カテゴリー: book

みたりきいたりよんだり

Peter Broderick 来日
やっと生で観れた、マイペースさとピアノ、声の丁寧さに感じいる。
Taguchiの12連スピーカーも、自然な増幅で気持ちよかった。

Léonore Boulanger / Feigen Feigen
新作強力、音像がサラヴァっぽくて、Raincoatsも思い出す。ギターの質感が好き。

Dianne Reeves のいろんな作品
今頃聴き返してる、とてもクリエイティブ、参加全員、音楽家としてすばらしすぎる。

ピアニストの脳を科学する: 超絶技巧のメカニズム | 古屋 晋一
案外すっと読めた。続編はあるのかな。練習によって脳内に回路ができるできない、というあたり、技能の向上だけでなく、世の流行なり時代性なりの移ろいとも関連しているような気がした。

続 ピアノを弾くからだ | 黒河 好子
ちらとかじっただけだけど、より深く考えさせられる。「眉毛を使うことにより音楽的なフレーズになる」って面白そう。

旧約聖書の世界 | 谷口江里也
とても読みたくて。なんで人々は争い続けるのかなって。どうしていろんな作品に、ああいう名前が登場してきたのかなって。

— 以下、まだだけど —

これは買いでしょう
Andrés Beeuwsaert / Andrés Beeuwsaert

山口洋佑さんがジャケットを描いた作品はたいてい素晴らしい気がしていて。
Vardan Ovsepian も連弾で参加しています。

Vardan, Rastko と嘗て作った音楽 – Voice of Marble

petertaguchi peter2

りょりつ

「考える人」ひさしぶりに買って読む

なんだかサイズが小さくなっている

河合隼雄の物語賞、というのがあって

受賞作の「悪声」の著者、いしいしんじ さんの書いてる(言ってる)こと、とても腑におちた。

まだ作品は読んでいないけれども。

Punch Brothers を聴きながら。備忘録。

サルビルサと並行宇宙

こちらから思えば信じられないようなことを考え
実行する人々が

反対からみれば全く同じことを考え
実行している

冷戦もそうだったと思うけど

9.11以降の世界や

3.11以降の日本や

潜在的アジアや

今の国内もまさにそうなんじゃないかな

色々な物語がそれを表していると思うけど

一番端的にはやっぱりこれだろうか

スズキコージ作『サルビルサ』

想像の世界では並行宇宙の物語は何層でも成り立つけど
ほんとの宇宙はどうなんだろう

正義ってそんなに都合よく、チケットで買えるものかな

イビサ島のネコ

久々に 江里也さんの本 を読んだ。

スペインのイビサ島での一筋縄ではいかない人々と
彼ら彼女らに飼われ、世話され、
あるいはたまたま隣り合わせただけのネコたちの物語、27編。

のんきなスローライフ、という調子で始まるのだけど
途中からジャブ、じんわり染みてきて。
独立国の傀儡国王ネコ - 国民のやる気のなさに3〜4週間であえなく国崩壊 -
あたりでぐいぐい引き込まれ

画家たち

音楽家たち

亡命家

ヒッピーアーティスト

警察官僚

それぞれの振り切り具合と人間味、猫味に

今現在の状況とこれからの人生をずっしり考えつつ読んだり

終盤の「いつか日本にエステバンを連れて行こう」
というところで、涙出そうになってしまった。

やる気のない人、動かされる

「出る杭でも打たれない」絵本作家五味太郎に聞く1~(佐藤智子)

ふと読んだインタビュー。五味さんの思いつくままに話が進んでいくので、見出し以外にも解釈の余地は色々あると思い、メモ。

『「勝った」「負けた」っていうようなことは、疑似的な遊びの世界だよね。 』

このあたり鋭いと思う。

A 綱引きなんていうのは、あれは冗談なんだよ。一緒になんて。でも、心合わせてって、引くっきゃねえよ。勝とうってやっているやつだから。そうでしょ?

