カテゴリー: poetry

morning dew

2024.7.17 – digital release
jacket artwork by nakaban

雫からかたちをかえていく水滴のたび
そしてあくびのはなし

画家そして絵本作家の nakaban さんが、素敵な、そして謎めいたジャケットを描きおろしてくださいました。

配信リンク
Apple Music, iTunes, Spotify, Amazon, etc.

リリースニュース
ちょっとしたセルフライナーノーツも書かせてもらいました。

街のロンド

宿場町、新居の Cafe Rond Point でライヴイベント「街のロンド」。

ご来場くださった方々、ロンポワンのみなさん、Acolélé のふたり、ありがとうございました。

雨が心配でしたが持ってくれてよかった。しかし暑い…
部屋のエアコンが壊れてしまわないか、サーキュレーター2台持ち込み不安ながらも
ゆるりと過ごせてもらえたようで、よかったです。

絵本や英語、ものづくりやまちづくりに関わる方が集まってくれたり、
今年何度も観てくれた方も、ベースを初めて見て聴いたという方も。
国籍も年齢もさまざま。

僕がやったことは ほぼ僕の日常と空想だし
かわってるとも ふつうだとも 両方自覚あるし

いらした人々とどんな環状交差するか
まじるのかすれちがうのか それはわからないけど
このまちでやったこと、何かのきっかけになればいいな、と思ったりしてます。

文月

月が変わり、2週間後に迫った「街のロンド」。

ありがたいことに席は予約で埋まったようで、あとは中身を面白く、よくできるか、こちらにかかっている。

プレッシャーにはいろいろなものがあるが、”no-pre” (= no pressure) なんていうイベントやレーベルをやってたこともあり、

極力、そして長年、プレッシャーは避けてきたわけである。ツケがたまっているのだから仕方あるまいか。

基本的に肩に力が入る人なので、どうやったら脱力できるか、空気や液体の通りがよくなるか。
身体がへたってくると、その辺のありがたさがわかってくる。試行錯誤しながら実践していきたい。

あと、自分だけではなく音楽の楽しみ方は人それぞれ。
小さい場所だからこそ、それぞれにツッコミどころを見つけて、味わってくだされば。

それから雨は降らないでほしいなぁ、今回は。
駅から歩いて来る人々のためにも。

七月はもう一つの計画も進行中です。ともにおたのしみに。

街のロンド よこく – 7.14

7月の第2日曜日
湖西市新居町のカフェ rond point -ロンポワン- にて
音楽イベント「街のロンド」を開催します。

浜松の人気アコーディオン&ウクレレユニット Acolélé と
僕とでアコースティックライヴ。
古い関所の街並みにあるレトロなカフェスペースにて、初めての音楽会です。

ご予約はお名前と人数と共に、以下アドレスまで。席に限りがありますのでお早めにどうぞ。
reservation.rondpoint@gmail.com
* 受付終了しました。ありがとうございました。

JR 新居町駅から徒歩10分。コインパーキングは近隣にはありませんので、公共機関や徒歩、二輪車などでお越しください。

7.14 Sun
会場: カフェロンポワン 別館
静岡県湖西市新居町新居1261
https://rond-point.net/

Open: 14:00(14:30 から変更)
Start: 15:00
Ticket: 2,500円 ワンドリンクつき

出演
Acolélé
絵本作家 & 音楽家の Motomitsu Maehara (ミニアコーディオン) と絵本の店キルヤの店主 Noriko Hoshino (ウクレレ) によるユニッ ト。カフェ、ギャラリー、美術館、 マルシェ、路上などで演奏する他、 絵本と詩の朗読ユニットとしても活動中。

Ray Kondo
アコースティックベース & ダブルベースひきがたり

* 出演はレイ -> アコレレ。共演も予定しています。

igamono

拙者は伊賀は桑町の生まれ。だそう。

なにしろ記憶がない。生まれて数ヶ月で近江に越したよう。

先祖は甲賀系なので、いずれにせよ忍者にはゆかりがある、と思い込んでいる。

普段、極端に運動神経が悪いのは、何かの間違いだろう。

常滑でのカフェ公演の後、西に向かう。

三重に宿を取り、翌日は菰野町から甲賀を経て、伊賀へ。

いなべのみずべが、とてもうつくしい。

いつもの nest。この後帰り道に、鹿のお尻と後ろ足を見る。撮り逃す。

どこでも飛び出し坊やがいる近江国、甲賀では忍び坊や。蛍光色で全然忍んでないのだが、黄色は意外と保護色になっているのかもしれない。

この後伊賀に入る。

俳聖殿の巨大さに驚く。木々から全貌を現すと、右後方にはお伴のごとく、避雷針。
そりゃ、これに雷落ちちゃたまらないわけだが。

芭蕉翁
おともせしかな
雷電針

なんと、子供の頃部屋に飾っていたのと全く同じ三角ペナントが、まだ売られている。
変わったのは消費税だけ。


そして富田林へ。

台湾から来日している Cicada をどうしても観たかったのである。

すばるホールでのプラネタリウム音楽会。すばらしい。

常滑でたくさん鹿の剥製を見、菰野町で森に飛び込む鹿を見て、

シカーダを堪能する。オヤジ冥利に尽きる。

(ただし cicada とは蝉のことである)

