カテゴリー: map

うゅちんでなぎしふ

うだるような暑さを逃れ一路北へ。

というと避暑みたいだが、目指すは素敵な青森・南郷の野外ステージ。

途中で雄大な岩手の景色を撮ろうとしたら

なにこの電柱

オレのiPhone、やっぱおかしいか?


だいぶ後で知ったのだけど、これは

「電子シャッター特有の現象」みたいですね。

super run

久しぶりに吉祥寺へ。

八戸で行われる、南郷ジャズフェスに向け、
guest voのGeilaさんを迎えてリハーサル。

いい感じです。

Daveさん、リハの進め方も面白い。いきなり始まる。
ちんたら考える暇も与えずカウント、とにかく早い。

でも、確認必要なところはしっかりと時間をとってくれる。
これが本来のリハかな、とも思う。

そして…終わるときはさっさと終わるのだ。

井の頭公園では男の子がフリスビー。

inostroll

ここにいると気分はムーンシャドウとユニコーン。

硝子のなんとかかよ。

replace

オーバーホールに出していた楽器を引き取る。
開いたボディに緩んだペグに、鷹の仕業のような多くの爪痕。
アトリエハシモトさん凄い。ほぼ完全に治っている。

昔LAのWestwoodで、あまりの低視力に身の危険を感じて買ったクリップオン丸眼鏡グラサン、
れんず屋とやらでレンズオーダー。
近視はともかく、乱視が進んでいる。15年前はスマホも無く、ノートパソコンもまともに使わなかった。

日本橋と丸の内と三ノ輪と大井町と自由が丘と東池袋と神保町と代官山と世田谷。

歩いて、色々な人に会って、自分をリプレイす。
その間自分の中で変わらなかったのは、凄い人がいっぱい居るという思いと、
Alexandre Andrés、Booker Littleの音楽は時を経てこそ素晴らしいということ。

明日からは全く新しい日々が待っている。

もじのふるさと

シリアをミサイル攻撃するのが良いなんて思っているのは
ごく一部の人間だと思うのだがな。

普通に生きていれば、これまでどれだけの戦争が
でたらめな理由で起こされて来たかぐらい、わかるだろう、というのが
僕の実感だ。

ごく一部の人間がメディアを操作して
怪しい「正義」と「最優先事項」を作り上げ
多くの人を殺戮し、大儲けをする、或は権益を得る。

そんな世の中は、もう沢山だ。
と、思わないのか?

これに対して疑問も呈することのできないメディアなら、
僕らのインターフェイスとしてふさわしくない。

フェニキア文字が生まれた地、シリア。

ことばの故郷に火をかけて、よく平気でいられるな。

London Calling

ドレのロンドン巡礼 天才画家が描いた世紀末 / 谷口 江里也

読むのに10日かかった。すごく勉強になる本。

「都市」や「経済」や「文化」ってなんなのか、今ぼくらが見直した方がいいことが詰まっている。

ギュスターヴ・ドレが1872に出した版画集 “London: A Pilgrimage” に、谷口江里也さんが2010年代ならではの文章を加えたもの(オリジナルはジャーナリストのブランチャード・ジェロルドによる文章)。

何でもこの本は当時、一般には売れたものの、評論家の物議を醸したらしい。それは、写真よりも緻密なこの版画集がロンドンの「光」だけでなく「影」をもくっきりと描き出していたから。

ということはつまり、当時の「御用メディア」の枠組みを超えていたということ。

人々が眠りについたロンドンの街に、明日のためにまた大量の物資が運び込まれる。すでにそうして回っている以上、誰もそれについては考えない。考えようもない。なにしろ市場が開くまでに決められた量を運び入れなければならないのだ。近代において大都市は、こうして眠らない街になった。 (第十八章 市場 p.238)

人も動物も、眠った方がいいよね。地球だって半分は常に眠ってる。
だが眠らない巨大な街は600万もの人々を飲み込み、増殖を続けた。

散財と社交に明け暮れる王侯貴族と、労働者、花売り娘、ホームレスが隣り合わせの「元祖・超格差社会」。
後のビートルズやダイアナ、キャサリンフィーバーの源流ともいえる、レガッタやダービーへの熱狂。トップハットは昨日の貴族から今日のホームレスまで、階級の空を超えて行く。