Q そうですね。

A みんなのために頑張っているわけじゃないのよ。だから、頑張っていないやつも参加する形になっているわけ。「綱があります。引っ張って競技するんですよ」って。

Q はい。

A ね? 「やる人?」って、「あんま、やる気ねえな」って(笑)、まず本音であると思う。でも、しようがない。で、やる。でも、「相手は敵なんだ」って思う。でもさあ、「近所でよく会うやつだなあ」と思う、「あの人、敵じゃないし」って。でも、一応始まって、こっちが紅組、こっち白組。「白組と紅組と戦うことにしようよ」って一生懸命言うわけ。そうすると、割とその気になる。で、引っ張ってみると、結構その気になるもんで、ズルズルやると、ちょっとムカッと来るから、懸命に引っ張ったりするわけ。それで、「勝った」「負けた」っていうようなことは、疑似的な遊びの世界だよね。

Q うーん。

A 終わった後には、ノーサイド。で、「商店街のおやじと本気で闘ったから、もうあそこにはぜったいに買いに行かないぞ」なんて話じゃないよっていうわけ。ここでは疑似の話をしているわけ。疑似競争。ところがそればっかりやっているわけよ。

Q 疑似なことを。

A そう。

Q 「〇〇(なんとか)しましょう、〇〇(なんとか)しましょう」みたいな形で。

A そう、それを設定しているのが教育のシステムっていうことなんだよ。

Q そしたら、自分のオリジナルというか、やりたかったことややるべきことがわからなくなる。

Aそう、全然わからないやつがずっといて、能力は、唯一「付き合う」っていう能力がつくわけ。賢いやつは、どうやって付き合ったら自分がまあまあ楽なのか、生きていけるのか。

なんだかハッとするのは、こうやって、擬似的な戦いを生まれた時からいつもやっている(或いはやらされている)のが僕らだということ。

これが、いつも擬似であればいいだろ、と思うが、擬似の裏側には現実の犠牲だってある。
並行して、擬似と現実の垣根も、壊れて来ている。

或いは、本当に戦争指導してきた人々も、昔っからこれぐらいの気持ちなのかもしれないな、とも感じてしまう。
「敵国」とも戦ってるふりから始まり、やる気のない人をうまく動かし何百万人も犠牲を出して、当人たちは痛くも痒くもない。
そもそも、自分たちのやっていることがわかっていない。世襲だから、慣習だから、なんとなく - そんな Universal Soldier*。

恐ろしくなる。吐き気がする。だが。

「敵味方」という概念は、どんな平和主義者からも、たぶんなかなか消えるものではないのだろう。生まれたときから深く染み付いているのだから。

しかしその一方で昔から、人々にとっては「敵」も「味方」も所詮フェイクで、それと(意識的あるいは無意識的に)付き合ってきたというのなら。

その切り替えにこそ、「危険な時期」を乗り切るヒントがあるのかもしれない、とも思うのだけれども。

* Universal Soldier – by Donovan

サルビルサ

パリでの事件

3日以上たっても、言葉にならない。

こういうとき報道は迅速に、とか、日本のマスコミはどうしてこんなに遅いのだ、とか
その一方で、さっさと空爆を決め込み実行してしまうフランス政府って、なんなんだ? とか

音楽の会場で起こったことでも、あり
そもそも音楽を全く禁じ、標的としての人種識別としてしか利用しないひとびとがいる、という
それだけでも絶望させる世界観

13日の金曜日の出来事であり
キリスト教国に対する敵意としては出来すぎている感あり
(自分はキリスト教徒でもイスラム教徒でもないので、到底実感はし得ない、想像でしかない)

さらにはオスマン・トルコ陥落の日から97年目でもあるという。*

無差別な悪意は価値観をどこまでも破壊してしまう。または
価値観がどこまでも破壊された結果の無差別な悪意。
対話を完全に拒絶したレベルの状態
信じるものが根本的に異なる
それは「戦い」を見事に正当化してしまう。

