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ベースと声の「ひきがたり」としては最初期の作品
原点回帰を兼ねて久々にやってみました
よこくの太陽
が何なのか、今以てわかりません。
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ベースと声の「ひきがたり」としては最初期の作品
原点回帰を兼ねて久々にやってみました
よこくの太陽
が何なのか、今以てわかりません。
前々から思ってるんです。誰も賛同してくれませんが…
プログレってフォークです。
それを最も体現しているのは、カンタベリーのキャラバンでもケヴィン・エアーズでもなく
ジェスロ・タルでもなく
イエスだと思います。
だけどジョン・アンダーソンの歌はあまりにも
天井の世界にいて
届かないから、1オクターブ下でうたってみたりすると
よくわかると思います。
もちろん、アレンジは都度変えないと、小編成ではできない。
いわんや一人では。
「危機」こと “Close to the Edge” はずっと長い間
僕の体操ソングで
学生時代は目覚ましソングでした。起きたら今日も夢の中、みたいな。
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この曲は “Yours Is No Disgrace” は The Yes Album の一曲目で
正直、レコードのサウンドはそんなに好きではありません。
でも、このメインメロディがなぜか超好きで、歌詞は摩訶不思議で、バンドっていいなぁ、と思ったりします。
Happy Birthday, Jon Anderson!
Say Hello to Chris!!
またインスタにアップしました。
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詩集 “flat five” に掲載した詩です。
曲は巨匠 Thelonious Monk。ずっと目標にする人。
彼の誕生日に、捧げました。10月10日がモンクの日って、なんだかすごい。
山口洋佑さんの展示を観に、名古屋の On Reading へ。
何度か書いているかもしれませんが、「巣巣」という、今は北陸に移転されたお店に
林正樹さんとのコラボパフォーマンスを観に行ったり(そして予想外に色々お話できたり)
Alexandre Andrés の Macaxeira Fields という
超・超名盤の日本盤ジャケットをずっと身近に飾ってたり
大昔、まだお会いする前に、ネットサーフでたまたま知った作品を
壁紙にして仕事してたり(…すみません)
要は、とてもファンなのです。
今回も「あれ…どこかで」と気さくに
近年の作品をどうやって作ったか、など、びっくりするような手法を話してくださったり、
とても嬉しい時間でした。
本屋自体もセレクト、空間ともにすばらしく、大いに刺激を受けた次第です。
予約した作品集、完成と到着が楽しみです。
「講談」を観る。
近くの街の公民館。どこから折れてよいかわからない道を突破すると、何事もなかったかのように湖岸に開けるエリア。
二方の硝子壁から陽光降り注ぐその小さなホールは、ちょっとした楽園だ。
もっともこの酷暑では陽光も地獄を呼びかねない。厳重にカーテンが下されている。
災害用の段ボールベッドを転用したという高座に、お二方がのぼる。
そこがどんなつくりであっても、場所であっても。
見事なものだ。
現実と「つくりばなし」の境目がはっきりわかる講談に、親近感のようなものを感じるのはなぜだろうか。
張り扇で釈台を叩く。それはチャプター(章)の切り替わりでもある。ほんとに空気がパシッとかわってくれる。
マルチバースを旅するのが講談師なのだろう。
自らを振り返る。曲や語りのところどころで無意識にベースのボディや指板を叩いているのは、そういうアレなのだろう…か?
自分には講談の研究どころか、観た記憶も殆どない。
だが落語や初期の漫才や何やを見聞きし、無意識に影響されていたのかもしれない。
いや、たぶんそんな大層なことでもない。なんとなく、あれをすると気持ちがしまるのだ。
ああだこうだいっても、いろんなものが混在した自分は、所詮邪道に過ぎない。
が、色々な verse – ものがたりをきき、楽しみまなび、こわしてつくっていきたい。
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7.12 は大橋トリオの誕生日。小さなお祝いを兼ねてカバー動画をアップしました。
ツアーも盛り上がっているようで何よりです。
僕はコロナ禍で旅ができなくなってしまい、違う道を歩んだのですが
これからも彼と仲間たちは音と言葉、歌と服飾を楽しみ、音楽シーンを引っ張ってくれることでしょう。
この quiet storm は2020年のアルバム “This is music too” の収録曲で
僕が唯一、歌詞&曲で提供させてもらった作品です。
発端はある物語から膨らませたもので、書いた場所は三重の山の上のカフェでした。
ノートに走り書きし、帰宅後、めっちゃ一気にデモ録音した記憶があります。
彼に予想以上に気に入ってもらえ、
’19年の年末、イントロと展開部を書き加えて、スタジオで guitar & bass を同録したときの楽しさは忘れられません。
その後 vocal, harmony, そしてさらに、彼のアレンジによる武ちゃんの凄い a.sax が加わって
音源はドラムレスながらとてもゴージャスです。
僕のは完全に番外編。
アコースティックベースの弾き語りなのでほんとにミニマムで荒いですが
これも “This is also music, too” と思ってもらえれば。
グラサンは ’17だったか、フェスで Spotify のブースでもらったもの。
こんなギラギラしたの、滅多にかけません。
あと、ドア、閉め忘れました。トリオエコーが開けたのかな。
619には六-十-九で「ろうどく」の日、という言われがあるらしい。
面白いので乗っかることにした。昨日に続いて忙しい。
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“Alba”
うみのうえ
ほしひとり
そらをまつ
ほとりのひ
はこのなかの
ひかりを
たびにだそう
か
うみのうえ
ほしふたり
そらおりる
はまべのよる
はなのなかへ
ひかりを
てらそう
か
“Martha My Dear” をベース弾き語りするのが近頃の楽しみである。
「ホワイト・アルバム」に入ってる、ポールの曲。
ラグタイムみたいだしマヌーシュみたいだし、とても不思議で頭に残る。
いうこと全然きいてくれない愛犬への歌。
なんと彼の81歳の誕生日! ということでアップしてみました。
Happy birthday Paul!