Cicada のメンバーに、プロモーター、ハーモニーフィールズ小巌さんのご厚意で挨拶させてもらう。

映画「ある男」が TV 放映されているのを隣の部屋で聴いてて、「この音楽は… Cicada…?」と思ったらその通りだった、という話をしたら、とても喜んでくれた。(僕はこの映画の予備知識がなかったのですよ)

才能あふれる若者たちの前途に期待。日本もだが中国でも公演され、これからも文化の架け橋であらんことを。

帰路、日本非売品の CD “White Forest” をリピートしながら、雨のドライブ。最高。

この旅の唯一の心残りは、水口かんぴょうが手に入らなかったことである。

それで甲賀に寄ったというのに。

(実際の日付に公開日を変更しました)

KAAMOS on Trio & Charm

大橋トリオ & THE CHARM PARK
Trio & Charm


2024.2.28 Release

5曲目の “KAAMOS” を作詞しました。

まず、この素晴らしい二人の音楽家、そしてこの世のものと思えないぐらい美しい曲に
僕の詞を付けさせてもらったこと、深く感謝します。

アルバム全編すばらしく、またジャケットもいいんですよね。
場所はわかりますか? 金沢にある、僕も大好きな場所です。

さてここから、作品について。

作詞というか、詩作、という感覚でしたが、
KAAMOS というのはフィンランド語で「陽がのぼらない」自然現象
すなわち「白夜」の逆の「極夜」(きょくや)のことです。

極東の日本にあっても、
「あかり」と「闇」の間(あわい)に、私たちは生きています。
これをどう捉えるか。
…あとは、作品に触れてくれたおひとりおひとりに、委ねます。

次に、可能な範囲で、制作の背景を。

昨年の…大晦日に依頼があり、それから三ヶ日(さんがにち)にかけて、書きました。
年末年始どころじゃなく、意識と無意識を総動員したわけです… が

それはつまり、その間に起こったことも、含んでいる、と思っています。

もちろん、それまでに体験したこと、感じたことも
この音楽に触発されて、書き、含めています。

キーが高いなーと思いながら夜中に仮歌歌って考えたり

送ったら声が小さくて聴き取れへんわ〜言われたり

でも、好きに書かせてもらえました。流れでタイトルもそのまま採用です。

また全部、ひらがな にしました。

区切り方や漢字によって意味が変わるところもあるので、自由にとらえて欲しく。

自分も、作りながら1,000回ぐらいは聴いたんじゃないかと思います。
ミックスもマスタリング (molmol 佐藤さん) も素敵なので、リリース後も聴きそうです。

みなさんもぜひ、一回でも何千回でも、聴いてください。

ここからは作家、クリエイターとして。

前回、曲と共に大橋トリオに提供した “quiet storm” とはかなり違う方向ですが
僕の2020年以降の僕のオリジナルを知ってる方は、おわかりになるかもしれません。

Plum” や “Atto Iu Ma Ni (2021 ver.)”、”あかりをつけたら” など。
興味あれば、ぜひチェックしてくださいね。

詩と音楽は答えのない旅。これからも続きます。

螺旋と糊代

ある週末の記録。

この前と同じように、名古屋経由で西に行く。

10月、12月、そして1月。いや、12月はそのまま折り返したのか。

まず三重へ。正月明けからすぐにでも行きたかった nest にようやく辿り着く。

なぜならここは、降りてくる巣なのだ。なにがだ。

とはいえ、なんとかして自宅や湖周でインスピレーションを掬い、織り込んだ作品は
漸く完成した模様で、今回は喫緊の「降りてくれなきゃ」はない。

jazz の燈の下でふみつけるきおく。
実際、頭を空っぽにしたかっただけかもしれない。

雪景色を撮りながら、今じゃすっかり慣れてきた IC からのいく通りかの道を折れ、
名古屋に向かう。

逆やん。

逆やけど。今回はそうせやな、目的を達せられへん。

ライオンシアター、Kitri を観にいく。

入ってみるとなんと! “ライヴハウス” やん。
懐かしさと不思議なアットホームさを感じ、後ろで観る。

キトリを観るのも3年ぶり。社長さんの計らいだが、
俺、こんな歌上手い二人と一緒に、ハーモニーやってたこともあるんだな。

オーチャードホール、記録に残らないあの曲が蘇る。いや、でけへんけど。今は。

バンドネオンより一回りこぶりな、〇〇…なんて楽器だっけ
(コンサーティーナというらしい)

