、安心で、地球と人々の明るい未来のためのエネルギー」と称賛されていた。中には、その意味があまりわからないまま、信じて描いた子どもたちも多くいただろう。

そして、そのページはほどなく、アクセス不能になった。

原発の理不尽と大きすぎる弊害と危険性については自分も含めて本当に多くの人が述べ、叫んだことであるし、
あえて繰り返す必要もない、と思っていたのだが

そうもいかないらしい。

忘れたのか、あるいは、忘れたことにされたのか。

統一教会の問題は本当に、日本という国って何? っていうぐらい価値観がひっくり返ることだけれど、
それを珍しく読売系の TV が頑張って放映していた夏から秋にかけて、経産省では「神風が吹いた」と歓迎していたらしい。

見出しだけで何年ぶんもの吐き気がするが、これが記事だ。申し訳ないが朝日新聞の購読料は払っていないので、本文は読めない。上はさる方のツイートと、時系列の考察による。

https://www.asahi.com/articles/ASQDQ6F72QDQULFA00F.html

ニュースは、人を煽動できる。どんな悲劇も、お祭りも、メディアに載った時に別の力が加わる。

教えてくれることも多いが、あるいはメディア自身が作り、流すドキュメンタリーやドラマのように、大きなヒントをくれることも多いが、それでもメディアを信じて、流されてはいけない。

もともと、メディアは人を操作するために作られたものだ。だからこそ大きな金が動く。

昨日は珍しく TVCM のことを書いたが、これも理由がある。中で語られているすばらしいことば、これを「他の人」が言ったならどれだけ伝わるだろう、ということだ。

彼が語った言葉は僕もすばらしいと思ったが、それは、あるいは真剣に音楽をする人なら、誰しも考えることではないのか…? とも思う。
だが、そこに価値をつけられるのは、彼の輝かしい経歴であり、立場ではないのか。

結局人は「立場」を求め、それに動かされるのだ。そして、企業をはじめ多くの人に、利用される。
それが「インフルエンサー」ってこと。

ちょうど上に書いたこと。私自身も坂本氏に大きなインフルエンスを受けたわけで。


原発について、一度に書き切れない。ひとつ。

日本沿岸に立ち並ぶ原発は、もし外国から武力攻撃を受けた場合、最大の弱点となり、壊滅的な被害を被る。

これは広く言われている意見だ。

これに対して「原発が立ち並ぶのは外国も同じ」という方々。

風向きを考えていますか?

アジア各国の沿岸にある原発で核爆発がおこったとき、どういうふうに風は流れる?

被害を一番まともにくらうのは、日本列島。本当に武力攻撃を想定しているなら、あんな配置はしませんよね。

でたらめです。幾重にも。

謹賀新年

ここのところ毎年、元旦は快晴です。

今年は暖かく、除夜の鐘から初日の出まで、割合楽に過ごせました。
4時間の睡眠はきついが…

穴場だったこの場所も年々人気スポットとなり、もはや駐車は難しい。
戯れる波乗りたち。


こんな平穏の中、不穏な気配が着実に覆っている。

ひとりひとりが、平和を望めば、戦争など起こるわけがない。

それを崩しにかかるのが、支配者と武器商人と、無限に繋がる情報網。

じょうほう。ずっと考えているが、うまく整理できない。どうして人は進んで情報になど。

鳥も虫も、魚も群れになる。所詮我々は群れなくして生きられない。

それを司るのが、ちょっとした気配、ゆるい力、強い力、磁力のようなもの。ことば。
いいの? わるいの? どっちもだ。

デジタル庁の役人が引き継ぎの際「この仕事は『わなをかけるような』もの」と述べていたいつかの記事。
その通りだと思う。だれに? 国民に? 違いましたか?


落とし穴は加速する。だけどそんなことを遥かに上回る速度で

うさぎはラビットホールをかけていく。

きっと。別の道がある。

よい年にしましょう。No war. No autocracy.

コーヒーとコスタリカ

昨年ごろから己の体質が変わったのか、濃い食べ物、飲み物をあまり受け付けなくなった。
酒をやめたせいもあるだろう。

コーヒーも、ずっと深煎り一辺倒だったのに、今は浅煎り〜中煎りが好みだ。

世界中の豆を扱ってる或るお店から
焙煎豆を買って飲むのが、今年の楽しみだった。
ひとつ、とても味わい深い豆があって、頼りにしていたのだけど
入手不可能になった。どういう事情かは、想像はできるがわからない。


コスタリカって最近じゃサッカーで話題になったようだけど
蹴球に疎い僕は、彼の国の豆を調べてみたら

興味深い記事にいくつかヒットする。

軍隊を持たない国、コスタリカ共和国

日付が古く鵜呑みにはできないが、この姿勢こそ日本に必要なんじゃ?

