九月おさらい

9.30は特別な日だ。毎年。
Mark Bolan の誕生日。
いつもいい区切りになっている。

だが、だからといって9.30の夜にそれらしいことができるわけでもない。

よってあとから、振り返りを試みる。日付は9.30に戻す。


実はあまり覚えていない。何があったっけ…

海に行かなかった。

いつの間にか、酒をやめていた。一月近く禁酒できたのは初めてだ。
おかげか、体調はすこぶる良い。

酒、その時は楽しいんだが、翌日を悲惨にするんだよな。

たぶん、もう必要ないのだろ、と嘯いてみる。


月初頭に、鬱陶しい様な「愁ひ」を記したが、やはり TV は総裁選ばかりで、ほとほと日本のニュースメディアに愛想が尽きた。

誰がなっても実権は同じだし、国民はおろか党員にすら、選ぶ力はなかったということ。党員と議員の投票結果が真逆。
そしてその後の人事みれば明らかだ。

パラレルワールドの向こうから、一方通行の情報をありがたく受け取るだけ。これで21世紀なんだ。

当初思った通り、だけどそんなの全然嬉しくないし、嫌になるばかりだ。メディア、どんどん飼われていく。

なんとかしようよ。

過去の収賄ももちろんあかんけど、本質的に危惧してるのは、彼らの現在とこれからの方向性なんですよね。

この期におよんで原発推進派で閣僚を固めているし、軍国主義だし、そのためのデジタル管理が連動してる。

これ、もうカモフラージュのしようがないし。

だからこそ、メディアを買収する。SNS に金をばらまく。困窮してるフリーターやフリーランサーに仕事を回すのは飼い馴らす効果もある。
その人らがどれだけ葛藤のもとやってるか。でも、播く側はそんなこと気にもかけない。

受ける側も、気にしてたら精神がもたない。みんな気にしなくなっていく。
そうなれば遺伝子組み換え成功。あとはチョロい。

過去の収賄や買収ももちろんあかんけど、現在とこれから、それを超える規模の収賄と買収が行われる、んだろうな。
だからこその開き直り人事だと見る。

だめだね、古すぎるよ、やり方が。ますますこの国は堕ちていく。


コロナの新規感染確認者が、いつのまにか激減してる。

理由はわからないけれども、デルタ株は弱毒化したのだろうか?

でも、去年も今頃は、人々が忘れるぐらい寝ってましたよね。
11月になるまで。そして500人を超えた。

安心はできないけど、小休止もないと、いい加減耐えられなくなってきますよね、
いろんな意味で。

自身としては、まだ当分、演奏活動の予定はありません。
継続・再開している人やお客さんには敬意払いつつも、
みなさん、どうか気をつけて、これからも。


9月は月見宴もしなかったけど、ベランダで月を眺めることは、よくやってた。

いつも静かな夜。虫の声が今年は特に大きく響いてた。

満月のタイミングは朝の8時だったので、完全な丸い月は見れなかった。それでもよい。

あるとき、ある虫があまりにいい声を界隈に響かせてるので、夜中に録音にでかけた。
道を渡って草むらにハンディレコーダーを向けただけだが、ただでさえこの時世、職質されないかと気になったよ。


Charlie Watts を憶う。いろいろ思った。

いろんなことを振り返れて、それだけでもいい月だったかもしれない。

Thank you.
To you and you and you.

秋分周辺

秋はいい季節だ

…今年はなんか、裏のうらの方が沁みてくるようなあきだ。

何か獲物があるわけではないが、せっせと作品をつくっていこう。


夏は MacBook Pro が常に瀕死の爆音を上げていたので

数小節のフレーズすら録音するのが辛く、マジでたまらなかったのだけど、

秋のおかげかようやく少し静かになってきた。

Core i9 の無駄遣い。

Covid 19 で失った翼。釣り合わない。

まぁもう少し頑張ってもらおう。


虫の声がすばらしくて、な。


満月や秋分のあたりに曲を出したかったのだけど

幸か不幸かいろいろアイデアがあり、4曲同時進行にてまとまらない。

脳内での完成は近いのであるも。

motivation

9月に入ってからざざっと曲のアイデアを溜めて
8つぐらいモチーフができ

その一つが気に入ったので作り進めている。
Just another tribute to Charlie.

