投稿者: ray

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さて、少し状況が動いた。

適当な半デニムが見つかり、気づけば夏や。冬やったのにな。

* title は自動生成された番号です。マイナンバーってそんな感じやね。

ちいさなせかい

昨夜の日記のタイトル、なんで「一輪車の夢」だったか

よくわからなかったのだけど、たぶん昼間に読んだ古い雑誌で

昔の巨大な一輪走行車のカタログを見てたからだと思う。

もうひとつ。ベースフィドルを運ぶには、アメリカ在住の頃だが、
常にエンドピンを外して、ぐさっとタイヤを差して、コロコロ歩いていたのだ。

それが「一輪車」。

今は、何度か写真を上げてるように、二輪の専用の車をバリッと貼って
ゴロゴロ歩いている。サスペンションまで付いてて高性能な車だ。
もう三度か四度、タイヤを交換している。

もう、歩くの、疲れたよってことかな…


ずっと歩きや公共機関で、ベースを担いで、転がして、移動してきたが
昨今の状況から、僕は極力それを控えている。

たとえ JR やメトロの営業妨害と言われても、そこは僕だって。
普通の人より遥かに荷物が多く、身動きがトロく、距離だって取りにくいのだから。
なんなら、乗る方が妨害でさ。

そう、ただでさえ、オリンピックに備えて荷物の予約が必要になります、とか、そういう事情が重なっていたのだ。

そこへこの新型コロナだ。そろそろ運ぶのをやめたくもなる。

車を使えばいいだろうって、ほとんどのプロミュージシャンは車で移動するけども
そうもいかない。とはいえレンタカーもそう使ってられない。


いずれにせよ、今後演奏活動を展開するには、専用車が要る。
この、先の見えない展望で、車ですかい。

そうなると、色々な事を考えるのだ。将来、数年後、十数年後、去った後…

僕を知っている人ならお分かりの通り、僕は相当変わっている。
ミュージシャンとしても、一般人としても、
真摯であろうとすればするほど、はみ出しているのがわかる。

型にはまるのが嫌いなのだ。


発明家になれたらいいのにな、と昔は思っていたし
一方で軍隊に入りたいとも、イタリアの銃器メーカーに入りたいとさえ思ったこともある。

鬼ヶ島に就職して青鬼になりたいとも、ノートに書いたことがある。

今思えば。軍需産業がどれだけ世の中を牛耳り、人々を悲しませ続けているか。
でも、たとえば手元に銃を置いて眠りたい、なんて想像する人は、その先は見えてないのかもな。
自分がそうだった。子供の頃だけれども。モデルガンだけれど。

昔から、若いまま、色々な事情で戦争に行く人がいた。今も世界中でそうだろう。
彼らはある時はよかれと思い、ある時は任務として一生懸命やっているのだろう。香港の警察と同じだ。だけど想像した方がいい。

想像ができない間に、人々は使い捨てられる。今に始まった事じゃない、人類誕生からずっとそうだろう。

そんな想像さえ、できなくなるかもしれないからだ。


物も電波も電源も、軍需から発展したものは多い。たとえば腕時計もだ。

極限の状況で性能を上げざるを得なかったものも多いのだろう。その恩恵を受けた物や人も。

だがそれは大切なことを半分以上覆い隠している。

今も軍需に経済を見出したいとする人々は考え直した方がいい。本当に幾度も幾度も、考え直した方がいい。


音楽は平和か。音楽は凶暴か。
音楽は何かの道具ではないのか。

目を閉じたくもなるのだろうけれども、そこはみんな、常に考えた方がいい。
若い人だって。

気づいても何も言えなくなる事だってあり得るのだから。

音楽は忘我。the other side が見せられればそれでいいのかもしれない。
あとはそれぞれ、感じとるも、感じないも、自由であろうよ。

そうかもしれない。たぶんそれだけでもない。

僕の音楽や、僕の関わった音楽が、どう残っていくのか、わからないけれども
せめて残された時間、考えて実践していきたいな、と思う。

無意識をふくめて。もちろん。


Thank you for reading!

一輪車の夢

7.8

全くの無音環境で音をつくっていけないか、と、空想しているが
なかなかうまくはいかない。

が、新しい捉え方はできる気がしている。

視覚や、時間感覚も大事かな、と改めて思う。

家にスタジオがある…というのは音楽家の理想であり
昨今はこれを実現している人も増えているようだ。

それは近くもあり、とても遠いことでもある。
投資や、運だけでもないようだ。ほんと色々な要素がある。
気合いでダンボッチDIYする人もいるし。それすら阻む環境だってある。

かなり本格的なスタジオを身近に実現している音楽家に、いろんなところで接するので
彼らに祝福と、応援と、を思いつつ、
自分はやはり限られた環境で道を探っていこうと思う。

