カテゴリー: record

作品集

アルバムを作っています。

9月に思いついた「いかさま団ラピスラズリ」は、シリーズ3曲になったので
これを軸に、他にも加えるか。

なんとか I、なんとか II っていうアルバム、プログレみたいでちょっとやってみたかったんだけど
III まで思いついてしまったからには、やるしかない。全くプログレではないのだが。

何曲入りがいいのかまだわからず、候補を集めてこしらえているところで、
リリース時期は11月末か12月頭を目指しています。

ラピスラズリシリーズの詩は先に公開している んですよ。

ラピスラズリ i
ラピスラズリ ii
ラピスラズリ iii

何がテーマかは、想像にお任せします。

どうぞ
夜魯詩句

uqia see

10.1 at bandcamp

9月につくっていた3曲のひとつ。

どの季節でもレゲエフォーク。

歌詞ページ

あめっていったいなんだろな、なんて思いもしながら

カラッとした秋と、ザーっとした秋に。

ごうつくばり


ここからさきは なつごし

…ってことで

曲の途中で夏が越せるよう
8.31の最後ギリギリに、この曲を再発しました。

2018年 “flat five tapes” リメイクのひとつです。

しばらく録音もせず、好きな音楽を改めて聴いたりしてたら
チャーリーワッツが亡くなったり、リーペリーが亡くなったり、
デルタ株は…、豪雨は、ハイチは、アフガンは…

正直、世界はおそろしいで。

これからが。あるいは。

でも、なんとなくずっと思ってることがあって、
それは この曲の詞 に込められてもいます。
何が僕らをそうさせてんのかなぁ、
あるいはそこから、どうすれば。

とびかかる、あとづさる。

ジャケットの絵は、泥棒猫
虹色は大イベント
上がラベルみたいになってるのは
ごうつくばりって、こういうやつだよっていう、レッテル貼り
だったりします。

まんいんでんしゃ みたいな おと

と違って、これはスッカスカなので

チャーリーが昨年の Stones ステイホーム企画
“You Can’t Always Get What You Want”* でエアドラムやってたのを
思い出したりしながら、スネアをブラシで叩いて加えました。

それでも、隙間だらけの音楽です。

みなさんが、いい秋を過ごせるように、場所空けてます。


* You Can’t… のスタジオ録音でドラム叩いたは彼じゃなくて、プロデューサーの J.Miller なんですよね。

英国紳士とTシャツ

前回 に続いて、The Guardian の Charlie Watts 追悼記事。今回は、Bruce Springsteen and the E Street Band のドラマー、Max Weinberg からの後半部分です。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts
by Max Weinberg, as told to Ben Beaumont-Thomas

序文にあった ”- and his clothes-folding skills” ってどういうこと? と思ったら、全部あまりにいい話で、一気に読みました。以下、僕の訳です。


僕が子供の頃のニュージャージーでは、仕事を探すミュージシャン向けのチラシがあって、60年代半ばから70年代まではいつもこんな感じだったよ。「求む: Charlie Watts タイプのドラマー。」Charlie はただのドラマーじゃない – 彼はジャンルなんだ。僕が叩くすべてのビートには、どこかに Charlie Watts がいるんだよ。

彼が Rolling Stones でやったことの何が独特だったかといえば、それはロックンロールである一方で、実はブルースだったんだ。
僕は、Stones が長く続いた理由というのは、彼らが本質的にポップバンドでなく、ブルースバンドだったからだと思っている。ブルースは永遠に色あせない。
もちろん、様々な理由で彼らは世界最高峰のバンドだ。しかも彼らは、自ら世界最高のバンドだと言ってる。
だけど、ドラムという観点では、彼は誰とも比べられない唯一無二の存在だった。彼みたいな人はどこにもいなかったよ。彼の模倣者や彼への挑戦者はいる、だけど Charlie Watts はただ一人だし、今後も永遠にそうなんだ。
彼の身体はもうこの世にはないけど、彼はドラミングの魂として永遠に生き続ける。Charlie Watts がいない世界なんて、少なくとも僕の中では、およそ理解できないんだ。

