カテゴリー: politti

安全保障理事会

日曜討論をテレビでやっている。

話が噛み合わないのは当然としても

戦争をやりたくて仕方のない大人が嬉々として話す。

「日本を守る」とは

彼らにとっては、「日本の国家体制を守る」ということだ。

残念ながら、それは国民を守ることではない。

国民の命を守る、ということは

彼らにとっては、前線で戦わされる人を守ることではない。

空襲に遭い、逃げ惑う人を守ることでもない。

これは残念ながら、ずっとそうだ。太平洋戦争も、その前も、その昔も。

未だに歴史物語や大河ドラマでは、人々をコマのように扱い手柄を競った者が

歴史を作ったかのようにされている。

それは何もこの国に限ったことではない。

古今東西、そのような摺り替えが

何故ずっと通用しているのか、不思議でならない。


ロシア、中国、北朝鮮。これらの国名が踊る。

彼らを専制と貶しながら、彼らの体制に倣って自らも軍事国家を目指す。

ミイラ取りは進んでミイラになる。

SDGs、環境保全、人権。温暖化対策。

戦争はどんな題目も軽く握り潰し、灰塵にする。

どうして権力者は戦争を求めるのだろう。「だから」なんだろうか。

彼らにとっては遊戯に過ぎない。あるいは「ドラマ」に過ぎない。

賭博の材料に過ぎない。カジノと戦争もセットになっている。

どうして有権者はそれに乗るのだろう。

そこに気づかない限り、日本はまた滅びます。

次はロシアや中国に進駐される。その時、自民党は掌を返すだろうな。


現在、国連で中国とロシアが拒否権を発動し、という話があったが、

なぜそれができるのか、数秒考えてみよう。

国連の「安保理常任理事国」は

中国、ロシア、フランス、イギリス、そしてアメリカである。

これは、第二次世界大戦の戦勝国だから、である。

そもそも、「国際連合」とは “United Nations” すなわち

「連合国」”United Nations” から来ている。英語の名称も同じだ。

「枢軸国」である日本、ドイツ、イタリアに対抗し、戦勝した組織だ。

日本は、国連の「敵国条項」適用国である。

この立場の国が何を言っても、敵国の遠吠え、三蔵法師の掌。

もちろん、政府はそんなことを知らぬほど無能ではないだろう。

それが分かっていて、国民の支持を得る(欺く)材料にしている。

日本を軍国化したいのはもう一つ、アメリカの軍需産業。

そして、おこぼれで儲けたい国内企業。あるいは部品は中国で作るかもしれない。

そして、人が死ぬ。兵器(「装備品」と言い換えられている)って何かわかる?

人々を殺し、町を焼き、文化を無意味にする道具。

画面観てゲームやってちゃ、わからない。

人間の心を狂わせ、命を奪うもの。決して使われてはならないもの。

もう、作られる前から、政治家も経済界も狂ってきている。


改めて気づかされる。この世界がほとんど茶番だということ。

茶番の中で筋書きをし、波に乗って生きているのが人間だということ。

あるいは、そうさせられているのかもしれない。

歴史とは公平でもなんでもない。差別的視点によってつくられたもの。

気が遠くなる。

だが生きねばならないし、これからを生きていく。

Klein bottle

こうも沢山駄文を綴っていると
つい二ヶ月前に何を書いていたのか探すのが面倒だが

ビザンチン〜コンスタンティノープル=イスタンブール〜スルタン
の流れに引っ掛かっていたフックは
Dire Straits の Sultans of Swing だけじゃなくて

先日から綴っている Atlantic の名プロデューサー
Arif Mardin にも結びつく。

Atlantic 自体が元来、トルコ系アメリカ人によるレーベルで
創立者の Ahmet Ertegun は、そのものズバリのオスマン帝国、コンスタンティノープルに生まれている。

Mardin の家系は、オスマン帝国でも政治家や外交官、軍やビジネスの実力者だったようで
要は想像を絶する「力」を持つ人々だったということだ。

ヨーロッパ、キリスト教世界を震え上がらせたオスマン帝国。
彼らが軍事でなく音楽に、その力と(そして才能と心を)注いでくれ、Aretha も、Laura Nyro も、Hall & Oates も、Chaka Khan も Green Gartside も、あれだけの音楽を生み出してくれた。Aretha の “Day Dreaming” ができたときの、彼らの気持ちはどんなものだっただろう。

