カテゴリー: libre

flick the finger

Chuck Rainey のインタビューやらを観て気分が上がる。

この人と B. Purdie は人類の宝だなぁ…

すごいな、と思う音楽家や演奏家はたくさんいるけど、

音楽って本当に楽しいなぁ、って思わせてくれる人は

特別ですね。

まぁこの人の場合、この新しいベースは新しい彼女だとか

そんなことも毎回言ってるのだけど


彼らを見てると、「スタンダード」みたいにされてることって、

結局何も残らないんじゃないか、っていう気になる。時々。

きっちり2フィンガーで弾いてる沢山のベーシストより、あのよくわからない1フィンガーで弾いてる彼の方が

よっぽどグルーヴしてるし、楽器の世界にはそんなこといっぱいあると思う。

かといって、フォームなんてどうでもいいんだ、とは思わない。

自分の身体と自分のフォームと、動きと弦と波動が、繋がってればいいんだと

最近はそう思う。トラップにハマるので説明はやめますが、

いろいろ試すべきことはある、ってことです。

エメラルダス…

松本零士さんは反面教師的にも含めて
とても大きな存在だと思い。

ほぼ誰もが影響を受けた、(と僕は思っていた)
「ヤマト」と「999」

ヤマトが描く兵器や戦闘シーン
地球の代表を日本人が担って
こともあろうに戦艦大和で隣の銀河に行くという
敗戦後の日本人の欲求不満を曝け出したようなストーリー

ひどいものだと思います。
平成以降の目にはとても。
それでも子供のころ、夢中になって観ていた。

そこにはいろいろな説得力があったのでしょう。

勇ましい音楽や
気分を鷲掴みにする効果音
映像もキャラも
無駄を省きすぎたコスチュームの女性たちも

ステレオタイプだったけど、つかまれてしまった。

これから先しばらく、ヤマトの再放送が何度もされる気がします。
そして、軍拡や国威に利用されるかもしれない。

松本零士さんがかつて日本人の心を掴んだのは間違いない事実だけど
これからの捉え方は、すごく気をつけた方がいいな、と僕は思っています。

でも、彼の作品はヤマトだけではない。

999に込められたメッセージはとても深い、と思う。

それは、話が勧善懲悪みたいなものではないから、よけいにそう感じる。

残念ながら、メガロポリスや機械化惑星で描かれてきたことは
現実になりつつある。

それはマトリックスやTHX1138や、たぶん沢山の作品で描かれたこととも
共通しているとは思うが

AI と監視カメラ、マイナンバーで完成に近づく超格差、超管理社会。

家畜として飼われる生身の人間は、やがて狩猟され、採取され、養分のカプセルとなる。
あるいは「ネジ」となる。

コロナの中で、シラけた民意を無視してオリンピック開発を進めたトーキョーには
それがダブらずにいられない。

申し訳ないけど、3年近く東京から離れていると、冷めた目でそう見えるものだ。

メーテル。

永遠の女性、みたいなシンボリックな人だが
この界隈は「メーテルは筋が通ってないから、あかん」という評価だ。

エメラルダスがいい。

と、いつになくエメラルド色の湖を眺めながら思った月曜日。
氏はエメラルドが緑色と知らず、彼女のテーマカラーを赤にしたらしい。

あまり人気のなかった「千年女王」を、十年ほど前に観たのだが
あれが結構面白かった。

何が面白いって、政府や科学者たちの隠蔽っぷりだ。現実と物凄い既視感なのだ。
そして、雪乃弥生の姉のセレンが、かっこいいのだ。

あのラーメン屋の娘さんは、やがてプロメシュームになってしまう。

作品同士の繋がりがコロコロ変わったり、死んだキャラがすぐに生き返ったり、
かなりはちゃめちゃだったが、松本零士ワールドは
これからも生き続けるのだろう。

僕らにとっても、教師であり反面教師であり続けるのだろう、と思う。

ハーロックや古代進には憧れないが、トチローはいいなぁ。

棚渡り

しばらく録音から遠ざかっている。

悪い癖で、興味が他にポンと飛び移ると、戻るのが億劫になる。

途中のものが何曲もあるのだが。

だが、ポンと飛び移った先はとても直接的で、意味があって

これを踏まえてまた録音できれば、その方がいいだろう。


