京都に哲学の道というのがあって
昔は近くに住んでいたのだが
度々歩いたとはいえ、特にそこで閃いた事も、思想が深まったという事もない。
こんな事を書くと罰当たりと思われるかもしれないが、
要はこちらの問題であり、僕にとっての哲学の道は他にあったのだなと、思う事にした。
今振り返ると、自分がインスピレーションを貰う、点火が行われる道は、確かにある。
これは、道そのものの特性もあるが、多分にその人の「好み」、言葉を変えればその人自体の「特性」だと思う。
僕にとって京都が特別な場所である事は変わりはないが、21C以降の人生を顧みるに
それは目黒川、駒沢通り、旧山手通りである。
割と大きな通りであるにも関わらず、人通りは少ない。
今日もWalking On The Moonを口ずさみながら家に向かうと
とある交差点、ビル越しに見えた月の反対側、巨大な人影が歩いていた。
ん、これのこと…?
“Giant steps are what you take, walking on the moon”
月明かりで、自分の影が途方も無く大きく伸びて、大股で歩いていくのである。
under the moonではあるが。
じゃぁ、と思う。
もし
月を
歩いたら
夜を照らすのは地球
ならば –
-実際、影を大きくしたのは月ではなく、丁度いい角度に存在した街灯なんだろうけどね-