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「正義」の格差

これ以上
格差を広げて
どうするんだ

強欲の
ごうつくばりの格差

自由の
情報の
利権の
格差

そして
誰もが一度は拠り所にし
夢にも見るだろう
「正義」の格差

「正義」がその視点によって
いくらでも変わりうる事ぐらい
悲しいけど とっくに
気付いてしまっている が
こんなに出来の悪い「正義」もないだろう

自分たちが生き残るために
報道を 司法を 幾重にもねじ曲げ
命の選別をし
民を番号管理し

つまりは家畜扱いする

家畜にも失礼
奴隷といった方が
やはり正しいか

愚かな人間の歴史
繰り返す

誰もの夢を壊した
誰もが生きる上で抱く夢を壊した
人たち

愚か

国としてもレベルが低すぎる

こんなんじゃ

また戦争させられて
今度は滅びても不思議じゃない

こんなんじゃ

「蜘蛛の糸」が書かれ、読まれた国とも思えない

はやぶさ山を超え

頭を使いすぎてパンクしそうになり、
たまらずに車ででかける。

今は冬なのか秋なのか。海か山に行きたい。
紅葉が観たいがあまり見れる気はしない。

海と山に行く。

金延幸子の『み空』はこのブログでも何度か書いているように
愛聴盤であるが、全曲に精通しているわけではない。

ハミングキッチンのイシイモモコちゃんに教えてもらったのが最初で、
彼女らと、ドラムの林立夫さんご本人と一緒に「あなたから遠くへ」をやったこともある。
懐かしい湘南の日だ。

絶妙なバンドアンサンブルとフォークギターのみのオーケストレーションの対比する
僕がそう記す必要もない、名盤中の名盤だ。

だけど僕が全貌を理解するには、たぶん一生の三乗はかかるだろう。

最近車では iPhone – Bluetooth ばかり使っているが
Apple CarPlay なんてのがほんとに、ホントに、本当に、鬱陶しいし、
何度も「今後は(二度と)使用しない」を選択しているのにランダムに復活する。

カーナビを頼りに初めての山道を走っている最中に、突然立ち上がって画面を占領したりと、
マジで命に関わるぐらい怖いので、ああいうアプリはやめて欲しい。

思い上がったグローバルテクノロジーに殺される人、いっぱい出てくる、って肌で感じる瞬間。
こんなくだらない理由で終わりたくはない。

そんなわけで、時々 iPhone を絶って、CD を聴いたりする。

もう家で CD を聴くことはないし、ましてアナログを聴く環境は僕にはないけど
へんなところで CD。Toto Bona Lokua, Alexandre Andrés, Ojo De Agua。

金延さんに入れ替えて、気がつけばアルバム三周。

あまりにも すばやく
はやぶさは
山を超え やって来たから

…どうしてこんなにとびこんでくるのだろう

羽をのばしたわ
青ざめ空
あざける雲を後にして

このアルバムではさまざまな「青」が謳われている、けれど
あおざめぞら、は、すごすぎるよ。

昨夜見た、筋金入りの音楽ライターの方の Roundabout / Yes の評を思いながら
この曲も8分あるんだな、そして、編成はフォークギターと唄だけなのに、
完全にプログレだな、と思う。

 

12月はじまるのだよ

何も考えずに楽器を弾く。

しばらく経って、8月から中断していた、シリーズ最後の曲を思い返す。
身体で。最高にいい曲だ。

シリーズ最後から2番目の曲はどうするか未だに皆目わからないが
たぶん出てくるだろう。

漏れ聴こえてくる音では、周囲の人も相当頑張って練習している。
管楽器や弦楽器。

防音スタジオは持てないけれど、こういうのもいいな、学生に戻ったみたいで。

音を録ることに振り回されず、消えていく音と、操り損なった身体と戯れる。
釣りみたいなもんかも、しれないな。

11月おわるのだよ

そろそろ今年も振り返らねばならない。

一月早いか? 今やるか?
そんなのはカラスの勝手だが、そう言ってくれた人もこの世にはいないのだ。

来年はどうなるのだろう。

加部正義さんも … 最初にやったバンドで Wasted をカバーして以来のファンでした
近藤等則さんも … 一度だけ月観ルで対バンできたのが宝です
Toots Hibbert も ... あやまるロックをいつかお聴かせしたい
Gary Peacock も … my man
Eddie Van Halan も … 夏にはなぜか無性に聴いてました、高速で

いないのだ。この秋だけで。
来年は、誰とお別れをせねばならんのだろう。ご冗談を

相変わらずヘビーな書き出しだが、この世の中(2011.3.11以降*)僕は
基本的には、いつどうなっても覚悟、と思って生きている。

* 311以降、特に2012.12以降の流れに、といった方が正確だ。
真剣に生きる糧になってもいる。

防潮堤なんて、いくら作っても、津波は防げない。
「万里の長城」と評された田老が乗り超えられた瞬間からそれはわかり切っているのに、
アリバイと仕事を回すために、海岸はいじられ続ける。
ここでも、全国でも。