Nica 夫人しかり。

世界は単純な対立じゃなく、あちらとこちらはいつもつながっている。クラインの壺ってことか。

balm to heal

目覚めると雪。

ここでは滅多に降らないのだが、土にも少し積もっている。舗道はまだ。

階段で滑りそうやで気ぃつけや、
ほんまにすべっとぉ。

もう何年履いてるかわからないサンダルはツルツルだし
スニーカーもずいぶん履いてるからやはり滑ってしまう。

毎年オニツカタイガーを履き替える、いつか立てた目標は
タイガーショップが近くの街から出て行ったこともあり、もうずいぶんお預けだ。

ピンクの靴紐が、いつかのどんど焼きで火の粉を受けて焦げてしまい、
そのまま履いている。


nika, nica, nina ときて、つぎは necho か。

ねこといってもニャーではない。エジプトにネコ王というのがいた。

それで…いや、無理はしないでおこう。


昔やっていたゴスペルのアレンジを、Kanye West の近年のグループがほぼ記憶の通り演っているのを知る。
懐かしい…これって20Cから定着してるキーボードアレンジなんだろうか?
Clark Sisters のに基づいてるのだろうけど若干違う。

そこのベーシストの名にちなみ、今日は nicho さんということで。

ラヴとピースをキラうパレス

画面の Nina Simone と
前ゆくMini Clubman が
同じオレンジ色してたさ


去年もそうだったが、しばらくはこのカレンダー「たこやき」状態を続けようと思う。


1月13日は、先日話題にした Nika Riots が起こった日らしい。
532年、コンスタンティノープル。

当時の人の数え方って、どこまで正確なんだろうか。
甲子園や東京ドームの観客数でも長いこと下駄を履かせてたのに(今は知らない)

歴史書に記された「何万人」をどう受け取っていいのか、いつも悩む。

それはそうとしても、Nika Riots は
古代からの「民主政」と「帝政」のねじれが引き起こした最悪の悲劇、なのかもしれない。
パンを国から与えられ、競馬場でのスポーツ(殺し合いが多かったろうに)に熱狂する民衆。
彼らは応援団の派閥となり、日常生活や政治圧力にも大きく関わっていたという。

隣接する宮殿の皇帝は皇帝で、戦争準備に明け暮れる。

結果は殺戮、を経ての戦争、やがては皇帝歓呼を行う偽装市民「デーモス」を雇っての専制。

何故か既視感のある話。教師に反面教師、たくさんいる。


寒さが体を刺すが なんだか目が醒める冬。

Ravel と Nina を聴いて少し遅くまで起きてしまった。

nika’s dream

「なぜ国家は衰亡するのか」
という本を昨日読んだ。

どこかで譲り受けたもので、タイトルが気になり、ずっと本棚にあったので。

国家は流動的なものであるから、過大に重視するべきではない、
…という内容かと勝手に思っていたら、全く反対だった。


貫かれている理念は大きくいって到底賛同しかねる。

が、頭の体操にはなるか。

書かれた頃はまだ9.11もなく、中国のここまでの巨大化もなかった。

文明は、あるいは「国」というものは、国民を犠牲にしてでも維持する価値がある、
その為には、少数の指導者とエリート、そして大多数の愚民が必要だ、
というのが、著者中西氏の、また引用されている歴史書や研究者を通じた基本的主張であるようだ。

途中、ローマのテルマエ(がローマを堕落させた)や伊勢への「お蔭参り」(がガス抜きと改革を受け入れるサインになった)など興味深い記載もある。
メレディスの引用、何かが壊れていく時は「内にある “虚ろなるもの” によって裏切られる」という部分、学びにもなる。

ともあれ、読了後の疲れと虚無感はなかなかのものだ。一日経っても。

東ローマ帝国が1000年以上続いた理由、その意義を評価するにあたって
皇帝ユスティニアヌスが、自らへの称賛と歓呼をやめた民衆を
将軍に殺させたという例を挙げている。