ある価値観で一刀両断しているわけではないし、すらすらとは読めないけれど、それだけに深い。

最後の画「ニュージーランダー」とその意味には、戦慄を憶える。

Patti

金沢の白鷺美術の二階、その日の控え室の一角にあったバスドラムのヘッド。

1月に来日したPatti Smithのコーナーでした。

左上のインタビュー記事を読んでいたのだけど、しびれた。

「絆」や「富士山」を言うにも、ほんとはこっちだろ。

日本ではこういう言葉が、人の目を逸らすために巧みに使われる。
いや、アメリカも大いにそうだろう。だから外からの鋭い目じゃないと本質が見えないことがある。

そうやって、人は助け合うのかな。

shirasagi

今日はこんな素敵なところ

塀から設営中の会場を見ているとダンゴムシ

「ダンゴムシのいる風景」がなかなか撮れないので虫と再演交渉したものの

やがてあきらめて他の虫を探すと

いた…

pam

富山で二日滞在。

すばらしいところ。

食べ物、空気、静けさ、驚きも多いが

これがすごく気になっている。

環日本海・東アジア諸国図

以前どこで見たんだっけ…安冨歩さんのサイトかどこかだと思うが

これに基づいたような計画を持っている人の話を聞いて、目と耳から鱗。

(なんだか、地図転載には県の許可がいるようなので載せてない)

この地図を見て、文化的な広がりと見る人と、

逆に軍事的に捉える人といるようで、

僕は前者だけど、

少なくとも、目を逸らしたくはない視点。

なんにもないって

「村から原発を取ったら何もない。再稼働するかしないかは死活問題だ。米や飲み物、ガソリン、全てが売れなくなる。人が来なければ、ものは動かない」。泊村商工会の経営指導員、〜 は語気を強め、「安全性を高めた上で動かすのが一番」と訴える。 毎日新聞 2013年05月05日 北海道朝刊

これ、自分で言ってておかしくないのかな。

「取ったら何もない」…完全な依存症状と違うのか。
そんな村に誰がしたんだ?
そう言い切る(新聞が真実を書いていればだ)商工会の経営指導員、
そんな指導員にどうしてなってしまったんだ?
と思う。

原発が来る前に、泊には何もなかったのか?
炭坑があったらしい。
日本最初の鉄道があったらしい。
今は漁業があり、山林がある。
豊かじゃないのか? いろいろな意味で。

しかも、北海道で唯一、地方交付税も受け取ってない(ぐらい豊かな)ところらしい。
「その豊かさ」は、電源開発交付金によって…だが。

全国で作業員がどんな状況で立地町や村に集まり、「金を落として」いってるのか
本当にここの商工会の人って、わかっているのだろうか。

というのが、僕の率直な感想。
通じないよな。これじゃ。

「そんな村」「そんな町」を変えるのには
多分ものすごい労力がいる。
当の自治体の役人がどうにも動けない状態なのには
相当深い理由があるのだろうから。

だけど、たとえばそれを変えて行くのが、
きれいごとのように言われてる「脱原発依存」じゃないのだろうか。

それって、オリンピックや改憲、国民栄誉賞より、よほど喫緊で、
やりがいのある(ただし厄介な)プロジェクトだと思うのだが。

多くの人が気づけば、変わり得るだろう、そう思うのだが。

trident

僕はマラソンには一度も参加しなかったけれども
そこは3日に一度は歩いていた界隈であり

そしてあそこは僕にとっては「記憶の街」でもあり

ところがあれから時が経って
nine-elevenやさんてんいちいちがあって
その間の自分や色々の変遷を通して感じるのは
とても複雑な色の感情

悲しみ、怒り、諦め、で表せない何か。

これがテロなのか、特定の国や組織がやったことなのか
それはわからない
ニュースで犯人とされる者の国籍が見出しになったところで、
やはりそれはわからない。

その背景が個人にせよ、集団にせよ、
どうしてこんな事が起きてしまったのか、
どうしたら加害者を生まないようにできるのか、見いだして

破壊や報復や、世論先導や戦争や、誰かの利益や、
そんな、911以降もアメリカが踏襲してしまった愚かな道を辿らないように、
311以降も日本が見てしまっている愚かな視界に騙されないように、
誰かのstrategyにならないように、
みんなが、一歩止まって、考えなければならない
そんな出来事だと思う。

自分は、止まったまま、まだわからない。
ボストニアンとシンクロしたい気持ちと
アメリカの暴走を見張らなければいけないという気持ちが
共にある。

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