こんな雨模様に
頭から離れない旋律というと
金延幸子の「み空」がある。
アルバムとしてもとても好きな作品だ。
ブリティッシュ・トラッドフォークのような色も濃いけれども
この人が関西人だな、と思う瞬間がある。
「いぬ」
イントネーションと
旋律は
こんな風にちょっと関連があった方が
僕は好きだ。
意識してるにせよ、しないにせよ。
こんな雨模様に
頭から離れない旋律というと
金延幸子の「み空」がある。
アルバムとしてもとても好きな作品だ。
ブリティッシュ・トラッドフォークのような色も濃いけれども
この人が関西人だな、と思う瞬間がある。
「いぬ」
イントネーションと
旋律は
こんな風にちょっと関連があった方が
僕は好きだ。
意識してるにせよ、しないにせよ。
かわいいものが好きだ。
この世で一番偉いものはネコじゃないかと、良く思うくらいだ。
「我輩は猫である」の猫はあまりかわいいとは思わないが。
…まぁ登場人動物の中では、一番かわいいか
iGoogleに出てるアジアンタイガーは、最高だ。
この時間の寝顔がまたかわいいのなんの。
まぁそんな事を思っているのは今だけ。
だからGT-Rは全然好きじゃない。
全然かわいくないからだ。
目は○い方がいい。オレみたいに垂れ目じゃなくていいが
まるくておっきい方がいい。ポルシェやシティや、昔のユーノスみたいに。
目が細くても最高にいかす、阪神の金本さんみたいな人には申し訳ないが。
なんのこっちゃ。
talbyはオブジェと化した今も最高にかわいい。
mediaskinは見た目はあまりかわいくないが、さわり心地はかわいい。
Raymond Weilのクロノグラフは何年経ってもやっぱりかわいい。
昔、椎名純平くんを手伝った時、渋谷のO-Eastのリニューアルオープンのパーティーライヴだったとかで
何故か小沢一郎とか小池栄子とか、色んなお方が観てたのだが、
そこのバンドのギターの亮ちゃん(後の事変・ペト)は、オレのRickを「かわいい」とやたら一言描写していた。
いちおーリハには5弦ベースも持ってったのだが、その理由に、非常に好感を持ったのを覚えている。結局本番はかわいい4001でやった。
Chuck Raineyも言ってた事、楽器はルックスが一番(その人にとってのだ)。
好きなら、音はなんとかなる。なんとかしようとするし、楽器も応えるもんだ。
逆もまた同じ。
京都に哲学の道というのがあって
昔は近くに住んでいたのだが
度々歩いたとはいえ、特にそこで閃いた事も、思想が深まったという事もない。
こんな事を書くと罰当たりと思われるかもしれないが、
要はこちらの問題であり、僕にとっての哲学の道は他にあったのだなと、思う事にした。
今振り返ると、自分がインスピレーションを貰う、点火が行われる道は、確かにある。
これは、道そのものの特性もあるが、多分にその人の「好み」、言葉を変えればその人自体の「特性」だと思う。
僕にとって京都が特別な場所である事は変わりはないが、21C以降の人生を顧みるに
それは目黒川、駒沢通り、旧山手通りである。
割と大きな通りであるにも関わらず、人通りは少ない。
今日もWalking On The Moonを口ずさみながら家に向かうと
とある交差点、ビル越しに見えた月の反対側、巨大な人影が歩いていた。
ん、これのこと…?
“Giant steps are what you take, walking on the moon”
月明かりで、自分の影が途方も無く大きく伸びて、大股で歩いていくのである。
under the moonではあるが。
じゃぁ、と思う。
もし
月を
歩いたら
夜を照らすのは地球
ならば –
-実際、影を大きくしたのは月ではなく、丁度いい角度に存在した街灯なんだろうけどね-
今日思ったこと
音って凄いよな
電車に乗って座ってると、聞くともなしに聞こえる会話があって
内容は残らないんだけど、声色や調子が妙に飛び込む人がいる。
それって…全然こちら宛に喋ってるわけじゃない。
電車に乗って立ってると、人が静かに、耳に詰め物をしてるのが眼について
だけど何にも聴こえない。
聴こえない、んですよ。漏れてくる、んじゃないんだよ。うるさい諸君。
(僕だったらほんと、ごめんなさい)
その道具は、いろんな人の脳に、音を送り込んでる。
外からは、何が送り込まれてるか、どういう反応を脳がしてるか、
わからない。
そんなエクスクルーシヴな栄養素と
放射して元気に舞う言霊が
僕らの周りに常にいる
そうだ、音楽やってたんだよな
レコードではこう、ホールではこうなんだよな
「生音っていいよな」
「このコンプがええねんな」
これも、ふと気付けばなんと狭い領域なんだろう。
脳機能の大多数は使用されてない、と聞く事あるが
そんな感じ。語られてたのは発展の枝のうちの、ほんの数本なんだろうな。
ひかりについて、ここしばらくなんとなく考えていたが
小さい頃、幼年科学まんがではよく「光とは」「音とは」って読んだものだが
音って、なんにもないし、全てになるし、
そして、なんで発せられて、なんで残るのか
…実体がないのに、どうして認識できてるのか
つくづく、すごいよな。
俺たち、なんの為に、音を出して聞きわけてるんだろう。
なんで、音の軌跡が残ったり再生されたり、するんだろう。
目に見えないものを最初に録音したのは、どういうことなんだろう??
