sometimes…

wrong information causes fight

against each other

wrong information causes peace

because no one can blame each other

sometimes…

wrist

先月末から、左手首を壊している。

活動再開準備とか言いながら縁起でもないが、

エレキベースを弾くには支障ないものの、特定の楽器や日常に、結構支障が起こっている。

僕の場合身体が細いので、パワーやスピードを出すために手首や肘を極端に酷使してきた。

…ということに、壊してはじめて気づく。

いかに自由自在に回転運動を行ってきたか。

あるスレッショルドを超えると痛む手首に、認識する次第である。

と同時に、どこまで動きをセーブできるか、他で補えるかを知るいい機会でもある。

そんなこといいながら、アコースティックベースもほぼ問題なく弾ける。

グラスを棚に入れたり、暴れるエンジンを制動したり、そんなのは厳しい。


身体を痛めるのも考えようではプラスになるもので、

僕が学校で音楽を習っていた頃に手を壊してほとんどピアノを弾く姿を見なかった同期の人が

知らぬ間に米国でバーチュオーソになっていたりもする。

人は、そのときどうだったからといって

決めつけることはできないのだ。誰であっても。

バルトリーニの合う楽器

久しぶりに活躍してくれたので、仕舞う前にお疲れを。

次はいつだろうか。

Lakland のベースは Guitar Center で初めて触った時から
鳴りも音も衝撃的に好きで
なんだかんだ言って足掛け4本使った。

Bass Magazine の企画で曲を書き、その場で借りた 55-94 を CD に収録したことがあるし
(その時もらえればよかったが、そうはいかなかった)
Cさんの Space Shower Live 用に買ったものの、その後のツアーではメンテに出したまま調子が治らず、返品してしまったこともある。
(スペシャ本番での音は、最高だったことは言うまでもない)

その後も一瞬、激しく鳴るのを持っていた。
Aさんのレコーディングに間に合わず、引っ越しもあって手放した。

赤、ナチュラル、赤、ナチュラル。

一番長く持っているこの楽器は、MKさんの収録用に急いで買ったもので
もともとは MINI の車みたいなモスグリーンだった。
だけどピックガードの形が気に入らなくて、その五年後に図面描いて作ってもらった。
オケピの仕事で、誰も観てくれないのに、なんで気にしたんだろう。

その一年後、Oさんのホールツアーが始まった時に、白に塗り替えてもらって、
数年経ってから、それも剥がれてきて(極薄のラッカーだったので)
オイルフィニッシュに変えてもらった。

この楽器に限らず色々とやってくださった愛知の職人さん、お元気だろうか。
また色々お願いしたいのだけど、様子がわからない。

TV にもビデオにも YouTube にも割と映ってるし、Rec でも CM でも。
見た目はそんなに派手じゃないけど、ほんといい仕事してくれる。

Bartolini のピックアップがこんなに合うベースも珍しい。

昔はこのメーカーの PU がどうしても好きになれなかった。持ってた5弦も、友人のジャズベも、知人のジャズベも、また別の知人の… 要するに、素直にいい音だと思ったことが殆どなかったのだ。

とても評価の高い PU なのになんでだろう、いい音しそうなのに、なんでこんなにタッチと出音が合わないんだろう…? と相当悩んだ挙句、Ibanez の MC や Rick や Factor と出会い、そっちに行った。

Bartolini だけは、自分とは合わないんだ、と結論づけてから何年か経って、Lakland だとオッケーということを知る。

なんでだろう。楽器本体の鳴り方と相性がいいのだと思う。それまで他の楽器との組み合わせで感じた、自分のタッチと、欲しいアタックやボディの位相のズレみたいなのがない。Lakland の方がずっと後発のメーカーだし、Bartolini 側でこれをリファレンスとしたわけでもないだろう。不思議な偶然、かもしれない。

