カテゴリー: libre

結果はひとつの宿り木

大統領選が予想外の結果になって
でもある意味自然な結果なのかもしれないと

アメリカに抱いていた幻想が
あるいはアメリカ人が自国に描いてきた幻想が
また別の方向にいくんだなと
思う

ピアニストと脳の本を読んで思ったことは
人間の脳ってぼくがそれまで思っていたのより遥かにキャパが広くて
その中での回路のつながり方によって
「モード」も変わってしまう
それが集団意識の流れにも作用していると思う

回路のつながりとは 脳という宇宙に舞う イナズマのようなもの
それがヤドリギを辿って
どう飛ぶか 畢竟 稲妻なのさ おれたちは

なんのこったい

オバマが登場してた時に感じた気持ちは
今では全く逆
きれいさっぱりない
- どうなんだろう 崇さん

メディアもマスも伝説も
集団幻想だから
- たぶん 江里也さんの言う通り

或いは気にすることもないんでさ

でも…さ

しっかりいこう
雨が降り 雨がやむ

今日の格言

ためいきは深呼吸

我ながら、明日を生きるための名言

…書いた字面を見て

狸寝入りは深呼吸

と二度味わいしてしまった

formation

小さなころ見ていた未来に
スマホなんてなかったのに

「人間」の生態描画が
ほぼ画面を見てるなんて
知りたくないだろうに

吊り革広告と大小の液晶画面に人々が翻弄される
キヨスクや列車での光景に
いよいよネットワーク社会はやばいなと思ったので

しばらく離れていました。

一種のデトックスですが
その感覚は今でもつづいていて

この半月ほど、いろいろなところに旅したり
人や食べ物や建物に会ったり
インプットもとても多いのですが

フォーメーションを変えようと
いうわけです。

それはなかなか むずかしい

だけどね

自分の足で歩いて 直に見て 話して 聴いて
そんなのが よっぽど。

2バイト

上海で面白かったことはいろいろあるが

僕は性分として、全然わからない中国語から
ぐっとくるところを探してしまう。

階段や空港の床、随所に書いてあるのが「小心」という文句。

その下の英語を見ると、mind the step, mind the water…

階段を滑らんように、水びたしなので転ばんように、etc
ようは「注意しろ」という意味らしいが、

「小心者」って日本語にはネガティブな意味しかないが、
中国なら「注意深い人」になる…? なんか奥ゆかしくねぇか?

それにビールで有名な「青島」の「青」が
blueではなく、「若い」という意味だったことも

「青年」「青春」の意味からすると、めっちゃすごくわかる。

(blueに相当する中国語は「蓝」、つまり「藍」らしい)

漢字は中国から伝わって、その後独自の発展を遂げたので、
日中でも意味や形が違うものが多そうで、
列車の駅名表示を見ても、未だに距離を感じたりするのだけど、

もしかしたら案外、簡単な答えがいろいろ転がってるのかもしれないね。

摩天楼がすごすぎる

リードのないトイプードルが路地を歩いている
隣ではチャウチャウとおばちゃんがキャッチボールをしていた

さなぎ

予想はしていたがこのところ、愕然とすることばかりだから

当分情報を遮断することにする。

することにすることにする、

そうしないと本当に自分に大切なものが見えてこない。

誰もが気づいてるはずなんだけど、地下鉄でほぼ全員がスマホを凝視してる光景、
いやこれはケータイだってそうだったんだけど、やばいっすよ。

そんで、自分は音楽聴いてるから、とか、路線図確かめてるとか雨雲レーダー見てるとか、大事な仲間とコンタクトとってるからとか、そんないいわけを作りながら、やっぱり同じようにガラス面を凝視してる。

