カテゴリー: mono

westwood-weyburn

二月。先日初日の出が昇ったばかりなのだが。
日はまだあまり長くなった気がしないのだが。

半年以上疎かになっていた鍵盤を少し思い出す。

視覚情報である楽譜という形にしていないことを先日から悔やみつつ
その一方で指の形や感触で思い出すことの大きさも感じる。

手と頭。両方大事なのだ。

人前でやるときは、その両方を忘れる = 意識しないレベルまでインターナライズするけど
ライヴしない今だから、逆に感じ取れることもある。


Leland Sklar のインタビューをしばしば読み観する。面白いこと話す人ですね。

とてもストレートでクレバー。仙人かと思ったら若いコンピューターエンジニアみたいだ。LA のガレージの。

’70s の Westwood の楽器屋では、誰もが集ってジャムしたり、あーだこーだ改造のアイデアを出し合ってたという。どんなんだったろうな。
楽器じゃないけど、2000年にふと Weyburn ave で手に入れたサングラスが好きなのはやっぱり、そういう場所の力なのかな。

…その眼鏡屋さんはまだ健在らしい
クリップオンはまだ壊れたままだ

cosmos

私の街には

書店があって

まぁどこの街にもあるだろうけど

それはこの一帯ではほぼ唯一といっていい

いわば king といえる

あまり amazon を使わない私は

リモート時代にあっても割と実店舗を重視したりする

足を運べる場所であれば、である

その書店にはおそらく大概の書店と同じく

ポイントカードというのがあって

左から右端まで貯めるといくらか割引してくれる。


ただしここには条件があって

有効期限内に貯めないとリセットされてしまう

カードの有効期限がきて次のカードを作ってもポイントを一つも引き継いでくれない。


有効期限、は11日後に迫っていた。

現在私のカードは半分折り返したところ。ゴールへの道のりは遠く、先日などはレジで

「あぁ、貯まりそうもないですね、ちょっと早いですけど次のカードに切り替えましょうか」

と言われたぐらいだ。

「一旦白紙になって、今日の買い物は次のカードの最初のポイントになります」

私はそれをお断りした。丁重に。

現実性はともかくとして、そんな運命の閉じられ方はごめんだ。

と思ってしまったのだ。カードのハンコは右側に一つだけ増えた。

以来、カードを埋めるべきか、諦めるべきか、ずっと熟考している。


ミニカーだ。ときどき何故か本屋にあるモノ。プラモとか大人の科学とかの類。

マツダコスモのミニカー。これ欲しかったんだ。なんか凝ってて、作るのも面白そう。

昨日の日記と全く矛盾するが、意味のないフィギュアって、時にすごく意味がある。

どこかのベーグル屋さんでみつけた R360 クーペの写真がかわいくて飾っている。
その sibling、というか親戚のコスモ、部屋に置くのもいいか。

これを買えば、割とポイントが貯まる。1/20か1/30に買えば倍ポイントとやらで
ゴールに近づくではないか。


そんなことを考えて迎えた本日。1月20日はポイント二倍デー。
夕刻、書店はいつもより賑わっている(気がする)。

コスモが平積みされていた棚に急ぐ。

コスモ、ない。
ひとつもない。

こんな小さい街で、1週間足らずにコスモのミニカーがそんな沢山売れるか?

それは山積みのF2戦闘機に変わっていた。

あー。また戦闘機かよ。

そういう自分も、昔はミリタリーに詳しい、モデルガン好きだった。
でも今は好きじゃない。必要なのは、人殺しの道具じゃなくて、人を殺さずに戦争を止める方法。

殺しあわず、破壊せずに生き残る方法。それが SDGs だろ?