いくつか引用します

国家予算の大部分を教育関係に注ぐようになったのは、内戦という悲しい過去から、すべての軍事費用を教育に充てるほうが、みんなが幸せになれるのだと学んだからなのです。

国民は、戦争を仕掛けられるはずもないのだと自信を持って暮らしています。

その理由は、『侵略されないような努力をずっとしてきていること』『周辺の国からも平和の国として認められていること』などがあります。どこかで戦争が起こったら負傷者の手当てや難民のケアをし、さらには周りの国々の平和をも守るための努力をしています。1980年代に、当時のアリアス大統領が、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラの内戦を対話によって終わらせるのに大きな役割を果たして、ノーベル平和賞を受賞したことを筆頭に、周辺諸国への平和的な働きかけは、コスタリカを平和の国として認識させているのです。

また、戦争をしないばかりか、米国の基地設置すら拒否し、自国内でも警察官が銃を持たないなど、徹底した平和を守っています。国民を統治する政治は有っても弾圧する政治は存在しないのです。これは、どこにもない理想的な自衛ではないでしょうか。

翻って日本の政府や世間は、10年前からずっと、他国からの危機を煽ってきた。

だから、日本は対抗する軍事力を持つべきだと。先日は何を血迷ったか、遂にこれを既成事実化してしまった。

えらい違いだ。どちらが夢物語だろうか。

実際のコスタリカがどんな状況で、また現在どうなっているのか、僕にはわからない。
あるいは、国内が不安定だから、コーヒーも届かないのかもしれない。

が、少なくともかつて、キューバとアメリカの近郊でありながら米軍基地を設置させなかった事、国際機関を通じて戦争を回避する努力を最大限に行なってきたことは、今からでも注目すべきだ。

手遅れになる前に。

戦争は、起こってからではもう引き返せない。どっちが先に手を出した、などというのは主観的なもの。ミサイルにドライブレコーダーつける? 誰がそれを裁く? 裁かれたものが悪あがきをする間に、どれだけ多くの命や心が消えていく?

ものすごいカーブを描いて落ちていく世界を、守るのは兵器ではない。

この地球を、死と汚染で埋め尽くしたいのなら、悪夢の中だけにしてほしい。

せめて明るい世界を望んでいたい。そんなクリスマスイヴ。

せんどう

ひどい扇動がつづきます。

僕が こんなこと を記したのはたった355日前のこと。すべてが、悪い方向に。

読売新聞のコラムを読んだ。政治部の部長さんがいろいろと書いている。
冷静に読んでも頭がクラクラする。この人の見ている現実が、日本人の多くに転写されたら、僕はこの世にほんとにがっかりするだろうな。

日本を攻撃したら痛い目に遭うとちゅうちょさせることが必要となる。
反撃能力はそのための「伝家の宝刀」といえよう。

どこかで聞いたような。北朝鮮がよくこんな事を言ってた気がするな。

しかも「伝家の宝刀」って何かと思えば、米軍の旧式ミサイルってか。
中東で人を殺しまくって、それでも溜まった不良在庫を、お得意様の日本が言い値で買い取ってくれるわけです。
目的は後付けだからこんな支離滅裂になるし、国会で議論もしない。

統一教会問題から逃げたい一心の、支持率激落ちの政権が、権力維持の保障を見返りにアメリカになんでもするからと頭下げてるんじゃないか、という見方があったけど、それだけじゃないとしても、とても説得力がありました。

唯一の被爆国であるのに、核攻撃に備えたシェルターの設置すら進んでいない。

それはそうかもしれない。シェルターって防空壕だよね。設置されても、それに入れる人って、何人いるんだろう。

一時爆発から仮に逃れられても、その後何年もこもらなきゃ、だよね。

地上はすべて、核汚染されている。農作物も作れない。水も飲めない。緩慢に蝕まれ、死んでいく人々。核は撃たれたらもうおしまい。撃ち落とすことも、核弾頭を切り落とすこともできない。そして、核でなくても、海岸に並ぶ原発数基にミサイルが落っこったら、日本は終了。

核攻撃に備えることなんて、誰にも無理なんです。もしかしたら超ハイスペックなシェルターに、政府高官などは逃げ込めて、数ヶ月は生きられるかもしれない。だけどそれだけ。人も村も大地も川も湖も、みんな滅ぶ。

核は、何人(なんぴと)たりとも、使わせちゃいけないものなんです。

増税をめぐっては自民党内に異論が出た。万が一の事態に必要となるであろう追加出費を想定すれば、財政健全化は避けて通れまい。情報開示を徹底し、表現も工夫した丁寧な説明が不可欠だ。

ツッコミどころが多すぎるのだが

自民党内に異論 … 後の当人の態度豹変を見るまでもなく、いつもの脚本でした。
財政健全化 … 国民負担っていうことです。健全になるわけがない。
情報開示を徹底 … 黒塗りと後出しと改竄ばかりの彼らがどんな情報を開示する?
表現も工夫した丁寧な説明 … ごまかしと言い訳を頑張ろう、ということです。

ここからは別の見方です。仮に軍事費が国防力だとします。違うけど。
他の報道で「世界三位の軍事費大国になるのか」と言ってます。

これだけ経済が落ち、円も弱くなった日本のコスパと、中国のそれを比べれば、わかるはず。

いくら軍事費を増やしても、国防力は見合ったものにならない。無駄なんですよ。

せいぜい、アメリカの兵器に金を払えなくなって、中国兵器を買うはめになりますよ。そうでなくても、アメリカ製品の多くも、とっくに中国生産でしたけどね。(この Mac を例にあげるまでもなく)

それに、日本の貿易の最大の相手は中国。
そんな国とどうして戦争するの? 経済と軍事は別腹だとでも思ってる?