放射性廃棄物も軍鉱も似たようなこと。
あれほど愚かだとわかり切っているのに、運営する力を持つものはあらゆる手を使ってそれを覆す。彼らにとっては、愚かではない、或いは、愚かなれど仕方ない、或いは当然の選択だ、とされているのだ。
ならば僕はあらゆる心を以て、何度も記すしかない。「それは間違っている」。

思い残すこといっぱい、あるのだが、音楽に対する思い残しは、ないようにしたい。
つまりは毎日が、しゅうかつなのだ。

しゅうかつ、誤変換を誘ふ、それも間違いではない、なかなかいい言葉。
磨崖の支配者にも薦めるよ。

今年、moon x なんとかなんていうのをやったのも、一つにはそれに違いないし
そうやらないと、自分は果てしなくサボり続け、楽器も練習しない DAW も触らない
平気で半年ベースを抱えなかったこともあるのだ。この阿呆は。

だが、今年は多くの曲を形にできた。これまで22曲 – 再リリ除く。
20年以上前のスケッチから、その2日前に生まれた曲まで。
やれば、一人でもこのくらいはできるんだな、という、確認はできた。
このくらいしかできないんだが… それはもう、楽しかったぜ。

とはいえ流石に、二週間に一曲という制作ペース、尋常ではなかった。
作曲・作詞・演奏・アレンジ・録音・ミックス・マスター・ジャケット。
リリースの頃にはへとへとになり、宣伝する気力も残らなかったが
この年でなければあり得なかっただろう。変な先見の明を持ったものだ。

来年は half moon と称して、半月に合わせてリリースしようと思う…
それって月2回やんけ、あかんあかん、
上弦の月限定か、三日月限定にしよか。crescent って。
湖上の三日月… 誰なんだろうな。

名義は結局、どうするかわからない。今年は半々にしたものの結局どっちも(…)
一生名無でいいとも思う、ゼロのひかりである

来年は自分だけではなく、人と仕事を回していけるだろうか?
それには元手が要るのだが、何か見出せるだろうか?

今年は色々な計画があった。特に、小さな箱での演し物という意味で。
どう考えても最高…だが、それは花のように姿を消してしまった。
測ったようにコロナ禍になったので、それは、そういうことだったのだろうとも思う。

自撮りでの配信ライヴも考えたが、ちっと敷居が高かった。
これは来年以降のお楽しみにしよう。

身体能力も眼力も大概衰え、人前に出たくなくなったので、それと全く矛盾する配信ライヴなど、やっぱりできないとも思う。
だが、逆を言えば幾らでも直す余地はある。
近藤等則さん、ずっと凄い眼光だったなぁ。ああはなれないけど、かっこいいなぁ。

同輩のように、いい感じで枯れればいい、と思っているが
悔しいことに、僕は声がいつまで経っても子供っぽい。
あるいはじいさんだ。いい感じの「大人」がない。
常人としての人生を生きてる気がせず、時折ほとほといやになるが、これも課題だ。
課題があるうちは、幸せなのだよ。

自己肯定、自己否定、どちらも僕らは通っているわけで、どちらが上というわけではない。
プラスとマイナスが作用し、共に体現することで、はじめて波は生まれ、音にもなる。

そしてそれらは必ずゼロを通る。ビートは止まってこそ動くのだ。

刀工

投降、登校、陶工…

何の必然もない日記です。

非日常を日常にする、Performer が
毎日が非日常である 2020 に
なにを思うかというのが

やうやう解ってきたような気がする

長い(ほぼ)一年であったが、いろいろな事を思い、感じ、また綴った。
それらほぼ忘れてしまった今では、ピンクと青のトラックのコントラスト具合を
指で辿るぐらいしかできない。とっておきの鯨のノートも誰にも見せられなかったから。

いつか、”- – smith” という言葉に不思議な力と縁を感じたこともあったが*
日本語にも「とうこう」という不思議な言葉があらぁ。

誤変換すると色々な意味が出てくる。まぁ、職人、あるいは芸術に対する降参ってやつか。

ここ silent studio では、相変わらず音も出せない中、音楽が作られている。

ヘッドフォン? 骨伝導? イルミネーション音楽? touch sensitive?

尤も生楽器主体の僕はそんなのに耐えられるわけがなく、どこかで音を出し、録音しながら持ち帰っている。
スタジオ? そんなわけない。俺はマークボランじゃない。好きに使えるスタジオなんてない。