ドラムキット叩けず、いまのところブラシのスネアだけ。

タイトルは仮で

いかさま団ラピスラズリ

Bandcamp でそのうち出します。

BC はとても自由で使いやすいのだけど、
マルチ言語で曲名をつけられない。
和名にすると、それが英語圏でも表示されてしまう。逆も然り。

このへんは、多言語で登録できる TuneCore とかの方がよいね。

ともあれ、今年はこれが大事な存在です。

飛来と旅と

思えばこの夏は特別で

ここ十年ぐらいで、こんなに甲虫に出くわしたことはなかった。

9月になっても、またクワガタがプランターや郵便受にやってくる。朝はメス、夜はオス。

最初のノコギリクワガタを死なせてしまって以来、飼う気はないので、

車で5分、栗の木に還しにいくのだが

その度に助手席にダンボール紙の小箱、中身はコクワガタ。

おかしいなこの車、全国演奏旅用の筈なのに。

この頻度からするとたぶん、近所に住処の樹があったに違いない。だが結局見つけることはできなかった。

もう涼しくなってきたし、流石にもう来ない気がする。

でもまた迷い込んだら、そのときは仕方がないな。

9月の愁

夏が終わると「新年度」になる国も多かったな、みたいな、今となってはおぼろげな記憶。

しかしこの空気。どこからともなく家に紛れ込んだ蟋蟀の声。

確かに秋だ。

今年になってようやく好きになった Steely Dan を聴きながら、
(いや、Josie はよくても Aja はまだ、やっぱ好きになれないな、とか)

去年と同じようにバタバタっと畳まれる政権と、それに食いつくメディアを見ている。
というか、見ざるをえない。できればこんなもの、見たくはないのだけど。

政治のことなど、遠い昔は考えなかった。よくわからないし、ダサいし、じれったいし。
昔は産経新聞と朝日新聞読んで、前者の方が歯切れ良い気がしてて、
戦記モノの漫画も読んで、戦車のプラモを沢山作って、
ミリタリーファッションもして、なんとなく、そんなんだった。
戦争に実感が最も遠かった世代、かもしれない。
湾岸戦争のころだって、最初は多国籍軍を応援してたぐらいだ。

まぁ、そう思わされていたんだろうな。

だからって、そのままでいるわけではなく、いつからか反対側の目も養うようになったし、
音楽の好みや弾けるジャンルが広がると同様、いろいろな価値観を知り、
また、いろいろな境遇で暮らしたり仕事をしたりすることで、肌で感じる思いもぜんぜん変わっていった。

いくら俺みたいなのでも、911観て、政権交代見て、311あれば、変わる。
変わらない人もいるだろうけど。

以降、書き出したらとんでもなく長く、収集がつかなくなった。また改めて書く(までもないのかもしれない)。

ともかく、今は政権与党の総裁選が TV をジャックしているが、
それは幾重にもおかしい、ということだけは綴っておく。

  • 総裁選は国民に選ぶ権利がない。報道する意味? 選挙権のある選挙で毎回報道を控えるのに?
  • 一方向…前世紀型の情報伝達を、この ICT の進化した2021年に、やる?
  • それとも IT とか ICT ってそんなもん? ビッグデータ取るだけで所詮片側通行?
  • 候補者は表面上の違いがあっても改憲、軍国化で本質的に違いはない。メディア何やってる?
  • 「改憲の主役は、あなたです」というポスターが、最初の会見背後に掲載されてたのは何故?

