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暑さからの逃亡者

夏の終わりは、一味で信州を訪れた。

子供の頃に善光寺や白樺の山道を巡った。長野にはとても清々しい印象が残っている。

その次は大学時代か。音楽サークルの合宿で志賀高原に行った。
とても濃いサークルであったので、ガンボのような印象が残っておる。

また一度、何をとちくるったのか、チャラいスキーに行ったような記憶もある。
これは確か一日で嫌になり、翌朝帰ったはずだ。
テキトーに鈍行列車を乗り継いで、終電後は電話ボックスで野宿した。
誰もいない真冬の中津川が、脳裏のどこかに張り付いている。

その後どうやって京都まで帰ったのか覚えていないし、そこに残った友人がどう楽しんだのかも、今となっては知る由もない。

コロナ前の数年は演奏ツアーで何度か訪れたため、
「めちゃんこ素敵なところ。」 で上書きされている。

そんなタイムトンネルをくぐって


さて2023年。
今回はごく純粋に「避暑」あるいは「逃亡」先として車山高原、別名「霧ヶ峰」を楽しんだ。

南アルプスから南諏訪へ、そこから広大な農地を横切り北上。
要するに降りる IC を間違えたのだが、田畑は壮観だ。

ズームラインとエコーライン、やがてゆるやかに山道に入る。

素敵な食事処を超え、絵に描いたような景色、白樺湖を過ぎる。
なにこれ、っていうぐらいのリゾート地。
幼いころ通ったのはここだろうか? わからない。

左折し、トリッキーにもう一つ左折して山を降りると、ペンション村に入る。
その中の一つに滞在。

めったにこんな贅沢はできないが、多少無理しつつ、褒美でもある。
地元野菜を中心にした食事が、すばらしい。

薄曇りで上弦の月が照る夜空。それでも
あれはアルタイル、あれはヴェガ。あれが土星でアンタレス。
地平近くはフォーマルハウトか?
普段、北斗七星とカシオペアとオリオン以外の星座が認識できないのに。

早朝からヴィーナスラインを走る。
山道でありながら、不思議なくらいにヌケのよい景色。天然の芝生。
ハイジとヤギとペーターが出てきそうだが、いないのはなぜ?

数ヶ月前は野焼きの延焼で、辺り一面が山火事だった。無事だったという山小屋の辺り。

霧ヶ峰ってほんまにキリの世界なんや、一瞬で変わる光と影。

まぁこの調子で綴るときりがない。なぁ牛どん。

松本市内ではいろいろ観たいものはあったが、ごくごく王道な松本城。

白鳥、ちゃんと出番をわかっている。

この夏特に思ったのだが、鳥って自分のテリトリーにシビアで
白い大きな鳥って、人の視野あたり一羽しかいない。

自分がその場でどう輝くか、求められるものを自覚してるかのよう。

それが違ってたのは先日の琵琶湖北で、エリアに白鷺が何羽もいた。
ギャラリーがいないと安心して群れる、ということなんだろうか。

数年前から来たかった「日本ラジオ博物館」。

中町の「蔵シック館」。この手漕ぎポンプは佐鳴湖にもあり、既視感。

ここでは「木の匠たち展 2023」という展示をやっていて、とてもすてきだった。一階中央を陣取っていたのが、法嶋二郎さんのブランド Ambitious Labo
二種類の壁時計、こんな凝ったの見たことないギタースタンド、テルミンを木製ボディに埋め込んだ…これは…テルミンか。音楽への愛がにじんでます。

バターナイフにジャムスプーン。16分音符のようなポールハンガー。経歴も大変興味深く。

自分の道を貫く人って、ほんとすごいよ。いくら時間がかかっても。

Walk. Don’t run.

そんな流れで、諏訪のリビルディングセンタージャパン

想像を超えて、玄人向け店…だけど賑わっている。ここからちゃんとリビルドしていく男女が、若い世代にも多いってことだね。
いつか少し訪問したアンティークの山本商店も思い出す。マドキさん、ランプシェード探しにつきあってくれてありがとう。あれは代官山にあった eau cafe でりえんぬの誕生パーティーの時に僕がベースのヘッドをぶつけて壊したランプの… 長くなるな。

これはその「リビセン」で見つけたシングルレコード。
旅の情報をいろいろ教えてくれた、sugar me さんにかけて。

久々にご挨拶もできたし、よかった!

