This Here

この diary では

音楽のことも日々の思いつきもテクノロジーも

駄洒落も暮らしや政治や心配事もいろいろ書くわけですが

それは色々なことを想定するからです

アーティストが手の内を明かすべきでないとか政治を語るべきではないとか

そんなことは思わないし

そもそも僕はゼロだし

しがらみがあって何もいえない人の代わりに綴っている面もあるかもしれません

まぁそんなことはないだろうな

だから、人とのつながりも原則、あまり述べません。

そこからどうとらえ ヒントを得てくれるかは

読んだ方次第だと思っています

あまり読者を想定はしていませんが。つまりはただの記録です。

軍備と戦争について、もう311以降ずっと、断続的に考えているのですが

僕が「戦前」という気配を察知したのは、2014年の夏のこと です。

それからの9年を長いと思うか、あっというまか。すぎてしまえばあっという間に違いありません。

権力者は短いスパンで物事を考えるか、その逆か。僕はある程度長いスパンで考えていると思います。でなきゃ世襲しないでしょう。

5年10年、20年、50年。それぐらいかけて民意を誘導し、状況をみて強行したりひっくり返したりするのは彼らにとってお手のもの。たぶん、お好み焼きをひっくり返すぐらいの感覚じゃないだろうか。
憲法変更はそれよりは手のかかる料理なので、メディアも各界も総動員して、じっくり進めている。味覚にも身体にも悪そうだが。

日本の権力システムは本当にうまくできていて、ほとんど国民の側からは動かせなくなっているし、ガス抜きも骨抜きも、対立・分裂による脅威解消も、世間や立場の縛りも、とても効果的だと思う(もちろん、権力側から見て)。

その上位に、戦勝国であるアメリカがいて、中でもジャパン・ハンドラーと呼ばれる人たちは有形無形に日本の方向舵を動かしている – ように思える。彼ら以外にもアメリカ人はいるはずだし、本当の意味で連携できる方法だって、いくらでもあるんじゃないか? と思ったりするけど、その先はわからない。

少なくとも、良心的な、あるいは、あまり良心的じゃなかったとしても、違った見方や態度の米国人はいっぱいいると思うのだ。知ってる限りはそうだったし。people to people で協力できることって、あるはずなのだ。そもそもそれがこれからの世界でしょう?

もちろん、それは台湾人、中国人、韓国人、北朝鮮人、ロシア人、ウクライナ人、とでもあるはず。ギニア人とも、レバノン人とも、シリア人とも、イスラエル人とも。なんで争わなきゃならないんだよ。

そこに音楽の意味がある。文学の意味がある。料理だって絵画や写真だって。
そもそもこの瞬間も、世界はつながりあってる。ビートを感じ、空気を震わせて。

80億人を超えた人類が、どうやってこの星でやっていくのか、
宇宙へ移住か、格差で蹴落とすか、騙し合うか、それとも本当の意味で共存できるか、
人工飼料か、遺伝子組み換えか、自然農法か、河川と風の保全かスマートシティか。
本当の意味って何か、何は○だけど何は△か…
あらゆることを色んな人が考えて、やってる。

意見は統一しなくていい。食い違っても重なれなくてもいい。

だけど、おかしいことはおかしい。大事なことは、大事。

戦いなんてあり得ない。国益がどうとか、大国間のパワーゲームがどうとか、なんでそんなので憎悪しあい、コマになって殺し合いさせられなきゃならないんだよ。なんで屍を重ねて油に火をつけるみたいなことを、させるんだよ。

こういうときのための憲法だろうに。頭だろうに、心だろうに。

と思うのである。

こんなことを思いながらも、音楽や楽器と、駄洒落から来る言葉の可能性を、探っている。

そうやって日々、生きている。

あ、そこでずっこけんといて。

いずみ

A / B

どちらかを選ばなければならないとき

どちらにもまるをつけねばならないとき

彼はどうしただろう

いずみは といかける

bandcamp からのリリース。
1.29 まで、無料からの投げ銭でダウンロードできます。


詩集 flat five からの音楽

炙られるな

煽る新聞と、冷静な新聞。

冷静な調子で煽る TV。これってよけいにタチ悪い。

晴れ空と裏腹に、どんどん暗くなる日本。

もう間に合うのかわからないけど、止めなきゃね、ひとりひとりが。

といっても、わからないですよね。わかりますか。
電波や大新聞が、ますます人をラジオコントロールしていく。
昔からずっとそうだったって?