特に最後。
主役をすり替えている。「マイナンバー」という仕組みと名前も同じ。
この、今の危機と全く関係のないポスターは、カメラの向こうの国民に対して刷り込みをかけ、
それ以上に、その場にいる記者とそのメディアに対して、餌を見せつけている。
「これは君たちの次の仕事だ」。「次の稼ぎだ」と言った方がいいかも。

政府がジャブジャブ広告宣伝費をかけて、広告代理店とメディアに改憲広告を出す。
どれほど儲けになるか計り知れない。メディアは公然と、札束で頬を叩かれているようなものだ。
広告主の意向に、逆えるか?

大金を撒いたほうが、勝ち。
いくら信じられない不正が続いても、この国では質されない。

だから、メディアは権力と距離を保たなければならないし、
広告規制が必要だったのに。オリンピックの前に、とっぱらわれてしまった。
そして、オリンピックの饅頭をたっぷりいただいたメディアは、もう戻れない顔をしてる。

確実に巨額の報酬をくれる広告主の意向に沿うよう、事を進めるだろう。
多くの視聴者は、露出の多い人に、吸い寄せられてしまう。

そして。

出来の悪いゲームのつもりで、大人が戯れている間に、
取り返しのつかないことに、なってきた。

一人や数人が気づいても、もう止められない。数百人でもダメだ。
何十万人も、何百万人も、いや、たかだか八千万人が気づけば、止められるのに。

どうなる? ぼくらのこれからは?

もっと、やりたいこと、やるべきことが、いっぱいあるんだぞ。

ごうつくばり


ここからさきは なつごし

…ってことで

曲の途中で夏が越せるよう
8.31の最後ギリギリに、この曲を再発しました。

2018年 “flat five tapes” リメイクのひとつです。

しばらく録音もせず、好きな音楽を改めて聴いたりしてたら
チャーリーワッツが亡くなったり、リーペリーが亡くなったり、
デルタ株は…、豪雨は、ハイチは、アフガンは…

正直、世界はおそろしいで。

これからが。あるいは。

でも、なんとなくずっと思ってることがあって、
それは この曲の詞 に込められてもいます。
何が僕らをそうさせてんのかなぁ、
あるいはそこから、どうすれば。

とびかかる、あとづさる。

ジャケットの絵は、泥棒猫
虹色は大イベント
上がラベルみたいになってるのは
ごうつくばりって、こういうやつだよっていう、レッテル貼り
だったりします。

まんいんでんしゃ みたいな おと

と違って、これはスッカスカなので

チャーリーが昨年の Stones ステイホーム企画
“You Can’t Always Get What You Want”* でエアドラムやってたのを
思い出したりしながら、スネアをブラシで叩いて加えました。

それでも、隙間だらけの音楽です。

みなさんが、いい秋を過ごせるように、場所空けてます。


* You Can’t… のスタジオ録音でドラム叩いたは彼じゃなくて、プロデューサーの J.Miller なんですよね。

英国紳士とTシャツ

前回 に続いて、The Guardian の Charlie Watts 追悼記事。今回は、Bruce Springsteen and the E Street Band のドラマー、Max Weinberg からの後半部分です。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts
by Max Weinberg, as told to Ben Beaumont-Thomas

序文にあった ”- and his clothes-folding skills” ってどういうこと? と思ったら、全部あまりにいい話で、一気に読みました。以下、僕の訳です。


僕が子供の頃のニュージャージーでは、仕事を探すミュージシャン向けのチラシがあって、60年代半ばから70年代まではいつもこんな感じだったよ。「求む: Charlie Watts タイプのドラマー。」Charlie はただのドラマーじゃない – 彼はジャンルなんだ。僕が叩くすべてのビートには、どこかに Charlie Watts がいるんだよ。