最後は、霧の谷に上がった花火。小雨も降ってて

これがほんとの、”Fire and Rain” かな。

James Taylor を脳内再生し、中津川を越え…

kohoku

お盆過ぎてからふるさとめぐり

帰りに数年ぶりの京都か迷ったが
今回は人に会わず自然だけ見ることにした

湖北
といってもいろいろな湖があろう
これは琵琶湖の場合

敢えて大通りを外れ
湖岸をひたすら走る

桜や紅葉シーズンはさぞ
夢のように美しかろう
今はとても静か

高島 今津 マキノ 海津 大浦 菅浦 塩津

淡水なのに海や塩とは何故

そして前から興味あった伝説の集落菅浦へ
車ではまともに入れず 入り口のみで断念する

パークウェイの半分まで来て通行止めとわかり
来た道を戻る 同乗者がいれば顰蹙だろう

日が傾き 違った景色になっている これも褒美か

ジグとモビーディック

気が付けば夏も終盤になってしまった。

今年は新しいのから古いの、合わせていろいろな文を取り入れようとしている。

きっかけは、偶然に出会った 平松宏城さんの訳書 と、ようやく手に入れた 渡邉格さんの2冊目 だったか。

昨年はひたすら多重録音をしていて、ほとんど本も読まなかった。20〜21年には割と読んだのだが、意欲がだいぶ空回りしたような気がする。

テキストはひとびとの希望も絶望もつないでいく。これだけ映像が簡単に共有でき、文を無限生成できる時代に、敢えて印刷された文字を紐解く意義がどこにあるのか、よくわからなくもなる。記憶も歴史も書き換えられ、遅かれ早かれ自分の存在も消えていく。それでもね。

結局は、音も言葉も、行き当たりばったりに呼吸しているに過ぎないのだろうけれども。


ほぼ10年ぶりに街の図書館のカードを更新し、いろいろ借りるようになった。時流を追わない自分にはこれぐらいがちょうどいいようだ。
30〜50年ぐらい経つと、木工楽器の音色もだんだん変わってくるし、同じように文体も社会通念も幾世代か変わる。テクノロジーだけなら何十世代も変わっているのだろうが、あまりそれらは気にしなくなってきた。


本を選ぶときは手にとって、パラパラとめくって、目の焦点がぼやけたままで文字の感触を確かめる。だいたいそれで読みたい/読める本かはわかる。ジャンルや作者にあまり必然性はなく、ただ、たまたまキーワードが重なることもある。最近だと、ハンガリーやニジンスキー。

『未来への記憶』にも『松雪先生は空を飛んだ』にも『ラブカは静かに弓を持つ』にも、なぜかハンガリーが頻出する。


アジアとヨーロッパをつなぐハンガリーはずっと気になってる国で、これからも何か縁があるような気はしている。知人は一人しかいないし、消息も連絡先もしらないのだけど(それってすでに知り合いとは言えないのだろうか)。


自分なら絶対に買わないようなタイトルの本も図書館だと借りられる。いや、借りる気にもなれないものも、無償処分だと手に取れたりする。それがすごく為になることも。

というわけで、『アメリカの文学』という本を先日読み終えたところだ。1983年刊行。
「アメリカはピューリタンがつくった国だ」という、ケープコッド、セーラムから綴った文学史は、けしてそれだけじゃないのだろうけど、いままで漠然としていたものにひとつのフレームはついたような気がする。

理想の高い清教徒が、潔癖症故に他者を排除する。エルサレムの後半から取ったセーラムという街は、後に魔女狩りの舞台となる。

ハーマン・メルヴィルの『白鯨』は(僕は未だに、Moby Dick といえば Led Zepp のボンゾのドラムソロ曲のイメージしかない)日本近海でのマッコウクジラ捕鯨を舞台にしている。この作品が出版されたのはペリーの黒船が来る2年前。
今の歴史の教科書では、ペリーの来日目的のひとつが捕鯨(鯨油を取るための重要国策)だったことが書かれているが、こんなとこで繋がっている。

