カテゴリー: libre

車輪と線

有難いことではあるが
師走は想像の3倍ほど働いたので
最早頭が日に4回オーバーヒートする状態になり
さすがにダメだと
霧の山にいる

正常な判断って
或いは正常を超えた判断って
まだまだできない
もう遅い
まだ早い

それは音楽でもそうなのだけど
反省は尽きない
もちろん
たくさん
これはやれたな
っというのもある

物事の連続性をあまり信じられなくなって
どれだけ経つだろう
先はわからないというのは
とても素直な態度だとおもう
近未来にたいして

どちらにも転ぶから
転ばないように車輪を回し続ける

まわるもの
まわる
ぼくらの予想と違って
まわるもの

なんだろう
気づいたはずなのに
おもいだせない

さんくす

Symphony Street の
古ぼけた楽器屋で
‘58年の Fender PB に
出会えなかったら

S さんが
あのとき電話をくれなかったら

三重の山あいにある nest と
新名神の工事がなければ

あの曲は降りてこなかった
だろうな


It’s just in between the buttons…

libre

夏も終わるので速記。

風鈴。無人の駅に不自然にかかっている。
涼をとるために数日前から無力な抵抗を試みたのだろうか
すっかり涼しくなってしまった夜には滑稽ですらある。
これとない親近感を感じてカメラに収めると

りんりんと

なりだした

やっぱ り な

みずいろの砂

プール、海岸、水槽

三度の水の日。

天井のオブジェや「みずいろの」色合い
背泳ぎしていると突如うねり出す低音
それは出水溝だったが
こんなのを毎日見て過ごせたらと思うプールは
思いの外体力を奪う

二度目のジムの代わりに脱出して海へ
先日フィービースノウの3rd LPと共に買った鈴木茂のCDをかけながら
初めての道を南下する
曇り空 灰色の波
「みずいろの」定義は何か ふたたび

昨日は森と道路の街から
灰色の空と黒い烏を眺めていたが

灰色は実は墨のように深い表現をもっている
などと思わなくもない 灰色の朝が近いからって
慣れようとしてるのだろうか?

見返すに能う写真が撮れないのがわかっているが
シャッターを数度切る
収める以上に感じることがある
波は生きている

ときおりヤマアラシのように
左からかけてくる波がいる

正確に 不自然に 演ずることにかけては
彼らの右に出るものはないだろう そう
右には誰も出てこなかった

静止画と動画の違いをまた考えながら
この世には静止画などないのだと思い出す

二次元がないように スチルもポーズもない

巻き戻すだけ無駄な意識
勝手に巻き戻ってく水たち

小さくても 大きくても 渦をまくメダカたち

でも意識は静止画に追いつかない
あるいは通り過ぎてしまう
速すぎて

止まるためには高速で動かなくてはならない
動くためにはとめなければならない
流れに身を任せるのが嫌な自分
これからも 何十年も AI になっても

歩きのパターン認識など技術がなくても誰にでもできてしまう
顔などなくてもいいのにどうしてわざわざ写真に撮るのだろう?

わからない それは気まぐれだ

流れをおこす人など信じない
だが 流れ方にはいろいろある
せめて 魚になってみる
それが 海の一角であっても 画角に漏れた砂であっても

アウェイからのホーム

Away from Home …. ってそのままのタイトルの曲があったっけ。
例によって Copeland、Klark Kent 名義のソロ。
何度読み返しても、示唆に富んでいるとは思い難い歌詞である。

だけどこのビデオ初めて観た…

おもろい
もしかして Sting、この時の彼のプレべを使ったりしてるの?

で、Stu のことは一旦おいて
最近思ってしまうのだ。アウェイとホームってなんやねん。

どこにいたってアウェイだし、どこにいたってホームだ。
究極のところ。
音楽をやる以上。音楽に限らず、何かをやろうとしている以上。

それが、困ったことに
生きていること自体に
アウェイ感のフェーダーをどんどん上げていく
不思議な厄介な世界。
昨今、いやいつからかな。

たぶん、どこにも逃げ場なんてないですよ。
いみじくも MV の結末が表してるように。

向かい合えばどこでもホーム。アウェイを知ればそれはホームかもしれない。

生き抜こう。

それはさておいて、だ。

アウェイなんか、ホームなんか?
音に向かえばそれは常に見知らぬ、見知ったところ。

自分のやりたいこと、しりたいこと、
できそうなこと、できないこと

それに向かうことはたぶん、人生最大のアウェイ。
外から見ればどうにも逃げ場がないのに、自分の内面はつかまえられない。

だけどそれもわからないのに、外に向かえるわけもないので
落とし前をつけよう、と、する、またしてもな
夏。

毎年毎年、このあたりにはへばって停止するのだけど
今年はそうはいくまい。な
夏。

半分大晦日

今年も半分おわり。

ふりかえる。

ひさびさに、自分の足で歩いた半年間。
いいときだった。

じぶんがやれる音楽ってなんだろう、演し物ってなんやろう。
随分サボっていたことに、年始から向き合えたのは
宝物だったと思う。ふたりの M さんがいなければそれもできなかった。

冗談で、kedi baskan でソロができれば今年前半のノルマは達成、と書いたのが
ほんとに BABI CHAN by kedi で、しかも四月にさせてもらえて、
おつりで esquerita までできた。tatomiya も。

まぁ欲をいえば rosie や lete や、いろんなラボやスピーカー小屋やコンベンション? や
いろいろしたい場所、ことはあるけど
自分に必要な足腰は何か? を、やりながらつけていければ最高だ。

たまたま縁があって、同じ速度で巡りあってくれる人、聴いてくれる人。
広めてくれる人。それが仕事の人。たまたま。偶然。
やることをやる。それだけで半年など一瞬に過ぎて行く。

