カテゴリー: book

サルビルサと並行宇宙

こちらから思えば信じられないようなことを考え
実行する人々が

反対からみれば全く同じことを考え
実行している

冷戦もそうだったと思うけど

9.11以降の世界や

3.11以降の日本や

潜在的アジアや

今の国内もまさにそうなんじゃないかな

色々な物語がそれを表していると思うけど

一番端的にはやっぱりこれだろうか

スズキコージ作『サルビルサ』

想像の世界では並行宇宙の物語は何層でも成り立つけど
ほんとの宇宙はどうなんだろう

正義ってそんなに都合よく、チケットで買えるものかな

イビサ島のネコ

久々に 江里也さんの本 を読んだ。

スペインのイビサ島での一筋縄ではいかない人々と
彼ら彼女らに飼われ、世話され、
あるいはたまたま隣り合わせただけのネコたちの物語、27編。

のんきなスローライフ、という調子で始まるのだけど
途中からジャブ、じんわり染みてきて。
独立国の傀儡国王ネコ - 国民のやる気のなさに3〜4週間であえなく国崩壊 -
あたりでぐいぐい引き込まれ

画家たち

音楽家たち

亡命家

ヒッピーアーティスト

警察官僚

それぞれの振り切り具合と人間味、猫味に

今現在の状況とこれからの人生をずっしり考えつつ読んだり

終盤の「いつか日本にエステバンを連れて行こう」
というところで、涙出そうになってしまった。

やる気のない人、動かされる

「出る杭でも打たれない」絵本作家五味太郎に聞く1~(佐藤智子)

ふと読んだインタビュー。五味さんの思いつくままに話が進んでいくので、見出し以外にも解釈の余地は色々あると思い、メモ。

『「勝った」「負けた」っていうようなことは、疑似的な遊びの世界だよね。 』

このあたり鋭いと思う。

A 綱引きなんていうのは、あれは冗談なんだよ。一緒になんて。でも、心合わせてって、引くっきゃねえよ。勝とうってやっているやつだから。そうでしょ?

Q そうですね。

A みんなのために頑張っているわけじゃないのよ。だから、頑張っていないやつも参加する形になっているわけ。「綱があります。引っ張って競技するんですよ」って。

Q はい。

A ね? 「やる人?」って、「あんま、やる気ねえな」って(笑)、まず本音であると思う。でも、しようがない。で、やる。でも、「相手は敵なんだ」って思う。でもさあ、「近所でよく会うやつだなあ」と思う、「あの人、敵じゃないし」って。でも、一応始まって、こっちが紅組、こっち白組。「白組と紅組と戦うことにしようよ」って一生懸命言うわけ。そうすると、割とその気になる。で、引っ張ってみると、結構その気になるもんで、ズルズルやると、ちょっとムカッと来るから、懸命に引っ張ったりするわけ。それで、「勝った」「負けた」っていうようなことは、疑似的な遊びの世界だよね。

Q うーん。

A 終わった後には、ノーサイド。で、「商店街のおやじと本気で闘ったから、もうあそこにはぜったいに買いに行かないぞ」なんて話じゃないよっていうわけ。ここでは疑似の話をしているわけ。疑似競争。ところがそればっかりやっているわけよ。

Q 疑似なことを。

A そう。

Q 「〇〇(なんとか)しましょう、〇〇(なんとか)しましょう」みたいな形で。

A そう、それを設定しているのが教育のシステムっていうことなんだよ。

Q そしたら、自分のオリジナルというか、やりたかったことややるべきことがわからなくなる。

Aそう、全然わからないやつがずっといて、能力は、唯一「付き合う」っていう能力がつくわけ。賢いやつは、どうやって付き合ったら自分がまあまあ楽なのか、生きていけるのか。

