カテゴリー: libre

tiny table to future games

flexlife の YouTube ライヴを観る。リアルタイム見逃してしまったから後からでも観れるのはありがたい。

(埋め込もうと思ったけどできなかったので、ごめんね)

行ったこともある部屋から配信されているのを観るのは面白い。本棚があって NPR の Tiny Desk Concert みたいなのだ。今回は別の画角だったが。

彼ら、画になる。さすがというか、画作りも映りも、もともと才能ある人たちなんよね
そこが他のミュージシャンと違うというか、おいらとも。

彼らとは春にミニツアーする予定だったし、
それが飛んだ後はリモートライヴ配信も計画していた。
思ったより技術的なハードルが高く、僕も部屋に引きこもって頭がパンパンになってたので
すぐに諦めてしまったのだが。

(他にもいくつか計画していた。できたのは、バラ録りの大橋トリオの「エメラルド」だけだ)

そして宅録だけに絞った僕とは違って、世界は着実に進化していて、
彼らはいつのまにか、本来の才能を発揮し出した。

さすがやねー。

別に褒め殺してるわけじゃなくて、なんか、なんでも出せばいいわけじゃなくて
自然体で、大倉さんがはみ出しちゃってるとこもあっても、細かい仕草とか声色とか
やっぱ役者さんだなというのが。

翻って自分なのですが、8月以降もなかなか人前に出る気になれません。
もともと、目立ちたがり屋と隠れたがり屋が同居していて
それを自分でもよくわからない回路で切り替えてるんですが
しばらく後者が優っているようで。

とはいえ、人にコントロールされるのは大の苦手なので、なんとか自分で会得したい。
ライヴステージは、そういう両面にとって、いい経験になっていたなと振り返りつつ、
うーん、今年は明らかに、違うモードだ。


Stevie Nicks, 声が好きでソロを聴いているのだけど、ピンとこない。

やっぱ Fleetwood Mac の、抑制の効いた音の中で、はみ出し気味のあの声で歌ってるのがいいのか、でも3人 vo のバンドでは彼女のリード曲が少ないので、もうちょっと他の音の中での彼女も聴きたい。Tom Petty とのあれはいいのだが。

Buckingham Nicks のスタジオアルバムは公式には配信されてなくて、YouTube で探すとやはり別格にいい。
というか、素晴らしいな。バンドサウンド、音含めて。

“Crystal” は、Christine McVie のシンセが効いた Fleetwood Mac バージョンもいいけれども、こちらもいい。
あんだけオーケストレーション豊かで繊細なギター弾けて激しく歌えるパートナーいれば、怖いものなしだよな。
Lindsey Buckingham, あんたには一生勝てねぇや。


というところで、興味は Buckingham / Nicks 加入以前、Bob Welch 在籍時代の1971年盤に向かっている。”Future Games”.
あの年代となると、アイデアが多少わからなくても質感だけで好きになったりするから、不思議だ。

はしのはし

いろいろなサービスやオンラインショップを
訪れるたびにログインを求められて
アカウントを持ってないとだめみたいになってきて
いいサービスやお店でもアカウントを作るのがいい加減億劫になってきて

やっぱ やーめた

となる率がかなり増えてきた。
いろいろなことが、いろいろだ。バテなんかな。

もうなんか(ネットしか外の世界との繋がりがなくなって久しいからか)
たいがいお疲れ気味である。

オンラインでの世界再編、結構つらいなー。
世界を二つに分けるのってつまらないけど、着実に進行中なのを感じる。
わかるだけに、無抵抗でいいのか? と思うが、そもそも土俵に乗るのがバカバカしくもなる。

ものすごく緩慢に、カルマが幽霊になっていく気がする。

そんな感じ。

もう一段階脱力して外に出、いつもの20cm上から空を見る。
近所の人と、わずかに世間ばなし。
桃色と紫とグレーの空が綺麗だ。


曲をアップしてしまうとほっと一安心、
出来栄えや反応はさておいて、やっと解放され(リリース、とはそういう意味とも思う)
束の間数日の間、嬉しい日が続く。

なんのために音楽やってるのか、本末転倒な気もするが
何度も転倒しながら生きてきたので。そしてこれが、自分の選択なのだ。

自分で曲を作ってみると、楽器演奏家としての自分とは違う部分を重度に使うので
- たとえ全パートを弾いていても、それは明らかに違う回路だ -
空っぽになれる。

この隙を忘れぬために、しばし純粋にベースの練習したり、
時間が余れば、前に作った曲がギターで弾けるかやってみる。
だいたい弾けないし、コードも忘れている。だが少しやると、手が思い出す。

