投稿者: ray

planetarian 3

こちら の続き。

学校を卒業する前に録音したのが、Voice of Marble という作品だ。
ちょうど Rastko の誕生日、1998.11.7
… 僕の仲間には霜月生まれが多い

Vardan Ovsepian のすばらしいピアノと Rastko Rasic の風吹くような奔放なドラム、僕の生々しい(荒っぽい)ベースを収めるべく、Charlestown のスタジオに行った。アーティスティックで、適度に殺風景で、心地のいいスタジオだった。
コーヒーよりも東洋茶が好みだというエンジニアもナイスガイだったが、誤算はピアノだった。古い、雰囲気のあるその楽器で全曲録音した後、Vardan はそこに置いてある Fender Rhodes も弾きたいな、と言った。

ローズはずいぶん久しぶりだ、とのこと。
ほとんどの曲を Rhodes のテイクでも録った後、の彼
「ピアノテイクはカットしたい」

曰く、音色もイメージとかなり違う、演奏も不本意なので形に残したくない。
君のリーダーアルバムだが、どうか考えてくれないか、という。

僕にしてみれば、音楽のイメージがピアノだったので、? が7つぐらい宙に浮かんだと思う。
ピアニストにとって楽器との相性はよほど大事なんだろう、か。
学校のボロボロのアップライトやグランドでも彼は素晴らしい演奏をしていたけれど、
そこの楽器はキャラも違い、許容範囲外だったんだろうか。

アルバムとしてのコンセプトは、また構築 – 空想し直すとしよう。

それでも空気感と雰囲気のあるピアノテイクは(勿論演奏もとてもいい)捨て難かった。
しかも、ピアノとドラムにスタジオの主要なマイクは使い果たし、ベースはほぼピックアップに補助のミニマイクをつけた程度で、とても硬質だった。
当時僕のベースの好みはかなり攻撃的な音だったが、そんでも難しい。MiniDisk に挿して使うようなそのへんの「プラグインパワーのマイク」(そんなん今あるのかな)の方がよほど好きな「音」をしてる。

それをカバーする響きのアコースティックピアノが、アンプも使わない Rhodes になったのでは、音がきついな、というのがあった。

とはいえ、Rhodes テイク(凄いプレイだ)を生かすべく、それから試行錯誤をした。エンジニアと話したり、調べたり。

彼を少しは知ってる者とすれば、ピアノと一体化した時の彼のプレイの凄まじさを収録できていないのだから、な。

だが、Rhodes トリオというフォーマットのアルバムにまとめられたのは、結果的によかった。
カラーが出たと思う。

1999の春ごろまで、次のアルバムの録音(Ramsey らとのもの)と並行して、働きつつ、スタジオに通いミックスを調整してもらった。

僕はその年の暮れに帰国した。
スタジオでのミックスもだいぶ良くなったが、まだ数曲、イメージではなかった。
あとは自分でやった。

音源は色々な人に聴かせた。
すぐライヴがみたいと言う人、リリースしたいと言う人、Fuji Rock の DJ でプレイしちゃったという人、仲良くなった人、いろいろな縁ができた。だいたい、一瞬で反応をくれた。
それだけでも大きかった。

2001〜2005ぐらいのころだ。
だが彼らを呼んでのライヴまでは実現しなかった。

リリースも、条件が合わずに見送った。
僕は変拍子のものを出したかったが、先方はアルバム中唯一4/4の曲を、まずは翌年のコンピに、という提案だった。待てないかなぁ、と思った。今にしてみればそれぐらいは一瞬だったんだろう。

他には、クラブミックスにしようとか音圧をあげようとか、その頃の日本の状況に寄せれば? という声もあった。僕はそういう方向には、全く興味がなかった。申し訳ないのだが。

まぁその手の、「思い通りにならなかった話」はいくらでもある。それは僕の世渡りの話であり、今更取り返せるものでもない。

これから残された時間、やれることをやるだけだ。

ともあれ、この作品には、技術的にはいろいろと課題はあるが、
自分が作った最初の音楽作品として、なかなかの出来だったと思う。

Vardan の活躍は本当に嬉しく、励みにもなる。ずっと彼でいてほしい。
Rastko にも会いたい。ずいぶん長く連絡を取っていないが元気だろうか。

いつか、何らかの形で共演できれば、嬉しいな、と思う。

Z-A


moon x moon #13 – full moon, July 5
Z-A / stillbeat

ひかりのなかま

Apple Music

歌詞はこちら


<バックヤード>

ずいぶん長く、部屋にこもっていた。
ひょんなことから ohT 氏のリハーサル、配信ライヴ、そして収録もあり
「外」に出たわけだ。

このジャケットは、その時のコックピットからの模様。
Z かポルシェか RX-7 といいたいけど、スイフトなんだな。
と、こちらが実体の、無人の川辺を自転車で走った模様。
錆びた橋の接合部があまりに美しく、虹に見えたので。

