カテゴリー: politti

why

今の政権、ほんと頭いいなと思います。

優秀な人が揃っているんですよね。

資金も潤沢だし、いくらでも増税、中抜きし、手下に分配できる。

地上波もデジタルも、ネットもSNSも上層部を押さえている。

なんでもできます。

コロナだからって、へっちゃらです。改憲の「絶好の機会」と思っているし、そう発言もする。

安倍さんが危うければ、その下で無表情に政策をすすめた菅さんを立て、
菅さんが危うければ、もとの路線、さらに強行な高市さんを立てます。歯向かうメディアは「停波」するといい、不祥事で失脚した人です。

オリンピックの開会式人選では、ナチス描写のコントを過去に行った小林さんが干されましたが、
菅さんはそれを許せないと言ったものの、ナチスに学んで改憲をと言った麻生さんの身はずっと安泰でした。

高市さんもナチス系思想の支持者だと、国内外で何度も報道されていますが、なぜか次の首相候補です。

いじめ告白インタビューで小山田さんは干されましたが(ちゃんと聴いてきたとはいえないこの方について、僕が書けることはほぼないです。その上で、あの記事での発言内容は半端なく酷いと思う)、その影で、開会式当日になぜか、すぎやまさんの楽曲が使用されました。安倍さんの案件だったようです。南京虐殺を公然と否定し、国際的舞台にはフェアとはとても思えない人選が、なんで、するっと通ったのでしょう? リハーサルでは「仮の曲」と言われ、そのまま本番でも使われた、ようです。

ほんと、頭いいですね。

やりたい放題です。

なんでこの人たちのために、僕らの働いたお金は搾取されていくのでしょうか?

なんで、市税も保険税も消費税も、どんどん高くなるのに福祉は削られるのでしょう。

「ミッドウェイ」

エンジニアの中島聡氏がこんなツイートをしている。

中島さんは、日本にどっぷりいるとなかなか見えないことを突いてくるので、貴重。
というより、これって、ごく当たり前の視点…

安倍政権が誕生したばかりのときに、ジャパン・ハンドラーとの関わりを完全に見切ったのはこの人のブログだ。
何年か経ってから問題になった、「日本の政策はアメリカの一部勢力が作成したレポートの完コピ」というやつだ。

ほんまに完コピだから。びびったで。

この方は3.11後、原発関連を主に、かなりまともな論点をくれていたが、
いろいろあったのか? 現在はたまにしかその話題は出ない。
とはいえ、もう既に言い尽くされたから、でもあろうし、
こういうことは特定の人に頼るのではなく、あとは自分たちで考えることだ、と僕は思っている。

職種、も、立場、もなく、これは民主主義国なら、当たり前のことで。
それができない国も多い中、それができるのにやらない国があって、
それってどこでした? ってならないように。

最近はメルマガと note 主体にされているようだ。

経済論的な部分その他、全て賛同するわけではないし、
テクノロジーに関して僕の中途半端な理系脳ではついていけないのだが、
多くについて、ごくまっとうな事を仰っている、と思う。

しちてん

東京はじめ首都圏のコロナ感染者状況、ひどいことになってますね。

予想は十二分にできたにも関わらず、一部の人が潤うためのオリンピックを強行しつつのこの状況は、絶望を七度通り越しても酷すぎる。

自分で書いててもひどい。まぁでも、そう思ってる人も少なくないんじゃないでしょうか。
絶望してるけどそれだけじゃ始まらないから、何度でも飛び立つ。気を取り直してリスタートする。
僕は、そやなぁ、ここんとこずっとそんな感じで過ごしてます。
変な願望を持つよりは、その方が正気でいられるんですよね。来る(べき? …べきとは言いたくない)、もっと大変な時に備えて。

ただ、だからって現状肯定しているわけではありません。
オリンピック強行もあかんし、五輪偏重の現在もやっぱり間違っています。

安全安心のオリンピックも、コロナに打ち勝った証としての五輪も、もう失笑ものだったけど無惨に失敗しているわけで、元から出まかせの嘘だったからって、責任を取らなくていいわけじゃない。即刻、この政権は権力の座から降りるべきでしょう。