彼が Rolling Stones でやったことの何が独特だったかといえば、それはロックンロールである一方で、実はブルースだったんだ。
僕は、Stones が長く続いた理由というのは、彼らが本質的にポップバンドでなく、ブルースバンドだったからだと思っている。ブルースは永遠に色あせない。
もちろん、様々な理由で彼らは世界最高峰のバンドだ。しかも彼らは、自ら世界最高のバンドだと言ってる。
だけど、ドラムという観点では、彼は誰とも比べられない唯一無二の存在だった。彼みたいな人はどこにもいなかったよ。彼の模倣者や彼への挑戦者はいる、だけど Charlie Watts はただ一人だし、今後も永遠にそうなんだ。
彼の身体はもうこの世にはないけど、彼はドラミングの魂として永遠に生き続ける。Charlie Watts がいない世界なんて、少なくとも僕の中では、およそ理解できないんだ。

彼はお気に入りのジャズドラマーの影響で彼のスタイルを形作った。たとえば偉大なイギリスのドラマー Phil Seamen、そしてアメリカのドラマー Dave Tough: 見た目まで Charlie に似た、お洒落にうるさく、途方もないグルーヴと音色を持った人だ。
Charlie は – 僕も同じだ – STAX の偉大な Al Jackson の後期のプレイで一般的になった、あのロックドラミングのスタイルの支持者だった。意図的にバックビートをタメて叩くっていうやつだよ。
そのやり方っていうのは – ちょっとテクニカルになるんだが – ビートの2拍と4拍に集中するってことじゃない、1拍と3拍が大事なんだ。
他のいい例は James Brown の音楽だよ。彼の音楽は1拍目に着地することに重きを置いている。それができるようになるには長い時間がかかるんだ。
そういうことができるドラマーは、バスを運転してるようなものだよ。そして最高のドラマーなら、他のミュージシャンに彼らが必要なものをあげられるんだ。
Charlie はそれを、本能的にやっていた。または、偉大なドラマーたちを聴き込んで、その術を習得したんだ。Chick Webb、Kenny Clarke、Kenny Clare、Art Blakey、Max Roach (といったジャズドラマー)をね。

彼にはトレードマークのドラムフィルがあった。Bruce Springsteen のアルバム “Born in the USA” のレコーディング中、僕は “Street Fighting Man” がずっと気になっていた。あのサウンド、強さ、ビートがね。それはどうやらツアー用のドラムセットか、箱みたいなモノを使って*、カセットレコーダーで録音されたっていう噂で、信じがたいほどヤバくてタフな音をしていたんだ。
Charlie は曲中で例のフィルをやったんだ。素早い、8分音符三つの「バッバッバッ」ってやつをね。Bruce が “Born in the USA” のグルーヴを僕らに伝えたとき、僕は “Street Fighting Man” を思い起こしたんだ。それで僕はあの曲で、Charlie Watts をやったってわけだよ。

“Rocks Off” も、また別の Charlie Watts のベストパフォーマンスだね。彼はフレーズの途中であのローリングのフィルをやるんだ。天才だよ、だけど彼はあらかじめフレーズを作ってたわけじゃない。彼はジャズドラマーだからね、瞬時に思いついたことを叩くんだ。彼は多くのインタビューで語ったように、いつも Charlie Parker や Miles Davis が彼の前に立っていることを想像しながら叩いていたんだよ。

僕たちは友情を築き上げた。彼はいつだって、あり得ないほど愛らしく、知的な人だった。初めて彼に会ったのは1979か1980年あたり、Stones が Madison Square Garden で数日間公演してたときだ。Modern Drummer のインタビューがあったので、友達について行ったんだよ。彼は3ピースの Savile Row の背広を着ていて、信じられないほどお洒落で、彼の手荷物を片付けられるように、僕らをホテルの彼の部屋に招いてくれた。彼は2つの美しいレザーのスーツケースをベッドに乗せて、それらを開けたんだ。すべてが完璧に折り畳まれていたよ。きっちりした化粧道具があった。僕がロードで旅するのと正反対だった。彼はスーツケースから服を出して、ベッドに置いて、畳み直し、引き出しに入れた。僕はホテルの部屋の引き出しなんて15年間のロードで一度も使ったことはなかった。僕がそれまで見た一番クールだったことの一つだよ。