僕はおそらく多くの人と同様、基本的に音の出せない生活をしているが、

だがタイミングや、ちょっと工夫して外に出たりで、マイク録りができたりする。
そのための最小限のいい機材は揃えている。

また、去年や一昨年や、それこそ前世紀に録音したデータも残しているので
それらを組み合わせて曲を作っている。実際、音を出せたり出せなかったりが、かなりの勉強にもなっている。

ここ数ヶ月は、ツアーに備えて楽器の半分を倉庫に預けていた。
ようやく、5弦ベースとショルキー以外が帰ってきた。
とはいえ弾くことはできない。この巨大な生き物は。

裏面を眺めていると、よくできているなと思う。楽器を弾かずにコレクターになる人の気持ちもわからないでもない。

現在はいろいろな意味で、生演奏のハードルが高い。
せめて大事にしてやろうと思うが、これらは待ってくれるのだろうか。

物というのは人間とまた違った時間軸で、生きている。
だから、よほど気が長かったり、逆に寿命が早くきたり、寂しかったりおおらかだったりもする、と思う。

作った人はいろんなことを思っていたのだろうな。


海外から楽器や機材を頻繁に買う知人もいる。

よくやるよ、とも思うが、自分も必要に迫ればそうする。必要なペダルやボックスをギグに間に合わすために、国内で買うよりドイツやアメリカから買う方が早かったり、というパターンもあった。

昨年秋頃から、アコースティックダブルベースでの演奏活動は控えていきたいと思うようになった。
いろいろな意味でハードルが高すぎるのだ。オリンピックによる荷物や交通制限、テロの可能性だって考える。そうでなくても移動時の身体への負担は半端ない。

僕はたいしたアップライトプレーヤーではない。こんな事を書くと、誤解する人もいるかもしれないが、自分の腕前ぐらいは誰より自分がわかっている。世界のトッププレーヤーに、折に触れて接してきたし、それに合った自分の立ち位置は把握しているつもりなのだが、周りはなかなか、そんな自分をわかってくれない。

それでも、時には不相応な、物凄い人々からオファーが来るから、ベストを尽くそうと楽器を手に取る。

とはいえ公式なセッションでは、なかなか自分の納得のいく、自分のベースプレイを残すことができていない。自分の理想とのギャップがとても大きいという事でもあるが。これもやはり、なんとかしたいもんだ。

ライヴ演奏というのはまた別で、録音、ミックスなどでは伝わらないものも、よくも悪くも伝わってくれたりもする。また、生だと音以外の部分が評価されたり、台無しにしたりもする。これも、大切な要素だと思っている。

だから僕は、生演奏活動を重視し、体現している都会のミュージシャンを本当に尊敬する。
リモートライヴを積極的にやっている人も然りだ。
自分は残念ながら、そうはなれない。少しはやっているから、そう実感するのだ。

そんな中、仕事とは並行しつつ、
小さな町や縁のあった場所も含めて、電車や車で旅して、自分の音楽や演奏をやって行こう、とは思っていた。2月までは、だ。

僕はベースが基本ではあるものの、曲作りではガットギターばかり触っている(最近はサイレントギターだ)。
なので今後を考えて、弾き語りし易くアンプも要らない、横型のアコースティックベースギターを探していた。いいのがあったのだが。
無理して買おうと思ったが。すぐになくなった。

そもそも、現在は海外からの楽器購入もほぼ無理だ。閉ざされた世界。
元もとれなかっただろうから、買わなかったのは正解だ、とも思っている。


閉ざされた世界ではいろいろな事が閉ざされていく一方、音楽をより大切に感じたり、もする。


そんなこんなが、枯れては再生し、明日になっていく。だろう。
地味だがよい折り返し、本日これにて。

豪雨の中の方々、くれぐれも御用心ください。命を大切に。

折り返しの織姫

今年も折り返した。

7.1 がそうなんだろうけど、7.7 ってことにする。

2年前か3年前か、river silver [side a] を出した。
river silver = 銀河
なのでそうした。7.7がゾロ目ってだけじゃなくて、後からいいこじつけがみつかったわけだ。

何を隠そう、そのアルバムは今絶賛廃盤中だ。[side b]  合わせて、合計16曲。
中には我ながら、「めいさく」もいくつかある。
grace behind the wordみつかったぞホタル や。
[side b] には double time runes がある。

CD やアナログと違って小回りのきく配信リリースとはいえ、はっきり書くが、ぜんっぜん採算に合わないのだ。儲かるどころの話じゃないって話。

こんなんじゃ、ゲストミュージシャンやイラストレーターに頼むなんて無理の無理。ちゃんとギャラ払いたいからね。レーベルオーナーとして。いや、人として。

配信ってなんなんだろう、とは常に思う。Apple はじめ、彼らのやりかたって、かなり疑問も感じてる。「1984」じゃない、って IBM を打ち砕くイメージで登場した Mac、実はビッグブラザーでしょ?
と、僕は Mac に向かって入力してる。その先は巨大サーバー。ビッグブラザーじゃん。