体制を維持する為に、3万人の自国民を惨殺する

「ニカの乱」は、称賛をやめたというよりも、戦争政策への反乱を起こした国民 vs 皇帝であり
そこにはパンとサーカスに溺れてしまった(溺れさせられた)民や、一度は民衆に折れようとした皇帝の葛藤も、あったのかもしれない。
だがあくまで皇帝の最終判断は、自国民の殺戮であった。
人類史上の汚点といえるこの事件を、筆者は評価している。

満洲引き上げや沖縄戦で民衆を見捨てた日本軍、
天安門事件や香港で中国体制が民衆に対してやったこと、

他にもこういう例はあるだろう。
これは筆者が力説する「正しいことなら、人に迷惑をかけてよい」ということなのだろうか?

書籍から20年以上が経過し、9.11や3.11を経過した後も、むしろその結果として
政権や関連団体、経済界、報道や広告にこういう考えの人が大勢(『少数のエリートとして』)定着しているのだろうな、と思わざるを得ない現在。

日本にも世界中にも。

体制の腐敗や軍部独走などが起こる前に改革を、というメッセージも、本文中に僅かに読み取れなくはない? が、
皇帝が軍に行わせた殺戮と、軍部の独走は、一体何が違うのだろうか?

そして現実を見れば、それらはバンドルセットになっている。むしろ、より強固に。


とても世界は悲しい。「正しいこと」とはなんだろう。

いいねは言い値か

音楽は一旦置いて

今年を振り返り、危惧していた通りでしたが
オリンピック前後からの流れはひどいですね。

(ひどくないと感じる方もおられるでしょうが、ここは私の意見です)

秋から、戦闘機や大型管制機が空にいる頻度が大幅に上がった。
さほど高くない空を。

録音をしているとマイクにジェット音が入るので、すぐわかる。
というか、録音にならない。ここは防音室ではないからだ。

鹿児島、沖縄の状況にせよ、爆上がりの軍事予算にせよ、
「台湾有事」がある前提でどんどん話が進んでいるようだが、

台湾にもし「有事」があったら、軍備などで収められると、思っているのだろうか?

火をつけるだけだろう。

iPhone や Mac のチップは台湾企業 TSMC が作っている。
(そこから熊本に工場を、という計画もあるようだが)

ここ2年でも、コロナに加え、アジア各地の工場における災害などで、多くの品物が製造において大きな被害を被っている。

自然災害、感染症でこれだけ大変なのだ。戦争など起こったらどうなる?
これだけデジタル化した世界でも、いやデジタル化したからこそ、
世界はさまざまな意味で麻痺してしまう。

もちろん、人の命、街や自然を破壊するという事が、とてつもない問題だが、
それも想像から追い出してしまう「勇ましい人」が日本にも諸国にも多そうなので
あえて他の話をしている…

近年は画面上で朝から晩まで “SDGs” の言葉が踊る。
持続可能な環境を。ならば軍備とはなんだ。

人々が作り出した街を、都市を、自然を、農場を、破壊し汚染する。
人々を殺戮し、無数の人生を葬り、絶望と、憎しみの連鎖を産む。

破壊し合う兵器を受注する企業は、それでも金儲けができるのだろう。
あるいは、不良在庫を一掃できるいい機会なのか。

米国はずっと以前から、発展しすぎた軍需産業のためにも、戦争をやめられない。
完全に「戦勝」したのは、政治的にも文化的にも飲み込むことができた対日本だけで、
他は全部失敗か、不完全燃焼している。それでも日本は、兵器を(装備品と言い換え)、いつも言い値で買ってくれる。

戦争が、軍事的行動がいかに人類にとって無意味で、馬鹿げた選択かを
世界中の人が考え直さねばならない。

残念ながら、馬鹿げた選択だと思っていない人が一定数以上いることも知っている。
だが、だからこそだ。

この「いいね」ボタンでカウントされてしまうデジタルな世の中、
僕らは畢竟、ひとつの票でしかないのなら。よけいに。

情報ってなんだろう – 壱

まぁまぁ重い日記に続いて、

これからの事を書こう。

これから、といっても、前々から不思議だった事を、解き明かすための、備忘録みたいなものだ。
まだ、まとまってはいない。


今はデジタル全盛時だ。とはいっても「デジタル」なんて言葉に「80年代か?」と反応してしまう自分を省みるに、あれから40年経ってもテクノロジーってそんなに変わってない面もある。

