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目がなにを

今日はですねぇ…

もしも今見ている視界がやがて数十年後
命の終わりと共になくなるなら
なんのために僕らはこの世界を見てるのだろう

記憶や心に転写した世界は何になるんだろう
なんて素朴で物騒なことから

じゃ、どうして、殺されると判ってる「家畜」や
漁対象魚たちには目が備わってて
彼らはどんな世界を見て、何を思って、
何を何のために記録し反応してるのだろう

なんて人間勝手で基本的なことをふと考えていた

景色を見たり感動したりって
震えたりって
すごく大事だけど
すごく儚い

これについては断言したくもなるし
「そんな気がする」で止めたくもなる

ともあれ、そんな事を考えていた夕方に
ふと、散歩に出かけたら
その場にいた人たちが
動物の目線についてのお話をしていた

思わず聞き入りながら、途中から割り込んだ
けど、その話には行き着かなかった。
他の話が面白かったから

こういうことって
よくあるんよね

僕の場合
というか
僕でもそんなことがあるから
誰にでもあるのだろうさ、と思っている

シンクロニシティ、が存在するということは
僕らは集合意識の中にいるんだよな

一斉に咲く桜と同じように

aerofiat4

エリア51

亜墨利加51番目の州になれば…って
議員が発言してさらに呆れた事を言っているけど
これ、叩く材料だけじゃなくてすごく本質的なこと突いてるんよね

表現で大騒ぎする傘の下に、実は集団の本音が発露している
自民党がCIAの援助を受けて成立したとは良く言われていることだけど
よくよく辿っていけばそれも道理で
なんで戦争で日本を打ち負かした米国が日本の「最大の友人」になれたかというと
それは徹底した心理戦によって、日本を完全に従属させることに成功したから、だろう

開戦前にすでに「戦勝後にどうやって日本をコントロールするか」のシミュレーションをしていたという米国

…まぁ、そう考えてみれば当然のことかもしれないが…

何しろ我々の多くは、米国に従属している事にすら気づかないで過ごしてきたようで
こんなに完璧な「戦勝」はない

WW2の後も世界中に派兵して戦争ばかりしてきた米国が、決して他国をコントロールしきれていないことを考えると、彼らにとっての「戦争戦略の成功体験」って対日本だけじゃないのか、とさえ思えてしまう

ともあれ愛や酒や、金や名誉や、薬物や核や、いろいろな「依存症」は人間あるのだろうけど

日本に関しては完全な「米国依存症」が戦後ずっと続いている

かくいう自分もその一人で、音楽に関して米国の、いや現在の米ポピュラーにはそうでもないが
アメリカ音楽、その若いはずの歴史の深さと魅力にはかなり依存していると言わざるをえない

色々な人種の入れ混じったグルーヴの深さには脱帽するしかないし
発声やハーモニーのキレと雑多感、開放感はなんだ

もちろん、孤島である日本ならではの視点から見れる、音の景色はたくさんあるのだが

戦争で負けたってことは、ぼくが測り知れないぐらい
辛くて辛くて辛くて 情けないことなのだろうけれども

それに気づかずに 完璧に、サブリミナルに従属してしまった今の日本はあるいはもっと情けないのかもしれない

だって、クレジットカードも、ネットも、FacebookもTwitterもdisneyもgoogleもAppleも、ぜんぶアメリカだぞ?!

どうあがいたって、すべて掌の上やんか!?

だからって、51番目の州になりたいのか? ってことだ

ぼくらは英語もろくに操れないのに…
日本語使えるけどね

そもそも向こうから見れば、州に加えるなんて気持ちは毛頭ないのだろうし
その点でも深い二重幻想、じゃないかな

things behind the sun

こないだのプチ旅で見つけた

細野さんの「アンビエント・ドライヴァー」
面白くて。

先日文庫本が出たばかりらしいけど
僕はこのところ、ハードカバーを列車の共にしている。

UFOの話とか平気で出てくるんだけど
心の持ちようというか

背中合わせの話とか、いいな…

それ読みながら、夕暮れ駅のベンチでふと思ったこと。

最大の未確認飛行物体って太陽かも
というか太陽はいちいち
僕らの存在を確認するんだろうか?

