カテゴリー: poetry

れ’ とりっく

日々のニュースに、流されるのは相変わらずだ。
Blinking News っていう詞を書いておきながら、自分も逃れることができない。
だが、忘れる間もないくらいひどいニュースが続くので、やはり考えたことは記録しておく。


原稿なしで答弁できない
しても読み間違えられる
公的文書は塗り潰される

この国の言葉ってなんだ
日本人しか使わないのに


『ドラゴン桜』の第二シリーズが春に放映され
その中に「東大入試で最も重視されるのは、『同等関係』だ」
というくだりがあった。

ある事柄を、具体的・抽象的に、さまざまに言い換える。
手を変え品を変えて、相手に伝える。これが最も大事な国語能力だという。

そしてこれは国語に限らず、理系科目も含んだすべてに通ずる、本質的な能力だ、ということだ。

「言い換えの力を、日本最高の学府とされる東京大学は最重視する」

さて。これはどういうことだろう。


昨今、特に3.11以降
高学歴なはずの人々、優秀に違いない官僚や政治家が
全く的を得ない言葉で人からの質問をかわしたり、人々を煙に巻いたり、
あるいは法をねじ曲げて解釈したり、ということが顕著になっている。
昔からそうだったのかもしれないが、少なくとも自分はそう感じ続けている。

どんな価値観を持つ人にもレトリックは必要だ。日常生活でも商売でも、家庭でも一人の世界であっても。
だが、それを学び尽くした達人であるはずのエリートたちが、どうして壊れたテープレコーダーのように道理に合わない発言や証言を繰り返したり、同様にエリートが揃うマスメディアが、詭弁をそのまま垂れ流したり、論理破綻を取り繕ったりするのだろう?

日本語の使い方の見本となるべき人たちが、同等関係を悪用・誤用?して母国語を破壊しつづければどうなる?

英語や中国語、アラビア語、ポルトガル語等と違って、日本でしか用いられていないこの言葉だ。

たとえ今は塗り潰したり、リアルタイムの言葉が持つ生命を二次元にのりづけしていても、そのうち誰かが回復してくれる、と思っている?


いや違うな
世界から多くの人が
(日本語を)
理由あって使ってくれるのに
それをこそ裏切っている


前述の「日本人しか使わないのに」という書き方は、浅い。浅すぎたので、違う角度から訂正補足する。

今回広く知らされた、スリランカ人ウィシュマさんへの入管の問題は
英語に続いて日本語を学び、日本語学校を母国で開こうと決意してこの国に渡った彼女を、
不法滞在になったという経緯(ここは僕には判断しようがない)があるにせよ、おそらく非人道的な扱いで死に至らしめたその対応と、その後の情報開示請求に対して、塗り潰した1万5千枚を送り、高額請求までしたという、あまりに酷い態度にある。

ちょっと信じられないような話だが、こういうことはあちこちで起こっているようだ。

「日本国」でしか母国語として用いられないこの言語を、
日本での就労、日本人向けの物品製造、販売など生業として、あるいは趣味も含めて
相当な数の人々が使っている。覚えてくれている。

ウィシュマさんの遺族は「この映像はすべての外国人が観るべきだ、つぎはあなたの番ですよ」と訴えたが、
たとえ日本社会が今後、こういう不当な危害を彼らに直接加えなかったとしても、
書き言葉、話し言葉をねじ曲げ続けている今の日本社会は、世界中の人たちに対しても裏切り行為をし続けているのだ。

海外メディアへの対応がひどい、とよく言われるが、もっと身近なレベルでも。


言葉には綺麗な言葉も汚い言葉もある。
僕の英語力はまだまだだが、世界第二の人口の母国語であり、世界公用語であるこの言葉から学ぶことは多い。そして何より、英語は常に、生き続けている。

常に洗練され、汚されながら。

日本語はどうだろう。

この瞬間も、さまざまな人が、すばらしい言葉を、目の覚めるような表現を、大切な気づきを、笑いを、くれている。
それこそ、僕は毎日、学びっぱなしでもある。と同時に、言葉を使うものとして考え続けてもいる。


「日本でしか使われない」というのは、あるいは、甘えでもあると思う。
他人にはわからないのだから、何を言ってもいい、
どう扱おうと勝手だ、

そういう状態が続けば、言葉はやがて滅びるかもしれない。

自動翻訳技術は、皆が苦笑している間にも、指数関数的に進化している。あるいは世界の誰もが一瞬で、日本人の本心を見抜く日が来るかもしれない。言葉が麻痺した僕たちよりも、早く正確に、そして味わい深く。