’80sだって「情報化社会」とは言われていたわけで、それはたぶんその前からそうで、
おそらくWW2やWW1や、明治維新や、ぐっと遡って日本書記の頃や、ホメロスやハンムラビ法典や始皇帝の頃だって、そうだったのだろうと思う。本質的には。

情報がなにをするかといえば人を動かす。人は情報を動かすが、同時に動かされる。

波のような、電子のようなもの。生命体。

現代はネットと SNS、デジタルデバイスにより、個人と情報の動きが直接観察できるようになった。
監視社会、デジタルファシズムとも呼ばれているが、ここは一旦フラットに考える。

僕はこのことを嘆いているばかりではない。どう転んでもこの流れを逆行させることは難しいだろうし、危惧しているのは「信用に足らない権力がこれを独占しようとしている」ということなのだ。彼らが信用に足る行いをしてくれれば、状況はだいぶ変わる。

信用とはこれまた難しい概念だ…コンフィデンス。なんかのドラマじゃないが、この世はバカ試合、じゃなかった化かし合いでもある。
ジョーカーとは、意識を持った第一人称すべてなのだ。

それを踏まえた上で、たとえば「デジタルを操っている側」が、ちゃんとデジタルの本質を理解しているのか。

— そう書く僕自身、理解しようともがいているだけで、本質はまだ多くの人にとって不可解だと思う。
どんなパワーや頭脳を持っても、人間に理解できないことは、たくさんある筈だ。
たとえば原発に関しては、あの312で誰もコントロールできなかったわけだし、そのことが明らかになってからも、権力も人々も目をそらし続けた。
結果、今も何もコントロールできていないのだ。情報だって同じことが考えられる —


たとえば。

SNS ではよく炎上が起こる。

誰か、特定の相手を対象に、「これを攻撃しても良い」というトリガー、あるいはリリースが発せられると
次々に人々が、自発的に攻撃を開始する。当人たちは、程度の差は選ぶものの、それは「自発的」だと思っている。

かくいう僕自身にもそれに加担した覚えはある。

だが大きな目で見れば、それは自発的でもなんでもない。どんな情報を与えれば、人がどんな反応をするか、おそらくアルゴリズムで蓄積されている。これだけのビッグデータがあれば、精度はかなり高いだろう。

こんな蓄積はたとえば何に使われるか。

あえて、先ほどのように時間を一気に遡ろう。太古の時代、人々が戦争ばかりを行っていて、歴史書には「〇〇何万、▲▲何万が争った」とある。しかしどうして、それぞれの争いが成立したのか?

それは、群衆が互いに、戦争に参加したからに他ならない。
もともと何の恨みもなかった「何万もの」群衆同士が、なぜ武器を手にとって殺し合ったのか。それは憎しみや恐怖を植え付けられたからだ。あるいは、陶酔のストーリーを。

権力者はいつの時代も、「下」と見做す人々を情報で操り、プロパガンダ(この言葉が用いられたのは17世紀からだが、太古にも通用するだろう)で右を向かせ、左を向かせ、整列して対象を攻撃させる。

失敗したり怒りの対象が自分に向きそうなときは、巧みに目を逸らす。そのための術を、世界中の権力は、何千年にも渡って蓄積してきた。それが権力とメディアコントロールの本流だと思う。

SNS は色々と役に立つが、(一見)無償なのには理由がある。

タダより高いものはないのだ。


さて、上記を前程に、じゃぁどうなのか、人間は進歩しうるのか、ということで考えつつ、浮かんだ事をこれからの日記に記していきたい。

僕らは流し、流されるだけなのか、というところで止まっていては、21世紀を生きた満足感がない。

3月に作った曲 も、そういうテーマではあったのだが、まだ追求が足りぬし、これでは人に届く気もしないのだ。


とはいえ、もう日付が変わった。いかん、もうおじさんは寝なければ。

また思いついたら、記しますね。
おやすみなさいー ぐぅぐぐ

10月のおわり

昨日も色々と綴り、
その上で投票も行き、結果を見た。

自分は変わり者として長年やってるので
選挙結果を見てもかなりの耐性はできている。

絶望はするけれども、これはもう9年前からずっとそうだ。

変わり者が生きられる国に!