もともと、どこかのハイウェイをドライブしながら浮かんだ曲。
LA とでもしときましょう。
歌詞が全くできなかったが、去年の末から今年になってのことが
いろいろと自分の中ではまってきて、形にしたくなった。

まちってなんだろな

っていうのがテーマのひとつ。

都会からは離れて久しいが、

自分に馴染みと記憶のある、ふたつの街にも、すこし、交互で登場してもらっている。

もうひとつは

おわり と はじまり

かな。「ん-あ」みたいな。

テールランプの後ろは前、だし。


音楽的なことは聴いておわかりのとおり

いたって明るいものです。

無音のギターというものを織り重ねました。

planetarian 2

こちら の続き。

少し昔話を書いてみる。

僕が彼、Vardan Ovsepian に出会ったのは Boston の学生時代。確かイギリス人の sax 奏者に (Martin…?)、放課後にジャムをしようと呼ばれ、4人集まったのだと思う。そのうちの一人、アップライトピアノを操る彼には、異様なものを感じた(もちろんいい意味だ)。
とにかくうまい。上手い学生はいくらでもいる学校だが、全然他と違う巧さだ。野性的なのにうるささが全くないし、ものすごく知的だし、聴いたこともないような、懐かしいような音階とリズムを叩き出してくる。トンチが効いているとでも言うのだろうか。面白い小説を読んでいるようなピアノだ。
しかも、僕自身の技術は棚に上げるが、何かとても波長が会う。気持ちいい。

その4人では、確か学内のスタジオで2曲ほど録音した。当時はまだアナログテープだ。録音開始時の “(tape’s) rolling” の合図がヘッドフォンの中に残っている。と耳が言っている。

しばらく経って、彼が面白いドラマーと仲良くなったからと、セルビア人の Rastko を呼んできた。何回か一緒にやった。不思議なドラマーだった。まるで昔話の日本人かのような、墨絵のようなドラムを叩く。とても静かな、爆発するような。

僕はアジアや中東、東欧について、何も知らなかった。
未だに殆ど知らない、というレベルだが、僕の世界の認識に、ルートがすっぽり欠けていた。

文字にしても弦楽器や打楽器にしても、Middle East と呼ばれる地域で生まれたものが東西に広がり、別々の進化を遂げた、というのは中学校でも学ぶ。だが、邦楽と英米の「洋楽」ばかり聴いたり、そっち経由で勉強していると、その間にある繋がりを忘れてしまう。
果てしない差があるな、と、諦める。そんな感じだ。

太平洋は広いな。
それが、アメリカに行くまでの認識だった。
行った後は、語弊もあるだろうが、音楽もデザインも5年は欧米の後追いをしているな、と思った。
途中帰国する度にその思いは増幅した。

でもそれだけじゃないな、とも次第に思えてきた。右回りも左回りもあるだろう。
また、座標をどこに置くかで、思っていたことや時間軸が崩れたりもする。

わざわざ、太平洋と大西洋っという広い海を二つ超えてから、その向こうの西欧までを感じるのか、
アジアからシルクロード経由で東欧までを感じるのか。
まぁどちらにしても、遠いなと思うのだが。
シルクロード…歩ける気は、しないしな。

やや脱線したが、Rastko や Vardan(アルメニア出身)の感性は、とても近くて大事な何かを触発してくれた、ような、大層だがそんな気がした。

彼らとは後日、さるパーティーで演奏しよう、と計画をしたのだが、これがひどい失敗だった。
何をやろうか、というところで、あっけなくボツる。つまらない、と。

とはいえ、それで引き下がる僕でもない。

学内の主宰ステージでトリオを組むことにした。
変拍子と音階の自由さを引き出すために、
思いついて書き留めたり、昔 Roland の System-100M っていうアナログシンセサイザーをいじって MTR に録ったことのあるモチーフを提示し、あとは自由に演奏してもらった。
二人は大喜びしてくれた。半ば予想通りではあったが。

