カテゴリー: book

つかさおさむ

「ペペペペラン」の画を描いたのは司修さん。

全然意識していなかったけれど、色々見たくなる。

「影について」なんか素敵そうだ。

pepepeperan

年明けからスカパーでは
宇宙戦艦ヤマトばかりやっている
あまり覚えていない筋も多いので見直したが
見終わると、なんとも言えない気分になる。

次から次へ、ヤマトを遥かに超える巨大な要塞や戦艦が出てくる様は
太陽もアルデバランやアンタレスや
ベテルギウスやV1489とは
比べものにならない小さな存在だと
そう言っているようでもあるが

きりがないんだよな
技術と技術
鉱物資源と破壊
汚染と願い
くりかえし

「今はできないが、いつか」
武力を捨てるという誓い

はじき飛ばされるだろう

すぐに出てくる欲の甘え
ほら、ほら

僕は
うちゅうせんペペペペラン
の方をセットで観たいな。

あの 意味のわからなかった画を
スクリーンいっぱいに映して

What are your horns for?

先日、山羊に聞く?という店でイベントに出たのだけど
そこでの控え室(たまたま、その日は、その役目を果たしていた)にあった絵本

スガンさんのヤギ

これ衝撃的だったなぁ。

エリック・バテューの絵もすばらしいのひとこと。

誰に愛されることもなく獲物を狙うオオカミと
飼い主の愛を振り切って暗闇の戦いに挑むヤギ

それが間違った愛だったのか
わからないけれども

自然はどちらも等しく愛した
そして星空が消えたとき

ヤギの心がながれさった。

てらしてみれば

光が上にいってしまった

月も上から照らされる あと数日のこと

 

「巻き毛のリケ」素敵な話だ

そのひとがかしこいのか
そのひとがかしこくみられるのか

それは似ているようでとても違ったことだ

だけどどちらにもいえることは
他人の目も本人の自覚も
気の持ちようで変わるということかな

 

意識は幾重にもかさなっている
そして切り替えればどれも真実に見える
そうどれも真実
どれも大切に育んだならば

もり を つむ

ドレの昔話」をようやく買って読んでいる。

「眠り姫」はなんだか「カリオストロの城」みたいな冒険物語でもあるのだな、と思いつつ…

呪いによる死のかわりに、100年眠り続ける娘を、

共に魔法にかけられて眠り、共に100年後に目覚めるという、最高の幸せを選ばず

「起きて見守る」ことにした親の気持ち。

たぶん自分もそうするだろう、と思う。

姫は「つむ」に刺されると宣告される。

王は糸を、布を、つまりすべての繊維の営みを止めて娘を守ろうとする。

それは失敗に終わるわけだが、

やがて城は深い森につむがれ、二つの王国は時と記憶につむがれる。

「いつも糸を紡いでいる」と目の前で紡錘をくるくる回してくれたケイティさん、ふと思い出す。

エピローグ – 地球水洗便所説

地球水洗便所説
…?

梅棹忠夫を読みたいと思い、
かつて、河出書房から出版されるはずだったという
『世界の歴史』の最終巻「人類の未来」の目次を見ると、寝れなくなった。
エピローグに並んだ見出しのひとつがこれだ。

エピローグだけじゃない、12の章の見出しがすべてぶっとんでいるから、
それだけで目が覚める。

そもそも、歴史書の最後になんで「未来」が企画されたのか、
そのなりゆきもすごい。

それはさておいて…

「地球水洗便所説」
の次にくるのが、最後の段落
「暗黒のかなたの光明」

読んでみたい…読めるものなら。

ナウシカ原作の最終章、宮崎駿はヒロインに
「いのちは、闇の中のまたたく光だ」
と言わせる。妙な納得感のまま、「主」は巨神兵オーマに破壊される。

闇と光はずっと気になっているテーマ。
私が思うのはこうだけれども。

1997-2011

だいたい読んだ。「原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ」

いろいろと示唆に満ちている。14年目にして第4刷っていうのもマイナーだが、今年は売れるのだろうか。

この人はもともと核の専門家であり、なにがなんでも反核、ではなく、利用出来る部分は利用すべき、という方向だ。

まさに今回のような放射能事故への対策としても、正確な情報開示と
ガイガーカウンターの普及、それを使いこなせる人を育てる必要性、をずっと言ってきた。
ただ、使いこなせるために、「安全な」放射性物質アルゴン42とやらの普及(学校で学ばせるなど)も目指していた。
そのへんは科学者的な発想。ジャンバ・ジュキーバ博士的かもしれん。

