カテゴリー: mono

こちら日曜カーペンター

先週末は日曜大工

今週末はその成果をようやく使えるかというところ

机の下のキーボードフック。
スライダーなんていいものじゃなく、単純にひっかけてるだけで、早速一度落下してる。
それでもとても有難い。やっとフルサイズの49鍵が膝の上に来て、いつまでも鍵盤楽器を弾けない言い訳がなくなった。

もう一つ日曜大工は

虫除けの網を扉につけること

マジックテープとマグネットを使ったもので、意外と簡単にできてよかった。

中国製品のアイデアに既に日本は追いつけてないというか、もうかなり引き離されているのでは?
変な翻訳日本語を読みながらもそう思う。自動翻訳でどんどん回っていく世界。

—-

そんな中 大昔のファイルが今の Mac では読めなくなっているという現象に出くわす
恐らく OS (Catalina) の仕様変更だろう。
救出に古い OS (El Capitan) の MBP 含めて、4台で文字通り四苦八苦する。

頼みの古い MBP はアダプターを繋ぐと熱暴走して使い物にならない。
バッテリーの不具合らしいが、逆にバッテリーで使うしかない。トラックパッドも反応しない。
またバッテリーが膨張してきたかもしれないが、こいつはもう何回もバッテリー交換したからな。
よく頑張ってくれた。最後の仕事だ。

1994年から果てしなく続くファイルを復旧していく。

数えきれない曲のデータ…殆どはモチーフやグルーヴの断片だけど
そろそろこれらも整理しなければ。中には意外としっかり作ってるのもあったりする。

確定申告かよってぐらい大変な作業。ぜんぜん週末じゃない。

—–

コンピューター触っていると本当に縮こまってしまうので、
ときおりそんなことは忘れて、身体で楽器に触ったり歌う時間を持つようにしている。

音楽やる人としては当たり前のことなのだが、

2021年現在、これは何の競争でもなく、自分のために、だ。それが一番、大事な向上心だと漸く気づいている。

皆さんの前で何も披露できないのが、残念だ。
だが。だからこそなのだ。


これはいうまでも無く、金土日曜をひっくるめて「日曜」とした日記。

自分もこれから、金藤日曜の化身ということにしよう。
内省的なきんどーちゃん。そんなんいるのか。

鴨川つばめ先生にいつか一目。

スライドマーク

ナウシカドラえもん説。


このプラモデルにはスライドマークが付いており

それで「目」を表現する。

デカールなんて何年ぶりだよ…

彼女の服はもっとくすんだ、なおかつ深い青緑だと思うが、
調合上、割と鮮やかな水色に。
すると。ドラえもんやん。裏返したら。なんとなく。

水色と白 – 空飛ぶ – 共通点。
人々を導く、救世主 – 使徒 ?

てことは、クシャナは、ドラミちゃんか?


漫画版の「風の谷のナウシカ」は今でも読み応えがあり、
こちらを映画化してくれないかと淡い願いを持っている。

映画は無理でも、何か映像として。

宮崎さんの話は「王家」の人々が一人称のことが多く
ほとんどの人が「王家」であるはずもない現実世界で、どうしてこんなに人気を集めているのか
ときおり不思議になる。

がそれでも、リーダーってなんなんだろな、みたいな事を
表から裏から感じ取るには、ひとつの助けとなる。

ドラえもんについては…あまりわからない。

ただ僕は「ドラもん」と真ん中にアクセントを置かないと落ち着かないタチなので
その時点で傍流なんかな、という感覚は常にもっている。


5.16 追記
もしかすると庵野さんがナウシカのリメイクをやるのか、っていう憶測が出ていますね。
声優さんは確かに大きな問題かもしれない。

僕としてはナウシカは島本さんでなくてもいいと思ったりする。可憐さよりもむしろ冷徹で誰にも縛られない…誰をも振り回す…ところを。そしてクシャナに原作のあの深みを。観たい。

whybecause

先日 mill の続きです

ここから

きっかり二杯分の豆をミルにうつしたい

嗚呼…

キレの良い豆袋(空になっても集めていた読書珈琲リチルさんの)に入れてみよう

なお、この日の豆はさくら珈琲豆店さんのものである…ご容赦を

!!