プリアンプやEQもいいのだが、前述のように、パッシブでいい音がする。出力は低くなるが、ほんの少しのタッチが、生きてくる。

あとこの楽器、デザインが、かわいい。コントロールの配置や、楕円のブリッジ、カッタウェイの丸さなど。

Dan Lakin やっぱりすごいな。

static station

今日もくだらない駄洒落から

いってみよう

「ハモリ」とメモしようと思ったら

「は森」になった

という R さん

harmony が forest なら それは尊いですね

– KRKX station dajale がお届けしました

安全保障理事会

日曜討論をテレビでやっている。

話が噛み合わないのは当然としても

戦争をやりたくて仕方のない大人が嬉々として話す。

「日本を守る」とは

彼らにとっては、「日本の国家体制を守る」ということだ。

残念ながら、それは国民を守ることではない。

国民の命を守る、ということは

彼らにとっては、前線で戦わされる人を守ることではない。

空襲に遭い、逃げ惑う人を守ることでもない。

これは残念ながら、ずっとそうだ。太平洋戦争も、その前も、その昔も。

未だに歴史物語や大河ドラマでは、人々をコマのように扱い手柄を競った者が

歴史を作ったかのようにされている。

それは何もこの国に限ったことではない。

古今東西、そのような摺り替えが

何故ずっと通用しているのか、不思議でならない。


ロシア、中国、北朝鮮。これらの国名が踊る。

彼らを専制と貶しながら、彼らの体制に倣って自らも軍事国家を目指す。

ミイラ取りは進んでミイラになる。

SDGs、環境保全、人権。温暖化対策。

戦争はどんな題目も軽く握り潰し、灰塵にする。

どうして権力者は戦争を求めるのだろう。「だから」なんだろうか。

彼らにとっては遊戯に過ぎない。あるいは「ドラマ」に過ぎない。

賭博の材料に過ぎない。カジノと戦争もセットになっている。

どうして有権者はそれに乗るのだろう。

そこに気づかない限り、日本はまた滅びます。

次はロシアや中国に進駐される。その時、自民党は掌を返すだろうな。


現在、国連で中国とロシアが拒否権を発動し、という話があったが、

なぜそれができるのか、数秒考えてみよう。

国連の「安保理常任理事国」は

中国、ロシア、フランス、イギリス、そしてアメリカである。

これは、第二次世界大戦の戦勝国だから、である。

そもそも、「国際連合」とは “United Nations” すなわち

「連合国」”United Nations” から来ている。英語の名称も同じだ。

「枢軸国」である日本、ドイツ、イタリアに対抗し、戦勝した組織だ。

日本は、国連の「敵国条項」適用国である。

この立場の国が何を言っても、敵国の遠吠え、三蔵法師の掌。

もちろん、政府はそんなことを知らぬほど無能ではないだろう。

それが分かっていて、国民の支持を得る(欺く)材料にしている。

日本を軍国化したいのはもう一つ、アメリカの軍需産業。

そして、おこぼれで儲けたい国内企業。あるいは部品は中国で作るかもしれない。

そして、人が死ぬ。兵器(「装備品」と言い換えられている)って何かわかる?

人々を殺し、町を焼き、文化を無意味にする道具。

画面観てゲームやってちゃ、わからない。

人間の心を狂わせ、命を奪うもの。決して使われてはならないもの。

もう、作られる前から、政治家も経済界も狂ってきている。


改めて気づかされる。この世界がほとんど茶番だということ。

茶番の中で筋書きをし、波に乗って生きているのが人間だということ。

あるいは、そうさせられているのかもしれない。

歴史とは公平でもなんでもない。差別的視点によってつくられたもの。

気が遠くなる。

だが生きねばならないし、これからを生きていく。

コーヒーケトル

珈琲を淹れるにはある時間の流れが必要

朝なのに夜間飛行のつもりで想像だけ下界を見たり

立ち昇る煙に阿蘇山を思ったり

でも身体をじっとさせて数分もそこにいるのは

結構退屈で 少し別の発想をしてみる

コーヒーはハイハット

コーヒーはライドシンバル

自分の左側にやかんを構えれば前者

右側で遠目に開けば後者になる

そして想像の音楽を刻む メロディはあってもなくてもいい


最近、ずいぶん久しぶりに本を買って

読んでいる。細馬宏通さんの『うたのしくみ』だ。

2014年に刊行されたもので、もともとはそれ以前の web 連載だったという。

内容はところどころ知っていて、その中でもひとつは

豊橋のあるカフェの棚で見つけた「ユリイカ」に掲載されていたので

(しかもそれは2004年のものらしい)

衝撃的に覚えている。

松本隆さんのドラミングと歌詞をテーマに、ドラムとシンバル、ハイハットの歴史を網羅した

その辺りがストライクゾーンな私にはマタタビのような怪文書だったのだ。

木天蓼に恍惚とし、フルカウントで三振した私は

その後ずいぶん経って

「ハイハットで閉じた身体」「ライドで開く身体」

とは何か?

楽器奏者としては未だ一寸納得できないまでも、

これをドラム以外の日常行為、

すなわち「珈琲を淹れる」という行為に置き換え、

液体と点滴、時間のグリッドとそこからの離脱を思ったのである。

報告は以上です。

灯台下暗し 二〇二二

は〜 誰が呼んだか 俺の人生

…ダダダダダダだダダダダダだ

だるっまじんせ〜い

大学時代の同級、マリヤマコージ氏の代表曲、「達磨人生」である。

ハードロックからボサノヴァ、3連のフォークと
自在な活動をしていた彼らのうち、二人とはもう遭えないというのは
時だけのなせる技だろうか。


自分の人生は何か、と思えば、

灯台下暗し人生

に違いないだろう。見過ごした たからものたち が

自分そのものを形作っている。

本当の宝が何なのか、それはこれからも見つけては過ぎ、見逃しては過ぎるだろう。

あともどり / りどもとあ

のオートリヴァースを繰り返すかもしれない。それはわからない。


日常レベルでの灯台下暗しは酷くなる一方である。

本日の出来事 その壱

用件がひと段落し、段ボールと古書籍を束ね、車に積んで「こしのえき」に出かけた。

ご存知ない方のために、これは段ボールを食べてくれる24時間ステーションである。

最近、いつもと反対方向に こしのえき を見つけたので、これ幸いとまずはそちらに向かう。

次に、買うのが億劫だった工具を買いに、DIY 店に出かける。反対方向だ。

DIY 店の駐車場の入り口スロープ手前の信号で、あることに気づく。

『いつもの こしのえき』は、この DIY 店の駐車場にある。

なんでわざわざ、別の こしのえき に行ったのだろう?


その弐 は楽器に関することだが

これに輪をかけ ばかばかしいので 記さない。

記してたまるか だまるは達磨人生也。

gi

こおろぎ に ねぎ

何故打楽器には「ぎ」がつく

撥折れたまま 半年前から座する

かえるぎろ に

聞いてみたい わからない

すぴーくす

どんなにヘッドフォンでいいと思っても

たまのいいスピーカーでいいと思っても

カーステでいいと思っても

iPhone のスピーカーでダメダメなとき

なかなか立ち直れないものである

常にそうなのだけど

dochiradarou

来月からを少し構想する。

といっても特にどこに行くわけではない。

出向かずとも、やることはある。

半年間ずっと眠らせていた、

葉の下にあっため 涼めていた虫のような

音楽を少しずつ。

たいしてかわっていないし、おおきくかわっている。

どちらだろう。