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ばしょはとらないからさ

ふとそんな言葉を思い出す

誰が言ったのかわからない 友人の誰かだと思う

なんか 震災以来 おれらに地球上に存在すべき場所はあるの? って思ってしまうことがある
たまたま 生かされているけれども

安全なのはどこ? っていう話だけじゃなくて
結局 原発にせよ TPPだの格差や食料や領土問題にしても
地球上での共棲の難しさと 奪い合いと そんなことから始まってるし
資源巡ってフィリピンで鉱山持ってる日本企業が反政府組織の襲撃を受けても
そりゃあんた、企業もコンクリートの中で偉そうな言葉ならべて、自分らの事しか考えてないわな、と思ってしまう。

「外国」で土地を好き勝手に掘り起こすのはやはり異様なことで、
いくら金を撒いたとしても、そりゃあ、どこかの王子に東京のど真ん中が買われていたとしても
中国に北海道がいろいろ買われていたとしても、お互い様になってしまっていて
なんだか根本的におかしいよな、と言えないシステムに腹が立ってしまう。

システムってのは、腹が立つ外部を当然想定しているのだろうけど。
デモは、所詮「ウイルス」ぐらいにしか思われていないのだろうか。

でも、システムもウイルスも、この場合は所詮同じ人間なんだよな…

今の混乱期、いや、人じゃない、悪いのはシステムだ、っていう空気の色合いを良く感じるのだけど
システムを作ってるのは、人なんよね、それも特定の誰かじゃなくて、おそらく、とても多くの人が。
そこには当然、自分も加担してるかもしれない。

 

ばしょはとらないからさ

うん、どうして君は、ばしょをとらないと言えるのだろう?

大人しいから? 状況に適応しているから、それとも抑制しているという意味?
僕は、自分が場所をとらない、とはあまり言えない。
図体はでかいし、楽器を持つとさらに2倍以上のサイズになるし、
大人しくなることもできるけどそれは自分のスイッチをどこかで切るわけで
スモールな自分であることに あまり自信を持てない。

だけれども
自分が何かするときに、その場所で
あるいは、大人しくしているようでも、いや、大人として
できることやってるのか?

そんなことを思う

 

起きてるうちは、できるだけのことやってるつもりだけど。

米の中

Wall Street Journalより*

 以上のことから、私がなぜ「どちらが先進国でどちらが発展途上国なのか」という根本的な疑問を呈したのか、読者にわかってもらえると思う。次の疑問は、「なぜこうした状況が起きているのか。米国は何をすべきか」である。
正直に認めよう――我々は敗北しつつある。米政府は大幅な改善を実現できそうにないからだ。問題が発生すれば、すぐに対立状態に陥り、メディアによって、対立はますます深刻化する(メディアは注目を集めたり、視聴者を増やしたりするため、極端な意見が必要だ)。一方、独裁的な中国の指導部は、迅速に事を成す(今は、独裁者の方が非常に効率的なようだ)。

米国体制と中国体制、どっちがいいですか。
いや、どっちがいいっていう問題じゃないんだよな。

日本はどちらも含んでいる。そして遥かに狭い国土に、問題意識と辺境意識の同居した我々が住んでいる。

極東にして、極西

地球上での文明の中心は、いつだって動いて行くし、一つじゃない。
バグダッド、カルタゴ、ローマ、オランダ、パリ、ロンドン、ニューヨーク、上海、ソウル

諸行無常

ピークが超えた事が問題じゃないし、山を下らないと判らない事がある。
そもそも、先進国かどうかというくくり自体、きっと無意味になっていく。

ただ、よく言われるように1980年代が日本のピークだったとは、僕は思わないし、
これから、もっといい日本になると、どこかで信じている。

* 2020年現在リンク切れ、復旧不能

favorite

Homem Da Rua / Lo Borges

hayatochiri

しばらくMacを見ていなかったので、時系列が狂ったままいくつか書く。

コンピューターの世界の時間が狂っていたのだ、と勝手に言っておこう。
(そんなことはない)

ふと、ケイシー・ランキンさんの唄が聴きたくなって、探偵物語を全編観直した。
松田優作、新庄剛志と似ているとふと思う。
新庄が人気あった理由が少しわかったような。

物語のすばらしさについては言うまい。
松田にひっかけただろう、赤や緑のMazdaの車たちがカッコよくて、
…なんというか、生命力に溢れていて…
先日工場で暴れた男は、その前に探偵物語見て人生考え直すべきだったと思う。

