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九月おさらい

9.30は特別な日だ。毎年。
Mark Bolan の誕生日。
いつもいい区切りになっている。

だが、だからといって9.30の夜にそれらしいことができるわけでもない。

よってあとから、振り返りを試みる。日付は9.30に戻す。


実はあまり覚えていない。何があったっけ…

海に行かなかった。

いつの間にか、酒をやめていた。一月近く禁酒できたのは初めてだ。
おかげか、体調はすこぶる良い。

酒、その時は楽しいんだが、翌日を悲惨にするんだよな。

たぶん、もう必要ないのだろ、と嘯いてみる。


月初頭に、鬱陶しい様な「愁ひ」を記したが、やはり TV は総裁選ばかりで、ほとほと日本のニュースメディアに愛想が尽きた。

誰がなっても実権は同じだし、国民はおろか党員にすら、選ぶ力はなかったということ。党員と議員の投票結果が真逆。
そしてその後の人事みれば明らかだ。

パラレルワールドの向こうから、一方通行の情報をありがたく受け取るだけ。これで21世紀なんだ。

当初思った通り、だけどそんなの全然嬉しくないし、嫌になるばかりだ。メディア、どんどん飼われていく。

なんとかしようよ。

過去の収賄ももちろんあかんけど、本質的に危惧してるのは、彼らの現在とこれからの方向性なんですよね。

この期におよんで原発推進派で閣僚を固めているし、軍国主義だし、そのためのデジタル管理が連動してる。

これ、もうカモフラージュのしようがないし。

だからこそ、メディアを買収する。SNS に金をばらまく。困窮してるフリーターやフリーランサーに仕事を回すのは飼い馴らす効果もある。
その人らがどれだけ葛藤のもとやってるか。でも、播く側はそんなこと気にもかけない。

受ける側も、気にしてたら精神がもたない。みんな気にしなくなっていく。
そうなれば遺伝子組み換え成功。あとはチョロい。

過去の収賄や買収ももちろんあかんけど、現在とこれから、それを超える規模の収賄と買収が行われる、んだろうな。
だからこその開き直り人事だと見る。

だめだね、古すぎるよ、やり方が。ますますこの国は堕ちていく。


コロナの新規感染確認者が、いつのまにか激減してる。

理由はわからないけれども、デルタ株は弱毒化したのだろうか?

でも、去年も今頃は、人々が忘れるぐらい寝ってましたよね。
11月になるまで。そして500人を超えた。

安心はできないけど、小休止もないと、いい加減耐えられなくなってきますよね、
いろんな意味で。

自身としては、まだ当分、演奏活動の予定はありません。
継続・再開している人やお客さんには敬意払いつつも、
みなさん、どうか気をつけて、これからも。


9月は月見宴もしなかったけど、ベランダで月を眺めることは、よくやってた。

いつも静かな夜。虫の声が今年は特に大きく響いてた。

満月のタイミングは朝の8時だったので、完全な丸い月は見れなかった。それでもよい。

あるとき、ある虫があまりにいい声を界隈に響かせてるので、夜中に録音にでかけた。
道を渡って草むらにハンディレコーダーを向けただけだが、ただでさえこの時世、職質されないかと気になったよ。


Charlie Watts を憶う。いろいろ思った。

いろんなことを振り返れて、それだけでもいい月だったかもしれない。

Thank you.
To you and you and you.