モノに執着があまりなくなり、断捨離しまくっているここ数年とはいえ

長年貯めた書籍やら書き取った譜面やら詞やら

もちろん作ったそれらやら

かなりの紙が本棚やら押し入れにあり

これらをどうすればいいんだと途方にくれる

記憶に入れてしまえばそれでいいんだと思う。

頭に入ってないから紙のままなのだ、とすれば、とにかく覚えて捨ててしまえばいいのかもしれない。

なぜなら、それらの大半は、ずっとやりたいことであり、

要するにずっと、自分は進んでいないのだから。

BANGA ふたたび

「ちゅう」さんという方のツイートで知ったのですが

Patti Smith の、2002 Fuji Rock Fes での MC より。

素晴らしいです。20年を経て…

なんだっていうぐらいひどすぎる現実に。改めて深く入ってきます。

思い返せば、10年前に自分も、金沢に旅したことから 彼女の凄さを知ったのでした。

そこで読んだ インタビュー。今でもこのページは消されずに残っているのですが

読み返すと、改めて、深く、大きく、力強い。

しかも彼女、最後の方でこんなことも言ってたんですね。

このままでは、常にマスクをしていないといけない時代が来ます。そんな生活、誰も望んではいません。きれいな空気を吸う生活を、誰もが望んでいるはずです。神様が私たちに与えてくれた恵みはパソコンではなく、新鮮な空気なのです。神様が私たちに与えてくれた恵みは車ではなく、きれいな水なのです。

Covid-19 はさすがに予言されておらず、ここでイメージされた「原因」は、大気汚染によるものだったのですが、コロナが先に来たとはいえ、並行して汚染も公害の隠蔽も続き、しかも戦争も起こっています。

清志郎さんといい、なんで一流のロッカーって、こういうことが見えるんだろう。

というか、彼ら彼女らは、普通の感覚を持っている、ということじゃないだろうか。

本当はみんな気づくのに、その後。

惑わされる。怖がらされる。流される。ノイズとして除去される。ガスを抜かれる。

そんなんばっかり。そんなことばっかり。嘘ばっかり。誤魔化しばっかり。

でも、改めて、思うね。やっぱり。

塗り潰した 明日に 君の夢 放り込めるかい

from Camera Obscura / stillbeat

だましあう指

今年の冬はいつもよりも指先が切れるので

指板を扱うのが辛かったりする。

絆創膏をするわけにはいかないし

ハチミツ油を塗ったり、微妙に押さえる場所を変えたりして

だましだまし

右指もそうなのだが今年は

大小のアルコと親指弾きに集中しているので

2フィンガーの辛さを体験せずに済んでいる…そんなわけがない

ピチカートに戻ると一気に指にくる。ましてエレキベースの2フィンガーならば。

4月までにはフレットレスを戻したい。その他にもいろいろミッションがある。

オフレコ

なんでも雑多に書いているこのサイト、昼寝ばかりの音楽家にしてはアクセスが多いのですが、

その大半はボットかもしれず、たまに改竄警告も出たりするので、余談は許しません。

改竄といえば、ここは当人が公開済みの日記の言葉尻を変えたり、誤字を直したり、加筆したりするので
常習犯でもあります。国や組織がやっているのか? っていうぐらい、往生際の悪いサイトです。

今日は朝から(昨夜寝る前から)近畿で起こっている、認知されつつある「公害」の情報を読んで
気が遠くなっていました。

これ…組織側の対応が、ここ10年ほどの政府と、そっくりなんですね。
そして責任転嫁のたらいまわし。数年単位で物事が進んでいっても、ウォームギアで動いてるんか、っていうぐらい歩みが鈍い。それでも進んでいるのならいい気もするけど…

被害者の体調や、子どもたち、これから生まれてくる赤ん坊たちを思えば、そんなことできるわけないのに、
それでも、汚染物質を流す側は、自分たちの身を守るために住民に何も知らせず、欺き、また反対できないように懐柔し続けるんですね。なんでこんなことばっかりなのだろう。


SNS を復活させて2ヶ月がたつ。だいたい想像はしていたが、現在の Twitter の情報格差は、すごいものである。
すでに可視化されているけれど、とにかく、読まれない。

