カテゴリー: book

つながるかきるか

榎本幹朗さんの『音楽が未来を連れてくる』はとても内容が濃く、また示唆に満ちている本で
早く最終章までたどり着きたかったが故に約600ページを3日で読み、それによって頭に入りきらないところがあったり、また最終(現在と未来)についての感想がもやもやしているのではあるが。

Sony や Apple や Napstar や Spotify の神話はさておいて、
…ていうか、面白いし、極める者の生き方に触発はされるけど、僕は生粋のアンチソニー。

ピンと来た一つは、SNS やサブスクの「おすすめエンジン」のところだろうか。

僕にとって、SNS やサブスクのどこが胡散臭いかというと、勝手に誘導してくるところだ。
しかも、その誘導具合がことごとく、あまり気持ち良くない。

twitter 広告で鬱陶しくないと思ったものは一つもないし、Yahoo も Google も同じだ。
世の中の経済の大きな位置を占める「広告モデル」とやらが、僕はどうも合わないらしい。

人にやられても、アルゴリズムにやられても、同じことですわ。

…とまぁ、桑野信介並の厄介な性格を持った僕であるが、ともかくこのエンジン開発と音楽配信やサブスクは深い関係になるようだ。

Twitter のタイムラインを見ていると自分と同じ意見が集まって、それによって分断が進む、
311以降の日本や、トランプ以降のアメリカでも大きな問題になってますよね。

SNS 離れや浮き沈みの一因でもあり…

だから、音楽も同じことを孕んでる。

また、テキストや写真のように、自分の脳を働かせれば瞬時に判断できるものと違って、
音楽はある一定の時間を委ねないと、好きか嫌いかわからない。

まぁだからこそ、いくら時間があっても足りないので、自動化が進んでる。それもわかる。

で、一瞬で良さがわかる音楽、確かに(いっぱい)あるのだけど、
それを商売として求めた結果、どうなったのか。5秒でサビを始めなきゃいかんとか、違うでしょ。

だからじっくり判断したい。音楽ぐらい自分の気分で判断させて欲しい。
プッシュせず、放っといてほしい。もっとうまく、騙して欲しい。
それになんか、iTunes のシャッフル時代の感動が、AI リコメンにはまだないような気がする。

ミュージシャンによるキュレートや450次元の解析って言われると、すごいな、とも思うし、
これがたとえば本邦でいう、あの音楽番組だったりするのかな、とも思う。

でも、キュレートってきっかけだし、解析がすごいって、それだけで陶酔するわけにもいかんよね。

いずれにせよ、勉強になる。深いです。

深いよ。だからって、そこでほっといちゃいかんな。

記譜と記憶

楽譜って間違ってることが多い。

出回ってる、ミュージシャンが頼りにしてるやつ。
Realbook も、iReal Pro も。

最大公約数だから、採る側も細かいところに構ってられないから、
そもそも作り手や弾き手は、楽譜になることなど考えずに耳と感覚を頼りに音楽を作っているから。

いろいろな理由はあるが。

譜面を鵜呑みにせず、耳で採ると発見の連続だし、それが一番だったりする。

しかしそれだと忘れてしまう。自分用に改めて譜面にしたりする。
その作業で弾くことを忘れてしまったりする。

解決策としては、体と頭で理解し、積み上げていくしかない。
一番遠回りだが、一番近道。


そんなことが頭にひっかかりつつ、寝る前に時里二郎さんの『名井島』を読む。

とてもシュールで、もとより理解を超えているが、ふっと同期する。

「島のことば」のごとく、
ぼくらの記憶は、抹消しきれなかった、だれかの記憶の上に書かれているのだろうか。
消去ヘッドのいかれたカセットテープのように。

デジタルファイル転送できないもの、ブレインインターフェースの動作しないもの、
リアルタイムで交換するしかないもの。

音楽はそのひとつ。

今日耳日曜

日曜は貴重…

週末が主な仕事、というサイクルから外れると
逆に日曜が有難くなる。今のうちに頑張らないと。

結構話題(だと思う)の音楽本を一気に600pほど読み終え、
スケールのでかさに驚くと共に。共に、なんだろう。
シンプルであり、シンプルでない。

英雄やパイオニア、パイレーツの話は夢がある。
悪徳と、勝てばなんとやら。

妥協をしないという勇気をもらいつつ、答えはどこか、
膝下か、枠の外か、それとも。

久々に鍵盤楽器を触り、秋に練習していた曲を思い返す。

ドラムトラックを作る。今のテクノロなら音源やサンプラーで幾らでもリズムトラックは作れるが
僕はどうもそのやり方に惹かれない。
回り道をしても、キットで叩くか、パーツを1トラックずつマイクで録ってく方が好きだ。

