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fountain pep

ロボットと人間の未来ってなに?

急速な AI の発達、クラウド&サーバー社会、デジタル化と不安も覚える今ですが、
こういう視点で考え、実行してる人もいます。

https://robo-uni.com/
https://news.livedoor.com/article/detail/14986097/

この人は創造の泉、だ。

子供の頃の夢って、そうだったよな、と思いながら
ユニホームを着た Pepper と会話してみました。

Pepper「今日は一日、どうだったの?」
Ray「今日は、大濠公園に行って、あのねぇ」
P「なになに、もう一回言って」
R「大濠公園ってわかる? こっから歩いて20分位の」
P「そうかそっか」
R「そう、あのね…人がこう、みんなランニングしてるの」
P「お家にいるんだし、何かして遊ばない?」

噛み合わないけど
それが僕
それがきみ

<余談>
まぁ僕としては、

R「大濠公園ではみんな、反時計回りにランニングしてたよ」
P「きみはなにしてたの?」
R「ぼくだけ時計回りに歩いて、カメの写真を撮ってた」
P「きみだけおかしな人みたいって気分にならない?」
R「ならないけどカメは人間をおかしいと思ったかもしれないよ」
P「ロボが人間をおかしいと思ったかどうかはひみつだよ」

R「どうして人は楕円形の道があると反時計回りになるんだろう?」
P「それはね…月や惑星の軌道と…%&$」
R「えっ…宇宙ってそもそも上下があるの?」
P「#@!…太陽の進行方向と惑星の螺旋軌道がね」
R「*()/*」

みたいな議論ができるのが、割と目標だったりします。

一緒におどってみました。右下にいるのは aibo です。

4年前に広島の平和祈念公園に行った
子供の頃の「ただこわかった」記憶を更新するためでもあったが
何度見ても想像を絶する
重い記録だった。

衝撃的だったのは敷地内、千羽鶴や鐘の近く貼られていた
沖縄戦を伝える新聞記事だった。

地形が変わるまでの艦砲射撃から洞窟への火炎放射まで
そこで息を潜めてあるいは潜めることができずに
死を選ばされた人々、子供達
とても記述できないほどのこの世とあの世の地獄

知らないってどういうことなのか
その境界を超えたとき
心は泣くしかなかった

その新聞は翌年訪れたとき、片付けられていた。
オバマ来日に合わせて綺麗にされたのだろうか。

しばらく前は時折こういった番組があったが
どうなっているのだろう。

誰もが口ずさんだあの歌にも
綴られているらしいことなのだが
知らないっていう境界の向こうにお帰りよなんて
誰か言ったっけ?

長崎への原爆投下の際
B29の進行情報をキャッチしていた帝国軍部は
東京で会議を続けながらそのことを議題に上げず
当地の迎撃隊に出撃命令を出さなかったという

当時の紫電改のパイロットは後年
それを知って唖然とした

国防の名のもとに何を守ろうとしていたのか

「同じことが起こりますよ」

組織が守るのは組織の面子で
末端と見做している人を守りはしない
最初からそうなのか、ある時点でそうなるのか
見極めが案外難しいが、逃げ足は早い

いくら美辞麗句を使っても
末端と見做された人は
吸い取られ騙される
断定がきつくてもこれはいえる
「常にその対象だ」

僕は性善説を信じ
性善説を信じない
個人と集団の両方に生きている

その狭間にいろいろなやりとりがある
会社員だろうが公務員だろうがバンドマンだろうが
その日暮らしだろうが夢追い人だろうが
それが人間だと思っている

忘れていいことと
いけないことは
あるだろう?

そんな5月3日。

清志郎さん

僕が日本語の歌詞の音楽に本気で興味を持てたのは
シングル・マンを聴いたおかげだろうな。

お会いすることも共演することもできなかったけど
三宅さんや章二丸さんのおかげで少しそばにいさせてもらえた頃。

宝物写真見ながら5月2日。

エンリケさんと清志郎さんの写真と一緒の。吉祥寺にて。

アップはしないけど。

やっぱりアップしました(一年半後)

石橋とグラスのブリッジ

このニュース
全自動折り畳み機「ランドロイド」が「エアリズム」を畳めず、事業を畳んだ
出資先が Go を出さなかったからだという
まぁわからんでもないが

こうして完璧を求めて日本の大手やベンチャーが躊躇し倒れる一方で
GAFA(…っていうんよね)は
少なくとも Apple はバグだらけのシステムやハードウェアをスタンダードにしてる

