火星にどんどん近づく月
…
十三夜から満月まで
そんなことを思っていたが
火星自体が地球にどんどん
近づいていたとは
もっと綺麗に見たいと思い
ダメ元で写真機と三脚持って
畑に行こうと外に出たら
空は曇った
ハクビシンと会えると思ったのにな
落花生を啄む姿は
火星人との遭遇と
おそらく違わない
火星にどんどん近づく月
…
十三夜から満月まで
そんなことを思っていたが
火星自体が地球にどんどん
近づいていたとは
もっと綺麗に見たいと思い
ダメ元で写真機と三脚持って
畑に行こうと外に出たら
空は曇った
ハクビシンと会えると思ったのにな
落花生を啄む姿は
火星人との遭遇と
おそらく違わない
ほんわかしてるのか、忙しいのか、よくわからないままに「連休」が終わった。
4連休ってすごいよな。例年なら無理してでも旅行に行ってただろう。
今年は行くわけもなく、GO TO なんて信じられず、とはいえ、行きたくなる人の気持ちもわからないでもない… やめといた方がと思うんですけどね。
しばらく前に、漫画版「風の谷のナウシカ」と関連づけての学者たち3人から観たコロナ時代への提案、という趣旨の番組というのをやっていて、最近の NHK にしてはいい番組だな、と思ったのですが(というより NHK は技術もスタッフも超一流なのに、それが地上波の主要な時間帯の報道とかなり落差を感じずにいられないここ数年。だから応援もしたいし、おかしいと思うところは意見もいいたいわけです、これってごく普通のことですよね?)
ともあれとても考えさせられる番組でした。…潔癖主義から(それも、科学的・人工的なものではなく自然農法などの礼賛から)ナチスにつながったというのも…ほんとかな、もっかい見直そうかな
コロナに打ち勝つ証としてのオリンピック、というステートメントにおかしなところがある、というのはほんとそう思います。
知性、という言葉、または概念、難しいですね。
「反知性主義」という言葉をここ数年、よく見ているのですが、僕個人的にはあまり伝わらないんです。
割と賛同できる人たちの意見であるにも関わらず。
知性 = intelligence というのを、僕はあまり信用しきれてないのかもしれません。とても重要だとは思うのですが。
あるいは、AI やネットワークはじめさまざまなものが「知」を侵食し、飲み込んでいくと感じているから、違う世界に行きたいと思っているのかもしれません。間違ってるのかな。
面倒でも対峙するべきなのか。一生の課題としては。
でも、「知性がどうのと言う奴は一番知性がない」というのは、一聴してよくできてるけど、すり替えというか、悪用だと思います。
学者は、知性を扱う人だから、本来知性がどうのと言っていいし、言わなきゃ学者じゃないわけで。
知ること、と、感じること、と、愛、と、それぞれ順番をつける、ロングセラーの物語も読んでるのだけど、それぞれ大切なトップ3、ってことじゃないのかな。
やっと
少し
やりたいことが
できるように
なってきた気がする
まだ遠いのだが
体の中に
備わってきつつある
空っぽの骨組みの中に
あるいは空洞の磁界に
所詮自分って、針金だよな
そんな観察の果て
映らないはずのものが映るとすれば
それは
自分がフレームとして機能するか
だろうか
揺れても
斜めになっても
そこら辺
四角くない世界
論理のない世界に触れられる
消えては生まれる フレームと
その周りに照る
ちょっとしたひかり
それをそだてるも
ほろぼすも
あきしだい。
… that’s my number…
なんか変なポイントつけられて、バラ撒き普及を目論まれてるこの国の個人番号じゃないよ、
1960年代にジャマイカで歌われてたこと。
彼が服役中の囚人番号とのことだが…根本的には同じですよね、人を番号で管理するんだから。
TOOTS & The Maytals のリーダー、トゥーツ・ヒバートさん
あっけらかんと歌われるリディム、衝撃的であり
その力の抜け方が、マーリーともまた違って最高だった。
Funky Kingston もバンドのグルーヴから音から歌から宝物だったな。2000年代に復活したときのアルバムは音が元気すぎて聴き込めなかったけど、一度でいいから観たかった。
家族に看取られての最期とのこと。ファンの端くれとして、ご冥福をお祈りします。
当時、影響を思いっきり受けて作った「あやまるロック」というのがあるのですが
前世紀の京都でカセット MTR 多重録音したのと、2006年に渋谷で田中慶一、中村翔くんとのトリオでライヴしたのみ。
ほぼ未発表、モタモタしてたら、彼が逝ってしまった。
全くトリビュートにならないと思うけれども、近々 soundcloud とかで公開しようか、いや、せんほうがええのかな。
「相互監視と台本」シリーズはあと数回続ける予定だが。
皿の大きさ、というのは、目玉焼きに合わせて皿の大きさは決まっているのだろうか?