「確認」って、なんだろなって。

IDを垂れ流し、共有しまくってる人間。
ポイントカード、クラウド、マイナンバー。
増え続ける町中の監視カメラ、そしてスマホの自撮りカメラたち。
それって、なんなん?

なにをconfirmするのかな。

誰でも知ってるつもりの「太陽」って、
誰も知らないし、向こうもこちらを知らないし、
あるいは知りまくってるから、知る必要もないのかもね。

オレヴィンテージ

年末のことであるが

あまりに締まりのないクローゼットを一掃しようと

ガサガサやりながらひらめいてしまったコンセプト

オレヴィンテージ

自分が着古したものを捨てて街でヴィンテージものをさがす

って、よーかんがえたらなんの遊びやねん?

自分が着古したものこそ、ヴィンテージの価値があるんとちゃうんけ?

オレにとっての。

そんなんで、着古したものに無理やり価値付けをしはじめると

が差したように楽しくなり

結局何も捨てられなかった。

おわり。

新年

あけましておめでとうございます。

去年も今年も、世の中はとても暗く思えるけど
そのシナリオには乗らないよと。

皆さんにとって、素晴らしい一年になりますように。

thousand primitives

2015年

世の中は暗かったけど
ぼくの音楽活動としては忘れえぬ年でした

出会えた人々の輝きには驚くばかり

名前を挙げればきりがない

一緒にできて、俺でいいの? と思いつつも
とてつもなくいい時間を過ごせた人も

ほんの短い間だけど、ちょっとの瞬間で
まだまだこんなことができるだろうなとわかった人も

この遊びが一緒にしたいんだろうな、と
だったらやろうよ、となれた人も

一方で「もう、俺は観てるだけでいいですよ」と本気で思った人もいて
「え、なんでです?」と言ってくれたけど
それはほんとに、何も足りなくないと感じたからで

ミュージシャン、共演するばかりが能じゃない、とも思ったり
まぁ、縁があれば(というか、答えがみつかれば)ね

 

色々な、自分の外殻をひっぱって、割るか伸ばすかしてくれた人々のおかげで

久しぶりにコーラスもやったし、初めてアコースティックギターも弾いたし
人前ではメガネをかけないようにしていたのに逆に思いっきりかけてたし
ペダルボードなんて生まれて初めて使ってみた

おかげで少なくとも 意識の上では外殻が大きくなった

中身が埋まるかは これからだな

本職の低音に関しては
ろくに練習時間もとれなかったが 人前で学ぶことと
ああこうやってたんだ こうやりたかったんだと
思い出すことばかりで
自分の何割かも まだできていない

できてないことに気づけただけでも よしとするかな

 

一方
今年やり残したことも たくさんあって

Daveとも
Epizoとも
ヒロとも
一緒に演奏できなかったし
工藤さんとも一度しかできなかった

日の巡り合わせとはいえ己のブッキング能力の無さにはまいる

数年前からのアルバムセッションの話も実現せぬまま
待ち切れず長い散歩に出てしまった仲間もいる

自分の曲も
相変わらず 大量の作りかけのトランク

 

来年はどんな一年になるだろう

瞬発力がないのに 慣れてしまっているが

深い海から そろそろ顔を出すかな だれかさん

rebmevon

出会いと別れの11月。

思いのほかに

ずっしりくる、時間だった。

正直、この一ヶ月で一年は巡った気がしている。

novembertrain1

これもまた、とても大事な時間なのです。

アンテナ・アンテナ・アンテナ

生を受けたこの世界に、昨今この情勢、警戒を抱いてはいるが

それでも自分自身はポジティブである。

やれることをやる、しかないのだ。

- 音楽を人と共有できればそれが一番だ -
- 鳴り止まないことが大切だ -

そういう人たちの意思もわかる。それが完全に解決策とも思わない。
(音楽そのものを否定する人がいる限り。そして、その気持ちも決してありえなくはない限り)

が、自分はやれることを、磨くのだ。

何しろ、僕自身、昔は音楽がすべてではなかった。
かなり小さな頃から音楽と共に生きてはいたが、
それでも自我に目覚めた頃から中学のある時期までは、
音楽以外のことの方が心を大半を占めていた。
自分が何かに没頭できるなら、無音でも、よかったのだ。