ダブルベースの「練習」は、長い間やっていないので、やばいやばいと思い出して
数時間でようやくアマチュアの少し上手い人、ぐらいのレベルに戻る。
アマチュアだって学生だって、今の俺よりはマシだろ、ということはわかる。

今更スーパープレーヤーになれる気もしない。やらなければならないことは果てしない。
学んだり練習した時間にも楽器にも、関わった音楽家にも失礼な気もする。

だがこうするしか、生きた気がしないのだ。
そのうちまた、いい演奏ができるようになるだろう。これまで以上に。

それに。ベースだけのモチーフを、描いていかねばならない。なんのために。やろうとしていたことのために。できるのか?

わかるのは、そのうち何かが浮かぶということだけ。


もう一度首を上に、身体を正す。
どんな共有の世界になったとしても、
自分の視点でしか観ることも、会得することも、できない。

そして、それは、空との相対的な位置にある。

ほしぞら

細い月とほしぞら。

hoshizora って、それだけで憧れたことがある。

見ればそこにあるのに、そこにないかのよう。

いや、ほとんどの星は見えないから、永遠に憧れでもある。

プラネタリウムに、憧れる。再び。2020夏。結局行かない。

このあたりの細い月は、夜中に昇って、最も高くなる前に朝が来てしまう。

夜更かしの月だ。

ほしぞらが見れるということは幸せだと思う。もしこれが空襲の夜ならば。

政治家の考える戦争と民衆の考える戦争と兵士の考える戦争。だけど兵士は元は民衆。止むを得ずそうなった人が大半だ。
前にも書いたが、ごく若いうちなら、あるいは何かに動かされて、飛び込んでしまうこともあるだろう。

そのためなら、いくらでも、報道でも、あるいは芸術でも使って、人々は鼓舞されてしまうであろう。
実際におこったこと。

そして、世の中の境界を生きるがため、いろいろ気づいているはずの芸術家でさえ、そうさせられた事実。
聡明なはずの科学者さえ、御用にされた事実。今だって、そうじゃないと言えるか。

げいじつか、げいのうじん、あしもとのつかないもの、
いや、このよのあしもとのつきかたを、ずっとさぐるもの。

細い細い月とぐんぐん大きくなるほしぞらが、みている。

空前のサウナ

去年も暑かったな、と思いだす。

それから後、それほど大したことはできていないのだが

ずいぶん、世界も変わった。

灼熱が、まだそこに委ねる気になれたころ。思考がすべて停止してもいいと思えた夏。2019年。
そこで得た心境は ここ に記してある。レコードとしては甚だ未完成だが。

2020年、オリンピックでうんざりしていたけれども、その他は希望を持っていた。
ものすごく持っていたかもしれない。

現在。なかなか厳しい。

サウナで悟りを開いてるな。


しかし香港のことで頭も胸も苦しくなっている。訪れたこともない場所だが
街が、おおきな、街がひとつ、遺伝子操作されていくのが、言いようのない気持ちだ。

僕は雨傘革命もその後も詳しくは追えていない。いや殆どキャッチアップできていない方だ。
それ故書きにくいところもある。

アグネスさんは、民主化運動のシンボリックな存在であり、
ジャンヌダルクのようなアイコン、と認識している。

(あるいは、まんまとネットにのっかって、「認識させられている」のだが)

シンボルであるが故の、こともある。彼女だけフォーカスしていいの? ってことだ。

彼女だけでなく無数の人々が、香港の民主主義の維持を求めて運動し、大きな暴力を受け、ときに拷問を受けたといい、
さらに大きな力により、次々に敗れている。

法律は施行されてしまえば恐ろしい力を持つ。だが施行前に遡って弾圧、するのか?

そもそも、ジャンヌダルクが辿った運命、どうだった?


朝起きれば、アグネスさんは保釈されたようで、まずはよかった。

だが、それはポーズかもしれないし、そもそも逮捕と保釈には狙いがあるだろうし、国際的に著名になった人をどう扱うかのシナリオは、さんざん練られているだろう。それがどういう影響を及ぼすかも含めて。
彼女だけでなく、さまざまな人々の、無事を祈るが。共感とメディアのあり方、個人の安全、気が遠くなるが。

対岸の火事では、ない。

日本の震災後の動きは着実におかしいものだし、それを動かせるのは、さまざまな人々でしか、ない。
意識は個人であっても(個人を大切にする、というものであっても、共同体がどうあるか、という話でもあるから)。