手動エレクトロニカ、連弾になったと思ったらすぐに右側に戻るヒナさん。

フロンティア、というか、パイレーツやなぁ。

女海賊、二人組、みたいな。

京都。学生時代からの友 Uくんに会う。
Stewart Copeland の “Police Diary” をお土産代わりに持っていく。

小綺麗になった学食を訪れ、喫茶店で色々話す。
ポリスとツェッペリンとビバップについて。ドラムについて。

阿闍梨餅をいただく。

音楽サークルもバイト先も東京もアメリカも、
一緒ではないけれども、パラレルに体験してきた友だ。
4年間の空白も、もっと前に戻せる。かけがえがない。

別れを告げ、帰る前に、今日こそ恵文社に行ってみようと思い立つ。なぜだか自分の中で敷居が高かった。

ダメ元で、しばらく消息がつかめない友に打診しつつ、一乗寺へ。
本屋のすばらしさに感動しつつ、なんと連絡が取れている。少し会う約束をする。

光嶋裕介さんの「ここちよさの建築」を買う。

秋の On Reading と逆のパターンで、その後でギャラリーに寄る。
展示がすてきだ。

海辺や夜の…青… がきれいなのだが、それだけではない。

暖色も、きりっとした輪郭も、やわらかさと同居している。
プレパラートから観た景色とでもいうか。

理系と文系のまじった画風というか。ありそうでない。

作者の萩結さん、少し話すと、浜松の方だった。

また好きな作家さんが増えた。

ギャラリーストアで売ってたカメラオブスキュラのミニチュア、欲しいなと思いつつ断念し、
書店を出、Kくんに会う(イニシャルが僕と同じだ)。

彼とも4年強、会えていないのに、ニックドレイクの Pink Moon や
彼とジェームステイラーのストリングスアレンジの「ねじれ」や
ギターが「なりすぎない」こと、ふつーに話せる。何事もなかったかのように。

ひとそれぞれ。このコロナ禍、止まったことも変わったことも、苦労もいろいろ。
それでもふしぎなことに、全然違う螺旋時間をつなぎとめることができる、謎の「のりしろ」があるようだ。

蹴上から京都を出て、いつものように高速に乗り損ね、ぐるぐる回って、夜半に帰着。

いいことがいっぱいあって、けして晴れてない夜空に

冬のダイアモンドが、まじで光ってた。

カペラ、ポルックス、プロキオン、シリウス、リゲル、アルデバラン。

骨になる

山口洋佑さんの展示を観に、名古屋の On Reading へ。

何度か書いているかもしれませんが、「巣巣」という、今は北陸に移転されたお店に

林正樹さんとのコラボパフォーマンスを観に行ったり(そして予想外に色々お話できたり)

Alexandre Andrés の Macaxeira Fields という

超・超名盤の日本盤ジャケットをずっと身近に飾ってたり

大昔、まだお会いする前に、ネットサーフでたまたま知った作品を

壁紙にして仕事してたり(…すみません)

要は、とてもファンなのです。

今回も「あれ…どこかで」と気さくに

近年の作品をどうやって作ったか、など、びっくりするような手法を話してくださったり、

とても嬉しい時間でした。

本屋自体もセレクト、空間ともにすばらしく、大いに刺激を受けた次第です。

予約した作品集、完成と到着が楽しみです。

多元ものがたり

「講談」を観る。

近くの街の公民館。どこから折れてよいかわからない道を突破すると、何事もなかったかのように湖岸に開けるエリア。

二方の硝子壁から陽光降り注ぐその小さなホールは、ちょっとした楽園だ。

もっともこの酷暑では陽光も地獄を呼びかねない。厳重にカーテンが下されている。

災害用の段ボールベッドを転用したという高座に、お二方がのぼる。

そこがどんなつくりであっても、場所であっても。

見事なものだ。

現実と「つくりばなし」の境目がはっきりわかる講談に、親近感のようなものを感じるのはなぜだろうか。

張り扇で釈台を叩く。それはチャプター(章)の切り替わりでもある。ほんとに空気がパシッとかわってくれる。

マルチバースを旅するのが講談師なのだろう。

自らを振り返る。曲や語りのところどころで無意識にベースのボディや指板を叩いているのは、そういうアレなのだろう…か?

