カテゴリー: book

まぼろし

先日から読み直して(27年ぶりに)いる本 “Musicians in Tune” 「素顔のミュージシャン」であるが
大変なボリュームがあるので少しずつしか進めない。

とてもいいことが沢山記されている。ミュージシャンを志す人ばかりではなく
続けている人、途中でやめた人、リスナーとして楽しむ人、初心に帰りたい人
いろんな人に、それぞれの刺激があると思う。やはりお薦めです。

先日書いた Genesis の “Land of Confusion” についても、Mike Rutherford の作詞観がしっかりインタビューされてあった。
やはり、昔読んだときはいろいろ、理解を超えていた事が多い。当時は歌詞についても理解が浅はかだったが、無論人生としても経験が殆どなく、ただ「(音楽による)ピーク体験って、すげぇな、なんとなく、わかる気がする」みたいなところだった。

やはり Keith Richards の名セリフが随所に光っている。Anthony Kiedis もいい事いっぱい言ってるね。

実際に社会的、政治的影響力も持っていたロックスター達が、どう権力や社会的影響を捉えていたか。という参考にもなる。


僕自身の曲であるが、今朝起きたら曲が浮かんでいたので、しかと捉えることができた。
満月のうただ。九月の。

歌詞も一気に書き上げて、楽器と唄全部録音してしまった。人生最速。
ミックス、マスターがどこまでできるかわからないが、これを「るいをよもう」のかわりに9/2にリリースしたい、と思っている。

ジャケットをどうするかという問題はあるが。
まぁなんとかなるっしょ。

sugao no mousou

昔買ったジェニー・ボイドの「素顔のミュージシャン」をふと読み返す。

とても影響を受けた本で、初版頑張って読んだのだが、今回は前書きを読みずっしりとしている。本編にはまだ入れない。

ジェニーさんというのは、ケニアで幼少時代を過ごし、60年代に活躍した美貌のイギリス人モデルであり、ロック界きってのドラマー達の奥さんでもあり、早くからインドの瞑想に傾倒した人であり…

ドノヴァンの「Jennifer Juniper」で唄われたひとであり。ジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンが奪い合った「レイラ」= パティ・ボイドの妹でもある。

それはさておき、音楽家が何にインスピレーションを受けて創作を行なっているか、どんな葛藤があるか、などを75人のミュージシャンにインタビューしたレポートで、彼女が心理学者を志したときの大学の論文として作成されたものだ。そのためか、話があっちゃこっちゃに飛んで、といった感はあるが。

昔はなんだか、それを読んで盛り上がっていて、親しい人にもよく薦めていた気がする。
とはいえその人たちから感想をもらった記憶はなく、たぶん誰も読んでいないのだろう。

最近、久しぶりに Fleetwood Mac の70年代の曲を聴いていて(有名どころばかりだが)、なんでスティービー・ニックスの唄はこんなに素敵なんだろなとか、リンジー・バッキンガムって、いけすかないぽいっけど、案外哀愁があるのかな、とか、どう考えても哀愁やんけとか、フリートウッド・マックってドラマーとベーシストの両名ユニットだからフロントはなんだっていいんだな、とか。

その背景を知りたいと思うとジェニーの存在が出てきたわけ。すっかり忘れていた。

いつか僕もこんな本を書きたいなぁ、とか思っていたっけ。しかし僕にはそこまで沢山の音楽仲間がいるわけではなく、そもそもあまり人とつるまない。結局自分とごく数人の周りの人のレポートになるか、半フィクションの小冊子になる気がする。

また、ホラを吹きました。

折り返しの織姫

今年も折り返した。

7.1 がそうなんだろうけど、7.7 ってことにする。

2年前か3年前か、river silver [side a] を出した。
river silver = 銀河
なのでそうした。7.7がゾロ目ってだけじゃなくて、後からいいこじつけがみつかったわけだ。

何を隠そう、そのアルバムは今絶賛廃盤中だ。[side b]  合わせて、合計16曲。
中には我ながら、「めいさく」もいくつかある。
grace behind the wordみつかったぞホタル や。
[side b] には double time runes がある。