改めて、リチルさんの袋の優秀さに感動しつつ

この後も修行を積んだ僕は
ティアドロップ型の器からミルに直接
豆を溢さず入れることもできています

何事も挑戦だよ。

* こぼれ豆は責任をもって回収、抽出しております。途中で背景が白いのは紙を敷いた為。裏話

mill

コーヒーを計量スプーンに入れてミルに入れる。ハンドルをひたすら回す。日課だ。

うちのミルは超小型で一杯分しか入らないが、とても精巧で挽き具合も小気味いい。

流石は燕三条の逸品。その鏡面仕上げもたまらない。

だが口が小さい。
いつも
スプーンから
ポロポロポロ


豆が溢れるのだ。

それとどう折り合いをつけるかが、毎度の悩みだった。


今年になって、さる豆屋さんから珈琲の手引きを送ってもらった。

目から
鱗が
落ち
た。

心得の一つ、重さを測る。
以来僕は、このミルをハカリに載せた状態を0gとし、正確な量を袋から流し込んで挽き、それを二回繰り返している。計量スプーンは使わない。

もう一つの心得と共にこれを実践し、格段に後味のいい珈琲を淹れることができるようになった。
方法は自分なりだが、根っこを知れるのはとてもありがたいことだ。

だが豆を流し込むのは容易ではない。
いつも袋から
ポロポロポ

ポロ
豆が溢れ
るのだ。

日によっては寧ろ前より多くなったこぼれ豆とどう付き合うかが、
切実な課題になりつつあった。


僕はいくつか好きな珈琲屋さんから豆を通販で買っている。

それぞれの豆の美味しさとは別に、パッケージにも個性があり、優劣付け難い。
が、豆の流し込みやすさとキレの良さという意味では、グラム量りを教えてくれた当の店のものがダントツであり、それは読書珈琲リチルさんの袋だ。
また、ここの豆袋はかっこいい。ひとつひとつに古い本の装丁を感じるのだ。
実際僕はここの袋を、用途がわからぬまま、空になっても集めている。

(絵が面白いから残している袋もある。どのお店かはご想像にお任せします)

今はリチルさんの豆も切れてしまい、また買うと思うのだけれど、

ふと、計量カップもハカリも使わない方法はないか、と考えてみた。

二杯分の重さを、器で量ってみる。それ以降は、毎回その器に入れればいいじゃないか。
計量スプーンと原理は同じだが、より精度も高まる。

そして
このティアドロップ型の器の、摺り切りがちょうど二杯分だった。

世界はよくできていた。

…さて…

ここからどうすればいいのだ。
まさか計量スプーンに移して入れるわけにはいかない。

どうなったかは、後日写真と共にお知らせしたいと思う。

こちら

その週末

色々思い返した週末。
書ききれはしない。

そんな中、進んでいく人たちを伝えききつつ
(わっち、ピッコリーノ、すごいね。願わくば僕もその世界には参加したかった)

いらない大量のコードを袋にいれ
耳でしかしらないコードを指に合わせ
あ、こうだったのか、と。

村上ポンタさんの訃報。

この方とも共演できなかったけれど

京都でのリハスタバイト時代、一度だけ
リハに来られたことがあり、少しだけお話しした。
部屋はどこ、ぐらいのことだったけれど
ジェントルマンでした。
あれは 1995 震災の年。
当時、自分は 4TR MTR に明け暮れていた。

カセットテープの開発者のルー・オッテンスさんも、亡くなったという。

Philipps と Sony について、先日読んだ長編の音楽本に色々書いてあったけど、
モノが時代を、というか人々、というか、わかる範囲では少なくとも自分を
大きく動かしたこと、確かにある。

僕は今でも、モノとしてのカセットテープに惹かれつづけているし、
長い間、このサイトのトップページもメタルテープでした。
ほんと、感謝。

アコベの弦をようやく張り替える。
エリクサーがついていたが、僕はコーテッド弦の感触も響きも、あまり好きではない。
ダダリオに替える。やはり。
基本的に、どんな楽器でもダダリオの普通の弦が自分に合っているようだ。
えぇわー。

この弦は九州からすぐに届いたのだが、
先々週末に近くの DIY 店で注文したプランターのトレイは、まだ届かない。

以上 another world より。

…と思ったら…
ルパンは初代が最高だよ。
音楽も。

プランターララバイ

沢山採れているバジルの種を植えるにあたって、プランターのトレイがない。

使い続けて劣化割れしたプランターを、よさそうなのに新調したのだが、
あまりないサイズで、トレイがはまらないのだ。しかも店にも置いてなかった。
DIY 店を2店舗回ったというのに。