なんだかハッとするのは、こうやって、擬似的な戦いを生まれた時からいつもやっている(或いはやらされている)のが僕らだということ。

これが、いつも擬似であればいいだろ、と思うが、擬似の裏側には現実の犠牲だってある。
並行して、擬似と現実の垣根も、壊れて来ている。

或いは、本当に戦争指導してきた人々も、昔っからこれぐらいの気持ちなのかもしれないな、とも感じてしまう。
「敵国」とも戦ってるふりから始まり、やる気のない人をうまく動かし何百万人も犠牲を出して、当人たちは痛くも痒くもない。
そもそも、自分たちのやっていることがわかっていない。世襲だから、慣習だから、なんとなく - そんな Universal Soldier*。

恐ろしくなる。吐き気がする。だが。

「敵味方」という概念は、どんな平和主義者からも、たぶんなかなか消えるものではないのだろう。生まれたときから深く染み付いているのだから。

しかしその一方で昔から、人々にとっては「敵」も「味方」も所詮フェイクで、それと(意識的あるいは無意識的に)付き合ってきたというのなら。

その切り替えにこそ、「危険な時期」を乗り切るヒントがあるのかもしれない、とも思うのだけれども。

* Universal Soldier – by Donovan

サルビルサ

パリでの事件

3日以上たっても、言葉にならない。

こういうとき報道は迅速に、とか、日本のマスコミはどうしてこんなに遅いのだ、とか
その一方で、さっさと空爆を決め込み実行してしまうフランス政府って、なんなんだ? とか

音楽の会場で起こったことでも、あり
そもそも音楽を全く禁じ、標的としての人種識別としてしか利用しないひとびとがいる、という
それだけでも絶望させる世界観

13日の金曜日の出来事であり
キリスト教国に対する敵意としては出来すぎている感あり
(自分はキリスト教徒でもイスラム教徒でもないので、到底実感はし得ない、想像でしかない)

さらにはオスマン・トルコ陥落の日から97年目でもあるという。*

無差別な悪意は価値観をどこまでも破壊してしまう。または
価値観がどこまでも破壊された結果の無差別な悪意。
対話を完全に拒絶したレベルの状態
信じるものが根本的に異なる
それは「戦い」を見事に正当化してしまう。

突如として命を絶たれた人々、その周囲の人々、「街」に対していくら哀悼しても足りぬ思いと
その加害者はいったい誰なのか、という果てしない疑惑

既にここ10数年で明らかになったように、テロ(と呼ばれる無差別犯罪)は軍事力では抑えることはできない。
戦場ではなく、はっきりとした敵味方さえ存在しない混沌の中で起こる「テロリズム」。
混沌こそが、ごく普通の人間の暮らし。

それを壊す理由が、果てしなく拡大再生産される、それが「対テロ戦争」。

何も学ばず、互いに盲目になる指導者たち。
莫大な特需を受ける軍事産業。「敵」も「味方」もお客さん。
それが無限の「成長分野」だとでも思っている?

犠牲になるのは、いつも一般の人々。

なら、兵士なら犠牲になってもいいのか?
代々兵士の家もあれば、志願した人、経済上その他の理由でやむなく入隊した人もいるだろう。
自爆した人も、自爆攻撃を正当化され、叩き込まれた若者たちだろう。

三色旗をアイコンに重ねる人、それを咎める人。
分断や煽動に踊らされるまいと、何も言えなくなる人。

まともに考え出せば、果てしない矛盾と迷路。

揚げ足を取りあう人々を上から眺めて
声の大きな者が、待ってましたと勇ましく語る。
戦いを美化するために、ここぞと腕をふるう広報。

武器を取る者。いや、気づけば武器を取り、操縦席にいる者。

その先は、地獄。

どの言語であっても、それに値するもの。

ひとつ、いい絵本を紹介したい。

スズキコージ「サルビルサ」

出版社へのリンクが見つからなかったので、探してみてください。

ひとつの大きな答えが、そこにあるから。


* 第一次大戦後の英仏伊によるイスタンブール占領。1918/11/13 ~ 1923/9/23

ふゆのはじまりととしのおわり

あかいつきのよる。
Red Red Red / 赤い靴ワンマンは、Special-Tと、次元になりたくて秋から着てるVarde77の上下で。

二人の編成がユニークだけあって、ステージの並びも初体験。
ドラムの背後からベースを弾くというのは、やってる事が全部見えるから、実はとても合わせやすかったりして。
(見えてなくても合わせやすいですよ)