他にも、いくらか、どうだかなぁ、という発想もある。
だが。きれいごとだけ言ってる人よりこういう人の方が響くこともある。

いくつか引用させていただきます。

『なによりも重大なことは、核兵器の保有とは明らかに「殺人の意思表明」だということだ。核兵器はその本質から言って無差別殺戮をおこなうための攻撃兵器でしかなく、防衛用の意味はまったく持たないものである。孫子の兵法からすれば、最低、最悪の兵器なのである。』p70

要するに都知事は、孫子から見てもその程度の為政者だということやね。
ただ、孫子ならぬ、亜細亜を駆ける孫氏の兵法もどうも気になるけどね。

『そもそも放射能とか原子力というものは、一般の人びとにはきわめてわかりにくいものである。そのため、万が一のためにいかに安全対策をおこなうか、とかんがえるべきところが、いつの間にか一般に向けて「原子力は安全です」という宣伝・説得をすることへとすり替えられてしまっている。』p82

『ダチョウは外敵が来ると砂の中に首を突っ込んで安心し、逃げるのをやめてしまうという。この原子力関係者のダチョウのような態度はいったいどこから来るのだろうか? 〜 いまではあらゆる手段を駆使して「原子力発電は絶対に安全だ」という宣伝をするのが「推進派」の仕事になっている。滑稽な話だが、ある有名大学の原子力工学科には、かつて「PR専攻コース」というのがあったそうだ。』p90

これはこの時点から20110311まで、全く変わっていなかった。この蓄積されたテクニックは、今まさにすり替えられて使われている。

核融合炉の導入について

『「あと何年でできるか?」という予測は、本当なら毎年一年ずつ減ってしかるべきなのが、変わらないどころか、逆にだんだん伸びていっている。』p150

小出助教授が国会答弁で言ってた、もんじゅの実用性についての話と全く同じやね。

『「高価な核融合炉は、使いはじめれば一年はもたないだろう」という話を聞いたことがある。〜 この劣化はたいへん厳しいもので、金属がひどく弱っていくことがわかってきたという。その問題の解決のために役立つ方法として、ヘリウム3をトリチウムの代わりに使うというアイディアがある。このヘリウムは月の表面から取ってくればよいといことなのだが、こうなると、話はまたSFの世界に戻ってしまったようである。』p150

現在も、外務省のサイトには核融合炉計画「イーター(ITER)」について記されている。

月から材料を採ってくるのなら、こちらの方がよっぽどいい。月より近いし。
宇宙太陽光発電

『悪く勘ぐれば、電気冷房には電力会社や原子力産業というパトロン、ガス冷房にはガス会社というパトロンがついているが、太陽は慈悲はくれても、直接お金はくれないからではないだろうか?』p187

『日本では、長期計画はきわめて注意深く、石橋を叩くようにして練られるが、いったん決定すると、もはやそんな計画は無意味だとわかっていてもやめられない 〜 〜 この矛盾をなんとかして避けて通るために、官僚がとる方法がまたいけない。そのやり方とは年次計画のほうを先送りにずらすというものだ。』p189

合議をくりかえすことによって責任や意味自体があいまいになり、時間が経ち修正が必要になった頃は誰も責任をとらなくなるばかりか、当初の意味すら忘れてしまう。無駄な合議ではなかったと思いたい「面子」だけが、妖怪のように残る。

『天の御光により、呪われた核の世界をもっと明るいものに変えていく事業を始めること。これこそ、日出ずる国・日本のなすべき使命ではないだろうか。』p213

そのとおりやね。

五郎兵衛伝

昨秋 生まれて二度目に歌舞伎を見た僕は
今になって子供の頃に読まなかった中学生向けの「赤穂浪士」を読んで
いろんな事に真剣に感銘をうけている。

ルビの付いた分厚い文庫本は、電車で読むには結構恥ずかしいが
恥ずかしい事を避けていては僕という人間は勤まらない。

大石内蔵助の祖先が滋賀県人だったという事も今頃知ったし
矢頭右衛門七の境遇など、くーんと腹にくる。

はら切りの是非など考えるつもりもないし
吉良上野介が本当に悪人だったかもわからないが
浅野内匠頭長矩はソンをする性格だったのだなぁ
これは今の世でも通じる気がする。