東京ドーム、
いい音だった。
んなわけあるか。
いくら凄腕のPAが居てもここの一塁スタンドで音楽を楽しむのは難しいのだろう。
映像も豆粒だったし、極悪の環境ではあった。
しかし、音楽はそれを突き抜けるものだ。
彼らは最高だった。
打ち込み、って改めて、感動を下げるな、とも思った。
Policeの曲でも例外じゃなかった。
Wrapped Around Your Finger
King Of Pain
これらで使用されたシークエンスの効果は、四半世紀経って、褪せていたと思う。
まぁ、当時のごく単純グリッドのドラムマシーンだけど。
だが生の演奏は、音にバンドの粘りが無かったPolice末期に比べてずっと有機的だった。
僕にとって、Synchronicity Tourあたりの音は、トーン、ビート共に平坦で面白くないのだ。
レコードはそれなりに、味わう事もできるが、やはり2枚目にはかなわない。
最近、10数年前に出た2枚組のlive盤を良く聴き直していて、
そこでも初期のBoston公演の方が圧倒的に面白い。
Bed’s Too Big Without You
Truth Hits Everybody
…全て!
今回のリユニオンでは、この頃並の一体感と、歳故の成熟はあったと思うのだ。
wowwowで放映があったのだが、まだ観ていない。じっくり観るとどうだろう。
ココアを飲み、髪を切ってもらう。
僕の問題だらけの頭を扱えるのは東京ではこの人をおいて他にはない。Iさん。
実にうまい。
散歩の後、スターバックスタイマーを発見した店ではなく、隣の上島珈琲の店に入ってみる。
普通に込んでたが、悪くなかった。沈む前の陽を窓から浴びれたのはラッキーだった。
目黒川には、cowbooksの向かい辺りに、すばらしいパン屋と珈琲屋もあるのだが。
それは今度にとっておく。
夜は横浜へ、音羽信さんのliveを観にいく。
うん十年ぶりとかいう貴重なステージ。
音羽さん、伝説の人らしいけど実はごく最近まで知らなかった。
いーい曲なんだ。
メロディも空気も、全然古くない。
控えめながら自信が垣間見える。
人の自信って、やってきた事、人生から
色々な出方をすると思うのだけど
なんだか素敵だな、と思った。
pasmoという素晴らしいものがなければ、
CDを買った僕は家に帰れなかっただろう。
ま、そんなとこ。
webを少しリニューアルしようかと画策する。
そういえば年も変わってるしな、
直木三十五状態でr08, r09, r10…もいいかと思ったが。
はてさて。
今日はRhythm Changeに始まり、Rhythm時計に終わる。
テンポ・チェンジと所謂”Rhythm”チェンジがどう違うのか、と尋ねられ、
それは無理もないと思いつつ午後が始まった。
I Got RhythmがどうしてSummertimeよりヒットしたか?(ヒットしたとあるだけで、実際両者のヒットぶりを体験したわけではないし、こと僕の周りではサマータイムの方が有名で、リズムチェンジの方がオルタナ魂あるとさえ思っている)
楽しいって事だろう。
哀愁って事だろう。
どっちか、だ。
ごくごく一般の人に、曲を知らなかったとして、
「リズム」「夏」と尋ねたら、両方えらく楽しいイメージをするだろう。
なんで「夏」があんな哀愁(あえてこの古い言葉を使う)の主題になるのか、
そんな意識せずにいるんじゃないか。自分はしなかった。
でもあの曲が「秋」でも「春」でもやはりピンと来ないから
夏なんだろう。
日本の古き夏には、合ってるような気がする。
それで定着したのかな。
「リズムチェンジ」の明るさはいかにもアメリカ的に思える。
明るさと、幾何学的な所と、粗暴さが。
これはビッグバンドであっても、ジャンプであっても、共通したカラーみたいだ。
Sarah Vaughanのビッグバンド版の完璧さとSlim & Slamと、同じ色がある、
同じ乾きがある。
ほんとはそれと同じ乾きがあるのがSummertimeだと思う。
日本における滑稽な大衆音楽って、僕はどうもドリフターズ以外抵抗があって、
なにか作られた気がしてる。関西人だからって事かもしれないけど
何か戦後、分断された時があるような気がしてならない。
東京で発展した、欧米の影響の音楽、