突如として命を絶たれた人々、その周囲の人々、「街」に対していくら哀悼しても足りぬ思いと
その加害者はいったい誰なのか、という果てしない疑惑

既にここ10数年で明らかになったように、テロ(と呼ばれる無差別犯罪)は軍事力では抑えることはできない。
戦場ではなく、はっきりとした敵味方さえ存在しない混沌の中で起こる「テロリズム」。
混沌こそが、ごく普通の人間の暮らし。

それを壊す理由が、果てしなく拡大再生産される、それが「対テロ戦争」。

何も学ばず、互いに盲目になる指導者たち。
莫大な特需を受ける軍事産業。「敵」も「味方」もお客さん。
それが無限の「成長分野」だとでも思っている?

犠牲になるのは、いつも一般の人々。

なら、兵士なら犠牲になってもいいのか?
代々兵士の家もあれば、志願した人、経済上その他の理由でやむなく入隊した人もいるだろう。
自爆した人も、自爆攻撃を正当化され、叩き込まれた若者たちだろう。

三色旗をアイコンに重ねる人、それを咎める人。
分断や煽動に踊らされるまいと、何も言えなくなる人。

まともに考え出せば、果てしない矛盾と迷路。

揚げ足を取りあう人々を上から眺めて
声の大きな者が、待ってましたと勇ましく語る。
戦いを美化するために、ここぞと腕をふるう広報。

武器を取る者。いや、気づけば武器を取り、操縦席にいる者。

その先は、地獄。

どの言語であっても、それに値するもの。

ひとつ、いい絵本を紹介したい。

スズキコージ「サルビルサ」

出版社へのリンクが見つからなかったので、探してみてください。

ひとつの大きな答えが、そこにあるから。


* 第一次大戦後の英仏伊によるイスタンブール占領。1918/11/13 ~ 1923/9/23

ふゆのはじまりととしのおわり

あかいつきのよる。
Red Red Red / 赤い靴ワンマンは、Special-Tと、次元になりたくて秋から着てるVarde77の上下で。

二人の編成がユニークだけあって、ステージの並びも初体験。
ドラムの背後からベースを弾くというのは、やってる事が全部見えるから、実はとても合わせやすかったりして。
(見えてなくても合わせやすいですよ)

いいフィールとハーモニーと空気を大切にした、とびきりのグループに参加できてうれしい。

コロナの代わりに呑んだBlue Moonが懐かしく美味しくて、しばらく買い求め続けました。

akaitsuki derder77

David Matthews Tokyo Trioで、とあるクリスマスショートコンサート。

一般公演ではないけれど、観ている方々と、吹き抜けの会場の響きに力をもらいました。
生きる力とそれを結ぶ音の力というか。
聴き取りにくいモニターでもばっちり聴いてくれる波多江さんのドラム、
ハートの大きさがそのまま出て来るデイヴのピアノ。
あやとりのように、三人の一体感も増してきました。

来年、ぜひ色々なところでやりたいですね。Trioも、All Starsも。

帰路、送ってくださった藤井さんの言葉。
『日本人は、外国人が街に来たときに大抵「あなたはここへ何をしに来たの?」と聞く。外国では「あなたはここで、これから何をやりたいの?」と聞かれる。この差は小さいようで、大きい』

このごろ、気に入って読んでいたのが「倍音」という、中村明一さんの本。

左脳=管理、右脳=感性、みたいな分類って、日本人には真逆 — えっ?
しょっぱなから既成概念をひっくり返し、中盤で一般ネタで引き込み、後半で魔界にどっぷり。
本としてもいい構成だと思う。さすが内田樹さん推薦、というか文の流れも似てるなぁ。

