カテゴリー: politti

もじのふるさと

シリアをミサイル攻撃するのが良いなんて思っているのは
ごく一部の人間だと思うのだがな。

普通に生きていれば、これまでどれだけの戦争が
でたらめな理由で起こされて来たかぐらい、わかるだろう、というのが
僕の実感だ。

ごく一部の人間がメディアを操作して
怪しい「正義」と「最優先事項」を作り上げ
多くの人を殺戮し、大儲けをする、或は権益を得る。

そんな世の中は、もう沢山だ。
と、思わないのか?

これに対して疑問も呈することのできないメディアなら、
僕らのインターフェイスとしてふさわしくない。

フェニキア文字が生まれた地、シリア。

ことばの故郷に火をかけて、よく平気でいられるな。

閑をもつこと

第一次大戦時のイギリス外相/鳥類学者 エドワード・グレイによる、人間が幸福であるための四つの条件

第一、〜
第二、〜
第三、〜
第四、閑を持つ事。

「閑」とは「暇」のこと。原文ではなんなのか、まだわからないが

太平洋戦争への point of no return(引き返せない地点)であったヒトラー、ムッソリーニとの三国同盟を日本が結んだ時、数少ない反対派であった、米内光政の断片語録

「バスに乗り遅れるなというが、故障しそうなバスには乗り遅れた方がよろしい」

…当時の流行語が「バスに乗り遅れるな」

同じ言葉がここ数年流れていたよ。TPPのために。

昭和14年9月、ロンドンから帰国した海軍少佐、出本鹿之助は神戸港で新聞記者に取り囲まれ、欧州戦争の成り行きの意見を求められてこう言う。

「今のところドイツが優勢だけど、やがてイギリスの底力がものを言い出す。〜 戦争が三年、四年と長引くようだと、ドイツの力が尽きて英国の勝利に終わるのではないだろうか」

この言葉はその日の神戸新聞夕刊によりセンセーショナルに取り上げられ、彼は見送りに来た旧友にこう告げられたという。

「でえやん。あんた新聞記者にえらいこと言うたなあ」
「今の日本で、ヒトラーの悪口言うたり、ドイツの勝利を疑うようなことを言うたら身が危ないんやで。注意せなあかんがな」

ギリシャの歴史家、ポリュピオスによると

物事が宙ぶらりんの状態で延々と続くのが人の魂をいちばん参らせる。
その状態がどっちかへ決した時、人は大変な気持ちよさを味わうのだが、もしそれが国の指導者に伝染すると、その国は存亡の危機に瀕する。

カルタゴはローマの挑発に耐えかねて暴発し、亡びた。

そうである。

以上、阿川弘之「大人の見識」を読んでの備忘録。なかなかヒントに溢れている。

blue grey

「シカタガナイ」

この言葉を自分の辞書から追放しない限り、日本人はより良い暮らしを、より自由な人生を手に入れることはないだろう  ―

カレル・ヴァン・ウォルフレン の主張。

彼は311のずっと前、1990年代(あるいは80年代)からこのことをずっと言ってきている。

今更だか、今だからか、物凄くこのことが気になっている。

これは、彼が外国人だから言えることだろうか?

お盆のあたりからこのことを意識している。おかげでブログの更新が滞ってしまった、というのは半分嘘にしても。

というかこれは自分にとっても、とてつもなくハードルが高い。「仕方がない」「しゃあない」と思わずに、オレはこれまで生きてこれただろうか?

ウォルフレンは、この思考がある種「成熟した証拠」とされる日本社会が、いかに上手に市民の疑問や政治的行動を初期段階で抑制してきたかを説いている。

自分の周りにある「リアリティ」と自分が感じる「リアリティ」が整合しない状態が続くと、やがて人は状況にはまりこんでしまう。ここで生まれる言葉が「シカタガナイ」だという。

たとえば、矛盾だらけで突っ込みどころ満載のニュースが毎日毎日報道され、それが一~二年もすればすっかり何もなかったように忘れ去られてしまう。また、それを待っていたかのように、おかしな施策が「肯定」されてしまう。

