カテゴリー: libre

TRII

テルマエ・ロマエ II を観る。
初日に名古屋で観たかったぐらいだが、さすがに公演・打ち上げを抜け出す心臓は無かった。

楽しめたし、反戦メッセージ(???)みたいなのも無くはなかったが
冒頭は好戦的でグロかった。それから自分はあんなにストイックにはなれんだろうな。

それにしても開演前の他映画トレイラーの音のデカさにはうんざりしてしまう。
映画本編はダイナミックレンジも確保されているし、まだ聴けるけれども、
音をデカくすれば関心を惹ける、みたいに思ってる人、
デカい音だと観たくなる、と思ってる人、
まだ沢山居るのだろうか?

僕などは耳も心も塞ぐんだけど…

逆に耳を開いてくれるのが
劇中のじいちゃんの笑いやおばちゃんの接客の言葉、
温泉郷の湯の音。なんでもない音。

木こりの唄も、よかったな。

錆びた階段にペンキは塗れずとも

雨音と共に気配かわる。

カメラ、スニーカー、お預け。

録音機、黒に交代。

押し入れの盤引っ張り出し、聴き直し。NicoとColinとStones

記憶の楽譜、念写しダウンアップボウ。

ツバメたちと話しつつ、

子供の頃の、明日より先の、音探そう。

when the world is running down, you make the best of what’s still around…

無垢を管理しようとするもの

中身の濃さに、1年も頓挫してしまった

本が死ぬところ暴力が生まれる / バリー・サンダース

再び読み始める。

やはり凄い本。

第6章 口承世界を育む母性

産業革命から、1920~50年代のアメリカを題材にしているが

リアルタイムの日本でも、全く同じことが進行していたのでびっくり。
地デジ電波に乗って、つい2日前の朝に。

あぁやだ。

そんなときはスイッチを消して

僕らにはどんなロジックや市場よりも
カタコトと心臓のリズムの方が響く

って、思い出せばいい。

311と生命線

今日は色々なところで避難訓練があったり、追悼式があったりしたが、
どちらにも参加できなかった。

あの日の事、あれからの事は決して忘れることはない。
というより、あれを境にして、やはり僕の人生も変わっている。

人がどんなに流されやすいものか、
どれだけ、病んでいる人が多いか、
どれだけ、僕らが生きているということが奇跡に近いか。

どれだけ、争いや責任転嫁がみっともないことか。
がんばってる筈の人が、何故か自発的に不都合な真実に蓋をする。
なんでだろう?

言いたい事があれば、矛盾が百発あってもまずは聴くしかない。
そうやってギザギザなパルスを交換しなければもう生きて行けない人類。
さびしいんかな。おれら。

だって、元は砂だったんだもんな。
もしかしたら、スマホで転送される電磁波にも満たない地下鉄の中の人の心。
新聞勧誘のノルマンディーにも上陸できないウミガメ。
たまたま赤い色を発してるだけの誰かのほっぺた。美しいけど。

こんな戯れ言も言ってられない、天災、人災。
ひっくりかえってる技術に烙印も押せない、印鑑係。

これから、変えて、いきたいね。

めんたるわーるど

グラミー、Lordeのスピーチが恐ろしく深い。

ここでも、ナオミ・クラインのショックドクトリンが取り上げられている。

清志郎さんが最初期から唄っていた「言論の自由」。
初めて聴いたとき寒気がしたこの曲、
ここでの「自由」と似て非なる「自由」が確実にこの世を覆っている。

70’sから 80’sから 90’sから 0’sから 10’sから

今日のPM2.5にしても、根っこはここにある。自由競争の果ての微粒子。

だがどうして彼女は this world is mental という言葉を使ったのだろう?