秋分周辺

秋はいい季節だ

…今年はなんか、裏のうらの方が沁みてくるようなあきだ。

何か獲物があるわけではないが、せっせと作品をつくっていこう。


夏は MacBook Pro が常に瀕死の爆音を上げていたので

数小節のフレーズすら録音するのが辛く、マジでたまらなかったのだけど、

秋のおかげかようやく少し静かになってきた。

Core i9 の無駄遣い。

Covid 19 で失った翼。釣り合わない。

まぁもう少し頑張ってもらおう。


虫の声がすばらしくて、な。


満月や秋分のあたりに曲を出したかったのだけど

幸か不幸かいろいろアイデアがあり、4曲同時進行にてまとまらない。

脳内での完成は近いのであるも。

飛来と旅と

思えばこの夏は特別で

ここ十年ぐらいで、こんなに甲虫に出くわしたことはなかった。

9月になっても、またクワガタがプランターや郵便受にやってくる。朝はメス、夜はオス。

最初のノコギリクワガタを死なせてしまって以来、飼う気はないので、

車で5分、栗の木に還しにいくのだが

その度に助手席にダンボール紙の小箱、中身はコクワガタ。

おかしいなこの車、全国演奏旅用の筈なのに。

この頻度からするとたぶん、近所に住処の樹があったに違いない。だが結局見つけることはできなかった。

もう涼しくなってきたし、流石にもう来ない気がする。

でもまた迷い込んだら、そのときは仕方がないな。

9月の愁

夏が終わると「新年度」になる国も多かったな、みたいな、今となってはおぼろげな記憶。

しかしこの空気。どこからともなく家に紛れ込んだ蟋蟀の声。

確かに秋だ。

今年になってようやく好きになった Steely Dan を聴きながら、
(いや、Josie はよくても Aja はまだ、やっぱ好きになれないな、とか)

去年と同じようにバタバタっと畳まれる政権と、それに食いつくメディアを見ている。
というか、見ざるをえない。できればこんなもの、見たくはないのだけど。

政治のことなど、遠い昔は考えなかった。よくわからないし、ダサいし、じれったいし。
昔は産経新聞と朝日新聞読んで、前者の方が歯切れ良い気がしてて、
戦記モノの漫画も読んで、戦車のプラモを沢山作って、
ミリタリーファッションもして、なんとなく、そんなんだった。
戦争に実感が最も遠かった世代、かもしれない。
湾岸戦争のころだって、最初は多国籍軍を応援してたぐらいだ。

まぁ、そう思わされていたんだろうな。

だからって、そのままでいるわけではなく、いつからか反対側の目も養うようになったし、
音楽の好みや弾けるジャンルが広がると同様、いろいろな価値観を知り、
また、いろいろな境遇で暮らしたり仕事をしたりすることで、肌で感じる思いもぜんぜん変わっていった。

いくら俺みたいなのでも、911観て、政権交代見て、311あれば、変わる。
変わらない人もいるだろうけど。

以降、書き出したらとんでもなく長く、収集がつかなくなった。また改めて書く(までもないのかもしれない)。

ともかく、今は政権与党の総裁選が TV をジャックしているが、
それは幾重にもおかしい、ということだけは綴っておく。

  • 総裁選は国民に選ぶ権利がない。報道する意味? 選挙権のある選挙で毎回報道を控えるのに?
  • 一方向…前世紀型の情報伝達を、この ICT の進化した2021年に、やる?
  • それとも IT とか ICT ってそんなもん? ビッグデータ取るだけで所詮片側通行?
  • 候補者は表面上の違いがあっても改憲、軍国化で本質的に違いはない。メディア何やってる?
  • 「改憲の主役は、あなたです」というポスターが、最初の会見背後に掲載されてたのは何故?

特に最後。
主役をすり替えている。「マイナンバー」という仕組みと名前も同じ。
この、今の危機と全く関係のないポスターは、カメラの向こうの国民に対して刷り込みをかけ、
それ以上に、その場にいる記者とそのメディアに対して、餌を見せつけている。
「これは君たちの次の仕事だ」。「次の稼ぎだ」と言った方がいいかも。

政府がジャブジャブ広告宣伝費をかけて、広告代理店とメディアに改憲広告を出す。
どれほど儲けになるか計り知れない。メディアは公然と、札束で頬を叩かれているようなものだ。
広告主の意向に、逆えるか?

大金を撒いたほうが、勝ち。
いくら信じられない不正が続いても、この国では質されない。

だから、メディアは権力と距離を保たなければならないし、
広告規制が必要だったのに。オリンピックの前に、とっぱらわれてしまった。
そして、オリンピックの饅頭をたっぷりいただいたメディアは、もう戻れない顔をしてる。

確実に巨額の報酬をくれる広告主の意向に沿うよう、事を進めるだろう。
多くの視聴者は、露出の多い人に、吸い寄せられてしまう。

そして。

出来の悪いゲームのつもりで、大人が戯れている間に、
取り返しのつかないことに、なってきた。

一人や数人が気づいても、もう止められない。数百人でもダメだ。
何十万人も、何百万人も、いや、たかだか八千万人が気づけば、止められるのに。

どうなる? ぼくらのこれからは?