あれ、おかしいぞ、と感じていた人も、やがてこの言葉と共に、おとなしくなっていく。

「シカタガナイ」

これは危ない。とてつもなく危ない。直感的にもそう思う。

一方で、自分が「しゃあないやろ」と言って物事を切り替えながら生きてきた経験ってなんだろう。
つまらないことなんだろうか。或いは「シカタガナイ」には、昇華と自粛のように、いくつか種類があるのだろうか。

わからない。こう思うこと自体が、自分がトラップにはまりこんでいる証拠なんだろうか。

ひとつだけ感じたことがある。これは、ある種の灰色の青、グレーをまとったブルーみたいなものだ。

a kind of blue grey

これがブルーズだなんて言いたくない。だけどある意味これが僕らが向き合うべき、ブルーズなのかもしれない。

マドノマド

酒に酔っているとわからないことが、素面で酔っぱらいを守る側になるとわかる
「こいつら、アブね〜」
そんな土曜日

とにかく咀嚼しようと平さんの著書『なぜ少数派に政治が〜』を読んでいる。
原発については完全同意。税制、生活保護などについて、正直不可思議な部分もあるが、いいなーと思ったこと。

「伝統工芸の保護」
衰退しまくっている日本各地の伝統工芸を守りたいと思う人々は、(この本の主題である、多数派にみせかけた)少数派ではなく、実際の多数派だろう。
だが、ここで伝統的工芸を守るために何がやられているかという話。

経産省が認定する伝統的工芸の産地は全国に200あるらしい。
産地ではまず「事務局」ができる。「〜協会」とか言うやつ。そこがお上とのパイプになる。
で、その事務局が何をやるかというと、パンフを作成したり、展示会をやったり、雇用調整をしたり。
ところが、経産省がやる支援とは、この事務局を窓口として支援することであるため、
事務局はその存続、または経費維持を第一に考えてしまう。

本来の目的は「技能」「職人」「産業」の継承であるのに、事務局だけが立派になる。
あるいは事務局だけがなんとかやっている。
そりゃ、立派なパンフを見れば、おおやってんな〜、みたいな印象は残る。
遠く離れた都市の駅構内で展示会をやったり、地元の駅前に「〜産業館」があったらそれは励みになるかもしれん。
でも実際の職人が殆どおらず、ろくな賃金も貰ってなければ、意味ないやん、て話。

だから補助金の多くを、職人を直接支援することに組み変えていくべきではないかと思う。事務局を維持する前に、まず技能の担い手を育成するのが先だ。その結果、その産地の工芸品が売れて、事務局への上納金が増えて、事務局が維持されるという回転でなければならないはずだ。 (p.82)

これ、確かにそうやわな。
で、その方法論の一つとして言っているのが、
産地ごとに2〜3人ずつ、2年交代ぐらいで国家公務員にし、彼ら、彼女らを伝道師として若手を指導してもらう。その間は自分の仕事ができないので(ここ重要)、国として雇う。

まぁ、事務局の中にこういう仕組みが出来ていればそれでよさそうな気もするし、上納金って何? てすっとばす人もいそうだし、何より、誰がその2〜3人になるかで利権争いが起きそうだが、
とりあえず事務局の財政支援、というやり方では遠すぎるでしょ、という話。すごく面白いというか、ビジョンが湧いてくる。

そうすりゃ、実際の現場に近い人々が、国にもっと関われるわけでもあるしね。

ほんと、そうやって物事をばらして行けば、どこにでも政治はあるし、
誰もが本来やってることでもあるんだな。

ここで三宅洋平の言うことともつながってくる。

「なぜ少数派に政治が動かされるのか?」

著: 平智之

ようやく手に入れる。かなりガツンと来ている。

村上春樹は、バルセロナでのスピーチで、原発事故を引き起こした原因は「効率」を最上位にした社会だと言った。

原子炉は効率が良い発電システムである、と電力会社および政府が主張した(今も主張し続けている)こと、それを受け入れてしまったことがあのシステムクラッシュに繋がっており、
また産業全体や、我々一人一人のライフスタイルが効率、低価格(経費削減)至上主義であることがどれだけ危険か、気づかせてもくれている。