自分には講談の研究どころか、観た記憶も殆どない。
だが落語や初期の漫才や何やを見聞きし、無意識に影響されていたのかもしれない。

いや、たぶんそんな大層なことでもない。なんとなく、あれをすると気持ちがしまるのだ。

ああだこうだいっても、いろんなものが混在した自分は、所詮邪道に過ぎない。
が、色々な verse – ものがたりをきき、楽しみまなび、こわしてつくっていきたい。

ガラスのジゼル


ベアトリーチェ・アレマーニャさんの描いた「ガラスのジゼル」

5.14に絵本の店キルヤで行ったライヴでは、この絵本を二部で演りました。

今日はこの本について記し…ますが、背景としてもう一つの本に触れねばなりません。

キルヤさんでライヴするにあたって、僕はこのお店の棚の最上段に鎮座しているひとつの絵本がどうにも気になっていました。


「カール・イブー」

存在感ありすぎの帽子と髭。それと対極にあるような「・・」の目。
カナリアイエローってこれなんだぜ、と誇らしげな小鳥。

以前(数年前)、キルヤ店主ののりこさんとの会話

「これって売り物じゃないですよね」
「はい」

小心者の僕はそれ以上なにも聞けなかったのですが、
今回勇気を出して読ませてもらって、おぉ! と心持ちが変わりました。

「すべてが嫌いな男」であるカール・イブー。
これ以上の内容には触れませんが、そうくるか、と。

ライヴをやるかで逡巡していた僕の、肩を押してくれたのがこの作品です。

さて、ではこの作者さん、他にどんな作品をかいているんだろう、と発見したのがこの「ガラスのジゼル」です。
といってももうとっくに廃刊され、日本版の出版社 も15年前に倒産しています。

それでも、何かただならないものを感じ、古本を探し出すが早いか、イベント名を
「ガラスと木箱とことばたち – くうそうの音楽会 -」にしました。
この名前をのりこさんが大変気に入ってくれたことから、ライヴが形になっていくのです。

出版社の名前は「編集工房くう」
絵本のシリーズ名は「くうの絵本箱」

これもひっかかりました。なにしろ
(…それはまたの機会に)

さておき、絵本そのものに戻ります。

この日本語版は2005/1/1に発行されました。読んでみるとすぐ、隙き紙やコラージュを駆使したそのページの美しさに圧倒され、途中の展開にも驚くのですが、最後に「あれ?」ということになります。

こんな終わり方…?

敢えて記しませんが、当時もいろいろな反応があったようです。

で、僕は今回、これは外国語版にあたってみようと、いろいろ調べました。

ライヴでもう一つ取り上げた “Where the Sidewalk Ends” を英語版から訳したように
英語の絵本って、訳するのが楽しいのです。日本語訳をした人がどう捉えたかも、追体験できる。
(フランス語やイタリア語は、翻訳サイトの力を借りないと理解できません)

海外の YouTube には、「絵本の読み聞かせチャンネル」があるんですね。これがとても参考になりました。

すると! なんと英語版 “Child of Glass” やフランス語原版 “Gisèle de Verre”、イタリア語版 “La Bambina di Vetro” では、結末が全然違っていたのです。少なくとも、現在出版されているものでは。

ということは、日本語版では敢えて訳を変えたか、間違えたか、最近の改訂(2019らしい)で内容が変わったか。
こだわりの強い「編集工房くう」さんが間違ったとは考え難いです。

ベアトリーチェさん本人の気が変わったのかな…
ここはまだわかりません。知ってる方、おられたら教えて欲しいです。
というか、ご本人に訊いてみようか、勇気を出して。


さて、そんなわけで今回のライヴで、この本を僕のベース音楽と共に実演しました。

我ながら、面白いものになったと思います。とてもいい反応がもらえました。

「ガラス」を表現する一環として、譜面台をアクリル版で工作し、絵本を置いています。
これをめくりながらできれば、もっとよかったんだけど…

読んだ内容は、声にするときのテンポもあり、途中からところどころ言い回しを変えました。

そして結末については、今出ている英仏伊版を踏襲しました。より「レジリエント」になっています。

それにしても、「ガラスの子は、頭に浮かべたことがすべてガラスの頭部に映し出され、誰からも思いを隠すことができない」というのは、2005年当時よりも今になって、さらにリアルな状況になっていると思います。

誰もがスマホ越しに人の情報を集め、端末のこちらとあちら側にある二つのガラスを通してコミュニケーションする世界。

「安全に、すべてが覗ける」と錯覚している人類。

何も隠せない、あるいはすべてを自発的に宝箱に書き込む人たち。それはすべての人に筒抜けになり、ビッグデータとしてサーバーに吸われ、AIに活用されていく。

誰もがガラスのジゼルなのです。

24/7の監視社会にあって、自分を保つことってむずかしい。
たとえ割れないにしても、一度もヒビの入ったことのない人って、いるのかな?

これから僕たちは、どうやって生きていくでしょう。

ひとりひとりが、システムを作り操っている側が、共に考えていくべきこと。
考えてもわからない、それでも、心にとめておくこと。

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