それがあるとき、FMから流れたポップスにスライドしたけれども

その頃は、まさか自分がライヴをしたり、ジャズをやったり、
自分が受け付けなかったロケンロールやフォークを
好きになるとも、これっぽっちも思ってもいなかった。

人は、変わるのだ。

だから、人には、いろいろな可能性がある。

音楽を、また様々な国の文化を好きになり、
日本のことばも好きであり続け、
楽器を続けている以上、これからも探り、少しでも自分がいい「  」になれるようにと思う。

折に触れて、人に言われたことが人生の楔にもなり、傷にもなりつつも
それを溶かし、乗り越えることが
できると思っている。

ひねくれた僕はたとえ音楽でも「分かち合いましょう」なんて言えないが
それでも、そこにいる人たちと、何かを感じることができると思っている。
よい「」であれば。

人の役割のひとつは、アンテナ - 触媒だから。

サルビルサ

パリでの事件

3日以上たっても、言葉にならない。

こういうとき報道は迅速に、とか、日本のマスコミはどうしてこんなに遅いのだ、とか
その一方で、さっさと空爆を決め込み実行してしまうフランス政府って、なんなんだ? とか

音楽の会場で起こったことでも、あり
そもそも音楽を全く禁じ、標的としての人種識別としてしか利用しないひとびとがいる、という
それだけでも絶望させる世界観

13日の金曜日の出来事であり
キリスト教国に対する敵意としては出来すぎている感あり
(自分はキリスト教徒でもイスラム教徒でもないので、到底実感はし得ない、想像でしかない)

さらにはオスマン・トルコ陥落の日から97年目でもあるという。*

無差別な悪意は価値観をどこまでも破壊してしまう。または
価値観がどこまでも破壊された結果の無差別な悪意。
対話を完全に拒絶したレベルの状態
信じるものが根本的に異なる
それは「戦い」を見事に正当化してしまう。

突如として命を絶たれた人々、その周囲の人々、「街」に対していくら哀悼しても足りぬ思いと
その加害者はいったい誰なのか、という果てしない疑惑

既にここ10数年で明らかになったように、テロ(と呼ばれる無差別犯罪)は軍事力では抑えることはできない。
戦場ではなく、はっきりとした敵味方さえ存在しない混沌の中で起こる「テロリズム」。
混沌こそが、ごく普通の人間の暮らし。

それを壊す理由が、果てしなく拡大再生産される、それが「対テロ戦争」。

何も学ばず、互いに盲目になる指導者たち。
莫大な特需を受ける軍事産業。「敵」も「味方」もお客さん。
それが無限の「成長分野」だとでも思っている?

犠牲になるのは、いつも一般の人々。

なら、兵士なら犠牲になってもいいのか?
代々兵士の家もあれば、志願した人、経済上その他の理由でやむなく入隊した人もいるだろう。
自爆した人も、自爆攻撃を正当化され、叩き込まれた若者たちだろう。

三色旗をアイコンに重ねる人、それを咎める人。
分断や煽動に踊らされるまいと、何も言えなくなる人。

まともに考え出せば、果てしない矛盾と迷路。

揚げ足を取りあう人々を上から眺めて
声の大きな者が、待ってましたと勇ましく語る。
戦いを美化するために、ここぞと腕をふるう広報。

武器を取る者。いや、気づけば武器を取り、操縦席にいる者。

その先は、地獄。

どの言語であっても、それに値するもの。

ひとつ、いい絵本を紹介したい。

スズキコージ「サルビルサ」

出版社へのリンクが見つからなかったので、探してみてください。

ひとつの大きな答えが、そこにあるから。


* 第一次大戦後の英仏伊によるイスタンブール占領。1918/11/13 ~ 1923/9/23

born in november

11月生まれの音楽仲間がなぜか多いのです。

ご無沙汰の人も、遠くにいる人も
またよい一年を、重ねられますように。


Rastko Rasic (dr)


Hiromi Tsuchiya (vo)

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Old Tree, Blues, and Summertime
Madoki Yamasaki (vo, gt)
Kaze ni sasowarete
Maïa Barouh (vo)

アフロ、福ちゃん、種さん、はせさん、はるかちゃん、文吾どん、十夢くん
…数えきれません…

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