カテゴリー: mono

鉄の事情

フライングパンを
火にかけると

水が痙攣
するわけだが

期待なのか
諦めなのか

そのへんの事情は
わからない

バルトリーニの合う楽器

久しぶりに活躍してくれたので、仕舞う前にお疲れを。

次はいつだろうか。

Lakland のベースは Guitar Center で初めて触った時から
鳴りも音も衝撃的に好きで
なんだかんだ言って足掛け4本使った。

Bass Magazine の企画で曲を書き、その場で借りた 55-94 を CD に収録したことがあるし
(その時もらえればよかったが、そうはいかなかった)
Cさんの Space Shower Live 用に買ったものの、その後のツアーではメンテに出したまま調子が治らず、返品してしまったこともある。
(スペシャ本番での音は、最高だったことは言うまでもない)

その後も一瞬、激しく鳴るのを持っていた。
Aさんのレコーディングに間に合わず、引っ越しもあって手放した。

赤、ナチュラル、赤、ナチュラル。

一番長く持っているこの楽器は、MKさんの収録用に急いで買ったもので
もともとは MINI の車みたいなモスグリーンだった。
だけどピックガードの形が気に入らなくて、その五年後に図面描いて作ってもらった。
オケピの仕事で、誰も観てくれないのに、なんで気にしたんだろう。

その一年後、Oさんのホールツアーが始まった時に、白に塗り替えてもらって、
数年経ってから、それも剥がれてきて(極薄のラッカーだったので)
オイルフィニッシュに変えてもらった。

この楽器に限らず色々とやってくださった愛知の職人さん、お元気だろうか。
また色々お願いしたいのだけど、様子がわからない。

TV にもビデオにも YouTube にも割と映ってるし、Rec でも CM でも。
見た目はそんなに派手じゃないけど、ほんといい仕事してくれる。

Bartolini のピックアップがこんなに合うベースも珍しい。

昔はこのメーカーの PU がどうしても好きになれなかった。持ってた5弦も、友人のジャズベも、知人のジャズベも、また別の知人の… 要するに、素直にいい音だと思ったことが殆どなかったのだ。

とても評価の高い PU なのになんでだろう、いい音しそうなのに、なんでこんなにタッチと出音が合わないんだろう…? と相当悩んだ挙句、Ibanez の MC や Rick や Factor と出会い、そっちに行った。

Bartolini だけは、自分とは合わないんだ、と結論づけてから何年か経って、Lakland だとオッケーということを知る。

なんでだろう。楽器本体の鳴り方と相性がいいのだと思う。それまで他の楽器との組み合わせで感じた、自分のタッチと、欲しいアタックやボディの位相のズレみたいなのがない。Lakland の方がずっと後発のメーカーだし、Bartolini 側でこれをリファレンスとしたわけでもないだろう。不思議な偶然、かもしれない。

プリアンプやEQもいいのだが、前述のように、パッシブでいい音がする。出力は低くなるが、ほんの少しのタッチが、生きてくる。

あとこの楽器、デザインが、かわいい。コントロールの配置や、楕円のブリッジ、カッタウェイの丸さなど。

Dan Lakin やっぱりすごいな。

gi

こおろぎ に ねぎ

何故打楽器には「ぎ」がつく

撥折れたまま 半年前から座する

かえるぎろ に

聞いてみたい わからない

すぴーくす

どんなにヘッドフォンでいいと思っても

たまのいいスピーカーでいいと思っても

カーステでいいと思っても

iPhone のスピーカーでダメダメなとき

なかなか立ち直れないものである

常にそうなのだけど

道具

5弦ベースたちが久しぶりの出番。

ライヴ要員みたいにずっと使ってきた Lakland 55-94、録音でも割と残っている。映像もか。

先日電池を抜いたままだが、パッシブが、またいい。彼ら Dan Lakin と Hugh McFarland の作った楽器はやっぱり作りがしっかりして、鳴りと安心感が違う。

Dan は2010にメーカーを譲って以降、自分の名で JB や PB を作っているけど、知らないうちにスタッフや工房がまた変わったようだ。
いいデザイナーとクラフトマンがいれば、いい楽器はできますね。

僕はおそらくもうベースを買うことはないけれど、興味ある人、機会あったらチェックしてみてください。
(というか昨年から Dan Lakin Bass は何も更新されていないけど、大丈夫なのか…?)

そんなんで、楽器もそうだが大事なのはプレイの中身。

曲にしっくりくるには、いろいろな要素がある。
掴みたし。とらえたし。

降りる駅の数

シンプルなボタンって使いやすい

と思ったら大間違いなことが多い。

入力端子が沢山付いているディスプレイや

ヘッドフォンを沢山挿せるオーディオ機材で

切替ボタンが一つしかないとどうなるかというと

入力1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2…

HP1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2…

というリニアな現象が起こる。

実際に挿しているのはそのうち2つかせいぜい3つだ。

さて、こういうボタンはたいがいスタイリッシュなので

押しにくい。

どうなるかというと、入力3にしたいときに

入力1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2 -> 3

(1から3にするぞーおー行きすぎたー何番まであるねんーおー手前やーまたかいなーえーおいーやっと3になった)

ヘッドフォンを4本挿せるうち2本しか使わなくてそれらを切り替えるとき

HP1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 1 -> 2

(1から2にするぞーカチカチーおー行きすぎたー何番やねんーおっとまた1にもどったー次こそはーおーまたやんけーええかげんにーおーこれやこれ)