いいフィールとハーモニーと空気を大切にした、とびきりのグループに参加できてうれしい。

コロナの代わりに呑んだBlue Moonが懐かしく美味しくて、しばらく買い求め続けました。

akaitsuki derder77

David Matthews Tokyo Trioで、とあるクリスマスショートコンサート。

一般公演ではないけれど、観ている方々と、吹き抜けの会場の響きに力をもらいました。
生きる力とそれを結ぶ音の力というか。
聴き取りにくいモニターでもばっちり聴いてくれる波多江さんのドラム、
ハートの大きさがそのまま出て来るデイヴのピアノ。
あやとりのように、三人の一体感も増してきました。

来年、ぜひ色々なところでやりたいですね。Trioも、All Starsも。

帰路、送ってくださった藤井さんの言葉。
『日本人は、外国人が街に来たときに大抵「あなたはここへ何をしに来たの?」と聞く。外国では「あなたはここで、これから何をやりたいの?」と聞かれる。この差は小さいようで、大きい』

このごろ、気に入って読んでいたのが「倍音」という、中村明一さんの本。

左脳=管理、右脳=感性、みたいな分類って、日本人には真逆 — えっ?
しょっぱなから既成概念をひっくり返し、中盤で一般ネタで引き込み、後半で魔界にどっぷり。
本としてもいい構成だと思う。さすが内田樹さん推薦、というか文の流れも似てるなぁ。

内容的には、「日本文化は素晴らしい」という勇気づけになれど、ぼく側としてはそのまま受け入れられない部分もあるので、咀嚼が要る。
はたして骨盤は、立てるのがよいのか、寝かすのがよいのか…「密息」はアレクサンダー・テクニークとは正反対にも思えるし。
はたして西洋人の音楽や楽器は日本の古典に比べて「高次の整数倍音」や「非整数倍音」が希薄なのか…ゴスペルクワイアでものすごい声と音の渦を感じ、ソプラノ歌手がホールやスタジオをいとも簡単に震わせてしまう場に居合わせた自分には、そうは思えなかったり。
ただ外来語と同じで、鎖国の反動としての急速な西洋音楽の吸収、戦後の一層の欧米化が、日本の音楽、言語、文化に大きなバイアスをかけたのは事実だろうし、
日本人が本来の力を発揮出来ていないような部分も感じるし。

渡米前後に感じた「向こうで上手い人って、日本でバンドやってる人より音量小さいのに、すごく大きく聴こえるな」というのは、たぶん我々の多くが「倍音」の使い方を「忘れてるから」、だと思ってたり。

「間」と「数える」こと、自分が発する音と会場の響き、共演者との倍音も含めたアンサンブル、というのは、これからすぐにでも、また永く追求し続けられる大きな大きな課題だな、と思い、嬉しくなっているところです。

夏に続いて横浜〜関西のミニツアー、安室裕之グループ(っていう名でよいのか?)。
新谷くんのドラム、前回にも増してタイト。引っ張ってくれるしすごい!  互いに2度目だとバッチリ合ってくるね。
ヒロのギターは謙遜と裏腹に炸裂。喋りの饒舌もますます磨きがかかっている…
利香ちゃんは要所要所で、盛り上げてくれたし。
森本さんのドラム、超自然体で…僕の知らない事、忘れてる時間、教えてくれる。まだまだ自分は押して伸ばすべきツボがあるなと。

