カテゴリー: muse

絶縁

先日偶然お会いしたミヤシマさんと
今朝たまたま読んだオオヌキさんの連載と
思いつきを混合した日記

「絶縁」とだけ書くとなかなかなもんだが
「絶縁体」の事。健康についての話だ。

Oさんによると
田植えや土の上で素足で歩くのが人間にとても良いらしい
都会での電磁波をリセットしてくれるようなのだ

それもそうだと納得

Mさんの話によると人間の脳は電位で反応し、考え、行動する
その為に人間は直立歩行し、末端には絶縁体を置くようになった
自然に身に付いた爪、後に人間が身につけた靴がそうだ

電磁波を受け、溜め込む事、それ自体が悪い事ではない。
それは必要なのだ/それによってヒトは思考する事ができ、
だからこそ現代ではパソコン、ネット、携帯にはまってしまう
ただ度を過ぎると、当然のごとく…

そんな時靴を脱いで(ソールという絶縁体を外して)
コンクリートでなく土に接する(電気回路で言うアース)

これが身体、脳にとってリセットになるのだろう。

そこで思いついた。

都会の、オフィスビルやショッピングモールなんかには、放電スペースを設ける事

そこには、地中に刺さっている金属棒が中心に置かれていて、
ヒトはそこに触れる事で放電し、溜め込んだストレスやX&%#をリセットする。

つまり…アンテナの逆。

地中に刺さっている金属棒といってもこれは単純に鉄骨の事だから作るのは簡単な筈。

都会の歪みを正し、社会効率を良くし、しいては新たなビジネスにもなると思うけども。
秋葉原なんかにもあったら良いと思う

考えてみればDown to Earthという言葉もこれに通じるわけで
どのジャンル、年代においても、電位が溜まりすぎた人々の感性は
地中放電、アースを必要としているのだろう
勿論、音楽においてもそうだ
デジタルが勃興した80年代の後、90年代半ばになって時代が20年戻ったのは当然の事の気がする
尤も、主にアナログをデジタルで作り替えているのがそれ以降で
僕はある時にすっかり、モデリング含めたデジタルな音に興味を無くしてしまったのだけど

つまり、電位が飽和したという事だろう

電位そのものであるパソコン、ネットの世界において
「アース」なものは、バランス良く、配置される必要があるだろう
トレンドとしてだけではなく、むしろ、ヒト一人一人の精神的健康の為

だけどブラウザに配置するどんなプラグインも、所詮は電位に過ぎないわけで
放電をremindするきっかけになるか、ぐらいのもので
癒しの音楽とか、写真とか、映像だ、文だ、配色だ
これら、きっかけであり、実験であり、仮想であり
…無益ではないけど、あまり頼らない事だろうな

パソコンからにゅーっと地中に根が生えたりしない限り…

beyond the hope ken

青山Victorでrec session。

昨秋Big Bandで録音した時と同じ部屋、同じブース。
ただしその時は管と指揮のD. Matthewsさんが陣取った大部屋を、今回はAbeさんのpianoが独占。
隣はSugawaraさんのpercussion。

録りおわり、
あの頃と今とで自分は何がかわったかなぁ、とふと思う。
あまり それなり 一杯 かわりすぎてわからない
そのどれでもあるなと、答えにならぬ結論が出る。
マークシートで言えば0点だ。

量りきれない程のすれ違いは、ある学者によると10次元もあるらしい宇宙の
レイヤー違いに過ぎないんだ、なんて、
ここでは思う必要もない。キラー通り。

ワタリウム美術館の下のOn Sundaysで二冊、かわいい本を買う。
love / Gian Berto Vanni – 三辺律子
Follow the Line Around the World / Ijungkvist

最近のcover favorite(プライベート・ナガし)は
Love You Madly / Mitchell – Ellington
I Love My Shirt / Donovan

Donovanはフランスの歌姫ZouZouとの新曲が出たそうで、早速iTunesで買ったところ。

この人、ほんと変わらない。

I Love My ShirtはアルバムBarabajagalに入っているのだけど、
どのアルバムを聴いても、こんな力の抜けた普通の曲や不思議な曲が必ず入っているのがDonovanだ。

Bostonで90年代に観た時も、80年代初頭のSecret Policeman’s Concertのビデオを観ても、
印象はなんにも変わらない。

因に、そこでの帯の肩書きがふるっている。

シークレット・ポリスマンズ・コンサート
参加
エリック・クラプトン(クリーム)
ピート・タウンゼント(ザ・フー)
スティング(ポリス)
ドノヴァン(夢 詩人)