という現象が起こる。私はほぼ毎日こんな調子なのだ。

もしこの説明がわかりにくければ、山手線でいつも目的の駅を降り過ごしてしまう人を想像してください。

そんな人はなかなかいない、というかもしれない。単にものの例えであるから真に受けないで欲しい。

ともあれ私にとっては、ボタンが4つ付いて直接切り替える方が圧倒的に早いのである。

ところが僕は、切替えボタンが4つも付いているような機材は好きではない。
基本的にごちゃごちゃしたものが嫌いなのだ。だがある種の道具は、見かけのシンプルさを実現するために、内側をわざわざ複雑にする。

何がしたいかというと、ワンボタンで切り替える方法を受け入れる代わりに、ボタンが対象とする選択肢を減らしたいのだ。

入力1 -> 2 -> 1 -> 2 -> 1
HP1 -> 2 -> 1 -> 2 -> 1

実際に挿していない端子をスキップできるようにする。そしたらたとえ2回間違えて2周大回りしても大幅に操作速度が向上する。

今の技術ならこんなこと簡単だろう。家電でもプロ用機材でも、こういうカスタマイズは大切だと思うし、なんならこれがその人の毎日を大きく救うことになる。鈍臭い人対策であっても、シビアな達人用であっても。

何か僕は、間違ったことを書いているだろうか。
それともまた、本質にたどり着こうとして大きな間違いを冒しているのだろうか。

linear ain’t straight

リニアビートで眠りに落ちたからには
Paul Simon のリリックで目を覚まそうとする

yMusic とのコラボや Phoebe Snow のコーラス
Roger Hawkins と David Hood のリズムセクションや
David Matthews さんのホーンアレンジに
聴き惚れてたら

My Little Town がじわじわきて
1サビからインタールード
こんな管楽器あったっけ?
カウベルと一緒にリズム刻んでたけど
ふっと消え

洗濯機のアラームだった

食洗機に洗濯機
タイマーに着信
いろんな機械が
たくさん声を出す

彼らも歌いたいってか

Sonic Youth に Washing Machine ってアルバムあったな

昨日窓に張り付いてた
巨大な緑の蛾は

交渉の後どこにいったのだろう

クラフト

時間もないのに

やたら「工作」がしたくなるときがある

今はそのフェーズのようで

あの木とあの布とあの塗料があれば

あんなものができるのになと

むずむずしてしょうがない

といっても、木を削り出したら

指も手首も痛めるし、そのことにも忘れて没頭してしまうし

何より他の時間もいくらでも取ってしまうので、たぶん今回「工作」はやらない。

コロナ以降、いろんな人を(ごく狭い範囲で)眺めていると

庭に小屋を作ったり、防音室を自作したり、

いろいろな道具を作ったり、やっぱり作るって人間の大切な本能なんだなと

思ったりする。野菜や木の実を作ることだってそうだ。

だが一方、世の中には物づくりにたけた人がたくさんいるわけで

自分に必要なのはそういった人々にうまくものを頼むことだろう、とも思う。

簡単じゃないんですけどね。

僕は「人を使う」という概念を持っていないし、果たしてどんなお礼が適切なのかも

未だにわからないでいる。

「好きなこと」に関してはなおさらそうだ。

何かをしてもらっても、お返しできてないな、と思うことも多い(誰でもそうかもしれない)。

ある意味、「ものづくり」というのは、「モノ」という実体を媒介するので

わかりやすいのかもしれない。

いくらデジタルな世でも、物の価値って、確かにある。

また、世の中で言われる価値とは別に、たぶんフィーリングの価値がある。

それを見たり触ったり使うことで、何が(心と身体に)起きるか。

それって波動の次元かもしれない。だからいつまでも、人が物づくりをやめることはないだろう。

そんなことを、記号でしかない文字で、精査もしないで、綴る。本日は以上。

1902 のロボットライオン

子供の頃の教則本を引っ張り出すと、真面目にやってなかった証か、シールが貼ってあって、
それはライオンの顔であって、周囲に字が書いてあって、それは「アフリカンサファリ」という。

昔訪れた、大分県の動物園だ。車窓からこちらを覗くライオン。あれは怖いものだった。

そして別府温泉。血の池地獄。忘れえぬ旅。

旅演奏家になって何度か九州に行くことができたが、
大分はまだ、そして宮崎、佐賀は知人に薦められつつも未踏である…

少し思い出す九州。

最近は福岡の楽器屋さんにお世話になったりしている。

そして、福岡の超人からふと連絡をもらう。

この人の真似はとうてい出来ない。

生き方、やり方、進め方。
真逆だけど、こういう人には励まされる。

抜・バツ・テリー

メモをすれば安心、ということがある。

いくらメモをしても、実行しない、ということもある。

iPhone の Reminder の使い勝手の不思議さ(悪さ)に参りながらも
今も時々、頑張ってメモを打ち込んだりする。

…その直後にメモが消えたり、指定した時間が変わったりするので
ほんま、Apple のアプリって永遠にテキトーだなーと思うのであるが…

最近、何度も to do に記録しては
実行を先延ばしにしていることに

『電池外す』

がある。

何の電池かといえば、当分出番のないアクティブのベースの内蔵バッテリーだ。

ライヴ、それもツアーやフェスの用途がない限り、アクティブのベースは使わない。
電池を抜いてもパッシブでいい音がするし、液漏れしたら大変なので、さっさと抜け、ってところだ。

ところがそれがどう億劫なのか、いくらメモしても忘れてしまう。
先日ようやく、五弦のを抜いたところだ。

もう一つ残っている。思い出のありすぎる四弦だ。
エピソードがありすぎて、ケースから出すのも億劫なのだ。

ここでこうやって綴っている間に、抜けるはずなんだがな。

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