彼はお気に入りのジャズドラマーの影響で彼のスタイルを形作った。たとえば偉大なイギリスのドラマー Phil Seamen、そしてアメリカのドラマー Dave Tough: 見た目まで Charlie に似た、お洒落にうるさく、途方もないグルーヴと音色を持った人だ。
Charlie は – 僕も同じだ – STAX の偉大な Al Jackson の後期のプレイで一般的になった、あのロックドラミングのスタイルの支持者だった。意図的にバックビートをタメて叩くっていうやつだよ。
そのやり方っていうのは – ちょっとテクニカルになるんだが – ビートの2拍と4拍に集中するってことじゃない、1拍と3拍が大事なんだ。
他のいい例は James Brown の音楽だよ。彼の音楽は1拍目に着地することに重きを置いている。それができるようになるには長い時間がかかるんだ。
そういうことができるドラマーは、バスを運転してるようなものだよ。そして最高のドラマーなら、他のミュージシャンに彼らが必要なものをあげられるんだ。
Charlie はそれを、本能的にやっていた。または、偉大なドラマーたちを聴き込んで、その術を習得したんだ。Chick Webb、Kenny Clarke、Kenny Clare、Art Blakey、Max Roach (といったジャズドラマー)をね。

彼にはトレードマークのドラムフィルがあった。Bruce Springsteen のアルバム “Born in the USA” のレコーディング中、僕は “Street Fighting Man” がずっと気になっていた。あのサウンド、強さ、ビートがね。それはどうやらツアー用のドラムセットか、箱みたいなモノを使って*、カセットレコーダーで録音されたっていう噂で、信じがたいほどヤバくてタフな音をしていたんだ。
Charlie は曲中で例のフィルをやったんだ。素早い、8分音符三つの「バッバッバッ」ってやつをね。Bruce が “Born in the USA” のグルーヴを僕らに伝えたとき、僕は “Street Fighting Man” を思い起こしたんだ。それで僕はあの曲で、Charlie Watts をやったってわけだよ。

“Rocks Off” も、また別の Charlie Watts のベストパフォーマンスだね。彼はフレーズの途中であのローリングのフィルをやるんだ。天才だよ、だけど彼はあらかじめフレーズを作ってたわけじゃない。彼はジャズドラマーだからね、瞬時に思いついたことを叩くんだ。彼は多くのインタビューで語ったように、いつも Charlie Parker や Miles Davis が彼の前に立っていることを想像しながら叩いていたんだよ。

僕たちは友情を築き上げた。彼はいつだって、あり得ないほど愛らしく、知的な人だった。初めて彼に会ったのは1979か1980年あたり、Stones が Madison Square Garden で数日間公演してたときだ。Modern Drummer のインタビューがあったので、友達について行ったんだよ。彼は3ピースの Savile Row の背広を着ていて、信じられないほどお洒落で、彼の手荷物を片付けられるように、僕らをホテルの彼の部屋に招いてくれた。彼は2つの美しいレザーのスーツケースをベッドに乗せて、それらを開けたんだ。すべてが完璧に折り畳まれていたよ。きっちりした化粧道具があった。僕がロードで旅するのと正反対だった。彼はスーツケースから服を出して、ベッドに置いて、畳み直し、引き出しに入れた。僕はホテルの部屋の引き出しなんて15年間のロードで一度も使ったことはなかった。僕がそれまで見た一番クールだったことの一つだよ。

そこで僕らはインタビューをし、ルームサービスを頼み、そして彼は (Madison Square) Garden への迎えが来る頃だと気づいて、寝室に入り、スウェットパンツと裂けた T シャツを着て出てきた。彼はそれまで英国の君主のような身なりで、ハンサムで、貴族的で、ごつごつした顔をしてたんだが、それが今は「彼らとプレイする」ために、普段着に着替えてた。「僕のバンドとプレイするんだ、僕らのバンドで」とは言わずに、いつも「彼ら、Stones と」(プレイするんだ)と言ってた。彼にはこういった、面白い距離の保ち方があったんだ。

