9.11です。
WTC で起こったこと、そしてその後世界で。
あれはとても大きな、日本に居た僕自身もいろいろな物の見方が変わった日でした。
というより、その日をきっかけに数年かけて大きく変わっていった、といった方が近いです。
が、今日は別の日の事を思い出したりしていました。
フランスで、バタクラン劇場で起こったこと、とその数日後の拙文。
サルビルサ 〜 スズキコージ氏の作品にちなんで
今、思い出さなければいけないことの一つのような気がします。
9.11です。
WTC で起こったこと、そしてその後世界で。
あれはとても大きな、日本に居た僕自身もいろいろな物の見方が変わった日でした。
というより、その日をきっかけに数年かけて大きく変わっていった、といった方が近いです。
が、今日は別の日の事を思い出したりしていました。
フランスで、バタクラン劇場で起こったこと、とその数日後の拙文。
サルビルサ 〜 スズキコージ氏の作品にちなんで
今、思い出さなければいけないことの一つのような気がします。
満月ですね
月見、というわけでもないですが
今宵はときどき、そらを見上げます。
最近は月をみないとか書いていたけど
曇りの夜が多かったからなのだろうなと
思って外に出たら
あれ、一体どこへいったのやら。
まぁいいや
Moonlight という昔の絵画のようなレコードと
Moonlight sonata のピアノを聴きながら
朝の音楽を思う
九月ですね
三日月がすぎ今日は半月が訪れる
やがては満月 また半月 そして二十五日に新しくなる
アプリで J-Wave を聴く
ベルトリッチの映画、最後の老人の、腹話術のような台詞の話。
Paul Bowles の原作はこの秋に読みたいな。
この映画の7年前 Sting が書いた一節がずっと頭にひっかかっていて
… Tea in the Sahara という曲だけど
この曲は捉えどころのなさのおかげか、かれこれ40年近く頭のどこかで再生されている。
まあ、かの人はこのあたりの詩作の背景を、「言葉遊び」と片付けそうな気もするけれど
(そしてそれを否定もできないが)
意味がわからないながらも、それは形を変えて自らの近年の謎ボックスにもなっている。
謎ボックスとは…なんというか、巾着袋みたいなものだ。取り出したり、忘れたり。
残念ながら、僕の頭上には Sheltering Sky より、ずっと低い屋根が常にあって、
「そら」はその向こう側なのだ。遥かに。
だからこそ一昨年は、異様に月に執着していたのでもあるが
今年はどうやら、月を見ることすら難しい。
正直、時間が惜しいのだ。
いや、時間との付き合い方が、もうわからなくなってきているのかな。
昨日。駐車場に向かうとき。
青空の下を歩きながら、ここは4次元?と思う。
3D+時間が4Dなら、僕らの生活って常に四次元じゃん?
三次元なんて、ほんとにあるの?
たとえば奥行きがなくったって、時間は常に存在するのだから
2D+時間だって、
モノラルの音声だったら1D+時間だって、いつも存在してるやん?
とふと思ったのだ。
秋の虫が、また鳴いている。彼らはどうみているのだろう。この世界を。
先人たちの鋭い弦、柔らかい声やシャウトにおののく。
フライパンがあと三度乾くころには秋。
嘘つきは政治家のはじまり、というぐらい。
うそも、取り繕いも、できない約束も、したくないものだ。
だが当人、八月中の配信は未遂におわる。無念…
布谷文夫さんや大瀧さんがどうして「悲しき夏バテ」なるレコードを作ったのか、そしてそれがどうして11月にリリースされたのか、今もって謎だが、制作中はやっぱ…夏だったわけですよね?
ということで、九月がきます。いい あきを。
八月も後半に。
例年の如く、悲しき夏バテ(このアルバム知ってますか?)、だが3年目のコロナの中、頭は冴えている方である。
いや、たぶん気のせいだろう。
ドレッシングをじっと見つめても、これがドレッシングであり冷やす必要があると気づかない、
そんな、ラビットホールに落ちた箒星。
相変わらず古いレコードを聴いています。が、聴きたい音楽、好きな音楽(曲)に限って、配信されてないことが多いです。
いろいろな理由は考えられるけど
知られていない
配信するメリットがない
許可されない
なお知られない
興味持つ人も聴けない
そんなスパイラルで地に潜っていく音楽。
著作権などクリアするには結構な手続きが要るだろうし(例えば1970年代にレコードを作る時点で、それが50年後に「ネット配信」というわけのわからん形態で届けられると誰が思うだろう)
その手間をクリアするだけの見返りがあるかというと
おそらく、あまりないのだろうし
というより、ほとんどないだろうし
でも、こうして 知られていない音楽はますます知られなくなる。
そしてそういう中に、素晴らしい音楽がたくさんあるから(僕にとっては)
どうしたらよいのか、よくわからなくなる。
僕がたとえばレコード会社の人間だったら、結構毎日悩んでいるだろう。
宵の口、湖畔まで散歩。
ワイヤードの air pod… 要は標準の iPhone イヤフォンで聴くベースがいい感じ。
頭上には今も数羽、燕がいる。あと、もっと小さい、少し頼りなげな鳥も。
帰り際、月に被さる月の雲をみる。
こんな感じか。右がほんもの、左がくも。
説明せずにわかった人はすごい。
帰宅しいつものヘッドフォンで聴くと、さっきの曲はベースがでかすぎて滅茶苦茶だった。
でたらめを びだんにしたてる つきのちから
ミックスし直すのも疲れたので、全部弾き直してから寝た。
久しぶりに弾く4001、やっぱこの時が一番楽しいや。
8月6日。夕方になってしまったので、新しい曲についてはまた明日の朝にでも。
家に蟻が大挙するこの頃。何が目的だろう?
たいがいの虫は、蛾でも蜘蛛でも、芋虫でもカタツムリでも
捕まえては外へ逃すのだが、彼らを生かして捕まえることはできない…
7月最後は日曜日。今日も暑かったですね。
静かなうちの周りでも何度も救急車と取締まりのサイレンが鳴ってて
どこがサイレントやねん
いつまで経ってもダジャレから抜けられません。
さて来月は、1曲と8曲を、公開&再公開できそうです。
毎年8月はかげろうのごとしですが
今年はがんばるぞと。
よき夏を皆様も。
– 9時間遅れの Sunday Radio でした –
ネットに対してひねくれた使い方を続けている
こちらは普通のつもりなのだが
すっかり少数派になり、あるいは絶滅危惧種になってきたようだ。
そう思わされてるだけかな(?)
多様性なんて口先だけで、今日も画一化は進む。
均らされていく、たぶんどこかで、人をブルドーザーでならしても罪悪感を感じない人たちが
目に見えない乗り物に乗っている。たぶんいつの時代も。おそらく。
そんなので、ネットのアルゴリズムのリコメンは半信半疑で、そこから寄り道を繰り返してる。
便利は不便、だが実体はいつまでもここにいてはくれない。
いつか、返さなきゃいけない。せめてこの空間、数立方メートルをちゃんと残したいのだけど。
乾燥ミジンコ。種子。文字の羅列。音符と隙間。はだざわり。
Bob Dorough がどんな素敵な音楽やってたか、少なくとも僕はしってるし
これからもっと知ることになる。そんなふうになれたら、いいのにな。