もっと、やりたいこと、やるべきことが、いっぱいあるんだぞ。

so loose to get groovy

Charlie Watts の追悼記事はたくさん、そりゃあぎょうさん出ていて
そのごくごく一部しか観られないのだが

これは Guardian の記事。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts

Stewart Copeland と Max Weinberg によるコメント。

Stewart と Charlie は僕の中で二大ヒーローで
とはいえ彼らのスタイルやビートは真逆だから
あまりこの二人を同列に好きな輩はいないかもしれないけど

ここが刺さる。by Stewart、以下は僕の訳

Charlie described himself as a jazz drummer, but they all do that – in rock’n’roll, that’s sort of like saying “classically trained”. Rock musicians aspire to have jazz credibility – even Ginger Baker called himself a jazz drummer, for God’s sake. I’d say it was a futile enterprise: a member of the Rolling Stones denying being rock’n’roll is not very convincing! But one thing you can see of the jazz influence on him is that he went for groove, and derived power from relaxation. Most rock drummers are trying to kill something; they’re chopping wood. Jazz drummers instead tend to be very loose to get that jazz feel, and he had that quality. The jazz factor in Charlie wasn’t in the use of the ride cymbal going ting-ting-ti-ting, it was his overall body relaxation. It’s also why he hardly broke a sweat while driving the band to light up a stadium.

チャーリーは自分をジャズドラマーと言っていたけど、それってロックンロールあるあるだよ。
楽器を弾けるっていうときに、「クラシックを習った」といえば箔がつくだろ、ロックミュージシャンにとってはジャズがそうなんだ。ジンジャー・ベイカーだって自分のことをジャズドラマーだと言ってたし。

僕に言わせればそんなの言うだけ無駄だよ。Rolling Stones のメンバーがロックンロールを否定しても、あまり説得力がないだろう!

でも彼を見てわかるジャズの影響のひとつは、彼はグルーヴを追求し、リラックスすることでパワーを得たっていうことだ。
ほとんどのロックドラマーは何かをぶっ殺そうぐらいの勢いでドラムを叩いてる。木を斧で切ってるみたいだ。
ジャズドラマーはそうじゃなくて、すごくルースになることで、ジャズ特有のフィールを出す。彼にはそれがあったんだ。

チャーリーのジャズの要素というのは、ライドシンバルをチンチキチンと叩くことじゃない。身体全体をリラックスさせることだ。だから彼はライトアップされたスタジアムでも汗をかかないんだよ。


The biggest thing I learned from him is volume – he plays very quietly. Very early on, he discovered this wonderful device called the PA system: five billion watts of PA means that the drummer doesn’t have to work all that hard after all. When I was a young drummer, I was out there trying to kill every drum in sight, and it’s through watching Charlie that I realised: you know what? You can actually get a better sound out of your drums, and a better groove, if you relax.

僕が彼から一番学んだのはボリュームだ。彼はとても静かに叩く。早い時期に彼は、PA システムというすばらしいものを発見したんだ。50億「ワッツの」 PA があれば、ドラマーにとって力む必要など何もない。

僕は若い頃、視界に入るドラムを、全部ぶっ殺すつもりで叩いていた。
チャーリーを見て気づいたんだ。何かわかるかい?