白鯨と内容のかぶる、エドガー・アラン・ポーの長編小説『アーサー・ゴードン・ピムの物語』では、捕鯨船員同士、飢えを凌ぐための人肉食まで描かれている、ようだ。

血の気の多いひとたち…

この本は、当時の英語教育 AM ラジオ番組の内容を編纂したものらしい。

そんな、「ど」メインストリームな書籍にも関わらず、不勉強極まりないひとりの常人にとっては、新鮮だ。
というか俺は、一体何を勉強してきたのか? おまえほんまに、大学出てるの?


直球なものが昔から苦手だった自分は、歌謡曲もスポ根も、洋楽でいえばブルース・スプリングスティーンも長いことうけつけなかった。

Springsteen はどうも Born in the USA の拳の刷り込みが強過ぎて、あれは1984年当時の FM ラジオにも問題はあると思うが

だいぶ巡って聴けるようになったけど、それでもまだ遠い。最近なぜかよく目にする We Are The World の収録風景ビデオを観ても、彼だけ異質だしな…

でも、歌を聞けば明らかにあれはベトナム帰還兵のうたで、ストレートな米国愛国曲みたいに捉えてしまう僕はコロっと騙されてるわけだ。”they put a rifle in my hand – Sent me off to a foreign land – To go and kill the yellow man” 以外にもだいぶメッセージを逃しているので、たぶんそのうち、いろいろ掘り出すと思う。

彼のバンドのドラマー Max Weinberg はかなり Charlie Watts に影響を受けていて、確かに Born in… のドラミングも、チャーリーのフレーズがいっぱいだ。それはいつか日記に、ガーディアン記事の訳を綴ったとおり

しかし。音楽って言葉だけじゃないんだよな。やっぱりサウンドの質感とか、コードの響きとかで、伝わるメッセージも変わってくる… 聴く側がどう捉えるかにも…

声の大きな人が昔から苦手で、どうも政治家っぽくて、だが政治家は正しく選ばないと大変なことになってしまう。
それは当人だけではなく、周りも含めたシステムなので。どう関わるかも含めて。


さて、まわり道したが、そんなわけで一冊の本を手に入れた。

パンチ・ブラザーズを聴きながら、かみしめている。

当時10歳の女の子の文集。舞台は1904年のケンタッキー州、人口二千人ほどの街。
特に作家になったわけでない彼女が小学校の作文の時間に書いたものが、その娘によって屋根裏で発見され、出版社に持ち込まれて58年後にベストセラーになった…という嘘みたいな話。


ケンタッキーといえばバーボン。メーカーズマーク。デイヴ・マシューズさんの故郷。少し北にいけばシンシナティ。ブーツィー・コリンズの故郷。彼らはジェームス・ブラウンのバンドに加わる前、シンシナティのアパートでよくジャムしてたらしい。

もちろんファンクだけじゃなくてブルーグラス、ワルツ、ラグタイム、ジグ、ロール… 南部の音楽は深い、そしてアイルランドともフランスとも北部とも違う。のだろう。行ったこともないから、あまり勝手なことは記せない。


ジュレップとはバーボンとミントと砂糖水、クラッシュアイスでできたカクテル。どうもお菓子みたいな響きだが、この本では10歳の女の子が何杯も作っている。近所のミセスに頼まれて。

別の話では、算数を教えてもらおうと先生の自宅を尋ね、どういうわけかその母親にワインを振る舞われてよっぱらう。

厳格なのかテキトーなのかわからなくなる当時、当地のキリスト教会や学校。コミュニティには固さもいい加減さも必要なのだろう。それを、少女は敏感に嗅ぎ取っていたのだろう。案外、多くの子どもたちはそうかもしれない。もちろん、ここ日本でも。

「ジーザスは気にしない、だけど人々は気にする」エチケットや、そういった解釈をすりぬけた農作物の税金逃れや、どの道も女の子は通っちゃダメなら空を飛ぶしかない、とか、学校で万里の長城の話を聴いてローラーコースターを忘れずに持っていこうと思う感覚。宣教師はキリスト教を中国にも布教しようとするけど、中国語もわからないのに… そうなんだよな。