そこで僕らはインタビューをし、ルームサービスを頼み、そして彼は (Madison Square) Garden への迎えが来る頃だと気づいて、寝室に入り、スウェットパンツと裂けた T シャツを着て出てきた。彼はそれまで英国の君主のような身なりで、ハンサムで、貴族的で、ごつごつした顔をしてたんだが、それが今は「彼らとプレイする」ために、普段着に着替えてた。「僕のバンドとプレイするんだ、僕らのバンドで」とは言わずに、いつも「彼ら、Stones と」(プレイするんだ)と言ってた。彼にはこういった、面白い距離の保ち方があったんだ。

年月が経ち、1989年のこと。Charlie は僕に電話をくれ、Stones が10月に NYC でプレイすると教えてくれた。彼は、僕が Joe Morello の友人だと言ったことを覚えていたんだ。Joe は Dave Brubeck Quartet のドラマーで、Brubeck のあの “Take Five” や “Blue Rondo ala Turk” の変拍子の肝になった人だよ。そして Mel Lewis、素晴らしいバップ期のドラマーとも(僕が友人であることを)ね。Charlie は彼らの大ファンで、こう言ったんだ。「彼らがどうかはわからないけれど、僕はもし彼らが Shea Stadium に来てくれて挨拶できたら、月にだって昇るよ。彼らがコンサートまで残ってくれるとは思わないけどね。」僕は言った。「Charlie、できる限りやってみる。」
Mel はロックンロールが嫌いだった。彼はロックンロールが、西洋文化の堕落だと思っているジャズマンの一人だったんだ。

だけど僕たちは Shea Stadium に向かうことになり、最高のもてなしをうけた。彼らは僕らをエレベーターに乗せた。Rolling Stones には – Paul McCartnery みたいに – だいたい10段階のゲストレベルがあったんだ。だんだん VIP の度合いが増してくる。僕らは奥のプライベートルームに招かれた。「Charlie、君に Joe と Mel を紹介できて光栄だよ。」僕は言った。
そして Charlie は彼らと握手し、こう言ったんだ。「ジェントルマン、お会いできて光栄です。」 Charlie は数えきれないぐらいの質問を浴びせた。「Wynton Kerry とプレイしたとき、あなたはあのロールをしましたね、あれはどうやったんですか?」「Joe、”Take Five” では実際どうやってプレイしたのか、教えてくれませんか?」とね。彼はクリスマスの(プレゼントにはしゃぐ)子供だったよ。耳にすることすべてに微笑んでた。僕はといえば、こうして彼らを引き合わせることができたのが信じられなかった。

彼らは(挨拶の後の)コンサートを観たがった。Joe は目が見えず、ショーの光景は楽しめなかったけど、僕にこう言ったんだ。「Charlie Watts はすごいドラマーだね、なんて強靭なタイム感なんだ、あのバンドを実にうまくつなぎとめてる。」一方、Mel はといえば – この人は45年間、ロックンロールに文句を言い続けていたのに、すっかり気に入ってた。彼らの音楽性にも、ショーにも、そして何より Charlie のドラミングに強く感銘を受けてたよ。
ドラマーにとって大事なのは何か、それはあんたがやっていることが、その音楽に対して適切なのかどうか? ってことだよ。
それが Mel Lewis が本当に感心してたことだ。「彼はバッチリだね!」帰路のドライブ中、Mel は言ってた。「まだロックンロールは好きじゃないが、あれはすごい経験だった。それに君の友人、なんで彼らが最も偉大なバンドと呼ばれるかわかったよ – もしロックドラムを叩かなきゃならないなら、あれこそがロックドラムのあるべき姿だ。」

最後に僕が Charlie に会ったのは、Newark の Prudential Centre で数年前のことだった。Bruce が彼らと共演して “Tumbling Dice” をやった前日だ。僕は彼に50年ほど前、彼らをこの近くの場所で観たと伝えたよ。1965年の11月7日にね。彼らは Solomon Burke の “Everybody Needs Somebody to Love” でスタートし、半時間ほどプレイした。彼らのオープニングアクトをするためのコンテストがあったんだが、僕のバンドは落ちたんだ。それで二列目で観てて、彼らは当時の大ヒット “Get Off of My Cloud” をプレイしてくれた。それはレコードそのまんまだったよ。

