ひとつの区切りと勝手に思っていた日。
たくさん、じたばたする。
形にはならない。
ひとつの区切りと勝手に思っていた日。
たくさん、じたばたする。
形にはならない。
アレンジ
吾輩にその才能があるのかは横に置く。未知数としようか。
一人ベースオーケストレーション、みたいなのは勿論やってきたし
DIY でやってると必然的に、常にアレンジをすることになるのだが
あるパートに異様に執着して他はスカスカ、みたいな、常に偏ったものをやっている。
そういうのが好きなんですよね。
いいなと思うのもあれば、あっちゃーもあるが。
最近になって、いろいろゼロからやってると
好きなものをちゃんと研究すればいいじゃないか、ということに漸く気づいている。
とても時間がかかるのです。が、大事なことですね。
* タイトルはちょっと好きな人のもじりです。配色も好みです
表の活動としては停止しているのですが
最近でも海外から見ていただくこともあり
英語もアジア語も設定していないのでなんだかなと思いつつ
(僕の日本語を自動翻訳するとかなりおかしなことになりそうです)
ストリーミングも含め、ふと全然知らないところから聴いてもらえると
うれしいものですね。
Spotify は全く放置してしまっていて – あれはやはり僕には難しい…
Apple Music も、今後アー写更新? なんて考えると気が重くなるのですが
追って計画したいと思っています。
Bandcamp だけのもののストリーミングリリースについても、
もういくつか季節がすぎるかもしれませんが
忘れているわけではないので、しばらくお待ちください。
お待ちください、って、おしつけがましいかもしれない。
しばらくお忘れください、っていう言葉が通用すれば、いいかも。
先日のメジロとは違い
今日はウグイスの声を沢山聞いた
シャドウから少し入れば
西にも東にも水面にも
たくさんのさえずりが
こだまする
最も美しいものをきいている
そう思う
このウグイスの声を邪魔できるのは
空を我がもの顔に旋回する鉄の舟
これを皆が許し賛美したとき
この世は滅びるだろう
life is not a gas
sky is not your exhaust
listen to the voices
of small nightingales
古いスネアのストレイナーが壊れてしまったので、工房に持っていく。
いろいろなお話しをする。楽器のことから金属加工、ベースの弾き方。
ドラムの打点と音量、ミュートの流行りすたり、レッグやスタンドの構造と時代ごとの役割…
興味は尽きませぬ。
新曲の録音中…
といきたいところだが、好きな曲の真似っこ録音、いわばカバー。
こういうのはとても面白いし、ためにもなるのだが、発表はしづらい。
YouTube ならいいのでしょうね。
まだ慣れてない楽器なので右に左に、あたふたする。4回を2テイク、首がいたい。
ふと廊下に出ると、半月が
五、六個…
典型的な乱視にて、えも言われぬ形状をしている。これは誰とも分かち合えない。
譜面と画面と指板ばかり見てりゃ、そりゃこうなりますわ。
このブログではことあるごとに
ゆっくり だの
のんびり だの
スローライフ、スローミュージックを称賛し、正当化してばかりのようだが、
実際ここまで自分がスローだと、辟易することもある。
僕は元々人の数倍イラチなので、思いついたことはすぐに済ませてしまいたいのだ。
なんでこんな正反対になったのか、知る由もない。
ともあれ、世の中にはプロフェッショナルという人々がいる。
仕事がとにかく速い。あらゆる状況に対応できる。物事を深く理解している。
浅く広く、でなく、深く広く速く、なのだ。
それがあってこその、凪。そんなプロフェッショナルに、僕はなりたい。
だが明らかに体内時空感がスローになっている。なんなのだろう。
今年冒頭からの日記で(一昨年ぐらいからか?)好きなレコードのことをたくさん綴った。
実は、その時一番はまっているレコードについては触れてなかったりもするのだが、まぁわかる人にはおわかりだろう。
その中にはレッキング・クルーだったり(解体業者、という意味)
まぁプロな人々が、一聴するとユルいレコードを支えて…ささえるだけじゃないな、作り上げてきたのだ。
slow になれるための、fast。
誰かが速く動くから、誰かがゆっくりと時間が取れる。
それって、必要だ。
ん…救いになってないな。
たぶん。
だれかがゆっくりしてるときは、誰かが速く動けるのだ。
そういうこと。
自分がリラックスできてたら、それは同時に瞬間的だ。
それにしておこ。
水よりも速く。
いやぁ、そっくりでしたね。ジョー。
’80年代の大月錠一郎の風貌は「音楽密造者」日野原幼紀さんのジャケ写そのもの
…って誰が思っただろうか。
『カムカムエブリバディ』
この朝ドラは、綿密な設定に役者の演技に、素晴らしかったです(最終話のみ残した時点で)。
英語も時代劇もいいのですが、やはり音楽に関わってきた者として二部からのジョーとるいとトミーの物語には感じるものがあり。
また、虚無蔵さんや五十嵐含め、夢を失った人たちとその後の話なのがいいのかな。
ただツッコミどころはいつも満載でした。
突っ込めないとそれはそれでつまらないので、これは却って楽しみでもあり。
本日 (4/7) の放送回、アニーとるいがやっと再会する場面、
最高の舞台で奏でられているのは On the Sunny Side of the Street
…なのに
スローモーションの二人の世界、そして視聴者には、弦楽の別の曲が聴こえているんですね。
これは複雑でした – いい曲でしたが。
この舞台は二人にとって最高のもの、でもあるけれども
それ以前に、クリスマスフェスの真打ちを楽しんでいるオーディエンスの、そして全身全霊を注いでいるバンドマンやスタッフたちのもの。
ハプニングで、ゲストシンガーが歌い終えた途端に舞台を降りても、抱き合っても、それは受け入れるかもしれない。
だけど、なぜその曲が Sunny Side of the Street ではないのだろう。
別の時空に遷移したとしても、別アレンジの Sunny Side でやることってできなかったのかな。
人前で演奏してきた経験を振り返ると、
あくまで陰に佇んで、というときも、世界の中心にいるつもりで、というときもありました。
どちらも正解で、どちらも唯一の答えではなかったと思います。
音楽の捉え方はさまざま。奏で方もさまざま。
そして、奏でたり聴いたり、その場にいたりする「こころ」も、さまざまでしょう。
いろんな想いがあって、舞台はできています。
少なくとも、そうだった、と思います。
ちとおっかない話で恐縮だが
サソリには毒がある
日本じゃあまり見ないものの、アメリカの内陸部だとその辺に普通にいるらしい
だが、蛇同様、刺されるときついものの
その毒を飲んでも大丈夫だという
venom = 皮膚から入るとやばい = 酒にしてオッケー
poison = 飲むとやばい = ワインに入れるのダメダメ
…今までしらんかった
毒ってもいろいろあるね
世の中なにをやるにも
効率や時短は重要視されるが
自分に関してはこれはあまり当てはまらない
おそらく(無意識に)効率化できていることはあるだろう
キーボードを打つ速さとか、〇〇、□□、(あまりない)
だが
やりたいことをあまり身体化できていない僕は
効率と真逆のことをいつもやり続けなけれないけない
また、それとは別に(境が難しいが)
新しくやりたいことは、たいがい効率的にはできない。
人一倍時間がかかる、というやつだ。
おそらく四倍。これは性格的なもの、能力的なもの、両方あるのだろう。
一旦わかってしまえば
それから超スピードで片付けていくのは、とても好きなんだけどね。
効率と非効率の二元論というより
両方常に存在するし、なんにでもたぶんあてはまる。