これらの作文が記されたのは120年前だけど、それからはるかに米中の関係がややこしくなって、それでも必要なのは、この女の子のような視点なんじゃ? と思ったり。

これとは他に、先日のようにニジンスキー周辺の(ポーランド、ハンガリー、サンクトペテルブルグに近く、侵略を繰り返されてきたフィンランド…)ロシアの状況も知るにつけ。

戦争を防ぐには、いろいろな方法がある。「政治家でもないのに」「ろくに SNS も使えないのに」できることは限られてるかもしれない。だけど、SNS メディアも頼りにできない気がするから、感じ取れること、読み取れることは、吸収しておきたい。

わすらふ にんげん

キーウ(キエフ)生まれのポーランド人、バレエ・リュスで世界を席捲した天才ダンサー、革命的な振付師、大戦期を心の向こう側で過ごした人、映像の残らぬその跳躍と動き。

ワスラフ・ニジンスキーについて、これまで何も知らなかった。
父が書棚に遺していった河合隼雄の著書。数年かけて読んだり挫折したり。
今年ようやく読んだ自伝の後半に気になるエピソードがある。
それが「ニジンスキー夫人」ロモラとのやりとりだ。

ハンガリーの貴族だった彼女はマルチリンガル、とにかく外向的。
ダンサーのひとりとしてバレエ・リュスに潜り込み、憧れのニジンスキーを射止める。
それも、ワスラフの(公私共の)パートナー、バレエ・リュスの総帥ディアギレフが
船旅を恐れて乗らなかった、米大陸行きの船の中で、だ。

なんという凄腕の…

だが彼女はそのことを生涯、密かに悔やむ。
そして河合氏にあるときそっと耳うつ。

運命は誰にもわからない。
ものごとの因果応報もわからぬものだ。

ニジンスキーはどうして、心の向こう側に行ってしまったのか。

当時最高の心理学者たちにも、ついにわからなかった。


こんなわけで、僕はかなり斜めからワスラフ・ニジンスキーのことを知った。

The Rite of Spring (春の祭典)で、彼はストラビンスキー、リョーリフと共に舞台芸術に革命を起こす。
知識としての音楽理論に乏しい彼は、感覚と、団員を直に使ったデザインで - ダンサーたちにとっては過酷極まりない制作期間を経て(それを界隈では「プロ」というだろう)、奇想天外な踊りをつくりあげた。

かしげた首、変拍子のストンプ、DJ プレイのように繰り返される不思議な旋回。衣装。表情。生贄と運命。なんという。

パリをロシアが揺さぶった日。

そしてロモラとの出逢い、ディアギレフとの決裂。

5年半後、ニジンスキーはスイスで「神との結婚」「戦争」と形容した舞踏パフォーマンスを行う。

その場にいたすべての人間にショックを与えたのち、その心は向こう側にわたってしまう。

“Schizophrenia” の名付け親であるブロイラーをはじめ、ビンスワンガー、フロイト、ユングといった精神分析の巨人たちも彼を連れ戻すことはできなかった。

その後31年、彼は生きた。
人生の半分を天才として愛され、崇められ、おそれられ、半分を所謂「統合失調症」患者として。
ドイツからロシア占領下に移ったハンガリーで兵士に発見され、なぜ故国の英雄が、と驚かれた彼は、穏やかにロシア語で話したそうだ。

二人好き。本来は、にんげんがすきでしょうがないひとだったのだろうか。


ある年齢をこえると
大人は急速にダジャレに惹かれていく

これを人間は
「連合弛緩」の予防や対策として用いているのじゃないかと僕は思う。
連合弛緩とは、言葉の連想を無視した(かのように思われる)発想の飛躍。
いわゆる統合失調症のひとつとされる。いや、さっきネットで知った言葉だ。

ことばの連想は、事象の地平面に落ちようとする大人の生存本能なのだ。

あまり深みにはまらないように、ここからは軽く綴る。

芸術と精神異常はかみひとえである、とよくいわれる。

生涯、そのエッジを「ギリギリセーフ」として乗り切った人は幸せであろうが
そうなれなかった人が、歴史上には大勢いる。
そして「歴史」という恣意的な物語にならなかった人は、数えきれないのだ。

