2022年6月末。
ニュースをあまり見ない僕でも感ずることを記す。
世界の混乱は続き 日本は 戦争経済に転げ落ちようとしている。
3.11 直後からその兆候はあったが、2015年以降加速したその動きは
もう隠す必要もないとばかりにあからさまになった。
先週の日曜討論でも
多くの政党が「骨太で突っ込んだ」論を展開していた。
宇宙・サイバー空間での開発
装備品の製造は中小・零細企業が行う重要な産業
すでに彼らの中ではここまで来ている。
戦時体制と同じことを、当然のように言う。
あり得ないことも、画面の両側から言えば、国民はなびくだろう。
古典的な連携プレーだ。
こういった言葉から読み取れるのは
「最先端分野」企業と学術機関
「中小・零細」企業と労働者
これらに軍事関連の利益誘導をする
つまり依存させ、反対できなくするということだ。
原発利権、オリンピック利権、改憲 CM 利権に続き、
露わになってきた、戦争経済のシルエット。
この国の大人たちが、とても情けない。
「すべての武器を楽器に」
喜納昌吉さんの言葉である。素晴らしい理念だと思う。
だが。
一旦戦争になれば。あるいは戦時経済体制になれば。
楽器メーカーも軍需工場と化したのがこの国の歴史なのだ。
あるいは世界的にもそうかもしれないが。
卵と鶏の話ではないが、戦争を防ぐに正解の順番はない。
片方に戦争をしたいものがいて、また戦争で大きな利益を得るものがいる。
あるいはそれをただ弄ぶもの、おこぼれにあずかるものがいる。
それらは常に あらゆる瞬間に 蜷局を巻いている。
平和とはお花畑の妄想ではない。
(そもそも花を育てるのは、愛情と精魂と手間隙のかかる大仕事である)
この世で、戦わない、ということが、どれほど難しいことなのか。
「相手は言うことをきかない、軍備には軍備しかない」
それは違う。何十回も交渉し、手玉に取られた政府が言う言葉ではない。
国民に対するすり替えは通用したとしても、
交渉力のないものは、必ず負ける。たとえ技術や軍備を持っても、仕組みで負けるのだ。
ロシアや中国の軍拡は愚かなことだ。それはアメリカも同じこと。
一方、それは戦争の恐ろしさをその身で
知ることのない支配者の愚かな性でもある。
「戦争に勝った」者は
それに気づかない。
第二次大戦終了までの日本がそうであったように。
大日本帝国が勝ち目のない戦争に転げ落ちていった
あの道
とても似た道を今の日本は辿っている。
僕は戦争体験者ではない。が、もはや本当の戦争体験を持つ方々の多くが世を去り
いろいろなことがリセットされようとしている。
「戦争せざるを得ない事情があった」
そういう空気だった、逆らえなかった、
逆らったら村八分にされ、投獄され、やがて殺された。
誰が悪いわけでもなかった、国際事情だった、
そして誰も責任を負わなかった。
国中が焼き尽くされ、原爆を落とされ、
火炎放射器で人々が焼き払われても。
若者は麻薬漬けで軍艦に体当たりをさせられ、
兵士は何の恨みもなかった筈の人々を虐殺し、その数を競い合った。
飼い犬まで爆弾を背負わされかけたという。
すべてが狂っていた。
そんな戦時中が、再現されようとしている。
まだ間に合う。
世界を間違った方向に導くな。
みちびかれるな。
Don’t be the lemmings, packed into metal boxes.
みらいは、そっちじゃない。