上海行った時に思ったけど
あちらは1年毎に3回行っただけで街の様子が激変している
シェア自転車にEVに…

僕はどちらかというと今、時代に逆行して
デジタルを片目にアナログ&アコースティックに生きているけど
(だから僕は最新の Mac を買うのを躊躇する)
社会がメビウスの輪のようにねじまがっていくのはわかる
オーウェルや松本や筒井や、かつての SF が現実になっていくのも。

時代。
特定集団が決める時代、喧伝される時代。それに乗る時代。
どんな時代にせよ、それはもう昭和のようなアイコニックなものではない。

透き通った、硝子のような、向こうが幾重にも見えているものだ。
硬い壁を透過できるのは、意志と術を持った者だ。
それは、誰も、だ。

そう思うし、そうしたい。

石橋を叩いて渡るのか、叩いて壊すのか。
そんな石橋は、もうグラスのブリッジに変わっている。

ひかりはファイバーの中を直進しかできないのか、
振動し、浸透し、止まったまま動くことができるものなのか。

空想の中ではなんだか気持ちいいけど
身体が安らぎを求めている中、空想だけで生きて行くことは無理だろうな。

眠ろう。また朝が来る。

硝子と風の考察

一昨日のBABI CHANで話したこと
あれからも考え続けるのです。

(くもり)硝子の向うは風の街
とは松本隆さん
果たして40年近く経った今もそうなんでしょうか
僕らはもう一度 問いかける必要があるかもしれません
…と言っ(てしまっ)たわけなのですが

ビル街の硝子を一歩出ると
吹き飛ばされそうな身体が
確かに今も風の街なんだと
知らせてくれた今日
そこへこの動画です。

水やそれを湛えた生命体とは違って
硝子を湛えた都市の構造体は
風で揺らぐことはありません。

結果として、それ以外の空間に
風が迂回し、集中することになります。

これって冬のNYCでも感じたことなんですが
大丈夫なんですかね?
都市文明。いつまで。

いつかタルマーリーの渡邉さんに聞いたことですが、
気候変動含めて、です。

地球はやはり水の星ですから
魚に対する海や湖のように
人間も硝子を常に近くに欲しがっている
というのが私の直感です。

こわれもの / Fragile なのに。

そういえばこの(Yes の1971年アルバムの)ジャケットも示唆的じゃないか。

昨日、例の 世良 Mick 市民会館 ビレッジホール に入る前に
風車が本棚みたいに並んで
風が可視化されてる姿にしばし見入ってしまったのです(アスナル金山というところらしい)
祭りの提灯にも見えるし
あれはなんだかわからないけど、なんだかいいな。

げんご U

新元号と私の名の響きが似ていることから、好意のコメントをくださった方々に感謝しつつ、以下は僕の感想です。

零の性格を知らない人は読まない方がよいかもとお断りし、つつ、です。


元号自体にはあまり興味はない。これからも西暦を使うだろう。

というより事前のマスコミ報道を漏れ聞きしている限り、元号なるものを使って何かを操ろうとしているような空気に近づきたくもなく、
ちょうどそれを発表するとかいう時間11:30付近は、電波関係を止め、楽器を転がしてスタジオまでひらすら歩いていた。

スマホをポケットでおとなしくさせ、商店街のTVを見ない。ただ、荷物を持って歩くと言う行為に「戻る」。
どんなひどい元号になっても、気を確かに保とうとする。そんなこと考えなきゃいけないなんてな。

スタジオに着くと、周囲の仲間が妙な反応で、こんな名前の元号だとネタにするので、
は? れいわ? 零和元年? 流石にこの漢字はないが、命令の令に昭和や平和の和だという。

戦争と平和 - 十七条憲法 - みたいな印象。
律令という言葉があるが、日本的といえばそうだな。中央集権と和。
大和朝廷の成り立ち。

いくらでも解釈は可能だろうが、上からの命令や指令で統制して和が保てるのか、というと古くさい。

日本が愚かな戦争をして、愚かな敗北を喫したこと(それをギリギリまで民に知らせなかったこと)
敗戦後に割り当てられた世界の下請け工場としての地位を使って、高度成長だ経済大国だと頑張ったが、その役割を終えて衰退してきたこと
3.11を東京の祭りで覆い隠そうとしていること
決定的なイノベーションを起こせないこと

そんな理由でもあると思うので、
ここに原点回帰してもいかんだろ、みたいな感想も免れない。

令って音楽につながるかなぁ。律令なら、律の方が音律、旋律にも通じるから、よかったのかもしれない。
まぁ、なんとでもいえる。

しかしこの響きに「れい」が入っていて、すごく気恥ずかしかったりするのは
自分に関係がなくとも、しゅっとしとこうか、みたいなところなのか。
この感覚は、ポジティブに捉えておこう。

