カテゴリー: libre

smile & cry

こんな夜は

いいプレイができる

とわかってるんだけどな

ま、これもこれだ。

neruka.

measuring worm

意識の高いスーパーを久しぶりに訪れる
そこだけで入手できるオートミールを買うという
目的を果たすべく
その棚の様子をしっかり想い描いていたのだが

はたして
ちょうどその棚だけが空だった。

Joni Mitchell の Blue を久しぶりに聴く
いまだにこのアルバムの良さがわかっていない。
Hejira に Hissing… に Court and Spark に Mingus に、Joni の他のアルバムは愛聴してるのだが。

カーディスプレイに映ったジャケットが見たこともないやつで
白黒(白青?)反転、若干怖めだった。あれはなんなのだろう?

Court… といえば最後の Twisted
Annie Ross のカバーだ

昔、米国の友人がこの曲をやるというので手伝ったことがあるが
今になっていかに彼女にぴったりだったかがわかる。
とてもぶっとんだ Annie に、通じるものがあった。そう、Joni じゃなく Annie に。

当時もっと英語が流暢だったら、たぶん数倍楽しめただろう、とふと思う。
どれだけおかしな人だったか。たぶん内面は違って、まっすぐだったのだろう。

まぁでも、今頃になって英語により親しめるようになってきたのだから、それもよい。

のり付けできなくても、人生は尺取虫。
後からわかることも、いっぱいある。

こちらが Annie がトランスクライブして歌詞をのっけた原曲 やっぱ源流はいいね

one little thing at a time

今宵は半月でんなぁ

曇ってて見えへんけどな


ついつい私の癖として

音源が完成していない詞を

何かの理由をつけて公開してしまうのだが

今回はやめときましょう。


知ることも

ふるわせて

形にすることも

道はとても遠いのだけど

少しずつ、少しずつ

レゾネートしていく、気がする。

everyday bread

いいなと思うレコードを追ってくといいプレーヤーに当たる。

録音方法で音色の違いはあれど、あ、この曲やっぱこの人やったんだ。

みたいな。

’60~70s の LA はほんとに、豊穣だったのだろう。

だがそういった偉人であっても、やったらあかんことは、あかんわ。

Schizophrenia, insanity defense…

それは、「音楽のせい」なのだろうか? 「多忙と成功のため」か?

超えてしまった人が、どこで身を守るか。

聴くときこえる。聞こえた方がいいものも、きこえなくていいものもある。

キュルキュルとモグラ

さる聞き取り案件と採譜案件にかかる。

思ったよりスムーズにいきそうで安堵。

昔はずいぶん文字起こしをやったが、最強の道具は安価なテレコだった。

当時は MD 全盛期で、いくつか MD レコーダーを持っていたが
文字起こし用途に関してあれほど使いにくいものはなかった。

反応は遅いしボタンは小さすぎるし
おまけにエラーで録音が消え去ることも頻繁。

カセットがよかったな。キュルキュルが。


採譜ってそこで満足してしまうこともあるけど
そこから演奏できるようになる(すぐできる人に向けてやるという用途の他に、慣れない楽器や慣れてても難しいことを練習するために作る)ものなので

それだとまんまと罠に引っかかるモグラのようなものだ。

実際に見て練習して、要らないようになって本物。

甲冑と袴

how fickle the perception can be

… Percy Jones の言葉。

「とらえかた」はきまぐれ。物事の。


硬質でありながら飄々とした彼のベースプレイに、石川五ヱ門を想起する。

撫肩な甲冑か、怒肩の袴か。

 


いつだったか、ベーマガに頼まれて彼のソロプロジェクトの解説をしたことがある。

アルバムになるとかではなく、その前のトラックだったか、ビデオだったか。
03年、Bass Player Magazine の記事の翻訳と、採譜だったと思う。

スライドハーモニクスに何やら矢印をつけた奏法に、随所に入る16分3連に

よくあんなのを採れたものだ、と思うが、改めて振り返ると発見がある。

集中してるとき、内面に入っているとき、外に出てるとき、忘れたとき、

パーセプションは姿を変える。だから面白い。

鬼ヶ島

節分の豆の袋に赤鬼の絵が描いてあったので

それをかぶって鬼の面とする

服は冬の間ずっと紺を羽織っている

赤を着た方がよかっただろうか

expectation

何やら楽しげな2並びの日である。

いいアレンジ、というか いい質感のレコードを聴いて
とても幸せな気分になった。

その人の編曲の真髄をもっと聴きたいとソロ名義を探したら
どれもこれもエレクトロニックで、あれれ

そっちじゃない…代表作とされてるみたいだけど…

人って、宝を持っていても、自分では違うことをやりたいものなんでしょうか。

そんな事を書いてると 窮屈にもなるかもしれんけど

でも、自分がいいと思ったものは、そのときに自分なりに取り入れないと
人がやってくれるものではないですね。

人の価値観は移っていくし、周囲の期待感は必ず空気に流される。
どんなキュレーターも、頼りにならないときがある。


それはそうとして

オダギリジョーが長新太の「へんてこライオン」にしか見えない。

westwood-weyburn

二月。先日初日の出が昇ったばかりなのだが。
日はまだあまり長くなった気がしないのだが。

半年以上疎かになっていた鍵盤を少し思い出す。

視覚情報である楽譜という形にしていないことを先日から悔やみつつ
その一方で指の形や感触で思い出すことの大きさも感じる。

手と頭。両方大事なのだ。

人前でやるときは、その両方を忘れる = 意識しないレベルまでインターナライズするけど
ライヴしない今だから、逆に感じ取れることもある。


Leland Sklar のインタビューをしばしば読み観する。面白いこと話す人ですね。

とてもストレートでクレバー。仙人かと思ったら若いコンピューターエンジニアみたいだ。LA のガレージの。

’70s の Westwood の楽器屋では、誰もが集ってジャムしたり、あーだこーだ改造のアイデアを出し合ってたという。どんなんだったろうな。
楽器じゃないけど、2000年にふと Weyburn ave で手に入れたサングラスが好きなのはやっぱり、そういう場所の力なのかな。

…その眼鏡屋さんはまだ健在らしい
クリップオンはまだ壊れたままだ

hours spent

1月も間も無く終わり。本日は疲れが溜まって午後まで休む。

慣れない楽器の練習シリーズは、ためにはなるがそれなりに負荷がかかる。
身体に負担をかけないようとゆっくりと進めても、頭がこんがらがるので、結局疲れるというわけだ。

効率とか、要領とか、何かをできる人はそのあたりを掴んでいる、とよく言われるけど
できることとできないことの差が著しい自分は、あまりそうは思っていない。
ならばそれが才能の違いなのかというと、どうやらそうでもないようだ。

…費やした時間。

結局そうなんじゃないかと、思う。

こいつは何さしても全然あかんけど、これだけはできるねん。
こいつからこれ取ったら、何も残らん。

そういうのって面白いけど、たぶん、そういうふりをしてるか、そういう暗示にかかってる。

暗示や思い込みで、時間の費やし方を変える。

でも、それがかなわないなら。そこからが大事かなと、思っている。

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