年月が経ち、1989年のこと。Charlie は僕に電話をくれ、Stones が10月に NYC でプレイすると教えてくれた。彼は、僕が Joe Morello の友人だと言ったことを覚えていたんだ。Joe は Dave Brubeck Quartet のドラマーで、Brubeck のあの “Take Five” や “Blue Rondo ala Turk” の変拍子の肝になった人だよ。そして Mel Lewis、素晴らしいバップ期のドラマーとも(僕が友人であることを)ね。Charlie は彼らの大ファンで、こう言ったんだ。「彼らがどうかはわからないけれど、僕はもし彼らが Shea Stadium に来てくれて挨拶できたら、月にだって昇るよ。彼らがコンサートまで残ってくれるとは思わないけどね。」僕は言った。「Charlie、できる限りやってみる。」
Mel はロックンロールが嫌いだった。彼はロックンロールが、西洋文化の堕落だと思っているジャズマンの一人だったんだ。

だけど僕たちは Shea Stadium に向かうことになり、最高のもてなしをうけた。彼らは僕らをエレベーターに乗せた。Rolling Stones には – Paul McCartnery みたいに – だいたい10段階のゲストレベルがあったんだ。だんだん VIP の度合いが増してくる。僕らは奥のプライベートルームに招かれた。「Charlie、君に Joe と Mel を紹介できて光栄だよ。」僕は言った。
そして Charlie は彼らと握手し、こう言ったんだ。「ジェントルマン、お会いできて光栄です。」 Charlie は数えきれないぐらいの質問を浴びせた。「Wynton Kerry とプレイしたとき、あなたはあのロールをしましたね、あれはどうやったんですか?」「Joe、”Take Five” では実際どうやってプレイしたのか、教えてくれませんか?」とね。彼はクリスマスの(プレゼントにはしゃぐ)子供だったよ。耳にすることすべてに微笑んでた。僕はといえば、こうして彼らを引き合わせることができたのが信じられなかった。

彼らは(挨拶の後の)コンサートを観たがった。Joe は目が見えず、ショーの光景は楽しめなかったけど、僕にこう言ったんだ。「Charlie Watts はすごいドラマーだね、なんて強靭なタイム感なんだ、あのバンドを実にうまくつなぎとめてる。」一方、Mel はといえば – この人は45年間、ロックンロールに文句を言い続けていたのに、すっかり気に入ってた。彼らの音楽性にも、ショーにも、そして何より Charlie のドラミングに強く感銘を受けてたよ。
ドラマーにとって大事なのは何か、それはあんたがやっていることが、その音楽に対して適切なのかどうか? ってことだよ。
それが Mel Lewis が本当に感心してたことだ。「彼はバッチリだね!」帰路のドライブ中、Mel は言ってた。「まだロックンロールは好きじゃないが、あれはすごい経験だった。それに君の友人、なんで彼らが最も偉大なバンドと呼ばれるかわかったよ – もしロックドラムを叩かなきゃならないなら、あれこそがロックドラムのあるべき姿だ。」

最後に僕が Charlie に会ったのは、Newark の Prudential Centre で数年前のことだった。Bruce が彼らと共演して “Tumbling Dice” をやった前日だ。僕は彼に50年ほど前、彼らをこの近くの場所で観たと伝えたよ。1965年の11月7日にね。彼らは Solomon Burke の “Everybody Needs Somebody to Love” でスタートし、半時間ほどプレイした。彼らのオープニングアクトをするためのコンテストがあったんだが、僕のバンドは落ちたんだ。それで二列目で観てて、彼らは当時の大ヒット “Get Off of My Cloud” をプレイしてくれた。それはレコードそのまんまだったよ。

