カテゴリー: libre

silent charger

世界一の大富豪が所有する Twitter かぁ…

金と力のあるものがすべてを掌握する世界。
それがみんなの求めているものなのでしょうか。

「自由」は、快適な飼育環境、というだけのことか。

再びあまりテレビを観なくなったのですが
ちょっと前に良く観ていた番組も、無論手放し称賛ではなく
いろいろな見方ができるな、と思っていたからこその興味でした。

たとえば「カムカム・エブリバディ」は
どこまでいっても米国上位なんですよね。

戦争、ラジオ英語講座、運命のアメリカ人男性、ジャズの本場、ロックフェラー、ハリウッド、ベースボール。

“how much?”

「はっぴゃく」

というやりとりが、面白かったけれども。

そして、ほぼ完璧に回収された数々の伏線、すべてを知ってるのはウィリアムっぽいし。

まぁ僕的に一番心残りなのは「ガラスの仮面」がどうなったか…
これはメタフィクションもかなわない、現実ですね。

それから DCU にしても…あれはちょっと脚本が大雑把だった気はするものの楽しんだのですが

ロシアを仮想的にするあたりは、タイミングなのか何か、意図も感じました。


今日も不思議な場所でヘリを見る。何の訓練?

ベルリンの壁崩壊以降の世界。それが逆戻りするとは思ってもみなかった。

無力を感じると共に、YouTube でドイツ人やロシア人、いろいろな音楽家の映像を観る。
それぞれ素晴らしい。人間の大きな力。音楽の力。

しかし音楽と戦争はけして無関係ではなかった。力と、無力。

YouTube だってあまり観たくはない。冒頭に綴ったのと同じ理由。情報と勉強と娯楽を与えられ、池で泳がされ、飼われている。
かつての3s政策からあまり違いはないようだ。
トルーマンがゲイツになり、ジョブスになり、マスクになる。あるいは、「お互い」に。
この流れの中で、賢くなりたいか、成長したいか、楽しみたいか、それとも。

一体どうなんだろう。ときどきそういうものが本当にどうでもよくなる。それが正常だとも思う。

でも、ときおり、こんなことを考えて、シャッフルしているのです。

new moon may

新月だった一日は

色々話し合い。

手首の使い方を見直す。

楽器を本腰入れて探求することに。

グロッケンをある形に – 別途おしらせを。

そんなはじまりです。

marine sauna

週末になるとこのサイトも賑やかになって

といっても SNS とは違い、ただ訪問してくださる人や
あるいはロボット巡回が増えるというだけなのですが

それでも、何かしなきゃという気にさせてくれます。
それっていいことの一つでもある。

今年は見ての通り、全く表の音楽活動はしていません。
裏では今までになくやっているのだけど、それはまだ書いても仕方ないこと。

その代わり、新聞記者を見倣って、毎日日記を付けています。
いつまで続くかはわかりませんが、とにかく年の三分の一に到達しました。

それから酒をやめて七ヶ月。案外続くものです。
とにかく IPA ビールがないとやっていけなかったのが
朝のコスタリカ・コーヒーが何よりの楽しみになりました。

相変わらずインドアだけど、気分だけはマリン・サウナです。


* いや、八ヶ月でした。

湖のように

一向にかたちにならない

ものを

それでもある形にする。

そこからだ。

まだまだ遠い 近くて遠いわけだ

水のように

抜・バツ・テリー

メモをすれば安心、ということがある。

いくらメモをしても、実行しない、ということもある。

iPhone の Reminder の使い勝手の不思議さ(悪さ)に参りながらも
今も時々、頑張ってメモを打ち込んだりする。

…その直後にメモが消えたり、指定した時間が変わったりするので
ほんま、Apple のアプリって永遠にテキトーだなーと思うのであるが…

最近、何度も to do に記録しては
実行を先延ばしにしていることに

『電池外す』

がある。

何の電池かといえば、当分出番のないアクティブのベースの内蔵バッテリーだ。

ライヴ、それもツアーやフェスの用途がない限り、アクティブのベースは使わない。
電池を抜いてもパッシブでいい音がするし、液漏れしたら大変なので、さっさと抜け、ってところだ。

ところがそれがどう億劫なのか、いくらメモしても忘れてしまう。
先日ようやく、五弦のを抜いたところだ。

もう一つ残っている。思い出のありすぎる四弦だ。
エピソードがありすぎて、ケースから出すのも億劫なのだ。

ここでこうやって綴っている間に、抜けるはずなんだがな。

中で食べるべきか外で食べるべきか

SNS をやめると見事に世の中のフローから取り残されるので
日本の音楽界隈が今どうなっているのか、皆目わからず。

しかし一方、情報を遮ってつくづく感じるのは
シーンとは作り物 = 良くも悪くも集団幻想なので
それに乗るもよし、乗らないも吉ってこと。

手が届く範囲で、何かが起こっていれば、それがいいんだと思います。
古くても、新しくても。

とはいえ、知り合いの日記を読むと、驚いたりしますね…
思い出深い場所がクローズしたり、店の形を変えたり、すると…

熊本の TATOMIYA。ここも大変お世話になりました。

サンドイッチは美味しかったし

マスターは「トーキンブラザー」を気に入ってくださったし

flexlife に便乗して変わった演し物もさせてもらえたし…

で、なんといってもこの空間がいいんですよね

グリーンの場所にとにかく弱い拙者。

自ら訪れることは、もう九分九厘できないけど

近くの方はぜひ、まだイートインできる間に行ってくださいな。

パーティーは5/8だそうです。詳しくはこちらで。

detour

こんな雨の日曜は気兼ねなく家に篭る。
昨日出かけてよかった。

写真を撮る。IKEA のお気に入りの色のスタンドが活躍する。
安っぽいクランプで足元が覚束なくアームも動いているんだか動いてないんだか。
使い勝手はすこぶる悪いのだが
このターコイズグリーンはすべてを帳消しにしてしまう。

音を出せないときはトランスクライブ。
譜面なんてネットに落っこちてる、と思いますか?

そんなことない。自分の耳で聴きとるのが、遠回りだけどいい。
それが合ってるのかどうか、手元の楽器で確かめる。
弾けるようになるのとは別問題。
だけどやってみると、何かを得る。

近道なんて、ないのです。
たぶん。

モジュラーパッチ ii

身体性を少しずつ取り戻している。

使わなかった動きを紐解き、バラバラな回路を結びつける。

あれとあれって、案外同じ動きでいけるんだな、

こういうのって嬉しい

うみあび

日没後 段ボールをリサイクルボックスに持参しつつ
海にいく。

相変わらず誰もいない。ここが賑わうのは初日の出ぐらいだ。

流れが速く海水浴できる場所ではないし、勇気あるサーファー以外は水に近寄らないのだ。

ふと日本海を思う。
丹後由良や出雲、鳥取砂丘に小浜。魚津。
なぜかアットホームに思う。山地で生まれ湖岸で育ったのになぜだろう。

うち出雲だけは未だに訪れていない。
京都の親戚が数年間、出雲で暮らしていたので、勝手に「いつでもいける」気になっていたが
それが「いつもいってた」にすり替わってしまったようだ。

魚津の駅前がとても静かだったことを思い出す。

静寂のある街って、すごく貴重だと思うのです。

とぎすまされる。

下手な音は出せない。

それって、プレッシャーだろうか。

喧騒に紛れてなんでもできる、っていうのは
それはそれでいいことなんだろうか。

また、「それぞれ」に戻ってしまう。

海はそんなことは気にしない。

four fourteen

ひとつの区切りと勝手に思っていた日。

たくさん、じたばたする。

形にはならない。

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