リラックスすれば、よりいい音をドラムから引き出せるし、もっといいグルーヴが得られるんだよ。

* 一部穏やかでない表現があるが、「ぶっ壊す」ぐらいがよいのかな。どうなんでしょう、ロックドラマー諸氏。あと知人をフォローしておくと、汗をかかないのは体質もあるでしょうね。

Weinberg の方もじっくり読んでみる。Born in the USA と Street Fighting Man では力の入り方がだいぶ違う気がするけど…

* 8/29 夜追記: Max Weinberg の Charlie Watts 追悼寄稿、多岐に渡る深い話なので、近日中に訳して公開します。「お洒落」に関する話が特におもしろいです。 こちらから

あのこのすきな


チャーリー
ワッツ

っていう、リフレインの中の変な掛け声を聴いて、

当時ロックもろくに知らなかった僕はなんやねん、その人、と。

他にも、ゲイリーグリッターとか、マークボラン、デボラハリー、

あのこの嫌いな仲井戸麗市、なんでだこのやろう…

とか

清志郎さんのアドリブだったのかもしれないけど

この「エリーゼのために」というか、”BEAT POPS” と覚えてた RC サクセションの曲は

僕の中で特別だ。なぜなら、これが初めて人前でバンドで演奏した曲だから。

あの日はこの他、クリームの Sunshine of Your Love とか、モータウンみたいなベースラインのブルースとか、
スティービー の Isn’t She Lovely? の16ビートアレンジとか、やったっけ。どんちゃん?

先輩に混じって白いフレットレスベースを借りて、なぜかターコイズのジャンパー着て弾いたあの時は、ビデオ見返すと自分は人前に出てはいけなかった人だ(めぐりめぐって今もそうだ)が、

音はよかったし、先輩かっこよかったし、中でもずっとシャッフルビート弾いてた「エリーゼ」はその頃から歌詞がずっと、なんか、染みている。

Rolling Stones を好きな人は、まわりに結構いたけれども、自分はそうでもなく、
いつからこんなに好きになったのか、それはその後数年間、いろいろやってたバンドを全部やめてからだった。

京都はブルースマンやロッカーが多かったし、それに対する逆の壁、みたいなのも自分は感じてたから、
知ったかぶりするのもストレスで、正直、自分のペースで味わうのに時間がかかった。

でも、その昔にはじめて “Start Me Up” のビデオを観た時の衝撃はでかく
なんで、ロックバンドに公務員みたいなおじいさんが入ってるの? ちょーイイ人そうだし、ラクそーに叩いてるし 右手ピタッと止まってるし…
ボーカルのおっさん、ルパンと銭形が一緒になったみたいなキャラだし…

彼らこそがロックの典型なんだけど、それまで持ってたロックのイメージって
長髪とか、拳あげたりとか、なんか硬そうだったから、ぜんぜん軽やかでテキトーで、ひょうきんで、

あっこれやったらわかるわ、いやよーわからんけど、みたいな、のはあった。

でも当時はとにかく音楽全般、「ギター」っていう楽器に偏見っつーか抵抗があって、
エディだろうがウォーレンだろうがキースだろうが、フォークだろうが、あまり惹かれなかった。
単音楽器のベースかドラムか、あるいはシンセか、しか興味なかった。
身近でブルースギター弾いてる人はかっこいいと思ったよ、でも画面や写真のむこうからは。

で、なんとなくチャーリーワッツは好きだったけど、Stones 聴きまくりだしたのは、京都のスタジオでバイトやってた頃だ。

それからアメリカに数年行って、ジャズ学んでたにもかかわらず、しばらくはほぼ毎日 Between the Buttons と December’s Children を聴いてた。

というか、Charlie のドラムは、ジャズだった。あのフィールは、そこらの「ロック」(?)にありがちな四角いやつじゃない。楕円形で、しなやかで、伸び縮みして、いい加減で、繊細で、気持ちいい。

間違ってもフュージョンじゃないし、メトロノームなんかかけ離れている。でも、メトロノーム以上にビートをきめてくれる。

ビートルズとはまた違った、何百回でも聴けるスウィングとグルーヴがあった。

ビル・ワイマンのベースはほとんど注意して聴いてなかった。Live With Me とかのキースのベースは格別だけど。(今思えば Start Me Up のビルは壮絶かっこいい)

でも、ベースに耳貸さずとも最高に気持ちいい音楽が世の中にはたくさんあって、ストーンズはそれだった。

Cherry Oh Baby … Eric Donaldson のカバー、ワンドロップが途中、何回かひっくり返ってる。わざとっていうより…見失ったに違いない。
で、そのテイクがオッケーになっちゃったんだろう。