アリーナで、僕らはこの壁を背に立ってて、彼はブルーの Rolling Stones ブランドのウィンドブレーカーを着てた。彼が晩年にいつも着てたやつだよ。僕らは過ぎ去った日々を追憶してた – あり得ないほど丁寧で、素晴らしい人だった。そして彼はステージに出るとき、舌のロゴのジャケットを脱いで、折り畳み、アシスタントに渡し、(ドラムチェアに)座ったんだ。もし僕が、誰か他のドラマーみたいになれるならば、Charlie Watts みたいになりたいよ。


* “Street Fighting Man” の録音では、Charlie はツアーに持ち歩いていた1930年代のトイドラムキット “London Jazz Kit Set” を叩き、Keith は Philips のテレコに録音した、と2003年に答えてます。有名な話なのでしょうけど、僕は知りませんでした。英語 Wiki に載っています。

あのこのすきな


チャーリー
ワッツ

っていう、リフレインの中の変な掛け声を聴いて、

当時ロックもろくに知らなかった僕はなんやねん、その人、と。

他にも、ゲイリーグリッターとか、マークボラン、デボラハリー、

あのこの嫌いな仲井戸麗市、なんでだこのやろう…

とか

清志郎さんのアドリブだったのかもしれないけど

この「エリーゼのために」というか、”BEAT POPS” と覚えてた RC サクセションの曲は

僕の中で特別だ。なぜなら、これが初めて人前でバンドで演奏した曲だから。

あの日はこの他、クリームの Sunshine of Your Love とか、モータウンみたいなベースラインのブルースとか、
スティービー の Isn’t She Lovely? の16ビートアレンジとか、やったっけ。どんちゃん?

先輩に混じって白いフレットレスベースを借りて、なぜかターコイズのジャンパー着て弾いたあの時は、ビデオ見返すと自分は人前に出てはいけなかった人だ(めぐりめぐって今もそうだ)が、

音はよかったし、先輩かっこよかったし、中でもずっとシャッフルビート弾いてた「エリーゼ」はその頃から歌詞がずっと、なんか、染みている。

Rolling Stones を好きな人は、まわりに結構いたけれども、自分はそうでもなく、
いつからこんなに好きになったのか、それはその後数年間、いろいろやってたバンドを全部やめてからだった。

京都はブルースマンやロッカーが多かったし、それに対する逆の壁、みたいなのも自分は感じてたから、
知ったかぶりするのもストレスで、正直、自分のペースで味わうのに時間がかかった。

でも、その昔にはじめて “Start Me Up” のビデオを観た時の衝撃はでかく
なんで、ロックバンドに公務員みたいなおじいさんが入ってるの? ちょーイイ人そうだし、ラクそーに叩いてるし 右手ピタッと止まってるし…
ボーカルのおっさん、ルパンと銭形が一緒になったみたいなキャラだし…

彼らこそがロックの典型なんだけど、それまで持ってたロックのイメージって
長髪とか、拳あげたりとか、なんか硬そうだったから、ぜんぜん軽やかでテキトーで、ひょうきんで、

あっこれやったらわかるわ、いやよーわからんけど、みたいな、のはあった。

でも当時はとにかく音楽全般、「ギター」っていう楽器に偏見っつーか抵抗があって、
エディだろうがウォーレンだろうがキースだろうが、フォークだろうが、あまり惹かれなかった。
単音楽器のベースかドラムか、あるいはシンセか、しか興味なかった。
身近でブルースギター弾いてる人はかっこいいと思ったよ、でも画面や写真のむこうからは。

で、なんとなくチャーリーワッツは好きだったけど、Stones 聴きまくりだしたのは、京都のスタジオでバイトやってた頃だ。

それからアメリカに数年行って、ジャズ学んでたにもかかわらず、しばらくはほぼ毎日 Between the Buttons と December’s Children を聴いてた。

というか、Charlie のドラムは、ジャズだった。あのフィールは、そこらの「ロック」(?)にありがちな四角いやつじゃない。楕円形で、しなやかで、伸び縮みして、いい加減で、繊細で、気持ちいい。