なんてね。そうはならないだろうな。

まぁ自分の事もそうだし、
全体主義を選ぶ人の国ということになると、これからはすべてが気がかりだ。

まぁがんばってこ。

全国のポイントポイントを見てると、ヒントはある。
ネットなり TV なり、有名人の支援なり、
話題になった人には、ものっっ凄く食いつくけど、他はガン無視、旧態依然。

まだまだ、メディアに乗せられてるな。
そりゃそうだ、メディアは人の心の流れで成り立ってるもんな。

今後もそうなのだろうか。

いろいろな意味で「終わり」も見ている月のかわりなのだが
個人的にはとてもがんばった。何かが見えている。

これからは違うステージがはじまる。11月。
世界がどんなものであろうとも、僕はやることをやります。

おやすみなさい、よい夜を。


まぁ、でもやっぱり、寝られないな。

やることも片付かないけど、

改憲勢力が維新も加えて2/3を超えたこと。これだけは防がなければならなかった。

他にも大切な問題はたくさんあるが、憲法を変えることが自民の最大の目的だ(というか、おそらく彼らは他の問題を大して重要とは思っていない)から、明日彼らは第一声で改憲を宣言するだろう。

音頭を取るのは病気だった筈の人だろうし、或いは内閣改造で入閣するかもしれない。

維新はどんなに表面上自民を非難しようとも、彼らは裏で完全に手を結んでいる。小池都知事も同じ。

両極端なことを言う存在を東西に配置すれば、簡単に人を囲い込むことができる。焦点を逸らす手口。

メディアジャックをすれば、そんな簡単なことにも人は気づかなくなる。

それぞれの選挙区で、誰が誰にとかシンボリックな個々のハイライトはあったけど、
一番大切なことは、嘘と不正にまみれた政権に、憲法を都合良く変えさせないこと。それがある意味、本当の「国防」。

国防だって、人が違えば概念が違う。国民がどうなっても体制を守ればいい、と考えるのか、
体制が変わっても国民が守られるべきだとするか。前者が大日本帝国。後者は日本国に近い。

数で劣勢になってもそれができるのか。これ、もう政治家たちだけの問題じゃない。

なかなかハードな、愛しの季節だな。


それでも、いとしのきせつにはかわらない。

衆院選の前に

昨日も朝から戦闘機が飛ぶ空
数年前から頻度が明らかに上がった

控えめにいっても、うるさくてしょうがない。
録音するときもトラックが台無しになるし。

沖縄はこの比じゃないのだろうけど。

自民党は軍備増強路線で
軍需を経済成長の柱とずっと捉えている。

そのために、ここ数年絶えず
法解釈を変え、改憲を企て、企業と教育機関を誘導してきた。

日本学術会議問題もそのひとつ。
批判する者は排除する、という政府の意思をそのまま表したものだ。

任命拒否された学者の一人、
加藤陽子氏は、けっして戦争から目を逸らす「お花畑」な学者などではない。
むしろ逆で、日本が経験した戦争とそこに至る社会や政治、軍部、民衆の動きを冷静に分析してきた人だ。

排除は却って、大きな損失だ。

今日の世界は確かに戦いが収まらず、
インドの東西「両パキスタン」の隣国であるアフガニスタン、ミャンマー、
パレスチナ、そして中国を軸に紛争の危険が絶えない。

それを狙っての軍事費増強アピールなのはわかるし
政府もメディアもしきりに中国、北朝鮮、ロシアの脅威を煽っている。

だが根本的に色々な面で誤っている。

私は加藤氏のようには書けず、多少情動的になるかもしれない。

軍備増強では平和はこない。
屍だけがくる。

核兵器と原発が偏在する東アジアでは
どんな戦闘も、取り返しのつかない地獄を生みかねない。

武器とは所詮破壊殺傷の道具であり、
悲劇と憎悪の連鎖しか生まない。
軍需産業の儲けと、権力者同士のゲームの他は。

アメリカの同盟国なら、何十年もアメリカに隷属したなら
これぐらいは学ぶのが当然なのに
自民党とメディアはこれをねじ曲げる。

千歩譲って、中国侵略からの防衛が必要としよう。
大国にはへつらい、どの国にも金をばら撒くだけで…事業のキックバックを求めているとしても、
ロシアには手土産付きで北方領土を献上するぐらい外交力に欠けているわけだから、
これからも彼らには平和的解決ができない、と仮定しよう。

