サルビルサ

パリでの事件

3日以上たっても、言葉にならない。

こういうとき報道は迅速に、とか、日本のマスコミはどうしてこんなに遅いのだ、とか
その一方で、さっさと空爆を決め込み実行してしまうフランス政府って、なんなんだ? とか

音楽の会場で起こったことでも、あり
そもそも音楽を全く禁じ、標的としての人種識別としてしか利用しないひとびとがいる、という
それだけでも絶望させる世界観

13日の金曜日の出来事であり
キリスト教国に対する敵意としては出来すぎている感あり
(自分はキリスト教徒でもイスラム教徒でもないので、到底実感はし得ない、想像でしかない)

さらにはオスマン・トルコ陥落の日から97年目でもあるという。*

無差別な悪意は価値観をどこまでも破壊してしまう。または
価値観がどこまでも破壊された結果の無差別な悪意。
対話を完全に拒絶したレベルの状態
信じるものが根本的に異なる
それは「戦い」を見事に正当化してしまう。

突如として命を絶たれた人々、その周囲の人々、「街」に対していくら哀悼しても足りぬ思いと
その加害者はいったい誰なのか、という果てしない疑惑

既にここ10数年で明らかになったように、テロ(と呼ばれる無差別犯罪)は軍事力では抑えることはできない。
戦場ではなく、はっきりとした敵味方さえ存在しない混沌の中で起こる「テロリズム」。
混沌こそが、ごく普通の人間の暮らし。

それを壊す理由が、果てしなく拡大再生産される、それが「対テロ戦争」。

何も学ばず、互いに盲目になる指導者たち。
莫大な特需を受ける軍事産業。「敵」も「味方」もお客さん。
それが無限の「成長分野」だとでも思っている?

犠牲になるのは、いつも一般の人々。

なら、兵士なら犠牲になってもいいのか?
代々兵士の家もあれば、志願した人、経済上その他の理由でやむなく入隊した人もいるだろう。
自爆した人も、自爆攻撃を正当化され、叩き込まれた若者たちだろう。

三色旗をアイコンに重ねる人、それを咎める人。
分断や煽動に踊らされるまいと、何も言えなくなる人。

まともに考え出せば、果てしない矛盾と迷路。

揚げ足を取りあう人々を上から眺めて
声の大きな者が、待ってましたと勇ましく語る。
戦いを美化するために、ここぞと腕をふるう広報。

武器を取る者。いや、気づけば武器を取り、操縦席にいる者。

その先は、地獄。

どの言語であっても、それに値するもの。

ひとつ、いい絵本を紹介したい。

スズキコージ「サルビルサ」

出版社へのリンクが見つからなかったので、探してみてください。

ひとつの大きな答えが、そこにあるから。


* 第一次大戦後の英仏伊によるイスタンブール占領。1918/11/13 ~ 1923/9/23

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