カテゴリー: hikari

エスカレーターをのぼったら、そこから2階へ

お誘いを受けて、奏者たちで観劇。
日曜の日本橋はある意味トライベッカ。

エスカレーターで6階まで2度上り下りし、
そこから歴史ある階段で2階に上る。

尾崎紅葉の「金色夜叉」が未完だったことも、
小さいころ祖母がよくテレビで見ていたこともはじめて知った。
来年の今月今夜のこの月を…って台詞。

未完故に色々な解釈で舞台/映像化されているようで、結末は衝撃的。

貫一の「夢」の中で心情の裏の裏まで暴き出し、そして本意を隠して「この世を去る」
水谷さんの満枝は凄かった。

その夢の中、互いに良く知っている筈の愛子と宮が、初顔合わせのように振る舞っていたのが
「これは夢」だというヒントかな、後から思えば。

「女は月を指差しながらも、月ではなく自分の指先を眺めているものだ」
「馬車に揺られて通う舞踏会ではなく、夫が曳く人力車で向かう花見の方に真の幸せがあるとなぜ気づかぬ」

…(記憶があやふやで台詞は違うと思うが)深い…

マイクを使わず全くの地声で二階席の端まで聴かせる、観せる役者さん、
別次元の人たちだと改めて思う。

 

劇場を出ると6階に戻っている。
宝石店、時計店 …
あまりこないエリア。

ふと飛び込んだフレーズ
「松坂牛」
目を疑う。
ショーケースを見ると
時計バンドのブランドが「松坂牛」だそうだ。
世の中いつのまに。

帰りは、エレベーター。

魚群探知機

日本、フランスの最高権力者がどう考えていようとも

これからの日本人に必要なものはポスト原子力のエネルギーであり
シュールな原子力夢から醒めた翌朝の後始末だ

そして2年間で物事を忘れるという旧・日本人類からの進化だ

フランス人はどう考えているのだろう

これだけ真実が速く伝わる現代は
これだけ嘘も速く伝わってしまう

薄く、広く、何度でも
話題を変えて、どこからも

端末に向かう僕らは、末端だ
勝者のつもりが敗者になっていることに
気づかぬ鏡の世界の住人だ

だけども、時折そこから少しでも離れてみれば
何がおかしな流れなのか、自分はどの流れを作って生きるべきか
わかるはずだ

時に魚よりも愚かな人類だけれど
もう魚群探知機に追い回されずとも、生きられるはずだ

そう思う

明日も末端となり、人類となり、生きよう
おやっすみん

雲灯と葉隠れと雨

電車でiPadを見る人への違和感。

これって、固くてつるつるした平面が、人間の顔面近くにあることへの違和感なのかな、と思う。

本とどこが違うって、固さが全然違う。

ハードウェア感が段違い。

いくらソフトケース付けてても、曲がりもしない平面で本読むのって、やっぱ無理じゃね?

いくら中身がソフトウェアでも、実態は固い固いガラス。

みんながどこいくにもガラス板を抱えているんだから、あぶなくてしょーがねぇ。

早く、曲がるiPadはできないのかな。

この照明、アイデア(というかイラスト)好き。

だけど、カタチに実現させたというムービーはもうひとつぐっとこなかった。

最初のオーバーレイの字幕とかも、もうちょっと、ゆるく画を見せてくれたらいいのに。

実現させて欲しいのは、てるてる坊主みたいなヒトの方かもな。

うそと光のはなし

光はうそっぽく
ゆっくり

まどを なでて
入ってきた

まほうをかけられた
午後の列車は
うっとりと
人をのせる

マスクばかりの
冬だけど
この部屋は
あたたかい

光はまだ
おどってる
南向きから
東へ

誰かの湖が
やってくる

つかさおさむ

「ペペペペラン」の画を描いたのは司修さん。

全然意識していなかったけれど、色々見たくなる。

「影について」なんか素敵そうだ。

星の下で

2013年。

今年はとても静かに始めるけれど
音楽をいっぱい奏でようと思っています。

コンパス

いつのまにか
右だった月が左へ。

そんな2012最後の二時間。

虚しいなぁ
嘘だったんだなぁ
暖かいなあ
風なんだなあ

美しいなあ

全てを憶えれば
全ては忘るる
そう言わずにいられないんだなぁ

そんな年末

色々な人に感謝

色々なひかりに感謝

煙に感謝

たぶんできる

来年、また、もっと。

すべてのかたむきをながめるほし

また日が過ぎ
あいかわらずこれからも、とりとめもないことを書いていこうと思う。

コンクリートだらけのこの世の中、はたして「とりとめのある事」なんてあるのかな、と思うのだ。

—–

ステージって不思議な場所で
ときには客席より居心地がよかったりする。
いや、シャレではなく本気の話。

居心地だけでなく、眺めもよかったりする。
それって困るやん? とも思う。

客席から他の出演者を見ていて、このライティングってないんじゃないの、と思ったり
ところがステージにあがるとすごくゴージャズだったり

それって、テンション上げるにはこの上なく、申し分ないのだ
しかし客さんを思うと、心配にもなるのだ
俺たちばかり楽しくって、いいのかいなと

だけど、どうやら楽しんでるのが自分らだけでないとわかると
それで良くなるんだがね。

—–

Reciprocity

最近気に入りの曲 by G.Peacock & B.Frisell
とにかくヘッドがうつくしい
インプロのフリーはテクニカルすぎて正直あんましなのだけど
呼吸の伸び縮みがとにかく最高なのだ

—–

月が僕の左にある — こう思うだけで嬉しくなる時がある。
何を思っていようが、格別の月が、道を歩く僕の左にいてくれる、
そんな贅沢って、実はどんな大人にも等しく与えられているんだぜ。

人が忘れようが — 月は忘れない。
月の輪グマが忘れようが — 輪は忘れない。
すべての記憶素子が忘れようが、放電しきったスクラップは、覚えている。

君の左には、誰かがいる。
きみのひだりには、だれかがいる。

—–

歴史

高校の時にあまりに面白い先生に影響を受け、西洋史を専攻してた僕は
「人間のやることすべてを歴史は含む、だから歴史をとらえることができればすべてはありえる」
なんてずっと思ってきたわけだけど
ふとしたきっかけで、今日、それは違うかもしれないと思う。

もし、人類の「歴史の中で」
延々と、「歴史担当係」が
「言い訳」をつづってきたとしたら。

いや、そのためにすべての文献や都市や神殿がつくられてきたとしたら。

歴史、なんて、すごく偏ったもの、なのかもしれないな。

いや、シャレではなく本気なんやって。

てらしてみれば

光が上にいってしまった

月も上から照らされる あと数日のこと

 

「巻き毛のリケ」素敵な話だ

そのひとがかしこいのか
そのひとがかしこくみられるのか

それは似ているようでとても違ったことだ

だけどどちらにもいえることは
他人の目も本人の自覚も
気の持ちようで変わるということかな

 

意識は幾重にもかさなっている
そして切り替えればどれも真実に見える
そうどれも真実
どれも大切に育んだならば

はるのうみ

宮城道雄の随筆を読んでいる。

彼に限らず、邦楽の大家の多くは盲目であった。

それどころか、かつては盲目でなければ許されなかった職業、それが音楽家だという。

闇の中、研ぎすまされた感性を思う。

また、理屈や要点でなく、勘で習い、勘で教えたかつての才人たちを思う。

彼らにAppleのデバイスは使えるか? 使う価値があるのか?

おそらく、まったく違う音楽の未来がそこにはあったのだ、と思えてならない。

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