微かさ

山に登り、地下に潜る。

ほぼ 一年半ぶり か。

要は「鍾乳洞」に行ったわけである。

コウモリが舞う洞窟は、冷んやりしている。

かつて洞窟が「発見」されたとき、微かな光に浮かび上がった石たちのかたちは
掘削者たちに多くのインスピレーションを与えただろう。

モジュラーパッチ ii

身体性を少しずつ取り戻している。

使わなかった動きを紐解き、バラバラな回路を結びつける。

あれとあれって、案外同じ動きでいけるんだな、

こういうのって嬉しい

物質と隙間

小さい頃からずっと繰り返して聴いている曲は
とても短かったりする。

最近は数十分かかる音楽も聴くようになったが
やはり二分台の音楽はいい

隙間の中に

凝縮されている

ゆきだるま

季節外れの紅葉に
燕が舞い

満開の藤に
熊蜂が舞う

そんな春

ゆきだるまは巨大化し
地面はぐるぐる回される

りんごはぐ〜るぐる

うみあび

日没後 段ボールをリサイクルボックスに持参しつつ
海にいく。

相変わらず誰もいない。ここが賑わうのは初日の出ぐらいだ。

流れが速く海水浴できる場所ではないし、勇気あるサーファー以外は水に近寄らないのだ。

ふと日本海を思う。
丹後由良や出雲、鳥取砂丘に小浜。魚津。
なぜかアットホームに思う。山地で生まれ湖岸で育ったのになぜだろう。

うち出雲だけは未だに訪れていない。
京都の親戚が数年間、出雲で暮らしていたので、勝手に「いつでもいける」気になっていたが
それが「いつもいってた」にすり替わってしまったようだ。

魚津の駅前がとても静かだったことを思い出す。

静寂のある街って、すごく貴重だと思うのです。

とぎすまされる。

下手な音は出せない。

それって、プレッシャーだろうか。

喧騒に紛れてなんでもできる、っていうのは
それはそれでいいことなんだろうか。

また、「それぞれ」に戻ってしまう。

海はそんなことは気にしない。

ゾノア

とても小さいグロッケンで
音を録る

大人には眩しすぎるほど
澄んだ高域がはじかれる

曲に合ってるかはわからないけど

大きな楽器も小さな楽器も
出会ったものとはつきあっていきたい

size

練習。だいぶ身体でつかんできたものがある。
ただし、子供用の楽器なので、そもそもが身体に合わないんだよな。

try

それは沢山のことを試みる。

four fourteen

ひとつの区切りと勝手に思っていた日。

たくさん、じたばたする。

形にはならない。

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