火輪の風と、海の蕾

改めて、六月の二つの作品の紹介。
さっそく聴いてくれた方ありがとう。

五月、すでに雨をたっぷり先取りしてしまったので
梅雨にもかかわらず、創作者の気分は乾いていました。
砂漠だったり、アメリカンだったり。

砂漠 – 未だにエジブトにも中東にも行ったことがない。
小学校の国語の時間に何を思ったか「二十歳になる前にサハラ砂漠に行きたい、でもどうやって帰るか、わからない」と発表したことがあるが、
結局それは果たさず、鳥取砂丘と中田島砂丘にとどまりそうだ。

だが、砂の「なんにもない感」には年々強い何かを感じており、
昨年あたりからの作にも頻繁に砂が出てきている。

構築や成長、変わらないための流転、それらすら許さないような微粒子。
ウィルスと違ってはっきり目視できるけれども、砂のそっけなさって、すごい。

海岸で見てるとわかる。一瞬で濡れて、一瞬で、乾くし。

trojan wheel は、曲と詩を書いた後に決めた題で、それ自体は
トロイの輪
という話を内包している。

これから、どうやっていくか。自分(たち)は。

トロイは、ギリシャ人たちが争い、滅した街。
トロイの木馬はトロイを破壊するために贈り込んだ、アカイア軍の木馬。
コンピューターウィルスの代名詞にもなっている。
だけど回転木馬や揺り木馬がそうであるように、木馬は破壊だけではない何か、別の世界への乗物でもある。はず。

ずいぶん前に書いたが、新宿にあるピエール・バルーさんのラ・ジュテで、不定期に不思議な催しがされていたころ(自分も出入りしていたころ)、
いつまでもひたすら回り続ける、という中東の踊りを、誰かがやっていた。
なんでそんなに回るんだろう。というぐらいに。色鮮やかな、衣を拡げながら。

音楽的には、ずっと前からのダブルベースのスタイルに立ちもどり、モードをどう紡げるかをやってみた。鍵盤はお休みし、ギター一本、ベース一本。打楽器も指のスナップだけ。

(…ちがった、シンセ弾いてました。)

フリーフォール、は、聴いてもらってのごとく。
底が抜けましたよね、っていうこと。
6月に入って、いろいろ。

どのように自由落下しますか。空から、あるいは宙へ。
利害のためにつくった虚構の街や催しなんて、とっくに。

これからも人を縛りつける企みは続くんだろうけど、
もっと大事なこと、あるし。

去年の Neptune と、根本的には同じこと。
あっちは徹底的に内面を見て、こちらは動物的にいきました。

パワーコードのトラックにアルペジオとリフを重ねたのだけど、サビのサイドギター、結構気に入ってます。
6/4拍子っていうのは、これも輪か。ノコギリと輪。

あとひとつ、常に思っているのは

蜘蛛の糸

あやとり、どこまでも。

六月上弦

六月の半月は

雲の後ろであまり見えないのだけど

そういえば特別な。Meshell の日だったな。

てなわけで、『フリーフォール』の詩を公開。

音楽はもうちっとやりたいことがあるから、近々公開しますね。
どんなのになるか想像しててください。

モロコとサソリ

もう一個、詩がある。

先の未タイトルより前に作った。曲もあるしタイトルもある。
『フリーフォール』
どっちが先に形になるか。こちらはとてもシンプルだ。パワーコードだ。

週末はいくつか録音を試み、[無題曲] のベースも録ることができた。

月曜は曲の事は忘れ、少しだけ時間をみつけて鍵盤の練習。全然弾けないが得るものはある。それってなんだ?
自分にとって大事なものなのだと思う。ゴスペル。リズムも波動もハーモニーも、そしてテクニックも、黒人音楽はあまりに素晴らしい。
かつて身体と耳で覚えたフィール、忘れる前に頭と手を動かせ。


前回の詩はまだ題の見当がつかない。困った、これではリリースも、ページすら作れない。

少しだけ内容に触れる。

「蠍」が登場するが、それは僕が蠍座生まれということ、だけではなく、
ひとつにはこの昔の日記の内容を思い出したから、である。(たぶん)

