カテゴリー: mono

かんたん

ひとは むずかしいことを じつげんするちからがある
みちすじがくりあであれば どんなむずかしいことも かんたんにできる

みちすじがひとにそぐわなければ
どんなかんたんなことも むずかしくなる

そんなきがした
すごくした

これは ぼくらのこれからの みごとな しごとっぷりにもかかわるし
どう ずっこけるかにも かかわってくる

重要な歴史

古米の保存の為に、とある方法で密閉保存を試みている。

いわゆる、オフシーズンの衣類や布団を仕舞う為の吸引型袋を使うのだが

何回も失敗しているうちに、遂に究極の袋に出会う。

ただのビニール袋と思ったら、ヤケドしちまうぜ。

大阪の 石崎資材株式会社 謹製、Made In Japan.

黒眼鏡

物持ちが良すぎて、遂に劣化の果てに取れてしまったK240 Monitorのイヤパッド。

毎年変えようと思ってはそのままにして、10年以上経ってしまった。
ついに交換。当たり前の事ながら、まっさらになって驚く。

いつまでも使いたいと思う道具。

どっちがみぎだ

私の使うAKGのカナルフォンは
音も銀色カバーもいいのだが、LRがわからない。

よく知ってる曲だと定位で左右を確認する。
シャッフルで聴いてると、それを待つのが面倒になる。

iOS アプリで一番欲しいのは
LR checker
だったりする。

mitsukaranai

– ミラーメッキの上の印刷がすぐ消えてしまうのだ

おと はね ふるえる

速水浩平さんのTV出演を観た。
この人、頑張って貰いたいなとおもう。

06年のとある日、参宮橋近くの首都高速脇で自転車をこいでいた時、僕はこんな事を思っていた。
「この高速脇の音圧を利用して発電が出来ないか??」

この日は代々木の楽器屋に向かっていたけど、
この後しばらく笑えて、日が暮れるのを忘れて同じところをぐるぐる回った。
結局店の閉店に間に合ったのかも、忘れてしまった。

なんで笑えたかというと、これによって「音楽家」の立場が一変するからだ。
これまで無駄にエネルギーを使い、騒音をまき散らしたギター少年、オヤジ、パンクバンド、
スタジアムツアー、フリージャズ、これらがすべて「エコの使者」になる。

PA屋も楽器屋もオーディオメーカーもみな、先端エコ産業になる。
革命。

これこそが地球の求めるもの。

勿論技術的な敷居はまだまだまだ高いのだろうけど、
ギターはピックアップで発電しているのだから、そもそも実現済。
マイクもしかり。
後は効率だけの問題なのだ。とても大きな「だけの問題」

音が人に届く為に電気を消費するのは、あくまで聴き手に何かを伝えるため。
つまりは心を震わせるため。

あまった(でかすぎた)音を「拾った」り、人が「よっしゃわかった」と、音を「受け取った」後の
エネルギーを再び電気に還元するのは、別に何もおかしい事ではない。

ぜひやるべきなのだ。

この速水さんという人が活動しているのはその後知ったが、
小学4年で発案し、大学に進んで研究と実践に邁進。
美しい。

高速道路面やビル床への展開など、今後は明るいようだけど、

音の事を忘れないでほしい

そこはまた、音楽関係者も頑張るべきだと思う。

ただのベース弾きが思うことだけど、
未来って、まだまだある。

まだ、来てへんから、みらい。

サッチモ曰く、What A Wonderful World.