CD やアナログと違って小回りのきく配信リリースとはいえ、はっきり書くが、ぜんっぜん採算に合わないのだ。儲かるどころの話じゃないって話。

こんなんじゃ、ゲストミュージシャンやイラストレーターに頼むなんて無理の無理。ちゃんとギャラ払いたいからね。レーベルオーナーとして。いや、人として。

配信ってなんなんだろう、とは常に思う。Apple はじめ、彼らのやりかたって、かなり疑問も感じてる。「1984」じゃない、って IBM を打ち砕くイメージで登場した Mac、実はビッグブラザーでしょ?
と、僕は Mac に向かって入力してる。その先は巨大サーバー。ビッグブラザーじゃん。

いろんな人巻き込んで、お金かけて、宣伝して、しまくって、広がって、元が取れる。
それは一つの有効なやり方だろう。資本主義。まだ王道なのかもしれない。この世の会員。

それができるのは、まず才能のある人だと思う。それは素晴らしいことだ。
音楽の才能。マーケティングの才能。人間としての魅力。言うまでもないので言わない。みんなわかってますよね。

なら、僕みたいに少なくとも、自分の得意なこと、より、自分のやりたいこと、を優先する人(≒偏屈な人)にとってはどうすればよいのだろう。

むずいね、無理だね、あきらめな、絶望だね、そんなことないね、どうでもいいね、最高だな、やばいな、ほなほんでええやんけ。いやいや、無意味なことなんてこの世にないやろ。

まぁそんな感じだ。あらゆる葛藤を360度 x 3600回超えて、僕も誰かも、こうやってオンラインリリースをしてる。「いいね」ごときでカウントできないっしょ。

それに比べたらアーティストイメージなんて関係ないし、ほんと、どうでもいいのだ。それに、やがて、人は灰になるし、チリになる。肺が使えなくもなる。

サーバーにデータすら残らない。何万字になっても数KB。解像度が高くても最適化すれば誤消去。諸行無常。

さて、全く重要じゃない前置きは終わり。

ともあれ、river silver は僕の(ほぼ)代表作でもある。Voice of Marble と別の意味で、問題大アリのかけがえの少ない作品集だ。

これは、改めてリリースしたい。できれば一年単位でなく、死後だって残したいものだ。

…間に合わなかった。いや、生きてるが。7.7 に。

数曲、リメイクしたいと思ったんだけど、この状況じゃなー。

だが、必ず、今年中には再リリースしたい、と思っています。


なんでこんな前振りが必要だったんだろう。

7.7 ということでこれは外せなかったのだ。あの前夜は赤い靴のライヴを 7th floor でしていて、仲間も沢山いた。

その同じ時、西日本では集中豪雨だった。

同じような状況だ。思い出さずにはいられない。

どうかご無事で、九州の方々。


同じような状況 ー もっと悪くなってないだろうか。香港、東京。アメリカ。目で確かめることも、容易ではない。そうなるとメディアを介したものしか、「社会」として認識できない。

これはもともとそうだったか。「社会」は最初教科書で、次に新聞やテレビで、それからもずっとそうで、町内会や自治会や、業界や、が入ってくるとしても、SNS やスマホで、でまたメディアになってしまう。

そうなると、リアルとメディアの関係は、永遠に。


折り返し。

また今年も何か、無茶なことをしよう、と思ってはじめた

moon x moon

完全に自己満足が発端なのだけど、ギリ続いている。

あと11曲の予定。

僕は昔から、曲の断片は溜めてきたから、作りかけ含めると1,000曲ぐらいのアイデアはあるのだけど、いかんせん歌詞が書けないのと、歌の才能が全くないので、ほとんど断念してきた。

もともと日本語の歌詞など興味はなく、インストか洋楽しか聴けなかった。
RC の「シングル・マン」を聴いてからだ。詞ってすごい、と思ったのは。

それからも随分経って、ようやく言葉が何処かを通って出るようになってきた。
才能がないなりに、少しは自分の声が出るようにもなってきた。

そんな遠回りをせずに、提供したり、共作したり、フィーチャリングボーカル使えばいいじゃん、って人は思うでしょう。

そんな単純じゃない。

フィーチャリングボーカルなんて、やっていいのは大沢伸一までだと僕は思ってるし。

自分も最高のシンガーとバンドをやったし、ものすごく素晴らしいボーカリストとも、たいがい共演した、それを経ての実感だ。

「うたうひとは、自分の世界を、うたいたい」。その方が輝く。

それに、僕は人を「使う」という感覚に、馴染めない。
プロデューサーっていうのが苦手なのだ。

ある意味対等でありつつ、意思を尊重して何かを見出すってのは、本当に難しいことだ。でもここからしか、長く聴けるマジックは生まれない、と思ってる。これは滅多にないこと。