正月、満州や樺太からの引き揚げに関する平和記祈念展示資料館の冊子を読んだ。

中国、ソ連、朝鮮を直接相手にしたことだったから、文字と写真からだけでも迫るものがあった。

日中戦争からシベリア抑留・強制労働の流れもさることながら、年表をみて、改めて気づく。

太平洋戦争が始まり、分岐点と呼ばれたミッドウェー海戦まで、たった半年なんですね。

小さいころ戦記漫画も読んでたけど、そこでは太平洋戦争は途中まで日本が勝ってて、でも長引く戦況に、米国の圧倒的な物量に負けて…みたいな筋で記憶していた。
違うメッセージだったのかもしれない。まぁ僕の受容力がその程度だった、ということでもある。

途中どころか。6ヶ月。それだけのスパンしか見れてなかった国。

その後3年以上、大日本帝国は敗北に次ぐ敗北を続ける。だが大本営はずっと大勝利を伝え、ことばを変え、兵士を、国民を欺き続けた。敗走は「転進」に、全滅は「玉砕」に。

やがてB29が飛来し、全国の都市が焼き払われた。沖縄は地形が変わるほどの艦砲射撃の後蹂躙され、火炎放射器で人々が焼かれた。そして広島が、長崎が原爆で。長崎に向かうB29を捕捉していた東京の司令部は、会議を優先して迎撃司令すら出さなかったという。そして特攻。竹槍。犬爆弾。集団自決。

短期決戦で勝利し、講和する…という軍部の目論見が海の藻屑となったあと、ジリジリと滅びる以外に何もできなかった大日本帝国。
そもそも、何を以て「勝利」と思っていたのだろう? 相手は日本占領後の支配プランも作っていたし、ものの見事に支配に成功しているというのに。

しかもちょっと調べたら、ミッドウェー海戦って、机上戦みたいなのをやって、苦戦するとわかったら、沈んだ判定の空母を復活させるとか、負けないと判断し結局そのまま強行して空母全滅…とか、ほんとどうしようもない。

無線を傍受されないために回線を使わないと決めたから、想定外の米軍を発見しても味方に連絡しなかったとか、日程が詰まっていたから準備不足でも強行したとか、本末転倒なことばっかり。

戦争そのものが愚かだけれども、何かすごく既視感があるのは、日本って原発対応でも統計改竄でも、オリンピックでも、ハイテクでも、同じような失敗ばかり繰り返している。

甘い見通しと柔軟性のなさ、不都合の隠蔽と責任逃れ。真面目、従順、几帳面が取り柄の国民と兵士と、それを利用し、欺き通す指導者たち。21世紀の日本にも、それは引き継がれてるよう。

これだけ反面教師がたくさん揃っているのに、どうして?

こんな、グランドデザインも状況判断もできない国が、軍国に走ったらどうなるの?
また同じことが起こりますよ。

責任者は尻尾を巻いて、証拠を黒塗りして逃げる。導く力を持つはずの側近は責任をなすりつけあう。メディアは煽るだけ煽って、アリバイを撒いて逃げる。国民は隣組で監視しあい、何もいえなくなり、やがてレミングのように自滅。その間、どれだけの凶行を起こし、起こされるだろう。

そして、その後はどうなるのだろう。前回の終戦後どころじゃないかもしれない。
情報も経済も、すべてデジタルを外国に抜き取られた後で。この場合の外国とは、どこを指すのだろう?

本当に、引き返すなら今だよ。

新しい戦前って言ってるけど、それはすぐに長い長い「戦時中」になる。
そうなったら、人間は根本から何かに変わってしまう。

間に合うのか、正直不安だけど、まだ日本は、民主主義国のはずなのだから。
世界で唯一の核被爆国。米軍に占領され、すっかり飼い慣らされ、サブリミナルなパシリになっちゃったけど、多くの人は平和の尊さを知っているはずなのだから。

骨抜きにされても、建前だけだとしても、まだ平和憲法は生きているのだから。

こんなことを書くのは本当に悲しいけど、こうならないためにも記しておく。

深い海とレシピ

相変わらず自宅周辺の週末。いつのまにか晴れ続きで十五夜、十六夜。

今年は何か忘れたなと思えば、カレンダーを買うのを忘れている。
それから、どこかで手に入れたはずの「オリーブのレシピ」なるものも所在を忘れている。
これがないと。だが。

レシピなんて見るのか? と訝る自身と共に、時折人のくれた知恵をなぞる自身もいる。

人はいろいろな形で手がかりを残す。パンくず。クッキー。グレーテル。

楽譜だったり、音源だったり、教則本だったり。エッセイ、俳句、SNS。

ホンジュラスという国名に残されている手がかりは、なんだろう。
(コロンブスが、船の碇が海底に届かなかったため、「深い海」と名付けたとかどうとか)

アイリッシュ音楽と盆踊りの笛、やってみると共通点を感じるとか違うとか。

茶房くうそう

日々、ぐだぐだ言ってる間にも

周りはすごく動いているわけで、まいったな…なんだか

アルバムに入れなかった「ミニチュアの街」という曲があって
そんな気分。

4〜5曲を同時進行で、あたためなおしている。
そんな茶房。空想の。

ひくいれんじ、たかいれんじ。

いずみのひとみにわらいかけ。

ときほぐすのは II

原子力発電の虚構と限りない闇について

忘れている人はそんなに多くないと思うのだが

2011年の3月12日以降、それに気づかなかった人はどれぐらいいるのだろうか?