* この後に大震災が来たので、僕の捉え方はだいぶかわりました。が、今も引き続き考えています。
— 追記 2012/1/31

503

リハーサル。

イアモニターを使う。PQっていうcueboxが面白い。
最初なんだこれ?? って感じだけど、ちょっと触るとわかる。
遊び心があって、無駄が無い。

ただ、saxのソロなんかが二重に聴こえたりする事もあるから
やっぱレイテンシーあるんだろうな。

アコースティックには転がしは難しいところで
今回のイアモニはいい経験でもあるのだけど
耳栓度の強いカナルフォンは、不思議な気分。

いざ、観てる人の空気を感じる段になったら、
やっぱり耳がオープンになってる方が気持ちいいだろうな、と思いつつ
片耳にしようか、ゆるいイアフォンにしようかと思案しているところ。

ダブルベースはノーマルチューニング。
その代わり5弦のLaklandがスタンバってる。

渋く振れ巾の大きい曲層に、とてもスタンダードな気分で臨んでいます。

マザー グース ネック

-たまに使うスタンドライトと人類にまつわる寓話-

いざグースネックになってみると
そんなに首をグースにすることってないなと思う

いざブロントサウルスになってみると
あるいは椅子に座りたいって思うかもしれない

フロントガラスから見える三日月を あるいはほんとの二日月を
今日の名場面にしようとグースネックになってバスから覗いてみる
たぶんそれは 写真になってから見るとうっとりするんだろう だけど
グースでない自分だと 苦痛がうっとりをはるかに上回る

あれっ 苦痛とうっとりのバランスは?

…わけわからんよね。これは祖父江慎の講演本を読んだ後のメモ。

がっちゃんこ

このボログ、いやブログは見てのとおり、非常に肌色をしている。
いい感じの写真なんぞあればいいのだが、たまにしか掲載しない。
写真を撮らないから…頑張って充電しても1分も持たないカメラを使っているから
僕にはシャッターチャンスが存在しないのだ。

カメラが欲しい、とは何年も思っている。
自分の好きな感じの写真は下手なりに自分が撮れる、と、なんとなく。
ちゃんと充電池が持つ、暗闇に強い、かわいく、かっこいい。
こんなコンパクトがいい。

GR Digital やちょっと前の R10 はいいな、とずっと思うのだけど
ふんぎりがつかない。それかいっそ、スパイカメラみたいな Minox あたりか…

先日渋谷のビックで Ricoh の新型を出口の広告で見て、リハ前なのに売り場に引き返し、その GXR とやらをしげしげと見てみる。
うーん。

おせじにもかっこよいとはいえない。
コンセプトや感触はすごくいいし、ガチャッとカメラ部が外れてしまうのは、後ろの客が吹き出したぐらい面白いし
達人中の達人安藤さんにカタログを見せてみても「片方はたぶんいいレンズ」だそう。

そのまま忘れてしまったのだけど…

今日、別のビックで同じカメラを触ってみる。良いカメラかもしれない、と思う。
でかい方のレンズのバランスが不思議と落ち着く。まずまず手に馴染む。

でもなんとかならんかったのかな、あのボディ前面上部の枠のデザイんは。
機能美でもないし、陶酔美でもないし、ジャンク的でもないし、
まるでメインデザイナーが途中であきらめて他がとりあえず完成させたようで、
ありゃひどい。いやーほんとにまったくひどい。

叶うならば縦でいたい

僕は割と縦長な人間で
そのせいか、世間で言われる「ヒトの視野は横長だ」を信じられないでいる。

だいたい、改行のない横に長ったらしい文を見ると内容よりその形だけで不安になるし
今や家電屋の壁面すべてを埋め尽くすワイド TV にもイマイチ馴染めないでいる。

だいたい、僕は A5 や A4 を縦にしたカタチが凄く好きなのだ。
見開きで横に長くなったとしても、縦型になにかが記されているって、それだけで何かの意志を感じてしまう。
おかしいんだろうな、多分。

だいたいインターネットは未だに縦長主体で
純粋に横長に作られてるページはそれほど見ない。

折角縦スクロールができるんだから、ってことかもしれないが
なんか、横長モニタで殆どのヒトが見てる現実ではあまり必然性を見いだせず、
やむを得ず惰性でそうなってる気もしないでもない。