僕も含めて3人とも飽きっぽいので、緊張感はあるが構成がダラダラすることはない。
ビジョンはあるが様式美にはならぬ。感覚ではじまり、終わる。

これは我ながら、素晴らしい時間だった。
当日来てくれた人たち、教師、その他、全然ジャンルや好みの異なる人からも、とてもいいフィードバックをもらった。

学生ながら僕にとっては、自分が思う何か、「音楽」そして「Performer」になれた、大きな瞬間だった。

勿論、彼らの力も大きい。人と共に何かを作り出せる快感。貴重な記憶だ。

続く

あめがおおきくゆらいだサイン

6.21 新月リリース

しばらく stillbeat 名義で配信する予定。

この曲は詩集 flat five に掲載し、付属音源でしばらく配布していたので
聴いたことある方もおられるかと思います。知り合いにも割とよく聴かせたし。

ミニアルバム river silver で配信していた「ホタル」という曲の姉妹曲です。

もともとユルユルなのですが、これでもいくつかグレードアップしているので
前の音源を持っている方もぜひ聴いてください。

この曲もドラム叩いていて、マイク一本で録ったものです。


– 追記: 6.25 –

このジャケットは
ちょっと気に入っていて
何かわかります?

指も写ってあるのがヒントで
つまめる物体 だから一筆描きではないです。

まぁでも一筆ガキともいえますか

昔 ワタリウム美術館の on Sundays で見つけて
一目惚れした絵本があって
ずっと繋がった線で世界を一周、みたいな
Laura Ljungkvist だったかな

それを目指したわけではなく

そもそも僕は絵が得意ではないけれど

ごくたまに変な絵のようなものをノートに描くことがあり
今回は何も描けそうもないので昔のノートを漁って
何かスキャンできそうなものはないかとページを捲ってたら
何もなく さらに書いてる言葉もロクなものがなく
次々とページを破り ノートを破棄することに

そうするとどうなるかというと
残るは ページを留めてあるリング

僕は無印良品のダブルリングノートが好きで
そればかり十何年も使っていたので
(もうノートに書く習慣がなくなり、今は使っていない)
棚の奥には黒やベージュのリングノートばかり並んでいる

ひとまず一冊を解体し

針金のビヨンビヨンを燃えないゴミとして捨てる前に
記念撮影でもしようと床から拾うと
意外と面白い形になっている

これを角度を変えて撮ってみる

なかなかいいじゃないか

上のビヨーンとしたフックは月にも手錠にも見えるのだけど
ここは敢えて 犬の耳にも見える形を採用
なんだかソリで走っている鬼っ子とファルコンのようだ
下のクシャクシャは雨雲にも見えなくもない

ここでいつも困るのは
壁を背景に写真を撮ろうにも ロクな台がないのだ
結局指が一番便利な台だということ

うちの壁は白いのだが敢えてくすんだ水色にしてみた
近頃はこの色が好きなのです
とても

スバルにこんな色の車なかったっけ

あ 曲の方もよろしくお願いしますね


2020 連続シングル “moon x moon”

Go Deep & The Cover / Mana Nagao


Mana Nagao / Go Deep / The Cover
2020.6.10 release

長尾真奈さんとの出会いは2011年に遡る。
ある午後、数年ぶりかにドラマー田中慶一から連絡をもらった。
シンガーソングライターのライヴというお誘いだった。
慶一とは、Mika Arisaka バンド、とらジャム、ハミングキッチン、そして 01 [ゼロワン] 以来のリズムセクションであるし、当時は最強だと自負していた(僕のごく周囲の話だ)。彼が Urb やアフロックスで活躍してから疎遠になってしまったが、久しぶりに一緒に音を出せるのならと即応した。

真奈さん、慶一、そしてギターの田島拓くんと出会ったのは下北のスタジオだったか。
その前に送ってもらっていた曲たちがあまりにもユニークで、歌が透き通っていて、どうなるかとても楽しみにしていた。ピアノとギターとドラムと、フレットレスベース。

