again

here comes the night and
the night doesn’t have to be the noon

525

蒼い山で再び月と伴星を見る

久しぶりに、ブラウン管のテレビのある部屋へ

男の子と 技術者と思しき方

ふと つい先日違う場所で聞いた話が出てくる
どうやら「ブラウン管が発していたあの高い音」は、トランスによる水平同期音、らしい
音量を下げても気になっていた 遠く離れても気になっていた あの音だ。

子供は特に気になるはず だけど今の子供達はブラウン管自体に接する事が殆どないので
やがて誰も気にしなくなるのだろうか それとも余計に気になるだろうか

調べればこの音は、加線が15もあるBの音とほぼ同じ

このB9が年がら年中、どこでも鳴っていた日本、
年齢やテレビの性能により程度の差はあるだろうが、集団心理にも多少は関わってたんじゃないのだろうか?

近年、テレビの視聴率低下が著しいとか(視聴率測定、自体、根拠と精度のよくわからないものだけど)
言うけど、なんだかある程度はこのB9が影響していたんじゃないかな、なんて思ってしまう。

つまり、特に子供や若者において、「見ろ」「見続けろ」っていう無言のメッセージがあったんじゃないかな。
そこにサブリミナルな意図があったかはともかく、
見たいわけでもないのに、ブラウン管をぼーっと見つめてた人、多いしね。

今の液晶だとそんな音は出ない(はず)なので、いくら大画面化しても、
テレビ自体の存在感、って、薄くなってるんじゃないだろか。
見たい人は見る、見たくなきゃ見なくていい、みたいな。

いやはや、奥行きと存在感は、比例、なんて。

携帯電話やスマホ、これらにもぜったい、何かある。
電車の中でもあらゆる人を阿呆にしてしまう何かが。
(ところが当人達は、僕も含めて賢く「スマートに」なったと思っている)

スマートフォンって、多分、スマートに人間を操ってる道具なんだ。

それって、15.75kHzの根拠=水平解像度525本…からかなり進んだ筈のRetinaディスプレイなんだろか、
それともその裏にある、A4やA5プロセッサなんだろか

自然にかえりたいよと思うけど 自然は大きすぎて
かわりに電子と波動にとりつかれてしまってるよ

人間ってほんと 小さいね
(なにを偉そうに)

星の分度

綺麗な月を今夜も見上げてると 伴星

ぐるっと目線を回すと
星はぐるっぐるっと 月の周りをまわった

だけどなんだかその動きはおかしくて
まるでアメンボみたいに 時計なら三時間置きぐらいに
ネジをまいた

小さいころ バレリーナの目線は目が回らないように 飛び飛びなんだとか
聴いた事があるけど 自分の目はこんなにくたびれてる

これじゃ野球はもう出来ないし 流れ星も追えない

それでもと 月と伴星にもう一度 身体をつり上げてもらう
上から清めてもらう

もう一度見た時 月には蒼い素敵な霞がかかっていた。

いまごろ

ルパンは五世ぐらいになっていると思うのだが。

たいへいよう

月はえらいもんだ

あんなに遠いのに、ちゃんと見えてる
太平洋の向こうなんて見えやしないのに

ハワイがあり イースター島があり
戦争中はポートモレスビーやガダルカナル ミッドウェーで殺し合った
その昔はムー大陸があったかもしれない ほんまのところはしらんけど

クジラが泳ぎ ウミガメが泳ぎ シャケやマグロが旅をし 深海魚が潜み 無数のプランクトンがうねる

そんな海を取り巻いて 国があり 東洋の端と西洋の端があり 日付変更線まである

アリューシャン列島を渡ったインディアン 大西洋を渡ったラテンやアングロサクソン

文化のあまりの違いに絶句し あるいは惹かれ合う

情報は一瞬で海底ケーブルを渡るけど それでも海はひろくふかく とんでもなく蒼い

 

アメリカのいいとこ わるいとこ これからも色々体験するだろう
どう転んだとしても よ

Apple, Google, Adobe, Avid, Intel, Mozilla, コンピューターだけ見てもすべてアメリカのシステムだ
VISAもMasterも Amazonも ボーイングも軍事も

音楽もカルチャーも

 

だけど忘れちゃいけない

自由主義っていうと 聞こえはいいけど この主義は民衆のものじゃない
資本家にとっての自由だ
資本を投下し 操れる者が 国の制約すら受けずに 自由に金儲けをできるための仕組み
それが自由経済
この世はカネ 勝ち組と負け組 自己責任 成長 ストラテジー
その仕組みを守るためのあらゆる「正当な」努力と弁論 そしてその上にある統制
それが 自由という名の 資本主義
中央集権や 独裁と 違うようで そんなに違わない