電話をし、手続きをし、公共施設で感染に気をつけながら、MacBook とマイク運び、一人のシチズンとして音楽やってるだけだ。

でも、世界もこの国もこんな状況だけれども、ちょっとしたことに嬉しくなることも、あらぁよ。

それは誰の自由でもあるが、夜空の自由でも、昼空のなんとかでもある。

TV 観なくても、本読まなくても、なんとかなることもある。

無駄なトラッキングの繰り返しだけど、埋もれてるいいテイクを見つけられないかもしれないが、
それでも秋は、ほんとは幸せなんだと、思いたい。

思いたくなくても、思ってるのだから。

もう、11月も、僅かだな。一番好きな季節。
いろんな大切な友人が、歳を重ねてく。なかなか連絡できないけど、ね。

* smith – 鍛冶屋や職人を表す。そんな投稿 を以前した筈だが見つからない…日記を探ったら2002年、昔のサイトの文だったのでこのサイトにも転記した

下弦の巻きの予告

次の配信は…さすがに今回は手一杯で厳しいな、ごく短いインストゥルメンタルか
禁断の…打ち込みだけで許してもらおうかな、と思っているのですが、

あろうことか、変な曲が浮かんでしまった。

とてもラフながら、たぶんこれを出す。

『つめきり』

そして、寝る前にスケッチを一度聴こうと思ったら、
またデータが吹っ飛んでしまった。

あー。また幻かぁ。

と思ったら、なんとか骨組みは救出できたので、たぶんこれを形にすると思います。

たぶん…ね。

11.15 新月リリース予定

どないな上弦すぎ

この時期は毎年なにかとオーバーワーク、あと十日もすれば倒れたりするコース。

この状況は今年もあまり変わりない。

というわけでサイト更新も滞っておりますが、今月は2回も満月だ。

なんでや 思いつつも
moon x moon 21作目の準備は進めています。

昔書いてリズムを録った未発表曲だけどね、たぶん僕が作った中で一番ヤングでポップです。
ナウいかどうかはしらんがな
お楽しみに

そろそろ予告を書こうと思ったら、今朝 SSD のデータの殆どを操作ミスで消してしまう。

さすがに前倒しで倒れるところ なんとか復旧した模様。

睡眠はしっかりとり、寝ぼけて何かをしないようにしましょう。
そんな上弦すぎやねん。

台風一過の

週末であるうちに
できることを

と思いきや
大事な用が重なり 折り重なる

だがひるまず 今日はかねてからの約束にとりかかる

何事も するには時間がかかるものだ
パッとやっていいものなんか できるわけがない

そんなプリセット満載のテクが 溢れてるけど

それを作った人は無限に時間を費やしてるし
その真意を学ぶには それ以上の時間がかかるし
それが AI だとしても 仲良くなるに儀式みたいなものがいるし

それにだいたい プリセットは思い通りにはならないし
それどころか ある種の人間に対しては、まともに動作しないもんだ

詐欺が詐欺じゃないことを証明するのにかかる時間と苦悩は無限大
ある種の人間に対しては、だ。うまくやってる人もたくさんいるんだろう。

無限に愚痴ははけるものの、実は楽しい週末だった。
いい幻灯もできるかもしれないし、いい曲ができるかもしれないし、いい場所が…

火星人とハクビシン

火星にどんどん近づく月

十三夜から満月まで
そんなことを思っていたが

火星自体が地球にどんどん
近づいていたとは

もっと綺麗に見たいと思い
ダメ元で写真機と三脚持って
畑に行こうと外に出たら

空は曇った

ハクビシンと会えると思ったのにな

落花生を啄む姿は
火星人との遭遇と
おそらく違わない

shooting the rubberband

ほんわかしてるのか、忙しいのか、よくわからないままに「連休」が終わった。

4連休ってすごいよな。例年なら無理してでも旅行に行ってただろう。

今年は行くわけもなく、GO TO なんて信じられず、とはいえ、行きたくなる人の気持ちもわからないでもない… やめといた方がと思うんですけどね。

しばらく前に、漫画版「風の谷のナウシカ」と関連づけての学者たち3人から観たコロナ時代への提案、という趣旨の番組というのをやっていて、最近の NHK にしてはいい番組だな、と思ったのですが(というより NHK は技術もスタッフも超一流なのに、それが地上波の主要な時間帯の報道とかなり落差を感じずにいられないここ数年。だから応援もしたいし、おかしいと思うところは意見もいいたいわけです、これってごく普通のことですよね?)

ともあれとても考えさせられる番組でした。…潔癖主義から(それも、科学的・人工的なものではなく自然農法などの礼賛から)ナチスにつながったというのも…ほんとかな、もっかい見直そうかな

コロナに打ち勝つ証としてのオリンピック、というステートメントにおかしなところがある、というのはほんとそう思います。


知性、という言葉、または概念、難しいですね。

「反知性主義」という言葉をここ数年、よく見ているのですが、僕個人的にはあまり伝わらないんです。

割と賛同できる人たちの意見であるにも関わらず。

知性 = intelligence というのを、僕はあまり信用しきれてないのかもしれません。とても重要だとは思うのですが。

あるいは、AI やネットワークはじめさまざまなものが「知」を侵食し、飲み込んでいくと感じているから、違う世界に行きたいと思っているのかもしれません。間違ってるのかな。

面倒でも対峙するべきなのか。一生の課題としては。

でも、「知性がどうのと言う奴は一番知性がない」というのは、一聴してよくできてるけど、すり替えというか、悪用だと思います。

学者は、知性を扱う人だから、本来知性がどうのと言っていいし、言わなきゃ学者じゃないわけで。

知ること、と、感じること、と、愛、と、それぞれ順番をつける、ロングセラーの物語も読んでるのだけど、それぞれ大切なトップ3、ってことじゃないのかな。

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