まさか本当に、岸田政権のように
これから日本の原発が再稼働、60年(点検休止期間の除外により実質70年にもなる)以上運転、さらに新設してよいと思っているのだろうか?

呆れ過ぎて何も言えないのだろうか?

何を意見しても通らない、これが、民主主義国とされている日本の実態だったと普段は私たちは気づかない。
ガラス張りの水槽の中にいるグッピーが、普段はその壁に気づかないようなものだ。

3.11は、3.12そしてそれ以降は大きな災禍だったが、多くを気づかせてくれる機会でもあった。

多くの人の目が覚めた。坂本龍一氏のツイートの一つが心に残っている。

…とはいえ、そのものを今は探せないので、一字一句は違うかもしれない。

「日本人の意識が、原発事故以前には戻ることはもうないと思います」

という内容だったと思う。それは大きな希望でもあった。

僕が一番ショックを受けたのは、原発普及啓蒙のためのポスターを2週間後に見たときのこと。
日記「ときほぐすのは」

全国の小学生、中学生がこぞって描いた図画(そういうプログラムだったから)、そこでの原子力は優しい顔で「安全で、安心で、地球と人々の明るい未来のためのエネルギー」と称賛されていた。中には、その意味があまりわからないまま、信じて描いた子どもたちも多くいただろう。

そして、そのページはほどなく、アクセス不能になった。

原発の理不尽と大きすぎる弊害と危険性については自分も含めて本当に多くの人が述べ、叫んだことであるし、
あえて繰り返す必要もない、と思っていたのだが

そうもいかないらしい。

忘れたのか、あるいは、忘れたことにされたのか。

統一教会の問題は本当に、日本という国って何? っていうぐらい価値観がひっくり返ることだけれど、
それを珍しく読売系の TV が頑張って放映していた夏から秋にかけて、経産省では「神風が吹いた」と歓迎していたらしい。

見出しだけで何年ぶんもの吐き気がするが、これが記事だ。申し訳ないが朝日新聞の購読料は払っていないので、本文は読めない。上はさる方のツイートと、時系列の考察による。

https://www.asahi.com/articles/ASQDQ6F72QDQULFA00F.html

ニュースは、人を煽動できる。どんな悲劇も、お祭りも、メディアに載った時に別の力が加わる。

教えてくれることも多いが、あるいはメディア自身が作り、流すドキュメンタリーやドラマのように、大きなヒントをくれることも多いが、それでもメディアを信じて、流されてはいけない。

もともと、メディアは人を操作するために作られたものだ。だからこそ大きな金が動く。

昨日は珍しく TVCM のことを書いたが、これも理由がある。中で語られているすばらしいことば、これを「他の人」が言ったならどれだけ伝わるだろう、ということだ。

彼が語った言葉は僕もすばらしいと思ったが、それは、あるいは真剣に音楽をする人なら、誰しも考えることではないのか…? とも思う。
だが、そこに価値をつけられるのは、彼の輝かしい経歴であり、立場ではないのか。

結局人は「立場」を求め、それに動かされるのだ。そして、企業をはじめ多くの人に、利用される。
それが「インフルエンサー」ってこと。

ちょうど上に書いたこと。私自身も坂本氏に大きなインフルエンスを受けたわけで。


原発について、一度に書き切れない。ひとつ。

日本沿岸に立ち並ぶ原発は、もし外国から武力攻撃を受けた場合、最大の弱点となり、壊滅的な被害を被る。

これは広く言われている意見だ。

これに対して「原発が立ち並ぶのは外国も同じ」という方々。

風向きを考えていますか?

アジア各国の沿岸にある原発で核爆発がおこったとき、どういうふうに風は流れる?