ぶちぶち思いながら、2000GT の箱を退けると、その下にコスモはあった。

完成されたミニカーだった。
てっきり組み立てキットだと思い込んでいたせいか、急速に興味が醒めた。


ある程度の値段のものを買わないと、ポイントが貯まらない。

高めの雑誌を買おうと思ったが、このところ雑誌の必要性はない。
雑誌というのは、散髪屋で読んでいる時が一番すてきな体験なのだ。
もう1年以上、セルフカットで済ませてる。

難し目の自然科学か哲学書をと思ったが、置いてない。

ふと記憶を辿って、20年前にある SSW が薦めていた本を買おうと思い立つ。
それらしい題名を検索して作者と出版社を知り、発見する。寺山修司。

この街の書店もなかなかやる、と満足したが、値段はポイント1個分にも満たなかった。
0は倍にしても0なのだ。

5年前にあるピアニストが薦めていた本を買おう。サンサル。
検索すると「品切れ、重版未定」とある。

仕方ないので、たぶん読むだろう文庫本を数冊選ぶ。読むかなぁ。

文房具も買えばいいのだが、今のところ間に合ってる。
コンパスもあるし、分度器も余ってる。オルファのカッターも何本も持ってる。

いい加減あきらめて、今日のところはとレジに並んだ。


そしてふと

カードを忘れたことに気づいた

ふっ

手に取った文庫本をすべて棚に戻し、あと10日後にまた会おうと嘯いて帰る

帰宅してもカードは見つからないでいる。

スプリンガー52

一日遅れ、朝刊がわりの日記を続ける。

新聞紙を時折読んで思うのは、その文字の多さ。
広告もあるが、よくあれだけ文字で埋め尽くせるものだ。
権威を持って。

新聞記者の仕事に、改めて恐れ入る。

とはいえ、メディアが危険、という認識は変わらない。
2012年後半、野田〜安倍政権以降沈んで落ちていった報道の自由度は、
十年を経て、統制の海が喫水線を超えている。

それとも、ずっとそうだったのか。

「善悪の判断を超えてひたすらキーボードを打ち続ける取材者」と評する人がいる。
その真偽はわからないが、自己投影してみる。
「それが記者なのだ、私は意見者ではないのだ、まずは正確に記すのが使命」
という認識が出てくるだろう。だがそれならロボットで十分じゃないか。
葛藤に苦しむこと、間違いないな。

この日記も、いっそ「新聞紙」並みの文字量で、その日考えた事を全部記してみようか、と思う。
馬鹿げている。五七五と真逆。


音符にも似たところがあるかもしれない、とも思う。
あるいは音数にも。


僕は音数の、編成の少ない音楽が好きだ。そういう意味では日本的かもしれない。
一方、「巷の」日本の音楽や広告、媒体、そして都市でまず感じるのは詰め込みだ。

僕にとっては、無駄な情報ばかり。狭い場所に詰め込むことで、余計に窮屈に感じるのはなぜだろう。

そんなわけで、僕の中での日本文化は、いつも矛盾している。
水墨画のような表現、空間の美、そういうところが好きだ。

それらは日本の中の「広い空間」で編み出されたものとは限らないのだが。
むしろ狭い空間や精神世界から広がりを、それが僕のたどり着きたい日本なのだろうか。


最低音楽器と最高音楽器の繋がりはどこか、と確かめる。
案外、きれいに繋がりそうだと知り、嬉しくなる。これなら何かできそうだ。
今年中には、何か形にしてみようか。


そっか、僕の周りにあるのは、いつも両極端で、葛藤で、矛盾なんだな。
改めて認識する。でもその上でやってくよ。


数年前の年末に有馬温泉土産で買い、残しておいた 自宅温泉風呂パック を使う。
パッケージに「大日本摂津國有馬町」とある。
OEM 生産で製造販売者は新潟の「環境化学」。ギターでいうマツモクみたいなものか。
成分は主に塩と酸化鉄。
販売商品名は「スプリンガー52」。ターミネーターみたいだな。
いろいろと発見。温まって就寝。

フライングパン

餅を焼くのにみんなはどうしているのだろうか?

うちでは
魚焼き〜匂いがつく
ガスコンロに網乗せ〜真ん中しか焼けない
電子レンジ〜使ってない
オーブン〜貴重な道具を餅の事故には遭わせられない

というので、暫定的に「フライパン」にしたのだが
これが圧倒的に簡単で、いい具合に柔らかくなるのでビビっている。

なんだったのだ他の方法は。


地道に初歩練習、音域の解読、音源のアーティキュレーションの解読
今の今まで、使ったことのない機能。10年以上前から知ってたのに。
触るとめっちゃ簡単だったが、キースイッチよりもパッチチェンジの方が役立つ時って、
どすればいいんだろうか? 今の音源にパッチチェンジってそもそもあるの?