だが、こーゆー几帳面な人もいるのだ。
一方で、何の為にもならん仇討ちの為に
よく人は舞台を用意し、舞台を楽しみ語り継ぎ、
脇へ退き、そして去っていったものだよ。

てぇしたもんだ。

across the mass turnpike

「日本辺境論」一昨日読み終える。

「石火之機」
「天下無敵」
「自分からはみ出して」…一体化する

などの「機」に関する章、興味深かった。

レーテンシー云々を無意味化する、時間、空間の再構成能力というのは
本来日本人が鍛え上げて来たもののひとつ、
と解釈してよいのだろうか。

なーんとなくわからないでもない。

「歳を取ると一年が短く感じる」と「真剣白刃取り」の関連が
それまでの全経験に対する比率、新鮮さとして説かれている。

真剣が振り下ろされた瞬間に「生まれ」た武道家が
起こった全てのことをスローモーションで繋げ、処理してしまう。

確かにそうかも。
凄いインプロヴィゼーションと共にあるプレーヤーは
ある意味、生まれたばかりの状態にあるのだと思う。

野球人が時折口にする「ボールが止まって見える」もたぶん同様。
一球ごとに生まれるのなら、彼らの人生も相当面白そう。

しかし

経験ある「師」に対して若い「弟」は時間感覚で優れたとして
ならば経験の意味は何か。

僕はこじつけながら、こう思う。

経験、または、「型」や「蓄積」が
ある時生まれた(閃いた)もう一人により参照される

同一人物の中に老人と若者が同居しない限り無理な話だ。

たとえば谷川俊太郎さんのような人がいつまでも若く見えるのもそういう事ではない?

気の遠くなる時間が生成したガソリンをクルマの新しいエンジンが一瞬で爆発させる。

ピアノを習う人が意味がわからないまでも繰り返したバッハが、ある日弾けるようになる。

それがブレークスルーではないかな。

自分の見える海

考えすぎるとつかれてくるのだ。
(つかれるとは憑かれるということ 日本語は本当によくできている)

内田樹の日本辺境論を半分読んだところ。
幾度か大笑いした後、つかれて来たので寝ようとしても寝られず、
書こうともなしに指運動をする。

日本が辺境かどうかについて、今まで幾度か僕が思った事は

太平洋は広い
東洋の端と西洋の端を無理に繋ごうとする日本人の
少なくとも物心が付いてからの僕の周囲の
国際関係の前提がそうとうお気楽であるという感想

これは例えるまでもなく、米国と日本との音楽の違いでもある

日本的な「ことの流れ」にアトモスフィアとして堪え難いアレルギーを感じた事も
数度では済まない
そしてそれらの大半は今では忘れてしまっているけれども
それは自分の想いが強かったが故に、その生命を絶ったのだろう
つまりある意味、僕はもう出家している

僕は日本的ではなく、辺境から更に辺境である事において
ナチュラルな日本人なんだとも、思っている。

今日は朝から、蛍光灯と白熱灯が並ぶ街路をくぐって
ひかりの持つ意味の取り違えにいきどおっていた。

蛍光灯は昼光で白熱灯は夜光だ。言うなれば太陽と月の模倣だ。
これを並べてどうする?? 昼と夜が一緒ならオレは起きて寝るのか?

こんなことは工事現場の図面には書かれていない。
電球型蛍光灯がLEDにすり替わって、値段やエコでなく「ひかり」がどう変わるのか、
僕は未だ知らないが、とても気になっている。

新幹線のひかりが未だに青いのは何故だか、屋根の掃除をしながら考える人は今日は居たのだろうか?

日本人にとっての建国のストーリーはクニウミ。これと中華思想はどう関わるのだろうか。

辺境の中の辺境だからなぁなぁでやっていける。
乏しいリソースと朧げな水蒸気を含んだ空気の中で、ひかりに鈍感でもいられる。
かわりに陰翳に敏感でいられる。

ただ僕は、電磁波に邪魔されたくないと思う。
自分も電機仕掛けだという事はわかっているから。

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