それとも全部、茶番? そうだとしても、巻き込まないでくださいな。

政府はともかく、中国でもロシアでも、人々は無駄な戦いなど望んでいない。

軍事力やプロパガンダで国民を守ることは、できません。
先の大戦をちゃんと振り返れば、またここ何十年もの中東を見ていれば、いやというほど分かるはずです。

せっかく、アメリカと中国の狭間にいるんです。自国民を騙すのはいい加減にして、
もっといい方法を考えて、見つけて、生きていきましょうよ。

屋根の鼠が持ってたカメラ

この季節感。

思い出すのは、ベースを転がして階段を登り、壁際になんとか立てかけて出番を待った mewe。

出番とその後。

沢山呑んだなぁ

誰かが口で真似してたリンドラム。

帰りに階段を降りたあと、ベースが「やわらかくなって」、
翌日世田谷の工房に、外れたネックを付けてもらいに行ったこと。

おそらく、もう滅多に体験できない。季節は何度か戻ってくるだろうけど。

打楽器の家入くんが、「巨大サーバーがそのうち俺たちをすべて飲み込む」って言ってたのを
みんなが笑ってた、そんな2010… だったかな。

999か

満月を眼前に坂を登る

灯台の上に月を望む

ほんの日課が今宵は贅沢なドライブだ

都会ぐらしならこうはいくまい

となりにある露路

シングル「アカレンガイロノクルマ」
たくさん再生してもらえているようで(僕にしては、です)
とても嬉しいです。

この曲、五本木に住んでいたころ、ある午後にふと思いついて Boss のマルチレコーダーにメモ録した曲なんですが、なんだか誰かが通って行ったようなよさがあるんです。

当時はこの曲を作った直後で(同時かな?)

このまま続編ができていたかもしれない。だけどそうならなかったのも、無意味じゃないんでしょうね。

マイアや、キトリや、異文化を感じさせてくれる女性シンガーが歌ってくれれば、
すてきな曲だとも思っています。が、それはそれ。

また機会があればカバーやリメイク、コラボしてもらえたら、と思いつつ、
僕は残る人生、まずは感じ取り、あずかった曲を形にしていこう。というわけです。

欅の幹から、空から、遠い国へ、隣の露路へ。

あめをぬけて

ねずみいろのそらとトリニティーをみたあとは

新街道を越え、旧街道の港町

今年初めて、列車の駅というものに足を踏み入れる。
長距離運転のあと、地下駐車場から登る。コンコースにだけ用があってのこと

歩き慣れたはずの階段がずっしり重い。少年の頃は相当鍛えていたのだろうよ。

反対口に出て、それとなく場所を吸い込む。

駅ビルの脇に、なかなかの五日月

はかってもわからぬほどの違い

ちょっと大きな、鍵のつき。

久々に…

久々続きで、コンサートを観にいく。

TAKUJI さん。

前回お会いしたのは Green Room Fes か。バックステージで声をかけてもらって以来。

ガットギター一本、完全生音の響きが、極上の時間でした。

たまたま、藍色のジャケとセーターと、ジーンズと
上下ブルーで行ったこともあってか、アンコールの曲が余計にぐっときたり。

そして、スペシャルジョインでの Moto くんのアコーディオンも生き生きとして、素晴らしかった。

人の舞台を観ると、とても楽しめる。
以前のように、「弾かなきゃ、やらなきゃ」と思うことがない。それっていいのか、悪いのか。

でも、ここにベースが加わるならどんなラインで間合いかな、とかは、常に考えてる。
それって瞬間芸ではなくて、聴きながらのリアルタイムアレンジ。
こういうのが、ためになってる。

会場で、「楽器の演奏はしない」という人とも少しお話したけど
演奏する、しないは、音楽を楽しむことにおいて、そんな差はないと思います。

角度とか、方法は違うかもしれないけど、音楽は聴き手の中ではじめて存在する、そういう面もあるから。

そんな、受け渡しができる場、受け渡せるかたち、が
音源であれ、舞台であれ、の役割なのかもしれません。

そして、それをつくれること、アクトし、リアクトできること。が。

前回の舞台だったという、八面体とお寿司カウンターの場所にも想像をテレポート。
そっちも行きたかったなぁ…

inside the glass of cosmos

黄色い星と
赤い月が
とても長く
見あっておりました

hourglass
砂時計

次の曲のテーマはこれだな

このパエリアのように
あかいつき

はっ

なにいってんだか

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