間違ってもフュージョンじゃないし、メトロノームなんかかけ離れている。でも、メトロノーム以上にビートをきめてくれる。

ビートルズとはまた違った、何百回でも聴けるスウィングとグルーヴがあった。

ビル・ワイマンのベースはほとんど注意して聴いてなかった。Live With Me とかのキースのベースは格別だけど。(今思えば Start Me Up のビルは壮絶かっこいい)

でも、ベースに耳貸さずとも最高に気持ちいい音楽が世の中にはたくさんあって、ストーンズはそれだった。

Cherry Oh Baby … Eric Donaldson のカバー、ワンドロップが途中、何回かひっくり返ってる。わざとっていうより…見失ったに違いない。
で、そのテイクがオッケーになっちゃったんだろう。

でもそんなんでも気持ちよく聴ける。この人おかしい。

チャーリーは、ビートのタイミングや鳴りもそうだけど、フィルでちょっと遅れたとこから「…ダダダダ」って追っかけて、しまいにはバンドを追い越してしまうみたいなとこがとにかく好きだった。

漫才してるみたいで。音楽聴くだけで、笑えてしまう。おもろい。歌詞の意味わからんでも、楽しい。

Cool, Calm & Collected のタイム感。深くて穴の開いた背広のポケット。エンディングの壊れたような加速。

….

もちろん、そのうち歌詞も気にしだしたけど、ミックの詞世界、自分に理解できるわけがない。あんな人生送ってないし。
(たまにわかるとなんだか嬉しい)

でも、それでも、大事にしたいと思う。宝物をくれた、人たち。

生で観れたのはマサチューセッツ州郊外のスタジアムと、東京ドーム。

前者はいつだったか… チケット高くて、$100ぐらいした。その頃アメリカは、日本よりずっと手頃にライヴ観れる国だったけど、彼らぐらいになると…というか、うまいこと買えんかったのか。

昼間のフットボールスタジアムで、前座はシェリル・クロウ。彼女はまぁまぁ有名だけどブレイクする前で、ごく前列にしか音も届かず、僕のスタンド席では誰も聴いてなかった。

Stones になったらどっかーん、スクリーンも映るし音も数倍だし、前座とメインの格差の凄さにも驚いたが。

そこいくと、数年後に観たドームは、正面とはいえあまり細部は覚えてない。スクリーンのアニメがいかがわしかったな…

近年も活動は気になってたけど、五反田に来たストーンズ展など観にいきつつ、聴くのは昔のレコード(音源)ばかりで、いい加減なファンだった。

長い闘病生活だったようで、想像できないぐらい辛かったのだろうけど、それでも、最後までジェントルだったんだろうな、とか、思えてしまう。

お疲れさま。

彼の域には、最初に思ってたところから 5mm も近づけなかったけど、この人が僕のこれまでの人生を、数倍楽しくしてくれたことは、間違いない。

ほんとにありがとう、チャーリー。

RIP, Mr. Watts –

バックリィ

先月だったか、ふと気になって
これまであまり真剣に聴かなかった Jeff Buckley を聴いたり、映像を観たり。

彼はスタジオアルバム一枚でこの世を去ってしまった。そのアルバムはたぶん、潜在意識には入っているのだが、親父さんの Tim と比べて、サウンドが少し苦手だったのか、あまり記憶がない。

これって単純に自分のキャパの問題でもあるので、改めて聴いてみるとやっぱ影響受けてた、というか彼がバンドでやってたサウンドは、自分の好きな音楽と共通点多かったんだなと再自覚する。

Television、Yes、Bill Frisell、Led Zep… そしてもちろん Tim Buckley。

なんで苦手だったんだろう? ベース?