昔の練習用データを掘り起こし、バックアップの整理。
NAS の容量も足りないので、要らない録音ファイルもがんがん消していく。

昔は、難しいエチュードやトランスクライブを弾くときに、まず DAW で「写譜」して
それから楽器で練習することもあったのだが、それって DAW にはまると
データ作りに時間を割いてしまって、肝心の楽器に触る時間がなくなったりする。
それで阿呆らしくなって、放棄したデータも山ほどあるが、うまく使えばやはり役立つ。
詰めすぎないこと。生を主に、テクノロジーは従に、というのがここ数年の基本姿勢。

今年は少し段階を進めて、テクノロジーも見直す。

データと楽器と、身体的には真逆だが、両方ないと、です。
ただ、データは消せるけど身体は消せない。
一方、身体が消えてもデータは残ってくれる。残ってしまう、かもしれない。

過去の常識の通用しない「人生」。これからどう過ごすにも、答えはないのです。
「モノ」を残す気のない自分。
子供の頃はものづくりにも憧れた、と薄く思う。


Flying Pan とは初期のエレキギターの愛称。リッケンバッカーが作ったラップスティールだ。

もうこれ以上楽器はいらない、役目を終えれば減らすだけだろうと思う自分が、
昔のリッケンには憧れる。
チューリップ型のグリーンのギターや、フライングパン。かわいいもんな。


今年の目標は一つ。

早寝
早起き

これ基本っしょ。

英国紳士とTシャツ

前回 に続いて、The Guardian の Charlie Watts 追悼記事。今回は、Bruce Springsteen and the E Street Band のドラマー、Max Weinberg からの後半部分です。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts
by Max Weinberg, as told to Ben Beaumont-Thomas

序文にあった ”- and his clothes-folding skills” ってどういうこと? と思ったら、全部あまりにいい話で、一気に読みました。以下、僕の訳です。


僕が子供の頃のニュージャージーでは、仕事を探すミュージシャン向けのチラシがあって、60年代半ばから70年代まではいつもこんな感じだったよ。「求む: Charlie Watts タイプのドラマー。」Charlie はただのドラマーじゃない – 彼はジャンルなんだ。僕が叩くすべてのビートには、どこかに Charlie Watts がいるんだよ。

彼が Rolling Stones でやったことの何が独特だったかといえば、それはロックンロールである一方で、実はブルースだったんだ。
僕は、Stones が長く続いた理由というのは、彼らが本質的にポップバンドでなく、ブルースバンドだったからだと思っている。ブルースは永遠に色あせない。
もちろん、様々な理由で彼らは世界最高峰のバンドだ。しかも彼らは、自ら世界最高のバンドだと言ってる。
だけど、ドラムという観点では、彼は誰とも比べられない唯一無二の存在だった。彼みたいな人はどこにもいなかったよ。彼の模倣者や彼への挑戦者はいる、だけど Charlie Watts はただ一人だし、今後も永遠にそうなんだ。
彼の身体はもうこの世にはないけど、彼はドラミングの魂として永遠に生き続ける。Charlie Watts がいない世界なんて、少なくとも僕の中では、およそ理解できないんだ。

彼はお気に入りのジャズドラマーの影響で彼のスタイルを形作った。たとえば偉大なイギリスのドラマー Phil Seamen、そしてアメリカのドラマー Dave Tough: 見た目まで Charlie に似た、お洒落にうるさく、途方もないグルーヴと音色を持った人だ。
Charlie は – 僕も同じだ – STAX の偉大な Al Jackson の後期のプレイで一般的になった、あのロックドラミングのスタイルの支持者だった。意図的にバックビートをタメて叩くっていうやつだよ。
そのやり方っていうのは – ちょっとテクニカルになるんだが – ビートの2拍と4拍に集中するってことじゃない、1拍と3拍が大事なんだ。
他のいい例は James Brown の音楽だよ。彼の音楽は1拍目に着地することに重きを置いている。それができるようになるには長い時間がかかるんだ。
そういうことができるドラマーは、バスを運転してるようなものだよ。そして最高のドラマーなら、他のミュージシャンに彼らが必要なものをあげられるんだ。
Charlie はそれを、本能的にやっていた。または、偉大なドラマーたちを聴き込んで、その術を習得したんだ。Chick Webb、Kenny Clarke、Kenny Clare、Art Blakey、Max Roach (といったジャズドラマー)をね。