通販でやっとモノを探り当てたのが昨日。
購入寸前にふと、通販に頼らずに店で注文しようと思い立つ。今日は実行の日だ。

出かけるのはやめ、電話をかける。
ネットで調べた製品名とスペックをしっかりと朗読する。

「ポリプロピレ…」のところで遮る店員さん。

「バーコードはありますか?」

「?」

「バーコードを読み上げてもらえませんか」

…ー…ー…ー

どうやって? いつ人間にバーコードリーダー機能が付いた? てかそれが時代? それより折角調べたスペックを、最後まで読み終えさせてくださいよ。


なんと返答したか覚えていないが、僕はとにかく、寸法と色の略称まで言いたかったのだ。その上でバーコードとやらが人間に解読可能ならば、受けて立とうじゃないか。

「バーコードのところに番号があるでしょう、それを読んでもらえれば私たちはわかりやすい」

この人は番号のことをバーコードと呼んでいたらしい。ともかく、調べた製品名と素材と寸法と色の略称は伝えてすっきりしているので、僕は廊下に出て、数日前に買ったそのミニマルなプランターの側面にかすかに張り付いているステッカーのバーコードの下に分割表示されているナンバーを読み上げる。

というか、これを読んで伝わるのだろうか? こちらが欲しいのはトレイであってプランターではない。

そもそも、持っていないもののバーコードなど伝えようがない。

ところがそこは店員さんはお見通しのようで、週明けに業者に確認をとり、そこからこのプランターに合ったトレイを発注するということになった。ダメなら電話くれるらしい。

よかったよかった。これで送料も節約できた。
おかげで通販ショップならもう到着しているモノが、あと3-4日以上も後になった。
バジルの種播きも遅くなった。

これでよかったんだろうか??


でも、なんだか楽しかったよ。

頭の硬直した人の気分、こういう時にすごくわかるのだ。
自分がそうならないと理解できないことって、いっぱいある。
日本のシステムやマスコミがやばいと言うが、自分もたいていやばい。

そしてそんな人の扱いに慣れた人も、いっぱいいるんだろうな。

すぱいらる

といっても青山にあるビルのことではなく、

これ の続き。MPB のことを書きたいがまた MBP。

どうやら、Macbook Pro 16″ のファンノイズ爆奏は、
AMD Radeon Pro グラフィックボード (discrete GPU = dGPU) を使う時点で必ず起こるようだ。

外部ディスプレイに接続する = AMD グラボに切り替わる = dGPU が発熱 = ファンが高速回転

内蔵の(どっちも内蔵だが) Intel UHD Graphics (integrated GPU = iGPU) で使う以上、発熱レベルはたいしたことはなく、ファンもとても静かだ。
だが外部ディスプレイを iGPU で賄えない。「外部ディスプレイは dGPU で賄う」という想定で、漏れなく過発熱になっているのなら、設計ミスでしょう。

何度失態を繰り返す、Apple。

この MBP はヒンジの部分、MacBook Pro ロゴがある部分に、本体からの隙間がない。
排熱口は背面、斜め下向きに空いているが、これだと熱い空気は抜けていかない。
底の左右に、指を切りそうなぐらい大きなスリットがあって、ここから吸気はたっぷりできるが、上向き排気がないのはやはりおかしい。
防水か? んなわけがない。スピーカーの音に影響か? これはあるかもしれないが、優先度が違うでしょ。

2015の Retina MBP、これもファン回転は酷いモデルだが、ヒンジ部分には沢山隙間があった。
今見ても、デザインはこちらの方が圧倒的にかわいい。ポルシェみたいだ。

このやり方を、2019モデルの底面スリットと組み合わせれば、かなりエアーフローは改善したと思うが、どうしてそうしなかったのだろう。


MBP – Música Popular Brasileira のことはきっといつか。

くろいまど

空き時間に部屋を整理。

あの禁音部屋…とは違うが、ここはとても小さい。

手始めに、仕事相手からずっと借りていたモニターをお返しし、
自前を買う。モニターといってもディスプレイの方。

机が渋滞し、鍵盤も窮屈なのでトレイの自作を思うも、
角置き専用の特殊な机で工作が難しい。ふと、机の下に鍵盤を配置できたとしても低すぎることがわかり、潔く諦める。
ピアノの白鍵の表面は、床から75cm。机にキーボードを置いても75cm。同じ方がいい。