前回よりファンキー&エレクトリックな要素を増やしたのも、楽しかったなぁ。
地球上でまだ4〜5回の “astronotes” が意外なほど毎回うけてます。

bluesettejam94

tetsu
夜通し運転でたどり着いた、哲学の道。

たぶん、もちょっと追記します。写真も。

ゆらぎとゆらぎてん

10.07

青山見本帖で「勝井三雄 ゆらぎとゆらぎてん」を見る。
色空間を透かして浮かぶ谷口江里也さんのことば。日本語は斜め折り、英語は縦織り、重力と遊んで降りてくる。
「無数のゆらぎとゆらぎのなかで 音楽がつくり出され、それが記憶や予感とつながる不思議。」
よかんと・つながる・ふしぎ。

「言葉は発せられたその瞬間にその言葉を発した人の存在を証し始めます。」「文字もまた書き付けられたその瞬間からそれが示すことを考えていた人間がたしかに存在していたことの証となります。」
しめすこと・かんがえていた・にんげん・たしかに・そんざい。

「空間構想事始」に、論理は人を遠くへも導いてくれる一方、人の思考を停止させる力もある、というくだり。 “When their eloquence escapes you, their logic ties you up and rapes you” というPoliceの歌を想起。

October なのに

なんで november を急ぐのか…? と昨日もいじられた。
単に好きだからとしか言いようが無い。生まれた月だし。
でも10月も毎年楽しくて、今年は特に面白い事が沢山起きている気がする。

バーンスタインのせい? 不思議な月のせい?

West Side Story の音楽って、やっぱとんでもなくかっこいいな、というところから。

青山見本帖、という、行くという発想すらなかった所に足を運び、
勝井三雄さんの書籍、谷口江里也さんの詩を観て来た。

aoyamamihon

ゆらぎとゆらぎ
手袋をはめて、美しい、巨大な本をめくる。緊張しながら。
縦長のページを、右上からゆらいでいく詩。
反対頁には、天からゆったり降りる英訳詩。

触発される所は一字一句覚えようとするのだけど、北島マヤじゃあるまいし、無理だ。
手袋してるからメモも取れない。

後でパンフレットをいただくと、同じ詩が掲載されていたのだけど。

隣に置いてあった、「空間構想事始」を読み出すと、とまらない、
だがリハがあるので、さわりしか読めずにお暇する。

ページの紙質もさることながら、表紙、裏表紙がとんでもなく美しかった。
さすが、見本帖…

青山劇場の前を通ると、ミュージカルに行列。いい雰囲気。

onthetown

ジャニーズ関係らしい、これも音楽はバーンスタイン。
生オケじゃないだろうな、と思いつつ、こんな賑わう劇場、なんで閉鎖するの?と改めて疑問。

kodomonoshiro

apartment cafe では…なんで今? いしんでんしん?

王子ホールに備えたリハではこれまで体験したこともないような完全生音、生声アンサンブル。
結構激しい曲もあるのに。(いや、内心、こっちの方がやりやすいと思ってる)

これも、特製キットを超ミニダイナミクスで叩いてくれる、沼くんのおかげ。
ハルくんにチェロを触らせてもらう、弦楽器はベースとヴァイオリンしか触った事ないから凄く不思議。

日が変わって、映像録音。ひさしぶり。
スタジオが移転して、すごいことになってる。エレベーターのボタンがわからない。気づいて吹きそうになった。

mrkamiya

赤い靴」のお二人との出会い。というか、念願の半分再会。
そしてもう一人、ギターのしいやくんとは15年も昔、数日間同じシェアハウスにいた…
びっくりしすぎる。

京都。
東西線への乗り換えに、いまだに迷う。四条で降りるんかいな、次かいな。

すてきな、そんでもって超うまい、グラノーラ専門店 COCOLO KYOTO
旧友が開いた店。

cocoloasaibowl

Candy ははじめて。出番までベースをピアノの蓋に立てかけて、大丈夫?と思ったけど、うまく収まってた。
家ではそういうことに全く抵抗ないけど、楽器 x 楽器ってこわい。

candystan

ほどよくゆるくて心地よい、ドラマーの棟くん。
勢いあって、土台の強さを感じるピアノの麻美ちゃん。
音色がきれいで頼りになる姉御、サックスの利香ちゃん。

置きアンプの出力が異様にデカくて、目盛り1/10でもハウるのでかなりカットしたけど
録音したらいい音してたからよし。まぁ生をやってれば、何も怖いものなし。
ようやく、自前の増幅装置もいい感じに落ち着いてきたし。