でもそんなんでも気持ちよく聴ける。この人おかしい。

チャーリーは、ビートのタイミングや鳴りもそうだけど、フィルでちょっと遅れたとこから「…ダダダダ」って追っかけて、しまいにはバンドを追い越してしまうみたいなとこがとにかく好きだった。

漫才してるみたいで。音楽聴くだけで、笑えてしまう。おもろい。歌詞の意味わからんでも、楽しい。

Cool, Calm & Collected のタイム感。深くて穴の開いた背広のポケット。エンディングの壊れたような加速。

….

もちろん、そのうち歌詞も気にしだしたけど、ミックの詞世界、自分に理解できるわけがない。あんな人生送ってないし。
(たまにわかるとなんだか嬉しい)

でも、それでも、大事にしたいと思う。宝物をくれた、人たち。

生で観れたのはマサチューセッツ州郊外のスタジアムと、東京ドーム。

前者はいつだったか… チケット高くて、$100ぐらいした。その頃アメリカは、日本よりずっと手頃にライヴ観れる国だったけど、彼らぐらいになると…というか、うまいこと買えんかったのか。

昼間のフットボールスタジアムで、前座はシェリル・クロウ。彼女はまぁまぁ有名だけどブレイクする前で、ごく前列にしか音も届かず、僕のスタンド席では誰も聴いてなかった。

Stones になったらどっかーん、スクリーンも映るし音も数倍だし、前座とメインの格差の凄さにも驚いたが。

そこいくと、数年後に観たドームは、正面とはいえあまり細部は覚えてない。スクリーンのアニメがいかがわしかったな…

近年も活動は気になってたけど、五反田に来たストーンズ展など観にいきつつ、聴くのは昔のレコード(音源)ばかりで、いい加減なファンだった。

長い闘病生活だったようで、想像できないぐらい辛かったのだろうけど、それでも、最後までジェントルだったんだろうな、とか、思えてしまう。

お疲れさま。

彼の域には、最初に思ってたところから 5mm も近づけなかったけど、この人が僕のこれまでの人生を、数倍楽しくしてくれたことは、間違いない。

ほんとにありがとう、チャーリー。

RIP, Mr. Watts –

slippery when

雨間に窓を
開けとったら

ダブべーの指板
ありえん程に
濡れとぉ

フェスに出ても
おらんのにのぉ


不覚にも

今月はまったく新曲に手をつけておらず

新月も半月も満月も見過ごしそうな気配である。

もういっこ半月あるけども。

もし何かが起これば、准旧曲のリメイクを発表できると思います。

とはいえ最近はむしろ内面的に得るものがあり

そのちょっとした変化が出せるかも、しれません。

そうならなければ、またの日に。

みなさん・いろいろな境遇はあると思いますが・身体を大切に

コロナを舐めずに・雨を舐めずに・滑っても転ばずに

生き抜きましょう。

れ’ とりっく

日々のニュースに、流されるのは相変わらずだ。
Blinking News っていう詞を書いておきながら、自分も逃れることができない。
だが、忘れる間もないくらいひどいニュースが続くので、やはり考えたことは記録しておく。


原稿なしで答弁できない
しても読み間違えられる
公的文書は塗り潰される

この国の言葉ってなんだ
日本人しか使わないのに


『ドラゴン桜』の第二シリーズが春に放映され
その中に「東大入試で最も重視されるのは、『同等関係』だ」
というくだりがあった。

ある事柄を、具体的・抽象的に、さまざまに言い換える。
手を変え品を変えて、相手に伝える。これが最も大事な国語能力だという。

そしてこれは国語に限らず、理系科目も含んだすべてに通ずる、本質的な能力だ、ということだ。

「言い換えの力を、日本最高の学府とされる東京大学は最重視する」

さて。これはどういうことだろう。


昨今、特に3.11以降
高学歴なはずの人々、優秀に違いない官僚や政治家が
全く的を得ない言葉で人からの質問をかわしたり、人々を煙に巻いたり、
あるいは法をねじ曲げて解釈したり、ということが顕著になっている。
昔からそうだったのかもしれないが、少なくとも自分はそう感じ続けている。

どんな価値観を持つ人にもレトリックは必要だ。日常生活でも商売でも、家庭でも一人の世界であっても。
だが、それを学び尽くした達人であるはずのエリートたちが、どうして壊れたテープレコーダーのように道理に合わない発言や証言を繰り返したり、同様にエリートが揃うマスメディアが、詭弁をそのまま垂れ流したり、論理破綻を取り繕ったりするのだろう?