Donovanの何がそんなに心にひっかかるって、
普通なんだけどもの凄く異質
普通に異質
幼稚園ぐらいから、クラスか職員室のどこかに居そう
だけどずっと居ない
そんなかんじ。

仲井戸麗市が名前を取ったぐらいだから
例えば近所のロックンローラーが内面そんなだったとしても全然違和感ないけど
千駄ヶ谷の駅長が内面そんなだったら、おもしろいな、と思う。

何故千駄ヶ谷の駅長が出てくるかというと、
いつもの外苑前から歩くのをやめて今日は千駄ヶ谷から行ったんだけど
洗面所にあった、携帯電話をオフろうというはり紙の右下の「千駄ヶ谷駅長」の署名が
妙に印象的で。

私は千駄ヶ谷駅長である、と言える人は
世界に同時に二人は存在しないだろうし
歴史的にもそう多くはないのだろうけど
そもそも駅とは関係なく車内で携帯電話をオフろうという話だから
どこの駅長の署名であろうと差はなく説得力はないわけで
なんで署名をしたのかなと、気になってしようがない。

これがなんだかDonovanなフックだという、こじつけを7次元目の宇宙に置いて来て
スタジオに戻り弦録りの録音を見学し、ベースを拾って外苑前から帰る。
ゴージャスなレイヤーのストリングスに感動、頭くらくらしながら
これは何次元目の宇宙だったかな
そんなの気にする必要もない、キラー通り。

つづきは、桜ヶ丘にて、Andieさんと

いぬがかけてゆく

こんな雨模様に
頭から離れない旋律というと

金延幸子の「み空」がある。
アルバムとしてもとても好きな作品だ。

ブリティッシュ・トラッドフォークのような色も濃いけれども
この人が関西人だな、と思う瞬間がある。

「いぬ」

イントネーションと
旋律は
こんな風にちょっと関連があった方が
僕は好きだ。

意識してるにせよ、しないにせよ。

かわいいか

かわいいものが好きだ。

この世で一番偉いものはネコじゃないかと、良く思うくらいだ。
「我輩は猫である」の猫はあまりかわいいとは思わないが。

…まぁ登場人動物の中では、一番かわいいか

iGoogleに出てるアジアンタイガーは、最高だ。
この時間の寝顔がまたかわいいのなんの。

まぁそんな事を思っているのは今だけ。

だからGT-Rは全然好きじゃない。
全然かわいくないからだ。

目は○い方がいい。オレみたいに垂れ目じゃなくていいが
まるくておっきい方がいい。ポルシェやシティや、昔のユーノスみたいに。

目が細くても最高にいかす、阪神の金本さんみたいな人には申し訳ないが。

なんのこっちゃ。

talbyはオブジェと化した今も最高にかわいい。
mediaskinは見た目はあまりかわいくないが、さわり心地はかわいい。
Raymond Weilのクロノグラフは何年経ってもやっぱりかわいい。

昔、椎名純平くんを手伝った時、渋谷のO-Eastのリニューアルオープンのパーティーライヴだったとかで
何故か小沢一郎とか小池栄子とか、色んなお方が観てたのだが、
そこのバンドのギターの亮ちゃん(後の事変・ペト)は、オレのRickを「かわいい」とやたら一言描写していた。

いちおーリハには5弦ベースも持ってったのだが、その理由に、非常に好感を持ったのを覚えている。結局本番はかわいい4001でやった。

Chuck Raineyも言ってた事、楽器はルックスが一番(その人にとってのだ)。
好きなら、音はなんとかなる。なんとかしようとするし、楽器も応えるもんだ。
逆もまた同じ。

哲学のみち

京都に哲学の道というのがあって

昔は近くに住んでいたのだが

度々歩いたとはいえ、特にそこで閃いた事も、思想が深まったという事もない。

こんな事を書くと罰当たりと思われるかもしれないが、

要はこちらの問題であり、僕にとっての哲学の道は他にあったのだなと、思う事にした。

今振り返ると、自分がインスピレーションを貰う、点火が行われる道は、確かにある。

これは、道そのものの特性もあるが、多分にその人の「好み」、言葉を変えればその人自体の「特性」だと思う。

僕にとって京都が特別な場所である事は変わりはないが、21C以降の人生を顧みるに

それは目黒川、駒沢通り、旧山手通りである。

割と大きな通りであるにも関わらず、人通りは少ない。

今日もWalking On The Moonを口ずさみながら家に向かうと
とある交差点、ビル越しに見えた月の反対側、巨大な人影が歩いていた。

ん、これのこと…?