そして、november。

Adbaloo でやってた曲。2001年の秋に急に思いついて、一度何かのフェスでやってしばらく忘れて、
2002の秋に急に録音して、友人のイベントに間に合わせてアルバムにした。
結構反応もよくて、ライヴでもよくやった。
november – black & white

だけどもう随分長いこと忘れてた。

ジャズでやってもいいかな、と思いだした。
というか、もともとジャズだった。
やると、結構面白い。あまりにもすぐに終わるので、次回は構成少し変えてみよう。

愛車は、だいぶくたびれてしまった。また車検、ホイール交換かな。

thewheel

art comes first

EyesCream April に載っていた Art Comes First のインタヴューいい。
“Great mind think alike but no every time they act alike”  賢者はみな等しく考える。しかし、決していつも同じ振る舞いはしない。賢者は…の解釈は色々あろうが、みな同じ振る舞いをする、というのは不自然なこと。

今はメディアがメディアを潰そうと、少ないパイの中で共食いし、互いを型にはめている。
そして一枚残ったパイは、美味しいか? おいしいか? とてもそうは思えない。

「同じ太陽の下、新しいモノなどない、しかしわれわれは今ここにいて、伝統を大切に、しかしルールを打ち破りながら前へと進む」
「クラフト(手工業)こそが、モノ作りをするうえで唯一の手段であるべきなんだ。手と心を繋ぐことになるからね。手こそが僕らにとって一番大切なツールであるのはそれが理由さ」

左掌にハサミ
http://artcomesfirst.tumblr.com/post/96314454830
http://artcomesfirst.tumblr.com/post/96477291720

ところで “switchcraft” って、”witchcraft” とかけてるんだな。

蝉しぐれ

いつものように時代のタイムラインをジグザグに走る自分。

中曽根康弘の「命の限り蝉しぐれ」を読んだ。

一カ所、とてもいい事が書いてあった。
禅にまつわることだ。
自分の尻の下、遥か地下から繋がっている意識を持つ。
これによって、何事にも動じない、ある種の悟りが得られる事があるという。

その他、とても賛同しかねる事が「何事にも動じず」に綴られていたが
こういう意見を読むのも良いだろう。
集団的自衛権、憲法9条の無効化は、何も今始まったことではなく
中曽根氏や小泉氏、そして共著の竹村氏が高らかに押し進めて来たものだった。
だからこそ、根深く、厚く高い壁に囲まれている。

だが、それが軍需産業と軍需利権勢力の為だということも
もうとっくに明らかになっている。
この読者にとっては、とても古い考え方だ。

国民は権利を言うだけで義務を考えない、
だから憲法も教育基本法も改正すべきだ、というのが中曽根氏の主張だった。
思わず、吹いてしまいそうになった。
彼ら権力者は、誰が払った税金で生活しているのだろう?

権利ばかりを言うのは誰だったか。
国民よりも、金を動かす者たちだった。
自由というのは言葉のトリックで、利益は強者に噴水落下的に誘導されるようにできていた。
そして、取られている者は、不思議な高揚感でそれに気づかない。
酒の蒸留生成システムみたいに、ほんとに上手く出来た仕組みだったと思う。
「自由」主義経済というのは。
そんなものが、みんなが好きでたまらない「自由」なのか?
違う。だがとっても聞こえがいい。

— ここまで念頭において、現在そして近々未来をも見渡す必要がある。

新撰組だの武士道精神だのが日本の魂だという主張。
その一方で、戦争に負けた相手の為に、必要ない戦いまでやろうとするのはなんでだろう。

愛国心、戦いなどと勇ましく言うのなら、相手は誰だったのだろう?
日本はどことの戦争に負けた?
それがどうして、保護者の掌で、仮想敵のロールプレイング幻想を見てるんだろう?