日本語の使い方の見本となるべき人たちが、同等関係を悪用・誤用?して母国語を破壊しつづければどうなる?

英語や中国語、アラビア語、ポルトガル語等と違って、日本でしか用いられていないこの言葉だ。

たとえ今は塗り潰したり、リアルタイムの言葉が持つ生命を二次元にのりづけしていても、そのうち誰かが回復してくれる、と思っている?


いや違うな
世界から多くの人が
(日本語を)
理由あって使ってくれるのに
それをこそ裏切っている


前述の「日本人しか使わないのに」という書き方は、浅い。浅すぎたので、違う角度から訂正補足する。

今回広く知らされた、スリランカ人ウィシュマさんへの入管の問題は
英語に続いて日本語を学び、日本語学校を母国で開こうと決意してこの国に渡った彼女を、
不法滞在になったという経緯(ここは僕には判断しようがない)があるにせよ、おそらく非人道的な扱いで死に至らしめたその対応と、その後の情報開示請求に対して、塗り潰した1万5千枚を送り、高額請求までしたという、あまりに酷い態度にある。

ちょっと信じられないような話だが、こういうことはあちこちで起こっているようだ。

「日本国」でしか母国語として用いられないこの言語を、
日本での就労、日本人向けの物品製造、販売など生業として、あるいは趣味も含めて
相当な数の人々が使っている。覚えてくれている。

ウィシュマさんの遺族は「この映像はすべての外国人が観るべきだ、つぎはあなたの番ですよ」と訴えたが、
たとえ日本社会が今後、こういう不当な危害を彼らに直接加えなかったとしても、
書き言葉、話し言葉をねじ曲げ続けている今の日本社会は、世界中の人たちに対しても裏切り行為をし続けているのだ。

海外メディアへの対応がひどい、とよく言われるが、もっと身近なレベルでも。


言葉には綺麗な言葉も汚い言葉もある。
僕の英語力はまだまだだが、世界第二の人口の母国語であり、世界公用語であるこの言葉から学ぶことは多い。そして何より、英語は常に、生き続けている。

常に洗練され、汚されながら。

日本語はどうだろう。

この瞬間も、さまざまな人が、すばらしい言葉を、目の覚めるような表現を、大切な気づきを、笑いを、くれている。
それこそ、僕は毎日、学びっぱなしでもある。と同時に、言葉を使うものとして考え続けてもいる。


「日本でしか使われない」というのは、あるいは、甘えでもあると思う。
他人にはわからないのだから、何を言ってもいい、
どう扱おうと勝手だ、

そういう状態が続けば、言葉はやがて滅びるかもしれない。

自動翻訳技術は、皆が苦笑している間にも、指数関数的に進化している。あるいは世界の誰もが一瞬で、日本人の本心を見抜く日が来るかもしれない。言葉が麻痺した僕たちよりも、早く正確に、そして味わい深く。

バックリィ

先月だったか、ふと気になって
これまであまり真剣に聴かなかった Jeff Buckley を聴いたり、映像を観たり。

彼はスタジオアルバム一枚でこの世を去ってしまった。そのアルバムはたぶん、潜在意識には入っているのだが、親父さんの Tim と比べて、サウンドが少し苦手だったのか、あまり記憶がない。

これって単純に自分のキャパの問題でもあるので、改めて聴いてみるとやっぱ影響受けてた、というか彼がバンドでやってたサウンドは、自分の好きな音楽と共通点多かったんだなと再自覚する。

Television、Yes、Bill Frisell、Led Zep… そしてもちろん Tim Buckley。

なんで苦手だったんだろう? ベース?