音楽のすばらしさはもっと、言うまでもない事だが、
ケーシーさんらのハーモニーやリズムセクションもさる事ながら
ブラスの勢いが、今世に流れる音楽と全く違う。

時間はこういう風に、狂っていて欲しいものだよ。

五郎兵衛伝

昨秋 生まれて二度目に歌舞伎を見た僕は
今になって子供の頃に読まなかった中学生向けの「赤穂浪士」を読んで
いろんな事に真剣に感銘をうけている。

ルビの付いた分厚い文庫本は、電車で読むには結構恥ずかしいが
恥ずかしい事を避けていては僕という人間は勤まらない。

大石内蔵助の祖先が滋賀県人だったという事も今頃知ったし
矢頭右衛門七の境遇など、くーんと腹にくる。

はら切りの是非など考えるつもりもないし
吉良上野介が本当に悪人だったかもわからないが
浅野内匠頭長矩はソンをする性格だったのだなぁ
これは今の世でも通じる気がする。

だが、こーゆー几帳面な人もいるのだ。
一方で、何の為にもならん仇討ちの為に
よく人は舞台を用意し、舞台を楽しみ語り継ぎ、
脇へ退き、そして去っていったものだよ。

てぇしたもんだ。

自分の見える海

考えすぎるとつかれてくるのだ。
(つかれるとは憑かれるということ 日本語は本当によくできている)

内田樹の日本辺境論を半分読んだところ。
幾度か大笑いした後、つかれて来たので寝ようとしても寝られず、
書こうともなしに指運動をする。

日本が辺境かどうかについて、今まで幾度か僕が思った事は

太平洋は広い
東洋の端と西洋の端を無理に繋ごうとする日本人の
少なくとも物心が付いてからの僕の周囲の
国際関係の前提がそうとうお気楽であるという感想

これは例えるまでもなく、米国と日本との音楽の違いでもある

日本的な「ことの流れ」にアトモスフィアとして堪え難いアレルギーを感じた事も
数度では済まない
そしてそれらの大半は今では忘れてしまっているけれども
それは自分の想いが強かったが故に、その生命を絶ったのだろう
つまりある意味、僕はもう出家している

僕は日本的ではなく、辺境から更に辺境である事において
ナチュラルな日本人なんだとも、思っている。

今日は朝から、蛍光灯と白熱灯が並ぶ街路をくぐって
ひかりの持つ意味の取り違えにいきどおっていた。

蛍光灯は昼光で白熱灯は夜光だ。言うなれば太陽と月の模倣だ。
これを並べてどうする?? 昼と夜が一緒ならオレは起きて寝るのか?

こんなことは工事現場の図面には書かれていない。
電球型蛍光灯がLEDにすり替わって、値段やエコでなく「ひかり」がどう変わるのか、
僕は未だ知らないが、とても気になっている。

新幹線のひかりが未だに青いのは何故だか、屋根の掃除をしながら考える人は今日は居たのだろうか?

日本人にとっての建国のストーリーはクニウミ。これと中華思想はどう関わるのだろうか。

辺境の中の辺境だからなぁなぁでやっていける。
乏しいリソースと朧げな水蒸気を含んだ空気の中で、ひかりに鈍感でもいられる。
かわりに陰翳に敏感でいられる。

ただ僕は、電磁波に邪魔されたくないと思う。
自分も電機仕掛けだという事はわかっているから。

ガンバ

自分の楽器の先祖、ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏を佐鳴湖に観に行く
リコーダーとの重奏、瑞々しくて素敵な音色だ

辻仁成「アンチノイズ」をここ数日読む
少し同調

音の地図、とは自分もぼんやり考えていた言葉
といっても中身は全然違う

地図からはみ出した声が好きだ
と思っていただけだ

「鐘の音」
これを記している実時間はもうすぐ百八の鐘が鳴る時なのだけど
確かに毎日だって聴いていたい

「視聴覚において聴覚は40%」
だから、目を向けていない人も振り向かせるのがサウンドだ
と今年、誰かにきいた
room関係の人だった

果たして、振り向かなくてもいい音もある
その地点を確認せずとも、耳を澄ませばその生に触われる音も
あるだろう

なんだって GPS が付いていいわけじゃない

旅、兼 巡業

旅はかなり、とんでもなく面白かった。

尾道って素敵な街だ。
岡山って空気が澄んでてきれいな都会だ。
名古屋はきれいな街というイメージは相変わらずないが、ひねりが利いている。

尾道でガソリンスタンドに入ったら
(それも、かなり無理のある三角地帯でクルマが一つだけ入る店)
ハイオクおねがい、というと翁がへい、とガラガラ鉄箱を持って来て
手回しをはじめた。