それでも、僕のヘンテコな歌詞を歌ってくれたり、イメージをわかってくれる人なら、機会があれば共演したいものです。またそれが、人を介して、または独力で、きちんと仕事になるのならば、よいと思う。時間的なことを含めて。

やっぱりアイデアがある以上、人にお願いするにしても、自分である程度わかった上で、と思います。
しかし、わからない部分こそが、重要だったりもする。

難しい。ですよ。

難しいから、ガタガタ言わずに、やるんだ。


moon x moon は、リリース日以外にルールを決めていない、シングルリリースプロジェクトです。

昔から曲のアイデアはあるので、そこに、漸く詞がついたものを形にしたり、ということだったり。
とはいえ、ときには20年も前にアイデアが訪れたものを一度も人に聴かせずに、「新しく」出す、なんて馬鹿な奴も、そんなにいないと思います。そんな要領悪い人、いるの? ていうか詐欺? 案外いっぱいいる?

この24曲 25曲 の中から、残っていく曲も、発展させるのも、1年後にあっさり消し去ってしまうものも、ありそうです。

まぁそれでも、振り返ってみます。どれも、作った時は夢中でやってるから。
最高だと信じて、ね。


僕のリスナーは、少ないです。稀少な金属(レイア・メタル)です、あなたは。

が、はまるとハマるらしく、熱心に聴いてくれたり、するようです。
本当ありがとう!

僕は特にターゲットを決めたりしていないし、そもそも作品に表面的な一貫性はほとんどないので、もっと意外なとこから聴いてくれたりもするのかな、とは思ってます。

自分でもいいな、と思うのと、割と人気が一致するのが
Atto Iu Ma Ni

この曲、構成もうちょっと伸ばしたかったり、最後に歌やソロを加えたかったり、もします。
まずはライヴで育っていく曲、と思ったんだけど、この状況だからね…
後悔としては、タイトルは本来は “a tto iu ma ni” でした。こうできなかったのは、業者の Cap & Low(大文字小文字ルール)制限。”A Tto Iu Ma Ni” だとバランスが悪い。全部小文字にできるハックがあると、だいぶ後に知る。
「くつがえる ときのいわ」というのは「さざれ石」のことです。恐らく。

自分ではとても思い入れがあって、気に入ってたけどリリース後に聴き返せなくなってしまった曲もあって、その中で割と人気があるのが
わらい x きみ

です。これ、曲や詞としてはほんと大切なんだな。ボーカルでかすぎるね。
ジャケットは、京都在住の素晴らしい SSW、隆太くんによるものです。

自分では最高に気に入っていて、リリース後のトラブルもあり殆ど告知もしていないけど、いつの間にかよく聴いてもらえてるのが
Yesterday Morning

最近ようやく、リアルタイム歌詞も表示されるようになったので、きいて、よんでみてください。反省としてはコーラスがデカすぎるのですが、アウトロなんかはとてもご満悦です。
これはライヴでの再現はハナから求めていなくて、アコースティックで全く別物として成立します。だから楽しみでもある。

カーステで聴くとすごくよくて、割と人からも好意見もらえてるのが
Different Town

やっぱ8弦ベースがいいんですよね。
ジャケは、尾道で買ったミニカー。

地味だけど安定して聴かれてるのが
Waltz for July

です。本来は今月にリ・リリースするべきだった曲。待ちきれず1月に出してごめんなさい。やっぱインストゥルメンタルはいいんでしょうね。
ジャケットは、90年代の京都のさる風景です。

それから、よく聴いてもらえて、いいコメントももらえたのが
あかりをつけたら

これは死ぬ前には出さなきゃ(リリース=解放しなきゃ)、と思ってた曲。2バージョンあるけど、こちらがオリジナルアレンジ。とはいえ、ボーカルや、ドラムのマイキングに、今ならもっとこうしたい、というのはありますが。
自分の形はできたので。やや解放できてきた。だろうか。
至って健康ですよ。ただこの時世何があっても、との心境なのです。ジャケは近江大津のお宿です。

ほぼスルーされてる曲もいっぱいありまして、んなもん書くなよってことだけど
So It’ll Be

はもったいないですね。やっぱAメロのレンジが低すぎたのでしょう。歌詞含めて冒険心富んでるのになぁ。
Lou Reed も、磁石の武者、クシャナ殿下も、涙ぐんでる。
この「ペンシルドラム」の味も、捨てがたいのです。これはものすごく簡単なドラムセットで、マイクの前に立ててるポップガードっていう黒い金魚すくいみたいな物体の、ストッキング部分と縁の部分を、鉛筆で叩いたものなのだ。ASMR を先取りしてた。ジャケットは、エフェクトボードの光です。

