カテゴリー: hikari

104でみつかったぞ

2年ぶりに人前で演奏しました。

タイムテーブルのないイベントで、もともと出演する予定でもなかったから、
逆に場繋ぎが必要で、終わってみればたくさんやることに。

1st – solo
あかりをつけたら II
Little Italy (Stephen Bishop)
みつかったぞ
Morning Dew

2nd – duo with Motomitsu Maehara
小さなぞうのワルツ (Moto)
Lapis Lazuli III
C’est si bon
Rydeen (Yukihiro Takahashi)
Sympathetic
Danseuse sous le pont (Moto)

3rd – solo
よこくの太陽
Marquee Moon (Tom Verlaine)

4th – solo
Quick & Slow
Rio

5th – solo ~ duo
Q-Atlantis
Atto Iu Ma Ni (with Moto)

そして、ウクレレののりこさんを交えて、6thも。おられた方はご存知だと思います。

ニューアルバムや Moon x Moon 時期の曲を交えながら、
結果的には、カバーを結構やったのです。が
“Rydeen” は、モトくんのリクエストで、アコーディオンとウクレレでやる、という話が沸き起こっていたので
ベースで加わることにしました。あのベースラインは子供の頃から身体に入っているし、真逆の編成だから、曲の良さを再確認できます、よね。

“Little Italy” はずっとやりたかったのですよ。昨年の前半はずっとアルバム Careless を聴いていたし。
Larry Carlton と(確か)Stephen 本人のギターの重なりがきれいで、メロディは極上で、Chaka Khan はすばらしいけど唐突な気がして、その後の展開は正直よくわからなくて(Pupa の dreaming pupa はこの曲を素敵に再解釈してるな、とは思った)

そんなわけで、それらをベースと歌だけにすると、結構楽しいのです。
この曲は何度でもやりたいので、機会をくださ〜い。

“Marquee Moon” については、下の日記に書きました。

いろいろ感じ、思いましたし、自分のスイッチもコロコロ入れ替わりましたが

一言でいうなら

やってよかった。楽しかった! です。

どうもありがとう。

the embrace of life

Jeff Beck に、ユキヒロさんに、

近隣のお花屋さんに …と、遠くでも近くでもショック続きなのですが

よりによって。イベント中に。

京都からの方に教えてもらったのは、Television のボーカル、Tom Verlaine の訃報でした。

3年2ヶ月ぶりの Marquee Moon。すぐにステージがあったので、やりました。
今回は、ルーパーもなく、Taylor 一本だけで。

墓地から来たキャディラックが彼を連れてこうとしたとき、彼は降りたはず。
今度は乗ったということなのか。

He said “Look here junior, don’t you be so happy
And for Heaven’s sake, don’t you be so sad”

前回の動画。今回は録ってないです。

… 鈍感な僕はいまごろ気づいたんですが、Television = TV って、Tom のイニシャルかけてたんですね。

あみとまき

短いロールカーテン
短い足の犬

コーヒーショップのカウンター

正確には「カウンター」ではない
そちらは感染対策で閉じられてる

窓側の「カウンター」だ
ややこしい

言葉の意味って変わっていくなぁと思いながら

ファンクとスカとハードロックかけてるこの鮮やかなコーヒーショップに久しぶりに

30分ほどいるだけでいい体験ができる

そして座った窓側カウンターには
当然窓があるわけで

その窓はとても低く
だが効果的に明かりが入ってきて

外景が切り取られている

よくみると低い窓をさらに削るがごとく
枠の上端にはロールカーテンが巻かれており
残りの少ないクッキングシートのよう

なぜだかコーギー犬を思い浮かべる

さてロールカーテンは降りていないわけだが

木漏れ陽が網戸で面白い反射をしている

揺れる戸外の枝葉と網戸の影が絶妙にずれている

こんなことで世界が違ってくる
なんか コーヒーと相まって 頭冴えてくるんだよな

これは想定してのことだろうか?

