カテゴリー: hikari

緑の珠

プチトマト。プランターから。

大晦日にこの写真って、季節感がさっぱりわからないが、
部屋の中でやがて赤くなっていく…らしい。

このトマト、どこからきたものか辿ると
どうやら この日記 から繋がっていた。

昨年の初夏に飼っていたノコギリクワガタ、その命を奪った「熟しすぎたトマト」
それをクワガタと一緒に埋めておいたのが、いつのまにか芽を出し葉を出し、蔓を伸ばし
気がつけばこんなことになっていた、という次第。

命の循環って不思議だ。

in a different light

そろそろ年末モードです。

自分としては アルバムリリース を控えているので、店じまいしてる場合ではないのですが
その一方で、多くの人はもう今年は終わったと片付けているのだろうなと、感じている。

つまり、クリスマス後に活動するってなんなん? という虚無の境地に、
そもそも12月に入ってから、配信界隈では「2022年の〜」なんてまとめを始めてたので
巨大さ増す、ブリックウォール。

今年はたくさん日記を書きました。7月末までは毎日綴ってしまった。
10月末まで誰とも会わなかったし、リモート含めて音楽の交流もほぼなかった。

そんな中で声をかけてくださった あの方 には、感謝ではとても済まないのです。この境遇は誰にもわかるまい。

11月になって元気になり、数人の大切な友に再び会うことができた。
生き返ったわけですが、まぁそれにしても、この長い仮死状態を経ての今、これから、は大事にしたいと思っています。

これから先の数年間、僕たちの生活が、社会が、日本が、世界が良くなるという希望は、残念ながらほとんど持てないし、
日々、空を見るたび、ニュースを開くたびにそれを思い知らされます。

軽く見積もっても「絶望」でしかない日本。画面に大安売りで踊る「みらい」が白々しい。
未来ってそれじゃないよ。そっちじゃない。

だけど放っぽるわけにはいかないんだ。

これが、今後間違えれば「上から、自らを捨てて人を殺せと言われた。でも、逆らうわけにはいかないんだ。」になってしまう。
一億人もの人がね。八十億人もの。

歴史は何も学ばせてくれない。いくらでも学べるはずなのに。
この10年に、測りきれないぐらいのことを学んだはずなのにな。

あの人が記したように。

自分はたぶん、音楽でできることは今後、あまり多くはないでしょう。
伸びしろは無限にありますが、時間はどうかな。効率や協業と無縁の舳先。

でも、やったろうと思います。認められるとか、仕事になるとかは、期待できないですが
こういう境地に達せられれば、集中できるのです。
御用にはならないし、関わる心配もない。腹痛や吐き気を感じずに、小さく生きていたいと思う。

先日、古い喫茶店のマスターご夫妻が言っていたこと

「ちっちゃくやるのがいいよね、下手に大きくして焦点が合わなくなるより」

その通りなんです。小さい街であっても、利害が二つ以上あると、クオリティが落ちても口を出すことすらできなくなる。

だけどこれからの日本は、ちっちゃく、いい暮らしを追い求める人を、徹底的に潰しにかかる。
ルートにのった者と、大勢の搾取されるもの。オルタナティブを無意味にする社会。
これは日本だけじゃないでしょうね。

だけど、やらないとね。やったらんとな。

あえてこの日記を、カテゴリ「hikari」にしておきます。

コーヒーとコスタリカ

昨年ごろから己の体質が変わったのか、濃い食べ物、飲み物をあまり受け付けなくなった。
酒をやめたせいもあるだろう。

コーヒーも、ずっと深煎り一辺倒だったのに、今は浅煎り〜中煎りが好みだ。

世界中の豆を扱ってる或るお店から
焙煎豆を買って飲むのが、今年の楽しみだった。
ひとつ、とても味わい深い豆があって、頼りにしていたのだけど
入手不可能になった。どういう事情かは、想像はできるがわからない。


コスタリカって最近じゃサッカーで話題になったようだけど
蹴球に疎い僕は、彼の国の豆を調べてみたら

興味深い記事にいくつかヒットする。

軍隊を持たない国、コスタリカ共和国

日付が古く鵜呑みにはできないが、この姿勢こそ日本に必要なんじゃ?

いくつか引用します

国家予算の大部分を教育関係に注ぐようになったのは、内戦という悲しい過去から、すべての軍事費用を教育に充てるほうが、みんなが幸せになれるのだと学んだからなのです。

国民は、戦争を仕掛けられるはずもないのだと自信を持って暮らしています。

その理由は、『侵略されないような努力をずっとしてきていること』『周辺の国からも平和の国として認められていること』などがあります。どこかで戦争が起こったら負傷者の手当てや難民のケアをし、さらには周りの国々の平和をも守るための努力をしています。1980年代に、当時のアリアス大統領が、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラの内戦を対話によって終わらせるのに大きな役割を果たして、ノーベル平和賞を受賞したことを筆頭に、周辺諸国への平和的な働きかけは、コスタリカを平和の国として認識させているのです。

また、戦争をしないばかりか、米国の基地設置すら拒否し、自国内でも警察官が銃を持たないなど、徹底した平和を守っています。国民を統治する政治は有っても弾圧する政治は存在しないのです。これは、どこにもない理想的な自衛ではないでしょうか。

翻って日本の政府や世間は、10年前からずっと、他国からの危機を煽ってきた。

だから、日本は対抗する軍事力を持つべきだと。先日は何を血迷ったか、遂にこれを既成事実化してしまった。

えらい違いだ。どちらが夢物語だろうか。

実際のコスタリカがどんな状況で、また現在どうなっているのか、僕にはわからない。
あるいは、国内が不安定だから、コーヒーも届かないのかもしれない。

が、少なくともかつて、キューバとアメリカの近郊でありながら米軍基地を設置させなかった事、国際機関を通じて戦争を回避する努力を最大限に行なってきたことは、今からでも注目すべきだ。

手遅れになる前に。

戦争は、起こってからではもう引き返せない。どっちが先に手を出した、などというのは主観的なもの。ミサイルにドライブレコーダーつける? 誰がそれを裁く? 裁かれたものが悪あがきをする間に、どれだけ多くの命や心が消えていく?