それから、リリース後にものすごく再生されたと思ったら、いつのまにかその記録がなくなってしまっているのが
rivet

なんだったんだろう? いろんな意味で、重要な作品。好き嫌いはあるでしょうけれど。
タイトルが、右中央に浮かび上がっているのがおわかりでしょうか。

もう一つ、ほぼ完全にスルーされているのが
Black & White River

メロウなのが裏目に出たのか。あと、ジャケットが棺桶みたいで伝わらなかったのか。伝わったからなのかな?
愛しの目黒川。こないだ久しぶりに歩いたら、大橋ジャンクションはツタが絡んでて甲子園のよう。ポリドールの面影もなく。ただ、あの夜無数に星があった氷川橋の路面はそのままでした。

完全に太陽系外なのが
neptune

ま、そういう歌詞、もとい、詩なんだけどね。
中央からや権威から離れて、人間が作った歴史からも、っていう。
この曲のジャケットは4パターンあって、一番、おっと思うのを選んだのですが、
他のは美しすぎた。最後まで迷って、寂しげだけど何か言いたそうなこれにした。
でも全て気に入ってて、それらはまた公開するかもしれません。

そして、とても反応がよいのが
あめがおおきくゆらいだサイン

これは、ほんとになんのことかさっぱりわからないんだけど
なにか、いいんです。

さいごに
よこくの太陽 <feat. 神谷>

洵平くんやってくれましたね。当初かなり聴いてもらえました。
まぁ客観的に、よいのかというと…わからない 笑
以降、順当に、聴かれなくなっていますが。
それからこのジャケは、吉祥寺シアターという所の壁の一部を基にしています。

さて、そんなこんなもありつつ、これからも進むのだ。

七夕に彦星と織姫は会えるのか。

最もポップな、Z-A の運命やいかに。


<おことわり>
* 適宜、この投稿は増改築しています。ものすごく雑に書き始めたけれども、重要なことをたくさん含んでいるので。
* 数え直すと、なんと10月は2回も満月来るんですね。1曲増えたぜ…

月刊

「月刊」ラティーナ が休刊だそうだ。

なんてこった。特につながりもないけど、あの雑誌は僕が昨今、唯一買ってる音楽雑誌。
いつも本当に面白かった。

書店で気軽に手に入るかというとそうでもないので、時間ある時に恵比寿のオフィスを訪れ、
新刊とバックナンバー、ついでに南米の CD を何枚か買って…というここ数年だった。

もっとキャリアができたら? 何か書かせて欲しいなぁと淡い夢をいだいてたのに、
さっさと夢は潰える。

どんな事情かは存じませんが、紙媒体での出版って、やっぱり、大変なんでしょうか?

今からいろんな人がアクション起こせば、続行、なんてことにならないのかな。


僕もだいぶ昔、音楽誌で執筆してたことがあった。
ベース関連の雑誌では、嘗て、かなり書きました。

楽器や CD のレビューから講座から、海外アーティストのインタビューや解説から、
譜面や自作のフレーズや、曲まで制作してた。

いつも締め切りに追われ、また国際電話や滞在先への取材も含めたインタビューにと、その緊張は半端なかったが、なんとかこなしていた。

Marcus Miller とべースを交換してジャムできたり、Richard Bona の話が面白かったり、Michelle Ndegeochello に靴下の色を褒められたり、Phish の Mike Gordon と夢話で盛り上がったり、Jeff Berlin や Brian Bromberg や Alain Caron がとってもいい事をいってくれたり、
Sting には会えなかったけど Police の写真集を撮った Danny と話ができたり
… Mick Karn や Chris Squire にもあいたかったなぁ …