だが僕は、縦長ページならホントに縦長画面で見たい方で
昔は Radius の Pivot っていう、今はもうない(技術の転売された)
馬鹿でかい CRT をずっと使ってた。

アメリカに居たから、A4じゃなくレターサイズだったけど
ページがちゃんとレイアウトされて見れるのは最高に気持ちが良かった。

(Pivot は本来、縦横いけるモニタなんだが、当時の Mac では縦しか使えなくなってしまっていた)

もともと、シーケンスは横で、ワープロは縦で、と思って買ったのに、
シーケンスも縦でやるハメになった。慣れたら全然違和感がなかった。

別に僕はトラックをバカみたいに重ねる方でも、意図を持って重ねる方でもなく、
オーケストレーションは至ってシンプルだったけど、それでも縦長のワークスペースで慣れていた。

なんでかなぁ。

もう随分、横長の画面しか見てないが、ずっと「縦に帰りたい」病が続いている。
池尻に居た頃は丸正に渡る信号待ちの時、いつも首都高の更に上に伸びるでっかい杉を眺めてキッと空を睨んでた。
ジャンクションループの工事で木が切り落とされた時は、それなりにショックだった。

映画のスクリーンは16:9より遥かに横長で、
あまり意識してその効果を考えた事はないけど、それは正解なんだろうな。たぶん。
だが、縦長の世界はどうしてくれるんだ。

自分は視野が狭いんだか、エコな植物か電話ボックスなのかしらないけど
横長は寝てる時で、ええやんか。

というわけで、横になります。

こむもの

ふと読んだ鉄道ビジネス誌によると「かみ」の語源は朝鮮語の「こむ」であるらしい。
「もの」のそれは同じくそれもんの「まな」だそうだ。

僕は夜道に本を歩き読みする癖があるので
帰宅までに読み切れなかった記事は酒と共にぐーぐー寝てしまうのだが

なんだかぴんと、きたにはきた。

こむ、ってなんかいい響きだもんな 日本語以外で
com
come
comme a la radio

しかし、もうちょっとぴんと来るべきところは他にあった。

寝てる記事と自分の学習能力が起きたら、つづきにかかろう。

先日読んだのは「 リズムはゆらぐ / 藤原 義章 」
という本だ。

つかみから文体に引きずり込まれたのだが、やがてこれでもかと数式が出てきて、
正直面食らった。
しかしその後、数式も一段落。誰もが喜ぶテーマを経て拍子の包括的な解説に進む。

特にぴんときたのは、アウフタクト – Pick Up の解説。
日本語の「弱起」という音楽用語はとんでもない誤訳だ、
それは本来、次の一拍目を最高点からスタートさせるための、
いわばジェットコースターでいう持ち上げの過程だ、という話。

確かに、指揮棒を見れば一目瞭然だ。

音楽は0拍、0小節から始まる、という
これも面白い。

アフリカのビートなどでは、モチーフの起点がそもそも裏のウラだったりする
おかげで、エピゾさんなんかが突然曲の説明を始めたとき
感覚的にはついていけても、一端頭で整理しようと思うと混乱する事もある。

僕がrtovで作った曲に “Will” というのがあって、これは3から生まれたようなフレーズからなっているが
セルビア人のラスコは、最初にこのフレーズを聴かせたとき、1拍違うカウントをしていた。
どちらにせよ、特に違和感はなかったのだけど、今にして思えばそれで呼吸が変わったかもしれない。

先日は遠くまで、昔から大好きだったバンドを観に行って、不思議な感覚で帰ってきたのだけど
なんだか、それぞれが核を持って絡み合うって
それがエネルギーを放射するって
音楽としても一種の演劇としてもやっぱりすばらしいな、と思う

リズムのゆらぎ方が数式で完全に表せるかは、いくらか疑問があるけど
本当の意味の物理学は「いきもの」すべてが感じてて、
それらは互いに重力や光によって影響し合って
時間を変えていくと思う。

考えることは、考えないことだ

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