いろんな人巻き込んで、お金かけて、宣伝して、しまくって、広がって、元が取れる。
それは一つの有効なやり方だろう。資本主義。まだ王道なのかもしれない。この世の会員。

それができるのは、まず才能のある人だと思う。それは素晴らしいことだ。
音楽の才能。マーケティングの才能。人間としての魅力。言うまでもないので言わない。みんなわかってますよね。

なら、僕みたいに少なくとも、自分の得意なこと、より、自分のやりたいこと、を優先する人(≒偏屈な人)にとってはどうすればよいのだろう。

むずいね、無理だね、あきらめな、絶望だね、そんなことないね、どうでもいいね、最高だな、やばいな、ほなほんでええやんけ。いやいや、無意味なことなんてこの世にないやろ。

まぁそんな感じだ。あらゆる葛藤を360度 x 3600回超えて、僕も誰かも、こうやってオンラインリリースをしてる。「いいね」ごときでカウントできないっしょ。

それに比べたらアーティストイメージなんて関係ないし、ほんと、どうでもいいのだ。それに、やがて、人は灰になるし、チリになる。肺が使えなくもなる。

サーバーにデータすら残らない。何万字になっても数KB。解像度が高くても最適化すれば誤消去。諸行無常。

さて、全く重要じゃない前置きは終わり。

ともあれ、river silver は僕の(ほぼ)代表作でもある。Voice of Marble と別の意味で、問題大アリのかけがえの少ない作品集だ。

これは、改めてリリースしたい。できれば一年単位でなく、死後だって残したいものだ。

…間に合わなかった。いや、生きてるが。7.7 に。

数曲、リメイクしたいと思ったんだけど、この状況じゃなー。

だが、必ず、今年中には再リリースしたい、と思っています。


なんでこんな前振りが必要だったんだろう。

7.7 ということでこれは外せなかったのだ。あの前夜は赤い靴のライヴを 7th floor でしていて、仲間も沢山いた。

その同じ時、西日本では集中豪雨だった。

同じような状況だ。思い出さずにはいられない。

どうかご無事で、九州の方々。


同じような状況 ー もっと悪くなってないだろうか。香港、東京。アメリカ。目で確かめることも、容易ではない。そうなるとメディアを介したものしか、「社会」として認識できない。

これはもともとそうだったか。「社会」は最初教科書で、次に新聞やテレビで、それからもずっとそうで、町内会や自治会や、業界や、が入ってくるとしても、SNS やスマホで、でまたメディアになってしまう。

そうなると、リアルとメディアの関係は、永遠に。


折り返し。

また今年も何か、無茶なことをしよう、と思ってはじめた

moon x moon

完全に自己満足が発端なのだけど、ギリ続いている。

あと11曲の予定。

僕は昔から、曲の断片は溜めてきたから、作りかけ含めると1,000曲ぐらいのアイデアはあるのだけど、いかんせん歌詞が書けないのと、歌の才能が全くないので、ほとんど断念してきた。

もともと日本語の歌詞など興味はなく、インストか洋楽しか聴けなかった。
RC の「シングル・マン」を聴いてからだ。詞ってすごい、と思ったのは。

それからも随分経って、ようやく言葉が何処かを通って出るようになってきた。
才能がないなりに、少しは自分の声が出るようにもなってきた。

そんな遠回りをせずに、提供したり、共作したり、フィーチャリングボーカル使えばいいじゃん、って人は思うでしょう。

そんな単純じゃない。

フィーチャリングボーカルなんて、やっていいのは大沢伸一までだと僕は思ってるし。

自分も最高のシンガーとバンドをやったし、ものすごく素晴らしいボーカリストとも、たいがい共演した、それを経ての実感だ。

「うたうひとは、自分の世界を、うたいたい」。その方が輝く。

それに、僕は人を「使う」という感覚に、馴染めない。
プロデューサーっていうのが苦手なのだ。

ある意味対等でありつつ、意思を尊重して何かを見出すってのは、本当に難しいことだ。でもここからしか、長く聴けるマジックは生まれない、と思ってる。これは滅多にないこと。

それでも、僕のヘンテコな歌詞を歌ってくれたり、イメージをわかってくれる人なら、機会があれば共演したいものです。またそれが、人を介して、または独力で、きちんと仕事になるのならば、よいと思う。時間的なことを含めて。

やっぱりアイデアがある以上、人にお願いするにしても、自分である程度わかった上で、と思います。
しかし、わからない部分こそが、重要だったりもする。

難しい。ですよ。

難しいから、ガタガタ言わずに、やるんだ。


moon x moon は、リリース日以外にルールを決めていない、シングルリリースプロジェクトです。

昔から曲のアイデアはあるので、そこに、漸く詞がついたものを形にしたり、ということだったり。
とはいえ、ときには20年も前にアイデアが訪れたものを一度も人に聴かせずに、「新しく」出す、なんて馬鹿な奴も、そんなにいないと思います。そんな要領悪い人、いるの? ていうか詐欺? 案外いっぱいいる?