ベルベットサンで行ったライヴは、彼女を以前から知るだろうファンにも溢れ、スリルと新鮮さと落ち着きがまじった素晴らしいものだった。慶一はハコの古い Yamaha のキットを叩き、拓ちゃんはファズが強力に響いてたっけ。真奈ちゃんはピアノ弾き語りなので舞台の下手にいてあまり客席から見えず、僕は真ん中で座って、これでいいのかと若干居心地が悪かった(ピアノの人とやるといつも、ベーシストの立ち位置、座り位置では悩むものなのです)。終わった後のお客さんの一人のセリフ「まなちゃん、デビューしなよ」が、記憶に残っている。


それから彼女の自主制作アルバムに呼んでもらった。僕は宅録でのベース録音とデータ送付 – 今でいうリモート – だったが、彼女は西へ東へ、毎週旅してアルバムを作り続けたらしい。”First Light” は関西チームの録音も含めて、全編、純粋な曲と躍動感に満ちている。これもいずれ配信されないかなぁ。

翌2012年には渋谷や蒲郡、リリパも含めて数回ライヴできたが、2013年からしばらく間が空いてしまう。その間、別の現場でも仕事をしていたバンドの二人とも、やがて疎遠になってしまった。こちらがお願いしていた現場がなかなか動かなかったことも一因ではあるが、他にもっと機会をつくれなかったのか、悔いが残る。慶一はやがて、旅立った。


いつか都内で活動を再開した彼女に、ギグで久々にご一緒できたのは…2017年か。カバーとオリジナルを交えて大磯プリンスホテルのロビーでやった2度の演奏は、デュオも、トリオも(オープンスペースのフリーライヴ企画だったが)、いい音楽を聴いてもらえたな、と思っている。

その際に今のレーベル Reborn Wood の方々にお会いし、いつか録音でも、という話をいただいていた。
トリオでドラムをお願いしたのが、神谷洵平くんだ。

そしてオリジナルアルバムを2018年末に録音し、カバーアルバムを2019年末に録音した。
カバーアルバムの方は、選曲や、アレンジの方向性など、ディレクションにも参加させていただいた。

そして今年春リリース。より確かになったオリジナルと、原曲が生まれ変わったようなアコースティックでのカバー。

長いような短いような、コロナ禍もあって僕はライヴにも協力できず、歯痒さもあるのだが、彼女の素晴らしい歌と音楽が、世界中に広がることを、願っているのです。

2019年、オリジナルアルバム完成後のトリオライヴ、7th floor にて。

Carnelian

Turtle Neck

rivet


rivet / stillbeat

区切りがついたので、再び stillbeat としてリリース。

moon x moon #11
June 6th “strawberry moon”

ジャケ写はイチゴと月たちを。
タイトルは光で書きました。







今回は前作と同軸の真逆に。
これもルーツの一つ
ファンク x ポエトリーです。

トラックは1999米録音
サックスは Jaleel に
家に来てもらってクローゼットで
SM58で録ったもの

ドラムは Ramsey
ローズは Manuel
リリック は最近書きました。

言いたいことは色々あるけど
よくもまぁ次から次へと
って感じだよ。


リズム録りをした当時のスタジオ写真とか、ないんですよね。

その頃はまだデジカメすら普及してなくて

京都で買った Canon のオートボーイでたまに写真撮って
Star Market で現像するぐらい。フィルムも貴重だった。

この曲で弾いたのは、当時メインにしていた
Factor bass.

この家に7人で住んでた。家ネコのミッシーが忘れられない。

この反対側には、sax を吹いてもらったクローゼットがある。

近くのコーヒーハウスに行ったり、仕事に行ったり、地下鉄の駅でデュオで流しをやったり。

neptune や neverseen や、a tto iu ma ni の原型を打ち込んだのもここだった。


Ramsey の写真…これしかない。毎日つるんでたのにな。

Manuel はエクアドルで、活躍しているようだ。
この TED が相当面白い。

僕はスペイン語能力が皆無に近いので、自動字幕や翻訳サイトを頼りに繰り返し観ても半分ほど理解するのがやっとだけれども、
登場してからピアノに座るまでのパフォーマンスも含め、見た物、聞いたこと、感じたものを音に落とし込む彼の振れ幅に
YouTube が過剰反応(誤動作)しているのだろう、後半の演奏シーンでは、歌もセリフもないのに音に対して変な字幕が表示されています。
なんというか、希望を感じます。マシンに一方的にやられずに、生きていく希望を。