アリーナで、僕らはこの壁を背に立ってて、彼はブルーの Rolling Stones ブランドのウィンドブレーカーを着てた。彼が晩年にいつも着てたやつだよ。僕らは過ぎ去った日々を追憶してた – あり得ないほど丁寧で、素晴らしい人だった。そして彼はステージに出るとき、舌のロゴのジャケットを脱いで、折り畳み、アシスタントに渡し、(ドラムチェアに)座ったんだ。もし僕が、誰か他のドラマーみたいになれるならば、Charlie Watts みたいになりたいよ。


* “Street Fighting Man” の録音では、Charlie はツアーに持ち歩いていた1930年代のトイドラムキット “London Jazz Kit Set” を叩き、Keith は Philips のテレコに録音した、と2003年に答えてます。有名な話なのでしょうけど、僕は知りませんでした。英語 Wiki に載っています。

so loose to get groovy

Charlie Watts の追悼記事はたくさん、そりゃあぎょうさん出ていて
そのごくごく一部しか観られないのだが

これは Guardian の記事。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts

Stewart Copeland と Max Weinberg によるコメント。

Stewart と Charlie は僕の中で二大ヒーローで
とはいえ彼らのスタイルやビートは真逆だから
あまりこの二人を同列に好きな輩はいないかもしれないけど

ここが刺さる。by Stewart、以下は僕の訳

Charlie described himself as a jazz drummer, but they all do that – in rock’n’roll, that’s sort of like saying “classically trained”. Rock musicians aspire to have jazz credibility – even Ginger Baker called himself a jazz drummer, for God’s sake. I’d say it was a futile enterprise: a member of the Rolling Stones denying being rock’n’roll is not very convincing! But one thing you can see of the jazz influence on him is that he went for groove, and derived power from relaxation. Most rock drummers are trying to kill something; they’re chopping wood. Jazz drummers instead tend to be very loose to get that jazz feel, and he had that quality. The jazz factor in Charlie wasn’t in the use of the ride cymbal going ting-ting-ti-ting, it was his overall body relaxation. It’s also why he hardly broke a sweat while driving the band to light up a stadium.

チャーリーは自分をジャズドラマーと言っていたけど、それってロックンロールあるあるだよ。
楽器を弾けるっていうときに、「クラシックを習った」といえば箔がつくだろ、ロックミュージシャンにとってはジャズがそうなんだ。ジンジャー・ベイカーだって自分のことをジャズドラマーだと言ってたし。

僕に言わせればそんなの言うだけ無駄だよ。Rolling Stones のメンバーがロックンロールを否定しても、あまり説得力がないだろう!

でも彼を見てわかるジャズの影響のひとつは、彼はグルーヴを追求し、リラックスすることでパワーを得たっていうことだ。
ほとんどのロックドラマーは何かをぶっ殺そうぐらいの勢いでドラムを叩いてる。木を斧で切ってるみたいだ。
ジャズドラマーはそうじゃなくて、すごくルースになることで、ジャズ特有のフィールを出す。彼にはそれがあったんだ。

チャーリーのジャズの要素というのは、ライドシンバルをチンチキチンと叩くことじゃない。身体全体をリラックスさせることだ。だから彼はライトアップされたスタジアムでも汗をかかないんだよ。


The biggest thing I learned from him is volume – he plays very quietly. Very early on, he discovered this wonderful device called the PA system: five billion watts of PA means that the drummer doesn’t have to work all that hard after all. When I was a young drummer, I was out there trying to kill every drum in sight, and it’s through watching Charlie that I realised: you know what? You can actually get a better sound out of your drums, and a better groove, if you relax.