どうやら、三蔵法師の掌並みにすごく厚い壁が、存在するようだ。

僕はアメリカという国が基本的に好きだし、様々な問題を抱えつつも大きな文化、
フィールを生み続けるあの国を全否定するつもりはない。もちろん全肯定ではない。
いいところも、悪いところも、いっぱいある。
学べるところも、協調できる人も、まだ知らない事も、知らなければよかったと思うようなことも。

だが彼らのシステムが世界を壊しつつもあることは、日本にいるからこそ、判ることでもないのかな。
戦争依存症。あまりに強大な独占企業。後戻りの出来ないテクノロジー。繋がりすぎる端末とビッグデータ。個性という名の画一マーケット。

そこに目をつぶり、従い、責任転嫁を繰り返す日本のシステム。
日和見繰り出す。全部、妖怪のせいだよね、そうだよね?
(あの歌、確かにキャッチー)

武士道を言うなら例えばの話、そういう人たちは赤穂浪士に倣う気などあるのだろうか。
戦争は人を大量に殺戮し合う事であり、どんな大義名分を掲げても最高レベルの犯罪に違いない。
国の規律を求めている側が、いざ戦争となったらいくらでも犯罪を奨励し、
まともな人権感覚を維持しようとする民衆を抑圧するというのは根本的におかしい。どう考えても。
だが歴史はいつもそうやってきた。
「花子とアン」をちら観してもわかること。

武士道などを言うのであれば、
止むに止まれず戦いに臨んだというのなら、
勝ち負けに関わらず、世界に騒ぎを起こした罰として、責任者が全員切腹する、
それくらいの覚悟が「日本の」精神と違うのか、と、素朴に思う。
もちろん、仮の話。

いや、そもそも「勝ち」も「負け」もないのだ。人を殺して喜ぶ。殺されて嘆く。
愚かだろう、なんでそんなことしなきゃいけない?

戦争を起こした者はすべて罰せられる。
罰でしか人は動かないと思っている人たち、
そこをスルーしての「規律」や「義務」など、永遠に亀にもたどり着かない。

中曽根氏は、3.11後に反原発、太陽光奨励に転じていた筈。
そこは現担当者とは違っていた。

共著の竹村健一氏は、3.11後に、興味深い発言をしている。

「マスコミが、芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、執拗に報道している時は注意しなさい。国民に知られたくない事が必ず裏で起きている。そういう時こそ、新聞の隅から隅まで目を凝らし小さな小さな記事の中から真実を探り出しなさい。」

共に、今はどういう考えを持っているのか、機会あればまた知りたいものだ。

30年代の教訓

1929 世界恐慌から 1937 日中戦争まで
何が起こったのか、という考察。2009年。
311前にも色々な文献が出ているものだ。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子

国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり教訓です。
(はじめに – 太字は私)

教訓はあまり役に立っていなかったようだ。
だが読んでみる。

– 追記 –

まだ1/3程だが、こういう視点での記録、考察に触れるのは大きな勉強になる。と同時に、多くの部分で吐き気を感じている。

たとえば、「上に立つ者」にとって戦争の目的とは、賠償金・軍需・占領地での市場・占領地での官僚ポストであり、すべての政治・報道活動はそれを正当化するためのものであり、国民=徴兵される兵士の命など何の重みもなかった、という数々の証言。

判ってはいても、こういうことが「面白い」として綴られているのを読むのは、気分が良いものではない。

だが続けて読もうと思う。ゆっくりしか進めないが。

– 追記 –

1/2ほど来たが、序盤、1000万人が殺されたWW1後の国際連盟の成立(と失敗)に触れたこの部分に、未だに一番引っかかりを感じている。

第一次大戦で懲りた世界の国々、ことにアメリカが中心となって書きあげた不戦条約は、次のような内容で、戦争を禁止しようとしていたわけです。一九二八(昭和三)年にできたこの条約は、戦前の日本政府も原調印国として参加していた国際条約でしたが、国家政策の手段としての戦争の放棄(第一条)と、国家間の紛争解決手段としての武力行使の違法化(第二条)をその内容としていました。
このような条約ができてしまった場合、戦争の概念として許されるのは、自衛戦争と、侵略国に対する制裁行為の二つに限定されてしまいます。
(序章 日本近現代史を考える)

「集団的自衛権」とか「積極的平和主義」というおかしな概念の根っこが、ここに示されていた。
OK, that’s enough.