モニターもトレイも何年も悩んでたが、さっさと決めた方がよい。
マイペースに行きたいなら、余計に時間が大切だ。

代わりにモニターアームを買う。これなら机を広く使えるし、
首や肩の負担も減る。

このモニターは、USB-C 接続だけで MacBook に給電もできるので、とても助かる。
言うことなし、と言いたいが、完璧ではなかった。

MacBook Pro、16インチモデルは、外部ディスプレイに繋ぐと突然発熱し、ファンがぶん回る。
煩くてしょうがないから、録音の時には本体のディスプレイしか使わない。すると嘘のように静かになる。

これは僕だけじゃなく発売当時からずっと言われてることだし、先日 maba くんも言ってたから、やっぱ不具合なんだろう。
Apple が認めるとは思わないけれども、フラッグシップモデルでこれって、ちょっとないよな。

ファームウェアで解決だろうという話があったけど、その後何も聞かない。
たぶん M1 Mac や Big Sur を優先して、近過去はすぐに切り捨てなのだと思う。
レジェンドは大切に、レガシーはないがしろ。何かの縮図だ。*

と、文句を書きつつも、これはなんとかなる。

ところがもうひとつ、USB-C の同時給電、やはり落とし穴があった。
Audio I/O からスピーカーで鳴らすと、ノイズの嵐。なぜか、ヘッドフォンではノイズレス。
電源分けてるのに、グラウンドループか。

試しにディスプレイの電源を落とすと、ノイズは消える。完全に USB PD のせいだ。
昔から、新幹線で iPhone を充電しながら音楽を聴くとノイズだらけになったりしてたから、
だいたい予想はしていたのだが、このモニターは何の対策もできていないようだ。
一番信頼していた、日本製。

仕方ないので、巨大な白いアダプターを復活させる。ノイズは消えた。

いつまでたっても、何かしら欠点があるシステム。でもこれでやっていこう。



* MacBook Pro の熱暴走については このサイト が一番はっきりしてる。
排熱設計の欠陥。だから eGPU を買えば解決って、完全におかしなスパイラル。

リコールにするべき。

Blue Valentines

昨夜。思うところあって海岸をドライブし、
若干の胸騒ぎがしつつ帰宅、風呂から上がる。

東北では大地震。

こちらは無事であるも、当地の惨状と不安を思う。
関東も広範囲で停電だったらしい、とはいえもっとも大変なのは福島の人々。

どうか余震が早く収まり、人々が無事でありますよう、充分に眠れますよう、
コロナから人が守られますよう。

ごく型どおりの事しか書けませんが、本当に。


そして原発がまた暴れないよう。

まだ原子力緊急事態宣言継続中にも関わらず、
オリンピック誘致以降、ほとんど報道されなくなってしまった1F、
そして日本の沿岸に今も林立する原子力発電所や核施設が。