チョウさんが言っていた、20代と10代の壁、というもの。40代と30代だって相当なものだが、そんなにジェネレーションギャップがあっちゃどうすればいいんだ、と思う。
だが、一方で世界を動かしているのは、60代70代でもあるわけだ。

で、とはいっても人生は地続きであり、振り返れば誰だって10代で20代だったわけだ。
今頃気づくことだっていっぱいあるし、いつになっても失敗の仕方は同じだ。


昨夜は、さっさと寝てしまおうと思ったら、そんなことも気になり、自分も省みて全く寝付けず、だがその原因を考えれば違った角度の答えが見つかり、また新たに音楽に向かうことができた。今日もなんとか。

結局、自分はやるべきことをやってない、というのが結論だ。一ヶ月前に書いたようなことは、要するに自分はやるべきと決めたことを全くクリアしていない。

頑張ってうまくいったようでも、肝心のところで、欲しかった物事がいつも消えてしまうのは、自分の中に虚無があるからだろう。

だがその虚無の原因が何かは、考え直す価値がある。それが少しばかり見えてきている。

見えたからってできるわけではない。

だがいい加減、やらないとな。

八の月

暑い。

言ってもしょうがないし実際口に出しはしないが、メモがわりに記しておく。
どうせ、気付いたら秋になり、冬になっているからだ。今年というやつは。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。状況に関わらず、佳き8月を過ごされているか。

こちら、うんざりしたときは川辺でトンボを観たり(これがなかなか感動ものだ)、
穴場のプリン屋さんに行ったらご夫婦でにこやかに対応してもらったり、というところです。

ギグは当分なく、部屋での作業やヘッドフォン生活もなかなか疲れるもので
(当分、カナルフォンは付けたくない、切に思う)
時折練習に出かけるという次第。勿論録音も試みて。


わらい x きみ」配信に歌詞表示ができるようになりました。
とはいえ、ミックスその他、満足はしていないので、いつかリメイクしたいと思っています。

FLAT FIVE & talkin’ brother” 配信の歌詞については、順次アップしていきます。
CD 盤 もよろしくです。


Twitter Log について
これは基本方針です。
また、2011-2012にやっていたアカウントから、抜粋を載せています。

近年のものは、思いついたときにサイトに載せていこうと思います。
ともあれ、最近の戦争ゲーム広告で、TW JP への支持率がさらに下がりました。


Genesis の70年代頭の作品、ふと聴いたりする。演奏も音もすごくて驚く。フィル・コリンズって、こんなドラム叩いてたんだ。

80年代に大ヒットしたものは、サウンドは好きではなかったけど、”Land of Confusion” はいい曲だなと思っていて、聴き返すと唄も詞もとてもよくて、だがビデオを見直してぞっとした。

当時は世界中での核兵器の数/量が最も多かったようで、それだけに核戦争への危機感も空気としてずっとあった気がする。米露 米ソの対決だったから、メディアもわかりやすく報道していたかもしれない。そんでもってこんなパロディになっても、ウケいられていた(というか、麻痺していた)。冷戦が終結し、実際は世界の戦争は一向に収まっていないにも関わらず、なんとなく、その頃よりまし、みたいな、そんな錯覚ありませんか?

数が多少減ったとは言え、地球が何回でも滅びるだけの量。中国に、中東に、拡散が続く。
それを諫めるどころか、自分も保有したいという願望を、もはや隠そうともしなくなっている、この国。

二発の原爆投下で、この国で、一体どれだけのことが起こりましたか? そのとき、中央・東京の政府は、一体何をしましたか? 広島に次いで長崎に B29 が向かっているとき、それを知りながら会議を続け、迎撃司令もださなかった。国民でなく中央集権体制を守ることが彼らにとっての「国防」だった。そんな特番をしっかり流してくれた NHK は、今はなにをやってますか?

核は、愚かです。


今は3曲を並行して作っています。どれも大切な曲。いい形にして発表したいと思っています。

upside down

メディアや SNS に距離を起き出すととことん置きたくなるもので
そこは、突き詰めないと気が済まない自分の性分も手伝ってくる。

ぐるっと回ると自分の尻尾が見えました、みたいなこともあるのだけど
やはり、当分ノーマルな暮らしや活動ができない今、いろいろなことを見直していきたい。

まず、先日から時折記しているように、昨今の web 広告や掲示には非常に警戒している。

cookie の扱いなどでヨーロッパあたりから厳格になった動きと呼応してか逆の作用でか、悪質さとモラルの無さがますます進行している気がする。

たとえば Covid-19 関連でも、note の記事を見たりすると漏れなく冒頭に、公的機関への誘導が出る。それ以外の情報を見たいから note に来ているのに。