ところが。

理性で考えればはるかに「効率的」でもある、地産地消の小規模発電システムやスマートグリッド、市場競争を促す発送電分離が、これほどまでに妨害されるのは何故だろう。

平氏が、再びひっくり返してくれている。

実は彼らが本当に望んでいるのは、効率にみせかけた「非効率」だという。

利権というのは、限られた少数の者が富を分配する構図の上に成り立つ。その構図を守るためには彼らは全体最適など決して望まない。全国津々浦々の電力会社など好まない。自分の存在理由がなくなるからだ。だから彼らはいつまでも非効率なシステム、やり方が好きなのだ。(p.36)

戦前には、電力会社が全国で500もあったらしい(!)つまり、元々はそれで成り立っていた。

これを戦争直前の1941年、配電統制令で9つに統合している。

現在の電力会社体制は、戦時体制のままだったのだ。

なぜこんなものが残ったか。朝鮮戦争に備えてGHQが例外的に戦時インフラを維持させたものだろうという。

そりゃ…ほぼ軍部の考え方で構築された電力会社なら、一般人の意見なんて聞くわけがない。一般国民 = 徴兵制で集められる兵士、みたいなものだ。そう考えると総括原価方式も、合点が行く。

この第一章は衝撃の連続だが、続く章も凄い。

建築業界での「中抜き」や、年金制度を巡る対立の実態が、ラジオDJ、衆院議員、経済産業委員会理事でもあった経験を基に書かれている。
そしてものすごく建設的な意見が溢れている。

まだ途中だ。発見はさらに続く。

これ、あれだな、

いろんな業界がシステムと個人事業主を使い分けて行く中で歪みを大きくしているけれども、音楽業界もまじでこういう視点で色々考えた方がいいんじゃないかなぁ。

だって、音楽家って、ほとんど個人事業主だぞ。

(追記します。たぶん)

ンデーノス

監視社会に軽く吐き気と絶望を覚えながら
自分がそちら側にいることを空想する夕暮れ ビール買い出しどき

監視している人たちが
監視されている人たちの言葉や行いの美しさに
息をのんで
見とれてしまう

洗脳しようと思っているシステムが
洗脳されてしまう

そんな社会もありうるってことだ

よな ?!

ニュースは「作られる」

ジャーナリスト、ソウルシンガー松本創さんによる、橋下徹をめぐる集中連載

ぼくはいつからか、「人前で注目を集めるヒトは、どこかおかしい」と思っている。

どこかおかしい > 手に負えない > みんなで担ぎ上げる

という流れが、何故か存在すると思っている。

そこから、さらに上げるのか、リニアモーターみたいに「非接触」で扱うのか、

ある時によいしょっと落とすのか。

魚群探知機

日本、フランスの最高権力者がどう考えていようとも

これからの日本人に必要なものはポスト原子力のエネルギーであり
シュールな原子力夢から醒めた翌朝の後始末だ

そして2年間で物事を忘れるという旧・日本人類からの進化だ

フランス人はどう考えているのだろう

これだけ真実が速く伝わる現代は
これだけ嘘も速く伝わってしまう

薄く、広く、何度でも
話題を変えて、どこからも

端末に向かう僕らは、末端だ
勝者のつもりが敗者になっていることに
気づかぬ鏡の世界の住人だ

だけども、時折そこから少しでも離れてみれば
何がおかしな流れなのか、自分はどの流れを作って生きるべきか
わかるはずだ

時に魚よりも愚かな人類だけれど
もう魚群探知機に追い回されずとも、生きられるはずだ

そう思う

明日も末端となり、人類となり、生きよう
おやっすみん

unknown roots

悲しい*。

前々から言われていたことだ。

モンサントが開発した遺伝子組み換え植物は、ある日「偶然どこかの農家で」発見される。

そして、事情を(よく)知らない農家は、いつの間にか加害者になっている。

なぁ、風が吹けば、種は飛ぶんだぜ。

* 毎日新聞、リンク切れで復旧不可

阪急そば

ハジムさん、ええ仕事しとる。

[なんか変やなあ、モヤモヤ、おかしいなあ]

そんな感覚こそが、生きる羅針盤なのだと、思う。

おれは、「彼に任期を全うしてもらいたい」という気持ちは心底わからない。

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