ずっと遠かったから、最近になってラジオなんかで聴くと意外な発見もある。
けどそれは今のところ、今よりずっと、マジだったんだなぁ、上手かったんだなぁ、
というところに留まってる。彼らやとりまき、リスナーのほんとのスピリットは僕にはなかなかわからないだろう。
リズムチェンジ
話かわって、質問のようにリズムチェンジって、確かにリズムを変える事だ。
生活や頭のリズムを変えること。
午後遅く、練習をしていてふと純正律が気になり、色々読み物をしていたのだが
最後にリズム時計という会社に目が留まった。
シチズン、だ。
シチズン、も、ナショナル、と同じで、世界的には不利なブランドネームなのかな、と
思いつつ…
しかしそんな事いったら、フォルクスワーゲンもそうだろうし、GMはどうなる、ってもんだが。
だいたいメジャーリーグやワールドシリーズなんて、とんでもないネーミングだ。
ともかく、シチズンのwebの音楽が割と気持ち良くて、
秒を刻むピアノの音が…サンプラーだろうが…表情もあってよかった。
アバルーの「ぷかぷか」に参加してる時計は、スウォッチだ。
もう動かない、最高のウォッチバンド。
Guineaの至宝、Bangouraファミリー(そして親戚の「鳥取」さんことアラマ)の公演に、参加してしまった。
EpizoさんはSalif Keitaや、Stonesのツアーにも参加してる魔法のマルチプレーヤー、そしてグリオ(語りべ)。
コラという、伝説+自作の楽器にバラフォン、ジャンベ、そして歌。とどまる事のない音の泉を見せてくれる。
その小顔はMilesのよう、とはツアーマネージャーの弁。うん確かに。
初対面のその日に9曲教えられてライヴの上、2日目には前夜思い付いたという新曲、
そんで翌日Motion Blueに参加しないか?ってんで、いやーこんなん、久しぶりやった。
今回は5弦のフレットレスで木と木のまじわい、髪が伸びすぎてMotionではまたも茶ムギ帽子。
曲順も構成もその場で変わる。昔やったJamaican達とのレゲエ(Dunny Tucker & Vibe Tribe)を思い出したな。
New stuff:
Up Jumped A Bird / Bob Dorough
She’s Not There / Zombees
かみなり小唄 / 小生
東京は暑い。
今朝まで居たところも暑かったが渋谷もさすがだ。
コンクリートだ。
公園通りクラシックス
6月に引き続き、でかベース、アンプ、ヘッドのご家族連れ状態で出かける。
ハチ公過ぎでもの凄い形相で人並みをかわすおっさん、ある種の同類を感ず。
ところがこっちは涼しいふりなのさ。
Maïaとのステージというのはかずみとまや(ツアー)、仮面の夜(その日のせいで音を出せなくなった恵比寿のレストラン)、本門寺、その他と折にふれて数はこなしているが、今回は共にソロを持ち寄るっていう変則的ライヴだ。
盛り上がった分もあっけにとられた分も、
MC等言わなくていい事もけっこーあったと思うけど、
出し物精神に立ち戻って、意味あるステージが出来たのとちゃうかな、と思っている。
この日演奏したのはみんなスーパーミュージシャン達だし
あとは観た人達の判断だしね。
僕は観る側としても、楽しめた。
テツロー氏とのジャムは、準備に凝ったものではなく、半ば二人のルーツってことでスタンダードを2曲。
悪ノリでへんてこなスキャットとコーラスをフィーチャーさせてしまった。
楽しんでくれれば嬉しい、すると楽しい。
やった曲
Araurum Kim Kim (bïa)
Chansons (maïa)
こんちくしょう “c’est pas facile…” (maïa)
生活の柄 “水で乾かせ” (yamanoguchi, ray)
風に誘われて (ray, maki, chihiro)
らいち (ray)
デロスの丘 (maïa, kazumi)
美しき天然 (takeshima, tanaka)
つぐみ (ray)
member
Ray (doublebass)
Maïa (vocal, flute)
黒田牧子 (ゴロス)
鶴来正基 (pf)
jam with 矢舟テツロー
Straight Up and Fly Right (mills/cole)
L.O.V.E. (cole)