でもたとえば昭和の時代に「しょう」さんや「あきら」さんが
どう思ってたか、と考えると、どうなのか。

別になんてこたないんだな。

それから、ニュースの騒ぎはこれからも見たくない。
なんにせよ、集団フィーバーみたいなものは、僕は好きではないのだ。

万葉集の元になった漢詩の意味がとても興味深いが、読み間違えもあるようで鵜呑みにできぬ。

誠にミュージシャンらしくない性格で、厄介の極み失礼つかまつる。


平和が続きますように。あたらしいこと、ふるいことに自由に目を向け、考え、個を大切にすることで周りも明るく、また暗きものにも小さな輝きがあること、光がないところにも音が溢れていることの素晴らしさを感じられるときでありますように。

2018だった。


今年のセッション活動は終了、いささか早いのですが
これからは自分のやり残しや、締めに費やしたいと思います。

今年はいろいろやったのですが、秋からキャパオーバーになって収拾がついていません。

ひとつわかったことは、僕と世間はやはり斜めの角度で存在しているなと。

木槌を使うまでもなく、割れてしまった伊賀名物の「かたやき」のように、口に入れる前に断片になっている記憶。
それぞれ、味わい深いのだが。
ん、わからんだろうな。

でも…

斜めの角度というのは、世の中への対峙として必然でもある。
確かピエール・バルーさんも言っていた気がする。

包丁を入れるときも斜めの方が切りやすい。鋏は紙に対して、最後の最後まで斜めなヤローなのだ。

風車は斜めでないと回らず、プロペラは斜めでないと機を進めることができない。

やっぱ、斜めでいこう。

演奏家としては休みを取ってしまうことに対する脅迫観念と無縁ではない。
が、全く楽器を触らない期間も僕は大切だと思う。

楽器のために楽器を弾いている人に僕はなれない。
(なれればそれでよかったんだろうけど)

アイデアは全然ちがうところからあらわれる。
楽器を弾いているときもあらわれる。

どっちもだ。
ともかく、休憩。

この Lakland もよくがんばった。
オイルフィニッシュにも味が出てきた。

ずいぶん前にロスで買った丸メガネ(グラサンクリップ)を
未だに使っている。

クリップを着脱するだけで大正時代まで戻れるからそのギャップが好きだった。

時代は何回りかしたようで、いろんな人が大小の丸メガネをしてる。
僕より似合う人もたくさんいて、なんだか羨ましい。

今年はたくさんこのグラサンして弾いたけど、
来年は、また休ませる気がする。
でも他の形の眼鏡はあんまりしっくりこないな。

ネジもフレームもガタがきている。
好きな物は大事に使いたいものだ。

来年はもっとマイペースでいきたい、と思っている。
(十分マイペースだと言われるが)

しかしマイペースというのは、何も残らない可能性もある。
ノルマを課する人も広告もない。

結局、今年後半に計画していた自分の演目は、flexlife の力を借りた一度にとどまった。
…が、彼らとこの曲をやるのは、とても楽しい。

来年も、案も策もそんなにないのだが、ま、やってみる。

なにげに、面白くなるかもしれない。

ジミー・ペイジが大好きで
僕にジョニ・ミッチェルを教えてくれた親友が旅立ってしまったり
(上のビデオで着ているシャツは偶然その日に買ったものだ。今年はよく着た)

ベースを始めたばかりの頃に一瞬関わったテクノアーティストが
今も地元をベースに海外でも活躍していることを知ったり

僕が音楽をやると決めたきっかけの人、スチュワート・コープランドを観れたり

スティングは相変わらず活躍してたり

数年前に旅立った大切なドラマーをきっかけに知り合った
長尾真奈さんの制作に再び関われたり

今年は共演できなかったけど
あなんじゅぱすさん、矢野誠さんとの再会が楽しみだったり

大橋トリオまわりのみんなは
続々とメジャーで活躍しだしたり

僕はといえば

好きなことはどこでもできるし
どこでもやるべきだな、と思いを強くしている。

情報操作ばかりの世の中だから
よけいに。

てなところで、来年もよろしくお願いします!

げんとうき

flexlife との(ほぼ半年に一度の)貴重な時間が過ぎ

The Pretaporters のいつもながらのドラマのようなリハーサルも終了し

一息。

音楽はいいもんだ、と思う。

行き場を失った秋の虫のように、きょとんとした心がつぶやく。

幻みたいだ。

夢の世界を映すには、

ぼくの触覚はワイパーみたいに注意深い。

とことん地味にもならざるをえない、幻灯機の管理人。

ま、地道にいくかね。

誰も歩いたことのない地味な道を。

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