この24曲 25曲 の中から、残っていく曲も、発展させるのも、1年後にあっさり消し去ってしまうものも、ありそうです。

まぁそれでも、振り返ってみます。どれも、作った時は夢中でやってるから。
最高だと信じて、ね。


僕のリスナーは、少ないです。稀少な金属(レイア・メタル)です、あなたは。

が、はまるとハマるらしく、熱心に聴いてくれたり、するようです。
本当ありがとう!

僕は特にターゲットを決めたりしていないし、そもそも作品に表面的な一貫性はほとんどないので、もっと意外なとこから聴いてくれたりもするのかな、とは思ってます。

自分でもいいな、と思うのと、割と人気が一致するのが
Atto Iu Ma Ni

この曲、構成もうちょっと伸ばしたかったり、最後に歌やソロを加えたかったり、もします。
まずはライヴで育っていく曲、と思ったんだけど、この状況だからね…
後悔としては、タイトルは本来は “a tto iu ma ni” でした。こうできなかったのは、業者の Cap & Low(大文字小文字ルール)制限。”A Tto Iu Ma Ni” だとバランスが悪い。全部小文字にできるハックがあると、だいぶ後に知る。
「くつがえる ときのいわ」というのは「さざれ石」のことです。恐らく。

自分ではとても思い入れがあって、気に入ってたけどリリース後に聴き返せなくなってしまった曲もあって、その中で割と人気があるのが
わらい x きみ

です。これ、曲や詞としてはほんと大切なんだな。ボーカルでかすぎるね。
ジャケットは、京都在住の素晴らしい SSW、隆太くんによるものです。

自分では最高に気に入っていて、リリース後のトラブルもあり殆ど告知もしていないけど、いつの間にかよく聴いてもらえてるのが
Yesterday Morning

最近ようやく、リアルタイム歌詞も表示されるようになったので、きいて、よんでみてください。反省としてはコーラスがデカすぎるのですが、アウトロなんかはとてもご満悦です。
これはライヴでの再現はハナから求めていなくて、アコースティックで全く別物として成立します。だから楽しみでもある。

カーステで聴くとすごくよくて、割と人からも好意見もらえてるのが
Different Town

やっぱ8弦ベースがいいんですよね。
ジャケは、尾道で買ったミニカー。

地味だけど安定して聴かれてるのが
Waltz for July

です。本来は今月にリ・リリースするべきだった曲。待ちきれず1月に出してごめんなさい。やっぱインストゥルメンタルはいいんでしょうね。
ジャケットは、90年代の京都のさる風景です。

それから、よく聴いてもらえて、いいコメントももらえたのが
あかりをつけたら

これは死ぬ前には出さなきゃ(リリース=解放しなきゃ)、と思ってた曲。2バージョンあるけど、こちらがオリジナルアレンジ。とはいえ、ボーカルや、ドラムのマイキングに、今ならもっとこうしたい、というのはありますが。
自分の形はできたので。やや解放できてきた。だろうか。
至って健康ですよ。ただこの時世何があっても、との心境なのです。ジャケは近江大津のお宿です。

ほぼスルーされてる曲もいっぱいありまして、んなもん書くなよってことだけど
So It’ll Be

はもったいないですね。やっぱAメロのレンジが低すぎたのでしょう。歌詞含めて冒険心富んでるのになぁ。
Lou Reed も、磁石の武者、クシャナ殿下も、涙ぐんでる。
この「ペンシルドラム」の味も、捨てがたいのです。これはものすごく簡単なドラムセットで、マイクの前に立ててるポップガードっていう黒い金魚すくいみたいな物体の、ストッキング部分と縁の部分を、鉛筆で叩いたものなのだ。ASMR を先取りしてた。ジャケットは、エフェクトボードの光です。

それから、リリース後にものすごく再生されたと思ったら、いつのまにかその記録がなくなってしまっているのが
rivet

なんだったんだろう? いろんな意味で、重要な作品。好き嫌いはあるでしょうけれど。
タイトルが、右中央に浮かび上がっているのがおわかりでしょうか。

もう一つ、ほぼ完全にスルーされているのが
Black & White River

メロウなのが裏目に出たのか。あと、ジャケットが棺桶みたいで伝わらなかったのか。伝わったからなのかな?
愛しの目黒川。こないだ久しぶりに歩いたら、大橋ジャンクションはツタが絡んでて甲子園のよう。ポリドールの面影もなく。ただ、あの夜無数に星があった氷川橋の路面はそのままでした。

完全に太陽系外なのが
neptune

ま、そういう歌詞、もとい、詩なんだけどね。
中央からや権威から離れて、人間が作った歴史からも、っていう。
この曲のジャケットは4パターンあって、一番、おっと思うのを選んだのですが、
他のは美しすぎた。最後まで迷って、寂しげだけど何か言いたそうなこれにした。
でも全て気に入ってて、それらはまた公開するかもしれません。