彼にはトレードマークのドラムフィルがあった。Bruce Springsteen のアルバム “Born in the USA” のレコーディング中、僕は “Street Fighting Man” がずっと気になっていた。あのサウンド、強さ、ビートがね。それはどうやらツアー用のドラムセットか、箱みたいなモノを使って*、カセットレコーダーで録音されたっていう噂で、信じがたいほどヤバくてタフな音をしていたんだ。
Charlie は曲中で例のフィルをやったんだ。素早い、8分音符三つの「バッバッバッ」ってやつをね。Bruce が “Born in the USA” のグルーヴを僕らに伝えたとき、僕は “Street Fighting Man” を思い起こしたんだ。それで僕はあの曲で、Charlie Watts をやったってわけだよ。

“Rocks Off” も、また別の Charlie Watts のベストパフォーマンスだね。彼はフレーズの途中であのローリングのフィルをやるんだ。天才だよ、だけど彼はあらかじめフレーズを作ってたわけじゃない。彼はジャズドラマーだからね、瞬時に思いついたことを叩くんだ。彼は多くのインタビューで語ったように、いつも Charlie Parker や Miles Davis が彼の前に立っていることを想像しながら叩いていたんだよ。

僕たちは友情を築き上げた。彼はいつだって、あり得ないほど愛らしく、知的な人だった。初めて彼に会ったのは1979か1980年あたり、Stones が Madison Square Garden で数日間公演してたときだ。Modern Drummer のインタビューがあったので、友達について行ったんだよ。彼は3ピースの Savile Row の背広を着ていて、信じられないほどお洒落で、彼の手荷物を片付けられるように、僕らをホテルの彼の部屋に招いてくれた。彼は2つの美しいレザーのスーツケースをベッドに乗せて、それらを開けたんだ。すべてが完璧に折り畳まれていたよ。きっちりした化粧道具があった。僕がロードで旅するのと正反対だった。彼はスーツケースから服を出して、ベッドに置いて、畳み直し、引き出しに入れた。僕はホテルの部屋の引き出しなんて15年間のロードで一度も使ったことはなかった。僕がそれまで見た一番クールだったことの一つだよ。

そこで僕らはインタビューをし、ルームサービスを頼み、そして彼は (Madison Square) Garden への迎えが来る頃だと気づいて、寝室に入り、スウェットパンツと裂けた T シャツを着て出てきた。彼はそれまで英国の君主のような身なりで、ハンサムで、貴族的で、ごつごつした顔をしてたんだが、それが今は「彼らとプレイする」ために、普段着に着替えてた。「僕のバンドとプレイするんだ、僕らのバンドで」とは言わずに、いつも「彼ら、Stones と」(プレイするんだ)と言ってた。彼にはこういった、面白い距離の保ち方があったんだ。

年月が経ち、1989年のこと。Charlie は僕に電話をくれ、Stones が10月に NYC でプレイすると教えてくれた。彼は、僕が Joe Morello の友人だと言ったことを覚えていたんだ。Joe は Dave Brubeck Quartet のドラマーで、Brubeck のあの “Take Five” や “Blue Rondo ala Turk” の変拍子の肝になった人だよ。そして Mel Lewis、素晴らしいバップ期のドラマーとも(僕が友人であることを)ね。Charlie は彼らの大ファンで、こう言ったんだ。「彼らがどうかはわからないけれど、僕はもし彼らが Shea Stadium に来てくれて挨拶できたら、月にだって昇るよ。彼らがコンサートまで残ってくれるとは思わないけどね。」僕は言った。「Charlie、できる限りやってみる。」
Mel はロックンロールが嫌いだった。彼はロックンロールが、西洋文化の堕落だと思っているジャズマンの一人だったんだ。