編集部の方も良く変わり、僕も、演奏活動やその他とのバランスが取りにくくなってきて
書かなくなって久しい。

が、書いた(PewerMac G4 のキーボードに打ち込んだ)文字や譜面が
雑誌という形になって読んでもらえる、というのは本当に快感だった。

web や SNS で書くことが、誰にとっても当たり前になった今だけど、
紙媒体での経験をさせてもらった事には本当に感謝している。

できることなら、ミュージシャンと並行してたまに書ければうれしい。

まぁこれも、淡い夢の一つである。


きた仕事をこなす、時間あるときに思いついた音楽を作る、
そのどちらかしかないフリーランスのミュージシャン。

売れっ子ならば前者が圧倒的に大変で、
後者はむしろ、日々の生活が充実しているか、あるいはよほど
浮世離れしていないと、だろう。

どちらも想像できるが、僕はどちらとも違うレイヤーにいる。
ワーカホリックと自由な創作を両立するって、理想でもあるけど
どうやったら実現できるのだろう。

そこで、真逆をやることにする。

ロードマップを作ってしまう。個人でもギリギリ可能なことを、やってみる。
折角、巻き込む人もいないのだから。


僕は人を「使う」という概念がない。

人にお願いすることはあるが、そのへんが、自分が名を成さない理由の一つだとは
薄々気づいている。

演奏に限らず色んな仕事をしてきたけど、何かにしがみついたり、プライドを持つのがどうも苦手だ。
人の反対側や、時に前面に出るのは好きだけど、上には立ちたくない。あまり。
構造の中にいると上意下達に組み込まれてしまう。
社会でも、真面目な人が嘘を言わされてしまったり、そこから枝分かれした人が人を傷つけ倒すのが、見ていて辛いのだ。統合は分断のはじまりなのだ。たぶん。

零でいたい。

それが最終的に、無に帰するのか、どうかはわからない。
無で本望。最終的にだまったあと、どんな姿をしているか。姿がなくなったら。


話が重く - あるいは無重力になったが

そのためには、何か作っていくしかないし、
定期的に何かを出していく、というのは、とてもいい縛りだと思うのだ。

手で触れない音楽配信という形態で何を作れるか。
そうして作っていったものが、追って別の形になるのか、ならないのか。


ロードマップに話を戻す。

流通を通す場合、音楽作品は水曜日リリース、という決まりがある。
オンライン配信には、決まりはない。

僕はゾロ目に妙に 愛着 執着があって
たとえば「1111」をラッキーアイテムだと思っている。
道を歩いたり運転しているとき何かを思いつき
「1111」のナンバープレートが視界に入れば、
それは正しい、と思いこんでいる。

そんなんで、昨年までは配信もゾロ目の日に合わせてきたのだが
今年は 1.11 に「わらい x きみ」を出したあと、ふとある事に気づいた。その日は満月だった。

次に “Waltz for July” を(全然7月じゃないが)再リリース計画したが
ターゲットの 1.25 は新月だった。

ならば。

今年、ある書店で買った卓上カレンダーは、月の満ち欠けが書いてあるのだ。
というか、買うのが遅く、それしか売れ残ってなかったのだ。ならば。

今年一年は、満月と新月に合わせて、何かを配信してみよう。
それが、ほんとの、「月刊」だろ。
カレンダーの月以上に、実際の月と同期する。

新曲、リメイク、試作あるいは発展、
日本語、英語、朗読、インストゥルメンタル、ゆるふわ、シュール、それは決めない。
名義も stillbeat、Ray Kondo、どっちでも。

仕事その他でかなり難しくなる事も、予想できる。
時に人の助けもお願いするかもしれないので、そうなると先方のスケジュールもある。

が、やってみる。
次の配信 は 2.24。明日というか、2時間後です。

よろしくどうぞ。

Ray

Pro のトリック

iMac Pro と Macbook Pro がスペースグレー系になって
どうなんだろうなと思ったら案の定 MacPro はシルバーだった。

Apple、なんだかトリッキーだな

という気がしたのでスペースグレーはスルーした。

確かに、創作物に集中するには、GUI はダークな方がよい。
全部白系だと目が疲れるし、落ち着かない。

だからここ数年の UI のダーク傾向は理解できる。

だけど、ハードウェアも暗くていいかというと、どーなのかな。
世界もグレーだし、僕はただでさえ、逆イタリア人の性格だし。

真っ黒ならコントラストあっていいんだけど、あの色はたぶん
タイピングのたびに悪事を働いてる気になると思う。

そんなわけで自分の先を読んで銀に託す。

この冬が明けたら、数年後は
どうなっているのかな。

トリックアートは。

— 2.8 追記 —

MBP 16″ silver 届いた。’15 Retina 15″と比べて「うわっ四角い」
「トラックパッドでかすぎ」「ロゴやっぱいらんやろ」
「スピーカー音ええわ」「タッチバー時々便利かも」
「ファンはやっぱり回る、でも Retina よりちょい静か」