そして、とても反応がよいのが
あめがおおきくゆらいだサイン

これは、ほんとになんのことかさっぱりわからないんだけど
なにか、いいんです。

さいごに
よこくの太陽 <feat. 神谷>

洵平くんやってくれましたね。当初かなり聴いてもらえました。
まぁ客観的に、よいのかというと…わからない 笑
以降、順当に、聴かれなくなっていますが。
それからこのジャケは、吉祥寺シアターという所の壁の一部を基にしています。

さて、そんなこんなもありつつ、これからも進むのだ。

七夕に彦星と織姫は会えるのか。

最もポップな、Z-A の運命やいかに。


<おことわり>
* 適宜、この投稿は増改築しています。ものすごく雑に書き始めたけれども、重要なことをたくさん含んでいるので。
* 数え直すと、なんと10月は2回も満月来るんですね。1曲増えたぜ…

planetarian 3

こちら の続き。

学校を卒業する前に録音したのが、Voice of Marble という作品だ。
ちょうど Rastko の誕生日、1998.11.7
… 僕の仲間には霜月生まれが多い

Vardan Ovsepian のすばらしいピアノと Rastko Rasic の風吹くような奔放なドラム、僕の生々しい(荒っぽい)ベースを収めるべく、Charlestown のスタジオに行った。アーティスティックで、適度に殺風景で、心地のいいスタジオだった。
コーヒーよりも東洋茶が好みだというエンジニアもナイスガイだったが、誤算はピアノだった。古い、雰囲気のあるその楽器で全曲録音した後、Vardan はそこに置いてある Fender Rhodes も弾きたいな、と言った。

ローズはずいぶん久しぶりだ、とのこと。
ほとんどの曲を Rhodes のテイクでも録った後、の彼
「ピアノテイクはカットしたい」

曰く、音色もイメージとかなり違う、演奏も不本意なので形に残したくない。
君のリーダーアルバムだが、どうか考えてくれないか、という。

僕にしてみれば、音楽のイメージがピアノだったので、? が7つぐらい宙に浮かんだと思う。
ピアニストにとって楽器との相性はよほど大事なんだろう、か。
学校のボロボロのアップライトやグランドでも素晴らしい演奏をしていたけれど、
そこの楽器はキャラも違い、許容範囲外だったんだろうか。

アルバムとしてのコンセプトは、また構築 – 空想し直すとしよう。

それでも空気感と雰囲気のあるピアノテイクは(勿論演奏もとてもいい)捨て難かった。
しかも、ピアノとドラムにスタジオの主要なマイクは使い果たし、ベースはほぼピックアップに補助のミニマイクをつけた程度で、とても硬質だった。
当時僕のベースの好みはかなり攻撃的な音だったが、そんでも難しい。MiniDisk に挿して使うようなそのへんの「プラグインパワーのマイク」(そんなん今あるのかな)の方がよほど好きな「音」をしてる。

それをカバーする響きのアコースティックピアノが、アンプも使わない Rhodes になったのでは、音がきついな、というのがあった。

とはいえ、Rhodes テイク(凄いプレイだ)を生かすべく、それから試行錯誤をした。エンジニアと話したり、調べたり。

彼を少しは知ってる者とすれば、ピアノと一体化した時の彼のプレイの凄まじさを収録できていないのだから、な。

だが、Rhodes トリオというフォーマットのアルバムにまとめられたのは、結果的によかった。
カラーが出たと思う。

1999の春ごろまで、次のアルバムの録音(Ramsey らとのもの)と並行して、働きつつ、スタジオに通いミックスを調整してもらった。

僕はその年の暮れに帰国した。
スタジオでのミックスもだいぶ良くなったが、まだ数曲、イメージではなかった。
あとは自分でやった。

音源は色々な人に聴かせた。
すぐライヴがみたいと言う人、リリースしたいと言う人、Fuji Rock の DJ でプレイしちゃったという人、仲良くなった人、いろいろな縁ができた。だいたい、一瞬で反応をくれた。
それだけでも大きかった。

2001〜2005ぐらいのころだ。
だが彼らを呼んでのライヴまでは実現しなかった。

リリースも、条件が合わずに見送った。
僕は変拍子のものを出したかったが、先方はアルバム中唯一4/4の曲を、まずは翌年のコンピに、という提案だった。待てないかなぁ、と思った。今にしてみればそれぐらいは一瞬だったんだろう。

他には、クラブミックスにしようとか音圧をあげようとか、その頃の日本の状況に寄せれば? という声もあった。僕はそういう方向には、全く興味がなかった。申し訳ないのだが。