TV 観戦でステイホームに貢献しているのだからいいだろう、むしろためになっている、という見方があります。

確かに、巣籠もりしている者、出勤通学、活動にしても行動が制限されまくっている者にとっては、番組も映画も音楽も、貴重なエンタメなのだと、僕も改めて感じています。
そのためにリスクと隣り合わせで収録を続行している役者や製作者、音楽の実演家も、大変だが、そういう意味では存在意義が再確認されるべきだと思う。

しかしオリンピックはそれとは遥かにレベルが違う。ハンデつきまくりの参加国の中でメダルを取っても、それを朝から晩まで嬉々と報道するのって、虚しくないですか? 何十歩か譲っても、フェアじゃない。

反対したのなら TV 観るなという狂言があるけれども、これもおかしい。その前に使徒不明の税金返せ。
それどころか、史上最も安上がりだからと招致したのに、今現在4兆円の費用で、それを国民に負担させるというわけで。
どこまで、悪夢を見させる?

とはいえ、これ以上本音を綴っても、呪詛が続くのもなんですが、

日本代表選手の活躍が政権与党への大きな力になる、実際に元閣僚がこう言っている。
これは、日本国民のひとりとして、聞き流せることではありません。

スポーツで日本代表になることって、時の権力のためなのか?

たぶん、スポーツに打ち込んでいる人たちは、そんなことよりもスポーツですよね。政治も何もない、スポーツの素晴らしさを信じて、人間の運動能力の素晴らしさを信じている。

僕だってそう思っていたい。

それを利用するのは、周りの大人。いつだって、大人が頭を使って、人を利用する。
そりゃまぁ、ジャズだって、アメリカの政府に常に利用されてきた。
ブルースだって、そうかもしれない。そうかもしれんよ。だが。

憲法を変えるための駒。それが今回の五輪。だからこそこんなに、弄ぶか。
それとも、選挙の前夜祭か何かのつもりなのだろうか?

状況がどう転ぶかはまだわからないけれども、
もうこれ以上、人々が間違った選択をしないように。

心していきましょう。

 

あらためて、そんな

しちてん。

質店に叩きうりか?
七転の後八起あるか?

そんな感じやね。

火輪の風と、海の蕾

改めて、六月の二つの作品の紹介。
さっそく聴いてくれた方ありがとう。

五月、すでに雨をたっぷり先取りしてしまったので
梅雨にもかかわらず、創作者の気分は乾いていました。
砂漠だったり、アメリカンだったり。

砂漠 – 未だにエジブトにも中東にも行ったことがない。
小学校の国語の時間に何を思ったか「二十歳になる前にサハラ砂漠に行きたい、でもどうやって帰るか、わからない」と発表したことがあるが、
結局それは果たさず、鳥取砂丘と中田島砂丘にとどまりそうだ。

だが、砂の「なんにもない感」には年々強い何かを感じており、
昨年あたりからの作にも頻繁に砂が出てきている。

構築や成長、変わらないための流転、それらすら許さないような微粒子。
ウィルスと違ってはっきり目視できるけれども、砂のそっけなさって、すごい。

海岸で見てるとわかる。一瞬で濡れて、一瞬で、乾くし。

trojan wheel は、曲と詩を書いた後に決めた題で、それ自体は
トロイの輪
という話を内包している。

これから、どうやっていくか。自分(たち)は。

トロイは、ギリシャ人たちが争い、滅した街。
トロイの木馬はトロイを破壊するために贈り込んだ、アカイア軍の木馬。
コンピューターウィルスの代名詞にもなっている。
だけど回転木馬や揺り木馬がそうであるように、木馬は破壊だけではない何か、別の世界への乗物でもある。はず。

ずいぶん前に書いたが、新宿にあるピエール・バルーさんのラ・ジュテで、不定期に不思議な催しがされていたころ(自分も出入りしていたころ)、
いつまでもひたすら回り続ける、という中東の踊りを、誰かがやっていた。
なんでそんなに回るんだろう。というぐらいに。色鮮やかな、衣を拡げながら。