だけど僕たちは Shea Stadium に向かうことになり、最高のもてなしをうけた。彼らは僕らをエレベーターに乗せた。Rolling Stones には – Paul McCartnery みたいに – だいたい10段階のゲストレベルがあったんだ。だんだん VIP の度合いが増してくる。僕らは奥のプライベートルームに招かれた。「Charlie、君に Joe と Mel を紹介できて光栄だよ。」僕は言った。
そして Charlie は彼らと握手し、こう言ったんだ。「ジェントルマン、お会いできて光栄です。」 Charlie は数えきれないぐらいの質問を浴びせた。「Wynton Kerry とプレイしたとき、あなたはあのロールをしましたね、あれはどうやったんですか?」「Joe、”Take Five” では実際どうやってプレイしたのか、教えてくれませんか?」とね。彼はクリスマスの(プレゼントにはしゃぐ)子供だったよ。耳にすることすべてに微笑んでた。僕はといえば、こうして彼らを引き合わせることができたのが信じられなかった。

彼らは(挨拶の後の)コンサートを観たがった。Joe は目が見えず、ショーの光景は楽しめなかったけど、僕にこう言ったんだ。「Charlie Watts はすごいドラマーだね、なんて強靭なタイム感なんだ、あのバンドを実にうまくつなぎとめてる。」一方、Mel はといえば – この人は45年間、ロックンロールに文句を言い続けていたのに、すっかり気に入ってた。彼らの音楽性にも、ショーにも、そして何より Charlie のドラミングに強く感銘を受けてたよ。
ドラマーにとって大事なのは何か、それはあんたがやっていることが、その音楽に対して適切なのかどうか? ってことだよ。
それが Mel Lewis が本当に感心してたことだ。「彼はバッチリだね!」帰路のドライブ中、Mel は言ってた。「まだロックンロールは好きじゃないが、あれはすごい経験だった。それに君の友人、なんで彼らが最も偉大なバンドと呼ばれるかわかったよ – もしロックドラムを叩かなきゃならないなら、あれこそがロックドラムのあるべき姿だ。」

最後に僕が Charlie に会ったのは、Newark の Prudential Centre で数年前のことだった。Bruce が彼らと共演して “Tumbling Dice” をやった前日だ。僕は彼に50年ほど前、彼らをこの近くの場所で観たと伝えたよ。1965年の11月7日にね。彼らは Solomon Burke の “Everybody Needs Somebody to Love” でスタートし、半時間ほどプレイした。彼らのオープニングアクトをするためのコンテストがあったんだが、僕のバンドは落ちたんだ。それで二列目で観てて、彼らは当時の大ヒット “Get Off of My Cloud” をプレイしてくれた。それはレコードそのまんまだったよ。

アリーナで、僕らはこの壁を背に立ってて、彼はブルーの Rolling Stones ブランドのウィンドブレーカーを着てた。彼が晩年にいつも着てたやつだよ。僕らは過ぎ去った日々を追憶してた – あり得ないほど丁寧で、素晴らしい人だった。そして彼はステージに出るとき、舌のロゴのジャケットを脱いで、折り畳み、アシスタントに渡し、(ドラムチェアに)座ったんだ。もし僕が、誰か他のドラマーみたいになれるならば、Charlie Watts みたいになりたいよ。


* “Street Fighting Man” の録音では、Charlie はツアーに持ち歩いていた1930年代のトイドラムキット “London Jazz Kit Set” を叩き、Keith は Philips のテレコに録音した、と2003年に答えてます。有名な話なのでしょうけど、僕は知りませんでした。英語 Wiki に載っています。

こちら日曜カーペンター

先週末は日曜大工

今週末はその成果をようやく使えるかというところ

机の下のキーボードフック。
スライダーなんていいものじゃなく、単純にひっかけてるだけで、早速一度落下してる。
それでもとても有難い。やっとフルサイズの49鍵が膝の上に来て、いつまでも鍵盤楽器を弾けない言い訳がなくなった。