個人の気持ちをわからないどころか、力技で、システム作っていく動き。今に限ったことじゃないのだろうけど、こんな時期に「消費税増税が必要」「攻撃能力が必要」と大真面目に、前向きに取り組んでいる人がいる。それが彼らの本心で、大切なことなのだろう。でもそれは大きく間違っていると思う。

イケてる情報を送受信するのにも、だんだん憧れがなくなって、それはやっぱり自分の棲む場所じゃないというか、所詮ガラじゃねぇ、っていうことに漸く気付いたりしてか、目が醒めたというか。

目が醒めすぎると、それはダメなんでしょうけどね。

ニュートラルはゼロであり何も生まない。カナリアの悲劇。
Canary In A Coalmine.

ある程度騙されたフリをしながら、いや騙されながら、生きてく。
それもいいのかもしれない。必要かも、高等手段かも。

でも、それ、ものっすごく、疲れるんだ。

騙すってクレジットカードみたいなもので、蓄積していく。

株の上下を競い合っても、所詮は動物実験でしょ。


おさるのジョージ (Curious George)…サントラ歌ってた Jack Johnson.
Upside Down, People Watching, The 3 R’s (ボブ・ドローのカバー)
どれもとてもすてきな曲たちだ。

僕は彼が流行りまくってたときにどうも距離を置いていて、後から凄さがわかったという。
(僕は流行りにはだいたい乗らない。というか乗れもしない)

彼のようなスタイルの音楽や歌が、実際できてる人も周りにいるから、実際できない自分も、いやというほどわかる。
まぁそれはそれ。おさるのジョージもジャックジョンソンも、すてきだ。

たぶん、実験動物じゃないお話。

upside down.

カメラオブスキュラ


Camera Obscura / stillbeat
moon x moon #15

online single – 2020.8.4
lyrics

暑くなるとレイドバックしたエイトビートをしたくなる。

ジャズや EDM する人はどう思うのだろうか。

梅雨のある朝に思いついた曲。

前作 Loft & Found と順番は逆になったけど、
こっちはわりとマジなテーマです。

光とか輝きとか自由ってなんだろなと、日頃思うのですが

光がすべてを救うとも思えないし、それで騙されてしまう人もいる。
閃光がすべてを奪い、人の影だけを残してしまったことも。8月。

僕自身を励まし、導いてくれたいくつかのことも含んでいます。

カメラオブスキュラはピンホールカメラ、レンズを使わないカメラの原型です。
工夫すれば、部屋のカーテンをいじって、壁に薄く戸外を映すこともできるとか。逆プラネタリウム、みたいなものですかね。

2月に吉祥寺で観た青年団の「東京ノート」、フェルメールとカメラオブスキュラの話が出てきて、それが頭にひっかかっていたのかもしれません。

混迷の地 – PNR

夏がもう来たか、すぐそこなのか、という様相だ。

COVID-19 に、意味不明の GOTOなんとかに、謎のオリンピック全面広告に、
ここは LAND OF CONFUSION だが
(Late ’80s にも色々な誰かが警告していたんだね)

多くの人が色々なアンテナを伸ばしてやっている。
それは僕でもなんとなくわかる。

ただ、情報に距離をおかなきゃという姿勢は変わらず、
というか、おそらくあの時に PNR (Point of no return) を超えたので、
ある意味、自分の忙しさでいっぱいになっている。

(これは、もしかすると、あの界隈の人もそうなのかもしれない。別の意味で)

割と、殺伐としたものと、その中で響くものが見える、という状態だ。
David Sylvian とRobert Flipp の Graceland Tour の映像がしっくり来たりする。

自分の感度という意味では若い頃に戻ったかのようで、幸せですらあり、
ピエール・バルーさんが David Sylvian を家に呼んだりしてた、とアツコさんに聞いた話が、今頃染みてきたりしているのだけど、

正直、周囲との共感度においては、あまり期待していない。
今それは、ある種の安全装置として働いている。感受性はそれ自体がレセプターとなるからだ。

まぁ、もうしばらく、やってみよう。

trusty

吐き気がする広告を消すために

会員登録させるって?