“Giant steps are what you take, walking on the moon”

月明かりで、自分の影が途方も無く大きく伸びて、大股で歩いていくのである。
under the moonではあるが。
じゃぁ、と思う。

もし
月を
歩いたら

夜を照らすのは地球

ならば –

-実際、影を大きくしたのは月ではなく、丁度いい角度に存在した街灯なんだろうけどね-

invisible and everywhere

今日思ったこと

音って凄いよな

電車に乗って座ってると、聞くともなしに聞こえる会話があって
内容は残らないんだけど、声色や調子が妙に飛び込む人がいる。

それって…全然こちら宛に喋ってるわけじゃない。

電車に乗って立ってると、人が静かに、耳に詰め物をしてるのが眼について
だけど何にも聴こえない。

聴こえない、んですよ。漏れてくる、んじゃないんだよ。うるさい諸君。
(僕だったらほんと、ごめんなさい)

その道具は、いろんな人の脳に、音を送り込んでる。
外からは、何が送り込まれてるか、どういう反応を脳がしてるか、
わからない。

そんなエクスクルーシヴな栄養素と
放射して元気に舞う言霊が
僕らの周りに常にいる

そうだ、音楽やってたんだよな
レコードではこう、ホールではこうなんだよな
「生音っていいよな」
「このコンプがええねんな」

これも、ふと気付けばなんと狭い領域なんだろう。
脳機能の大多数は使用されてない、と聞く事あるが
そんな感じ。語られてたのは発展の枝のうちの、ほんの数本なんだろうな。

ひかりについて、ここしばらくなんとなく考えていたが
小さい頃、幼年科学まんがではよく「光とは」「音とは」って読んだものだが
音って、なんにもないし、全てになるし、
そして、なんで発せられて、なんで残るのか
…実体がないのに、どうして認識できてるのか
つくづく、すごいよな。

俺たち、なんの為に、音を出して聞きわけてるんだろう。
なんで、音の軌跡が残ったり再生されたり、するんだろう。

目に見えないものを最初に録音したのは、どういうことなんだろう??

Police 2.14

東京ドーム、

いい音だった。
んなわけあるか。

いくら凄腕のPAが居てもここの一塁スタンドで音楽を楽しむのは難しいのだろう。
映像も豆粒だったし、極悪の環境ではあった。

しかし、音楽はそれを突き抜けるものだ。
彼らは最高だった。

打ち込み、って改めて、感動を下げるな、とも思った。
Policeの曲でも例外じゃなかった。
Wrapped Around Your Finger
King Of Pain
これらで使用されたシークエンスの効果は、四半世紀経って、褪せていたと思う。
まぁ、当時のごく単純グリッドのドラムマシーンだけど。

だが生の演奏は、音にバンドの粘りが無かったPolice末期に比べてずっと有機的だった。
僕にとって、Synchronicity Tourあたりの音は、トーン、ビート共に平坦で面白くないのだ。
レコードはそれなりに、味わう事もできるが、やはり2枚目にはかなわない。

最近、10数年前に出た2枚組のlive盤を良く聴き直していて、
そこでも初期のBoston公演の方が圧倒的に面白い。
Bed’s Too Big Without You
Truth Hits Everybody
…全て!

今回のリユニオンでは、この頃並の一体感と、歳故の成熟はあったと思うのだ。

wowwowで放映があったのだが、まだ観ていない。じっくり観るとどうだろう。

うみのちかくへ

ココアを飲み、髪を切ってもらう。
僕の問題だらけの頭を扱えるのは東京ではこの人をおいて他にはない。Iさん。
実にうまい。

散歩の後、スターバックスタイマーを発見した店ではなく、隣の上島珈琲の店に入ってみる。
普通に込んでたが、悪くなかった。沈む前の陽を窓から浴びれたのはラッキーだった。