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ベアトリーチェ・アレマーニャさんの描いた「ガラスのジゼル」
5.14に絵本の店キルヤで行ったライヴでは、この絵本を二部で演りました。
今日はこの本について記し…ますが、背景としてもう一つの本に触れねばなりません。
キルヤさんでライヴするにあたって、僕はこのお店の棚の最上段に鎮座しているひとつの絵本がどうにも気になっていました。
「カール・イブー」
存在感ありすぎの帽子と髭。それと対極にあるような「・・」の目。
カナリアイエローってこれなんだぜ、と誇らしげな小鳥。
以前(数年前)、キルヤ店主ののりこさんとの会話
「これって売り物じゃないですよね」
「はい」
小心者の僕はそれ以上なにも聞けなかったのですが、
今回勇気を出して読ませてもらって、おぉ! と心持ちが変わりました。
「すべてが嫌いな男」であるカール・イブー。
これ以上の内容には触れませんが、そうくるか、と。
ライヴをやるかで逡巡していた僕の、肩を押してくれたのがこの作品です。
さて、ではこの作者さん、他にどんな作品をかいているんだろう、と発見したのがこの「ガラスのジゼル」です。
といってももうとっくに廃刊され、日本版の出版社 も15年前に倒産しています。
それでも、何かただならないものを感じ、古本を探し出すが早いか、イベント名を
「ガラスと木箱とことばたち – くうそうの音楽会 -」にしました。
この名前をのりこさんが大変気に入ってくれたことから、ライヴが形になっていくのです。
出版社の名前は「編集工房くう」
絵本のシリーズ名は「くうの絵本箱」
これもひっかかりました。なにしろ
(…それはまたの機会に)
さておき、絵本そのものに戻ります。
この日本語版は2005/1/1に発行されました。読んでみるとすぐ、隙き紙やコラージュを駆使したそのページの美しさに圧倒され、途中の展開にも驚くのですが、最後に「あれ?」ということになります。
こんな終わり方…?
敢えて記しませんが、当時もいろいろな反応があったようです。
で、僕は今回、これは外国語版にあたってみようと、いろいろ調べました。
ライヴでもう一つ取り上げた “Where the Sidewalk Ends” を英語版から訳したように
英語の絵本って、訳するのが楽しいのです。日本語訳をした人がどう捉えたかも、追体験できる。
(フランス語やイタリア語は、翻訳サイトの力を借りないと理解できません)
海外の YouTube には、「絵本の読み聞かせチャンネル」があるんですね。これがとても参考になりました。
すると! なんと英語版 “Child of Glass” やフランス語原版 “Gisèle de Verre”、イタリア語版 “La Bambina di Vetro” では、結末が全然違っていたのです。少なくとも、現在出版されているものでは。
ということは、日本語版では敢えて訳を変えたか、間違えたか、最近の改訂(2019らしい)で内容が変わったか。
こだわりの強い「編集工房くう」さんが間違ったとは考え難いです。
ベアトリーチェさん本人の気が変わったのかな…
ここはまだわかりません。知ってる方、おられたら教えて欲しいです。
というか、ご本人に訊いてみようか、勇気を出して。
さて、そんなわけで今回のライヴで、この本を僕のベース音楽と共に実演しました。
我ながら、面白いものになったと思います。とてもいい反応がもらえました。
「ガラス」を表現する一環として、譜面台をアクリル版で工作し、絵本を置いています。
これをめくりながらできれば、もっとよかったんだけど…
読んだ内容は、声にするときのテンポもあり、途中からところどころ言い回しを変えました。
そして結末については、今出ている英仏伊版を踏襲しました。より「レジリエント」になっています。
それにしても、「ガラスの子は、頭に浮かべたことがすべてガラスの頭部に映し出され、誰からも思いを隠すことができない」というのは、2005年当時よりも今になって、さらにリアルな状況になっていると思います。
誰もがスマホ越しに人の情報を集め、端末のこちらとあちら側にある二つのガラスを通してコミュニケーションする世界。
「安全に、すべてが覗ける」と錯覚している人類。
何も隠せない、あるいはすべてを自発的に宝箱に書き込む人たち。それはすべての人に筒抜けになり、ビッグデータとしてサーバーに吸われ、AIに活用されていく。
誰もがガラスのジゼルなのです。
24/7の監視社会にあって、自分を保つことってむずかしい。
たとえ割れないにしても、一度もヒビの入ったことのない人って、いるのかな?
これから僕たちは、どうやって生きていくでしょう。
ひとりひとりが、システムを作り操っている側が、共に考えていくべきこと。
考えてもわからない、それでも、心にとめておくこと。
貴金属
14日のライヴの後、さるアジア料理屋で軽く打ち上げをして
そのとき、僕の曲によく「宝石」がでてくるねと言われまして
あれ? そんなはずはないんだけど
ルビー、ラピスラズリ、ターコイズ、シルバー、
…いや、確かにそうだな…
砂、ガラス、石、アスファルト、
そのへんもよく出てくるので、あまり貴金属をあつかってる意識はありませんでした。
本物の宝石はたぶん一つも持ってないし、自分が持ってる宝物って、木と鉄とかニッケルとかでできてます。
というか、以前そういえば
– 僕の音楽を気に入ってくれる人は、レアメタルだ –
なんて、書いてましたね。