カテゴリー: libre

雨と七月の始まり

6月サリ、7月。

大きな句切りではあるのだが、それを許さない日程。
なんとか週末にたどり着く。

クワガタムシにやるミニトマトの確保と、強風で倒れるその植木鉢の保護と、
その他、幾多の諸々。

月の初めは海に行きたかったのに。それどころじゃないや。

最近は裏声に凝っている。どうして裏声と表声の切り替わる音域ってあんなに人生をおかしくするんだろう。
僕の場合はEとFとF#と、そのあたりだ。キーによっても変わるから、どうも不思議だ。

赤い靴という友人デュオを手伝っていたとき、ちょうどそのあたりの音域ばかりコーラスにあって
タジタジになったことがあるが、たぶんそこらへんが余裕のご本人には、その心理はわからなかっただろう。
いや、まじで、そこだけスッコーンと抜け落ちるのさ。

そして僕の場合は困ったことに、そのちょうど周辺の音域が異様に突き出てしまう。
まぁそんなもんは、単に修練が足りないだけだ。そんなんで、マイペースに練習は続けている。

自分の好きな音楽って、自分でしかやれないし、自分がやりたいことって、自分しかできないのだから、それをやるかやらないかは、全く以て自分次第。

周りを巻き込むとか、成功するとか、時流に乗るとか、そいうこととは、違ってね。

布施明さんのさる番組を観ながら、改めていろいろ思う。布施さんほんとに凄いシンガーだなと思い、低弦で参加していた知人奏者の話を思い返し、画面のプレーヤー達に敬意を払いつつ - 幾人かは同じ現場に立った事もあり、勿論凄腕だ - も、それは僕が現在やる事とは違うと、改めて知るわけだ。

ミニトマトが目の前で出番を待っている。

人前での出番がないとはいえ、音楽人生はたぶんこれまでで一〜三番ぐらいに充実している。
田舎でマイペースに生活しているので、その中の限られた時間での精進は、身になっているのだ。学生時代の続きと、世相への緊張感からの、諸々を含めて。

明日は Independence Day。知人二方の誕生日でもあるので、少し連絡をしてみよう。

火輪の風と、海の蕾

改めて、六月の二つの作品の紹介。
さっそく聴いてくれた方ありがとう。

五月、すでに雨をたっぷり先取りしてしまったので
梅雨にもかかわらず、創作者の気分は乾いていました。
砂漠だったり、アメリカンだったり。

砂漠 – 未だにエジブトにも中東にも行ったことがない。
小学校の国語の時間に何を思ったか「二十歳になる前にサハラ砂漠に行きたい、でもどうやって帰るか、わからない」と発表したことがあるが、
結局それは果たさず、鳥取砂丘と中田島砂丘にとどまりそうだ。

だが、砂の「なんにもない感」には年々強い何かを感じており、
昨年あたりからの作にも頻繁に砂が出てきている。

構築や成長、変わらないための流転、それらすら許さないような微粒子。
ウィルスと違ってはっきり目視できるけれども、砂のそっけなさって、すごい。

海岸で見てるとわかる。一瞬で濡れて、一瞬で、乾くし。

trojan wheel は、曲と詩を書いた後に決めた題で、それ自体は
トロイの輪
という話を内包している。

これから、どうやっていくか。自分(たち)は。

トロイは、ギリシャ人たちが争い、滅した街。
トロイの木馬はトロイを破壊するために贈り込んだ、アカイア軍の木馬。
コンピューターウィルスの代名詞にもなっている。
だけど回転木馬や揺り木馬がそうであるように、木馬は破壊だけではない何か、別の世界への乗物でもある。はず。

ずいぶん前に書いたが、新宿にあるピエール・バルーさんのラ・ジュテで、不定期に不思議な催しがされていたころ(自分も出入りしていたころ)、
いつまでもひたすら回り続ける、という中東の踊りを、誰かがやっていた。
なんでそんなに回るんだろう。というぐらいに。色鮮やかな、衣を拡げながら。