汚すことのできない次元

なお、最後一節は、あれから書き換えた。またそれは、曲完成の時点で発表しようと思う。

声と板チョコ

こないだ掲載した詩は、音楽から先に作ったものだ。

たしか、副都心線のホームで思いついてボイスメモした。
リフらしきものと、Bパートでベースとトランペットのメロディの流れ。
それをブーブープープー、スマホに向かって吹き込んでた俺は
さぞ怪しかったか、そうでもなかったか。

モチーフはキャッチーだと思ったが、しばらく寝かせておき、
今回曲にするにあたり、肝心のBパートをバッサリなくした。

それはまた別の曲になるだろうし、今回トランペットは入らない。
明治神宮の森をなくすよりは、いいだろう。

代わりにもっといいパートと展開ができた。

そう、曲の完成形がほぼ見えて、詞が思いつく気もしないなぁと思った
翌日から書いたのが、あれである。

まだタイトルは決まらない。

六月の詩

新月に。

タイトル未定


どんな理由で まわり出す
指さきから 衣まで
うたうたいに そそのかされ
眠る前の ざわめき

泣きはらした 蠍をなだめて
夜の刺を ほどく

霧の向こうに うかびあがる
越えられぬ 滝
風を我がものに したいかい
それなら 夢をみよう

朝日が 大きな
あくびで 見届ける
たったひとことで トロけた
あたりまえの 自由

最後まで 味方になってくれる
その瞳を 信じてみよ

くらがりも まぶしさも
きみは みてる
広がる空は だれのもの
翼で 問いかける

心は底が 抜けても
うかび あがる
明日は理由が みえなく
なっても やって来る


Word & Music: Ray

June 8-10, 2021

後日リリース
その前に題名決めなきゃね。


6.17
タイトルようやく決めました。

Trojan Wheel

きづけばろくがつ

月をまたぐ。

嘘のような快晴の June

日没に間に合わず人のいない海へ

世の中のツールの進化に少しついていこうとするが
たくさんはできない

そんなことはこの水や砂は気にしていないようだ。

先月は新しいのも古いのもたくさん曲をこしらえた。

足りないことばかりだが、どうせ過ぎていく時間だ。
繰り返せることは繰り返したい。というか音楽は繰り返すことだ。

それがテープなのか絵巻なのか、フットスイッチかループボタンなのかの違いは
たいしたことではないだろう。

少しだけ、先日の新曲について記す。

シナモンニッキロール、このタイトルがとても気に入っている。
ニッキの英訳を調べても Cinnamon としか出てこない。だがシナモンは木の幹から、ニッキは根からという明らかな違いがある。

ニッキといえば生八ツ橋で、僕も昔はよく食べたものだ。
未だに、老舗同士で訴訟が続いているとは戦慄に値する。

どこが元祖でも都でもいいじゃないか、と僕は思う。住めばそこは都だ。

東京である必要なんてとっくにない。大津だって紫香楽だって、かつては京だった。

負け戦とわかってても認められない大人たち。僕もそうだろう。

泥を目指してドローに持ち込もうとするボブ・ドロー。
若くして脚光を浴び、長年姿を消すも、すてきな爺さん音楽家として復活した、憧れの人。
一度だけ真前の席でライヴを観れたあの時間。

ロックのピアノといえばあの人。ニッキー・ホプキンス。
全然追ってこなかったけど、大好きなあの曲もあの曲も彼が弾いていた。

少しは見習おうと、最近は彼の曲のイントロのアルペジオを練習している。
ああはなれないけど、ね。

いかん、脱線というか、本線が尽きない。

あの曲は、駄洒落の箱です。決して不届きなものではありません。
たぶんね。

シナモンニッキロール

今日は三日月
まだ太陽がマブくて見えないけど 詩をフライング

仮題 “nikki rag” または “cinnamon nikki roll”

