谷口江里也さんの新刊は…といっても先月だけど
不思議な人形とのコラボによる「もう一つの世界との対話」
五次元の国から来たという、鳥の話。
縦、横、高さ、時間、それにもうひとつの次元とは?
「情緒」なんだって。
??
でも、その先に進めばすごくわかる。
ここでは書かないけど、それは
自分が理解せずに考えていた事とも、つながってたりして。
さて、すると
情緒不安定
な人とは、
世界が伸び縮みする人
っていう事なのかな。
心あたり、あるけどな。
谷口江里也さんの新刊は…といっても先月だけど
不思議な人形とのコラボによる「もう一つの世界との対話」
五次元の国から来たという、鳥の話。
縦、横、高さ、時間、それにもうひとつの次元とは?
「情緒」なんだって。
??
でも、その先に進めばすごくわかる。
ここでは書かないけど、それは
自分が理解せずに考えていた事とも、つながってたりして。
さて、すると
情緒不安定
な人とは、
世界が伸び縮みする人
っていう事なのかな。
心あたり、あるけどな。
加藤龍夫氏によると
「消毒は環境破壊の第一歩」
らしい
phone
…すべてをつなぐもの
すわってないで
動くはこに
乗り込んだら
そこはもう
ちがう座標
空も飛べば
カーステも鳴らせば
売り子もくれば
かいこも舞う
全ては
型値をかえて
偶然の餌を
たべてゆく
運良くいくつかを
つかんだ人も
この光には
音程には
留まれない
新聞に福岡伸一のコラムがあって、時折読む。
実に発想が面白くて、頭に残る。
中でも、消化という機能は他の生命体の遺伝子というアルファベットを再構築して
人間の物語を作り出す行為だという巻、
言語上、日本人の普段使う(=得意な)音域と英国人の鍛えている音域はまるで被らない、という巻は特にひっかかっている。
前者について、今日読んだ本と連結してふと仮説が出来たので記す。
脳と脊髄は、腸を守るように、発達するらしい。
そして脳と腸は、まだ解明されていない部分が多いが、深い関係を持つらしい。
その後、図面と福岡氏の文を思い出したのだが、
腸もまた、脳のようなものなのだ。
腸が下腹部でねじねじととぐろを巻いている姿は、脳が頭の中でしわしわしてる姿と似ている。
ま、それはそれだけの連想として、
人間の物語を作り出す、という機能、これは脳のそれじゃないか。
腸は、脳が知らないところで、同じような働きをしているのだ。
ノースブリッジ、サウスブリッジのように
これは、腹痛ばかりしてる自分を擁護する理由がなくなってきたようだ。
フェリーで海を渡る。
6年数ヶ月ぶりの道だ。
志摩から伊勢へ、外宮から内宮へ。
幼い頃から恐らく何度も来ている伊勢、自覚して見るのは二度目、はっきりと見えたのは初めて、俺の年表はこんなもんか。
とある外国の老夫婦、感じの良い二人
石段の上では撮影できない事を知らず、カメラを構えようと。隣だったのでそれとなく知らせる。
日本の人だかりは内の約束事は知っていても、注意はしない国民性で、こういう時コミュニケートしないと変な誤解を生む。
この人達もカメラを降ろして、自分も正宮の前に立つ。
正面から見れないように降りている幕が、風で上がった。
a ma te ra su … ?
驚くあまり驚くこともできない。
女神達に囲まれて、甲賀へ走る黄色い車。
機械じゃなく目で観てもらえて、なんだかよかったな。
あまり言ってこなかったし、それなりに覚悟も必要な事だけど、
題材にしようと思う。
SONY
僕の周りには非常にファンが多く、僕もいくつかの商品は愛用してきたけど、
基本的に僕は、アンチソニー製品である。
なんでだろう…かっこよすぎるからかな。アンチ巨人、と似てるかな。
walkmanは何台も使った。DATは3台使って2台壊した。diskmanは3台壊した。MDは、買って本当に後悔した。
小さいコンデンサーマイクはずっと愛用していた。ヘッドフォンはST900がどうしても好きになれず、スタジオでもAKGを持って行く。
まぁ、一応、通って良さも悪さも知っているつもりだが、基本的には、買わない。
デザイんや響きは確かに、いいけどね。
そんな僕の気持ちが通じてしまうのか、僕がSONYの機器を使うと、大概、ソニータイマーが数十倍速で作動する。
びっくりするぐらい。簡単に壊れる。
しかし、サービスセンターの対応はいいのだ。これで安心だ、任せなさい、みたいに帰って来る。そしてまた、壊れる。
Appleは…また違うのだ。
G4は3回に1回の起動だけど、MacBookは頑丈だ。
昔 SONY には “ES” シリーズっていうオーディオがあって、
親はそのカセットデッキとCDプレーヤーを使っていて、それらは本当に音が良く、操作性も良く、品があって、文句の付けようがなかった。憎らしいぐらいに。
対抗馬的にDENONやKENWOODやAKAIを好きになる自分だったけど、SONYの評価は絶対だった。それがまた、憎らしかった。
SONYしかない、っていう分野があったし、そこは憎くても吸い寄せられる、みたいな魅力があった。
嫌いなのに好きになるのだから、魅力としかいいようがない。
そんな魔力、今のSONYにあるかな?