– 追記 –

読了。

高校生向けの講義を記録した書物であり、生徒の興味を惹くために戦史・人物像・やり取りが「面白い」という表現を多用している、という部分は、吸収することにした。
興味というのはある種残酷なものだ。”interesting”という言葉を「面白い」とも「興味深い」とも訳するように。

日本が採った、個々また全体の選択がどれだけ偏っていたか、そこにどのようなからくりがあったか、ということは、ある程度明らかにされているとは思う。

でも、それらは不可抗力だったのか?

愚かな選択の数々が、別のプロパガンダで覆い隠されてきたという指摘の数々、これは日本だけではないが、世の中こんなことばかりと気が遠くなる。戦前、戦中、戦後、今、それは変わらない。いや、むしろ日々着実に発展し、この瞬間も巧妙になっていくプログラミング。

たとえば今が「戦前」だったとしたら、どうなんだ?
と丸の内を歩きながらぞっとした金曜日。

「流されないでいること」これがどれだけ大事で、ちっぽけで、怪しいことか。
流そう流そう、流されようとするのがある種、人の性ならどしたらええん?

或いは、流され「ながらも」醒めていること、「生き続けながら」ひっくり返すこと、
例えば本音を頑に出さない役人に自分がなったとしても、ふとした子供やおばあちゃんの言葉に、柔らかで素朴な対応をし、それによって何かに気づける人間であり続けること、

例えばその気づきが「立場」か何かですぐに覆い隠されようとしても、そのヒントを周りが拾ってくれること、

自分が偉くなくても、完成した理想にたどり着くことも、ステートメントすら出せずとも、その時々の行動によってヒントを出し続けることができたら。パス – “pass”というよりむしろ”path of life” – を示し合えたら。
そんな事が大切なのかなぁ? と思った日曜日。

人は互いに見ることができるのだから。

本の後半で特に引っかかったのは、「分村移民」つまり
満州国設立の後、開拓移民を募るために、経済的に苦しい特定の町村が集団移民の標的とされていたということ。

満州へ開拓民を多く出した村には、多額の助成金が出されていた。
これに乗った地方自治体多数。乗らなかった首長、少数。

「乳と密の流れる地」という甘言と全く異なる極寒の植民地に移り、敗戦で追われ、命からがら逃げ帰った移民たち。それらはロシア参戦のせい、関東軍の身勝手のせい、という被害者意識の裏、国は政策として田舎を札束で動かし、それに自治体も加担していたという史実。

その中で、見る目のある首長だけが、変わり者と言われても、村民を守ろうとした。補助金に釣られず、村民を出さなかった。或は、たとえ満州に移っても、現地の中国人との関係を「良好に」保った首長のおかげで、退却時も安全な道を教えてもらい、日本に帰る事ができた集団もいたという。

本来、敵も味方もない筈の人間。実は、どんな形にせよ手を組めてしまう。
指導者同士が、数十年単位で勝手に「設定」して来ただけの「敵国」。
それに動かされ、命を火薬と刃とスクラップと屍に変えてきた人々。
兵を集めることが自分たちの野望を満たす為に必須だと考えてきた人々によって
歴史は繰り返されている。

ひとりが深く、多くが広く考えなければ、戦争はきっと起こってしまう。
ひとりが深く、多くが広く考えれば、戦争など絶対に止められる。

この瞬間も交付金がばら撒かれている国の主権者の一人は、そう思うのだが。

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