音楽的には、ずっと前からのダブルベースのスタイルに立ちもどり、モードをどう紡げるかをやってみた。鍵盤はお休みし、ギター一本、ベース一本。打楽器も指のスナップだけ。

(…ちがった、シンセ弾いてました。)

フリーフォール、は、聴いてもらってのごとく。
底が抜けましたよね、っていうこと。
6月に入って、いろいろ。

どのように自由落下しますか。空から、あるいは宙へ。
利害のためにつくった虚構の街や催しなんて、とっくに。

これからも人を縛りつける企みは続くんだろうけど、
もっと大事なこと、あるし。

去年の Neptune と、根本的には同じこと。
あっちは徹底的に内面を見て、こちらは動物的にいきました。

パワーコードのトラックにアルペジオとリフを重ねたのだけど、サビのサイドギター、結構気に入ってます。
6/4拍子っていうのは、これも輪か。ノコギリと輪。

あとひとつ、常に思っているのは

蜘蛛の糸

あやとり、どこまでも。

live wire

金藤日曜 六月第三

日曜大工はなし。先日、机の下に取り付けたキーボードフックはどうにか動作している。
というかひっかけているだけで、その後は落下もない。

なんでスライドレールにしなかったかといえば、レール部品を買ったものの重すぎ、自重と板とで落ちそうだったからだ。なんなら鍵盤そのものの左右にネジやスライドを仕込みたい。(エスペランサが5弦フレットレスをベルトのバックルにひっかけていたように)

思わぬところからいただいた49鍵のキーボード、タッチはチープながら、フル鍵盤なので助かっている。これまで机に置いてたミニ鍵だと、ピアノを触った時に間隔があまりに違い、タメにならなかった(上手い人ならどんな鍵盤でも弾ける)。ステージでここ数年使っていた KX5 は、幅はフル鍵で、あれはあれでよかったんだが。

先週頑張っていた旧データの復旧は、アメリカ時代4年分のデータはコンバートできた。帰国してからの…が…なのだが、
きりがないのでストップしている。あと数百…? MBP が壊れる前にやらねばならん。

オリンピックは目を覆うことになっている。というかこれから、本格的に目眩しが始まるだろう。
その先にあるのは、その数倍も愚かな、憲法の公開改竄か。
「国民が自分の意思で」選び取ったと偽装するために、一斉にメディアが動く。
いくらでも金は撒かれているだろうから、その仕上げは近い。とても情けない。

僕は本当にこの国の統治システムに絶望しているので、というかその先を思っているので、せめてできることをやるしかない。一人にできることなど、一票の投票しかないのだ。

県知事選。全国でも貴重な、少し変わっているが信頼に足る首長。この人が頑張ってくれているからまだこの県は踏みとどまり、世界一危険な立地と言われる巨大原発も止まっている。
結果は大差での当選。この県はまだ見込みがある。

音楽は素晴らしいことだが、残念ながら、長く東都と「地方」を往復してきた僕には、東京が、自らしか見ていないことが見えている。
なんでもあるすごい街。中にいるととても快適。人もお店も、すてきだよ。
ブラックホール。欲しいものは何もかも吸い込む。でもやっちゃいけないことがあったね。

その一つが、福島と新潟に押し付けた、原子力発電。
そして一つが、東北の復興を偽装した、オリンピックだったよ。

その上、コロナ克服の証なんて、よく言えたもんだ。

僕は、どんなに遅れていようが、スルーされようが、世界をよりフラットに見える場所の方がいい。

やりたいことは、もう自分の中にあふれているのだから。

モロコとサソリ

もう一個、詩がある。

先の未タイトルより前に作った。曲もあるしタイトルもある。
『フリーフォール』
どっちが先に形になるか。こちらはとてもシンプルだ。パワーコードだ。

週末はいくつか録音を試み、[無題曲] のベースも録ることができた。

月曜は曲の事は忘れ、少しだけ時間をみつけて鍵盤の練習。全然弾けないが得るものはある。それってなんだ?
自分にとって大事なものなのだと思う。ゴスペル。リズムも波動もハーモニーも、そしてテクニックも、黒人音楽はあまりに素晴らしい。
かつて身体と耳で覚えたフィール、忘れる前に頭と手を動かせ。