残念なことかもしれないが、アートに携わるもの、志すものは
いや、アーキテクチャーでもアグリカルチャーでも、何かを成したい人は
長い目で、精神を保つことに注意しておいた方がよいだろう。

危険なものは危険な香りがするものである。

Sonic Youth の Sister というアルバムに惹かれ、毎日聴いていたころ、
その一曲目のタイトルの意味がよくわかっていなかった。
いわんや、歌詞の内容である。

よくわからず、なんとなくかっこいいと思っているころは甘っちょろいのである。
それができるのが、若さともいえる。

だが、その重みは、いやというほどわかってくる。
だから、やはり、気づいたときには記しておきたい。

それが21世紀のダジャレ男、のなんとかなのだ。

catch a star

逢魔時を超えて西に向かうと

いつになく大きな星が黄色く照っている。

こんなデカいのあったっけ、惑星の位置はいつまで経ってもわからないが

超新星か、超新星って赤い星だけじゃなかったか、

それとも大きく見えるのはメガネのせいか?

いろんなことを考えるが、その星(どうやら木星か金星)は全くもって

自信満々に空にいる。薄曇りの空、夕方は豪雨の兆しもあったのに。

星、一匹。天を我が物に。


ふと思う。あの星、お金にならないのかな。

何かが欲しい時、何かをしたいとき、「あの星で払います」と言ったら

相手も星を見て、「おっしゃ」と星を受け取る。

取引成立である。

あるいは、この靴の値はあのスピカな、この曲はアンドロメダな、と言い値をつける。

これなら紙幣も硬貨も、カードもポイントもアプリも要らない。

星は誰も所有できないし、だけど我が物にする気になれる。

経済なんてこれでいいんじゃないか。

貧富の差は心と視力でしかない。

そしてこの「新しい経済活動」とかのためには、何より空気が綺麗でなければならない。

すると、だ。

環境問題も経済も戦争も、これからの人類の健康も、すべて解決するだろう。


そんな出鱈目、ありえない。だが半分マジで、そんなことを思う。

色んなことはでたらめからだろ、違いはダンディかどうかだろ?

つりあい

この一週間そして週末は瞬く間に過ぎてしまったのですけれど

彼はもうそこにはいなくなって

花のように姿を表し

…未だに YMO の “Nice Age” のこのくだりの不思議さが解けない

Paul McCartney が成田で逮捕されたあたりのジャーナルらしいのだけど

この一週間は、何やら忙しかった。
今までと反対方向に、何度か足をのばした。

その結果知ることになった素敵な場所もさることながら

出会ったこの本に感謝したい。


志村寿一 著
ヴァイオリン演奏のための
身体と音楽との調和

アレクサンダー・テクニークに基づき
より深く具体的に、音楽、弦楽器について綴られている。

とっつきにくいかもしれないが、僕にはどストライクで
ずっと疑問に思ってきたことが、これを読んだおかげでほどけてきた。

こと「稽古」「練習」ということに関して、
どうアプローチしたらいいのか、
何度も失敗することについてどう向かうのか、
音色やパルスに対して
どう感じ、考え、捉え、身体を使うのか。