もう一つ日曜大工は

虫除けの網を扉につけること

マジックテープとマグネットを使ったもので、意外と簡単にできてよかった。

中国製品のアイデアに既に日本は追いつけてないというか、もうかなり引き離されているのでは?
変な翻訳日本語を読みながらもそう思う。自動翻訳でどんどん回っていく世界。

—-

そんな中 大昔のファイルが今の Mac では読めなくなっているという現象に出くわす
恐らく OS (Catalina) の仕様変更だろう。
救出に古い OS (El Capitan) の MBP 含めて、4台で文字通り四苦八苦する。

頼みの古い MBP はアダプターを繋ぐと熱暴走して使い物にならない。
バッテリーの不具合らしいが、逆にバッテリーで使うしかない。トラックパッドも反応しない。
またバッテリーが膨張してきたかもしれないが、こいつはもう何回もバッテリー交換したからな。
よく頑張ってくれた。最後の仕事だ。

1994年から果てしなく続くファイルを復旧していく。

数えきれない曲のデータ…殆どはモチーフやグルーヴの断片だけど
そろそろこれらも整理しなければ。中には意外としっかり作ってるのもあったりする。

確定申告かよってぐらい大変な作業。ぜんぜん週末じゃない。

—–

コンピューター触っていると本当に縮こまってしまうので、
ときおりそんなことは忘れて、身体で楽器に触ったり歌う時間を持つようにしている。

音楽やる人としては当たり前のことなのだが、

2021年現在、これは何の競争でもなく、自分のために、だ。それが一番、大事な向上心だと漸く気づいている。

皆さんの前で何も披露できないのが、残念だ。
だが。だからこそなのだ。


これはいうまでも無く、金土日曜をひっくるめて「日曜」とした日記。

自分もこれから、金藤日曜の化身ということにしよう。
内省的なきんどーちゃん。そんなんいるのか。

鴨川つばめ先生にいつか一目。

スライドマーク

ナウシカドラえもん説。


このプラモデルにはスライドマークが付いており

それで「目」を表現する。

デカールなんて何年ぶりだよ…

彼女の服はもっとくすんだ、なおかつ深い青緑だと思うが、
調合上、割と鮮やかな水色に。
すると。ドラえもんやん。裏返したら。なんとなく。

水色と白 – 空飛ぶ – 共通点。
人々を導く、救世主 – 使徒 ?

てことは、クシャナは、ドラミちゃんか?


漫画版の「風の谷のナウシカ」は今でも読み応えがあり、
こちらを映画化してくれないかと淡い願いを持っている。

映画は無理でも、何か映像として。

宮崎さんの話は「王家」の人々が一人称のことが多く
ほとんどの人が「王家」であるはずもない現実世界で、どうしてこんなに人気を集めているのか
ときおり不思議になる。

がそれでも、リーダーってなんなんだろな、みたいな事を
表から裏から感じ取るには、ひとつの助けとなる。

ドラえもんについては…あまりわからない。

ただ僕は「ドラもん」と真ん中にアクセントを置かないと落ち着かないタチなので
その時点で傍流なんかな、という感覚は常にもっている。


5.16 追記
もしかすると庵野さんがナウシカのリメイクをやるのか、っていう憶測が出ていますね。
声優さんは確かに大きな問題かもしれない。

僕としてはナウシカは島本さんでなくてもいいと思ったりする。可憐さよりもむしろ冷徹で誰にも縛られない…誰をも振り回す…ところを。そしてクシャナに原作のあの深みを。観たい。

whybecause

先日 mill の続きです

ここから

きっかり二杯分の豆をミルにうつしたい

嗚呼…

キレの良い豆袋(空になっても集めていた読書珈琲リチルさんの)に入れてみよう

なお、この日の豆はさくら珈琲豆店さんのものである…ご容赦を

!!

