カテゴリー: book

背景は遠ざかりゆけど

眠れないので久しぶりに大好きなギタリストの日記を見ていたら、エネルギー。

今日は渋谷で3軒回っても「脱グローバル論」も
「なぜ少数派に政治が動かされるのか?」も見つからなかったけど

「チェロを弾く象」で、気持ちよく眠れそうだ。

巡礼の年?

村上春樹はずっと好きなんだけど
今回のはびっくりするぐらい、後味が残らなかったなぁ…

(極力バイアスをかけないため、他人の意見は一切読まないうちに記している)

色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年

IQ84は3部とも好きで(特に3が好きだった)
特に牛川と青豆と、千葉県佐倉市に感情移入するぐらいだったのだが
今回ははぁ、という印象。
だからといって、分かりやすい文だから、読み返すかどうかはわからず。

途中の、ピアニスト緑川の告白の下りはぞくっと来たのだが。

「名古屋」「浜松」という場所に対する視点に、特別深いものを感じられなかったことと
(311以降にも関わらず?)
主人公たちが結ばれる場面が後半のいいところに設定されていなかったこと、
すなわち冒頭ですでに完性されちゃってたこと、

まぁ、たぶんそういう要素なんだと思う。
「ハードボイルド・ワンダーランド」型が好きやな、と改めておもう。

でも、緑川と「シロ」のピアニストとしての関連について探ると面白いかな、とか
青海「おうみ」をもっと知るといいかな、とか
やっぱりいろんな「符号」はある。

内田樹さんが良く書いてるように作品の中に「倍音」を形成するための要素、

僕の解釈でいえば月がそうであるように「誰のものでもないくせに、誰のものとも思わせる」要素、
そういうものは、最初から散りばめられてる。

たとえば僕については、「おうみ」もそう。

だけどな。
ま、いいか。

[追記]
あのあと、読み返すことはないけど、
脳内再読して、染みてくるところはある。

自分の蓑の中での眠りからようやく醒めたら、より厳しい現実も見ることになる。
…覚醒を促してくれた本人がそれを与えるわけだから、シビアよな。

エンターテインメントというより、リアリスティック。

ことばとさんぷりんぐ

先日からのバリー・サンダースの本と
その前の王羲之の話と
みのまわりを
照らし合わせて
考え直しをせねばならぬ

デジタルは すべて計算機による変換を要するから アナログやアコースティックから遠い
ということを書きとめたあと

口語、口承のみによる言葉と
文字による言葉(識字のはじまり)を考えると
ある意味、文字=デジタル信号なんだと気づいてしまった。

いや、さらに遡れば、音声による言語もデジタル記号の一種なのかもしれない

文字を読み、それを連結し、意味の通る言葉として再生するまでには
頭の中でかなりの計算がなされている。

この速度を限りなく速くして、レイテンシーを感じないレベルまで上げたところで
識字社会が成立している、

アナログやアコースティックも振幅からの変換を要するけれども
それ自体に複数の意味をパッケージし、現実とパラレルに進行する文字や音節っていったい。

やっぱサンプリングソースなのかなぁ。

敗北感。

ただし。デジタル信号はバラバラにぶったぎったon or offからの再構成であるから
文字はそれより遥かに複雑な計算を要している。
あるいは語感が意味を先行することがある。