その上にはいつアクティブになるかわからない、割と高解像度のカメラが付いてて、正面でも背面でも人は「撮影」しまくってる。いろんなデータとタグをつけたまま。

駅にも列車にもビルにも監視カメラがいやほど付いてる。ゴミ箱はぜんぜんないからチリ紙も捨てられない。
そのくせ鳥の親子だけはしっかりトゲで遮断する。

感受性の違いかなぁ、とにかくぼくは単純に、もうこれはほんとにやばいと思い

常時接続から脱却することにした。

これを書くことも、或いは逆説的なんですけどね。

五、六年前の暮れに、per.の友達がいってたなぁ「こえぇよ、巨大サーバーが…」って。

あのときみんなで笑ってたけど、全然笑えなくなってる。

ほんと、世の中って、周到だ。

 

何度も書いていることなのだけどネットワークって基本

末端 | 端末 〜〜 サーバー 〜〜 端末 | 末端

なんですよね。

端末を見てる人は漏れなく末端、つまりガラス面を挟んでこの世界はひっくり返っている。

 

Punch Bros. のbnjインタビュー記事でもあったように、

「テクノロジーを利用していたはずなのに、どこかで立場が入れ変わって、テクノロジーにどこかに連れて行かれるんじゃないかとね」

 

ネットの素晴らしさは十分知っているつもりだけど、
生き方は変えていかなきゃな、と思っておる。

なので、仲良い人も通りがかった縁の人も、ちょっとご面倒かけるかもしれませんが、

ちょいとトンズラしますので、よろしく。

しゃくねつ

どうもこの夏はワルい 灼熱がぼくを別のところに連れてってしまう

いや 毎年のごとくバテてるだけだ

夏は苦手だ 自分が稼働してる時間が極端に少ない気がする

色々なことに気づかないうちに秋になっているんだろうな

 

サルビルサと並行宇宙

こちらから思えば信じられないようなことを考え
実行する人々が

反対からみれば全く同じことを考え
実行している

冷戦もそうだったと思うけど

9.11以降の世界や

3.11以降の日本や

潜在的アジアや

今の国内もまさにそうなんじゃないかな

色々な物語がそれを表していると思うけど

一番端的にはやっぱりこれだろうか

スズキコージ作『サルビルサ』

想像の世界では並行宇宙の物語は何層でも成り立つけど
ほんとの宇宙はどうなんだろう

正義ってそんなに都合よく、チケットで買えるものかな

創造と破壊と破滅と生存

前掲の続き。

アートは破壊と対局にある力なのか
創造と破壊は実は一対なのではないか
という事を。

ここはトリッキーなところで
破壊と創造はよくセットにして語られますし
企業、政治、そして他ならぬ芸術など
いろいろな場面で用いられます。
国際間においては、言うまでもなく
戦争の正当化に使われてきたわけで。

ぼくは、この破壊と創造のペアというのは
人を惹きつける半ば永遠のテーマだと思いつつ
これまでに起きたことを考えると
創造のための破壊ならなんでもOKということでは
ないんだなと捉えています。

破壊ではない創造としてのアート
というのはそういった意味で大きな理想であり
決して容易ではない課題です

ぼくはそういう 争いを飛び越えたヒント
みたいなものが好きなのですが

アートもたいがい、何らかの破壊を伴います。

方法論 ものの見方 共同作業
作品の否定 肯定

もしかしたら、一番たやすく、気楽に
破壊だの創造だのと言ってられるのは
芸術の分野だけなのかもしれません。

また なんの破壊もせずに生きている
ように見える人は
実はより危険なものを抱えているかもしれません。

ですが
何を破壊するとどうなっていくのか
どこから修復不可能な破滅になるのか
そういったことは
分野に関わらず みなが学び 考え 感じ取らないと
あるいはわかる人が支えていかないと
これから先
ぼくらが生き残っていくことは
難しいでしょう。

アートはその想像力の喚起力と
到達速度において
現実をはるかにこえるユートピアも
ディストピアも見せてくれます。

それは利害を全く飛び越えた
大きなヒントにもなりえるし

そこに利害関係が結びつくと
プロパガンダにもなりえます。

これまでも ずっとそうだったわけで。

また

今はこれだけデジタルが発展していて
想像力と並走し続けるヴァーチャルなテクが
猛威をふるっているわけですが

これらがぼくらを助けるのか破滅させるのか
これからますます
見極めていかんといけません。

ねんで。

アートの力

「人間は何かを創造的に生み出すか破壊するかその二つの力しか持っていない」
「暴力の力に対抗するのは暴力ではなくて 〜 一人一人がアートを生み出しながら創造的に生きることなんだよ」
by 安冨歩教授、20160707、品川。