気づけばちょいと膨らみ月が
浮かんでた。

トロールの誕生

最近の睡眠の友は

「トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界」(冨原眞弓)という本だ。

ムーミン作者、トーヴェの背景に関する著述で

ほんわかしてるのかと思いきやとんでもなく

彼女の父母の世代からの、フィンランドとスウェーデンやロシア、
ナチスドイツ、その他の内外情勢と
風刺雑誌「ガルム」の筆頭漫画家としての活動から、ムーミン誕生を探るという
めちゃくちゃ難解な記録&考察となっている。

お気づきかもしれないが、この場合の睡眠の友というのは

心地よく眠れる

のではなく

難しすぎて眠くなる

ということである。

割と速読の自分が、この本は難解すぎて全く読み進めない。
何しろ、北欧の人文地理にも疎いので、次から次へと出てくる人名や地理名を
頭のテーブルに載せるだけでも大変だ。
(テーブル、というのは、揮発性メモリ = RAM みたいなもので、咀嚼する間にあくまで一時的に並べるという意味だ。理解する、という事はそもそも放棄している)

しかし凄まじいのは、トーヴェの母、シグネ(彼女も「ガルム」の筆頭漫画家だった)の時代の、フィンランド国内のさまざまな政治信条、イデオロギーの軋轢のすさまじさだ。*

隣国スウェーデンとの近親憎悪(にみえる)、母国語や、自国のアイデンティティを形成する「物語」を巡っての学生や政治家の運動などを読んでいると、学ぶことがいっぱいありそうな気がする。

アジアでも、要するに日本でも同じなんだよな。
そして、現在進行形でも。
これをやってる(やってきた)人が、世界中にはびっくりするほど沢山、いるっていうことだ。

詩人や芸術家がある勢力に利用されたり、あるいは逆に擦り寄ったり、
人間のあり方がどれだけ危うく、またどれだけ歪んでいるかも見てしまう。

つまり、単に文が難解なだけではなく、そのことに気が遠くなって、
眠るしかなくなるのだ。

まだまだ本の7章途中で、全部で20章あるので、いつ読み終わるのか、
その時に何か学んでいるのか、わからないのだが。

* あまりのことに、「凄まじサンドイッチ」してしまいました。悪い文の見本です。

ろっか・ばい・まい・べいびい

flexlife との遠隔共演

春のツアーから延び延びですが ようやくご一緒できました

いわゆる本棚前セッションです

///ろっかばいまいべいびい 細野晴臣/// by flexlife

vo / fl /per/ film:青木里枝(rie aoqi) g / rec:大倉健(ken okura)
ba:近藤零(ray kondo / stillbeat)
special thanks : OLD TIME ( kumamoto )

flexlife は、なんと、毎週土曜にカバー曲動画をアップするという
すごいプロジェクトを続けています。
もともと映像の人っぽい? りえんぬとけんさん、かんたろう君、そして猫たちが体現する世界、ぜひご覧ください。
flexlife cover songs playlist

今回僕は溶けてるのか出しゃばってるのかわかりませぬが…バンブーと木の一角より。

並べてる本やグッズにつっこんで貰えたらうれしかったりして。

部屋の掃除のついで、好きな本ばかり置いてます。

加藤陽子さん

…の著書はまだ一冊しか読んでいないが
日本近代史にとって、とても大切なことを言ってきた人だと思うので再掲。

2014年の日記。別に手放しで褒めてるわけではないです。

30年代の教訓

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』という本です。

shooting the rubberband

ほんわかしてるのか、忙しいのか、よくわからないままに「連休」が終わった。

4連休ってすごいよな。例年なら無理してでも旅行に行ってただろう。

今年は行くわけもなく、GO TO なんて信じられず、とはいえ、行きたくなる人の気持ちもわからないでもない… やめといた方がと思うんですけどね。

しばらく前に、漫画版「風の谷のナウシカ」と関連づけての学者たち3人から観たコロナ時代への提案、という趣旨の番組というのをやっていて、最近の NHK にしてはいい番組だな、と思ったのですが(というより NHK は技術もスタッフも超一流なのに、それが地上波の主要な時間帯の報道とかなり落差を感じずにいられないここ数年。だから応援もしたいし、おかしいと思うところは意見もいいたいわけです、これってごく普通のことですよね?)