前回の詩はまだ題の見当がつかない。困った、これではリリースも、ページすら作れない。

少しだけ内容に触れる。

「蠍」が登場するが、それは僕が蠍座生まれということ、だけではなく、
ひとつにはこの昔の日記の内容を思い出したから、である。(たぶん)

汚すことのできない次元

なお、最後一節は、あれから書き換えた。またそれは、曲完成の時点で発表しようと思う。

オットセイ

前回日記など見てるとさぞ、のほほんと暮らしてるかの。如きであるが。

世の中の動きはますます怪しく、報道の統制ぶりに軽く眩暈することしばしである。

戦前から80年経ったからって、戻っていいわけないだろ。あの道に。

拉麺珈琲

お昼にラーメンとコーヒー

は合わんよな、と

コーヒーサーバーをしまっておいたら

思わぬ形でサーバーを使うことになった

拉麺スープを救出するために

その後コーヒーを再び淹れることになり

よほど気合を入れてよく洗ったけれども

あれはひょっとするとラーメンコーヒーだったかもしれない

まぁ気にするな

ただの日記だ

こちら日曜カーペンター

先週末は日曜大工

今週末はその成果をようやく使えるかというところ

机の下のキーボードフック。
スライダーなんていいものじゃなく、単純にひっかけてるだけで、早速一度落下してる。
それでもとても有難い。やっとフルサイズの49鍵が膝の上に来て、いつまでも鍵盤楽器を弾けない言い訳がなくなった。

もう一つ日曜大工は

虫除けの網を扉につけること

マジックテープとマグネットを使ったもので、意外と簡単にできてよかった。

中国製品のアイデアに既に日本は追いつけてないというか、もうかなり引き離されているのでは?
変な翻訳日本語を読みながらもそう思う。自動翻訳でどんどん回っていく世界。

—-

そんな中 大昔のファイルが今の Mac では読めなくなっているという現象に出くわす
恐らく OS (Catalina) の仕様変更だろう。
救出に古い OS (El Capitan) の MBP 含めて、4台で文字通り四苦八苦する。

頼みの古い MBP はアダプターを繋ぐと熱暴走して使い物にならない。
バッテリーの不具合らしいが、逆にバッテリーで使うしかない。トラックパッドも反応しない。
またバッテリーが膨張してきたかもしれないが、こいつはもう何回もバッテリー交換したからな。
よく頑張ってくれた。最後の仕事だ。

1994年から果てしなく続くファイルを復旧していく。

数えきれない曲のデータ…殆どはモチーフやグルーヴの断片だけど
そろそろこれらも整理しなければ。中には意外としっかり作ってるのもあったりする。

確定申告かよってぐらい大変な作業。ぜんぜん週末じゃない。

—–

コンピューター触っていると本当に縮こまってしまうので、
ときおりそんなことは忘れて、身体で楽器に触ったり歌う時間を持つようにしている。

音楽やる人としては当たり前のことなのだが、

2021年現在、これは何の競争でもなく、自分のために、だ。それが一番、大事な向上心だと漸く気づいている。

皆さんの前で何も披露できないのが、残念だ。
だが。だからこそなのだ。


これはいうまでも無く、金土日曜をひっくるめて「日曜」とした日記。

自分もこれから、金藤日曜の化身ということにしよう。
内省的なきんどーちゃん。そんなんいるのか。

鴨川つばめ先生にいつか一目。

きづけばろくがつ

月をまたぐ。

嘘のような快晴の June

日没に間に合わず人のいない海へ

世の中のツールの進化に少しついていこうとするが
たくさんはできない

そんなことはこの水や砂は気にしていないようだ。

先月は新しいのも古いのもたくさん曲をこしらえた。

足りないことばかりだが、どうせ過ぎていく時間だ。
繰り返せることは繰り返したい。というか音楽は繰り返すことだ。

それがテープなのか絵巻なのか、フットスイッチかループボタンなのかの違いは
たいしたことではないだろう。

少しだけ、先日の新曲について記す。

シナモンニッキロール、このタイトルがとても気に入っている。
ニッキの英訳を調べても Cinnamon としか出てこない。だがシナモンは木の幹から、ニッキは根からという明らかな違いがある。