網戸といえば、劣化で破れた網戸というだけなのに
客船の模様に見えるという写真が、先日出回っていた。

意外なところで僕らを騙してくれる スクリーン

映画と同じですね

「芋虫が蝶になる」

昨年はこれなかった山で
しばしば書を読む


Spectator (2011.11)
これからの日本について語ろう

ハートに
刺さる
読むべし

今の自分は 菅原文太さんに向き合えるのかと
いや なにいってんだ

会ったこともない人を
シンボルにするのは甘え

だが 彼の記事に記されていることは
北沢夏音さん…にもお会いしたことはない…の執筆内容ふくめ
何層にも 届いていたはず
とどくはず

いや つながりのない人からのメッセージが
届くからこそ意味があるんだよな

正木高志さん 尹美恵さん 藤原辰史さん

ともかく

この時点から 10年後の未来の日本人 に捧げた
数々のメッセージは

ほぼ 完全に 裏切られている

悲しい や 腹立たしい では済まされない気持ち

でも これからを 向かなくてはならない


今日も jazz の燈

の下で

芋虫は蝶になったか

いもむしはいもむしで
いもむしでいもむしで
ちょうでいもむしで
いもむしでいもむしで…ちょうで…

勘違いから生まれる真実

自動字幕の世界というのは
相変わらず面白い

今日から放映されている反田恭平さんの CM

いいこと沢山言っているので YouTube でキャプションを出す

「一生自分のお父さん探していくのが」
「くすぐるな燃え上がれ これは知恵方法の言葉なんですけど」

共に AI 字幕の空耳だが
あながち間違いともいい切れない

一応、彼の言った言葉は

「一生自分の音を探していくのが」
「くすぶるな燃え上がれ これはチェーホフの言葉」

なんです
けど

「音」 は確かに 「お父さん」 かもしれないし
「チェーホフ」 は 「知恵方法」とか「知恵豊富」 言われても なるほろなと

ちなみにサッポロの CM です

ビール呑まなくなって久しいなぁ…

ガージェリーにヤッホーにベアードにタルマーリー。
たくさんのんだもんだ。今はシュトーレンで酔っ払うぐらいだよ。

緑の珠

プチトマト。プランターから。

大晦日にこの写真って、季節感がさっぱりわからないが、
部屋の中でやがて赤くなっていく…らしい。

このトマト、どこからきたものか辿ると
どうやら この日記 から繋がっていた。

昨年の初夏に飼っていたノコギリクワガタ、その命を奪った「熟しすぎたトマト」
それをクワガタと一緒に埋めておいたのが、いつのまにか芽を出し葉を出し、蔓を伸ばし
気がつけばこんなことになっていた、という次第。

命の循環って不思議だ。

in a different light

そろそろ年末モードです。

自分としては アルバムリリース を控えているので、店じまいしてる場合ではないのですが
その一方で、多くの人はもう今年は終わったと片付けているのだろうなと、感じている。

つまり、クリスマス後に活動するってなんなん? という虚無の境地に、
そもそも12月に入ってから、配信界隈では「2022年の〜」なんてまとめを始めてたので
巨大さ増す、ブリックウォール。

今年はたくさん日記を書きました。7月末までは毎日綴ってしまった。
10月末まで誰とも会わなかったし、リモート含めて音楽の交流もほぼなかった。

そんな中で声をかけてくださった あの方 には、感謝ではとても済まないのです。この境遇は誰にもわかるまい。

11月になって元気になり、数人の大切な友に再び会うことができた。
生き返ったわけですが、まぁそれにしても、この長い仮死状態を経ての今、これから、は大事にしたいと思っています。

これから先の数年間、僕たちの生活が、社会が、日本が、世界が良くなるという希望は、残念ながらほとんど持てないし、
日々、空を見るたび、ニュースを開くたびにそれを思い知らされます。

軽く見積もっても「絶望」でしかない日本。画面に大安売りで踊る「みらい」が白々しい。
未来ってそれじゃないよ。そっちじゃない。

だけど放っぽるわけにはいかないんだ。

これが、今後間違えれば「上から、自らを捨てて人を殺せと言われた。でも、逆らうわけにはいかないんだ。」になってしまう。
一億人もの人がね。八十億人もの。

歴史は何も学ばせてくれない。いくらでも学べるはずなのに。
この10年に、測りきれないぐらいのことを学んだはずなのにな。

あの人が記したように。

自分はたぶん、音楽でできることは今後、あまり多くはないでしょう。
伸びしろは無限にありますが、時間はどうかな。効率や協業と無縁の舳先。

でも、やったろうと思います。認められるとか、仕事になるとかは、期待できないですが
こういう境地に達せられれば、集中できるのです。
御用にはならないし、関わる心配もない。腹痛や吐き気を感じずに、小さく生きていたいと思う。

先日、古い喫茶店のマスターご夫妻が言っていたこと

「ちっちゃくやるのがいいよね、下手に大きくして焦点が合わなくなるより」

その通りなんです。小さい街であっても、利害が二つ以上あると、クオリティが落ちても口を出すことすらできなくなる。

だけどこれからの日本は、ちっちゃく、いい暮らしを追い求める人を、徹底的に潰しにかかる。
ルートにのった者と、大勢の搾取されるもの。オルタナティブを無意味にする社会。
これは日本だけじゃないでしょうね。

だけど、やらないとね。やったらんとな。

あえてこの日記を、カテゴリ「hikari」にしておきます。

コーヒーとコスタリカ

昨年ごろから己の体質が変わったのか、濃い食べ物、飲み物をあまり受け付けなくなった。
酒をやめたせいもあるだろう。

コーヒーも、ずっと深煎り一辺倒だったのに、今は浅煎り〜中煎りが好みだ。

世界中の豆を扱ってる或るお店から
焙煎豆を買って飲むのが、今年の楽しみだった。
ひとつ、とても味わい深い豆があって、頼りにしていたのだけど
入手不可能になった。どういう事情かは、想像はできるがわからない。


コスタリカって最近じゃサッカーで話題になったようだけど
蹴球に疎い僕は、彼の国の豆を調べてみたら

興味深い記事にいくつかヒットする。

軍隊を持たない国、コスタリカ共和国

日付が古く鵜呑みにはできないが、この姿勢こそ日本に必要なんじゃ?