まぁその手の、「思い通りにならなかった話」はいくらでもある。それは僕の世渡りの話であり、今更取り返せるものでもない。

これから残された時間、やれることをやるだけだ。

ともあれ、この作品には、技術的にはいろいろと課題はあるが、
自分が作った最初の音楽作品として、なかなかの出来だったと思う。

Vardan の活躍は本当に嬉しく、励みにもなる。ずっと彼でいてほしい。
Rastko にも会いたい。ずいぶん長く連絡を取っていないが元気だろうか。

いつか、何らかの形で共演できれば、嬉しいな、と思う。

Z-A


moon x moon #13 – full moon, July 5
Z-A / stillbeat

ひかりのなかま

Apple Music

歌詞はこちら


<バックヤード>

ずいぶん長く、部屋にこもっていた。
ひょんなことから ohT 氏のリハーサル、配信ライヴ、そして収録もあり
「外」に出たわけだ。

このジャケットは、その時のコックピットからの模様。
Z かポルシェか RX-7 といいたいけど、スイフトなんだな。
と、こちらが実体の、無人の川辺を自転車で走った模様。
錆びた橋の接合部があまりに美しく、虹に見えたので。

もともと、どこかのハイウェイをドライブしながら浮かんだ曲。
LA とでもしときましょう。
歌詞が全くできなかったが、去年の末から今年になってのことが
いろいろと自分の中ではまってきて、形にしたくなった。

まちってなんだろな

っていうのがテーマのひとつ。

都会からは離れて久しいが、

自分に馴染みと記憶のある、ふたつの街にも、すこし、交互で登場してもらっている。

もうひとつは

おわり と はじまり

かな。「ん-あ」みたいな。

テールランプの後ろは前、だし。


音楽的なことは聴いておわかりのとおり

いたって明るいものです。

無音のギターというものを織り重ねました。

planetarian 2

こちら の続き。

少し昔話を書いてみる。

僕が彼、Vardan Ovsepian に出会ったのは Boston の学生時代。確かイギリス人の sax 奏者に (Martin…?)、放課後にジャムをしようと呼ばれ、4人集まったのだと思う。そのうちの一人、アップライトピアノを操る彼には、異様なものを感じた(もちろんいい意味だ)。
とにかくうまい。上手い学生はいくらでもいる学校だが、全然他と違う巧さだ。野性的なのにうるささが全くないし、ものすごく知的だし、聴いたこともないような、懐かしいような音階とリズムを叩き出してくる。トンチが効いているとでも言うのだろうか。面白い小説を読んでいるようなピアノだ。
しかも、僕自身の技術は棚に上げるが、何かとても波長が会う。気持ちいい。

その4人では、確か学内のスタジオで2曲ほど録音した。当時はまだアナログテープだ。録音開始時の “(tape’s) rolling” の合図がヘッドフォンの中に残っている。と耳が言っている。

しばらく経って、彼が面白いドラマーと仲良くなったからと、セルビア人の Rastko を呼んできた。何回か一緒にやった。不思議なドラマーだった。まるで昔話の日本人かのような、墨絵のようなドラムを叩く。とても静かな、爆発するような。

僕はアジアや中東、東欧について、何も知らなかった。
未だに殆ど知らない、というレベルだが、僕の世界の認識に、ルートがすっぽり欠けていた。

文字にしても弦楽器や打楽器にしても、Middle East と呼ばれる地域で生まれたものが東西に広がり、別々の進化を遂げた、というのは中学校でも学ぶ。だが、邦楽と英米の「洋楽」ばかり聴いたり、そっち経由で勉強していると、その間にある繋がりを忘れてしまう。
果てしない差があるな、と、諦める。そんな感じだ。

太平洋は広いな。
それが、アメリカに行くまでの認識だった。
行った後は、語弊もあるだろうが、音楽もデザインも5年は欧米の後追いをしているな、と思った。
途中帰国する度にその思いは増幅した。

でもそれだけじゃないな、とも次第に思えてきた。右回りも左回りもあるだろう。
また、座標をどこに置くかで、思っていたことや時間軸が崩れたりもする。

わざわざ、太平洋と大西洋っという広い海を二つ超えてから、その向こうの西欧までを感じるのか、
アジアからシルクロード経由で東欧までを感じるのか。
まぁどちらにしても、遠いなと思うのだが。
シルクロード…歩ける気は、しないしな。

やや脱線したが、Rastko や Vardan(アルメニア出身)の感性は、とても近くて大事な何かを触発してくれた、ような、大層だがそんな気がした。

彼らとは後日、さるパーティーで演奏しよう、と計画をしたのだが、これがひどい失敗だった。
何をやろうか、というところで、あっけなくボツる。つまらない、と。

とはいえ、それで引き下がる僕でもない。

学内の主宰ステージでトリオを組むことにした。
変拍子と音階の自由さを引き出すために、
思いついて書き留めたり、昔 Roland の System-100M っていうアナログシンセサイザーをいじって MTR に録ったことのあるモチーフを提示し、あとは自由に演奏してもらった。
二人は大喜びしてくれた。半ば予想通りではあったが。