金にまかせて戦争に憧れさせる人も

その金に頼って運営してる人も

なんでこうなってしまうんだろう。

信用の基準ってなんなのだ? わからなくなる。

+-+-+-+-

筒井康隆に「この世で最も高価なものは、静寂です」で結ばれる話があった。
そのレコードを再生すると無音が味わえるというものだった、と思う。

-+-+

広告は生活や仕事に深く染み付いた
「大切な」ことであるし

だからこそ力が集まってくる

だがやってはいけないこともある

「経済的徴兵制」もその一つだが
子供や若者の意識に向けて、アニメやゲームで戦いに慣れさせていく

まぁこれは昔から、ヤマト、ガンダム、映画、長編ドラマ、戦隊モノ、時代劇、
なんだってそうかもしれない。ルパンやジブリも随所に銃や兵器が登場する。
それぞれメッセージはあるけれど。

実際僕も、子供の頃いっときはミリオタの入り口にいた。
ベレッタM84って拳銃がかっこよくて好きだった。モデルガンだが。

小学校のうちに興味は薄れ、
大人になって大幅に考えは変わったが、
男の子がそういうものに惹かれるのも、よっくわかる。

けど、もうええっちゅうねん。
銃や武器で人は守れないし、戦争で平和はこない。
テロへの戦いも矛盾しているし、
戦闘機いくら買ってもパイロットがいくら熟達しても、
兵器は壊し壊され、兵士は殺し殺されるためにある。
そして、街も人も、大人も子供も老人も、自然も全て。

戦争は子供の脳内だけで起こるのじゃない。
体力があり、疑いやしがらみを知らない若者や、
情報で扇動された大人が、
権力者達に煽られ、鼓舞され、忠誠を誓わされて起こるのだ。

+-+-+-+-

だから、情報を出す側、中継する側は、少なからず責任がある。

子供や若者や(あるいは中年、いや老人まで?)の
そういう「遊び」で済ませるにしたって
実際は遊びと、そうでない部分との境界はとても曖昧でとても難しい。

自己責任で済まないところもある。

まして、万人が利用する電車の吊り広告や
ごく一般的な web サービスのページに無差別に出すものじゃない。

-+-+-+-+

書き出すととても深い。

そもそも軍備や戦争を、良し、止むを得ない、必要悪、むしろ推進、
などとしている人々には、好ましい状況なのだろう。とても。

仕事を失っている多くの人に対して、潤沢な資金を持った者が札束で頬を叩ける状態になれば、ありえなかったことが簡単に起こってしまう。

(物理的な札束がなくとも、キャッシュレスでも仮想の頬は叩けるだろう)

女の子に釣られて戦争ゲームしていれば、
やがて遠隔操作でリアルにドローンや AI から戦闘できてしまう。
(「先頭、銭湯」と誤変換してくれたこの Mac はまだ平和な方だ)

これだけリモートが浸透し、5G が近いとなると
ここから数年が、ほんとに恐ろしくなる。

(加筆有)

たこ焼き

気がつけばこのサイトのカレンダーは、たこ焼きか、イモ虫みたいになっている。

「たこやきみたいやな」は、0対0が続く投手戦を解説した福本豊の名言であり、○に日付という番号が収まって連なるこの状況は当てはまらないのであるが、そこはよしとする。

しばらく食べていない、たこやき。何かの褒美としてたこやきを買い食いした思い出としては、東横線の祐天寺駅前で屋台を出してたおっちゃんの味が忘れられない。あれはスカパーの収録、ケミのキネマ倶楽部だったか。

本場のたこやきは随分食べていない。

芋虫といえば、それを食べるわけではないが、芋を連想させるし、食糧である野菜につくものでもあるので、やはり食に直結している。また、梔子につくオオスカシバの幼虫は、その容姿といい、葉を食べ尽くすスピードといい、破壊力満点だ。

またどうでもいいことを書いているが、SNS を控えようとしているので、日記としてはこうなる。
ニュースで流れない(どころか、今はニュースも SNS の引用ばかりじゃないか)、ライフラインに直結する情報を思えばやはり SNS は重要だが、こちらから発信する意義はあまりない、とふと気づいてしまった。

気づいても何もいえなくなる。気づいたから何もいえなくなる。つぐむ。

twitter はその名の通り、鳥のさえずりから来ている。鳥は本能で囀る。それが止むことは、なかなかないんだろう(でも、やはりあるのだろう)。うまく人間の本能を利用したサービスだと思う。

野球解説者が喋り続けること、人がたこやきを食べ続けること、芋虫が増え続けることも、そういった慣性の法則に由来しているのだろうか。

かんせい・関西の法則。失礼つかまつる、ここは閑静なり。


で、そんなことは本っ当にどうでもいいのだ。

下弦の月になったので、次回新月の配信予告

タイトル:未定
内容:複数候補にて未定

なれど、1候補として “Loft & Found” というのを作っています。

yoroshiku

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