目黒川には、cowbooksの向かい辺りに、すばらしいパン屋と珈琲屋もあるのだが。
それは今度にとっておく。

夜は横浜へ、音羽信さんのliveを観にいく。
うん十年ぶりとかいう貴重なステージ。
音羽さん、伝説の人らしいけど実はごく最近まで知らなかった。
いーい曲なんだ。

メロディも空気も、全然古くない。

控えめながら自信が垣間見える。
人の自信って、やってきた事、人生から
色々な出方をすると思うのだけど
なんだか素敵だな、と思った。

pasmoという素晴らしいものがなければ、
CDを買った僕は家に帰れなかっただろう。

ま、そんなとこ。
webを少しリニューアルしようかと画策する。
そういえば年も変わってるしな、
直木三十五状態でr08, r09, r10…もいいかと思ったが。

はてさて。

りずむ戯言

今日はRhythm Changeに始まり、Rhythm時計に終わる。
テンポ・チェンジと所謂”Rhythm”チェンジがどう違うのか、と尋ねられ、
それは無理もないと思いつつ午後が始まった。
I Got RhythmがどうしてSummertimeよりヒットしたか?(ヒットしたとあるだけで、実際両者のヒットぶりを体験したわけではないし、こと僕の周りではサマータイムの方が有名で、リズムチェンジの方がオルタナ魂あるとさえ思っている)

楽しいって事だろう。
哀愁って事だろう。

どっちか、だ。

ごくごく一般の人に、曲を知らなかったとして、
「リズム」「夏」と尋ねたら、両方えらく楽しいイメージをするだろう。
なんで「夏」があんな哀愁(あえてこの古い言葉を使う)の主題になるのか、
そんな意識せずにいるんじゃないか。自分はしなかった。

でもあの曲が「秋」でも「春」でもやはりピンと来ないから
夏なんだろう。

日本の古き夏には、合ってるような気がする。
それで定着したのかな。

「リズムチェンジ」の明るさはいかにもアメリカ的に思える。
明るさと、幾何学的な所と、粗暴さが。

これはビッグバンドであっても、ジャンプであっても、共通したカラーみたいだ。
Sarah Vaughanのビッグバンド版の完璧さとSlim & Slamと、同じ色がある、
同じ乾きがある。

ほんとはそれと同じ乾きがあるのがSummertimeだと思う。

日本における滑稽な大衆音楽って、僕はどうもドリフターズ以外抵抗があって、
なにか作られた気がしてる。関西人だからって事かもしれないけど
何か戦後、分断された時があるような気がしてならない。

東京で発展した、欧米の影響の音楽、
ずっと遠かったから、最近になってラジオなんかで聴くと意外な発見もある。
けどそれは今のところ、今よりずっと、マジだったんだなぁ、上手かったんだなぁ、
というところに留まってる。彼らやとりまき、リスナーのほんとのスピリットは僕にはなかなかわからないだろう。

リズムチェンジ

話かわって、質問のようにリズムチェンジって、確かにリズムを変える事だ。
生活や頭のリズムを変えること。

午後遅く、練習をしていてふと純正律が気になり、色々読み物をしていたのだが
最後にリズム時計という会社に目が留まった。
シチズン、だ。

シチズン、も、ナショナル、と同じで、世界的には不利なブランドネームなのかな、と
思いつつ…
しかしそんな事いったら、フォルクスワーゲンもそうだろうし、GMはどうなる、ってもんだが。

だいたいメジャーリーグやワールドシリーズなんて、とんでもないネーミングだ。

ともかく、シチズンのwebの音楽が割と気持ち良くて、
秒を刻むピアノの音が…サンプラーだろうが…表情もあってよかった。

アバルーの「ぷかぷか」に参加してる時計は、スウォッチだ。
もう動かない、最高のウォッチバンド。

Epizo Bangoura

Guineaの至宝、Bangouraファミリー(そして親戚の「鳥取」さんことアラマ)の公演に、参加してしまった。
EpizoさんはSalif Keitaや、Stonesのツアーにも参加してる魔法のマルチプレーヤー、そしてグリオ(語りべ)。
コラという、伝説+自作の楽器にバラフォン、ジャンベ、そして歌。とどまる事のない音の泉を見せてくれる。
その小顔はMilesのよう、とはツアーマネージャーの弁。うん確かに。

初対面のその日に9曲教えられてライヴの上、2日目には前夜思い付いたという新曲、
そんで翌日Motion Blueに参加しないか?ってんで、いやーこんなん、久しぶりやった。

今回は5弦のフレットレスで木と木のまじわい、髪が伸びすぎてMotionではまたも茶ムギ帽子。

曲順も構成もその場で変わる。昔やったJamaican達とのレゲエ(Dunny Tucker & Vibe Tribe)を思い出したな。

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