今ならいろんな音源や映像に触れられるので、追体験。すごいね、この人。

https://music.apple.com/jp/music-video/grace-bbc-late-show-stereo/1538374733

ギターの人のペダルを踏むタイミングは突っ込みどころがありすぎて…
4人のバンドサウンドって、改めて奥が深い。
自分が若かったら、こんなバンドやってみたいな。

それからこの人、弾き語りのときの波動がとんでもない。Mark Bolan みたい。

アルバムタイトルでもある “Grace” の詞、読んでみた。

これって…ぼかしてるけど
明日戦場に赴く兵士だよなあ。飛行機乗りの。

すごい歌唱だと思うけど、この世界には僕は同意できないな、
彼も若かったし、1994年というときもあったのだろうけど
美談とか運命とか、任務とか大義名分が自分に染みてくる感じとか
それって、今一番、拒絶しなければならないものだと、思ってる。
人間が人間であるためには。

当時の僕は英語読解力がとても低く、わかってもどう思ったか、なんだけど

たぶん、9.11 後に自分で書いた “grace behind the word” は
こういう曲に対する無意識の返歌でもあったのだと思う。DIarY レベルだけども。

そんなことを思った。
日が明けて、違うことを思った。この詞は飛行機乗りを指してなんかいない。
こちらの勝手な思い込みだ。*

だが、
彼のインタビューでも “mortality” という言葉が残っている。

“It’s about not feeling so bad about your own mortality when you have true love.”

えっ…? 「愛があれば」「死すべき運命も」「そう悪くない」…?
あかんやろ、それ。

“Grace is what matters in anything—especially life, especially growth, tragedy, pain, love, death. That’s a quality that I admire very greatly. It keeps you from reaching out for the gun too quickly. It keeps you from destroying things too foolishly. It sort of keeps you alive.”

成長や悲劇、死や愛、何事においても、Grace を感じることで、君は銃に手を伸ばしたり、愚かな破壊願望を持つことから距離を保つことができる - あるいは、彼自身を律するような曲だったのだろうか。

だが彼は結局、30でミシシッピ川に沈んだ。意図的か、事故か、薬や酒のせいかはわからない。

死とは隣り合わせで生きていた Jeff.
フォークヒーローであり幼い彼を捨てた父は、手本でも、反面教師でもあっただろう。
Tim の映像を見ても、その思想の深さと思い切りの良さのようなものが伝わってくる。
だが彼も28で世を去った。

Jeff があの後も生きていたら、どんな表現者になっていただろう。
Tim じいちゃんと Jeff おじさんで、親子共演などしていたら?

田舎道の銀行から出て、この曲のライヴ音源を聴き始めたら
バンが通りかかり、そのナンバーが彼の誕生日だった。
「ひらがな部分」は「は」だった。
これ、「ば」ならもっとよかったな。ナンバープレートに濁点はないんだっけ。

つづく

* 「いい歌詞は、十人が聴けば、十通りに解釈できる」と、あるとき知人が言っていた。
とても説得力があった。今でも、たぶんそうなんだろうなと思っている。

「機上の勇者」と「機能性食品」

これだけあった〝特攻隊員に覚醒剤〟外道の証拠
「チョコ包むの見た」証言から元教員が追跡

2021/8/15 – 47NEWS

若者たちを
「機上の勇者」にするとは
どういうことだったか。
そのために大人は
どれだけ周到に準備をし
どれだけ責任逃れをしたか。

そういうことには
強者はいくらでも頭を使う。

デジタルにも
注意


記事の中ほどに登場する
「機能性食品」
恐ろしい言葉だ。

言葉を言い換えるとき
そこには多かれ少なかれ
騙しがある。

それに長けたものが
ある世の中では重用されるらしい。

だがそこにも
やっていいことと
いけないことがある筈だと
思う。


「デジタルにも注意」っていうのは
意味おわかりでしょうか。

これからますます、注意です。

「わなをかけていく」のが仕事らしいですからね。誰にだ?

– 10.8 追記

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