ものすごいカーブを描いて落ちていく世界を、守るのは兵器ではない。

この地球を、死と汚染で埋め尽くしたいのなら、悪夢の中だけにしてほしい。

せめて明るい世界を望んでいたい。そんなクリスマスイヴ。

パラドックスマーチ

多様性や SDGs なんて気休めで
せめてみんなのやりたいことが
グラデーションならいいんだけど
なんでも二極化されがち。カラーに染まる。
そまらないものは排除される。
ミュートされてる。
ルートに乗らないものは、いないことにされてる感。

インフルエンスをうけずに好きにやってたい。
受け売りもせず、ポートフォリオも持たずにやっていきたい。
それが難しい。何かしらの磁力を、どちらかから受ける。

あっちか、こっちか。
みちを渡るときにふと思うこと。

この道には常に車がビュンビュン走っていて、ゆっくり歩くことも、遊ぶこともできない。
どっちかにいないと、轢かれちまう。この舗装された道では。

近頃はいろんなところで、アスファルトが敷き変えられている。
熱し、砕き、なにやら蒸気が上がっている。

一度舗装されたら、草むらには戻らない。なぜだろう?
人はなんの権利があって、土に蓋をするのだろう? そんなに大地が怖いのか?
やみくろが怖くて、塗りつぶしてる。

つけた街のあかりを消し、アスファルトをはがし、電線を取り、
暮らしを変えられない? そうしないと我々、持たなくない?

妄想。愚想。矛盾と現実に叩き潰される。だが何度でも、浮かんでくる想像。

ついたてのむこうですきとおる

Twitter もマスク氏に経営者が変わり、ある時代の、或いは Twitter 自体の終焉が見えてきました。

すでに他に移行している人も多くいる…という噂も聞きます。あくまで噂であり、密かに実験した限り心元ないものです。

さて、stillbeat としては様子を見届けるべく、再びアカウントを持つことにいたしました。
とはいえ、そもそも私は Twitter が採用しているアルゴリズムや広告を信用していないので、拡散や交流は目的ではなく、あくまでポストの一つ、あるいは漂流としてです。

アドレスは奇しくも、以前と同じものになりました。きれいな更地が取れました。

当面はフォロワー無しでも続けますが、よければ チェック ください。

カンナヅキ

かんなづき。

自分や作品に、かんなをかけていくかな。

削りすぎてなくなりそうな実体と

肥大化して収拾のつかない想像が

両方ありましてね。

架空下弦

imaginary な半月を

うかべておこう

と心の準備するまもなく

何度目かの 9.30 が過ぎていったわけだよ

– と –

ふと今になって

一年にとってこの日は下弦の月だと

気づく

もっと前に知っておきたかったな。せめて二十年ぐらい。

moonlight

満月ですね

月見、というわけでもないですが
今宵はときどき、そらを見上げます。

最近は月をみないとか書いていたけど
曇りの夜が多かったからなのだろうなと
思って外に出たら

あれ、一体どこへいったのやら。

まぁいいや

Moonlight という昔の絵画のようなレコードと
Moonlight sonata のピアノを聴きながら
朝の音楽を思う

fakemoon

宵の口、湖畔まで散歩。
ワイヤードの air pod… 要は標準の iPhone イヤフォンで聴くベースがいい感じ。

頭上には今も数羽、燕がいる。あと、もっと小さい、少し頼りなげな鳥も。

帰り際、月に被さる月の雲をみる。

こんな感じか。右がほんもの、左がくも。

説明せずにわかった人はすごい。


帰宅しいつものヘッドフォンで聴くと、さっきの曲はベースがでかすぎて滅茶苦茶だった。

でたらめを びだんにしたてる つきのちから

ミックスし直すのも疲れたので、全部弾き直してから寝た。
久しぶりに弾く4001、やっぱこの時が一番楽しいや。

巻貝探し

とても充実した日々を送っているのだが

誰がそんなの信じるんだってことで

おそらく、記録し発信しない限り世の中では「いない人」とされるだろう。

そんな自分は、世の中に確かに「記録されていた」ことを

発掘してはよろこんでる。いつのまにかコレクターになってきたようだ。

何が新しくて、何が古いんだろう。その基準がますます、いいあんばいにねじれてきた。

人は生まれて死ぬまで、それぞれの時間を生きてくるし

その相対時間で言うならば、それぞれがマイブームを経てオルゴールを鳴らしていく。

オルゴールとは、各々が持っている、生まれた時から携えている楽器だ。

回転しながら、針が櫛を弾いていく。ただその櫛の形が、途中で変わらないとも限らない。

「変わり続ける」も「変わらない」も「ぶれない」も「先端」もピンとこない。

自分という個は、オルゴールを携えて、あるいはそこからピンを並べ替えて、

螺旋時間を進んでいく。無限の個が浮かぶ空間で。

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