音楽的には、ずっと前からのダブルベースのスタイルに立ちもどり、モードをどう紡げるかをやってみた。鍵盤はお休みし、ギター一本、ベース一本。打楽器も指のスナップだけ。

(…ちがった、シンセ弾いてました。)

フリーフォール、は、聴いてもらってのごとく。
底が抜けましたよね、っていうこと。
6月に入って、いろいろ。

どのように自由落下しますか。空から、あるいは宙へ。
利害のためにつくった虚構の街や催しなんて、とっくに。

これからも人を縛りつける企みは続くんだろうけど、
もっと大事なこと、あるし。

去年の Neptune と、根本的には同じこと。
あっちは徹底的に内面を見て、こちらは動物的にいきました。

パワーコードのトラックにアルペジオとリフを重ねたのだけど、サビのサイドギター、結構気に入ってます。
6/4拍子っていうのは、これも輪か。ノコギリと輪。

あとひとつ、常に思っているのは

蜘蛛の糸

あやとり、どこまでも。

メイとキング

昨夜の覚え書きがまとまらなかったのがとてもくやしいが
そういうときもある。5月になった。

今年は、ふと思いついた人の曲…
これまで、意識にはあったが特に演ったりカバーしたことのない曲に
オリジナルのかたわら、さっさと取り組むことにしている。

Stones, S.Dan, H&O, P.Simon, E.Brickell, J.Cliff, MAW, M.Allison, J.Joplin…

使い途のわからないシンセの音をランダムに慣らしながら、今朝なぜか気になった、この曲。

「王」から King の繋がりだろうか。相変わらずいいかげんな自分の連想だ。

The Chant Has Begun / Level 42

時代を感じるがいいビデオだ (Apple Music にある)。
Gizmodrome 来日で初めて観れた Mark King。僕が昔ベースを始めたころは、メロディックだし速いしめちゃめちゃ凄いけど、音が軽いなと思っていたが、最近、わかりやすくていい歌詞書く人だと改めて尊敬している。太くていい声だし。
声が太いからベースは細くていいのか(?)、かつての Sting や Aimee Mann と逆か。

昔、Meshell Ndegeocello にインタビューした時 (’02)、彼女は今、Mark King や Yes が好きだと言っていた。こんな天才アーティストが、自分にあるものじゃなくて、自分と違うものを、好きといえるって最高だな、と。ていうかそうだよな。

Esperanza は King と Queen について(たしかいくつか)歌にしているし、
なんにせよ彼らトップアーティストは、それぞれの王位にいると思う。

Mark King は名前もそうだから。だが彼の “The Chant Has Begun” は逆をいってて、いいメッセージだ。少しだけ抜粋し訳してみる。

Old men with their protocol
Lead us off to war
Sometimes we don’t even know
What we’re fighting for
Marching to the beat of their drum

Leaders we no longer trust
Told too many lies
The promises they made to us
Were never realized
Hear me now the chant has begun

老人たちは彼らの協定に従って
僕らを戦争に導く
誰を相手に戦っているのかすら
時々わからなくなる
彼らのドラムに行進させられて

もう信用に値しないリーダーたちは
あまりに多くの嘘をついた
彼らの約束はひとつも
実現したことはない
きいてくれ 「うた」がはじまった

これは1984年の歌だ。あの “1984” の。場所はイギリス。

そして今は、”2021.5.1″ だ。ここは日本。

タイムレスタイム

ニュースや SNS みてると、腹をえぐられるような悲しい気持ちになります。

緊急事態宣言は、IOC バッハ会長の来日前日までとし、オリンピック開催に影響のないように日程を組む – と、TV でも平然と流しています。正気か?

この、正気を失った報道が、平気に折り込まれているところが、末期的です。
慣れさせられてるか?