内容的には、「日本文化は素晴らしい」という勇気づけになれど、ぼく側としてはそのまま受け入れられない部分もあるので、咀嚼が要る。
はたして骨盤は、立てるのがよいのか、寝かすのがよいのか…「密息」はアレクサンダー・テクニークとは正反対にも思えるし。
はたして西洋人の音楽や楽器は日本の古典に比べて「高次の整数倍音」や「非整数倍音」が希薄なのか…ゴスペルクワイアでものすごい声と音の渦を感じ、ソプラノ歌手がホールやスタジオをいとも簡単に震わせてしまう場に居合わせた自分には、そうは思えなかったり。
ただ外来語と同じで、鎖国の反動としての急速な西洋音楽の吸収、戦後の一層の欧米化が、日本の音楽、言語、文化に大きなバイアスをかけたのは事実だろうし、
日本人が本来の力を発揮出来ていないような部分も感じるし。

渡米前後に感じた「向こうで上手い人って、日本でバンドやってる人より音量小さいのに、すごく大きく聴こえるな」というのは、たぶん我々の多くが「倍音」の使い方を「忘れてるから」、だと思ってたり。

「間」と「数える」こと、自分が発する音と会場の響き、共演者との倍音も含めたアンサンブル、というのは、これからすぐにでも、また永く追求し続けられる大きな大きな課題だな、と思い、嬉しくなっているところです。

夏に続いて横浜〜関西のミニツアー、安室裕之グループ(っていう名でよいのか?)。
新谷くんのドラム、前回にも増してタイト。引っ張ってくれるしすごい!  互いに2度目だとバッチリ合ってくるね。
ヒロのギターは謙遜と裏腹に炸裂。喋りの饒舌もますます磨きがかかっている…
利香ちゃんは要所要所で、盛り上げてくれたし。
森本さんのドラム、超自然体で…僕の知らない事、忘れてる時間、教えてくれる。まだまだ自分は押して伸ばすべきツボがあるなと。

前回よりファンキー&エレクトリックな要素を増やしたのも、楽しかったなぁ。
地球上でまだ4〜5回の “astronotes” が意外なほど毎回うけてます。

bluesettejam94

tetsu
夜通し運転でたどり着いた、哲学の道。

たぶん、もちょっと追記します。写真も。

ゆらぎとゆらぎてん

10.07

青山見本帖で「勝井三雄 ゆらぎとゆらぎてん」を見る。
色空間を透かして浮かぶ谷口江里也さんのことば。日本語は斜め折り、英語は縦織り、重力と遊んで降りてくる。
「無数のゆらぎとゆらぎのなかで 音楽がつくり出され、それが記憶や予感とつながる不思議。」
よかんと・つながる・ふしぎ。

「言葉は発せられたその瞬間にその言葉を発した人の存在を証し始めます。」「文字もまた書き付けられたその瞬間からそれが示すことを考えていた人間がたしかに存在していたことの証となります。」
しめすこと・かんがえていた・にんげん・たしかに・そんざい。

「空間構想事始」に、論理は人を遠くへも導いてくれる一方、人の思考を停止させる力もある、というくだり。 “When their eloquence escapes you, their logic ties you up and rapes you” というPoliceの歌を想起。

October なのに

なんで november を急ぐのか…? と昨日もいじられた。
単に好きだからとしか言いようが無い。生まれた月だし。
でも10月も毎年楽しくて、今年は特に面白い事が沢山起きている気がする。

バーンスタインのせい? 不思議な月のせい?

West Side Story の音楽って、やっぱとんでもなくかっこいいな、というところから。

青山見本帖、という、行くという発想すらなかった所に足を運び、
勝井三雄さんの書籍、谷口江里也さんの詩を観て来た。

aoyamamihon

ゆらぎとゆらぎ
手袋をはめて、美しい、巨大な本をめくる。緊張しながら。
縦長のページを、右上からゆらいでいく詩。
反対頁には、天からゆったり降りる英訳詩。

触発される所は一字一句覚えようとするのだけど、北島マヤじゃあるまいし、無理だ。
手袋してるからメモも取れない。

後でパンフレットをいただくと、同じ詩が掲載されていたのだけど。

隣に置いてあった、「空間構想事始」を読み出すと、とまらない、
だがリハがあるので、さわりしか読めずにお暇する。

ページの紙質もさることながら、表紙、裏表紙がとんでもなく美しかった。
さすが、見本帖…

青山劇場の前を通ると、ミュージカルに行列。いい雰囲気。

onthetown

ジャニーズ関係らしい、これも音楽はバーンスタイン。
生オケじゃないだろうな、と思いつつ、こんな賑わう劇場、なんで閉鎖するの?と改めて疑問。

kodomonoshiro

apartment cafe では…なんで今? いしんでんしん?