日々目を回す中、まずまず活躍してくれてます。

11.4 幻灯演奏会『夜の江ノ電』

音楽と詩と

演劇と空間

◆<△+●:

この感覚は
ことばでも
表せません

らいふわーく にしたいこと
なんて軽々し く言えません
がやはりそう だと思います

大先輩方と共 に光と闇の中
で表現できる のは格別です。

クレーン男

久しぶりに、『クレーン男』の続きを。

うっとりとし、ギョッとする本。

名古屋は今池、ボトムラインの裏手にある 読書珈琲リチル にて

本もですが素敵な喫茶店です。

硝子と風の考察

一昨日のBABI CHANで話したこと
あれからも考え続けるのです。

(くもり)硝子の向うは風の街
とは松本隆さん
果たして40年近く経った今もそうなんでしょうか
僕らはもう一度 問いかける必要があるかもしれません
…と言っ(てしまっ)たわけなのですが

ビル街の硝子を一歩出ると
吹き飛ばされそうな身体が
確かに今も風の街なんだと
知らせてくれた今日
そこへこの動画です。

水やそれを湛えた生命体とは違って
硝子を湛えた都市の構造体は
風で揺らぐことはありません。

結果として、それ以外の空間に
風が迂回し、集中することになります。

これって冬のNYCでも感じたことなんですが
大丈夫なんですかね?
都市文明。いつまで。

いつかタルマーリーの渡邉さんに聞いたことですが、
気候変動含めて、です。

地球はやはり水の星ですから
魚に対する海や湖のように
人間も硝子を常に近くに欲しがっている
というのが私の直感です。

こわれもの / Fragile なのに。

そういえばこの(Yes の1971年アルバムの)ジャケットも示唆的じゃないか。

昨日、例の 世良 Mick 市民会館 ビレッジホール に入る前に
風車が本棚みたいに並んで
風が可視化されてる姿にしばし見入ってしまったのです(アスナル金山というところらしい)
祭りの提灯にも見えるし
あれはなんだかわからないけど、なんだかいいな。

ray solo mini @ BABI CHAN CAFE 追憶

「千種」駅から歩いてしばらく。
「メルヘンハウス」という会社? 書店? にみとれてしばらく。
(昨年店を閉めてしまったようだ…)


ここは本日の舞台ではありません

住宅街の中にそのカフェはある。
BABI CHAN CAFE


ここが舞台です

無理やり、というかノリでイベントをやらせてもらったのだが
やってよかった。ほんと。


準備中の「大橋亭トリオ」師匠と店内

ベース&詩+うたの僕が一人でライヴをやるというのは
それ自体が無茶ぶりであり、そんなもんを観にわざわざ集まってきてくれた人々
そしてお店のお二人、スタッフ、さらに手助けしてくださったリチルのマダムには
いくら感謝しても足りません。

いろいろなことをさっ引いても、なかなか面白い試みができたと思う。

僕は音楽もしたいけど、おしゃべりもしたい。
人との会話では成り立たない話も、壇上という一方通行だから、逆に成り立つものもある。と思っている。

この日の模様は、抜粋して Vimeo にアップしてあります。
気が向いたら観てね。

Poetry Bird

2月は面白いイベントに参加します。

絵本作家/音楽家/詩人の Motomitsu Maehara、舞台俳優のみき、ベーシスト/詩人の Ray の三人による詩と身体表現と音のコラボレーション。浜松佐鳴台にある美容室 Nina by Babylone にて初公演。

‪2月17日(日)‬
‪19:00‬開場
‪19:30‬開演

料金:1500円(限定20名)
ご予約はこちらまで
cafetheeel@gmail.com(前原)

会場 Nina by Babylone
‪〒432-8021 静岡県浜松市中区佐鳴台1丁目13−10‬

出演
みき (Act)
Motomitsu Maehara (Poetry Reading / Piano)
Ray (Poetry Reading / Bass)

facebook event page


パリ在住、日本と往復して活動する moto 君とは久々の共演。DJ でもあり、近年は独創的な絵本やコラージュアート、Little Creatures のアルバムジャケットなどでも活躍する才能の塊です。みきさんは先日初めてお会いしたのですが、かっこよくて。

こういう組み合わせはしたことがないし、やりたいことを自由に持ち寄るので、どうなるか。お楽しみに。

 

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