シュールが当たり前になったら、当たり前がシュールになっちゃうぞ。

やっと本性が表面に出てきたけど、オリンピックは世界人類のため?平和の祭典?
理念はそうだったかもしれない。実際は大部分が利益や権力と、それで得する人たちのイベント。
本音と建前、なんて何にでもあるし、綺麗事で物事が動くはずがない。それもそうだけど
やっていい状況と、いけない状況がある。

世界中でコロナ禍が続く中、一刻も早く、開催をやめるべきです。


なぜやめないか。この状況でも SNS の右肩に「聖火リレー」をピン留めする理由は何か。
そのために、湯水のように金を使ってメディアをコントロールする理由。

そんなの、僕だって簡単に想像できる。
仮定の質問に答えないのなら、なおさら仮定は自由、なのです。

次のイベント – 憲法改変が本当の目的でしょう。

そのために、多くのニュースや CM、キャンペーンの仕事をメディアに回して、
国民の「空気をつくる」流れを確実に推進するため。

オリンピックは、そのための「捨て駒」。成功したら儲けもの。
本当の意味で成功しなくても、強行できたという経験と、
メディアをアンダーコントロールできたという実績が残れば御の字。

それで国民が喜べば、お釣りが来る大儲け。

その勢いで、今年をそれを上回る広告を出して、民主憲法を「自発的」に変えさせる。


ぼくがその役割にいる人なら、そう考えたでしょう。ただしそんな事はやりたくないし、全身で思いとどまった筈。

やりたくないと思っていても「仕方がない」といってやる人がいて、あるいはやりたいからやる人がいるのでしょう。
本当に素晴らしいイベントだ、と思って推進する人、それに同意する人も、おそらくある程度はいるでしょう。

でも僕は、それは違うと思う。群れたくないし。
それに、群れて一枚板になる共同体では、やがて全員が滅びるか、過ちを冒してしまう。
違う道を誰かが見て、実践していかないと。
それが、社会のあわいを見ている音楽家や自営業者の宿命であり、使命です。

日本は立場社会であり、役割社会です。がんじがらめにみんな縛られている。
だけど、考えなきゃならない。生き残るためには、何が必要か? 軍備? 何を今さら。

「国民の空気」など「形成させた」ら、あかんのですよ。

しばしば「今の権力者は、数年のスパンでしか国や社会の将来を見ていない、だからこんなに短絡的だ」という説を目にするのですが、僕はそこには同意しかねるところがあります。少なくとも数十年単位で、やりたい事はじっくりと実行している。圧倒的な力と時間を持っているのだから。

香港や、ミャンマーで何が起きてきたか、何を失ってはならないか。
時間がないかもしれない、そう、常に焦らされる気持ち。

何が違うか。

時間。時間の捉え方。それかもしれない。

Sign of the Times.

Time.

時間。

water

汚染水は途方もない問題で
黙ったり煙や金をまいて
逃げたいのは政府や広報の人達だけじゃない

だけど難しいからこそ
ごまかさずに答えを見つけられるように
ちゃんと報道し
ちゃんと考えさせてほしい

うやむやに海に流し
ゆるキャラ作らせるような国に
オリンピックの資格なんてないでしょう

汚染水は完全にブロックしてると言い張って
招致したのだし
その名の通り
東京に電力を送るために
はるばる福島に建てたのだから

そして津波による電源喪失の可能性を
事前に指摘されたとき
それはあり得ないと
対策を怠った人物が
再度 再度 再度

裸の王様になろうとしているのだから

うそのはじまりの

日に日に、というか一気に気温が上がり、

燕も飛び交い、桜は早くも散り始め、

湖面は穏やかで、よく見るとさまざまな鳥が泳いでたりする

いい春なのだ。

4月1日はいつも変な気分なのだ。

嘘をついてもいいって、素敵な気分でもあるのだけど

なんで日本じゃ、この日が年度始めなのだろう?

