灯台下暗し 二〇二二

は〜 誰が呼んだか 俺の人生

…ダダダダダダだダダダダダだ

だるっまじんせ〜い

大学時代の同級、マリヤマコージ氏の代表曲、「達磨人生」である。

ハードロックからボサノヴァ、3連のフォークと
自在な活動をしていた彼らのうち、二人とはもう遭えないというのは
時だけのなせる技だろうか。


自分の人生は何か、と思えば、

灯台下暗し人生

に違いないだろう。見過ごした たからものたち が

自分そのものを形作っている。

本当の宝が何なのか、それはこれからも見つけては過ぎ、見逃しては過ぎるだろう。

あともどり / りどもとあ

のオートリヴァースを繰り返すかもしれない。それはわからない。


日常レベルでの灯台下暗しは酷くなる一方である。

本日の出来事 その壱

用件がひと段落し、段ボールと古書籍を束ね、車に積んで「こしのえき」に出かけた。

ご存知ない方のために、これは段ボールを食べてくれる24時間ステーションである。

最近、いつもと反対方向に こしのえき を見つけたので、これ幸いとまずはそちらに向かう。

次に、買うのが億劫だった工具を買いに、DIY 店に出かける。反対方向だ。

DIY 店の駐車場の入り口スロープ手前の信号で、あることに気づく。

『いつもの こしのえき』は、この DIY 店の駐車場にある。

なんでわざわざ、別の こしのえき に行ったのだろう?


その弐 は楽器に関することだが

これに輪をかけ ばかばかしいので 記さない。

記してたまるか だまるは達磨人生也。

gi

こおろぎ に ねぎ

何故打楽器には「ぎ」がつく

撥折れたまま 半年前から座する

かえるぎろ に

聞いてみたい わからない

すぴーくす

どんなにヘッドフォンでいいと思っても

たまのいいスピーカーでいいと思っても

カーステでいいと思っても

iPhone のスピーカーでダメダメなとき

なかなか立ち直れないものである

常にそうなのだけど

dochiradarou

来月からを少し構想する。

といっても特にどこに行くわけではない。

出向かずとも、やることはある。

半年間ずっと眠らせていた、

葉の下にあっため 涼めていた虫のような

音楽を少しずつ。

たいしてかわっていないし、おおきくかわっている。

どちらだろう。

みぎわ

今年はあまり燕みぬ

うちもつくらず

散歩も億劫

みぎわの滑空路

すりぬくつばくろ

都塵はつばさにまとわない

そらはだれのもの

うみはだれのもの

大儀は措き

みずのむこうを眺む

淡い水面の彩度を上げる

とびはぜにいとし

轟音にけむり

いく人は

うしろむき

きせい

じぶんはどちらもなき

おときき

あわいみぎわ

とおきをながむ

らいふわーく

詩と音楽

ライフワークである。

言葉はうたうように

うたは話すように

それを実践できるようになるのは

いつか。

が、それは誰でもできていることでもある。

楽器でうたう

シンバルでわらう

鍵盤で泣く

ね?

そうとらえると、音楽はとても広く

世間で言われているようなジャンルなど

便宜上でしかなく、いくらでもひろがる。

どこを結びつけても、どこを忘れても、

それは、こたえ。

觔斗雲に乗り

矢野誠さんと友部正人さんのアルバム。1994年。

のっけから異世界の音と、誰にも似てない声に連れていかれる。
はじめて聴いたのは、鎌倉のさる電気工房の居間だったか。

友部さんとは一度だけ、横浜の三宅伸治さんのライヴでご一緒したことがある。
最後に加わってもらった「はじめぼくはひとりだった」。それまで聴いたこともない声だった。

このレコードを聴いてもそれは変わらず、何度かけても「聴いたことのない声」が再生される。
どういうことなのだろう。

矢野さんとは2000年代初頭に、ふとした縁でお会いした。
六本木のクラブや、木更津の社交場カフェでライヴに参加させてもらい
その後も折にふれ連絡をいただいたり、活動を追ったり。
直接師事したわけではないものの、いつも大きな影響とインスピレーションをくださる。

今回、そんな矢野誠さんのソロアルバムに参加できることになり、録音も佳境の日々。
といってもリモートで、バンドでスタジオ録音された音に、この部屋でベースを加える。
普通と逆というわけです。

矢野さんの音楽はピアノの左手が音を決定づけていて、ベースがどう共存し、絡むかがとても重要。
なおかつ綿密に「編む」方なので、書き譜も多く、隙間も多い。そしてそのラインが。
僕の経験の範囲だが、こんなスタンスで音楽であり続ける人は他にいるのだろうか。

一見不思議な音の並びが、自然に絡んでいることが、何度も繰り返すとわかってくる。
それをプレイで反映できるか。
時間がかかりつつ、やってます。

bottlemail

ポリスの “Message in a Bottle” を
『孤独のメッセージ』
と訳したのはどなただろう。

この邦題は、ギリギリの線かなと思う。
(小生はボンサイ趣味のひとつとして、このようなこと をたまに)

孤独のメッセージ
を英訳して
Message in a Bottle
にできる人がいれば凄いと思う。

これが
Lonely Message
だったらひどすぎるし

Lonesome Message
でもどうかと思う。

– 実際 ‘More loneliness than any man could bear’ と歌ってるわけだが

最近は洋楽の邦題ってどうなんだろうか。
そもそも「洋楽」は死語だろうし
あまりいい曲はマスでは流れてこない。

探ればいっくらでも凄い音楽は出てくるが
英語圏だけではもうとっくに測れなくなっている。

せめて西葡仏伊語は理解したいと思う。
が、あまり時間も残されていない、というのは
日々の課題がこなせてないことから、明らかだ。

おじさんは、たまたま記憶にひっかかった
過去や近現在のものを
ときに考えるのみである。

Carlos Aguirre に
“Náufrago en la orilla” という曲がある。
大好きな曲の一つで、ライヴでも一度インストでカバーした。
この曲も Message in a bottle について歌っていたと思う。
(CD に歌詞カードがあるのだが車に入れたままだ)

それにこのタイトル
「海岸の漂流者」というそのもの、のようだが
確信がない。

というか、現在この曲を含むアルバムは Apple Music で聴けないようで
検索すると代わりに Message in a bottle が出てくるという
不思議。

アギーレさんの最新作 “Va Siendo Tiempo”、
ヘッドフォンをしてるのを忘れるぐらい自然な音。

眠る前にしばし聴く。豊饒すぎて眠れなくなるのが怖い。

鱗粉とらんじすた

最近 Mac の漢字変換がすごい。

昔の「ことえり」から相当なものだったが

たとえば2022年6月現在

「いまーしぶ」

と打つと

「一括償却資産」

と変わる。

これってどういうことなんだ。

確定申告でうんうん唸ってたのと
空間オーディオを調べてたのが
ごっちゃに記憶されているようだ。

AI の進化、増殖は止まることを知らず
吾のごとくテクノロジーの後尾と先頭を漂う
てふてふは
すごいミクスチャーを目の当たりにしてる。

蜥蜴の混合物どころじゃないな。

ガラスをあけたら

サンプリングかっていうぐらい
鶯が近い

Alan Hampton の音楽に
あまりに馴染んでてね

 

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