自衛隊員が命をかけて国境を守らねばならぬ、としよう。

ならばどうして、

米国で余剰した欠陥だらけの戦闘機を買うのだ?
言い値で。

F35 は問題が多く、操縦系統の故障などでの事故も多数報告され、
現に日本でも、原因不明の事故での墜落が発生している。
もちろん、原因は報道されなかったが。

軍産複合体があまりに巨大で、政治に大きな影響力を持つ米国は
常になんらかの戦争を起こさずにいられなかった国だが、
(その米国が本当の意味で「戦勝」した相手は、日本だけだろう)

あまりに兵器を作りすぎたため、大量の余剰兵器がある。
しかも AI 化、ことに「仮想敵」の中国が AI 大国のため、旧式の兵器は余ってしょうがない。

これをいつも言い値で買ってくれるのが、忠犬の日本政府だ。

自民党政権はジャパンハンドラーに大きく依存してきた。
2013年、就任直後の訪米で当時の首相が彼らに出向いて話した内容はあからさまだった。
そしてそれ以降、彼らのオーダーを忠実にコピペしてきた。

東京は米軍基地に囲まれ、米軍に逆らえば一瞬で制圧されかねない状態にある。

鳩山民主党が沖縄の基地政策に関して、公約を貫徹できなかった理由のひとつでもあろう。

確かに、日本は米国には逆らえない。原爆を二発落とされ、沖縄を数万発の砲弾と火炎放射器で蹂躙され、大和も武蔵も零戦も殲滅され、大空襲で全国の都市を焼き払われた。

軍事的にももとより、政策的、外交的に完全に負けていた。兵士の食料や退路を重視しない軍、嘘ばかりの大本営、特攻、竹槍、あげくは飼い犬に爆弾をつけて突撃させようとする狂気の指令。戦死を玉砕、撤退を転進と言い換える言葉と理論の破壊。

一方、米国は太平洋戦争の開戦前から「戦勝後にどう日本を統治するか」を綿密にシミュレートしていた。この違い。

生き残った政治家たちが CIA との協定で衣替えし、次の日本の支配者となった。それが自民党だ。そして、大報道網だ。
大雑把だが、そういうことだ。その全てが悪いとまでは、思わない。

ぼくは個人的にアメリカに悪感情はない。むしろ好きだ。
音楽も文化も、自然も空気も。
或いはこれもマインドコントロールの賜物かもしれない。

(だからこそ、米国の完全な「戦勝」といえるのだ)

だがそれとこれとは別だ。日本がずっと属国であり続ける間も、世界は変わっていった。
日本は世界の下請け工場としての需要を得、やがて工業国、技術国、経済大国となった。

軍事力で負け、技術と経済で買った、と喜んだ人々。覚えている。

そして2000年以降その役目を中国に譲り渡し、抜かれていった。

ちょうど2000年ごろ、ある楽器の見本市で Behringer の機材がどうしてこんなに安いのか呟いたところ、
ある人がこう言っていた。「中国製だからですよ」

そのトーンには若干の見下しも入っていたと思う。確かに当時、日本人の感覚にはそれがあった。が。今はどうだ。

Mac も iPhone も中国で作っている。劣化コピー天国だった国はトップクオリティに欠かせない工場になり、
今ではアイデアでも日本や欧米を凌ぐ面もある。日用品やコロナ対策グッズだってそうだ。

なんなら、兵器だって中国の方が安価で高性能なものを作れてしまう、だろう。米国よりも。
武器商人は国境を超えて品を売りつけるものだ。
もし、アメリカが装備を世代交代させる過程で、通常兵器を中国製のものにしていたら、どうなる?
あくまで仮定の話だが、ありえないことではない。

馬鹿を見るのは日本だ。

だから今から国産兵器を作る? 輸出して金とパワーの源にする?
それが本音かもしれない。

寝言は寝てから言ってほしい。
液晶テレビも家電もコンピューターも負けた。自動車すら周回遅れになるかもしれない。
そんな日本が兵器の生産?