ちょっと真面目に生きようとすると、最初の日から嘘で覆い尽くされた感じになる。

というか、年度始めって、この一年、どんな嘘をついてやろう、って

人々が考えて実行始める日、みたいにも、思えてしまう。

あー、ったく、めんどくさい性格だ。でも、こんなこと、あなたも一度は思わないだろうか。

西洋と東洋がごっちゃになったこの国、エイプリルフールか新年度か、

どっちかを動かした方が、なんか前向きになれると思うのだ。

と、やや滅入りつつも

とても有意義に、すごしている、この頃です。

空という名の海
鳥というナノ魚

thought 1.08-1.10

SNS 投稿をやめたにもかかわらず、新年から沢山のアクセスありがとうございます。
こいつは一体何やってんだ?って感じでしょうかね、それとも唯の、米中のロボット検索か。

ほんとタイムライン見てると、コメントしたかったりハート付けたかったり、様々な誘惑に駆られるのですが、
僕ですらそうだから、世の中の多くの人はすごく、そう感じてると思います。見事な遊泳制御システム。よくできてますよね – 現役大統領まで凍結しながら。

今回は、世の中の動きに思うところを。言うなれば “Scritti Politti”* です。


コロナ禍に対して、政府が本気で人々を救おうとしているようには、僕には感じられません。

やっていること全否定はしませんが、GoTo Eat を、マスクのかけかたレクチャー付きで推進したすぐ後に、飲食店を元凶とするのは、とてもドライで狡猾ですね。緊急事態宣言の内容もスカスカで、しかも内容が薄いのを憲法のせいにする記事が、すかさず iPhone に表示されたりする。

何か仮想敵を作り、分断をはかることで自分たちの責任を回避し、時間を稼いでいる。ただこれって昔から、支配層の、システム維持の常套手段だと思います。

彼らのやっていることはトリガーに過ぎず、それを増幅させるかどうかはマスコミであり、SNS であり、私たち自身です。

飲食はマスクも外し、口で摂取する行為ですし、場合によっては酒を飲み、警戒を解き、距離感や感覚を鈍らせるのだから、コロナに関して外食がリスクがあるとは、僕自身ずっと考えています。それは飲食店の方々がどれだけ頑張ってるか、どんな想いをしておられるか、という事とは、また別の問題です。僕は極力、馴染みのお店からは通販や持ち帰りを試みています。人のいない頃合いを見計らって店にいったり。もともと群れない性格なのでこういうのは得意です。

ですから、それ(飲食店が〜)を表明すること自体に、冷徹さこそあれ、極端な悪意は感じません。その、ギリギリ責任を回避する方法にかけては、日本の指導層やマスコミはプロ中のプロです。企業やフリーランス、団体、地元社会というシステムも、幾重にもそれに取り込まれています。皆さんの身にも、あるいは覚えがあるかもしれません。僕にもあります。

それによって怒りを増幅させることは逆効果にもなります。飲食店もどんな業種も、攻撃し合うのでは、人類史上常に戦わされ、殺し殺され合ってきた、幾多の兵隊、つまり大多数の人々と同じ。もちろん憂さ晴らし(支配側にとってはガス抜き)も必要だったりするのでしょうが。

で、とはいえ、黙っていても、ダメだと思います。

政府の姿勢は、やはりおかしい。なんでいつまでも「自粛を要請」で、「罰則」や「店名を公表」が主要施策で、その後は GoTo 再開で、オリンピック開催は絶対視なのでしょうか? マイナンバー等にしても、国民ばかり情報を集められる一方、管理者側の記録はますます有耶無耶になっていますよね。

オリンピック開催にこの期に及んでこだわる時点でおかしいのですが、それ以上に彼らの最大の優先事項は憲法の改変だからだ、と僕はやはり感じています。

彼らはコロナ禍やオリンピックを、自分たちの権力を高め、国民をコントロールするための好機と捉えているのではないか。恐怖と熱狂。ナチスの手口、結局は金でしょ、国民は時期がくれば忘れる、やってる感が大切だ、税金は国民から吸い上げたもの、事態収束のために最大限の「工作」をする… 誰かや誰かが口を滑らせたあれらの言葉は、冗談でもなんでもなく、どれも、彼らの立場での、ごく真剣な発言なのだろうなと。

国民主権 基本的人権の尊重 平和主義

これら日本国憲法の基本原理を、変えよう、なくそう、というのが、中枢にいる人々の本音らしい。信じがたいことかもしれませんが、それを明言し、大いに盛り上がっている議員たちの映像も何年も前から出回っているわけで。というよりこれこそが TV ニュースやワイドショーで、大きく流すべき案件です。