甲野善紀さんや陽紀さんの教えとも近いかもしれない。

表紙の左上 “basics” が語るように、
これはごく基本的なことなのだろう。ヴァイオリンの道をいく人には。

だが僕はなにか、これからに希望が持てるかも? という
– それはもちろん、ベースや発声、そして +α に –
少なくないヒントをもらったのだ。

ガラスのジゼル


ベアトリーチェ・アレマーニャさんの描いた「ガラスのジゼル」

5.14に絵本の店キルヤで行ったライヴでは、この絵本を二部で演りました。

今日はこの本について記し…ますが、背景としてもう一つの本に触れねばなりません。

キルヤさんでライヴするにあたって、僕はこのお店の棚の最上段に鎮座しているひとつの絵本がどうにも気になっていました。


「カール・イブー」

存在感ありすぎの帽子と髭。それと対極にあるような「・・」の目。
カナリアイエローってこれなんだぜ、と誇らしげな小鳥。

以前(数年前)、キルヤ店主ののりこさんとの会話

「これって売り物じゃないですよね」
「はい」

小心者の僕はそれ以上なにも聞けなかったのですが、
今回勇気を出して読ませてもらって、おぉ! と心持ちが変わりました。

「すべてが嫌いな男」であるカール・イブー。
これ以上の内容には触れませんが、そうくるか、と。

ライヴをやるかで逡巡していた僕の、肩を押してくれたのがこの作品です。

さて、ではこの作者さん、他にどんな作品をかいているんだろう、と発見したのがこの「ガラスのジゼル」です。
といってももうとっくに廃刊され、日本版の出版社 も15年前に倒産しています。

それでも、何かただならないものを感じ、古本を探し出すが早いか、イベント名を
「ガラスと木箱とことばたち – くうそうの音楽会 -」にしました。
この名前をのりこさんが大変気に入ってくれたことから、ライヴが形になっていくのです。

出版社の名前は「編集工房くう」
絵本のシリーズ名は「くうの絵本箱」

これもひっかかりました。なにしろ
(…それはまたの機会に)

さておき、絵本そのものに戻ります。

この日本語版は2005/1/1に発行されました。読んでみるとすぐ、隙き紙やコラージュを駆使したそのページの美しさに圧倒され、途中の展開にも驚くのですが、最後に「あれ?」ということになります。

こんな終わり方…?

敢えて記しませんが、当時もいろいろな反応があったようです。

で、僕は今回、これは外国語版にあたってみようと、いろいろ調べました。

ライヴでもう一つ取り上げた “Where the Sidewalk Ends” を英語版から訳したように
英語の絵本って、訳するのが楽しいのです。日本語訳をした人がどう捉えたかも、追体験できる。
(フランス語やイタリア語は、翻訳サイトの力を借りないと理解できません)

海外の YouTube には、「絵本の読み聞かせチャンネル」があるんですね。これがとても参考になりました。

すると! なんと英語版 “Child of Glass” やフランス語原版 “Gisèle de Verre”、イタリア語版 “La Bambina di Vetro” では、結末が全然違っていたのです。少なくとも、現在出版されているものでは。

ということは、日本語版では敢えて訳を変えたか、間違えたか、最近の改訂(2019らしい)で内容が変わったか。
こだわりの強い「編集工房くう」さんが間違ったとは考え難いです。

ベアトリーチェさん本人の気が変わったのかな…
ここはまだわかりません。知ってる方、おられたら教えて欲しいです。
というか、ご本人に訊いてみようか、勇気を出して。


さて、そんなわけで今回のライヴで、この本を僕のベース音楽と共に実演しました。

我ながら、面白いものになったと思います。とてもいい反応がもらえました。

「ガラス」を表現する一環として、譜面台をアクリル版で工作し、絵本を置いています。
これをめくりながらできれば、もっとよかったんだけど…

読んだ内容は、声にするときのテンポもあり、途中からところどころ言い回しを変えました。

そして結末については、今出ている英仏伊版を踏襲しました。より「レジリエント」になっています。

それにしても、「ガラスの子は、頭に浮かべたことがすべてガラスの頭部に映し出され、誰からも思いを隠すことができない」というのは、2005年当時よりも今になって、さらにリアルな状況になっていると思います。

誰もがスマホ越しに人の情報を集め、端末のこちらとあちら側にある二つのガラスを通してコミュニケーションする世界。

「安全に、すべてが覗ける」と錯覚している人類。

何も隠せない、あるいはすべてを自発的に宝箱に書き込む人たち。それはすべての人に筒抜けになり、ビッグデータとしてサーバーに吸われ、AIに活用されていく。

誰もがガラスのジゼルなのです。

24/7の監視社会にあって、自分を保つことってむずかしい。
たとえ割れないにしても、一度もヒビの入ったことのない人って、いるのかな?