今から軍鉱など勝ち目はない。最も愚かな博打だ。

国連で敵国条項の対象にいる立場を思えば、国際世論を得る建前すら失う愚行だ。

日本は繁栄も、核による壊滅的な危機も経験してきた。天国と地獄を知る、ある意味世界唯一の国。
やれることは、持続可能エネルギーと、価値観の転換。
21世紀に矛盾が露呈した資本主義や共産主義を超えた、次の考え方と実践。

日付変更線の西側にある国。早く朝を迎える国。

2011年から2012年末まで、日本は本当に変わるチャンスだった。

一瞬、未来の党、という幻が見えた。

そして年末の衆院選、安倍政権の誕生と共に、チャンスを失った。

いま、世界が危機なら、日本は本当の危機の入り口にある。
これ以上、自浄能力のない政権に権力を握らせれば、どうなるか、
皆さん本当に想像していますか?

まず、地獄への道である軍国化をやめさせること。
間違ったエネルギーである原子力発電に戻らせないこと。

この国と国土を滅ぼす寸前までいった第日本帝国の過ちを、ふたたび起こさせないこと。

日本が本当に向かうべき道を、国民が考えられるようになること。
政治家が、国民の代表として、その知識と行動力、発言力でもって活躍してくれること。

立憲もれいわも完璧とは程遠い。だが志を持った人がいる。
なによりまだ「まとも」だ。

文化を発展させること。いや、「発展」などしなくていい。
本当に深め、借り物でない独自のものを作っていくこと。

音楽はその中の一つ。

まだまだ。この百倍ぐらいあるけれども。

頑張って、意思を示していこう。
そして、生き抜こう。地球で。

演技の向こうに

こんなツイートがありました。

国会って朗読会だよね。
by 浜田真理子さん

魂の籠らない、無責任なペーパー読みばかりに時間が費やされている、というだけでなく、
色々な意味で、真意をついてる。と思いました。

逆を返せば
政治家のやってることは
良くも悪くも演劇。

官僚が考え抜いた台本をいかに演じるか。
あるいは、世の中の問題をいかに拾い上げ、どう訴えるか。

だからこそ役者が大統領にも
なるのであり
操り人形のこともある。

その上で演技の向こうに何があるか
判断が必要な時代。

「芸能人は政治に関わるべきではない」とよく言われますが、これはこじつけだろう、とずっと感じています。

芸能人「上がりの」政治家って、結構いますよね? むしろ与党に多い印象です。

その実態はむしろ、縄張り争いに近いものじゃないか、と。
場合によっては仕事や生活に支障もあるかもしれない。
だけど、民主国家である以上、これはそれぞれが主体的に考えるべきだと思います。

「まだ」民主国家であるならば。
あるいは「これからやっと」民主国家になれるのだとすれば。

私はそういった世界 – 芸能界、です – から500歩ぐらい距離を置いてはいるのですが、
それでも、その中で考え、行動している人々を、応援したいと思います。
どこに投票するかは、それぞれですけどね。

そしてもうひとつ。

私たちには一票しか権利はないんです。

メディアコントロールも閣議決定もできないし、税金も入って来ない。スポンサーもない。脱皮の自由もない。

与えられた情報から判断するのか、
情報をつかみにいくのか。
フェイクに騙されるのか、そこから考えるのか。

自分の生活から感じとるのか。

投票は、誰かに言われてやることじゃありません。
どんな団体に所属していたとしても、決してそれは投票先を強いられるべきものではない。
ここでは、「絆」は要りません。
個人が成熟して、はじめて民主主義が機能します。

個人を押さえる同調圧力は、要りません。
全体主義も、要りません。

だけど、そうやって一人一人が、しっかり判断し、面倒でも参加すること、
投票所に足を運ぶことが、
周りの人、家族、若者、お年寄り、子ども、次の世代、に繋がっていくんです。

きっとね。


*10.26 途中補足しました

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