大きいものはますます大きく。小さいものはぎりぎりまで小さく。コントラストに富んでるね。
竹中平蔵がそっちの方がいいって、もう30年前から力説してて、その通りに日本を動かして、その通りになっちゃって、もう戻れないっぽい。まぁ日本だけじゃなく、グローバルでみんなそうなってるっぽい。

だけど、僕としては30代終わりぐらいから、そういうのが面白くなくなって、以来ずっと、この世界おかしぃって思ってる。これ、つまんなすぎる、嘘くさすぎる。

その中で本当のことって、なんかと思えば、音楽もそうかもしれないけど、音楽はある意味究極の嘘だし、アートもだし、そうなると食べるものしかないのか? とも思う。

で、その食べるものが嘘の塊だったら、やっぱ、人間、それぞれの人生、嘘でおわっちゃうね。終わってまう。

ラウンドアップとか PFOR とか、ほんと、どうにかしようよ。

あ、違う話か。

サイコキネシス

念写がしたい…

いい写真をアップする人々が、羨ましくないわけではない。

俺もひとつ(ふたつ)間違っていれば、この日記だって
いつもいい感じで写真やイラストを添えていただろう。

ものごとってすっかり、億劫になる。ふとしたきっかけで。

インスタはやらないけど、スマホで写真を撮らないわけではない。

パンとか、木とか、雲とか(うまく撮れない)

スマホを掴んだ時に写されたらしい、たくさんのスクリーンショットとか。

でも、ねえ。

いいカメラが欲しいなんて思っていたのは過去のこと。
すっかり諦めた。自分も基本、写りたくない。

イメージだけを写したい。念写したい。

konoyuki

2023年1月を振り返る。二度と帰ってこないこの月。

悲しいことも、楽しいこともたくさんあった。

中旬。目に焼きついているのは三重の山間の光景。鋭角的な峰と川縁。

Spectator の揃った本棚。好きで僕も数冊買い溜めたけど、知らない号の方が大半。

ハートにささる、悲しくなったね。

だけど、何をすべきか、いや、全くもってやり足りないし、追いつかないけど、

やっていかねばならんかは、感じさせてもらってる。

コーヒーとカンパーニュ、最高の時空間と、ルーツへの旅。


年始に遡って。今年はまた楽器に向かってる。

昨年、正直ほとんど触らなかったベース…たまに録音に望んだぐらいで…に

今年は元旦から、真面目に向き合ってる。ことにダブルベースはゼロからやり直しているところ。

そしてアイリッシュフィドル。やばいぐらい楽しく、勉強になる。

人前では Taylor のアコースティックベースをメインにしている。ポーズだけじゃなくちゃんと。
どうせ誰とも違う形でやるのだから、これまで会得したベース奏法を、束縛なしで進めていこう。

…今月は一度もドラムに触れなかった。ハイハットも、直ってきたキックも。


そして下旬。二度と人前で演奏しない、と半ば決めていたのだが、

誘ってくれた人の人柄か、ベースでの合奏と、自分の演し物と、両方させてもらった。

演し物というより、「流し」ですね。

ここへ来て、自分に必要なのは、どんな大きなステージよりも、見知らぬ人の中での「流し」ができることだと思っている。

まだできない、ということもわかっているが、それでもそろそろ、やってこう。
ストリートにいれない誰かの、どこかの部屋の、流し。リクエストを受けない、変な流し。

アンサンブルってなんだろう、バンドってなんだろう。
昔あのとき、バンドの彼はどうしてああ言ったのだろう、なんかそんなことが色々、
ここへ来て、腑に落ちてくる。

一人と、人と。

二日前は半月だったんだな、と思う。

列車で遠くにいくことなんか、これからあるのかな。わからないな。

パンジュ・アーブ

元旦に作った音をどうしようかシアン。

こんな感じかなとチカヨル。

いつでも、地下は昼。

昨日の夕暮れはリアルにライムでバトルしてる娘さんを見た。

その場に入ってよかったんだろうか。

たぶん、よかったん。


カタログって、幻で、

並んだケーキも、幻で、

そう、絵に描いた、もちっこで、

うさぎの雲が、きりとられてく。


今日は空はただ青く

誰もいないかのように

みんなそこに、空のそこに、身を潜めて、さわいでる。

ミュンヘンの、ビヤホールのように。

パンジャーブ地方のように。

5つの、水を、わけあって。

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