これから僕たちは、どうやって生きていくでしょう。

ひとりひとりが、システムを作り操っている側が、共に考えていくべきこと。
考えてもわからない、それでも、心にとめておくこと。

ガラスとアクリルとサイドウォーク

5.14 Sunday 母の日

絵本の店キルヤ 14周年企画
ガラスと木箱とことばたち
〜くうそうの音楽会〜
近藤零 ベースひきがたり

お越しくださった皆様、ありがとうございました。
場所そのものが ガラスと木箱とことばたち、のキルヤで
たっぷり演らせてもらいました。

これは準備中
ふたつの木箱と ガラスならぬアクリル譜面台…DIYなり

このあと本番は
ビデオをスタートさせたつもりが写真モードになっており
撮れていませんでした。
いつもこう…まぼろしです

それはさておき

キルヤはとても居心地良く
皆さんを見ているのも楽しく
はじめての17曲(篇)含む2ステージ
合計でいえば27篇
楽しませてもらいました。
Thank you !!

セットリスト

1st
宝石~硝子のない世界~トランスフォーム~ちいさいきこえないおと
Little Italy (Stephen Bishop)
ラピスラズリ3
みつかったぞ
Alba
満たされるつばめになってくれ。
– 換気と小休憩 –
シナモンニッキロール
Where The Sidewalk Ends (Shel Silverstein)
矢印 (onoroff)
つぐみ
あかりをつけたら
~ encore いただいたので
Fish Dancin’ (種ともこ)

2nd
Man in a Shed (Nick Drake)
るびーどろぼう (insp. by Thelonious Monk)
アクリル
Yesterday Morning
ガラスのジゼル (Beatrice Alemagna)
– 換気と小休憩 –
Martha My Dear (Beatles)
No Difference (Shel Silverstein)
Loft & Found
あなたにとどけよう (矢野誠)
Atto In Ma Ni
~ encore いただいたので
でたらめ恐竜シルエット
Quick & Slow

今回は好きなカバー曲も多めに、オリジナル、詩、そしてベアトリーチェ・アレマーニャとシェル・シルヴァスタインと絵本と詩集を、僕のベースと声で表現しました。

シルヴァスタインは「おおきな木」や「ビッグ・オーを探して」の作者としても有名ですよね。
この “Where the Sidewalk Ends” (邦題: 歩道の終るところ)は最近まで知らなかったのですが、日本人にはちょっと刺激が強い? なイラストや展開もありつつ、すごく触発してくれる詩がいっぱいの、絵本〜詩集です。
今回は表題詩ともうひとつを取り上げました。

なんで英語版を買ったかというと、英語教師のお兄さんのお薦めもあったのですが
Sidewalk、という言葉が、いつからかすごく気になっていて

Alan Hampton のアルバムタイトル Moving Sidewalk とか(彼は風貌もどことなく Silverstein 似)、今日カバーした S. Bishop の Little Italy の一節とか、まぁ作品それぞれは1970年代、2010年代、とバラバラですが。
このキルヤも含め、多くの店や会場は、「歩道」に沿ってるわけで。

“side” っていうことはメインは車道なのだけど、それも今後、人類的にずっとそうなのか? とか
昔からかねがね綴ってますが「アスファルトってなんだろう?」 とか。

「子どもたちは知っている、そして矢印をつける」

そう。でも子どもたちだけじゃなくて、大人も子どもも動植物も、想像力の連鎖、ですよね。

アスファルトも走る。人も走る。自然もやみくろも電子も。

ベアトリーチェ「ガラスのジゼル」や、その他の曲についてはまた書きたいと思います。

 

re membrance

矢野誠 ミライノキオク レコ発第一弾
南青山 MANDALA 2023.4.25

いい緊張感と初心と懐かしさ。
矢野さんたち、オーディエンスと感じてステージに立てるのが、何より幸せだ。

音を思うように操れたことも、そうは問屋がおろさなかった瞬間もある。だがそれも含めて、いいライヴだった。

なかなかの大所帯であるし、自分の物理的な状況もあるので、
今後どういう形で、どれだけの頻度でできるかは未知数でもあるが、またぜひご一緒したい。

矢野さんとできることは、まだまだある筈だし、
教えて欲しいこと、体感したいことは、たくさんあるのだから。

photo by 鈴木多加志

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