すばらしい。
これを、僕なりに解釈します。

アートにはなんでそんな力があるのでしょうか。

「アート」と呼ばれる行為、思索は、
僕らが存在の意味に立ち返る為に、触覚を伸ばすこと。
手で、心で、耳で、脳で。

触覚を伸ばした先、その「ゾーン」にあるのは、
とても澄んで、冴えて、楽しいもの、面白いもの。
それを、音楽家も、画家も、文筆家も、デザイナーも、
そしてアートが好きな人も、いつも求めてる。
罪悪感や義務感、閉塞感からではない、個人が何かに繋がった時に生まれる何か。

さて、意識的か無意識的かわからないが
人間の作った言葉には力強い意味が含まれてる。
漢字、英語、日本語、それぞれ。

僕らが生まれ、育ち、死んでゆくこの世界のほぼ全て、それは地球の表面。
では地球の中心には何があるか。
eARTh
ほらね。アート。

アートを行う人は僕らが絶対に忘れるべきではない
(或いは、逃れることの決してできない)
大切なものと交信している。

実用的、非実用的を超えて飛び込んでくる何か、
伝わる何かがあるからこそ、アートは伝播し、存続し続けている。

もしアートを自分の中に持っている人がいたら
その人は小さな地球

いやむしろ
地球の表面に生きる74億の人間は
地表を周るちいさな74億の星たち
だと思う
本来は

そう一人一人を星だと思えば
一人の命は地球より重いと言った誰かの言葉も形をもってくる。

星は引力でひかれ合い また
互いに距離を保つ必要もある。

ぼくはこんな風に考え出して以来、
生きるのがだいぶ楽になっています。

tabi

髪を切る。

去年の今頃以来、ずいぶん伸ばしていたので
軽くなって気分がいい。
ついでに視界も広くなった。
一年間、ずっと左目を半ば閉じてたようなものだからな。

再び旅に出る。
車窓、音出し、のみくい、街眺め。

仲間と一緒に過ごした時は次の音楽になっていく。

合間、ふと海岸に行ったり、ありきたりすぎて地元の人でも行かない場所を巡ったり、
人が教えてくれた場所にすぐ行ってみたりする。

人がぽろっと教えてくれた情報には力があるもので
どうしてその人がそこを教えてくれるに至ったのか、たぶんそこにはプラスαがあるので、行ってみるべきなのだ。

- とはいえ、行かずして悔やんだ故の実感の方が優る -

全然違う土地から話の続きがつながったりする。

神戸の海岸で見かけて妙に気になった家族の銅像
とその横にあった、移民船の解説

福岡でふと時間をつぶしていたコーヒー屋で
8年前のcoyoteがあったのでなんとなく読んでいると
その移民船「笠戸丸」がサントス港に到着したあとの話が書いてあった。

…やっぱりな。
1908年「希望の船出」で日本を旅立った、781人の人たちは
新天地ブラジルで、打ちのめされることになる。
充てがわれた痩せた土地では何も育たない。

10年近くにおよぶ土地改良の努力から、やがてコーヒーが実り、
幾人かはコーヒー農園主として「成功」するに至る。
その過程で得たもの、失ったもの…

要するにコーヒー屋にあった雑誌なのでコーヒー特集であり
コーヒー農園以外に携わった移民の人たちがどうなったかは

わからない。

が、なんとなくわかること。

「希望の船出」なんて、そんなにはない。
あとで美化するしかないんだな。
ないからこそ、モニュメントにする。
もぬけのから。
だから、殻をつくる。からだ。
どこかに楽園があるのかな

ぁ。

たぶんない。

だけど、
たとえゼロから始まっても、つづきができたとしても、
世界はどこも同じくらい

きっと。

positive.

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