海にて舵をとる

和田秀樹の「甘えの成熟」が書庫にあったので読む。12年前の本。
タイトルは古さを感じさせるが、他で気になっていた理屈と通じる気がした。
— 自立とは、依存である、というやつ。安冨さんか。

賛同できない部分もあるが、冷静な分析が随所にある。

イニシエーション効果。認知的不協和。まず、この辺り、いい戒めになる。

以下雑感と己の宇宙観。

世紀末〜零年代初頭に撒かれた「自己責任」論とは、財界側がコストカットに有利なように決めたルール、の地ならし。
個に分断され、敗者はバタバタと倒れて行った。
あるいは、弱者の宝であった「連帯」は、価値観レベルで見事に潰された。手練のストラテジー。
小さい独立が光に見え、網にかかった者も沢山いる。
「スガンさんのヤギ」みたいに、幻の「自由」を欲した者もいる。
あるいは、「個」という名の新たな束縛が、村八分以上に作用している場面だってある。
まぁ、そんなことが、当時この手の本など見向きもしなかった自分でも、わかるようにはなった。

ところがいくらコストカットをし、合理化しても、不景気は変わらなかった。
需要と供給ならば、需要が不足しているのに、正常な意味での需要を育てる努力を政官財は全く怠った。
消費税増、賃金下落、自己負担。物品価格下降は生産者にも購買者にも罠をかけた。

世界の工場の任期を、日本がとっくに終えていることにも、早く気づくべきだった。
世界の資本家にも死の商人にも、なれもしないことにも。

同じ過ちを、何度繰り返すこの國。
日付変更線では、圧倒的に世界のリーダーなのに。

秋葉原が米国人に人気がある理由は、米国にてミドルクラスが破壊されたことにも起因する、
だから、秋葉の売り上げを基に海外戦略を立てても失敗する、という。
確かにアメリカは、少なくとも自分でわかる範囲では、90年代からろくな電化製品も売られない場所だった。
日本では考えられない劣悪なオーディオ、テレビ、こちらでいうハンズやアヤハディオ、ケイヨーデーツーとも比較にならないRadioshackという怪しいDIYショップ。— 逆に、自分にとってはいい価値観のシフトになった。
秋葉的、寺町四条下ル的なものなんて、無くてもそんなに困らなかったからだ。

テクノロジーではコンピューターだけが最先端だった。面白いバランスだと思った。
それでも、10年遅れで、しっかり日本はその後を追った。そしてコンパスを見失った。
GE製の原発は爆発したが、ムラ人は導入時のイニシエーションを未だに信じている。
日本のコンピューターは、ブランドも、OSも、サプライも、根絶やしにされた。
そして、テクノロジーが歪であってもそれを気にかけないぐらいのテンポ感やアナログな光、街の陰影に
どうも僕はまだ飢えている。

アメリカは国力(軍事力含む)を背景に昔も今も日本に圧力をかけてくる。
アメリカ政府の意見=米国民の意見ではない。
日本政府がアメリカ政府、経済界の意見に左右されていても、日本「国民」が左右される必要はない。

そして。
依存の上手い人間が、結局のところ上に立ちますよ、
ということに、冒頭から触れている。
それもその通り、なんだろう。

甘えられるのも、才能。わかる。
甘えられなくなるのも、才能かな。
違うだろうな。

でも、見る視点が変わると、すっごく、カミソリみたいに、削って行きたくなってさ。

心地よい世界を作る為に、輪郭をけずっていく。
刃が折れても、何かがなめらかになるように。

そうやって、生きてるのが、だれかなのかも、しれないな。

さっさと読んで書棚を空けようと思ったけれども、また振り返ろ。彼のブログ

賛同できない部分も多い。だが考えさせられる。学歴社会にもイニシエーションはあるだろう。

海にて舵をとっている人だな、とは思う。

壁のむこう側

ふと、自分を勇気づけたある考え、或は、こじつけ

「過去、生前認められず、後に認められた人たちは、
たまたま認められなかったのではなく、生前、本気で失敗を繰り返していたのだ」

本気の試み、本気の失敗は、本気でイタい。
よって、その空気をたっぷり共有した同時代人に認められることは決して無い。

だがそれっでも、折れた後に成した何かは、
イタい空気の去った後に、認められることもあったろう。

もし、本気で失敗の次に行けたなら。

つまり、失敗するか、成功するか、に関わらず、

次に進めるかなのだ。

よいお年を

てなわけで、

いろいろあった、

しかもあまり良くないことがいろいろあった2013ですが、

よいお年を!

 

何もかも笑い飛ばしてやりましょう。

ニュースも、世論も、景気も、勝ち負けも、

仕事も、付き合いも、

芸術とやらも、

気の持ちようですけん。

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