ともあれとても考えさせられる番組でした。…潔癖主義から(それも、科学的・人工的なものではなく自然農法などの礼賛から)ナチスにつながったというのも…ほんとかな、もっかい見直そうかな

コロナに打ち勝つ証としてのオリンピック、というステートメントにおかしなところがある、というのはほんとそう思います。


知性、という言葉、または概念、難しいですね。

「反知性主義」という言葉をここ数年、よく見ているのですが、僕個人的にはあまり伝わらないんです。

割と賛同できる人たちの意見であるにも関わらず。

知性 = intelligence というのを、僕はあまり信用しきれてないのかもしれません。とても重要だとは思うのですが。

あるいは、AI やネットワークはじめさまざまなものが「知」を侵食し、飲み込んでいくと感じているから、違う世界に行きたいと思っているのかもしれません。間違ってるのかな。

面倒でも対峙するべきなのか。一生の課題としては。

でも、「知性がどうのと言う奴は一番知性がない」というのは、一聴してよくできてるけど、すり替えというか、悪用だと思います。

学者は、知性を扱う人だから、本来知性がどうのと言っていいし、言わなきゃ学者じゃないわけで。

知ること、と、感じること、と、愛、と、それぞれ順番をつける、ロングセラーの物語も読んでるのだけど、それぞれ大切なトップ3、ってことじゃないのかな。

相互監視と台本 – 弐

気になる本を読み出した。

山縣太一さん、大谷能生さんの「身体と言葉」(なぜか読み方が「ことばとからだ」)

演劇やってる人って、音楽とは違ってまたぶっ飛んでるんだろうな、とは思うけれども、とても示唆に富んでいる、また、読んでいくうちに頭が誤動作をしていくのがわかる。天才的に真理に到達してるのか、ふざけて端折っているのかわからない。その両方だろうか。

山縣さんのご両親がやっている劇団も、味わい深かった。

さて前回のとても暗い投稿と繋げるのは、前掲とは全く無関係の本でありながら、ここに気になること、正気に戻してくれるヒントが色々書かれているからである。まぁ、この帯のとおり。

この方は俳優が人前に立つという状況を「異常事態」としている。他人に見られ聴かれて表現する、そこに自らの身体を使う。ここからの論考がむちゃくちゃ素晴らしい – p.54 最高 – のですが、今回は端折ります。


「書かれた言葉」の可能性と内包する力。

紙の上に書かれている文字自体には身体がありません。文字と身体は、根本的な原理が違うのではないかと思うほど、遠くにあるものです。しかし、その距離を誤魔化してはいけない。遠ければ遠いほど、そのあいだに飛ばすことの出来る火花の電圧は高くなるのです。 – p.22

これは凄いと思う。
楽器演奏に置き換えてみれば、パッと弾いてすぐええ音が出るベースは、おもろないねん、と話してくれた清水興さんを思い出す(昔 B.Magazine でインタビューさせてもらった)がさておき。

〜書かれた言葉は、それが実行力を持って表れるとき、そこにいる人を発話する人と聞く人に分割します。書き言葉は会話とは異なり、そこにいる相手を黙らせる力を持っているのです。

この能力が最も強く発揮される場所こそ、演劇の舞台に他なりません。〜

俳優には、このような力を引き受けていることへの自覚と、その力が生み出してしまう「沈黙」を聴き取ろうとする姿勢が必要です。 – p.61

〜ある集団に、自分の身体と言葉でもって、ある書き言葉を「正しい」ものだと認めさせること。唐突な話かもしれませんが、ここにはおそらく、立法あるいは司法といった権力を生み出すような力が備わっているのではないかと感じます。 – p.62