改めて、リチルさんの袋の優秀さに感動しつつ

この後も修行を積んだ僕は
ティアドロップ型の器からミルに直接
豆を溢さず入れることもできています

何事も挑戦だよ。

* こぼれ豆は責任をもって回収、抽出しております。途中で背景が白いのは紙を敷いた為。裏話

mill

コーヒーを計量スプーンに入れてミルに入れる。ハンドルをひたすら回す。日課だ。

うちのミルは超小型で一杯分しか入らないが、とても精巧で挽き具合も小気味いい。

流石は燕三条の逸品。その鏡面仕上げもたまらない。

だが口が小さい。
いつも
スプーンから
ポロポロポロ


豆が溢れるのだ。

それとどう折り合いをつけるかが、毎度の悩みだった。


今年になって、さる豆屋さんから珈琲の手引きを送ってもらった。

目から
鱗が
落ち
た。

心得の一つ、重さを測る。
以来僕は、このミルをハカリに載せた状態を0gとし、正確な量を袋から流し込んで挽き、それを二回繰り返している。計量スプーンは使わない。

もう一つの心得と共にこれを実践し、格段に後味のいい珈琲を淹れることができるようになった。
方法は自分なりだが、根っこを知れるのはとてもありがたいことだ。

だが豆を流し込むのは容易ではない。
いつも袋から
ポロポロポ

ポロ
豆が溢れ
るのだ。

日によっては寧ろ前より多くなったこぼれ豆とどう付き合うかが、
切実な課題になりつつあった。


僕はいくつか好きな珈琲屋さんから豆を通販で買っている。

それぞれの豆の美味しさとは別に、パッケージにも個性があり、優劣付け難い。
が、豆の流し込みやすさとキレの良さという意味では、グラム量りを教えてくれた当の店のものがダントツであり、それは読書珈琲リチルさんの袋だ。
また、ここの豆袋はかっこいい。ひとつひとつに古い本の装丁を感じるのだ。
実際僕はここの袋を、用途がわからぬまま、空になっても集めている。

(絵が面白いから残している袋もある。どのお店かはご想像にお任せします)

今はリチルさんの豆も切れてしまい、また買うと思うのだけれど、

ふと、計量カップもハカリも使わない方法はないか、と考えてみた。

二杯分の重さを、器で量ってみる。それ以降は、毎回その器に入れればいいじゃないか。
計量スプーンと原理は同じだが、より精度も高まる。

そして
このティアドロップ型の器の、摺り切りがちょうど二杯分だった。

世界はよくできていた。

…さて…

ここからどうすればいいのだ。
まさか計量スプーンに移して入れるわけにはいかない。

どうなったかは、後日写真と共にお知らせしたいと思う。

こちら

その週末

色々思い返した週末。
書ききれはしない。

そんな中、進んでいく人たちを伝えききつつ
(わっち、ピッコリーノ、すごいね。願わくば僕もその世界には参加したかった)

いらない大量のコードを袋にいれ
耳でしかしらないコードを指に合わせ
あ、こうだったのか、と。

村上ポンタさんの訃報。

この方とも共演できなかったけれど

京都でのリハスタバイト時代、一度だけ
リハに来られたことがあり、少しだけお話しした。
部屋はどこ、ぐらいのことだったけれど
ジェントルマンでした。
あれは 1995 震災の年。
当時、自分は 4TR MTR に明け暮れていた。

カセットテープの開発者のルー・オッテンスさんも、亡くなったという。

Philipps と Sony について、先日読んだ長編の音楽本に色々書いてあったけど、
モノが時代を、というか人々、というか、わかる範囲では少なくとも自分を
大きく動かしたこと、確かにある。

僕は今でも、モノとしてのカセットテープに惹かれつづけているし、
長い間、このサイトのトップページもメタルテープでした。
ほんと、感謝。

アコベの弦をようやく張り替える。
エリクサーがついていたが、僕はコーテッド弦の感触も響きも、あまり好きではない。
ダダリオに替える。やはり。
基本的に、どんな楽器でもダダリオの普通の弦が自分に合っているようだ。
えぇわー。

この弦は九州からすぐに届いたのだが、
先々週末に近くの DIY 店で注文したプランターのトレイは、まだ届かない。

以上 another world より。

…と思ったら…
ルパンは初代が最高だよ。
音楽も。

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