これは味があったな。

blueblues0

岡山のBlue Blues、モノを並べたところ。

モノレール談義

Battle Hymn Of The Republic
或は「リパブリック讃歌」
というのはアメリカの愛国歌のひとつであるらしい。

いわゆる「ごんべさんのあかちゃん」だ。

五反田駅で
きょうは選挙の日です みなさん 投票にいきましょう
ともっともらしくさけぶ車椅子の女性がいた

ひと呼吸おいて、彼女はこのメロディで
きょ〜はた〜のし〜いせ〜んきょ〜のひ〜〜

と歌いだしたのである。

僕は、同じく駅前でティッシュを配ってるホスト系の男に向かって
思わず笑いかけてしまったが、
日本は変な国だろうか、救いがあるだろうか?

そんな事はおいといて

今日は楽しいレコーディングだった。
dr.のデニスは驚いた事に、ゴスペルクワイアの同窓でもあったが、さすが、の一言に尽きる。

それにしても、初めて行ったEMIのTerra Studio、豪華。
自分のブースに行くのに何個ドア開けるねん、何回Closeでガッチャンって閉めるねん。
おかげでベース弾く前によっこらせ、と
まるで温室に花の様子を見に通うおやじになったような気分だ。

シンプルなジャズドラムキットに向けられたマイクの数、18個。
こんな沢山のチャンネル、よく扱えるもんだ、と録音技師に別の次元で驚く。
ちなみにベースに向けられたそれは4本だった。

自分のベースは先日久々に弦を変えて、誰が聴いてもわかる新しい弦の音がしていたが
この録音には合ってたんじゃないかと思う。

思えば、一昨年の夏、表板が全て陥没して大修理してからというもの、音が良くなった気がする。
一度死んだ者として愛が深まったのか、単なる錯覚か。
修理直前はこりゃベース買わなきゃ、と思ってたけど、録音すると毎回音の評判もいいし、自分にはこれがいいんじゃないかな、と改めて思う。

三宅さんの”Power”よろしく
つぶれりゃつぶされるほどみなぎる のだ。

またこれでPowerを弾くときも、よろしく。

たなばたコネクション

梅雨時だというのに、ジーンズを買ってしまう。

Johnbullノンウォッシュの限定物。自分は縦長の人間なので、このままでは横軸がはみ出してしまう。
つまり洗わないとまともに履けない。

これを履くのは梅雨明け以降だろうか。

梅雨明けの時期は、毎年忘れるもののひとつ。
毎年気になり、きれいさっぱり忘れる。見事なくらいに。

今日みたいに星空と関連づけられた日だと、なかなか忘れないけど
梅雨明けにまつわる星物語なんて、そうは聞かない。

俺がジーンズを洗った日。
だれが一体気にする。多分俺も忘れる。

そんなわけで、ブルージーンの無い日が続く。
それもこれも、昨年買ったFCUKのジーンズがたった1年で崩壊したからだ。
まぁまぁ手頃で体型に合うから、昔から買ってるフレンチコネクションだが、
最近は質が落ちて来たのかなぁ?
かがんだらおけつが10cmぐらいびりっと破れる。
家ん中でよかったよ。フランス人の。

だいたい、物持ちのいい自分は、気に入ったものはシャツでも15年ぐらい着てしまうけど
1年で破けるジーンズなんて、最悪だ。

しかし、フレンチコネクションという言葉には文字通り、別の意味がある。
ろくにフレンチも話せないのに、時々やってくるコネクションだ。

それは省こう。
ともあれ、エビゾさん、すんばらばらしいジャンベとコラをありがとう。
そして来週末の松坂でもよろしく。

「映像を遮るのは映像でしかない」
高円寺でふと思ったこと。

おぼえがき

ざっと、売れてる本を読んでのメモ

ドウタとマザは入れ替わっていないだろうか?
マザと思ってドウタが出て来たのではないだろうか?
そか、それとも –
場面場面で、マザとドウタのふかえりが入れ替わって出ているのだ。
姿を消す度、彼女は山梨あるいはどこかに戻り、入れ替わってまた現れる。
本人は区別がついていないか、どちらでもいいと思っている。

246の非常階段は所謂三宿のあたりなんだか。
コンビニなら天下一品の近くにあった。
自分が昔、一日一回は散歩していた界隈だ。

最初の場所に戻って、道がないと気づく。
最初から青豆は死んでいたんじゃないか?と相方は物語を読まずにそう言う。
全く僕に思いつかなかった考えなんだが、正しい気がする。
メリンダの影響だろうか?

青豆が最後につぶやく言葉は自分がこれから行くところである。
出来すぎている。

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