僕も含めて3人とも飽きっぽいので、緊張感はあるが構成がダラダラすることはない。
ビジョンはあるが様式美にはならぬ。感覚ではじまり、終わる。

これは我ながら、素晴らしい時間だった。
当日来てくれた人たち、教師、その他、全然ジャンルや好みの異なる人からも、とてもいいフィードバックをもらった。

学生ながら僕にとっては、自分が思う何か、「音楽」そして「Performer」になれた、大きな瞬間だった。

勿論、彼らの力も大きい。人と共に何かを作り出せる快感。貴重な記憶だ。

続く

あめがおおきくゆらいだサイン

6.21 新月リリース

しばらく stillbeat 名義で配信する予定。

この曲は詩集 flat five に掲載し、付属音源でしばらく配布していたので
聴いたことある方もおられるかと思います。知り合いにも割とよく聴かせたし。

ミニアルバム river silver で配信していた「ホタル」という曲の姉妹曲です。

もともとユルユルなのですが、これでもいくつかグレードアップしているので
前の音源を持っている方もぜひ聴いてください。

この曲もドラム叩いていて、マイク一本で録ったものです。


– 追記: 6.25 –

このジャケットは
ちょっと気に入っていて
何かわかります?

指も写ってあるのがヒントで
つまめる物体 だから一筆描きではないです。

まぁでも一筆ガキともいえますか

昔 ワタリウム美術館の on Sundays で見つけて
一目惚れした絵本があって
ずっと繋がった線で世界を一周、みたいな
Laura Ljungkvist だったかな

それを目指したわけではなく

そもそも僕は絵が得意ではないけれど

ごくたまに変な絵のようなものをノートに描くことがあり
今回は何も描けそうもないので昔のノートを漁って
何かスキャンできそうなものはないかとページを捲ってたら
何もなく さらに書いてる言葉もロクなものがなく
次々とページを破り ノートを破棄することに

そうするとどうなるかというと
残るは ページを留めてあるリング

僕は無印良品のダブルリングノートが好きで
そればかり十何年も使っていたので
(もうノートに書く習慣がなくなり、今は使っていない)
棚の奥には黒やベージュのリングノートばかり並んでいる

ひとまず一冊を解体し

針金のビヨンビヨンを燃えないゴミとして捨てる前に
記念撮影でもしようと床から拾うと
意外と面白い形になっている

これを角度を変えて撮ってみる

なかなかいいじゃないか

上のビヨーンとしたフックは月にも手錠にも見えるのだけど
ここは敢えて 犬の耳にも見える形を採用
なんだかソリで走っている鬼っ子とファルコンのようだ
下のクシャクシャは雨雲にも見えなくもない

ここでいつも困るのは
壁を背景に写真を撮ろうにも ロクな台がないのだ
結局指が一番便利な台だということ

うちの壁は白いのだが敢えてくすんだ水色にしてみた
近頃はこの色が好きなのです
とても

スバルにこんな色の車なかったっけ

あ 曲の方もよろしくお願いしますね


2020 連続シングル “moon x moon”

Go Deep & The Cover / Mana Nagao


Mana Nagao / Go Deep / The Cover
2020.6.10 release

長尾真奈さんとの出会いは2011年に遡る。
ある午後、数年ぶりかにドラマー田中慶一から連絡をもらった。
シンガーソングライターのライヴというお誘いだった。
慶一とは、Mika Arisaka バンド、とらジャム、ハミングキッチン、そして 01 [ゼロワン] 以来のリズムセクションであるし、当時は最強だと自負していた(僕のごく周囲の話だ)。彼が Urb やアフロックスで活躍してから疎遠になってしまったが、久しぶりに一緒に音を出せるのならと即応した。

真奈さん、慶一、そしてギターの田島拓くんと出会ったのは下北のスタジオだったか。
その前に送ってもらっていた曲たちがあまりにもユニークで、歌が透き通っていて、どうなるかとても楽しみにしていた。ピアノとギターとドラムと、フレットレスベース。

ベルベットサンで行ったライヴは、彼女を以前から知るだろうファンにも溢れ、スリルと新鮮さと落ち着きがまじった素晴らしいものだった。慶一はハコの古い Yamaha のキットを叩き、拓ちゃんはファズが強力に響いてたっけ。真奈ちゃんはピアノ弾き語りなので舞台の下手にいてあまり客席から見えず、僕は真ん中で座って、これでいいのかと若干居心地が悪かった(ピアノの人とやるといつも、ベーシストの立ち位置、座り位置では悩むものなのです)。終わった後のお客さんの一人のセリフ「まなちゃん、デビューしなよ」が、記憶に残っている。


それから彼女の自主制作アルバムに呼んでもらった。僕は宅録でのベース録音とデータ送付 – 今でいうリモート – だったが、彼女は西へ東へ、毎週旅してアルバムを作り続けたらしい。”First Light” は関西チームの録音も含めて、全編、純粋な曲と躍動感に満ちている。これもいずれ配信されないかなぁ。

翌2012年には渋谷や蒲郡、リリパも含めて数回ライヴできたが、2013年からしばらく間が空いてしまう。その間、別の現場でも仕事をしていたバンドの二人とも、やがて疎遠になってしまった。こちらがお願いしていた現場がなかなか動かなかったことも一因ではあるが、他にもっと機会をつくれなかったのか、悔いが残る。慶一はやがて、旅立った。