王子ホールに備えたリハではこれまで体験したこともないような完全生音、生声アンサンブル。
結構激しい曲もあるのに。(いや、内心、こっちの方がやりやすいと思ってる)

これも、特製キットを超ミニダイナミクスで叩いてくれる、沼くんのおかげ。
ハルくんにチェロを触らせてもらう、弦楽器はベースとヴァイオリンしか触った事ないから凄く不思議。

日が変わって、映像録音。ひさしぶり。
スタジオが移転して、すごいことになってる。エレベーターのボタンがわからない。気づいて吹きそうになった。

mrkamiya

赤い靴」のお二人との出会い。というか、念願の半分再会。
そしてもう一人、ギターのしいやくんとは15年も昔、数日間同じシェアハウスにいた…
びっくりしすぎる。

京都。
東西線への乗り換えに、いまだに迷う。四条で降りるんかいな、次かいな。

すてきな、そんでもって超うまい、グラノーラ専門店 COCOLO KYOTO
旧友が開いた店。

cocoloasaibowl

Candy ははじめて。出番までベースをピアノの蓋に立てかけて、大丈夫?と思ったけど、うまく収まってた。
家ではそういうことに全く抵抗ないけど、楽器 x 楽器ってこわい。

candystan

ほどよくゆるくて心地よい、ドラマーの棟くん。
勢いあって、土台の強さを感じるピアノの麻美ちゃん。
音色がきれいで頼りになる姉御、サックスの利香ちゃん。

置きアンプの出力が異様にデカくて、目盛り1/10でもハウるのでかなりカットしたけど
録音したらいい音してたからよし。まぁ生をやってれば、何も怖いものなし。
ようやく、自前の増幅装置もいい感じに落ち着いてきたし。

そして、november。

Adbaloo でやってた曲。2001年の秋に急に思いついて、一度何かのフェスでやってしばらく忘れて、
2002の秋に急に録音して、友人のイベントに間に合わせてアルバムにした。
結構反応もよくて、ライヴでもよくやった。
november – black & white

だけどもう随分長いこと忘れてた。

ジャズでやってもいいかな、と思いだした。
というか、もともとジャズだった。
やると、結構面白い。あまりにもすぐに終わるので、次回は構成少し変えてみよう。

愛車は、だいぶくたびれてしまった。また車検、ホイール交換かな。

thewheel

art comes first

EyesCream April に載っていた Art Comes First のインタヴューいい。
“Great mind think alike but no every time they act alike”  賢者はみな等しく考える。しかし、決していつも同じ振る舞いはしない。賢者は…の解釈は色々あろうが、みな同じ振る舞いをする、というのは不自然なこと。

今はメディアがメディアを潰そうと、少ないパイの中で共食いし、互いを型にはめている。
そして一枚残ったパイは、美味しいか? おいしいか? とてもそうは思えない。

「同じ太陽の下、新しいモノなどない、しかしわれわれは今ここにいて、伝統を大切に、しかしルールを打ち破りながら前へと進む」
「クラフト(手工業)こそが、モノ作りをするうえで唯一の手段であるべきなんだ。手と心を繋ぐことになるからね。手こそが僕らにとって一番大切なツールであるのはそれが理由さ」

左掌にハサミ
http://artcomesfirst.tumblr.com/post/96314454830
http://artcomesfirst.tumblr.com/post/96477291720

ところで “switchcraft” って、”witchcraft” とかけてるんだな。

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