記者会見や国会答弁、その他幾多の会合で、予め用意された原稿を政治家や官僚、町の代表がひたすら読むのも、この故なのだろうか。

「力を引き受けていることへの自覚」が必要というのは、パフォーマーだけに限った事ではないでしょうね。学校で立って教科書を読む子供にだって、その感覚を養うことは出来るはず。大いに。


「ダジャレ」の効能。

言葉自体を不安定にしておくことによって、発話という行為を毎回発見しなおすための回路を作っておく。- p.132

もう少し説明があるのですが、ほぼ完全同意。ぼくが駄洒落を多用するのも、そんなところか。

その他、今後も舞台に立つ(実感が薄れてるが…?)者としては、ずっと不思議だったことについて、答えと新たな課題をもらった気がします。

機会があったら上演を観にいってみたいです。

まぼろし

先日から読み直して(27年ぶりに)いる本 “Musicians in Tune” 「素顔のミュージシャン」であるが
大変なボリュームがあるので少しずつしか進めない。

とてもいいことが沢山記されている。ミュージシャンを志す人ばかりではなく
続けている人、途中でやめた人、リスナーとして楽しむ人、初心に帰りたい人
いろんな人に、それぞれの刺激があると思う。やはりお薦めです。

先日書いた Genesis の “Land of Confusion” についても、Mike Rutherford の作詞観がしっかりインタビューされてあった。
やはり、昔読んだときはいろいろ、理解を超えていた事が多い。当時は歌詞についても理解が浅はかだったが、無論人生としても経験が殆どなく、ただ「(音楽による)ピーク体験って、すげぇな、なんとなく、わかる気がする」みたいなところだった。

やはり Keith Richards の名セリフが随所に光っている。Anthony Kiedis もいい事いっぱい言ってるね。

実際に社会的、政治的影響力も持っていたロックスター達が、どう権力や社会的影響を捉えていたか。という参考にもなる。


僕自身の曲であるが、今朝起きたら曲が浮かんでいたので、しかと捉えることができた。
満月のうただ。九月の。

歌詞も一気に書き上げて、楽器と唄全部録音してしまった。人生最速。
ミックス、マスターがどこまでできるかわからないが、これを「るいをよもう」のかわりに9/2にリリースしたい、と思っている。

ジャケットをどうするかという問題はあるが。
まぁなんとかなるっしょ。

sugao no mousou

昔買ったジェニー・ボイドの「素顔のミュージシャン」をふと読み返す。

とても影響を受けた本で、初版頑張って読んだのだが、今回は前書きを読みずっしりとしている。本編にはまだ入れない。

ジェニーさんというのは、ケニアで幼少時代を過ごし、60年代に活躍した美貌のイギリス人モデルであり、ロック界きってのドラマー達の奥さんでもあり、早くからインドの瞑想に傾倒した人であり…

ドノヴァンの「Jennifer Juniper」で唄われたひとであり。ジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンが奪い合った「レイラ」= パティ・ボイドの妹でもある。

それはさておき、音楽家が何にインスピレーションを受けて創作を行なっているか、どんな葛藤があるか、などを75人のミュージシャンにインタビューしたレポートで、彼女が心理学者を志したときの大学の論文として作成されたものだ。そのためか、話があっちゃこっちゃに飛んで、といった感はあるが。

昔はなんだか、それを読んで盛り上がっていて、親しい人にもよく薦めていた気がする。
とはいえその人たちから感想をもらった記憶はなく、たぶん誰も読んでいないのだろう。

最近、久しぶりに Fleetwood Mac の70年代の曲を聴いていて(有名どころばかりだが)、なんでスティービー・ニックスの唄はこんなに素敵なんだろなとか、リンジー・バッキンガムって、いけすかないぽいっけど、案外哀愁があるのかな、とか、どう考えても哀愁やんけとか、フリートウッド・マックってドラマーとベーシストの両名ユニットだからフロントはなんだっていいんだな、とか。

その背景を知りたいと思うとジェニーの存在が出てきたわけ。すっかり忘れていた。

いつか僕もこんな本を書きたいなぁ、とか思っていたっけ。しかし僕にはそこまで沢山の音楽仲間がいるわけではなく、そもそもあまり人とつるまない。結局自分とごく数人の周りの人のレポートになるか、半フィクションの小冊子になる気がする。

また、ホラを吹きました。

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