という今日の切実な疑問。
下弦の月になってしまった。
次の新月の配信は、もちろん予告していた通り
「るいをよもう」です。
去年の夏頃からライヴでやりたかったのだけど、シンプルだけに難しくて
結局まだ一度も人前で演っていません。
どんな感じになるやら。
ジャケットのイメージその壱を。どこやねんここ。

ひどい、日本の報道。
ますますひどくなっている。
国政選挙、都知事選挙などの期間中報道は「公平性」の名の下に激減しているにも関わらず、国民に投票権のない自民党総裁選については連日連夜報道する。しかも勝者は最初から確実視されている。
国民に「ご理解いただく」= 現状を変えることはできないと無力感を与えるには、最高の方法かもしれない。
この方法はこれまでも、日本社会のいろいろな局面で行われてきた。戦前はもとより、戦後もずっとそうだったと実感している。
繰り返し、同じ話題を流すことで、おかしな事も既定事実、真実のようになる。内容よりも、映るものが有利になる。
今年の長崎原爆の日で、首相記者会見での質疑応答が台本通りだったことがカメラに晒され、「問」「答」の映像やスチルが出回ったのはつい一月前のことだ。
呆れ果てた話だが、これはこの日だけの事ではなく、また国政に限ったことでもないだろう。でなければ、もっと大きな問題になっていた筈なのに、偉い大人はみんな身に覚えがあるのか、平然としている。
尤も、カンペだった衝撃以上に、その答弁内容にツッコミが入るべきなのだが。
報道は権力監視が目的、と言われているが、歴史を少し見ればわかるように、もともとは民衆を統制する目的で整備されたものだ。TVには貴重な電波を使っているわけだから、当然ここにもシナリオは存在する。
各社各チーム、現場の判断や、より大きな倫理なども存在するだろうが、戦後75年を経て、報道の恣意性は異常だ。もっとも反対の視点では、5〜6年前から「報道の自由」は「制約」である、とされ、公平は偏向であるとしてコントロールしてきた成果がこれなのだから、全く噛み合わないどころか、治りそうもない。
となると民衆は、報道が何を監視しているのか、何を統制しようとしているのか、報道や公的なものを監視し、疑わねばならなくなる。これも相互監視社会…
ずっと異常だったものが、コロナ禍によってやっとまともになった面もあるのに、一気にアクセルを踏んできた感。
自助や共助とは、国から自らや地域を守る、という意味で解釈せねばならぬのか。
こちらはこんな事を感じ取ると、何度もお腹が痛くなる。毎日過ごすだけで健康不安になる説。
何も考えずに済むなら、楽だろうな。
きっと、誰も同情なんてしない。みんなそうだもんな、恐らく。
同情いらないから、ちゃんとしましょうよ。
こんな報道で育つ次世代が、可哀想だよ。
Gary Peacock が亡くなった。
この気持ちはとても書き表すことができないので、
僕の人生を決定付けたアルバムを。
Gary Peacock, Art Lande & Eliot Zigmund / Shift In The Wind
最初に聴いたのは彼のペンによる Last First。
知人からのダビングカセットを聴いたとき、
時間が止まり永遠になった。
その後アルバムを手に入れ、ずっと聴き続けた。
冒頭の So Green は Art Lande の曲とされ、
コード進行などは Last First と類似形だ。
どちらがどちらに影響を与えたのかわからないが、
共に僕の中では、Gary の代名詞のような
何ものにも替えがたい、音楽。
僕はスポーツ全般に疎く
自分の運動神経のなさも相まってなかなか興味を持てない。しかしながら
藤川球児の引退を知ったのはやはり事件である。
彼はたぶん僕が最後に好きになった野球選手で
彼とサッカーの乾貴士(高校時代)がおそらく…な…スポーツ選手だろうか。
なにせここ10年以上野球を観ないようになり、阪神ファンであることすら忘れてしまったのである。
しかし今でも、オレンジ色のものを見ると、ふつふつと思ってしまう。
たとえば AKG の K712 Pro ってヘッドフォンがあって、音は最高なのだが、なんでフレームがオレンジやねん… ゴールドか黄色やろ… てな具合だ。
球児はどこか親近感を持てる風貌であり、しかしながら、まだ実績がない時代から
発言がでっかく、また華奢な体型に似合わぬ太い、掠れたいい声をしていて
その辺羨ましいなぁ、と思っていた。
実際生で見る機会は逃したのであるが、いつも画面であの直球の伸びと空を切るバットに
痺れていたもんだ。
引退会見で久々に姿を観たが、相変わらず…痺れること言ってくれるぜ。
ありがとう。本当にお疲れ様、でも250セーブ、目指してください!
この人が名球界に入らないで、どうするんだ、と思う。
例の首相の退陣発表について
とても作為的な流れを感じたが、お涙頂戴の中に、改憲への執念を潜り込ませていた。
それは求めてられていなかったんですよ。あなたとなんとか会議以外には。
発表された病状はお気の毒であるが、それはこれまでの数々の疑惑と虚言、そして行ったことを帳消しにするものではないので、有耶無耶にしないでください。マスメディアご一行様。
裸の王様は
最後
同情という衣をまとい
去っていった
衣は仕立て屋が
一月かけて縫い
半日で仕上げ
ムネンの生地と
差し出した
今度は誰も
裸と言えないように
まじないを
かけた
あるいは
その中が無垢に見える
衣だった
着せたのは
誰だろう