日本は、3.11から生まれ変わることができた筈なのに
そのチャンスを何度も逃して今に至る。

だが、辛いことの連鎖も
まだ間に合うという啓示であると思いたい。

ここだって、明日は我が身と常に思っている。
だけど、生きているうちは精一杯、何かを見出していたい。


物を持たないということ
最小限持つということを考える。

災害は物をため込むことの危うさを思い知らせたが
たとえ災害なくとも、墓場までは持っていけない。楽器も、宝物も。

むしろ、そうなったら他の誰かに使って欲しい。
まだ譲る気はないけどね。

楽器はたしかに人と一体化し得るが、人と楽器は別の命を持っている。
いい楽器の命は、一人が奏でることができた音楽よりはるかに長く続くのだ。

戦争さえなければ、だ。

人は物やクラウドの力を借りるけれども、それは自らにスパークを起こして
何かを見出し形にするためだと思う。

それができるまでは生きねばならない。やらねば。


舞台演奏をしないからといってやることがなくなるわけではない。

むしろ、音楽に向かう者としては、より多くを感じ、より実践できる刻でもある。

限られた時間であってもどう使うか。

朝思いついた曲ができたり、朝、気になった曲が、一日の終わりには弾けるようになったり。
それは誰のためでなくても、たとえ聴かせる人がいなくても。

大学の先輩も好きだったあの曲が、こうすれば弾けるんだと気づくこと。
音楽が自分の身体に乗り移る。それはどれほど大きなことだろう。

転写。この世の身は仮の姿。借り物。なにかがなにかに、のりうつる。

ギターで弾けるようになれば、それはベースに乗り移る。
一方で、ベースはたった4本の弦でも、成り立つ楽器でもあるのだ。

音楽の可能性はひろい。

競争心や上昇志向がなくなって、それから本当の成長だ。
それを実感できるのは、幸せなことなのだ。∞に。


走る。

スキニージーンズ、ぎりだが辛うじてストレッチ。

あの感じを思いだす。振り子。

体が左右に揺れる感じ。小学生の頃掴んだ感覚。自分の波を、超えていく。

思い出した。やっと。

いける。
いろいろなことを身体や脳が思い出す。
いけるかもしれない。
自分として、ということ。

そんな幻想を、しかし、かすかなれども、確かに、感じた二月十四日。


『トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界』も、ついに読み終える。

すると。これから読みたくなるもの、だらけなのだ。


表題はもちろん Tom Waits。

これを初めて聴かせてくれた人。その後想像もつかないけど、元気だといいな。
あれも震災の年だった。阪神淡路大震災。京都のスタジオの面々。

僕は、元気で、やってます。いろいろ、あったけどね。

Sings & Sobs

朝から Pat Metheny の曲が頭でループし、弾いてみる。

ずっと好きな彼の一枚目 – Jaco とのトリオ – 後半の曲だが、ギターで弾いた方が理解が深まる、という当たり前のことに今頃気がついた。だが当然の如く、ほとんど弾けない。

それでも、辿々しい指先から、いろいろなことを学べるのだ。演奏技術に関わらず、楽器ってそうだと思う。


Chick Corea が亡くなった。朝からいろいろなところでトリビュートコメント。
僕はこういう流れに乗るのが苦手だ。
だけど、彼は言うまでもなく偉大で、多大に僕も影響を受けている。
僕はピアノも弾けないが、割とトランスクライブした人でもある(タッチが明瞭なので)。

90年代末に Blue Note NYC で彼を観れたときはビッグバンド編成で、ごく正直にいって、わからなかった。
あまりに広い活動のごく一部しか受け止めることはできなかったし、共演を夢見ることすらなかったが、良く聴いたのは Patitucci, Colaiuta との Humpty Dumpty と Tumba のライヴ録音かな… Blue Note Tokyo の。
そして Vitous と Haynes との Now He Sings, Now He Sobs と、やはり最初に聴いたカモメの Return to Forever。

あまりいろいろ聴き集めることも、弾き倒すこともできなかったが、彼の音楽は思考をクリアにしてくれたり、想像をまっすぐ突き進めてくれたり。その中に潤いを感じさせてくれたり。ロマンチックでロジカルな夢をたくさん見せてもらいました。

捻れてもまた真っ直ぐになる、プレッツェルじゃない理論の使い手。Fagen とはまた違ったダンディ。


つづく。本日はまだ続いてる。RTF の鳥はカモメじゃなくてカツオドリ、なんですね。

宵。久しぶりにお気に入りの店を訪ねる。まだ3度目だが、ずっと昔から通ってたような心地になれる場所だ。
というのもここの店長さんならきっとその話ができるだろうと思ったからだが、
果たせるかな、カツオドリが羽ばたいていた。

ここには sonihouse の多面体(ほぼサッカーボール)スピーカーが吊ってあるのだが、たたずまいも音も気持ちいい。
スピーカー自体の設計もそうだが、その配置 – 当然、それを含めて設計しているだろう – がいいのか、
空間と音の流れがとても、人の動線や会話の流れと馴染む、そんな気がした。

まぁ個人で手が出る値段ではない。置いてある場所は、貴重だと思う。


そろそろ例の丸眼鏡を直したい、と思う。
いや、眼鏡本体は健在だが、要であるクリップオンのグラサンが破壊されたままなのだ。

もともと全く関連のない、たまたま Westwood の店でセットで売られていた、イタ車とアメ車だ。
いや国を跨ぐのは珍しいことではない。ACコブラとでも思っておこう。違うか。

真面目なことをいうと、このグラサン部分は DKNY とあるが、何年検索してもダナキャランでこんなものは作ってないし作ってた形跡もない。
Lennon タイプでもこのブリッジの波形部分は独特だし、入ってるレンズも暗くなく眩しくもない、ステージでも運転でも絶妙だったのだ。

数年前にツアーの最中、名古屋の眼鏡屋から鯖江に送ってもらい、ピンポイント溶接で直してもらった。
だが、数ヶ月でまたポキっと取れた。ワイヤーを変えて溶接してもらう、ぐらいの事が必要だろう。
完全オリジナルに拘って強度を犠牲にするのではなく、いい形で直して一生使いたい。


Metheny の曲は、少しは…マイマイの速度で押さえられるようになった。やっぱ真面目に取り組むことだよ。
と、ちっとも真面目にキャリアを形成してこなかった自分が思う。

そろそろ、またムーミントロール前史の解読に取り組むか。

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