僕が彼から一番学んだのはボリュームだ。彼はとても静かに叩く。早い時期に彼は、PA システムというすばらしいものを発見したんだ。50億「ワッツの」 PA があれば、ドラマーにとって力む必要など何もない。

僕は若い頃、視界に入るドラムを、全部ぶっ殺すつもりで叩いていた。
チャーリーを見て気づいたんだ。何かわかるかい?

リラックスすれば、よりいい音をドラムから引き出せるし、もっといいグルーヴが得られるんだよ。

* 一部穏やかでない表現があるが、「ぶっ壊す」ぐらいがよいのかな。どうなんでしょう、ロックドラマー諸氏。あと知人をフォローしておくと、汗をかかないのは体質もあるでしょうね。

Weinberg の方もじっくり読んでみる。Born in the USA と Street Fighting Man では力の入り方がだいぶ違う気がするけど…

* 8/29 夜追記: Max Weinberg の Charlie Watts 追悼寄稿、多岐に渡る深い話なので、近日中に訳して公開します。「お洒落」に関する話が特におもしろいです。 こちらから

あのこのすきな


チャーリー
ワッツ

っていう、リフレインの中の変な掛け声を聴いて、

当時ロックもろくに知らなかった僕はなんやねん、その人、と。

他にも、ゲイリーグリッターとか、マークボラン、デボラハリー、

あのこの嫌いな仲井戸麗市、なんでだこのやろう…

とか

清志郎さんのアドリブだったのかもしれないけど

この「エリーゼのために」というか、”BEAT POPS” と覚えてた RC サクセションの曲は

僕の中で特別だ。なぜなら、これが初めて人前でバンドで演奏した曲だから。

あの日はこの他、クリームの Sunshine of Your Love とか、モータウンみたいなベースラインのブルースとか、
スティービー の Isn’t She Lovely? の16ビートアレンジとか、やったっけ。どんちゃん?

先輩に混じって白いフレットレスベースを借りて、なぜかターコイズのジャンパー着て弾いたあの時は、ビデオ見返すと自分は人前に出てはいけなかった人だ(めぐりめぐって今もそうだ)が、

音はよかったし、先輩かっこよかったし、中でもずっとシャッフルビート弾いてた「エリーゼ」はその頃から歌詞がずっと、なんか、染みている。

Rolling Stones を好きな人は、まわりに結構いたけれども、自分はそうでもなく、
いつからこんなに好きになったのか、それはその後数年間、いろいろやってたバンドを全部やめてからだった。

京都はブルースマンやロッカーが多かったし、それに対する逆の壁、みたいなのも自分は感じてたから、
知ったかぶりするのもストレスで、正直、自分のペースで味わうのに時間がかかった。

でも、その昔にはじめて “Start Me Up” のビデオを観た時の衝撃はでかく
なんで、ロックバンドに公務員みたいなおじいさんが入ってるの? ちょーイイ人そうだし、ラクそーに叩いてるし 右手ピタッと止まってるし…
ボーカルのおっさん、ルパンと銭形が一緒になったみたいなキャラだし…

彼らこそがロックの典型なんだけど、それまで持ってたロックのイメージって
長髪とか、拳あげたりとか、なんか硬そうだったから、ぜんぜん軽やかでテキトーで、ひょうきんで、

あっこれやったらわかるわ、いやよーわからんけど、みたいな、のはあった。

でも当時はとにかく音楽全般、「ギター」っていう楽器に偏見っつーか抵抗があって、
エディだろうがウォーレンだろうがキースだろうが、フォークだろうが、あまり惹かれなかった。
単音楽器のベースかドラムか、あるいはシンセか、しか興味なかった。
身近でブルースギター弾いてる人はかっこいいと思ったよ、でも画面や写真のむこうからは。

で、なんとなくチャーリーワッツは好きだったけど、Stones 聴きまくりだしたのは、京都のスタジオでバイトやってた頃だ。

それからアメリカに数年行って、ジャズ学んでたにもかかわらず、しばらくはほぼ毎日 Between the Buttons と December’s Children を聴いてた。

