ソヴィエトの映画「チェブラーシカ」(1969-1974) は何度観ても素晴らしいと思う。
「人形アニメ」という形態とその映像の質や、随所に込められた人間や体制へのトゲもいいし、
(冒頭いきなり、果物屋がイカサマをする!)
音楽の流れがとても必然的。
ところが…日本語吹き替え版とロシア語版を聴き比べてみると、気づいてしまった
…日本語版の挿入歌のオケって、原作を模した打ち込みやん…!
う”ー=〜ー=
そりゃないぜ
ソヴィエトの映画「チェブラーシカ」(1969-1974) は何度観ても素晴らしいと思う。
「人形アニメ」という形態とその映像の質や、随所に込められた人間や体制へのトゲもいいし、
(冒頭いきなり、果物屋がイカサマをする!)
音楽の流れがとても必然的。
ところが…日本語吹き替え版とロシア語版を聴き比べてみると、気づいてしまった
…日本語版の挿入歌のオケって、原作を模した打ち込みやん…!
う”ー=〜ー=
そりゃないぜ
村上春樹はずっと好きなんだけど
今回のはびっくりするぐらい、後味が残らなかったなぁ…
(極力バイアスをかけないため、他人の意見は一切読まないうちに記している)
色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年
IQ84は3部とも好きで(特に3が好きだった)
特に牛川と青豆と、千葉県佐倉市に感情移入するぐらいだったのだが
今回ははぁ、という印象。
だからといって、分かりやすい文だから、読み返すかどうかはわからず。
途中の、ピアニスト緑川の告白の下りはぞくっと来たのだが。
「名古屋」「浜松」という場所に対する視点に、特別深いものを感じられなかったことと
(311以降にも関わらず?)
主人公たちが結ばれる場面が後半のいいところに設定されていなかったこと、
すなわち冒頭ですでに完性されちゃってたこと、
まぁ、たぶんそういう要素なんだと思う。
「ハードボイルド・ワンダーランド」型が好きやな、と改めておもう。
でも、緑川と「シロ」のピアニストとしての関連について探ると面白いかな、とか
青海「おうみ」をもっと知るといいかな、とか
やっぱりいろんな「符号」はある。
内田樹さんが良く書いてるように作品の中に「倍音」を形成するための要素、
僕の解釈でいえば月がそうであるように「誰のものでもないくせに、誰のものとも思わせる」要素、
そういうものは、最初から散りばめられてる。
たとえば僕については、「おうみ」もそう。
だけどな。
ま、いいか。
[追記]
あのあと、読み返すことはないけど、
脳内再読して、染みてくるところはある。
自分の蓑の中での眠りからようやく醒めたら、より厳しい現実も見ることになる。
…覚醒を促してくれた本人がそれを与えるわけだから、シビアよな。
エンターテインメントというより、リアリスティック。
うそでできてる世界
うそでできてる音楽
うそでびっくりさせて
音をとびはねさせよう
次はあっちに
いいじゃないか
たたいて はじいて あやつって
思いの外 きれいなメロディー
ふしぎだね
かわいい うそで きれいな音が
できたって 本当かい
誰も
チョークなんて
使わない
まちの湿度計によると、
夕方5時30分、湿度85%、気温28.5度。
85%…?
冗談じゃない。
こりゃ水が溢れるぜ、と思っていると、家に帰った後にどしゃ降り。
なんだか、良かった。
愛車のフィアット…じゃない、折りたたみ自転車で
ぐるっと回るぐらいが週末らしき息抜き。
もともと不定期仕事だからしょうがない。
夜型はやめているけども。
次のプロジェクトへの準備もせねばいけない、
自分のある部分を引き出す、という事はどこかに傾いているわけで、
別の部分を再び引き出す為にはまたぐるっと見渡して傾かなきゃいけない、
こともある。
それが好きだからやってるんだけどね。
全方位自然体、それは素晴らしい事だけど、あくまで結果であって
変化と不自然を常に求める自分がある。
「理想」が理想の形を取りすぎないように
動いて行きたいな、と思う。
明け方
木が並んでいる
傾いたり
糸を張られたり
光を浴びたり
何をするのかわからないで
じっとしてるみたいだけど
次に出す音は
やがてやってくる
そんな楽器達を使って
音楽をする、僕のノートです。
* website “stillbeat.com” の前身 blog “stilldrum” 最初の投稿。
冷めたコーヒー。
鉛筆の味がするのは、
何故だ?