-5.22-
録音しながら推考書き換え。真理省の命により黒塗りです。

-5.26-
固まりましたので、あらためて こちら に。


しわがれたその「め」はどこを目指す
しわがれた烏が窓をよこぎる

カーカー
おとなは どこを目指す

しわくちゃの夢をここで見せたいよ
しわくちゃの蛹も羽ばたいてるうう

うーうー
ここが勝負 誰のしょうぶ

塩辛いなぎさで踊り出す
しおみざか渚で踊り疲れたよ

なっとく
すかさず 説得 あわれむうた

取り込まれた足取りで取り急ぎ
渡し船を渡さなきゃ私帰れない

ふっ ふっ
だれが きえたか もうわすれたか

しわくちゃのフィルムで悪夢を観せてる
しわがれた声においら腰を抜かす

ビリッ ビリっ
ものの 見事な 日曜日

またとない機会だよ君と話すには
近づいた詐欺師にはくらわせよう

カモン かるっ モンタルベール
30 グラムの メンタルパンチ

誰もが最後は笑いたがる
泣き面に蜂は襲いかかるから

ブーンブーン
ほんとかい 違うでしょ たぶんね


曲はもうできてて
あとは録音だな

Words & Music by Ray
May 15, 2021

3つの豆がとどく

釣られて
これまで参加した曲や作った曲を紹介したくなることがある

リッケンバッカーを使った曲、と思ったのだが実はあまりない – 後述する –
が、これはいい音で録れてるし(自分のミックスだが)、納得がいってるいい例だ。

Africa Again /  Ray with Rie Aoqi (flexlife)

というより、この曲はベースがどうのというか、色々と思い出深い。

この歌詞はどうやって書いたのだろう、と、自分の SSD を検索したが、ヒットしない。
発掘していくと、文字化けファイルが数個見つかった。15年も前のファイルだから、当時使ってたアプリがもうないのだ。

たしか AppleWorks っていう、Apple 標準のアプリだけど…

ただこういうときも救出方法はあるもので、ブラウザで開いたり色々やってると文字列が現れた。
歌詞、その断片、やりとり、参考メモ、などなど。

それこそ発掘の末に歴史が明らかになったのだが、この曲自体も歴史をテーマに、というか歴史探検家をテーマにしたものだ。

多分読んでもあまり意味はわからないと思う。けどこれが詞。

Africa Again – lyrics

今から思えば、言い回しなどに精査の余地はあったかもしれない。
折角、青木里枝という素晴らしいアーティストと一緒にできたのだから。

だけど、こんな変わったのを、面白がってやってくれた彼女に、マジで感謝している。
人に、自分が書いた詞を歌ってもらうというのは、難しいものだ。
自分のバンドやグループでもそう思ってきたし、逆に、その前後にやってたデュオでは、一緒にやってて大笑いしてくれたり、コーラスしてくれたら、いい詞なんだ、と思えたり。

りえんぬは、「何回も、それこそ何回もコーラスを重ねると、面白くなる」
ということで、それを実践してくれた。実際ここでも、「コーラス」部分は結構なトラックを重ねています。

マニアックの極みではあるけど、であるからこそ、楽しんでください。
みっつの豆が届いて、こんな音楽になったのさ。

当時は、「サポート」の、セッションの仕事も少し増えつつ、意地でも徒歩と地下鉄でベース運んで行動してた頃だ。

とはいえそういうのにも疲れてきて、もっと自分の活動をしたくなってた。
まあここ数年と似たフェーズかもしれない。

自分のグループも再開しつつあり、作品を録っていこうと色々画策してた。

アメリカからひきづってた ADAT のマルチデータがあって、その4曲を形にしなきゃなぁ、というので、この曲にりえんぬ語りと歌を入れてもらえば相当面白いだろうな、と、書いたものだ。

てなわけで、バンドの録音は1999年 Boston。友人 Ramsey と Manuel と一緒にトリオで一発録り。
その後、どうやって完成したものかと、6年寝かせていた。

(この後、他の3曲は寝かせ続け、2020年にようやく2曲を形にしたところだ。まだ一つ眠っている…)

で、このセッションで唯一 Rickenbacker 4001 を使ったのがこの曲だ。Factor Bass もいいのだが、やはり Rick の野性味は段違いである。


Rick 4001 は僕が一番好きな楽器だが、これを使ったベストプレイのうち数曲は、そもそも流通していない。

その一つはハミングキッチンの「アヒルグライダー」。これについてはまたの機会にしよう。その前にストリームしてくれないだろうか。

May Seventh

grace behind the word

2018年のミニアルバム river silver [side a] 収録曲
リメイクの一環として再録音しました。

曲と詞を書いたのは’04年、自分の中では常に現在系の曲です。

あまり現在系であってほしくない でもあります。だがこれは続くでしょう。

2021.5.7に。

peace.

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