名前を言ったら誰でも知ってるような人とまた来日してる友人チャーリーであるが、
今年は昨年とは違う場所で観た。
去年は国際フォーラム、
今回はスタジアムのアリーナ。
音響は期待より良く、
彼のスネア、タムはすんばらしく鳴り響いていた。
もともとなんでも余裕でこなす彼の事だ。
しなやかな、ロックを叩いていた。
彼はこんな、日本じゃ誰でも知ってる人の仕事の他、
ジェームス・ブラントやコリン・ヘイ、世界でも誰でも知ってる人とやってる。
スタンリー・クラークの親戚でもある。白人だけど。
僕のヒーロー、スチュワート・コープランドがアニマル・ロジックのリハか何かで家に来た時、幼い彼は「俺のサイン要るか?」と言われ、丁重に断ったそうだ。
そんな彼と、去年はポリスの映画を一緒に観た。彼は何度も観ていた。
愉快な男だ。
彼は変わっていない。また腕が太くなった以外は。
Gospel Choir やってた頃…真ん中は Brian
Epizoは、ゆっくりとコラを鳴らしはじめた。
ゆっくりと時間をかけて、彼は湧き出る唄をうたった。
彼は、ジャンベを手に取り、ゆったりと話した。
「これは、アフリカの、ケータイ。」
曰く、コミュニケーションは、これで取る。
「料金、いらない。」
すんばらしい太鼓と唄を唄い、もう一曲はじまった。
うん。予想通り。
本編のバンドが入り、2曲程やっただろうか。
彼らのパーカッションコーナーに入る。ステージ降りて2Fから観る。ひたすら最高だ。
そして大体の予想どおり、時間は尽きた。
飛んで戻り、用意していた6曲をすっとばし、ラストの曲をぶっとばす。
この曲だけでも10分は超える事もあるが、今回はおとなしかった方だ。
楽しすぎたんだが、やってない凄い曲の数々。
また来年か?
先日偶然お会いしたミヤシマさんと
今朝たまたま読んだオオヌキさんの連載と
思いつきを混合した日記
「絶縁」とだけ書くとなかなかなもんだが
「絶縁体」の事。健康についての話だ。
Oさんによると
田植えや土の上で素足で歩くのが人間にとても良いらしい
都会での電磁波をリセットしてくれるようなのだ
それもそうだと納得
Mさんの話によると人間の脳は電位で反応し、考え、行動する
その為に人間は直立歩行し、末端には絶縁体を置くようになった
自然に身に付いた爪、後に人間が身につけた靴がそうだ
電磁波を受け、溜め込む事、それ自体が悪い事ではない。
それは必要なのだ/それによってヒトは思考する事ができ、
だからこそ現代ではパソコン、ネット、携帯にはまってしまう
ただ度を過ぎると、当然のごとく…
そんな時靴を脱いで(ソールという絶縁体を外して)
コンクリートでなく土に接する(電気回路で言うアース)
これが身体、脳にとってリセットになるのだろう。
そこで思いついた。
都会の、オフィスビルやショッピングモールなんかには、放電スペースを設ける事
そこには、地中に刺さっている金属棒が中心に置かれていて、
ヒトはそこに触れる事で放電し、溜め込んだストレスやX&%#をリセットする。
つまり…アンテナの逆。
地中に刺さっている金属棒といってもこれは単純に鉄骨の事だから作るのは簡単な筈。
都会の歪みを正し、社会効率を良くし、しいては新たなビジネスにもなると思うけども。
秋葉原なんかにもあったら良いと思う
考えてみればDown to Earthという言葉もこれに通じるわけで
どのジャンル、年代においても、電位が溜まりすぎた人々の感性は
地中放電、アースを必要としているのだろう
勿論、音楽においてもそうだ
デジタルが勃興した80年代の後、90年代半ばになって時代が20年戻ったのは当然の事の気がする
尤も、主にアナログをデジタルで作り替えているのがそれ以降で
僕はある時にすっかり、モデリング含めたデジタルな音に興味を無くしてしまったのだけど
つまり、電位が飽和したという事だろう
電位そのものであるパソコン、ネットの世界において
「アース」なものは、バランス良く、配置される必要があるだろう
トレンドとしてだけではなく、むしろ、ヒト一人一人の精神的健康の為
だけどブラウザに配置するどんなプラグインも、所詮は電位に過ぎないわけで
放電をremindするきっかけになるか、ぐらいのもので
癒しの音楽とか、写真とか、映像だ、文だ、配色だ
これら、きっかけであり、実験であり、仮想であり
…無益ではないけど、あまり頼らない事だろうな
パソコンからにゅーっと地中に根が生えたりしない限り…