その中で、生まれてくる気持ちを確かめながら、少しずつでも続けていければいい。

ぼくの rick 4008 は、Cambridge Music の壁に(間違ったゲージの弦を貼られて)かかってたあの頃から、
まだやりたいことの1/8も奏でていないから。

CD は、flat five から約束どおりの音源グレードアップ版だったけど
曲数はもっと多くてもよかったのかもしれない。いやあれでよかったのかもしれない。
「長さがちょうどいい」と言ってもらえることが結構あったし、
自分でも23分ジャストで作った(筈)だし。

7月にはリリースしたミニアルバムと、シングルが配信終了する。
これは区切りとして、またリメイクして出せれば、と思う。

river silver [side b] は11月まで配信。
ほとんど知られてないこの作品も、意外と最近は聴かれているようで嬉しい。
曲はいいからね。

とはいえ。
散歩する暇もないくらい、あるいはリュックサックがいつも重すぎて
歩くのもいい加減苦痛になる、このごろ。

荷物を減らしたい。
担当楽器がどんどん増えて行くのは、かんべん願うよ。

が、そんな仕事をひと踏ん張りして、次からは。

何か違う方向に、行こうかなぁ。
そのまま、休もうかなぁ。

考えなきゃいけないことも散々あるし、
見直しっていうかもっと再構築したいことはいつも、色々ある。

遠くて近くを歩く、ともだち。
近くて遠い、うみ。

紫陽花は pappa ray ray の玄関でみた記憶しかないけど
すばらしい六月だったよ、
さんきゅー、そして明日からもよろしく、
黄緑色の七月。

ohanashi19

ohashiTrio HALL TOUR 2019 – THUNDERBIRD –

6.9長崎にて無事終了し、今は J-WAVE LIVE 一年ぶりのスペシャルバンドすなわちハコバンのために準備中なのですが、ここいらで備忘録。

今年は非常にそぎ落とされたショーでした(以下主観です)。

メンバーは昨年に引き続き、最多の7人。そこに拍車をかけてステージにはキーボードを満載。最大で5人が同時に鍵盤を弾くという、シュールですらある光景。しかもチャーム君は曲中のギター持ち替えもあって、ギターをスタンドに立てたまま弾くというスタイルを通した。

ツッコミどころが満載の、相変わらず凝ったステージだったのです。

その代わりと言ってはなんだが、基本セットリストの変更は無し。
というかあたりまえなんだけど、今年は公演ごとに曲を変えるというより、演奏、からみそのもので違いが出たり。

メリハリがあって無駄がない、いいショーだったのじゃないかなと思います(主観です)。

無駄がないといえばすなわち、昨年くりひろげた(恐怖の)メンバー紹介時間も丸々カットしたので、大半の人はホッとしたと思う一方、もしかしたら物足りないと感じた人もいるかもしれません(あんまりいないと思う)。

しかしその中で、僕はちょうど中間からあることを思いついてしまって、東京公演以降、ソロ回しの時に語ることにしたのです。

しかしファンキーに盛り上がる曲調にいつものボソボソ語りはまったく調和せず、途中からラップに鞍替えしました。

— base にしたのは以下 —

「サンダーバードの詩」
かみなりの とりも さいしょは ことり
囮に なっても さいご 大トリ
揚げ足を とり 朝まで しりとり
グルーヴのグルー ヴーヴーヴー

ここから前後に加えたりしたのですが、

最後長崎でバラしたように、このショーでの誰もしらないハイライトは、

僕が後ろ向きで赤い Nord に向かって何をしていたか? ということでした。

たぶん、この音楽人生で一番難しかった、たぶん世界の誰もやらないこと、
あの連打2,880回は、報われたかなぁ!?

ハッピーイノシシ

矢野誠さんのバースデーコンサート
「ハッピーイノシシ」を学芸大学で観る。

本日のプログラム…
こういうことができるのも矢野さん、よーこさんの素敵なところ。

こないだ訪れた博多の大濠公園? と思ったけど洗足池でした。

ちょうど「みんなのうた」で再放送していた超名曲「ショボクジラ・チビコブラ」も冒頭にやってくれたし
(作詞の岡部さんもいらしてた)

「ノスタルジア」「祭」「そっとはなして」「昔はどこへ」…
響きと音の陰影がひたすら美しかった。

矢野さんは、今世紀初頭にハチ公前で路上ライヴをしていた時に
出会った DJ の野口くんをきっかけに、ライヴを観たりイベントでご一緒させてもらったり
やがて何度か共演もさせてもらい、自分のバンドや個人でも折に触れて励ましてくださるのですが
実はその前、米東海岸滞在中に知り合った西海岸の難波さんからもお話を伺っていたので
割と長い縁を感じたりしています。

TOKYO M.A.P.S の初日にも来てくださったし。

ピアノの左手のライン、右手のタッチ、ひらたよーこさんとの掛け合い、
そして MC や立ち居振る舞いもいつも楽しみなのですが

今日のライヴを観てると
時間っていう感覚がなくて
確かにステディなタイムがあるのだけど
刻むというより縫うという感じ。
…といえばよいのだろうか。はじめて腑に落ちたような。

上から糸を通して下からまたすくい上げる。ミシン。
エンデ「影の縫製機」みたい。?
それが「あむ」ってことなのかな、あ。

もう一度聴きたい、と、今も思うのです。
(書いているのは25日後なのだ)

久しぶりに、どんべさんともお会いし、マイア・バルーやエピゾと一緒にやった時以来に少し話せたり。
相変わらず鋭いな〜。

矢野さん、これからもいっぱい、音楽聴かせて、魅せてください!!

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