Jaleel は最早 the greatest cat の一人。
最近も音楽はもちろん、Covid について、今のアメリカについて、重要なこといっぱい発信しています。


再びジャケットについて。

ストロベリームーン、というのは当日まで知らず、この写真がイチゴにも見えるというのは偶然の産物。

なんとなくやったことに後から理由を付けられる、というのは僕の得意技。
だが、あれこれ迷わずにやればいいものの、逡巡してやらずに後悔したことは、数えきれない。
我ながら変な人生だと思うが、これも一つの生命の形だよ。案外みんな、そうかもしれないし。

これは iPhone で撮った、寝る前のあかりの写真。
ミラーレスでも撮ってみたが、そっちはあかんかった。

リベットという物体の単体はイマイチ写真映えがしない、と思ってたらなんとなくこれが赤く光ってたので撮った。もともとは白木だが、隣の Ric のバーガンディグローが映ったのだろうか。

板を曲げ、リベットで止めてある物体なので、意味は通ってる筈だ。


さて…この moon x moon シリーズ、これまでを問わず
僕は絵画が苦手なので、自分で撮った写真をいじってジャケットにしている。
一作、「わらい x きみ」では隆太くんに参加してもらえたが、だいたいにおいて僕は制作がギリギリで、ひどい時はリリース当日にまだ曲を録り直している。これでは人にイメージを伝えるのも難しい。

そんな一人出版社に、人を巻き込むのはよほど悪魔社長だし、
あまりそうはなりたくないので、今後も当分自前で行かなきゃ、と覚悟している。

このあたりは、今後もし、仕事的な動きになれば考えていく。
が、基本的に僕は自分のやりたいこと、探求したいことをやって、そこから先に進もうと思っているのです。

Vardan-planetarian

Vardan Ovsepian & Tatiana Parra の Web イベント
sense of quiet MUSIC LAB
を観る。巷では Webinar、ウェブセミナーと呼ばれているやつだ。

彼らは岡山の蔭凉寺で、2017年に観たことがある。
Vardan の活躍っぷりは近年聞いていたが、久しぶりに会いたいので、熊本、鹿児島への演奏移動をやりくりして、自力でえっちらおっちら、路面電車で訪れた。のだ。

彼は昔と全く、まっったく変わらぬお茶目っぷりで、
タチアナさんもとてもフレンドリーだった。
公演が素晴らしかったのは言うまでもない。

3年ぶりに、元気な姿を観ることができた。
LA とサンパウロのリモート、それを地球の反対側の日本に送っているので、
それぞれのレイテンシーは避けられない。
二人のリアルタイムセッションが観れなかったのは残念だが、それぞれのちょっとした演奏や歌、
それに話が聞けてとてもよかった。

ネット上での同時演奏については色々な技術もあるが、やはり海外同士となると難しいようだ。
僕個人としては、国内でもまだ使いこなせていない(しばらく仲間数人と頑張ってみたが、根気なく諦めてしまっている。宮川剛さんはその後どんどん実現しているのに…)。

さておき、Vardan は媒体や YouTube を観ても、とてもシリアスなイメージがある。
が、僕の知る限り彼はとても、はちゃめちゃに面白く、楽しい人だ。
自由奔放なアーティストではあるが、とても紳士的でもある。

少し昔話を書いてみる。とはいえ紙面が尽きた。
また 次回 にて。

neptune


5.23 release
Neptune

久々に朗読を。

これまでになくメロディック。
最近の好みはこの色です。

集合離散
沈むものと浮かび上がるもの

ピアノメモを引っ張り出して
ギターとフレットレスベースで辿り
詩をつくり詠んだあと
もう一度フレットレスで旅してます。

赤は青
水は金属

neptune という惑星や言葉には
昔から惹かれていたのだけど
しばらく避けていました。

なんか違うイメージが支配していたので。

今になって、改めて考えているところです。


6.5 追記

次曲リリースのフェーズに入ったので書き足します。

この について

昨年11月に京都と浜松で詠んだ「小さな君、大きな幹」の派生版です。

曲や情景(「視者」の位置)は異なっていて:

「小さな〜」が、ある広大な庭の木の下だとすると(発端は新宿御苑近く、欅のある庭*)