ニッキといえば生八ツ橋で、僕も昔はよく食べたものだ。
未だに、老舗同士で訴訟が続いているとは戦慄に値する。

どこが元祖でも都でもいいじゃないか、と僕は思う。住めばそこは都だ。

東京である必要なんてとっくにない。大津だって紫香楽だって、かつては京だった。

負け戦とわかってても認められない大人たち。僕もそうだろう。

泥を目指してドローに持ち込もうとするボブ・ドロー。
若くして脚光を浴び、長年姿を消すも、すてきな爺さん音楽家として復活した、憧れの人。
一度だけ真前の席でライヴを観れたあの時間。

ロックのピアノといえばあの人。ニッキー・ホプキンス。
全然追ってこなかったけど、大好きなあの曲もあの曲も彼が弾いていた。

少しは見習おうと、最近は彼の曲のイントロのアルペジオを練習している。
ああはなれないけど、ね。

いかん、脱線というか、本線が尽きない。

あの曲は、駄洒落の箱です。決して不届きなものではありません。
たぶんね。

五月

五月は緑色。なぜなら五月人形の敷布は緑だったから。
柏餅も緑だからだ。たぶんもっと重要な意味があるのだろう。

今月も飛ぶように過ぎ去ってしまった。
前半特に、書きたいことを色々綴ったが、
綴る綴らぬに限らず、自分がやるべきことがあると感じ
没頭した時でもあった。

という意味では、いい時間だった。

まだ上げていない途中の日記をどうするかも考えているが

…ここで寝落ちし、6月になってしまった。

(上の写真は、例の最新シングルのジャケ下描きである)

ががーりん

写真を撮れない。

ちょっとしたスランプかもしれない。いや、別に。
僕はフォトグラファーじゃないし、カメラの使い手でもない。

そういうことではなく、スマホでもなんでも撮ろう、という積極的な気になれない。
インスタをやらなかったのもあるのかな。もったいない。でもどうしてもあの手のツールが信用できない。

写真は才能のある素敵な人がいくらでもいるから、任せておけばいい、
確かにそう思っている。だけど自分が思うイメージもある。

自分が見ている景色ってなんなのか、ときどき不思議になるけど、
たぶん、そのイメージどおりに写せないのはカメラ選びや使い方の失敗というより
他に原因があるのだろう。

自分のイメージを写せる道具があればいいのに、と思う。

でもそんなもの手に入らなくてもいいとも思う。月を見れなかった水曜日。
月が見れなくなるのを見れなかった、湖上。

水面。藍色と灰色と黒のグラデーション。光たらず。列車がゆく。


視覚に興味がないわけではないのだけど、このところすっかり、
見かけを気にしなくなった。他人にも会ってないしね。

それはある意味、とてもいいことだ。髭面とさっぱり、オールバックと坊ちゃん頭を行き来するけど、
帽子も被らなくなったし、その必要もない。というか、どこにいったのか見当たらない。

そんなことより、内面だ。何ができるかを考える。考えこむより先に手を動かす。

以前できなかったことが、だんだんできるようになってくるのに驚いている。

捨てて、得るものって、あるんだね。


いい曲をときどき思いつく。ミニマルと言いつつ手癖の繰り返しで済ませる自分だが、いい加減芽を出したい。

その先何枚も葉を出し、昆虫でいうなら脱皮し、どこかで見たような姿になり、そしてやがて、やっと物事は何かになるのだとすると。
何にもなれないというのは思い込みだとようやく気づく。たぶん何かになる。


どうも内省的でいかん。内政干渉的か。

でも、スーパームーンの月蝕の、それも雲隠れの夜に、そうでもならなきゃどうなるんだ。


面白い曲がほぼ出来上がってる。楽しみだ。いつも曲作りは楽しいけど。

その先の次が、楽しみなのだ。全然違うアイデアが、たくさん出てきて、ようやく系を循環しつつある。

たぶん僕は、相当たくさんの曲を生むだろう。

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