彼らは、じっくりと、何十年もその実現に向かって取り組んでいるようですし、特に東日本大震災後の政権交代からは、まず報道を押さえつけ或いは懐柔し、その後は幾度もの強行採決を実現し、最近は一気にアクセルをかけています。あるいは、先を見据えて、ちょっと反対を抑えるためのブレーキをもか。

もし、昨年オリンピックが開催されていれば、今頃は毎日朝から晩まで、改憲アピールの CM が流れていたことでしょう。それが遅れただけでも、少しは考える時間ができて、マシだったと僕は思う。ものすごく消極的なのですが。

オリンピックに人々が醒める一方で利権はますます大きくなり、特定の人々に集中しつつある。どれだけ巧妙で、巨大なマーケティング(≒プロパガンダ)がこれから実行されるか。すでに「そっちの準備は万端」じゃないかと、思うのです。

そして、実態がどうであれ、コロナが春ごろに収束方向になれば、オリンピック開催へのアピールが一気にくるでしょう。これで「国民の雰囲気が変われ」ば開催です。そして、そんな中で開催されたオリンピックの実態がどんなものであっても、日本のマスメディアは総力を挙げて礼讃するでしょう。

そして、それを踏まえて(その経験の成功も失敗も、マーケティングのプロや AI が冷徹に判断しつつ)、一気に憲法改変に持っていく計画だと、予想しています。

仮定の話には答えられないんでしたっけ。

僕の心配が杞憂であることを願います。生きましょう。

次の世代によい明日を。


* ところで、Green Gartside の音楽に関してはどの程度 Scritti Politti (政治的文書) なのか、未だによくわからないでいる。実生活や経歴はともかく、表現としてはアイロニーかもしれないし。一生のうちに本人にお会いできればいいのだけどな。

shooting the rubberband

ほんわかしてるのか、忙しいのか、よくわからないままに「連休」が終わった。

4連休ってすごいよな。例年なら無理してでも旅行に行ってただろう。

今年は行くわけもなく、GO TO なんて信じられず、とはいえ、行きたくなる人の気持ちもわからないでもない… やめといた方がと思うんですけどね。

しばらく前に、漫画版「風の谷のナウシカ」と関連づけての学者たち3人から観たコロナ時代への提案、という趣旨の番組というのをやっていて、最近の NHK にしてはいい番組だな、と思ったのですが(というより NHK は技術もスタッフも超一流なのに、それが地上波の主要な時間帯の報道とかなり落差を感じずにいられないここ数年。だから応援もしたいし、おかしいと思うところは意見もいいたいわけです、これってごく普通のことですよね?)

ともあれとても考えさせられる番組でした。…潔癖主義から(それも、科学的・人工的なものではなく自然農法などの礼賛から)ナチスにつながったというのも…ほんとかな、もっかい見直そうかな

コロナに打ち勝つ証としてのオリンピック、というステートメントにおかしなところがある、というのはほんとそう思います。


知性、という言葉、または概念、難しいですね。

「反知性主義」という言葉をここ数年、よく見ているのですが、僕個人的にはあまり伝わらないんです。

割と賛同できる人たちの意見であるにも関わらず。

知性 = intelligence というのを、僕はあまり信用しきれてないのかもしれません。とても重要だとは思うのですが。

あるいは、AI やネットワークはじめさまざまなものが「知」を侵食し、飲み込んでいくと感じているから、違う世界に行きたいと思っているのかもしれません。間違ってるのかな。

面倒でも対峙するべきなのか。一生の課題としては。

でも、「知性がどうのと言う奴は一番知性がない」というのは、一聴してよくできてるけど、すり替えというか、悪用だと思います。

学者は、知性を扱う人だから、本来知性がどうのと言っていいし、言わなきゃ学者じゃないわけで。

知ること、と、感じること、と、愛、と、それぞれ順番をつける、ロングセラーの物語も読んでるのだけど、それぞれ大切なトップ3、ってことじゃないのかな。

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