今ならいろんな音源や映像に触れられるので、追体験。すごいね、この人。

https://music.apple.com/jp/music-video/grace-bbc-late-show-stereo/1538374733

ギターの人のペダルを踏むタイミングは突っ込みどころがありすぎて…
4人のバンドサウンドって、改めて奥が深い。
自分が若かったら、こんなバンドやってみたいな。

それからこの人、弾き語りのときの波動がとんでもない。Mark Bolan みたい。

アルバムタイトルでもある “Grace” の詞、読んでみた。

これって…ぼかしてるけど
明日戦場に赴く兵士だよなあ。飛行機乗りの。

すごい歌唱だと思うけど、この世界には僕は同意できないな、
彼も若かったし、1994年というときもあったのだろうけど
美談とか運命とか、任務とか大義名分が自分に染みてくる感じとか
それって、今一番、拒絶しなければならないものだと、思ってる。
人間が人間であるためには。

当時の僕は英語読解力がとても低く、わかってもどう思ったか、なんだけど

たぶん、9.11 後に自分で書いた “grace behind the word” は
こういう曲に対する無意識の返歌でもあったのだと思う。DIarY レベルだけども。

そんなことを思った。
日が明けて、違うことを思った。この詞は飛行機乗りを指してなんかいない。
こちらの勝手な思い込みだ。*

だが、
彼のインタビューでも “mortality” という言葉が残っている。

“It’s about not feeling so bad about your own mortality when you have true love.”

えっ…? 「愛があれば」「死すべき運命も」「そう悪くない」…?
あかんやろ、それ。

“Grace is what matters in anything—especially life, especially growth, tragedy, pain, love, death. That’s a quality that I admire very greatly. It keeps you from reaching out for the gun too quickly. It keeps you from destroying things too foolishly. It sort of keeps you alive.”

成長や悲劇、死や愛、何事においても、Grace を感じることで、君は銃に手を伸ばしたり、愚かな破壊願望を持つことから距離を保つことができる - あるいは、彼自身を律するような曲だったのだろうか。

だが彼は結局、30でミシシッピ川に沈んだ。意図的か、事故か、薬や酒のせいかはわからない。

死とは隣り合わせで生きていた Jeff.
フォークヒーローであり幼い彼を捨てた父は、手本でも、反面教師でもあっただろう。
Tim の映像を見ても、その思想の深さと思い切りの良さのようなものが伝わってくる。
だが彼も28で世を去った。

Jeff があの後も生きていたら、どんな表現者になっていただろう。
Tim じいちゃんと Jeff おじさんで、親子共演などしていたら?

田舎道の銀行から出て、この曲のライヴ音源を聴き始めたら
バンが通りかかり、そのナンバーが彼の誕生日だった。
「ひらがな部分」は「は」だった。
これ、「ば」ならもっとよかったな。ナンバープレートに濁点はないんだっけ。

つづく

* 「いい歌詞は、十人が聴けば、十通りに解釈できる」と、あるとき知人が言っていた。
とても説得力があった。今でも、たぶんそうなんだろうなと思っている。

bleecker

八月になり、海を訪れる。

月初には海を観に行く。なにか心のカレンダーのようなものだ。

とはいえ、いつ観ても変わらない。初日の出は別として、いつもこの海は同じだ。
砂があり、海がある。人はいない。それだけ。

たまにサーフィンをしている人、釣竿を投げている人も見かける。ごくたまにだ。


7月は、オリジナル曲を作らなかった。6月に頑張り過ぎた。だが、それだけでもなかった。
何をするにしても、少し振り返ろうと思ったのだ。よって、数年前のアルバムの曲2つに取り組んだ。

実際は、数年前どころか、2000年代初頭に書いた曲だ。目黒区の端にいたあの頃は二度と帰ってこないが、あれはあれでとても貴重だったのだ。自分で落とし前は付けねばなるまい。


それと並行して、もう少し自分のルーツを掘り返したいと思った。そこで振り返ったのが、親子二代で強烈な輝きを残したシンガーソングライターだ。

彼らについては、まだ聴いている途中だ。特に、二代目については、彼の活躍期にどっぷり聴き込んだとは、とても言えないので、その理由含めて振り返り、いろいろ発見している。またの機会に記したい。