いつか都内で活動を再開した彼女に、ギグで久々にご一緒できたのは…2017年か。カバーとオリジナルを交えて大磯プリンスホテルのロビーでやった2度の演奏は、デュオも、トリオも(オープンスペースのフリーライヴ企画だったが)、いい音楽を聴いてもらえたな、と思っている。

その際に今のレーベル Reborn Wood の方々にお会いし、いつか録音でも、という話をいただいていた。
トリオでドラムをお願いしたのが、神谷洵平くんだ。

そしてオリジナルアルバムを2018年末に録音し、カバーアルバムを2019年末に録音した。
カバーアルバムの方は、選曲や、アレンジの方向性など、ディレクションにも参加させていただいた。

そして今年春リリース。より確かになったオリジナルと、原曲が生まれ変わったようなアコースティックでのカバー。

長いような短いような、コロナ禍もあって僕はライヴにも協力できず、歯痒さもあるのだが、彼女の素晴らしい歌と音楽が、世界中に広がることを、願っているのです。

2019年、オリジナルアルバム完成後のトリオライヴ、7th floor にて。

Carnelian

Turtle Neck

rivet


rivet / stillbeat

区切りがついたので、再び stillbeat としてリリース。

moon x moon #11
June 6th “strawberry moon”

ジャケ写はイチゴと月たちを。
タイトルは光で書きました。







今回は前作と同軸の真逆に。
これもルーツの一つ
ファンク x ポエトリーです。

トラックは1999米録音
サックスは Jaleel に
家に来てもらってクローゼットで
SM58で録ったもの

ドラムは Ramsey
ローズは Manuel
リリック は最近書きました。

言いたいことは色々あるけど
よくもまぁ次から次へと
って感じだよ。


リズム録りをした当時のスタジオ写真とか、ないんですよね。

その頃はまだデジカメすら普及してなくて

京都で買った Canon のオートボーイでたまに写真撮って
Star Market で現像するぐらい。フィルムも貴重だった。

この曲で弾いたのは、当時メインにしていた
Factor bass.

この家に7人で住んでた。家ネコのミッシーが忘れられない。

この反対側には、sax を吹いてもらったクローゼットがある。

近くのコーヒーハウスに行ったり、仕事に行ったり、地下鉄の駅でデュオで流しをやったり。

neptune や neverseen や、a tto iu ma ni の原型を打ち込んだのもここだった。


Ramsey の写真…これしかない。毎日つるんでたのにな。

Manuel はエクアドルで、活躍しているようだ。
この TED が相当面白い。

僕はスペイン語能力が皆無に近いので、自動字幕や翻訳サイトを頼りに繰り返し観ても半分ほど理解するのがやっとだけれども、
登場してからピアノに座るまでのパフォーマンスも含め、見た物、聞いたこと、感じたものを音に落とし込む彼の振れ幅に
YouTube が過剰反応(誤動作)しているのだろう、後半の演奏シーンでは、歌もセリフもないのに音に対して変な字幕が表示されています。
なんというか、希望を感じます。マシンに一方的にやられずに、生きていく希望を。

Jaleel は最早 the greatest cat の一人。
最近も音楽はもちろん、Covid について、今のアメリカについて、重要なこといっぱい発信しています。


再びジャケットについて。

ストロベリームーン、というのは当日まで知らず、この写真がイチゴにも見えるというのは偶然の産物。

なんとなくやったことに後から理由を付けられる、というのは僕の得意技。
だが、あれこれ迷わずにやればいいものの、逡巡してやらずに後悔したことは、数えきれない。
我ながら変な人生だと思うが、これも一つの生命の形だよ。案外みんな、そうかもしれないし。

これは iPhone で撮った、寝る前のあかりの写真。
ミラーレスでも撮ってみたが、そっちはあかんかった。

リベットという物体の単体はイマイチ写真映えがしない、と思ってたらなんとなくこれが赤く光ってたので撮った。もともとは白木だが、隣の Ric のバーガンディグローが映ったのだろうか。

板を曲げ、リベットで止めてある物体なので、意味は通ってる筈だ。


さて…この moon x moon シリーズ、これまでを問わず
僕は絵画が苦手なので、自分で撮った写真をいじってジャケットにしている。
一作、「わらい x きみ」では隆太くんに参加してもらえたが、だいたいにおいて僕は制作がギリギリで、ひどい時はリリース当日にまだ曲を録り直している。これでは人にイメージを伝えるのも難しい。

そんな一人出版社に、人を巻き込むのはよほど悪魔社長だし、
あまりそうはなりたくないので、今後も当分自前で行かなきゃ、と覚悟している。

このあたりは、今後もし、仕事的な動きになれば考えていく。
が、基本的に僕は自分のやりたいこと、探求したいことをやって、そこから先に進もうと思っているのです。

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