「Neptune」は、その名の通り海王星と、そこから連想して遠くの町や、国や、海辺です。

海は、宇宙
ネプチューンは、ポセイドン
火輪とは、太陽のこと
輪とは、太陽系であり、和であり
solar system – 社会システム
張り付いた天とは なんでしょうね。離れろって。

Pete Sinfield へのオマージュも、あったりする?
さぁ、どうでしょう。

* さらに追記
サラに言えヴァ この「小さな〜」の詩は、’05年にマイア・バルーに歌ってもらった曲のための原案からきています。

実際は僕の詩ではなく二人の方が詩を書いてくれて

欅〜風に誘われて 詩: 黒田牧子

KAZE 詩: 黒田牧子 & ちひろ(潮田あつこバルー)

という2バージョンのレコードになっています。


この曲について

前述しましたが、これは鍵盤で書いた曲です。

1369 coffee house に通っていたころ。
76鍵の Roland の MIDI キーボードをいつも Mac の前に置いていた、1999当時の健気な僕は
ほとんど弾けない和音を毎日辿々しくたどりながら、
唯一、続けて弾けそうな、結構いいかなと思う進行を作りました。

それがこれなのだが…ピアノちゃうんかーい。

たぶん生ピアノで、別のアルバム録音の合間に弾いて録ったトラックがどこかにあるので
そのうち組み合わせよう、と思ってます。

かごのなか

引きこもり生活は

時空がねじ曲がるのではあるが

自分を見直すいい機会でもある。人生を。重いか? いや当然。

僕は感覚で生きてきた人なので、それが通用しないと
いきなり羽をたたみ、さなぎになるところがある。

一方でとてもガチガチに理屈っぽいので、トラップにはまると何時間でも出てこなくなる。

どっちが好きかというと当然前者である。

だいたい、理屈は遠回りだと思っているし、理屈も感覚を補う形でないと
使いこなせない。なぜならロジックで固めたものは、すぐ忘れてしまうからだ。僕は。

おまけに自分の好きな理屈は、他人と共有することはできない。
面白おかしく共有するとすると、それは自分もそれをおちょくってる状態だからだ。
わけわからん。

とはいえ僕の好きなものは大体一貫している。
それを他人が好きとは限らないので、寂しい思いも随分したが、そんなことで共感したって
しょうがないのだ。

問題はそこから何を見出し、作っていくか、なので。

 

akari no ganso honke arasoi

ぼくはきいろいあかりがすきだ。

まる。

順調にいけばもうすぐ公開の「あかりをつけたら
本来はストアやサブスクのタイトルにも副題として

あかりをつけたら (folky reggae ver.)

などと連ねるべきだが
配信業者の制限か、日本語タイトルと英語のカッコ内を同居できない。
いろいろ難しいので、これも、昨年のトラックも、「あかりをつけたら」で行く。

元祖と本家みたいだ。
業者も違うし、名義も違う。曲名と歌詞が同じ。メロディと構成が全く違う。

Albert Ayler だったか、Spirits という曲には、全くモチーフの異なるバージョンがいくつかある、どうやら本人はあまり気にしていないらしい、というのを昔どこかで(CD のライナーノーツかな)読んだせいか…

そんなルールが自分にも侵食しているらしく。

結構そういう曲や詩がある。
何曲も “無題 / untitled” があるよりいいでしょ。

曲の情報はこちら。裏話はまた追記するかもしれません。


– 長い注釈 –

* 因みに去年のそれは、英語タイトルだと “satelite” だ。こんなことができる業者は気がきいている。
* Albert の件、うろ覚えの記憶なので真偽はわからない。レコードの誤表記? そもそも Albert の音楽を自分がどれぐらい理解しているか、あまり自覚はないし。音楽を「理解」なんて、そもそも、どれぐらい可能なのか、わからないし。きりがない。
* そういえば、FLAT FIVE & talkin’ brother に入れたバージョンも、聴きかえすと別の意味で folky reggae だった。というか自分の音楽は、だいたいにおいて folky reggae だと言えなくもない。


裏話

この写真は、昨年末に載せましたが、大津の町屋宿『粋世』で撮ったものです。
色とレベルなど処理したのが前回、今回は撮ったそのまま。

久しぶりにドラムキットを叩きました。1年ぶりか…
生活の妨げになるので滅多に組み立てられないけど、楽器の中でドラムが一番楽しい。

「あかり」については常々むにゃむにゃ考えていて、かつてこんな日記もあった。

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