いくつか引用します

国家予算の大部分を教育関係に注ぐようになったのは、内戦という悲しい過去から、すべての軍事費用を教育に充てるほうが、みんなが幸せになれるのだと学んだからなのです。

国民は、戦争を仕掛けられるはずもないのだと自信を持って暮らしています。

その理由は、『侵略されないような努力をずっとしてきていること』『周辺の国からも平和の国として認められていること』などがあります。どこかで戦争が起こったら負傷者の手当てや難民のケアをし、さらには周りの国々の平和をも守るための努力をしています。1980年代に、当時のアリアス大統領が、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラの内戦を対話によって終わらせるのに大きな役割を果たして、ノーベル平和賞を受賞したことを筆頭に、周辺諸国への平和的な働きかけは、コスタリカを平和の国として認識させているのです。

また、戦争をしないばかりか、米国の基地設置すら拒否し、自国内でも警察官が銃を持たないなど、徹底した平和を守っています。国民を統治する政治は有っても弾圧する政治は存在しないのです。これは、どこにもない理想的な自衛ではないでしょうか。

翻って日本の政府や世間は、10年前からずっと、他国からの危機を煽ってきた。

だから、日本は対抗する軍事力を持つべきだと。先日は何を血迷ったか、遂にこれを既成事実化してしまった。

えらい違いだ。どちらが夢物語だろうか。

実際のコスタリカがどんな状況で、また現在どうなっているのか、僕にはわからない。
あるいは、国内が不安定だから、コーヒーも届かないのかもしれない。

が、少なくともかつて、キューバとアメリカの近郊でありながら米軍基地を設置させなかった事、国際機関を通じて戦争を回避する努力を最大限に行なってきたことは、今からでも注目すべきだ。

手遅れになる前に。

戦争は、起こってからではもう引き返せない。どっちが先に手を出した、などというのは主観的なもの。ミサイルにドライブレコーダーつける? 誰がそれを裁く? 裁かれたものが悪あがきをする間に、どれだけ多くの命や心が消えていく?

ものすごいカーブを描いて落ちていく世界を、守るのは兵器ではない。

この地球を、死と汚染で埋め尽くしたいのなら、悪夢の中だけにしてほしい。

せめて明るい世界を望んでいたい。そんなクリスマスイヴ。

パラドックスマーチ

多様性や SDGs なんて気休めで
せめてみんなのやりたいことが
グラデーションならいいんだけど
なんでも二極化されがち。カラーに染まる。
そまらないものは排除される。
ミュートされてる。
ルートに乗らないものは、いないことにされてる感。

インフルエンスをうけずに好きにやってたい。
受け売りもせず、ポートフォリオも持たずにやっていきたい。
それが難しい。何かしらの磁力を、どちらかから受ける。

あっちか、こっちか。
みちを渡るときにふと思うこと。

この道には常に車がビュンビュン走っていて、ゆっくり歩くことも、遊ぶこともできない。
どっちかにいないと、轢かれちまう。この舗装された道では。

近頃はいろんなところで、アスファルトが敷き変えられている。
熱し、砕き、なにやら蒸気が上がっている。

一度舗装されたら、草むらには戻らない。なぜだろう?
人はなんの権利があって、土に蓋をするのだろう? そんなに大地が怖いのか?
やみくろが怖くて、塗りつぶしてる。

つけた街のあかりを消し、アスファルトをはがし、電線を取り、
暮らしを変えられない? そうしないと我々、持たなくない?

妄想。愚想。矛盾と現実に叩き潰される。だが何度でも、浮かんでくる想像。

ついたてのむこうですきとおる

Twitter もマスク氏に経営者が変わり、ある時代の、或いは Twitter 自体の終焉が見えてきました。

すでに他に移行している人も多くいる…という噂も聞きます。あくまで噂であり、密かに実験した限り心元ないものです。

さて、stillbeat としては様子を見届けるべく、再びアカウントを持つことにいたしました。
とはいえ、そもそも私は Twitter が採用しているアルゴリズムや広告を信用していないので、拡散や交流は目的ではなく、あくまでポストの一つ、あるいは漂流としてです。

アドレスは奇しくも、以前と同じものになりました。きれいな更地が取れました。

当面はフォロワー無しでも続けますが、よければ チェック ください。

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