あかり は パッシブ 時に

京都駅から 六時台の「のぞみ」にて薄い眠気の中

日々、LCDの光にさらされていると
危機的な切迫感ももって ひかり について考え出す

リアプロという方法、もっと普及してもよかったのではと思う

我々は反射光が好きなのだ
幻灯、月光、人間
…我々が人を見る時、それは人に映った光を見る…自然発光する人はいるか?

かねてから読みたかった谷崎潤一郎の「陰影礼賛」
とても奔放に記されているが、とても考えさせられた

もともと日本建築におけるあかりの取り方は
幾重もの反射によって光を闇に落とし込んで行く過程に美があるという
庭 軒下 障子 畳 砂壁 床の間

これは音楽における 間 と通じると思う

しかるに

近代以降の日本の照明が、欧米以上に白さに律儀なコト
80年代以降の日本の音楽の主流が、欧米以上にグリッドに律儀というコト

この振れ巾は、どうも極端だ

実のところ、ずっと僕はそう感じて来た

欧米都市のひとつであるBostonで5年近くを過ごした僕は
その旧さと超現代の入り交じった それでいて時間の止まったような 街にあって
暗い、色彩豊かな「あかり」に常に魅せられていた

空の碧を際立たせる橙色の街灯
Charles Riverの川面にゆらめく緑色の光
いつも人で賑わうキャンドルショップ

住居の灯りは、基本的に間接照明であった。
光を湯水のように吐き出すハロゲンを使ってはいたが、それを天井に、向ける
目に蛍光灯や白熱灯が直接向くことは、少なかった

どちらが単純で、どちらが合理的なのかはわからないが
日本に帰る度に、眩しさ、均一さに勿体なく思ったものだ

どうして、陰を尊ぶという日本人が、陰影を忘れるのだろう

Bostonに戻ると、街では「和」がちょっとしたトレンドでもあった
尤も、どこがインドでどこがアジアで日本で こんがらがったものではあったが

帰国から年が経って、多少は僕も慣れたのかもしれない
また、こちらでも間接照明、和家電 のような波が もう何波か 来ているようだし
電球型蛍光灯 も電球色が手に入るようになった
いつか浜松で入った自然食レストランでは 意図的にゆらぐ照明 を使っていた

それでも尚 温暖化やエネルギーの高騰や 否それより身近なレベルで健康や精神状態を司る
あかりには成熟の余地が随分とあると思う
勿論、映像技術、作品、アプリケーションもそうだ

ちなみに僕は代官山近く、駒沢通りにある あかり屋「五輪市」 が好きだ
ここは相当数の電灯がいつも灯っているが 不思議とまぶしさを感じない
驚くほど安価な掘り出しものも多い
電気代を考えると、採算が取れてるのか?と思うくらい
でも、店に魅力があるというのは 良いコトやで

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