というか、Charlie のドラムは、ジャズだった。あのフィールは、そこらの「ロック」(?)にありがちな四角いやつじゃない。楕円形で、しなやかで、伸び縮みして、いい加減で、繊細で、気持ちいい。

間違ってもフュージョンじゃないし、メトロノームなんかかけ離れている。でも、メトロノーム以上にビートをきめてくれる。

ビートルズとはまた違った、何百回でも聴けるスウィングとグルーヴがあった。

ビル・ワイマンのベースはほとんど注意して聴いてなかった。Live With Me とかのキースのベースは格別だけど。(今思えば Start Me Up のビルは壮絶かっこいい)

でも、ベースに耳貸さずとも最高に気持ちいい音楽が世の中にはたくさんあって、ストーンズはそれだった。

Cherry Oh Baby … Eric Donaldson のカバー、ワンドロップが途中、何回かひっくり返ってる。わざとっていうより…見失ったに違いない。
で、そのテイクがオッケーになっちゃったんだろう。

でもそんなんでも気持ちよく聴ける。この人おかしい。

チャーリーは、ビートのタイミングや鳴りもそうだけど、フィルでちょっと遅れたとこから「…ダダダダ」って追っかけて、しまいにはバンドを追い越してしまうみたいなとこがとにかく好きだった。

漫才してるみたいで。音楽聴くだけで、笑えてしまう。おもろい。歌詞の意味わからんでも、楽しい。

Cool, Calm & Collected のタイム感。深くて穴の開いた背広のポケット。エンディングの壊れたような加速。

….

もちろん、そのうち歌詞も気にしだしたけど、ミックの詞世界、自分に理解できるわけがない。あんな人生送ってないし。
(たまにわかるとなんだか嬉しい)

でも、それでも、大事にしたいと思う。宝物をくれた、人たち。

生で観れたのはマサチューセッツ州郊外のスタジアムと、東京ドーム。

前者はいつだったか… チケット高くて、$100ぐらいした。その頃アメリカは、日本よりずっと手頃にライヴ観れる国だったけど、彼らぐらいになると…というか、うまいこと買えんかったのか。

昼間のフットボールスタジアムで、前座はシェリル・クロウ。彼女はまぁまぁ有名だけどブレイクする前で、ごく前列にしか音も届かず、僕のスタンド席では誰も聴いてなかった。

Stones になったらどっかーん、スクリーンも映るし音も数倍だし、前座とメインの格差の凄さにも驚いたが。

そこいくと、数年後に観たドームは、正面とはいえあまり細部は覚えてない。スクリーンのアニメがいかがわしかったな…

近年も活動は気になってたけど、五反田に来たストーンズ展など観にいきつつ、聴くのは昔のレコード(音源)ばかりで、いい加減なファンだった。

長い闘病生活だったようで、想像できないぐらい辛かったのだろうけど、それでも、最後までジェントルだったんだろうな、とか、思えてしまう。

お疲れさま。

彼の域には、最初に思ってたところから 5mm も近づけなかったけど、この人が僕のこれまでの人生を、数倍楽しくしてくれたことは、間違いない。

ほんとにありがとう、チャーリー。

RIP, Mr. Watts –

slippery when

雨間に窓を
開けとったら

ダブべーの指板
ありえん程に
濡れとぉ

フェスに出ても
おらんのにのぉ


不覚にも

今月はまったく新曲に手をつけておらず

新月も半月も満月も見過ごしそうな気配である。

もういっこ半月あるけども。

もし何かが起これば、准旧曲のリメイクを発表できると思います。

とはいえ最近はむしろ内面的に得るものがあり

そのちょっとした変化が出せるかも、しれません。

そうならなければ、またの日に。

みなさん・いろいろな境遇はあると思いますが・身体を大切に

コロナを舐めずに・雨を舐めずに・滑っても転ばずに

生き抜きましょう。