そりゃ こうやってモノが生産され デザインが生まれ イベントが起き ダイナミズムがあり
みながやってければ そりゃいいと思うよ だが ちっともそうはいかない
いつだって燃料切れ いつだって空想倒れ 眠気とヨイと 記憶ちがい

水道哲学だって 説明がつかないことが たくさんありそうだ

 

いいものはいい わるいものはわるい でも価値観はひろくふかく 太平洋と同じくらい 蒼く姿を変える

 

まったく
地球のどこよりよっぽど遠くにあるのに
誰にでも見えてさ

ったく えらいもんだよ お月さんはよ

化石と針とマイク

地表から上にはみだして、重力に逆らって立ち、色々なところを移動しながら
生きてるおれらのやることって、なんだろう

深くなりすぎてしまうけど、時折僕は空っぽになって
おれらは針じゃないかと思ってみる

地面という人生をトレースする針
あるいはマイクやスピーカーでもいい
カメラやテレビもアリか

記録し何を再生するかはその人次第、
それが音楽やる者の意味かなとも思っている

 

音楽やらなくても、みんなの存在意味かもしれない
体験した事を変換して吐き出すこと

これだけ人類がケータイやスマホにはまってしまったのは
自分らは伝達のターミナル、情報の変換素子なんだと自覚してしまってるからかもしれない

中身って、あるようでないんよね

身体の大半が水だっていう事と同じく
人間の大半はその人を通過する情報なのかもしれない

骨肉となったとしても
やがては吐き出さなければいけない

 

簡単にクリアできない、バイアスのいっぱいかかった情報だけど

ばしょはとらないからさ

ふとそんな言葉を思い出す

誰が言ったのかわからない 友人の誰かだと思う

なんか 震災以来 おれらに地球上に存在すべき場所はあるの? って思ってしまうことがある
たまたま 生かされているけれども

安全なのはどこ? っていう話だけじゃなくて
結局 原発にせよ TPPだの格差や食料や領土問題にしても
地球上での共棲の難しさと 奪い合いと そんなことから始まってるし
資源巡ってフィリピンで鉱山持ってる日本企業が反政府組織の襲撃を受けても
そりゃあんた、企業もコンクリートの中で偉そうな言葉ならべて、自分らの事しか考えてないわな、と思ってしまう。

「外国」で土地を好き勝手に掘り起こすのはやはり異様なことで、
いくら金を撒いたとしても、そりゃあ、どこかの王子に東京のど真ん中が買われていたとしても
中国に北海道がいろいろ買われていたとしても、お互い様になってしまっていて
なんだか根本的におかしいよな、と言えないシステムに腹が立ってしまう。

システムってのは、腹が立つ外部を当然想定しているのだろうけど。
デモは、所詮「ウイルス」ぐらいにしか思われていないのだろうか。

でも、システムもウイルスも、この場合は所詮同じ人間なんだよな…

今の混乱期、いや、人じゃない、悪いのはシステムだ、っていう空気の色合いを良く感じるのだけど
システムを作ってるのは、人なんよね、それも特定の誰かじゃなくて、おそらく、とても多くの人が。
そこには当然、自分も加担してるかもしれない。

 

ばしょはとらないからさ

うん、どうして君は、ばしょをとらないと言えるのだろう?

大人しいから? 状況に適応しているから、それとも抑制しているという意味?
僕は、自分が場所をとらない、とはあまり言えない。
図体はでかいし、楽器を持つとさらに2倍以上のサイズになるし、
大人しくなることもできるけどそれは自分のスイッチをどこかで切るわけで
スモールな自分であることに あまり自信を持てない。

だけれども
自分が何かするときに、その場所で
あるいは、大人しくしているようでも、いや、大人として
できることやってるのか?

そんなことを思う

 

起きてるうちは、できるだけのことやってるつもりだけど。

重力に逆らったふたり

クロタートルを着てflexlifeの公演に下北沢に遊びに行く。
ケーブルは予備を持ったが、チューナーを忘れて行く。

440の長い客席をゴロゴロ歩いて行くと、ちょっとシャリっとしたサウンドチェックの音の向こうに
いつものひょうひょうとした笑顔がある。

音が丸くなじんだころ、箱を出して混ぜてもらう。

大名曲「夢を慕いて」

切れ味するどく、ふわっと重いリエンヌのことばの右に
オオクラララ・ストラミン

出会った頃はいつもウーリーだったけど
いつかギターが似合う人になってる

後ろからもいいけど前からもいいね

クラリネットのアンケンさんも顔真っ赤にして
天頂までラララライフ

あ、これこれ、とびあがる感じよね