人間に理解しやすい言語はマシンに理解しにくい。
マシンに理解しやすい言語は人間に理解しにくい。

ここに救いがあるのかな

機械と張り合ってもしょうがないねんけど。

で、こないだの王羲之の文字を輪郭を取りながら徹底再現試みてた人は、
端的に言えばフォントを作ってたんだろうね。

それ自体に「美学」を感じるサンプル素材を。

「素材」って言葉、僕は嫌いなんだけど、

料理の素材。建築の素材。紙質。テクスチャ。

すでに付き合ってるってこと、理解しなきゃいけない。

人がみんな、フォントを選ぶように、フォントと戦うように、
ループやインストゥルメントを選んでる。

選び取ることの繰り返しで、もっと重なり合う美学。

そりゃぁ、そうかもしれない。

でも、「選び取れない」要素が重なり合うこと。

これこそが、僕らを前に進めてくれると、やっぱり思うけどな。

だって、理解できる事しかこの世になければ、明日を生きる希望も何もない。

リアリティは膠のように粘り強くよみがえる

本が死ぬところ
暴力が生まれる

A is for ox

バリー・サンダース
杉本卓 – 訳

すごく面白い本。

読み出したばかりだけど、邦題に限定されないテーマで
訳もとても素敵だ。

今は、「本」以前の「口承」のお話。

文字を発明する前に、人の脳は、ことばのグルーヴを発明した

そして、著作権という概念が生まれるはるか以前、人はグルーヴにのって、物語を共有していた

というような内容。

めぐりめぐって、今、人は「共有」にやっきになってる。

これって、先祖帰りなのかもしれないね。

つかさおさむ

「ペペペペラン」の画を描いたのは司修さん。

全然意識していなかったけれど、色々見たくなる。

「影について」なんか素敵そうだ。

pepepeperan

年明けからスカパーでは
宇宙戦艦ヤマトばかりやっている
あまり覚えていない筋も多いので見直したが
見終わると、なんとも言えない気分になる。

次から次へ、ヤマトを遥かに超える巨大な要塞や戦艦が出てくる様は
太陽もアルデバランやアンタレスや
ベテルギウスやV1489とは
比べものにならない小さな存在だと
そう言っているようでもあるが

きりがないんだよな
技術と技術
鉱物資源と破壊
汚染と願い
くりかえし

「今はできないが、いつか」
武力を捨てるという誓い

はじき飛ばされるだろう

すぐに出てくる欲の甘え
ほら、ほら

僕は
うちゅうせんペペペペラン
の方をセットで観たいな。

あの 意味のわからなかった画を
スクリーンいっぱいに映して

What are your horns for?

先日、山羊に聞く?という店でイベントに出たのだけど
そこでの控え室(たまたま、その日は、その役目を果たしていた)にあった絵本

スガンさんのヤギ

これ衝撃的だったなぁ。

エリック・バテューの絵もすばらしいのひとこと。

誰に愛されることもなく獲物を狙うオオカミと
飼い主の愛を振り切って暗闇の戦いに挑むヤギ

それが間違った愛だったのか
わからないけれども

自然はどちらも等しく愛した
そして星空が消えたとき

ヤギの心がながれさった。

てらしてみれば

光が上にいってしまった

月も上から照らされる あと数日のこと

 

「巻き毛のリケ」素敵な話だ

そのひとがかしこいのか
そのひとがかしこくみられるのか

それは似ているようでとても違ったことだ

だけどどちらにもいえることは
他人の目も本人の自覚も
気の持ちようで変わるということかな

 

意識は幾重にもかさなっている
そして切り替えればどれも真実に見える
そうどれも真実
どれも大切に育んだならば

もり を つむ

ドレの昔話」をようやく買って読んでいる。

「眠り姫」はなんだか「カリオストロの城」みたいな冒険物語でもあるのだな、と思いつつ…

呪いによる死のかわりに、100年眠り続ける娘を、

共に魔法にかけられて眠り、共に100年後に目覚めるという、最高の幸せを選ばず

「起きて見守る」ことにした親の気持ち。

たぶん自分もそうするだろう、と思う。

姫は「つむ」に刺されると宣告される。

王は糸を、布を、つまりすべての繊維の営みを止めて娘を守ろうとする。

それは失敗に終わるわけだが、

やがて城は深い森につむがれ、二つの王国は時と記憶につむがれる。

「いつも糸を紡いでいる」と目の前で紡錘をくるくる回してくれたケイティさん、ふと思い出す。

エピローグ – 地球水洗便所説

地球水洗便所説
…?

梅棹忠夫を読みたいと思い、
かつて、河出書房から出版されるはずだったという
『世界の歴史』の最終巻「人類の未来」の目次を見ると、寝れなくなった。
エピローグに並んだ見出しのひとつがこれだ。

エピローグだけじゃない、12の章の見出しがすべてぶっとんでいるから、
それだけで目が覚める。

そもそも、歴史書の最後になんで「未来」が企画されたのか、
そのなりゆきもすごい。

それはさておいて…

「地球水洗便所説」
の次にくるのが、最後の段落
「暗黒のかなたの光明」

読んでみたい…読めるものなら。

ナウシカ原作の最終章、宮崎駿はヒロインに
「いのちは、闇の中のまたたく光だ」
と言わせる。妙な納得感のまま、「主」は巨神兵オーマに破壊される。

闇と光はずっと気になっているテーマ。
私が思うのはこうだけれども。

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