そして、彼らのさらにルーツを聴いている。

わかるんだけど、わからない。そんなものだろうか。

とけいをひっぱりだす

時計をひっぱりだせ

river silver [side a] から、長く滞っていた曲を再公開しました。

この曲の背景からいくと、3.15か、今年ならば4.15にリリース、と思っていたのですが、
他に作りたい曲がどんどん出てきて、七夕になりました。

一聴してぷよぷよしていますが、その実は、
確定申告の書類整理にうんうん唸ってて、友達のイベントにも顔を出せないまま日が暮れる、という心情を綴ったものです。
ん、昼間にイベントやってたのか…? 三宿の trois cafe だと思うけど、それ以上の記憶がない。

この腕時計は、当時気に入っていた swatch。動かないまま、今も傍にあります。

Rickenbacker 8 弦を左右で弾いてて、時計が3種類、交代で鳴っています。
今回は2018年リリース時のボーカルトラックは残しつつ、声を重ねました。

そんな感じで、ぼちぼちやってます。

Bandcamp より。しばらくは stillbeat 名義です。

火輪の風と、海の蕾

改めて、六月の二つの作品の紹介。
さっそく聴いてくれた方ありがとう。

五月、すでに雨をたっぷり先取りしてしまったので
梅雨にもかかわらず、創作者の気分は乾いていました。
砂漠だったり、アメリカンだったり。

砂漠 – 未だにエジブトにも中東にも行ったことがない。
小学校の国語の時間に何を思ったか「二十歳になる前にサハラ砂漠に行きたい、でもどうやって帰るか、わからない」と発表したことがあるが、
結局それは果たさず、鳥取砂丘と中田島砂丘にとどまりそうだ。

だが、砂の「なんにもない感」には年々強い何かを感じており、
昨年あたりからの作にも頻繁に砂が出てきている。

構築や成長、変わらないための流転、それらすら許さないような微粒子。
ウィルスと違ってはっきり目視できるけれども、砂のそっけなさって、すごい。

海岸で見てるとわかる。一瞬で濡れて、一瞬で、乾くし。

trojan wheel は、曲と詩を書いた後に決めた題で、それ自体は
トロイの輪
という話を内包している。

これから、どうやっていくか。自分(たち)は。

トロイは、ギリシャ人たちが争い、滅した街。
トロイの木馬はトロイを破壊するために贈り込んだ、アカイア軍の木馬。
コンピューターウィルスの代名詞にもなっている。
だけど回転木馬や揺り木馬がそうであるように、木馬は破壊だけではない何か、別の世界への乗物でもある。はず。

ずいぶん前に書いたが、新宿にあるピエール・バルーさんのラ・ジュテで、不定期に不思議な催しがされていたころ(自分も出入りしていたころ)、
いつまでもひたすら回り続ける、という中東の踊りを、誰かがやっていた。
なんでそんなに回るんだろう。というぐらいに。色鮮やかな、衣を拡げながら。

音楽的には、ずっと前からのダブルベースのスタイルに立ちもどり、モードをどう紡げるかをやってみた。鍵盤はお休みし、ギター一本、ベース一本。打楽器も指のスナップだけ。

(…ちがった、シンセ弾いてました。)

フリーフォール、は、聴いてもらってのごとく。
底が抜けましたよね、っていうこと。
6月に入って、いろいろ。

どのように自由落下しますか。空から、あるいは宙へ。
利害のためにつくった虚構の街や催しなんて、とっくに。

これからも人を縛りつける企みは続くんだろうけど、
もっと大事なこと、あるし。

去年の Neptune と、根本的には同じこと。
あっちは徹底的に内面を見て、こちらは動物的にいきました。

パワーコードのトラックにアルペジオとリフを重ねたのだけど、サビのサイドギター、結構気に入ってます。
6/4拍子っていうのは、これも輪か。ノコギリと輪。

あとひとつ、常に思っているのは

蜘蛛の糸

あやとり、どこまでも。

トロイの輪と自由落下

6月は、2曲同時にリリースしました。626の11時。


trojan wheel


フリーフォール

両方、bandcamp にて公開・販売中です。

ジャズのワルツと6拍子のロック、マインドは同じところからきてます。

ほぼ月1〜2ペースで新曲や既存曲のリメイクを公開していますので、フォローしてみてください。

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