被害を一番まともにくらうのは、日本列島。本当に武力攻撃を想定しているなら、あんな配置はしませんよね。

でたらめです。幾重にも。

勘違いから生まれる真実

自動字幕の世界というのは
相変わらず面白い

今日から放映されている反田恭平さんの CM

いいこと沢山言っているので YouTube でキャプションを出す

「一生自分のお父さん探していくのが」
「くすぐるな燃え上がれ これは知恵方法の言葉なんですけど」

共に AI 字幕の空耳だが
あながち間違いともいい切れない

一応、彼の言った言葉は

「一生自分の音を探していくのが」
「くすぶるな燃え上がれ これはチェーホフの言葉」

なんです
けど

「音」 は確かに 「お父さん」 かもしれないし
「チェーホフ」 は 「知恵方法」とか「知恵豊富」 言われても なるほろなと

ちなみにサッポロの CM です

ビール呑まなくなって久しいなぁ…

ガージェリーにヤッホーにベアードにタルマーリー。
たくさんのんだもんだ。今はシュトーレンで酔っ払うぐらいだよ。

天蚕糸

一年の計は…

ということで、昨日から楽器を触った。

昨日は早くも、戻ってこない時だけども
その余韻は、のしもちのように、確かに今年のふちをおさえている。

去年は自分にとっては文字通り「一瞬で終わった」ときで
年が明けて一週間で大晦日が来た、ぐらいの感覚だったから
今年はもう少し実感を持っていきたい。

2022は新しい楽器…子供の頃に挫折した弦楽器
を再び、と頑張ってみた。日課にしてほぼ毎日練習したが
歩みはとてもノロく、我が計画はその三倍増しの妄想だった、という話。

今年もこれは続ける。感覚が開くし、
ベースとのコンビで、頑張ればいろいろ広がることがわかっている。

今年はそれに加えて、何を隠そう、ベースを頑張ろうと思う。
全く自慢ではないが、長いこと弾いていない。

人前で弾く機会がなくなると迫るものもないし、
それ以上に自分の音楽を作るにあたって
ベースと他との力差がありすぎるのが障壁なので
一旦置かなきゃ、となる。

ところが他には恐ろしいほど時間がかかるので、ベースに戻ってこれるのはほんのわずかな時間。

そろそろ戻らないと。
ちょうどインスピレーションも少しずつ出てきてるのでぼちぼち、という次第だ。

自分の計画が、あまりあてにならないと知ってから随分経つ。
それはこれからも変わらず、むしろ劣化していくのであって、もう少しいい意味で
いきあたりばったりにやろうと思う。


大晦日はなんとなく紅白を観ていたのだが
エレキベースがいないバンド、というか舞台、というか…が割と多かった気がして
それはそんなもんだろうと思いつつ、どうも落ち着かないものだ。

やっぱ、シンプルなルート弾きでも、エレキベースっていいものだ。

淳吾のベースは、相変わらず、とてもいかしていた。

彼ってベースを始めたのは Loop Junction 時代だったかと思う。
アプローチとしては、そのころから全然変わっていない。ずっと、クレバーで幾何学的で、いいラインを弾いていた。

自分のスタイルを続けるって、最強だね、を地で行く存在。亮くんも、そうだよな。

自分があの場にいたら? と思うか、思わないか。
ずっと前はそういう想像していたと思う。全然違う形で。

だから、自分の道は、つながってはいない。一本の線でも、winding road でもない。
切り取り線ですらないだろう。

だが、ベートーヴェンの楽譜って、あまりに悪筆でほぼ読めないのを周りが(勝手に)フォローしてた、
っていう話を見るに、そんなんも、ありなのかもしれないな。

周りから見えても見えなくてもいい。死ぬまでテグスを操ってたら、何かできるんじゃない?

見えない、糸。

謹賀新年

ここのところ毎年、元旦は快晴です。

今年は暖かく、除夜の鐘から初日の出まで、割合楽に過ごせました。
4時間の睡眠はきついが…

穴場だったこの場所も年々人気スポットとなり、もはや駐車は難しい。
戯れる波乗りたち。


こんな平穏の中、不穏な気配が着実に覆っている。

ひとりひとりが、平和を望めば、戦争など起こるわけがない。

それを崩しにかかるのが、支配者と武器商人と、無限に繋がる情報網。

じょうほう。ずっと考えているが、うまく整理できない。どうして人は進んで情報になど。

鳥も虫も、魚も群れになる。所詮我々は群れなくして生きられない。

それを司るのが、ちょっとした気配、ゆるい力、強い力、磁力のようなもの。ことば。
いいの? わるいの? どっちもだ。

デジタル庁の役人が引き継ぎの際「この仕事は『わなをかけるような』もの」と述べていたいつかの記事。
その通りだと思う。だれに? 国民に? 違いましたか?


落とし穴は加速する。だけどそんなことを遥かに上回る速度で

うさぎはラビットホールをかけていく。

きっと。別の道がある。

よい年にしましょう。No war. No autocracy.

緑の珠

プチトマト。プランターから。

大晦日にこの写真って、季節感がさっぱりわからないが、
部屋の中でやがて赤くなっていく…らしい。

このトマト、どこからきたものか辿ると
どうやら この日記 から繋がっていた。

昨年の初夏に飼っていたノコギリクワガタ、その命を奪った「熟しすぎたトマト」
それをクワガタと一緒に埋めておいたのが、いつのまにか芽を出し葉を出し、蔓を伸ばし
気がつけばこんなことになっていた、という次第。

命の循環って不思議だ。

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